2014年10月25日土曜日

道徳教育の教科格上げについて。

先日、文部科学省の中央教育審議会で、小中学校の「道徳」の科目の、教科格上げが答申された。
答申、ということなので、まだ法案として提出もされていないし、可決されてもいないようだ。
決まっていないことに賛成も反対もないものだが、文部科学省で、子どもたちの教育について、検討が始まった項目ということで、注目したいものだと思う。
意見があるなら、今からでも、パブリックコメントなど自由に参加できる範囲にあると思う。

「道徳」は、学校で習った、道徳の時間というのは確かにあった、と記憶に残る人も多いと思う。
私もその一人である。
しかし今回の「教科に格上げ」というのはどういうことか。
これまでは、国語、算数、理科、社会、というようなレベルで教えていたものではなく、これからは、同じレベルで力を入れて教える、という意味かと思う。
また、「道徳」に成績表はなかったものが、これからは成績をつける、という意味かと思う。
つまりは、学校でもっと力を入れて教育したい、という意味ではないかと思う。

日本社会のいわゆる、倫理道徳の「乱れ」というのは、とても問題になってきている。
学校ではいじめが起こり、社会では、目を覆いたくなるような事件や事故が起こっている。
日常生活でも、ちょっとした道路でも電車のなかでも、道徳とまではいかないとしても、礼儀作法、エチケットの混乱ははなはだしいように思う。

割合に小さいところでは、道路への煙草がらのポイ捨て、割合に大きいところでは、親孝行や犯罪防止、こういったところで、義務教育でなんとか教えられないか、という要望は大きいのではないかと思う。

また、道徳教育というと、とても範囲が広くて、人としてのあるべき姿とか、性格や性質の教育、という意味も含まれるように思う。
つまり、学科の勉強を知識として覚えるだけではなく、人として成長する、大人の人格へと育てる、という意味もありそうだ。
それは、「詰め込み」「ゆとり」等々と、知識に偏った教育から、なんらかの脱皮をはかったもの、と思われる。

こうした意味で、とても幅の広い目的があるように思う。
ただ、目的がはっきりしているので、これに関してのアプローチ方法を模索している段階ではないだろうか。

次に、道徳を、学校教育の教科として格上げすることに関しての、問題点であるが、これは、どんな教科書を使うのか、誰が教科書を執筆・編集するのか、というテーマがある。
もうひとつは、成績をつけるにあたって、たとえば極端な話であるが、「道徳」が、5段階評価の1がついた場合には、その生徒の人格はどう評価認識されるのか、というテーマがある。
成績表のつけ方である。

私は、目的をしぼって言えば、小学校の低学年であれば、電車のなかでの席の譲り合いや、列の割り込み防止などは、やさしい調子での、童話や物語が教科書になっていたらよいのではないか、と思う。
電車のなかで、空いている座席がなくて困っている高齢者がどんな気持ちでいるか、相手の気持ちを知る、はかる、想像する、という力を、養うために、物語を読むのである。
この童話形式は、私たちにの馴染みのあるものではないかと思う。

そして、小学校高学年から中学生になったら、そのあと高校で思想・哲学・倫理社会を学ぶことを前提として、哲学を教えてはどうか、と思う。
今、社会では「生きる目的はなんなのか」といったテーマの本がベストセラーとなっている。
人はそれほどまでにも、「なぜ生きるのか」「なんのための人生なのか」「人生はなにを目的とすべきか」という問に対して、答を持っていないようだ。
こうした問題に答えるのが、哲学である。
中学生であれば、サルトルやニーチェ、カントやデカルトといった、名だたる思想家の名前を憶えて、思想の歴史を学んでもよいと思う。
また、彼ら思想家たちの名文を、教科書に載せてもいい。
実際に文章に触れてみるのもいいし、「無知の知」とか「我思うゆえに我あり」などの意味を、授業で学ぶのもいいかもしれない。
それらを実生活に活かせるともっといいだろうと思う。
中学生のうちは、そうしたことを、ただ頭に入れるだけかもしれないが、まず触れる機会を持つのが、大事なことではないかと思う。
そして、大人になってから「あれはこういう意味だったのか」と思い返すこともあるだろうし、あるいは人生でとても困った時に思い出せるかもしれない。
大人になってから役立つというのは、漢字でも算数でもそうであるが、学校で習ったことが必要になってからである。
そのときにまず、読んだこともない、というのでは始まらない。

現代では、こうした「生きるためのちょっとしたアドバイス」が欠けているように思う。
友情や、人間関係におけるちょっとした工夫、「思いやり」という言葉、自分探し、こうしたものは今のところは、アニメ、コミックのなかにある。
あるいは、シンガーソングライターの囁くような言葉のなかに凝縮されているかもしれない。

私も、部活や運動における、努力や忍耐力については、コミックで読んだ。
「エースをねらえ!」や「ワンピース」である。

友達関係における思いやりについては、週刊セブンティーンで読んだ。
身だしなみや礼儀作法については、月刊女性誌nonnoで読んだ。
こうしたことを、自宅で個人の好みとして行うよりも、学校できちんと基本を学べるようにしたほうがよいかもしれない。

また、日本独自の道徳として、武道や茶道なども、これは、習うというよりは知識として覚える、初めて触れる(入門・基礎とする)などもよいかもしれない。

次に、採点・成績についてであるが、哲学者の人名や、著作名、武道や茶道における専門用語などを、知識として、テストで採点するのがよいかと思う。
また、小論文や作文などを書いてみるのもよいかと思う。

まだまだ、検討の余地がたくさんある、「道徳」の教科格上げ問題である。
日本には、まだまだ希望があると思えるのは、子どもたちの教育を本気で考え、悩み、応えようとする大人がたくさんいることである。
これから答申が進んでいくと思う。
活発な議論と意見交換をもとに、子どもたちにとって一番良い教育を、選びとりたい。