先日18日、NHKBS3で、「花子とアン」のスピンオフスペシャルが放送された。
内容は、朝市のお嫁さんになった、ちづ江さんの物語である。
朝市は、花子の幼なじみである。
ずっと花子のことが好きだったが、結婚はできなかった。
なぜか。
その「なぜ」が、このスピンオフスペシャルドラマで描かれている。
まず第一に、朝市は、花子に告白ができなかった。
勇気がなかったのではなくて、結婚する気がなかったのである。
次に、ライバルが現れた。
村岡印刷の村岡英治である。
花子は英治に心ひかれた。
心ひかれた理由は、英治が花子に、英語の辞書を贈ったことにある。
女の子はプレゼントに弱い。
朝市は、花子に何のプレゼントもしていない。
ただただ、やさしく見守っていただけである。
それは、「好き」という気持ちを、行動に表していない、ということなのである。
次に、ちづ江は、朝市に好意を持つが、この好意は、出会ってから、ちづ江のほうから、おにぎりを持ってきた、ということなのである。
朝市のほうが好きになって、アプローチしたわけではない。
朝市はそれほど、恋愛に対して臆病なのである。
しかし、朝市にもよいところはないわけではない。
それは、花子の気持ちに敏感だ、という点である。
花子が本当は誰を好きなのか、すぐにわかってしまった。
つまり、花子が自分に好意がないことを知っていたから、告らなかったのである。
それに、私は思う、このスピンオフスペシャルドラマは、「花子とアン」の総まとめのようなものであったり、後日談であったりするが、それほど盛り上がった筋書きはなかった。
平凡な造りであったと思う。
しかし、宇田川満代が、喫茶店で、くだを巻いたシーンは圧巻であった。
女流作家はこうあるべき、という原点を見たような気がする。
他人の恋愛にくちばしをはさんで、かき回していた。
もうすぐ結婚が近い、ちづ江の心を翻弄して楽しんでいた宇田川満代は、面白かった。
特に、頭につけた鶴の飾りが、ずり落ちていたので、大笑いしてしまった。
その宇田川満代も、恋に落ちた。
恋愛をして、結婚をして、それから離婚をした。
離婚したダンナ、元亭主が出てきて、追いかけっこをしていた。
そのダンナは、満代を愛していた、と言っていた。
そのセリフ回しが印象的だった。
私は思う、女性の愛には女性なりのかたちがあり、男性の愛には男性なりの形がある。
表現のしかたがある。
でも、一番申し分ないのは、結婚をほのめかすことである。
結婚できるかできないかは、本人の意思次第である。
ここのドラマでは、「どうにもならない愛」と言っている。
「好きでも別れることだってある」と言っている。
果たして本当にそうだろうか?
私は疑問に思う。
本当に好きだったら、ちづ江の言うとおり、「その手をはなしてはいけない」のである。
愛して愛して愛しぬくことが、とても大切である。