2014年5月24日土曜日

一年間の休載のお報せ。

こんにちは。
朝倉聡子です。
きょうは、一年間の休載の決心をしたことを、お報せするために、この記事を書いています。
休載一年後の復帰については、「ハーフ ハーフ」です。

理由といたしましては、とても休養が必要な状況である、ということです。
先日、フィギュアスケート選手の浅田真央さんが、「来季休養」を発表されました。
その後の進退については、「ハーフ ハーフ」ということで、現在の時点において決まっていないことを示しました。
私はその決心を聞いて思うことがありました。
それは、世界というレベルにおいて、とても緊張度の高い競技をしてきた選手にとっては、心身共に、休養が必要であるということが、「とてもよくわかる」という気持ちです。
そして、その休養は、一年という長期的な期間であることも、「とてもよくわかる」という気持ちです。

サッカー選手の中田英寿さんも、サッカーワールドカップのあとは、ほとんど公の場に姿を見せませんでした。
これは、スポーツをよく知っている人から聞いた話ですが、世界的な競技のあとは、心も身体も、そのテンションを高めたものをときほぐすには、一年、二年という年月が必要なのだそうです。
たとえば、長いマラソンを走り切った選手が、だんだんと、すぐに身体の動きを止めないで、少しずつ休息の状態に入っていくように、整理体操をする、そしてしばらく休養してから次のレースに挑む、というようなことです。

私は、私自身の体調や仕事の仕方を、今後のことも含めて何通りも考えました。
そして、スポーツ選手の手法に学ぶことにしました。

これから、まず丸一年間は、ブログとツイッターの活動を、すべて休養いたします。
浅田真央さんも、講演会やCMには出演されるそうなので、そういったような意味で、インターネット上で、少しずつ何か「競技」とは別のことで、お見かけするようなことはあるかもしれないです。
インターネットは生活必需品でありますので、そのあたりは、ご了承ください。

これまで、このブログ「朝倉聡子・日々のつぶやき」はときおり休みつつも約3年間続けてまいりました。
その間に、読んでくださったみな様、お世話になったみな様に、本当に心から感謝しています。
ありがとうございました。
これから休養に入る朝倉聡子を、温かく見守ってください。
本当にありがとうございました。

朝倉聡子

2014年5月24日




人口のブラックホール現象について。


今、人口問題で課題となっているのは、「人口のブラックホール現象」だそうである。
少子高齢化や、限界集落など、人口問題をめぐってはさまざまなテーマが課題となってきた。
これに対応する工夫が求められている。

人口のブラックホール現象に対してとる態度は、まずは、あまり悲観的にならずに、てきぱきと対処することであるかと思う。
というのは、日本全体を見るような立場、たとえば、政治家であるとか、社会問題の評論家といった人たちにとっては、人口は都市に集中しすぎることなく、まんべんなく広がっている状況が理想的であるだろう、と思える。
だが一方で、暮らす人々にとっては、自らの人生設計やより豊かな生活、暮らしやすさを求めて、移住・移転することも、とても大切なことであるだろうと思える。
それから、特に歴史の長い故郷に暮らす人にとっては、跡継ぎもなく「自分にとって」大切な村が消えてしまうことへの、失望や不安があるのではないかと思えるが、世代を継ぐ新しい人たちにとっては、やはり先人の思い出を継ぐために生まれてきたのではない、ということも重要であると、私は思う。

人口問題は、このところ、特に「減少」が言われているが、ほんの30年前までは「人口の爆発的増加」のほうが、大問題であった。
20年後、50年後の人口の予測をして、それだけたくさんの人たちが人口過密地帯でどのように暮らすのか、社会学者にとって、人口増加のほうが問題だったのである。
現在ではそのときの政策もあってか、人口の安定とそして、減少となっている。
この経緯を考えると、これからまた30年ほどで人口が増え始めることも考えられると思う。
実際に、少子化対策は次々に取られている。

そうした将来のことを踏まえて、いくつか、てきぱきとした対応策を考えてみた。
ひとつは、ブラックホール現象となった村落を、「整理整頓」することである。
いくらかの金額と人手はかかることであるが、建物をそのまま放置することは、危険が予測される。
使わなくなった建物はきれいに整理して、片づけることが必要であるかと思う。
そしてここで思うのが、まったくきれいな、人のいない更地にしてしまうのではなく、これからまた暮らす人々が集まるために、ライフラインを残しておくことである。
せっかく先人が拓いた土地なので、電気やガス管、水道管、主要な建物をいつでも復活可能な程度に残して維持管理しておくことも大切かと思う。

また、そうなる前の状態の村落においては、役場、郵便、病院、学校、警察(交番)、食料品店などの、生活をある程度まで保持できる設備を、なんらかの方法で、残すことが必要かと思われる。
「何らかの方法」というのは、国や地方自治体で、という意味である。
こうして、生活の最低限のレベルが維持できる設備・環境が整っていれば、まったくのブラックホールとはならないと思える。

次に、都市化、都市への人の心の思い、というものを考えてみたい。
私が、都市と農村、現金収入ということで思うのは、トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」のなかで、重要人物のひとりであるリョービンが、農村での暮らしと、都市での暮らしを行ったり来たりするなかで、実感する、不思議な思いのことである。
農村では、一年間一生懸命に働いて、一年の収穫を得る。
それは主に、食物である。
また、農村では、暮らしに現金を使うことが少ないのかもしれない。
だが、都会での生活には、何をとっても、現金が必要なのである。
リョービンは、都会にいると、農村で働いて稼いだ「一万円札」が、いったん崩すと、すぐになくなってしまうことに、不思議な気持ちを抱く。
これは、私たち現代人にも共通して言えることではないだろうか。

農家の人たちが、一年間を働いて作物を収穫し、そこから得た収入が500万円だったとする。
この500万円を都会で消費するのはあっという間なので、労働と現金との関係がうまくつかめなくなってくる。
このテーマはトルストイの時代から、まだまだ疑問の多い問題であり、私も「感覚の問題なのか」「農村の生活スタイルの問題なのか」という点で、疑問が解けない。
NHKのテレビ小説「花子とアン」でも、主人公の花子は、自宅の農家の働き手となるよりも、現金収入のある就職口を選ぶのである。
もっと多くの現金収入をめざすなら、都会で就職するのが一番収入が高かったと言える。

次に、日本の現状として、今存続している地方の村落と、東京の都会について考えてみたい。
この、地方の村落の生活スタイルと、都会の生活スタイルとでは、時代にして、100年はちがうのではないか、というくらい、趣がちがうようである。

実際、日本の近代化は、ここ百年で驚くべき速さで進んできた。
現代ではインターネットの普及も目覚ましいが、それは都市部だけで急速に進み、地方では、ゆっくりと進んでいるようである。
まるで時間の流れ方がちがっているかのようである。
都市での生活スタイルに、地方の生活スタイルが追いついてくるまでには、相当の時間とお金が必要になりそうであるし、また積極的な都市化が必要かもしれない。

それもたとえば、レコードの時代からアイポッドの時代までの間に、CDの時代、カセットテープ、MDディスク、があったかのごとく、「レコードの時代」から、「アイポッドの時代」へと、「飛び級」的な手法が必要なのかもしれない、と思う。

というのは、実際の私の知人で、村落に暮らしているけれども、インターネットを駆使する生活を送っていて、現在では、通信販売で購入した品物はまずまちがいなくどこの市町村にも配達されるようになっているので、何の不自由も感じない、というのである。
こうして、インターネットの設備強化が、もしかすると特効薬になるのでは、と思うことがある。
メール、クレジットカード、インターネットバンキング、そして、配達である。
そこにライフラインがあれば、暮らしとしては充実しているといえるだろう。

人口のブラックホール現象について、さまざまな角度からこれからも検討して行きたいものである。

2014年5月23日金曜日

NHK「花子とアン」第7週「さらば修和女学校」感想。


花子の就職活動。
NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
ひとりの女性をヒロインにして、その生涯を描いていくのが、朝の連ドラの楽しみである。
ヒロイン花子は、今週は、いよいよ20歳を迎え、女学校の卒業を目前にして、就職活動にいそしむこととなる。
この週は、女学校時代の友達や、幼なじみ、妹たちが、それぞれに、職業を持って社会に羽ばたく物語になっている。
それにしても、女性の就職先はいろいろと本当に選択肢があるものである。

花子の腹心の友、蓮子は、遠く九州へお嫁に行った。
お見合い結婚である。
「小さい人たち」と呼ばれた入学のころから一緒だった醍醐さんは、何回もお見合いを繰り返して、お医者さんと縁談がまとまった。
ここまでなら「お見合い結婚派」となる。
以前は、結婚のことを「永久就職」などと呼んだものであるが、その「職」を選ぼうとしている。ところが…それを蹴って、職業婦人となる。
花子自身は、まずは、女学校の英語担当の教師、あの厳しかった富山先生から「この学校で英語の教師になりませんか」と声をかけてもらうことになる。
だがこのとき、山梨の故郷から、妹のカヨが、女工場から逃げ出して、東京の姉である花子のところに身を寄せていた。
当時、山梨県では、製糸工場というと、とても勤労の条件が厳しかった、という描かれ方である。
それで、「もう二度と、工場には戻らない」と言い出す。
工場に戻らない、ということは、山梨には戻れない、という意味である。
5年間の労働契約に違反したことになるので、山梨では顔が立たなくなる、という意味でもあるだろう。
労働基準法が確立していない時代のことであるから、妹のカヨとしては、自分自身が生きるために、懸命の選択をした、ということだろう。
それを許してくれた実家、母親、姉であった。
そして、姉である花子のコネクションで、東京で、外国から来た人たちの衣服を作る仕事の見習いに就くことになる。
お針子見習い、ということである。
これも、当時の女性の、職業選択だろうと思う。

花子自身は、富山先生からの、英語教師の申し出を断り、東京で出版社勤務をしたい、と思う。
そして、以前、ブラックバーン校長先生の紹介でアルバイトをした出版社に、ほとんど直談判ともいう形で、「お願いします」と行く。
そして、了承をもらうのだが、ここで、山梨の妹ももから、葉書が届く。
山梨の実家では、花子に、実家に戻ってきてほしいと思っているのだ。

このあたりが、花子の人生の選択である。
人生の分岐点にさしかかり、この選択の仕方が、花子の生き方であり、価値観ともなる。
実家の経済状態や環境、これまで応援してくれた家族のことを考えれば、大人になって、今度は親や兄弟姉妹に楽をさせてあげたい、家の力になりたい、と思うのは、成長の証として、自然であるかもしれない。

視聴者としては、どんな障害があっても、より自らの能力を高める職業へ就いてほしい、とも願うので、実家にはがまんしてもらって、出版社で働けたらいいのに、とも思うところである。
しかし、花子は、誰よりも家族から愛されてきて守られてきた。
その家族が、幸せになれなかったら、どんな立派な職業に就いても、穏やかな気持ちや幸せな気持ちを感じられないのだろう、と思う。

女性の職業選択にはこうして、より高い地位に、というよりも、よりみなの幸せのために、という心が働くように思う。

視聴者としては、花子が将来、翻訳家になることはわかっているので、これはちょっと腑に落ちないストーリー展開であるように思えることもある。
ただ、きっと職業、天職というのは、巡り合えるまでに遠く回り道をして、試行錯誤していくものなのではないか、とも思える。
これから、若い人たち、女性たちが、いろいろな視点から将来の職業を選択していくことだろうと思う。
「夢をおいかけて」「夢をかなえたい」とも思うだろう。
その「夢」ってなんだったのか、まだわからない、ということもあるだろう。
私は、若い人たちには、まず目の前に開かれた一本の道、選んだ最上の道を、一歩一歩着実に、歩んでほしい、と思う。
どんな職業であっても、今目の前にあることに、ひとつひとつ、丁寧に取り組んでいったときに、道は開けてくるのではないか、と思う。

花子は、実家の山梨に戻って、故郷の母校で代用教員を務めることにする。

卒業式のシーンは、とても思い出深い、印象深いシーンとなった。
ブラックバーン校長の送辞を、私もメモ書きしてしまった。
花子と一緒に、女学校で教育を受けたような大切な思い出となった。
修和女学校の先生がた、ありがとうございました!


2014年5月21日水曜日

原発のない暮らし。


反原発派が、世の中を荒らしまわっている。
思い通りにならない不満でうっぷんがいっぱいであるようだ。
それなので、もしも彼ら反原発派の言い分が通った場合のことを、シュミレーションして、彼らに提示してみたい。
原子力発電がまったくなくなるとすると、他の電力源に頼ることになる。
火力、水力、太陽光、自然的発電などいろいろあるが、火力発電は大量の二酸化炭素を排出する。
エコライフを目指す反原発派にとって、二酸化炭素を増やしてでも火力発電をしようというのは、つじつまの合わない話であるからやめてもらうことにしよう。
貿易赤字も膨らんで大変である。

また、こうして原発がなくなったあとどうするのか、代替案を示してくれというと、その代替案を考えるのが政治をする人たちの仕事であるから、我々は示された政治に対してただ「いやだ」と言えばいい、言う権利がある、という理屈がある。
とんだ甘えん坊さんである。
その甘えん坊さんのために、原発がなくなった暮らしを、シュミレーションして提案してあげなければならないだろう。

太陽光をはじめとする天然資源を使った発電はとても不安定である。
私も自宅で、ソーラーの電灯を使っているが、きょうのような雨の日にはまったく役に立たない。
蓄電池の生産も、20年、30年がかりとなるが、それでも代替できなくはない。
しかしそれでも、原発をすべてフル稼働していた当時の電力量には到底追いつかない。
そのときの、日本人の生活は、現代とは一変してしまうことを、具体的に想像してみよう。
まず、電車は動かない。新幹線も動かない。空港の設備が動かないので、飛行機にも乗らない。
夜、深夜のコンビニは開いていない。
夜間トラックは配送をしない。
夏の間、エアコンは使えない。
夏の間、冷蔵庫は使えない。
冬、暖房器具は使えない。灯油や火を使うものは二酸化炭素を排出するのでこれもダメである。
そしてもちろん、パソコン、携帯電話、スマートフォン、インターネットは使えない。
ファクシミリも使えない。
電話交換手は夜間は電力節減のために、お休みをしているので、電話は使えない。

美しいエナメルの靴は、工場で電気を使って作られているものである。
こうした靴はもう履けない。
機械織りの繊維を使った安価なスーツ、これを着ることはできない。
服を着たい人がいたら、自分で機織りをするのがベストである。

今、オーブンは電気が主流であるが、オーブンで焼いたパンやクッキー、ピザは食べてはいけない。
電子レンジを使うのは、もってのほかである。

そうすると、生活の状況は、ほぼ江戸時代、となる。
これもまた趣があってよいものだ、というわけであろうか。
ライフスタイルの変化が強要されるのが、原発廃止論である。
原発廃止論者はまず、これら江戸時代生活を、自らが実践するべきである。
インターネットを使ってデモを呼びかけるなど、電気を使用することは、してはいけない。
一軒一軒、昔のように歩いて声をかけに行けばよいではないか。

原発廃止論者の皆さんが、今からたとえば試行期間として、半年なり一年なりを、こうした電気なしの生活を本当にすることができるなら、多少はその声に耳を傾けてもいいかな、と思う。
一年をその生活で耐える。
反原発派が、今の日本に一万人いるとしたら、その一万人には、どこかの過疎地域に集まってもらって、そういった暮らしをしてもらうことにしよう。
主義主張を持った彼らにできることなら、主義主張のない私たちにも、できることかもしれない。
でもまずは、言い出した本人たちから、電気なしの生活を、試みて、実証するべきではないか。
そこまで言って、反原発運動をするならできるはずである。

彼らに本当にもし、電気なしの生活が耐えられたら、私たち原発推進派も、ちょっとは耳を傾けてあげてもいい。
でもきっと、無理だろうと思うから、反原発派のインテリジェンスな皆様の生活も考えて、「原発も電気もあったほうがあなたのためですよ」と言ってあげているのだけれども、思いやりの心というのは、なかなか通じない人たちのようである。



三浦綾子「塩狩峠」


今年も、夏がやってくる。
毎年夏休みのシーズンには、子どもたちに読書をすすめる意味で、各出版社が本を選抜して紹介する。
これは、夏にさきがけて、ということだろうか、書店で小さなパンフレットをもらった。
「高校生に読んでほしい50冊」という小冊子である。
今、「高校生に読んでほしい」というと、どんな本が推奨されているのだろうか。
興味を持って、一冊一冊確かめてみた。
その中の一冊に、とても印象深い本があった。
三浦綾子さんの「塩狩峠」である。

その紹介文をここに書きとめよう。
「結納のため札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ、暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた…。
明治末年、北海道旭川の塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。」
また、こうした題字も書かれている。
「誰だって、他人のために死にたくない。
……そうだろうか、本当に?」

列車事故も交通事故も、一度あることが、二度も三度もある。
それでも人は、車に乗り、列車にも乗る。
事故の大きさや、影響の大きさで、「一度あることは二度あるからもう二度とこれはしない」というのは、理屈としてはどうなるのだろう。
列車事故が二度も三度も起きている状況のなかで、便利な現代社会に慣れて、我が息子の命だけが大事、列車にも車にも乗るが、原発だけは反対、これで何の筋が通っているものか。
「生きることの意味」「命を燃焼しつくすことの意義」も知らない生存本能だけで、自己保身に生きるだけで、本当に成長をすることができるのだろうか。
「成長」というのは、人間的成長、という意味である。

そうした意味でも、現代の日本には、宗教や生きることの価値が、あまりにも薄れてしまっているのではないだろうか。
なにか根本的な精神を忘れてはいないだろうか。

今、高校生の若者たちが、「塩狩峠」を読んでいる。
大人たちも、見習うべきだと、私は思う。


2014年5月20日火曜日

論点を整理して書く。


集団的自衛権の解釈、あるいは憲法の改正に関して、論点を整理して書く。
ひとつ。
正当防衛の権利は、アメリカ社会でいう、銃刀法の合法化の理論とイコールであるかどうか。
私が思うのは、日本には伝統的に古来から、武道があったということである。
武士は刀を持っていて、それを使う権利も持っていたが、刀を抜かずに物事を解決する、という、武士の道を習い覚えていた。
これは、道徳であり、倫理であり、「道」である。
日本が軍隊を持つことは、日本人が刀を持つことであり、武士が刀を持つことである。
この刀を抜かずに物事を解決する道が、武士道の根本的な精神なのである。
これは、柔道や剣道にも通じるところである。
アメリカの銃合法化とは、その根底にある精神がまったくちがうものである。

ひとつ。
旧ソ連による、シベリア抑留について。
ソ連が日本人を強制連行したのは、日本が武力や、武力をもとにした強い力を持っていなかったからである。
スターリンのような、未だ捉えがたい、非人道的な独裁者に対して、どのように対応し、被害に遭わないようにするのか。
最終手段として、まずは武力を整えるしかないのではないかと思う。
また、こうした損害に遭わないために、向こうからしかけられた戦争の被害に遭わないために、その被害を最小限にするために、スターリンと闘う方法を身に着けるしかないと思う。
仕掛けられた戦争に「乗らない」ための、武力の保持である。
むしろ、戦争をしないための、武力維持である。
シベリアのような惨劇を繰り返さないために、軍を持つというのが、今の集団的「自衛」の理論である。
シベリアで被害に遭った人たちは、その現実を書き留めたのであって、史実と事実関係を書き留めた、理解した、というわけではない。
要するに、「こんなことはなしにしよう」と言いたかったのだろう。
しかし、最も大切なことは、戦争の原因を確かめることである。
この当時のソ連に、独裁者体制があったことを、筆者は知っていたかどうか、それをよく知って、二度と起こさないことが大切である。

ひとつ。
ハンセン病被害と、差別と、宗教に関して。
このところ、「法人税の軽減」が課題となっている。
法人の見直しを、抜本的にはかろう、ということかもしれない。
私は、「宗教」そのものを、よく研究することが大切であると思う。
思いハンセン病を患った人たちは、当時、医学的、科学的な原因が解明されていなかった。
近代になって、病の原因は科学的に解明されつつあり、治療法も研究されてきている。
しかし、ある人が「なぜ私がこの病気になったのか」という問に答えることはできない。
また、病気の快復だけが、幸せとは言えない。
こうした人たちが、人として生きるために、宗教は必要なものであった。
それは、現代も同じである。
目に見えない力、目に見えないものを大切にする気持ちが、現代の社会全体に広がっているように思える。
それは、科学に対して、認められていないものであるが、未解決の問題であるにはちがいない。

アメリカや中国、ロシアではすでに、超能力を軍事に使う方法を、秘密裡に研究開発しているそうである。
誰もが「虫の報せ」を聞く体験をしているし、幽霊を見たという人もいれば、占いで人生が助かったという人もいる。
日本の現状では、特に若い人たちに、こうした非科学的で目に見えない力に対する興味関心が深まっている、といえる。
たとえば、アニメであり、クールジャパンである。
これらは、宇宙や科学、未来や超能力を使える少年少女たちが、主人公になっている場合が多い。
こうした現象が報告されていたり、あるいは「ない」とは100%言えない状況のなかで、一概に否定してしまうのはどうか、と思える。
わずかに、SFマンガ、SFアニメ、SF小説、ファンタジーとして、市民権を得ているにすぎないが、それは、市民権がない、と同じである。

これらの不可思議現象を、国家を挙げて、予算を組んで、研究に取り組むことがとても大切であると思われる。
科学と、思想、精神医学の深いところを、もっともっと掘り下げていくための、真剣な学問と取り組みが、今、とても必要とされているように思われる。
また、そこに宗教が関わっていることも大切な要素である。
宗教、思想、精神医学、占い、超常現象、死後どうなるのか。
こうした課題に、面と向き合っていくことが、これからの未来と幸せを築くために、とても大切なことである。

2014年5月16日金曜日

集団的自衛権に関する安倍総理の会見について。

昨日5月15日、夕方から、安倍総理の記者会見が行われた。
今、安倍内閣が推し進めようとしている、集団的自衛権に関する憲法解釈、憲法改正に関しての、説明である。
こうした説明が、総理本人からなされることは、とても珍しいことだと思う。
テレビはもとより、インターネットでもライブで中継が行われ、全国民がこれを注視した。
もちろん、私も、である。

私がまず一番最初に思ったのは、これまで自分自身が「集団的自衛権」を、誤解していた、ということである。
これまで、憲法9条の改正というと、「国防軍」の明記がメインだったと思ったので、読んで字の通り、国、つまり自国を守るための軍隊だと思っていたのである。
そしてその軍隊は、まさか一人で兵となるわけではないだろうから、「軍」という意味で、集団だと思ったのである。

実際に、総理から説明を受けてみると、そういうわけではなかった。
しかし、誤解が解けてみたら、もっと驚いた、というわけである。
「集団的自衛権」の「集団」とは、自国・日本と、同盟国・アメリカ等を指すのだった。
つまり、自国だけでなく、同盟を結んでいる友好国が、なんらかの脅威にさらされることがあって、危機的状況になるのなら、助けに行く、ということである。
そして、この「助けに行く」は、食料補給や燃料補給ではなくて、攻撃的な軍隊を差し向ける、ということである。

次に私が思ったのは、総理大臣の、世界情勢に関する説明である。
テロや北朝鮮の行動、そして、インターネットを使ったテロリズムなど、世界は脅威にさらされている。
アジアの情勢もそうである。
国際情勢は危機的状況にある、という説明である。
これまで、日本の国内の復興だけに興味・関心を向けてきた私にとっては、寝耳に水の話である。
安倍総理は外務大臣を歴任してきた、ということだ。
そして、総理大臣に就任してからも、海外への歴訪を繰り返している。
総理大臣の仕事というのは、国内を治めるだけではなく、国際情勢において、国と国との交渉をすることなのだ、と改めて思い知らされる。
総理大臣の視点は、世界のなかの日本、世界情勢に向けられているようだ。

次に、私がこの言葉を聞きたかった、と本当に思って、安心したのは、「決してこちらから戦争を仕掛けるわけではない」「戦争をこちらから始めることはない」という言葉である。
決して、戦争をしたくて、闘争心のままに、こうした憲法改正を行おうとしているわけではないのである。

むしろ、軍備を固め、集団的自衛権で他の国とも同盟関係を結ぶことで、とても「強い国」になろう、ということである。
そして、日本がとても「強い国」になったら、日本があまりにも強すぎるので、他国が最初から、戦争や侵略をしかけてこない状態を作ることができる。
これが、「抑止力になる」という表現になる。
日本への侵略的ちょっかいを、抑え止める力となる。
それで、悪意のある他国からの攻撃を、ストップすることができる、という話である。

そう考えると、たとえばヨーロッパで行われている同盟、北大西洋条約(NATO)などは、そうした同盟関係のもとで、「強い国」を維持していることになる。
フランスもドイツも、それぞれ軍隊を持っている。
フランスは、「もしもドイツが他国からの侵略を受けることがあったら、ドイツまで軍を派遣して、協力してドイツを守ります」と約束しているのである。
また、ドイツも、「もしもフランスが他国からの侵略を受けることがあったら、フランスまで軍隊を派遣して、フランスと協力してフランスを守ります」と約束しているのである。
こうした約束を、「互いに」取り交わしているので、ヨーロッパ諸国は「強い」のである。
そういえば、ヨーロッパの国を、どこかの国が戦争をしかけたという話は聞いたことがない。
これが、同盟国同士の集団的自衛権の強さ、なのだ、と改めて知ったしだいである。

昨日の安倍総理の話では、現在の日米の協力関係においては、もしも日本に何かあったときには、アメリカが守ってくれる、これまこれまでの状況であるが、その上に、もう一歩、「互いに」「対等に」という考えが提示されていた。
「アメリカに何かあったときには、日本も協力して守ってあげます」と、対等な条約を結べる状態になる。
憲法を改正したら、アメリカと対等になるのである。

そうして日本が集団的自衛権を持つことで、これまでの「守ってもらう一方」だった状態が改善されて、「他国をも守ってあげられる状態」になる。
これは、国際社会の一員となるうえで、とても大切なことなのだろうと思う。
国際社会を動かす、国際トップグループの「条件」というのが、集団的自衛権で互いに守りあう、ということだろう。
もしも、日本が憲法を改正して集団的自衛権を使える状態になったら、ヨーロッパも、NATOの一員に、日本を参加させてくれることになる、のではないだろうか。
そうすると、アジアで一番乗りで、世界情勢のトップに参加できることになる。
これは、国際情勢を考える上では、とても素晴らしい、歴史的な、画期的なことにはちがいない。

余談となるが、もしもアメリカと対等になったら、沖縄基地に、アメリカが常駐する必要がなくなるのではないか。
その代り、日本の軍隊がそこに常駐するのかもしれないが…。
中国も韓国も北朝鮮も、領土問題であれこれ言ってくることがなくなるだろう、それを証拠に、きょうになったら、「脅威を感じる」と表明している。




2014年5月14日水曜日

NHK「花子とアン」第6週「腹心の友」感想。


大好きな、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
第6週目にはいった。
もう、主題歌の「にじいろ」もすっかり覚えて、テレビ放送と一緒に口ずさんでいる。
音楽としてはけっこうむずかしい歌である。
音程を取って、歌詞を覚えて、そしてようやく伴奏の音が聞こえ始める。
伴奏がなかなか素朴なアレンジで素敵な音楽だと思う。

第6週の「腹心の友」では、友となった花子と蓮子の、それぞれの恋愛が描かれていく。
花子は、学校に通いながら、学校から紹介されたアルバイトに行くことになる。
そこは出版社で、雑用をしながら、でも英語ができるので、ピンチのときには、英語の翻訳をする、という場面となる。
ここで初めて出会うのが、将来の夫となる村岡英治である。
もう「村岡」と苗字が出てきているので、将来的には夫婦になるのだろう、と思うと、なんだかうきうきして観てしまう。
この村岡さん、役者は鈴木さんというのだが、これまでにいろいろな役をしてきて、あだ名もすでに定着しているようであるが、東京外国語大学の出身だそうである。
これからどんどん、英語をしゃべりそうだ。

この英治が、花子と出会うのは、花子が高い本棚の上段にある、英英辞典を取ろうとしているときである。
背の高い男性が、そっと手を差し伸べて取ってくれて「どうぞ」なのだから、ときめく。
しかし、たとえば、大きな荷物でぶつかったり、花子の翻訳文を「ばかでもわかる」と言ったり「動物のナマケモノに似てますね」といったり、かなり失礼である。
でも、恋の始まりというのはたいがいそういうものだ。
失礼で大嫌いで顔も見たくない、サイテーの奴が、いつの間にかかけがえのない大切な人になっていく。
これからその過程を見ることができるのかと思うと、とても楽しい。

一方で、蓮子のほうでは、お見合いの話が持ち上がる。
蓮子の実家の伯爵家では、名前はあってもお金がない、ということで、お見合い結婚なのだ。
それも、結納金をすでに受け取ってしまっているという。
相手は、九州の炭鉱で一代で一儲けした年上の男性で、この大金持ちの男性としては、お金があるから、今度は地位がほしい、というところだろう。
フランスでもナポレオンは、ある程度、戦果を治めたあとには、地位がほしくなった。
それも血筋に由来する地位である。

九州の炭鉱王が、華族の御嬢さんをお嫁さんに迎えた、というと、知っている人は知っているところだが、自民党の副総理、麻生太郎氏を思い出す。
確か麻生氏も、福岡では有数の、炭鉱、戦中戦後はセメントで財産を築いたかたである。
そして、皇族由来のお嬢様とご結婚なされたはずである。
こうしたエピソードを知ってか知らずか、きっと麻生氏なら、呵呵大笑しているところだろう。

それにしても、蓮子の浮かない顔は、気にかかる。
そんなにお金持ちなら、いいではないか。
きれいな着物も着せてもらえるし、おいしいものは食べさせてもらえるし、豪勢な館に暮らすこともできる。
年上の男性のほうが頼りがいがあると思うし、そんなに悪い人には見えない。

以前、オバマ大統領が日本に来たときに、宮廷晩餐会があった。
あの、ドンペリを、あけたというのである。
こんなすごい人と会えて、握手ができて、おいしいお料理が食べられるのなら、どうして皇太子妃雅子さまは、せめて「食べるものだけ食べて帰ってくればいいわ」と思って参加しないのだろうか。
きっともし、私だったらそうする。

「愛し合っている人と結婚したい」なんて、どこからそんな理想を思い始めたのか、恋愛小説の読みすぎなのではないだろうか。
結婚はもっと現実的であるし、私たちの祖母、曾祖母の時代には、親の決めた結婚で、結婚式の当日までお婿さんの顔を知らなかったという女性が、たくさんいる。
私の知っているある年配のご婦人は、「恋愛は結婚してからしました」と言っている。
「親に紹介された結婚で、会ってみたらとても優しい人で、結婚してから夫を好きになってしまったのよ」というのである。
そして、三人の子どもさんに恵まれて、温かく幸せな家庭を築いている。

結婚というのは、出会い方はともかくとして、本人が幸せになろうとする、気持ちがあるかないか、ということではないだろうか。
また、ひとりひとりの、個人が持っている、幸せになる力、というのも大切だと思う。
花子のように、ひとりでいても、友達に親切にして、友達を笑顔にしてあげられる女性は、どんな男性と結婚しても、幸せになれるのではないか。

逆に、なんか妙に色っぽく愛ばかり求める女性、暗くて、悲劇のヒロインになりたがる女性は、どこへ行ってもかわいがってもらえないし、自分の力で下へ下へと落ちて行ってしまうようにも思える。

この、蓮子さんには、モデルがいるそうである。
すでにこの蓮子さんをモデルにした小説やドラマが何冊かあるようだ。
でも、NHKの朝ドラには、朝ドラならではの「蓮子」の捉え方があると思う。
そういったところを、どんなふうにオリジナルな描き方をしていけるのか、とても楽しみである。

自民党・公明党の連立に関して思うこと。

ゴールデンウィークが終わって、国会のほうも、にぎやかさを増してきたようである。
6月の会期末に向かって、憲法改正のために、一直線に走ろう、という政治の意図が、見て取れる。
与党自民党がまず行っているのは、連立政党である、公明党との関係性の、調整である。
これまでも常に「調整中」であった。
しかし、憲法9条の改正のためには、そろそろ、公明党としても、態度に決着をつけなければならないだろう。
本来であれば、政治としては、駆け引きであったり交渉であったり、話し合いであったりする。
話し合い、論じ合えば、これまでの考えが、だんだん変化していくこともあるだろう。
しかし、公明党は、日本においては、独特な政党である。
というのは、公明党は、支持母体を、創価学会という宗教団体においているからである。
公明党の支持者は、ほとんどが創価学会員である、といえるだろう。
選挙運動においても、創価学会員が、選挙運動を積極的に行っている。

この創価学会という宗教団体は、宗教はどこもたいていそうであるが、「平和」「友好」「話し合い」を信条としている。
また、核兵器廃絶運動なども、積極的に行っているようである。
核兵器と原子力発電所とでは、ちがいがあるからなのか、公明党として、反原発や憲法改正に対しての反対、という意思表明は、はっきりと出されていないいようである。
こうした、宗教的理念が基底にあるので、これから先、憲法改正に関して、賛成、という方向性は、ないと思われる。
ここが問題である。
「戦争を絶対にしない」ことをモットーとしている思想団体が、憲法9条の改正に賛成するわけがない、ということである。

この点に関しては、自民党の考えは、「公明党に何を話しても変わるわけない」というところだろうか。
それは、ある意味、宗教に対する、評価であり期待でもありかもしれない。

公明党はこれから、どんなふうになっていくのだろう?
自民党から三行半を突きつけられるのだろうか。
そういうこともあるだろう。
もしも、自民党から離脱することがあれば、しかしこれは、ちょっとこわいことにもなる。
というのは、反原発の勢力、反憲法改正派の勢力は大きくなっているからである。
民主党や維新の会、みんなの党や社民党と一丸となって、反原発の一大勢力となって、「オール野党」を結成する可能性は大いにあるだろう。
その際には、今、与党の独裁が問題視されている日本だが、本来の二大政党制として、バランスが取れてよいのかもしれない。

ただ、オール野党となるには、公明党の「宗教性」がハードルになってくるのだと思う。
反原発、憲法改正反対、という理念は同じでも、「宗教はちょっと…」というところだろうか。
しかし、昔はともかくとして、創価学会員は、けっこう身近なところにいて、普通に暮らしていて、別にそんなに悪人というわけではない。
組織的な犯罪事件なども、起こしていない。
創価学会のほうから、OKが出されれば、公明党と民主党を中核として、オール野党の勢力は高まっていきそうである。
これで、1年以内に衆議院解散総選挙となって、政権交代でもあると、面白いことになりそうだ。

それが一番いいような気がする。
創価学会の宗教的平和と、今、日本の社会にある市民運動には、共通項がいくつもある。
新しい時代、エコロジーな、命と自然を大切にする社会づくりには、とてもよい勢力になりそうだ。
こうした力が、自民党の保守系、そして国防軍系の、戦略的な勢力と拮抗するようになれば、日本社会の建設的討論は深まりそうである。

ただ、心配なのは、日本の皆さんが、創価学会、法華経、日蓮、といった思想を、考え違いしてはいないか、という点である。
日蓮の思想は、その闘争的な激しさにおいて、鎌倉仏教の興隆の時代から、とても特徴的であった。
同時代の阿弥陀信仰(お念仏、法然、親鸞)といった信心は、仏像に向かってお念仏を唱えれば、死後に極楽浄土に行くことができる、こうした教えを静かに広めましょう、心を穏やかに保ちましょう、という教えである。
しかし、日蓮の教えは、「折伏」といって、考えをぶつけあい、討論し、相手の考えを「折って伏す」という布教法である。
そうした激しい布教が、戦後の日本で行われ、和を尊ぶ日本人からは、嫌われてしまったようなところがある。

今でも時折、聖教オンラインなどを見ると、「戦い」「勝て」「大勝利」「進軍」などという文字が、かなり大きな活字で、躍っている状況である。
もしかしたら、創価学会というのは、よくよく聞いてみたら、戦争が好きなのではないだろうか…。
いや、理念のためなら戦う、という思想が徹底している宗教団体なのではないだろうか。
また、創価学会員には、常識人もたくさんいる。
正義のために戦う権利、というと、すでに大きな声で叫んでいる状況である。

とすると、自民党がこの「戦う宗教団体」を、「宗教だから」という名目で憲法改正のメンバーからはずそうとしているのは、なにかの見当違いではないか、と思えてくる。
あの、軍隊調の音楽や歌、整列した若い男性の「部隊」など、そのまま日本軍の軍隊に使えそうである。
もしも、憲法改正をして、9条が改正になり、日本が正規の国防軍を持つことになれば、まっさきに中核となって働いてくれそうなのが創価学会員ではないか。

これは、自民党としても、判断のしどころではないか、と思えてくる。
今後の展開が、楽しみである。




2014年5月13日火曜日

サッカーワールドカップ・サムライブルー必勝法。

昨日、5月12日、サッカーワールドカップ・日本代表選手の発表があった。
サッカーの世界的な大きな大会というと、いくつかあるが、ワールドカップというと、4年に一度の、世界最大のサッカー大会、ということになる。
今年6月に、ブラジルで開催されるサッカーワールドカップは、決して見逃せない、いや、決して負けられない戦い、と言われている。
日本だけではなく、世界中のサッカーファンが、熱く熱く、燃える戦いである。
このサッカー大会の選手、日本代表になれるのは、日本の国の本当の本物のトップと言えるだろう。
この代表メンバーに選ばれるだけでも、とても栄誉あることだといえると思う。
だから私も、昨日の午後2時のライブ中継は、真剣に見ていた。

こうしてメンバーが決まると、あとは試合の6月までの一か月間、選手たちの調整や作戦が始まる。
街中でも会社の中でも、この戦いの戦略について、おおいに語られるところである。
私も、サムライジャパン、サムライブルーの勝利の方程式を解くのに、夢中である。

まず、私が思うのは、各選手と監督とサポーターが、サッカーのルールを今一度、確かめて、自分のものにすることである。
「そんなこと今更」というかたもいるかもしれないが、実はこのルールをわかっていない人は、案外多いようである。
テレビで試合の中継を見ていれば、すっかり見えるとおり、向かっている向こうに立っている、ネットのついた白い枠、この枠のなかに、サッカーボールを投入すると、これが得点となる。
単純なルールであるかもしれない。

しかし私は、この「目で見えるサッカー」を、自分の買い物カゴに林檎を入れるゲームであると思い込んでいた時期があった。
そして、「敵チーム」は、その私の買い物を、邪魔しようとする存在である、と思っていた。
こういう気持ちで観ていると、サッカーの試合はまったく、邪魔ばかりはいってちっとも買い物が進まない、イラつくゲームである。

ある日あるとき、サッカーの先輩に聞いた話で、これは買い物ゲームではない、とわかった瞬間があった。
サッカー、これはまさに、戦争ゲームなのである。

このご時世で、「戦争」という言葉を口にするともうそれだけで非国民のように扱われるから、いろいろと慎重に言葉を選ばなければならない。
しかし、そうしたことを考えてみても、これは戦争ゲームとしかいいようがない。
私は思う、戦争を、スポーツゲームで行うことで、心と身体が解放されることがあるのではないだろうか。
だから、これは戦争ゲームということで、いいではないか。

その戦争であるが、サッカーコートの四角い白い線の中が、陣地である。
真ん中にセンターラインがあるが、これが国と国との境界線である、と考えてもいい。
自分たちの国、自分たちの領土、自分たちの陣地がある。
そして、敵チームの国、敵の領土、敵の陣地がある。
自分の陣地は守り、絶対に敵軍に踏み込まれないようにする。
そして、境界線を越えて、敵の陣地に乗り込み、核爆弾であるサッカーボールを、敵国の首都に放り込む。
これがゲームの主たるルールなのである。

また、自国の首都であるサッカーゴール、これは、敵国が、ここに核爆弾を放り込もうとして攻めてくるので、守らなければならない。
特に、境界線からこちらに踏み込んでくるのは、領空侵犯である。
ここは、南シナ海である。
中国とベトナムが、境界線付近で、踏み込んだり守ったりしている。
なかなかゴールが決まらない。

ここはクリミア半島である。
ロシアとウクライナが、境界線であるクリミア半島をめぐって、抜きつ抜かれつの戦争を繰り広げており、なかなか得点が決まらない。

領土に侵犯されれば、建物も財宝も獲られるし、女・子どもも獲られてしまう。
それなので、守らなければならない。
これは、男の責務である。

こうして、男たちは団結して軍隊を組み、いやチームを組んで、戦果を争う。
いや、自国の勝利を争う。
そして友情もチームワークも作戦もなく、突撃する。
ヤツラに戦略とか、立ち位置など、関係ない。
求めるのは、己の功名心である。わけない。
やはりそこはスポーツであるから、友情と団結で、仲良くパスを奪い合って、いやもとい、パスを出し合って、連係プレーで、自国の勝利と、自分のヒーロー意識を高揚させて、なんといっても、勝つことが、すべてである。
負けてみろ、女子どもは、敵国のイケメンで背の高いかっこいい選手に花束とすべてを贈呈するのである。
だから、決して負けられない戦いなのである。

ところで、この、自国を守る、サムライジャパンたちの仕事であるが、境界線付近で自国の陣地を守るのは、これが集団的自衛権である。
この境界線を一歩も踏み込ませないために、敵国がこの線まで来ると、命がけで戦う。
そして、この境界線から一歩でも中に入ったら、それは、相手の命がどうなろうと、どんな手段を講じても戦う。
これは、自国の陣地を安全に守るための、権利である。
これが、「国防軍」となる。
まさに、「国」を「防ぐ」ための軍隊である。

ところが、もう一歩これを踏み込んで、自国のサムライが、敵の陣地に積極的に踏み込み、敵国の首都ゴールに核ミサイルを直撃させようとする、これは、攻撃である。
もしも日本が憲法の改正をして、「国防軍」を作るなら、彼らサムライの仕事は、自国の陣地内と境界線上において行われるはずである。
ここから先、他国の陣地と首都に踏み込もうとすると、ここから先が戦争となる。

今、憲法改正をしようとしている与党の皆さまは、いったいどのあたりまでを、「国防軍」の仕事だと考えているのだろうか。
そのあたりを、正確に尋ねたいのである。

私は、正確な意味での「国防軍」には賛成である。
というのは、集団的自衛権は、その名のとおり、権利であるからだ。
第二次世界大戦のあと、マッカーサー氏が来て、日本からこの自衛権を奪っていった。
それなので、今の日本は、境界線から内側に踏み込まれようと、首都に爆弾攻撃を仕掛けられようと、自分で自分を守る権利すら、ないのである。
これは、基本的人権の問題ではないのか。
日本の国にだって、正当防衛はあっていいはずだ。
日本の国が栄えて、金持ちになって、国民がとても幸せに暮らしていて、女の人たちが笑顔でニコニコしていて、子どもたちが生き生きと暮らしている、そうなればなるほど、この豊かな国が「ほしい」と思う隣国が、出てくるのである。

この豊かな国を守りたい、財産も国民も守りたい、守る権利がある、これが集団的自衛権と国防軍の理由である。

憲法改正によって、この権利を取り戻したい、というのが、政府与党の目標なのではないか。
「しかし」である。
「ただし」である。
やっぱり私は、戦争には反対だ。
自国を守る権利は確かである必要があるが、他国を攻める権利はない。
時に戦う人は、攻撃こそ最大の防御である、という。
そうした解釈がなされると、攻撃を始めかねない。
隣国とは、境界線をはさんで、友情の橋をかけて、正式な交易や、正式な外交をするのが、一番望ましいのではないだろうか。
国防軍は、積極的戦争は決してしない、という約束があるのなら、この憲法9条までの道筋に、力を入れたいと思うのだが、どうなのだろう。
本当のところを、聞きたい。

2014年5月11日日曜日

おかあさん。ありがとう。

きょう、5月11日は、母の日である。
毎年5月11日が母の日、と決まっているわけではなくて、「5月の第二日曜日」という設定のしかたである。
冬が終わり、桜が咲いて、五月の青空が広がるこの、一年で一番いい季節に、母の日を決めたことを、とても楽しく思う。
子どものころの母の日は、幼稚園や学校で、お母さんの似顔絵を描いたり、お母さんへのプレゼントを、折り紙で作ったりした。
似顔絵を描こうとすると、どうしてこうもまた、お母さんと似ていない絵になるのだろう、と本当に悲しくなったものである。
ずっと以前、昭和の時代であるが、サトウハチローという詩人がいて、「母という字のむずかしさ、やさしさ」と言っていたように思う。
母の似顔絵は、むずかしくて、やさしくて、ときどき涙が出てしまう。

年齢があがるにしたがって、母の日への思いも変わってくるものだ。
女の子として生まれ育てば、母と同じように、女性を生きることになる。
そして、年齢それなりに、そのときの母の思いが、わかるようになってくる。

そして面白いのは、年齢が上がるにしたがって、母に似ているところが、むしろクローズアップされてくるところである。
子どものころは、「お母さん似ね」とか、「お目目がそっくり」などと言われると、うれしかったものだ。
背の高さや、あとは、電話での声がそっくりだ、と言われると、そうなのかも?と笑ってしまう。

もっとずっと大人になってくると、物の考え方や口調が、母とそっくりになってきて、自分でも苦笑してしまう。
そして、大人になって世間を知るようになると、子どものころに母からの教育を受けたと思っていたのとは、またちがうことに、気づかされる。

それはたとえば、私の大好きな編み物である。
編み物がちょっとした流行になってくると、編み物を初めてしてみたい、という人がとても多いことに気付く。
そして、自分はいつから編み物をしていたのだっけ?どんなふうに覚えたのだったかな?と改めて考えてみるのである。
そうすると、初めての編み物は、母が、自分の道具と毛糸を使わせてくれて、手取り足取り、教えてくれたのだった。
確か、小学校2年生ごろだったと思う。
お人形さんのマフラーを編んだのだった。
お母さんから何かを教えてもらうのは、とても楽しかった。
憧れのお母さんに、一歩近づくわけであるし、編み物などは特に針を使うので「もっと大人になってから」と言われていたのである。
ちょっとだけ、大人に、お母さんに近づくのは、本当にうれしい楽しいことだった。

そういえば、子どものころは背がまだまだ小さくて、早く大きくなりたい、ととても強く思っていたとは、思わないだろうか?
一歩また一歩と、大人と同じことを始めるのを、お母さんはいつも、導いてくれたと思う。

そう考えてみると、お料理も、洗濯も、掃除の仕方も、花瓶に花を生けるのも、シャツのたたみ方も、全部、今も、お母さんと「おんなじ」である自分に気づくのだ。

母の日に、お母さんが、どんな思いで娘のわたしからの、カーネーションを受け取ったのか、ということを、今はなんだかよくわかる。
そうして、あの日、あの年、どんな贈り物をしたのか、全部覚えているのは、娘の私ではなくて、母のほうであると、よくわかるのである。

私の母は、赤いカーネーションというよりは、大輪の真っ赤なバラのように、気丈なところがあった。
一方で、やさしく風に揺れるコスモスのような、可憐なところもあった。
やさしい、明るい、気丈で、ときどき頑固で、泣き虫でもあったお母さんを思い出すと、ひとりの女性の人生とその生きた時代を、生き生きと、我が身で感じるのである。

お母さん。ありがとう。


2014年5月9日金曜日

ゴールデンウィークが明けて思うこと。

ようやく、といったふうで、ゴールデンウィークが明けた。
今年は、お正月そうそうから、社会を困らせるような事故が起こったり、2月には大雪、3月には消費税増税のための準備、そして4月にはすっかり疲労しきっていたところへ、オバマ大統領の訪日があった。
理化学研究所では、STAP細胞に関するニュースが、「なぜここまで?」というほど、世間を席巻した。
社会不安のなかで、いったいなにがどうなっているのか、と漠然とした思いで、少し様子を見なければ、という思いで、日延べで、一日、また一日、と毎日を生きていたようなところがある。

2011年3月の震災から、3年の年月が流れた。
日本の社会は、復興に向かおうとしてるのだろうか。
それとも、むしろ疲労が極に達しているのだろうか。

震災の直後には、「がんばろう」「がんばろう」という気持ちになれたものが、3年経って、今になって社会全体に疲労が蔓延してきたようにも思える。
このあたりで、少し休んでもよいような気がするのだが、私自身は、あまり休む気持ちになれないでいる。
休まなければならないような、気持ちの張りつめ方だったことは百も承知なのだが、この4月に、オバマ大統領が訪日したあたりの、アジアの情勢は、本当にそれは、自然現象として、「いろいろあった」ということなのだろうか。
マレーシアでは旅客機が行方不明となって、もう二か月になる。
韓国では、先進国としてはあり得ないような客船の事故が起こった。

政治を司る人たちにとっては、4月の消費税増税は「うまくいった」と思えることなのかもしれないが、消費者にとっては、単なる増税では済まないような、実感として物価の上昇を感じる毎日である。
その上、ゴールデンウィーク中に地震があり、きょうはまた、大気の状態が不安定、ということで、風が冷たい。

政治や社会の、あまりにも速度の速い進み方に、人の気持ちがついてきていないような気がする。
また、本当に、オバマ大統領の訪日、アジア歴訪と、アジア諸国に起こった数々の出来事が、連動していないのか、アメリカが何かを計画して実行したのではないか、と疑問が止まらない。
タイのデモは、アメリカが、内乱をわざと起こさせたとは、言えないのだろうか。

そういった意味では、日本国内も、国のなかで、勢力が二分するような、妙な構図が作られてしまったように思う。
権力が大きくなると、それを「倒したくなる」「反対したくなる」のは、人の心だという。
あるいは、「人の心」というよりは、「男性特有の心境」なのだろうか。

震災から3年経って、日本社会は、案外平和的になってきたのかもしれない。
大きな権力が中央集権的に高まると、それに反抗して、国内で反対勢力が持ち上がるのは、平和な証拠だと思う。
こんなときに、外からアメリカがまだアジアをあきらめていなくて、何度でも繰り返し攻撃をしかけてくるとしたら、内政に関わっている場合ではないと思う。

今の日本に、あちこちにいろいろな意見や集会が生まれることがあっても、何か大きな力で、変化を起こそう、という力は残っていないような気がしている。
どんな団体でも、どんな集会でも、立ち上げるのは自由であるが、本当に市民の気持ちがついてきているのだろうか。

しばらくの間、もっともっと時間をとって、日本の国のひとりひとりが、休養をとってもよいのではないだろうか。
時は静かに流れていく。
しかし時代は急流をくだっていくようでもある。
新しい希望を心に灯して、やはり一日一日、そして、またとても暑くなるであろう今年の夏を、一歩一歩、確実に生き抜いていくしか、ないのではないか。


2014年5月8日木曜日

登山に関して思うこと。

日本は、諸外国に比べて、休日が少ないのではないか、と言われているらしい。
国民的に祝日となれば、休みも取りやすくなるし、いろいろな形で祝日が増えるのは、喜ばしいことである。
今、国会では、「山の日」の制定を目指しているそうである。
そういえば、7月に「海の日」ができたのは、けっこう最近であったような気がするから、そうして法律で祝日が制定できるのは、楽しい試みであるように思う。

今回の「山の日」に関しては、憂慮すべきことがらも、いくつかあるようだ。
ひとつは、山岳遭難事故の多発である。
以前から思っていたことだが、大みそかの「紅白歌合戦」を見ていると、間にニュースが5分間くらい入るのだが、それがほぼ必ず、冬山の遭難のニュースであるような気がする。
「なぜ山に登るのか」…。
登らない人たちにとっては、わざわざ危険な山に登るのは、単なる趣味にしか思えないところもあり、そこで遭難して命を危険にさらすのは、理解に苦しむことがある。
しかし、このところ、「森ガール」「山ガール」など、自然に親しもうという若い人たちの流行も出てきて、自然に親しむのは、積極的に行いたいこと、となってきた。

私が、この登山ブームと、遭難事故の多発に関して思うことは、いくつかある。
ひとつは、以前、海難救助をする専門の人たちをテーマにしたドラマ「海猿」を見ていて、感じたことである。
海上保安庁の特殊訓練を受けた海難救助の専門家たちは、命がけで救助活動をしている。
そして、特別に災害がないときには、海に関する安全広報活動をしている。
ある日、遊泳禁止区域の海岸を巡回していた。
そこに、若いおにいちゃんたちがいて、テントを張って、バーベキューをしている。
この人たちに、海上保安庁の人たちが「ここはとても危険な場所です」「ここでキャンプをしないでください」「危険に遭うことがあります」「すぐに退去してください」と必死の思いで呼びかける。
しかし、海を甘くみたのか、海上保安庁を甘くみたのか、彼ら若者たちが、言うことをきかない。
撤収をしないのである。

ドラマであるから、その続きはあきらかである。
案の定、海が荒れ始めて、その遊泳禁止区域には、高波が押し寄せる。
そして、キャンプの若者たちは、海に流されてしまうのである。
さっき、注意勧告をしたばかりの海上保安庁の特殊部隊の専門たちが、「命がけで」救助にあたるのであるが、彼らにはなにか割り切れない、もやもやとした気持ちが残るのである。
そして、救助活動をしながら、すっきりと集中できないのである。
こうした、救助にあたる人たちの、気持ちまでも、よく扱ったドラマであったと思う。

また、登山に関して思うのは、よく北海道の大雪山で起こる、遭難事故である。
地元にいて思うのは、こうしたニュースは本当に残念であるが、率直に言って、迷惑である、とも思ってしまうのである。
というのは、大雪山というのは、地元北海道の人たちであっても、登らない山である。
危険であり、おそろしい山である。
藻岩山ぐらいならなんとかなるが、大雪となると本当に熟練したプロでなくてはならない、そんなことは常識である。
プロにとってもおそろしいのではないか、と思う。
そうした山に、地元にも雪にも慣れていない、本州の登山家たちが、やってきて、挑戦をするのだ。
彼ら挑戦者たちは、もともと仕事を持っていたりして、グループで来ることもあって、あらかじめ日程を決めて、飛行機に乗り、宿を予約している。
そして、遠くからお金をかけてやってきた、ということが理由で、登山予定の当日の朝、山の様子が雨であっても霧であっても、嵐が近づいていても、「せっかく遠くまできてもったいないから」という理由で、強引に登り始めてしまうのである。
こうして、山のご機嫌をうかがわない態度が、遭難に直結しているとしか思えない。
本当に山を知っている人なら、絶対に登り始めないような気候、天候、条件のなかで、登山を始めてしまうのだ。
起こるべくして起こった遭難事故である。
だから、どうしても、同情のしようがない…としか言いようがない…。

また、北海道の地元では、遭難救助のために、山を好きだという人たちが、ボランティアと地元自治体の税金で、救助活動を行っている。
本州から来た、無謀な旅行者のために、税金を救助に使うのは、なんだか割り切れないものである。
また、救助隊も、そのために命と体力を使うのは、全然、割り切れない気持ちでいるのである。

そうした状況を踏まえて、登山を楽しむということを、いま一度、考えてみてはどうなのだろうか。
自然に、それもとても厳しい自然に、立ち向かっていくということ、上手に付き合っていくということ、そうしたことを、心と身体と予備知識とで、覚えていきたいものである。

2014年5月7日水曜日

NHK「花子とアン」第5週「波乱の大文学会」感想。

朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
モンゴメリ原作の「赤毛のアン」を翻訳した、村岡花子さんの生涯が、ドラマ化された物語である。
第5週目にはいって、いよいよ「連続小説」という雰囲気になってきた。
登場人物への愛着も湧いてくるのが、第5週目の視聴者の心情かもしれない。
5週目「波乱の大文学会」では、ヒロイン花子が学んでいる修和女学校で、文化祭が開催される、というストーリーになっている。
文化祭の大きな演目に、女学生たちが演じる、演劇がある。
演目を決めるところから、練習風景、そこでのさまざまな学生たちのやりとりや、本番の舞台まで、丁寧に描かれているのが第5週である。

女学生たちも、もう16歳、17歳と、「女の子」というよりは、ひとりの自立した大人の女性として、恋愛にめざめる年ごろである。
なので、演劇の演目には、あこがれの恋愛ロマン悲劇である「ロミオとジュリエット」を選ぶ。
「ロミオとジュリエット」は、イギリスの名作で、シェイクスピアの三大悲劇とも呼ばれる、有名な恋愛物語である。
何度も映画化されたり、舞台化されたり、海外でも日本でも評判の高い、不朽の名作ともいえるかもしれない。
つい2月の、ソチオリンピックでは、男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した羽生結弦選手が、フリーの演技でこの「ロミオとジュリエット」の曲を選んだ。
みなが、羽生選手のロミオに、酔いしいれたところである。
羽生選手の演目となった曲は、1968年にオリビア・ハッセーがジュリエットを演じたイギリス・イタリアの合作映画で、仮面舞踏会のシーンにも使われる主題曲である。
羽生選手のフリーの演技は、ジュリエットの従兄弟を、トラブルによって傷つけてしまう、激しい情熱的なシーンで始まっている。

「ロミオとジュリエット」は、互いに敵対しあう「家」に生まれた、少年と少女が、仮面舞踏会で、相手をその立場を知らずに会って、愛し合うようになる物語である。
家同士の確執がもとで、この恋愛は成就がとてもむずかしく、ラストでは、悲劇となる。
だが、この悲劇がもとで、家同士が、仲良くしようということになる。

現代ではとても考えられないような時代背景があるように思う。
現代の日本では、立場や家柄、といった事情で、恋愛関係にある恋人同士が、会うこともままならない、という状況は、まずないのではないだろうか。
また、親が決めた許嫁、という状況も、なかなかそうはない、と思う。
それで、私自身も、シェイクスピアの脚本を読んだときも、映画を観たときにも、なかなかピンとこないところがあった。
つまり、時代背景の深刻さが、今はないものなので、恋人のふたりの心情がなかなか共感できないのである。
しかし、「花子とアン」の時代、明治時代には、この「親の決めた結婚」「家同士や身分のちがいで成就できかねる恋愛」というのは、とても現実的であったようだ。

なので、特に蓮子にとっては、すでに家が決めた結婚を体験し、その後離婚した、という人生体験のなかから、身も心も打ちこむように、この「ロミオとジュリエット」に共感しのめりこんだことが、考えられる。

花子と蓮子の友情が、この大文学会、演劇を通して、深まっていく様子が描かれる。
それにしても、蓮子の「復讐」という言葉は、とても「強い」言葉である。
「復讐」の二文字に込められている感情があるとすれば、それは、恨みや憎しみ、とても深い心の傷、そして被害者意識ともいえる気持ちである。
なぜ、蓮子は、「復讐をしてやりたい」と思うのか、何を恨み、誰を憎んでいるのだろうか。
ここに、蓮子のたとえようもない悲しみとひねくれの素がある。
蓮子は家の決めた結婚で、「好きでもない人と」14歳のときに結婚したのである。

今、世界的な女性の人権啓蒙として、「I am a Girl」の活動がある。
これは、某有名通信販売で本を買ったときにも、パンフレットが入ってくるものである。
このパンフレットのタイトルが「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、まだ知らない」というフレーズである。
きれいな民族衣装をまとった少女の姿が写真で大きく写っている。

「結婚」というのは、互いに好きあったもの同士が行うもの、というのは、理想であるかもしれない。
しかし、それがなかなか果たされない歴史や社会状況があったようだ。
そして、特にこうした、まだまだ人生を選べる年齢ではない女の子にとって、自分が選んだ相手ではない男性と、自分以外の誰かに決められて結婚することは、とてもつらいことなのかもしれない。
「好きな人と結婚できない」というつらさよりも、「好きではない人と結婚しなければならない」ことが、つらいのではないかと思う。
そして、女性の人権の、とても大きなひとつで、とても見落とされがちなもののひとつが、「好きな人と結婚する権利」なのではないか、と思えてくる。
これは、権利なのだ、選ぶ権利、決定する権利なのだ、と思えてくる。

蓮子は、この、結婚相手を選ぶ権利をはく奪されて、好きではない男性とパートナー関係を結ぶことになった、また人生を選択できるほど大人になっていない年齢だったことを、とても恨んでいるのだと思う。

その恨みを、「復讐してやりたい」というのである。
これは、むしろ伸び伸びとした環境で庶民として育った花子にとっては、驚きであったろうと思う。
ふたりのその気持ちを、大文豪の作品である「ロミオとジュリエット」にぶつけた、感情表現をしたということなのだろうと思う。

そうして、蓮子は、兄の決めた結婚であったことを、恨んでいたので、兄への復讐を果たす。
つまり、「ロミオとジュリエット」」でジュリエットを演じて、たくさんの言葉を述べることで、兄に、自分の悲しい気持ちを伝えたのである。

蓮子は、ジュリエットを演じることで、恨みと気持ちが昇華されていったのだろう、と思う。
そして、そのあと、花子とは強い絆で結ばれていくのである。

ヒロイン花子の、この週の大切なポイントは、大文学会で演劇の脚本を、翻訳して脚色したこと、その脚本が、ほめられて、演劇が成功したこと、そして、なんだかやる気がなかった蓮子に、「あなたの脚本を読んで、ぜひ演じてみたいと思った」「あなた、翻訳の力だけは、すごいわね」と見つけられたところにある。
蓮子は、花子より年齢多く生きてきたことと、経験とで、たくさんの文学作品にすでに触れていて、それで花子の、翻訳文学に関する才能に気付いたのではないか、と思われる。
与謝野晶子を読んでいる年上の女性なのである。
花子はこの大文学会で、翻訳の才能に目覚める。
また、周囲からも翻訳の能力に評価をもらえたのである。
ここが、花子の人生の分岐点となった。大きな飛躍である。

「愛とはなにか」まだまだ幼い少女たちにとっては、「運命の恋」は、神様しか知らない。
本当に人を愛するというのは、どういうことなのか。
永遠の伴侶になるのは、どんな男性なのか。
若い乙女たちの夢見る物語が、続いていく。

2014年5月6日火曜日

都市計画の楽しみ。

東京では、6年後の東京オリンピックをめざして、さまざまな形で新しい都市計画が進んでいるようである。
新国立競技場の建設計画に関しては、日本国内のそうそうたる建築家のメンバーが、都市景観や東京・日本の文化伝統までも含めて、集っては計画を練る、というふうになっているようだ。
それは、計画というよりは、夢を語るようなものかもしれない。
オリンピックの競技場が設立される予定地域では、すでに土地の値上がりや、あるいは早々にこの地域に可能性を見出して、移り住む人たちもいる、という話である。
各種鉄道やバス、地下鉄なども、新しい車両や路線を作るには、もってこいの機会となるだろう。
こうしたことを考えると、私も、小さな都市模型を作って、建物や樹木やときにはそこに集まる人々の模型も作りたくなる。

実際には、現代の都市計画において、頭を悩ますのは、交通の問題かもしれない。
都市への人口集中において、交通網の整備は、都市計画の重要なテーマのひとつだろう。
私がそのとき思い出すのは、誰かの本に、これも引用されていた話だと思うのだが、人口集中の社会において、こんな興味深いアイディアが紹介されていた。
それは、都市、たとえば東京において、23区ほどであるから、中心地を真ん中にして、半径20キロメートル以内は、個人的な車両は立ち入り禁止区域にする、という内容である。
そして、この半径20キロメートル以内には、公用車しか立ち入れないようにする。
公用車とはたとえば、救急車、消防車、公共交通機関のバスなどである。
それから、搬送用のトラックは認可制になり、個人が車で移動したいときにはタクシーを使うことになるが、このタクシーも台数が決まっていて、認可制となり、厳しい安全基準が定められて、定期的な点検を行う、ということになる。
もちろん、ドライバーも厳選されることになるだろう。

こうした都市計画は、札幌市にはあったようだ。
これは、札幌に暮らしていたときに、誰か人から聞いたのであるが、実際にそうした都市づくりになっていたと思う。
札幌はもともと、碁盤の目の地図でわかるように、計画都市である。
札幌駅と大通り地区の中心部から、東西・南北に地下鉄が伸びていて、その東西線の東の端に、「新さっぽろ」という駅がある。
この駅は、地下鉄東西線の終点であるが、ターミナル駅となっている。
このターミナル駅は、バスターミナルとなっていて、札幌からより北へ、東へ、という地域へは、バスがたくさん発着している。
それなので、恵庭や千歳、江別方面、各大学や高校へ向けてのバスが、こまめに発着している状況だ。
それで、江別方面から札幌の中心部へ行きたい人は、バスで一度「新さっぽろ」まで来て、ここで地下鉄に乗り換えて、中心部に向かってください、ということになっていた。
それから、「新さっぽろ」には、大きな駐車場も完備されていた。

また、地下鉄東西線の、新さっぽろ駅から、もう一駅、都心寄りの、「ひばりが丘」の駅もバスターミナルになっていて、ここは、長距離バスのターミナルになっていた。
このあたりで「長距離バス」というと、深川や留萌、旭川、千歳空港、という目的地となる。
だから、千歳空港から札幌都心へ、人が集まるときには、公共交通機関である、バスと地下鉄を使うことが、主たる交通路になっているわけである。

それで、都心部は、地下鉄の東西線と南北線、そしてバスと市電(路面電車)の組み合わせでほとんどの交通が往来できるようになっていた。
だから、私は、個人的に自動車免許を取るとか、自家用車を持つという必要性がまずなかったので、免許を取らなかった。
それで充分に、買い物も映画館も、友達と会うことも、できたわけである。

そうした都市計画も、また一案として、考えてみるのもありかもしれない。

余談であるが、もしもこうして、人々が基本的に公共交通機関を使う、というライフスタイルに替えるとしたら、もう個人で車を運転するという時代そのものが変化することになる。
化石燃料には限りがある。
ドライブ文化というのは、ある一時代の文化として特筆すべきこと、となるかもしれない。
そうして、車文化、自動車産業というのが、ない、という方向になっていくと、日本には、そんなにたくさんの電力が必要ない、ということになる。
私が、原子力発電は必要なのではないかと考えていた理由のひとつが、日本全体の経済の仕組みのことで、たくさんの工場を稼働させるため、車の輸出をするために、たくさんの電力が必要なのではないか、と考えていたからである。
もしも、工業、自動車工場が、あまり必要なくなるような、日本全体のライフスタイルの変化が起これば、本当に、電力は、自然エネルギーだけでやっていけるようになるかもしれない。

都会においても、自転車で移動するという、若い人たちのエコロジーの行動が、始まってきている。
時代の変化に合わせた都市づくりは、夢であり、理想であり、語るに充分な楽しい話題である。
新しい時代の、新しい都市づくりに、参加することは、未来を語ることであり、子どもたちに新しい時代を、開いてあげることにつながっていく。

2014年5月4日日曜日

「東南アジア系」と差別用語について。

このところ、ヘイトスピーチや差別に関する用語、事件に関しての糾弾が、かまびすしい。
日本が右傾化している、という、世界的な懸念があり、それに対して、国内外で、たくさんの人たちが神経をとがらせているようである。
また、現在の日本の様相が、第二次世界大戦中のドイツで、起こった非常に極端な民族主義に似ている、という懸念があって、それで、あたかも「赤狩り」のように、言葉遣いに神経質になっているようである。

以前から、もう20年も前から、こうした「差別的表現」に関して、日本はずいぶんと対応を変化させてきているようだ。
ほんの10年前の映画を観ても、テレビ放映にあたって、当時と現在とでは、表現の範囲がちがっているところがあり、あらかじめ、ということで、但し書きがついている場合がある。
現在、問題となっている、戦争中を描いた漫画「はだしのゲン」にしても、言葉遣いや表現が、差別的である点が問題になっているようだ。

私たち、文筆家にとっても、ここ数十年の「差別的表現への枠」は、言葉のひとつひとつに至るまで、非常に範囲がせばまってきたところがある。
文筆を職業にする人たちにとっては、表現の幅のせばまりと同時に、あらぬ誤解をされることもあって、とても肩身の狭い思いをするものだ。
たとえば、すでに「土人」という言葉は、こうしてワープロで打っていても、漢字に変換できないようになっている。
あるいは、「片手落ち」という表現があるが、こうした言葉も、障がい者を連想させるということで、すでに使用禁止だという。
「障がい者」という言葉表現でさえ、「障害」「障碍」と、言い換えを、ほんの数年のうちに、変化している状況である。

先日わたしは、ツイッターで、こんなことをつぶやいた。
ツイッターはほんの140文字の字数のなかで、限られたことを書くものである。
「つぶやき」というゆるさもあってか、あまり意識することもなく言葉を打ち込むこともあるし、また、そこに書いたことの意味が、説明不足になることもあるようだ。

私のそのときの「つぶやき」というのは、格安航空会社ピーチの、低空飛行事故問題であった。
以前から、日本における格安航空の仕組みに疑問を持っていた。
それは、エア・ドゥの経営に関する報道で聞いた話であるが、どのようにして、航空運賃を下げるか、コストを下げるか、という点で、乗務員つまり、人件費のコストを下げる方法が、紹介されていた。
人件費のコストをどのように下げるかというと、日本人ではなく、東南アジアの人を雇って、人件費を下げるのだそうである。
日本の会社に勤務し、日本で働くのである、それなのに、日本人を雇うと人件費つまりお給料が高いのだが、東南アジア系の人を雇うと、人件費が安いのだそうだ。
これは、どういうことなのだろう?と思った。
ひとつは、日本国内の乗務員、パイロットやフライトアテンダントの訓練の基準が満たされていないのではないか、という疑問である。
日本国内で定められている基準、教育・訓練は果たされているのだろうか。
もうひとつの疑問は、日本国内で働くにも関わらず、なぜ、東南アジア系の人だと、お給料が安いのか、という疑問である。
仕事の内容が同じであるなら、どんな人種であろうと、どんな民族であろうと、どの国の出身であろうと、お給料は同じ金額であるべきではないだろうか。
教育・訓練にも同じコストをかけるべきであるし、お給料も同じコストをかけるべきである。
それを「しなくて済む」のが、東南アジア系の人を雇うということなら、何かがまちがってはいないだろうか。
こうしたところに、むしろ差別や格差を感じていたのである。

そして、日本国内で、ピーチの事故が起こったときに、パイロットが管制官と意思疎通ができていなかった、という報道を聞いたので、もしかしたら言葉が通じなかったか、あるいは、(日本人に対するのと労働の基準がちがうので)超過勤務で疲労していたのではないか、パイロットとしての訓練が足りなかったのではないか、と、さまざまな心配をしたのであった。
それで、事故原因の究明と、二度と事故を起こさないために、という意味のことで、気持ちのつぶやきを、ツイッターで書いたのである。
その際「乗務員は東南アジア系の人ではないか」という言葉遣いをしたのが、読者にはまったく逆の方向で、捉えられたようなので、むしろ困惑している。

ヘイトスピーチは極端であるにしても、このところの日本は、ずいぶんと表現にこだわるようになったのではないだろうか。
言葉の表現を制限するというのは、心の在り方を制限するものであるように思う。
それで、匿名のインターネットの現場で、ありったけの言葉を使って気持ちを思う存分に発散するようにもなるのかもしれない。

極端なヘイトスピーチや、民族排外主義がどのようにして起こるのか、私にも、わからない。
ただ、きょうの記事では、私自身が誤解されたことの遺憾と、その誤解の解明と、それから、今後の言葉遣いについて、課題をいただいた、ということで、こうしてブログ記事を書かせていただいた次第である。



2014年5月3日土曜日

NHK「花子とアン」第四週「嵐を呼ぶ編入生」感想。


2014年。今年の春は「花子とアン」で、朝を始めることにした。

物語は、第四週目に入り、子ども時代から、女学校入学、ほのかな初恋を経て、この週は、「腹心の友」との出会いである。
このドラマ「花子とアン」は、モンゴメリの「赤毛のアン」と、ストーリーを絡めてあるところがある。
そして、「赤毛のアン」で、とても大切なテーマのひとつとなっているのが、女の子同士の友情である。
「赤毛のアン」のなかでは、アンは、ダイアナと友達になる。
夢見がちで文学少女のアンは、この友達、親友のことを「腹心の友」と呼んでいる。
「腹心の友」という表現は、何か企てや悪巧みを持っている仲間同士が使う言葉なので、そのあたりのアンの感性は、「赤毛のアン」の読みどころである。
そしてまた、アンとダイアナの数々の友情エピソードで、誰もが忘れられないのが、「ワインまちがい事件」である。

第四週目「嵐を呼ぶ編入生」では、アンとダイアナの「ワイン事件」が、さっそく取り上げられていた。
おそらくは、物語の上でこれから、重要な友達のひとりになっていくであろう、編入生との「出会い」が描かれている。
この編入生は、お名前を「葉山蓮子」という。
登場の仕方はとても華やかで、公爵家のお嬢様ということもあってか、桜吹雪のなかを、まるでおとぎ話のお姫様のように現れた。

ところが、観ていてなんだか、「?」と思うのは、この蓮子さんのお着物である。
公爵令嬢なのだから、ゴージャスだ、ということなのだろうが、どうにも、これは、おいらんさんのセンスである。
半襟と着物の色、帯との合わせ方など、どうにもあでやかすぎて、気品には欠ける。
髪の結い方も、おいらん風である。
これは、困った編入生である。
私も、本当に台本には、公爵家の令嬢、という設定になっているのか、それとも、公爵令嬢としては、こうした艶っぽい服装をする、あだな女性、という設定なのか、わからなくなってきてしまった。

また、授業中の発言も、与謝野晶子の名歌、名歌であるが、どうにも女学校的ではないようなお歌「やわはだのあつきちしおにふれもみで」と言ってのけるのである。
目つきもなんだか色っぽい。
そして、話し方も、である。
ということは、これは、現代の高校に当てはめると、いわゆる「不良」というタイプなのだろうか。
確かに、学校のクラスに、ひとりやふたりは、こうしたお姉さんぽい女学生はいたと思う。
そうした女学生は、「大人の世界」をすでに充分知っていて、まだまだヒヨコっぽい一般の女学生を、「ふん」と言った調子で、教室の片隅から見下ろすのである。
本当に、やなタイプの編入生が、やってきたものである。

そして、寮では、個室を占拠する。
それで、純朴なヒロイン花子をお世話係にまでして、その上、「滋養のお薬ですのよ」と飲ませたのが、ワインなのである。

お酒だと知っていたら飲まなかったワインであるが、花子は、これを故郷山梨県のぶどうの香りがする、と喜んで飲んでしまった。
そしてすっかり酔いつぶれてしまったのである。
これは、未成年の女学生にとっては、たいへんな出来事である。
退学決定、というところだろう。
そして、このいきさつを弁明するにあたって、葉山蓮子は、「花子さんが勝手に飲んだんです」とうそを言うのである。
うそを、学校の先生たちも校長先生も信じてしまった。

ここに、現れたのが、女学校での噂を聞きつけた、父親の吉平である。
さっそく、学校まで来てくれた。
こういう親は、子どもにとって本当にありがたい。
父親は、花子の話を、最初から最後までじっと聞いてくれた。
そして、花子のことを、信じてくれた。

こうした際、つまり、子どもが学校で何か問題を起こしたときに、学校側の言い分だけを聞いて、子どもを叱るような親であっては、子どもが追いつめられてしまう。
学校の言い分だけを聞いて、子どもを叱るような親というのは、実のところは、世間体を気にしているのではないだろうか。見栄っぱりなのではないだろうか。
どんなことがあっても、自分の子どもを信じる、こういう親御さんがいて、花子はようやく気力を取り戻すのである。

また、こうして父親が、娘さんのために奔走してくれる姿を見ていたのが、葉山蓮子である。
蓮子には、何か特別な事情がありそうであるが、ともかくは、こうして親身になってくれる親がいない、ということは、事実であるようだ。

この、花子の父親の吉平は、物語が時代とともに、家族とともに進んでいくにつれて、とても興味深い方向へと進んでいく。
山梨県から離れて、東京にもあちらこちらにも行商で広い世界を見聞して歩く吉平は、社会主義というものを知る。
当時、労働者の権利というのが、盛んに叫ばれ始めた時代であった。
街角で、演説をする社会主義の人がいる。
この話にさかんに同調して、「自分も何かしてみたい」と思い、新聞社に行く。
そして、勧められるままに伝道行商を始める。
社会主義の思想を書いた本を、売って歩く行商の商売なのである。

新しいもの、新しい時代にどんどん飛びついていく、父親の性質が、花子に受け継がれているようで、本当によく似た親子であると感じさせる。
しかし、時代は、日清戦争と日露戦争の間くらいの状況で、社会的には安定しているとはとても言いきれない。
一方で、長男の吉太郎は、山梨に来た軍隊の行進を、見に行って、深く何か感じ入るのである。
吉太郎は軍国主義に進んでいくことになるのだろうか。

父と息子は、どうしてこんなふうに、対立するのだろう。
まるでそれは、思想信条の内容にかかわらず、父親のしていることに対しては、何もかも反対する、という息子の反抗心であるように思われる。
これは、理由なき反抗であり、反抗のための反抗であるようにも思われる。

話を、花子の女学校へ戻そう。
父親の奔走と、気力を取り戻した花子の、蓮子への抗議で、蓮子は「私が飲ませました」と本当のことを、校長先生に言う。
それで、ようやく、花子の「ワイン事件」の容疑は晴れるのである。

学校というのは、本当にいろいろなことが起こるものだ。
そして、いろいろな生徒がいるものだ。
それをどんなふうに、先生と学校と、両親と生徒たちが、乗り越えていくのか、みんなで成長していくのか、本当に「嵐」が起こってしまったときが、教育の正念場なのだろう。

2014年5月1日木曜日

小学生時代の思い出。

メモ1、小学校入学式。校長先生の話。
私が、小学校でよく勉強をしよう、と決心するキッカケとなったのは、小学校の入学式で、校長先生のお話を聞いたからである。
校長先生はこうおっしゃった。
「これから、みなさんは、小学校でお勉強をします。よく勉強をすると、おとなになってから、みなさんがなりたいもの、なんでもなれます」
まだまだ幼稚園の絵本が抜けなかった私は、将来はどうしてもお姫様になりたかったので、「勉強をすればお姫様になれる!」と、とてもいいことを教えてもらったので、入学式の翌日、最初の授業から、懸命に勉強に励んだ。
メモ2、4月中に予習。
幼稚園のときに「あいうえお」を覚えて、絵本が自分で読めるようになっていたこともあり、教科書をもらうと、4月中にすべて読み終えてしまった。
国語の読み物が面白かった。理科も社会も算数も全部、4月のうちには読み終えてしまった。
毎年、年度が替わると、新しい教科書を4月中に読んだ。
それから、前の日に、先へ先へ、と教科書を読んでいた。
そうすると「ここなんだかわからない」という箇所がある。
翌日の授業で先生がよく解説してくれるので、よくわかった。

メモ3、もともと身体が小さくて、学校はけっこう厳しいかんじはしたが、登校拒否になることはなかった。何が面白かったかというと、勉強が面白かった。
新しい知識がどんどんわかっていくのでとても楽しかった。
授業中にすべて理解する。
先生の話はよく耳で聞いていた。
集中して聞いていると手で落書きをするので、それを見た先生が、遊んでいると思ったのか、突然に手をたたかれることがあった。こわかった。
「そんなに絵が描きたかったら、ペンを全部出しなさい!」とか、教室の前のところに、ノートに描いた絵を出されることもあって、とてもいやだった。

中学校に上がってからは、授業が終わった後の休み時間や昼休み、放課後に、先生に質問攻めにした。
「今の授業で、ここがよくわからなかったのですが…」と、友達とふたりで職員室まで行ったり、廊下で尋ねたりすることもあった。
手で書いて覚えるタイプではなくて、目で覚えるタイプだったので、何度も紙に書いて覚えることはなかった。
色ペンは使わなかった。

メモ4、中学校に上がってからの英語の勉強は、教科書を予習した。
すべて、英単語を辞書でひいて、全文暗唱した。
単語帳は使わなかった。(当たらないから)

メモ5、忘れ物はほとんどしなかった。前の晩にランドセルに教科書や笛、絵の具やピアニカなどの準備をしていた。
ハンカチ・ちりかみ・給食袋などの忘れ物もまずなかった。
消しゴムをなくすことはなかった。
鉛筆は前の晩に削っておいた。
ノートはルーズリーフは使わなかった。ばらばらになって使いずらい。

メモ6、授業中に質問で手を挙げることはまずなかった。
それは、小学2年生のときに、国語の時間にこういうことがあったので、いやになった。
それは、先生が、「今の文章をどう思いますか?先生は誰にも言わないので、こっそりと意見を教えてください」と言ったので、自分の考えを、教室の前まで出て行って、先生の耳元で耳打ちした。
それは、「この文章は、だ、である、というふうに終わっているので、ていねいじゃないので、それがよくないと思う」という意見であった。
国語の先生は、ほかの生徒の意見も同じように耳打ちで聞いてから、「さてみなさん、今こういう意見がありました」と言って、私たち生徒の意見を公表した。
そして「どちらの考えもまちがっています」と言った。
正解は、「です、ます調にするならするで統一するのが正しい。だ、である調は、それはそれで統一するのが正しい。まぜこぜにするのがまちがいである」という教えであった。
私は、こっそり教えたつもりだったのに、先生に裏切られたと思ってとても悲しかった。
そして、みんなの前で「まちがいです」と言われたので、とても心が傷ついた。
それでそのあとは、授業中には絶対に手を挙げて意見を言わないようにした。
ときどき、当てられてどうしても意見を言わなければならないときは「~~だと私は思いますが、まちがっているかもしれません。ごめんなさい」と言うようにした。

大人になってから、学校の授業構成というのを、教師の皆さんがしている、ということを知った。
それは、50分の授業で、最初の10分で教師が、説明をして、その後、5分間で生徒からの質問タイムをとり、その質問を「たたき台」にして、討論をして、最後の15分間で「正解を教える」という構成だった。脚本のようなものである。
要するに、生徒の意見は、授業を成立させるための、討論の「たたき台」にされていたのだ、とわかった。
せっかくの意見も、「まちがいをただす」ために、あるいはほかの生徒の「悪い手本」にするために出させているのだとしたら、これは本当に子ども心に、つらい授業であった。

メモ7、家に帰ってからは宿題のほかはほとんど勉強しなかった。
本を読んでいた。
学校の図書館では、毎日本を貸し借りすることができた。
学校によっては、学年で貸し借りできる曜日が限られているようである。
また、転校先の学校では、貸し借りのシステムがとてもむずかしく、また教室からとても遠い、4階の端にあったので、あまり借りに行けなかった。
中学校では、図書館の部屋が足りなくて、廊下に本棚を並べていて、図書係はいつもさぼっていて、本を借りることができなかった。
小学校の1年~4年ごろまでの学校の図書館は、図書館司書の先生がとても優しくて、図書カードの書き方も教えてくれたので、毎日本を見に行っていた。
あと、自宅では、夜はテレビを見ていた。
蟻さんを見ていた。レコードを聴いて、オルガンを弾いていた。
妹とお人形さん遊びをした。

メモ8、そういうわけで、授業中にさかんに意見を述べることはなかったが、勉強はとても面白くて楽しかった。よくわかった。
テスト勉強は、教科書を何度もよく読んで、ノートをよく読んだ。
塾へはまったく行かなかった。
社会の公民、国語の文学史、歴史の年号、が苦手だった。
固有名詞が覚えられないタイプ。
算数大好き。

連載・77 包丁、鍋、フライパンを使わないラクラクレシピ(?)

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。
このところ、「包丁、鍋、フライパンを使わないラクラクレシピ」なるものが、流行しているようだ。
時短レシピも同じで、簡単に、短時間で、おいしいものを作りましょう、という流行である。
それは、「お料理」というと、むずかしい、時間がかかる、仕事を持っているので短時間で調理したい、それでいて、「カフェランチみたいな」というおいしさと見栄えも付け加えているようなのだ。
これではまるで、「注文の多い料理店」である。

お料理をするときには、包丁、まな板、鍋、フライパンは、シンプルかつ有効な三種の神器ともいうべき調理器具で、わざわざこれらを手放して、何かを作ろうというのだから、現代人の工夫にも恐れ入るところがある。
しかし、ここ20年ほどで、電子レンジは一般家庭にすっかり普及して、あって当たり前のものになった。
そして、レンジとセットともいうべき、冷凍食品も、冷凍の技術が格段に進歩して、いろいろな料理や食材が、おいしく手に入るようになった。

調理器具が発売されるごとに、その使い方、使いこなし方を練習するだけで、ずいぶんと手間取るものだ。
それでも、電子レンジは便利だと思う。
ただ、いろいろ試してみた結論としては、電子レンジで加熱調理したお魚は、あまりおいしくない、と感じる。
それから、昨夜の残りのカレーを温めるときでも、火を通した方がおいしい。
電子レンジでの過熱は、あまりおいしいとは言えない気がする。

現代の若い人たちが、お料理を覚えたいと思うのなら、私は、いったん、基礎からみっちりと、一か月か二カ月は時間をかけて、手作業で練習してみるのがいいと思う。
それを、どうやって練習するか、であるが、ひとつは、「家庭料理」に的を絞るのがよいのではないか、と思う。
というのは、料理の本がたくさん出されていて、とても専門的に分かれているからである。
また、料理研究家の創作料理などもあるので、むしろむずかしい、ということになる。
私は、主婦の友社から出されている料理の本で、家庭料理の基本料理をひとつひとつ作ってみた。

NHKの教育テレビの「きょうの料理」は、NHKだけあって、商品名を出すことができない。
それで、よくわからない名詞が出てきて、なんとも歯がゆい状況である。
また、テレビで紹介する以上は、インスタントの調味料を一切使ってはいけない、という料理研究家のプライドかあるいは良識なのか、そのあたりがあるので、現代のキッチンにはそぐわないところがある。
それでも、このごろは「家庭用のフライパンで充分です」と言ってくれたりもするが、「家庭用」でなければ、どんなフライパンがあるのか、状況がよくわからない。

お料理の専門雑誌は、趣味に特化していて、かなりむずかしい。
見たことも聞いたこともない野菜を使っていたりする。

私が思うのは、「ハンバーグ」「カレーライス」「とんかつ」「コロッケ」「鶏のから揚げ」「天丼」「親子丼」「玉子焼き」「スパゲティ」「そば」「うどん」「てんぷら」「焼き魚」「煮魚」「お味噌汁」…。
こうした、いつも食べる、みんなが食べておいしい料理を、ひとつひとつ、手作りしてみてはどうか、と思うのである。
ハンバーグも、冷凍やレトルトで販売されているし、コンビニエンスストアで買ったお弁当にも入っているものだが、自宅のキッチンで、まずはひき肉をこねるところから、始めてみるといいと思う。

1キロメートル行こうと思ったら、2キロメートルをめざしなさい、という言い伝えは、どんな家事にもどんな仕事にも当てはまると思う。
ハンバーグの本格的な作り方をしっかり覚えてからなら、「ラクラクレシピ」の手の抜き方、電子レンジに代用する部分が、自然にわかってくるのではないか、と思う。
ほんの一か月か二カ月、これらの家庭料理を習得するために、時間をかけてみてはどうだろう、と思う。


思春期の子どもたちのことを、考えてみる。

このところ、話題となり問題ともなっているのが「スマホ」である。
「歩きスマホ」はもとより、中学生や高校生の子どもたちが、スマホに夢中になっていて、一日に何時間もスマホに向かっている。
一口にスマートフォンといっても、いろいろな使い道がある。
自由にいろいろなアプリを入れることができるので、写真や音楽、ニュースやゲームなど、スマホの使い道はとても広く、個々人でそれぞれの個性がある、と言ってもいいだろう。
中でも人気なのは、無料の通話アプリで、「LINE」というものである。
これは、メールよりももっと、「仲間」という状況が強いものであるようだ。
たとえば、電話なら、一対一で対話するわけであるが、LINEは、数名のグループで「話し合う」「語り合う」という人の輪、サークルになっているようである。

こうした、電波を使っての子どもたちの交流が、とても盛んになっていて、それが理由で勉強をおろそかにする子どもがいたり、仲間はずれができたり、悪口を言い合ったり、という状況になっていて、親たちにとっては、とても心配であるようだ。

私は、私個人の考えであるが、こうした親たちの心配は、そんなに必要ないように思う。
というのは、使う手段がスマートフォンであろうと、携帯電話であろうと、ポケベルであろうと、固定電話であろうと、またファクシミリや電報や封書や、あるいは実際に会うことであっても、こうした思春期の子どもたちが、「仲間」との交流をすることを、やめないだろうから、である。
私が思うのは、思春期の子どもたちにとって、「仲間」こそが、一番大切なことなのではないか、ということである。
すでに、幼少期は過ぎていて、両親のもとで充分に心身が成長している。
次に必要なのは、社会に出る、という段階なのだろうと思う。
そこで必要なのは、友達、仲間、ということなのだ。

仲間という小さな社会のなかで、自己を主張し、確立し、認められることが、とても大切な、成長の過程なのではないかと、私は思う。
だから、この「仲間体験」のなかで、認められ尊敬されるために、全力を尽くしているのだろう、と思う。
それで、勉強がおろそかになったりする。
「仲間」にとても精力を注いでいるので、それ以外のことに力が入らなくなるのだろう。

そして、「仲間」のうちで、株を上げることが、なんとも必要になってくる。
親への途方もない、理由を告げない要求も多くなってくるようである。
私の知っているある子ども(男の子)では、仲間うちのなかで、見せびらかすために、とても流行っているバイクが必要だった。
これを、どうしても両親に買ってもらうために、さまざまな策略をめぐらせた。
そうして、買ってもらったバイクを、仲間に見せびらかす際には、「どうやって親をだましたか」という点を強調してみせたのである。
それは、観方によっては、思春期の子どもが「自分はどれだけ親という大人をだますことができるか」という点よりは「自分はどれだけ親から愛されているか」という点の顕示であるようにも見える。

また、ある子どもは、仲間内のある友達が、実の両親にはとても言えないような悩みを持っていることを知った。
その問題の解決には、大人の知識と大人の「保証」と、大人のお金が必要だったのだ。
その子は、友達を助けるために、親に嘘をついて、困っている友達のための助力を、親から引き出すことに成功した。
こうして、子ども社会のなかで、信頼と尊敬を勝ち取り、株を上げたのである。

こうした時期の子どもにとって、大切なのは、本当は、ただ、人間関係を構築するためのノウハウをよく教えてあげることなのかもしれない。
それは、幼少期によく教えてあげることである。
そうしたノウハウをもってして、思春期に立ち向かうのだと思う。