2016年5月29日日曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第7週「常子、ビジネスに挑戦する」 第8週「常子、職業婦人になる」感想。

ぼくより。
今週は、朝倉聡子の夫である、ぼく、から、朝倉聡子の、職業婦人の体験談をお話しします。
まず、朝倉は、お茶汲みをいやだとは思いませんでした。
お茶汲みも立派な仕事である、と思って、おいしいお茶、おいしいコーヒーを淹れるように努力しました。
その結果、係長や課長から、「朝倉さん、お客さんに、ぜひ、あなたのお茶を淹れてください」と言われるようになりました。

ぼくの奥さんは、自分の生計を稼げればそれでいい、という考えでした。
大卒でしたが、えらくなりたいとは全く思いませんでした。
そして、北海道の田舎で一生、静かに暮らしていければいい、そして、お給料から、本を買ったり、映画を観たり、ただのテレビがあればそれで幸せ、という生活設計を立てていました。
それなので、東京に出ようとか、管理職になろうとか、まったく考えていませんでした。

安いOLに雇われて、それで幸せでした。

朝は、7時ごろ起きて、ごはんを食べて、8時半に出勤しました。
そして、夕方5時きっかりに帰りました。

彼女の仕事内容は、決められていて、長時間椅子に座っているだけではなく、カウンターでお客様のお相手もしていました。
それなので、座りっぱなしでなくて、足を動かしてお話もできるので、活動的でいい、と思っていました。

お金を扱うこともありましたが、いつも適切に扱っていました。
そうした仕事ぶりを見て、係長は「朝倉さんは、本当によくやってくれる」と言いました。
仕事の覚えぶりも、「乾いた砂が水を吸い込むように覚えていく」と褒められました。
そして、「朝倉さんに仕事を任せると、一、言うと、十、わかる」と言って、仕事仲間から一目置かれる存在になりました。

仕事上、お昼ごはんをごちそうになることもありました。
課長のところにきた、高級お重、これを、課長は「わたしは、奥さんの作ったお弁当を食べなければならないからね。いつも朝倉さんはよくやってくれるから、おなかいっぱい食べなさい」と言って、譲ってくれました。

服装は、質素なブラウスに、スカート。
お化粧は、学生時代に、お友達とお化粧ごっこをして覚えて、薄化粧で、上品にまとめていきました。
髪は落ちてこないように、バレッタで留めていました。

アクセサリーをしていくと、課長は丁寧におしえてくれました。
「あなたは、目がとても大きくてきれいです。だから、胸元から上には、輝くダイヤは目なので、ほかの宝石は要りませんよ」と言われたのです。
それなので、朝倉さんはすべてを察して、その後は、仕事には、アクセサリーをつけないで質素に行くようにしました。
これは、今でも続けている習慣です。

朝倉さんが、仕事で何かミスをした、というと、二回ほど、遅刻をした、ということです。
ぼくは、遅刻の理由について、詳しく聞いてみました。
すると、こういうことです。
前の晩、紅茶を飲みすぎました。
電車で8駅ほどの家で、ある高名な詩人が、文学の会を開いていました。
そこには、猫ちゃんがいました。
紅茶を飲みながら、猫をなでながら、文学について、熱く語っているうちに、終電になってしまいました。
家に帰ってきてからも、文学の話で頭が熱くなっていて、眠れなかったのです。
それで、次の朝、起きられなくて、遅刻をしました。

課長は、「もう少し、そのあたり、自己管理ができるようにしてくださいね」と、やさしく言いました。


朝倉さんは、隣の席に座っている女子社員には、丁寧に仕事を教えてあげました。
それは、女子職員マニュアル、というのをワープロで作って、印刷して、まとめて、申し送りをしたのです。
その後、その課では、この女子職員マニュアルが、定番となって、何十年も使われています。

朝倉さんは、手芸が得意です。
職場で大事に使っているワープロの、ワープロカバーを、手縫いで作りました。
帆布で、縫いました。
それを、夜勤のおじさんが、タバコの焼け焦げをつけてしまいました。
夜勤のおじさんは、朝倉さんにすごく謝りました。
朝倉さんは、アップリケを縫い付けて、「大丈夫です。かわいくなりました」
と言いました。
おじさんは、朝倉さんの優しさと思いやりに、とても感謝しました。

ある日、朝倉さんは、昼休みに、ハガキを書いていました。
お菓子の募集で、ハガキを送って応募すると、グアム旅行が当たる、というものです。
面白がった係長が「ぼくも送ってみたいから、ハガキくれる?」と言いました。
朝倉さんは、快くハガキをあげて、住所も教えてあげました。

そして、数日たったある日、係長が拝みながら「朝倉さん、ほんと、ごめんね」と言いました。
朝倉さんは、「どうしたのかしら?」と思いました。
「当たっちゃった」
そういうわけで、係長は、一週間のお休みをとって、家族全員で、グアムに旅行してきました。
朝倉さんは、こうして、職場で、皆さんに、幸せを分け与えていました。
ぼくは、こういう姿こそ、「女性は太陽である」ということだと、思います。

ぼくは、先週と今週の「とと姉ちゃん」を一緒に観ていて、彼女が、「本当に女性の仕事を取り巻く環境って、こういうものかしら?」と、疑問に思っているのを感じました。
彼女にとっては、社会は、あたたかく守られている場所です。
ドラマ「とと姉ちゃん」でも、もっといろいろな女性を描いてもいいのではないか、と思います。

おわり。



2016年5月22日日曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第6週「常子、竹蔵の思いを知る」感想。

5月の青空のもと、戸外に飛び出すのもうれしいし、家でテレビを見るのもまたうれしい。
「とと姉ちゃん」も、ヒロイン常子が、さまざまな体験をして、5月の青空のもと、伸びていくのが、とてもうれしい。

この週は、亡くなった父・竹蔵の思いを知る、という題名であるが、その竹蔵の思いとは、君子と祖母・滝子との、確執を解きたい、という思いであった、というストーリーである。
父・竹蔵は、母・君子と結婚するときに、祖母・滝子の反対を押し切ってしまった。
しかし、君子と娘たちとの生活を、月に一度は手紙に書いて、滝子に送っていた、という話が、明るいところに出るわけである。

そうした、竹蔵の思い、そして、常子たち三人姉妹の思いが実って、滝子と君子が、和解する。

母と娘の葛藤、というのは、そんなに古いテーマではない、と私は思う。

むしろ、最近になってから、あちこちで取りざたされているテーマであるように思う。
ずっと以前の名作文学を読んでみても、母と娘というのは、たとえば、義理の関係にある母娘がとてもむずかしい、というテーマはあっても、実の母娘は、共闘仲間のように、親しく仲睦まじかったように思う。

特に女流文学などで、実の母娘の関係が、それも、とても「仲悪く」描かれて、問題視されるようになったのは、近年であるように思われる。

そうした意味で、この週の「とと姉ちゃん」の、母娘和解に関して、とても興味深く観ていた視聴者が、とても多かったのではないか、と思う。

私も、どんなふうにこの母と娘が和解するのか、と面白く思って観ていた。

結局のところ、環境、人間関係、というものが、母娘ふたりを、和解に導いたように思う。
今は亡き、父親の思い。
孫娘たちの思い。
近所の人たちの思い。

そうしたものにあたたかく包まれて、母と娘は、「産んでくれてありがとう」という、地点で、和解に達する。

私は、やはり親子というものは、そうした原点に返るのが、一番のことであると思った。

近代になってから、特に明治時代から現代にかけては、女性に関する人権の解放と、それから、生き方の思想が、大きく変化している時期である。
生き方の思想、時代のありかた、世間のありかた、社会のありかたである。

それも、非常に速い勢いで、女性の解放が、進んでいる。

母親の時代に、「女性はこうすることが幸せ」と思われていた思想が、娘の時代には、別の形に幸せが置かれている。

近代になるまでは、子は親の「持ち物」であった。
これは、たとえば別のドラマになるが、NHK大河ドラマ「真田丸」などで、娘が政略結婚に使われ、それがとても重要な役割を果たしていたことからも、うかがわれる。
娘は、親の持ち物であった。

しかし、近代、それも、ここ数十年になってから、子どもには子どもの人権がある、と「ある日、突然に」言われ始めたのである。
特に結婚に関しても、親が子どもの結婚を、口出しするのではなく、決定することが、当たり前であった。
親が子どもの人生を管理していくことは当たり前であったし、それが子どもにとっても幸せであると、親も信じていた。

近代になって、海外から人権や、個人主義の思想がはいってきて、女性たちの思想は変わっていった。
そうしたときに、母と娘の葛藤が、生じてしまったのだ、と私は思う。

母は母で、母の時代の思想で、娘の幸せを思っているのである。
しかし、娘は娘で、娘の時代の思想で、自分の幸せのために、精いっぱい、生きているのである。

ドラマのなかでも、滝子は滝子の時代にそって、君子の結婚を決めている。
しかし、君子は新しい時代の思想にそって、自分で選んだ相手と恋愛結婚をしようとしている。
ここで、滝子と君子の対立は、昔の時代と、新しい時代との対立である。
あるひとつの思想と、別の新しい思想との対立が、母と娘のうえにあらわれている状況である。

こうして、時代と思想の変化の激しいときには、女性は、母に「すべて」を求めるのではなくて、ただ、母親として、産んで育ててくれてありがとう、という一点で、母親を愛し認められるのではないか、と私は思う。
親というのは、産みの親であり、育ての親であり、看護師であり、教師でもある。
しかし、時代の変化の激しいときに、親にすべてを求めるのは、親のほうとしても、負担が重い、というものである。
女性は、もっと幸せになろうとするときに、家庭の外に、教師を求めるのがいい、と私は思う。

たとえば、海外の著作に学ぶこともある。
あるいはたとえば、学校の教師に学ぶこともある。
仕事を持てば、仕事の上司、先輩に学ぶこともある。

それを、人生のすべてにおいて、母親に求めるのは、期待のしすぎかもしれない、と私は思うのである。

ドラマを観ていても、滝子の時代、君子の時代、そして、常子の時代、と女性の生き方は、どんどん変化していく。
大きく変化していく。
祖母の時代、母の時代、娘の時代、と何代もかけて、女性たちは、みんなで「女性の生き方」「女性の幸せ」「女性の解放」を、少しずつ、粘り強く、続けてきているのである。

私たち平成の時代の女性たちは、平安時代から、戦国時代、江戸時代、とあまり変化のない女性の生き方を強いられてきた状況から、明治時代、大正、昭和、と駆け抜けるように、大きく扉を開くように、女性の人権を獲得しているのだ、と私は思う。

祖母よりももっと解放された母。
母よりも、もっと解放された娘。
娘よりも、もっともっと幸せになるその孫娘。

女性たちは絆を結んで代々続けて、女性の生き方をもっと幸せにしていく。

そうしたときに、母親を恨んだり憎んだりすることは、よくない、と私は思う。
「君がため」と名付けてくれた、お母さんに、感謝の気持ちを持って、そして、そのお母さんのためにも、もっともっと幸せな娘になって、女性の幸せを、みんなでつかんでいこう。

そういう思いをより強くさせてくれた、この週の「とと姉ちゃん」だった。
これからも、楽しみに観ていきたい、と思う。



君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも


2016年5月12日木曜日

恋愛論・結婚論~一般論として。

恋愛や結婚について、自分の体験そのもの、というよりは、一般論として、思うことを書いてみたいと思います。

恋愛っていうのは、キラキラしていて、ドキドキワクワクしていて、とても素敵なものだと思います。
恋愛ドラマを観ていると、胸がキュンとして、生き生きした気持ちになりますね。

恋愛と結婚って、どういう関係なのかな、ということを、今一度考えてみると、今は、恋愛結婚が当たり前になっているけれど、そうじゃない時代もあったと思うんです。
私がこのごろ思うのは、「結婚は好きな人と、好きになった結果としてするもの」というような大前提が、すごく強くなっている、と思うんです。

私たちの祖父母の時代には、お見合い結婚が一般的でした。
それはそれで、幸せになる人は、幸せになり、そうなれなかった人は、やっぱり、幸せではなかったようです。

どんな出会いだったとしても、どんな縁だったとしても、幸せな夫婦関係を築ける人は、築けた、ということなんじゃないかな、と思います。
こういう話は、私自身が、祖父母や、その年代の人たちに、お話を聞く機会があって、「お見合いだったけれど、幸せだった」という話には、ちょっと意表を突かれた気がしたものです。


人生は、年を取るにしたがって、だんだんと努力の結果、「楽になっていく」ものなんでしょうか。
私は、そうではない、と思います。
人生は、年を取るにしたがって、どんどんと重くなっていくもの、だと思います。
年齢を重ねて大人になれば、責任もありますし、自分で働いて自分で生計を立てなければならないです。
子どものころと比べると、守ってくれる親はいないわけです。
親は年をとって、そのうち介護が必要になりますし、自分自身も年をとります。
病気をしたり、トラブルにあったり、悩みが増えたりします。

仕事の責任も、若いときと比べてとても重くなってきます。
子どもを持てば、子どもを守って育ててあげなければならないですし、子どもの人生に関しても、責任があります。

そういう人生の山、とか、あるいは、嵐、に例えられるたくさんの困難を、一緒に乗り越えていくのが、夫婦というパートナーだと思うんです。

結婚、というのは、パートナーシップではないか、と私は思います。
夫は、男性としての、生まれ持った特質を、妻に提供するでしょう。
妻は、女性としての、生まれ持った特質を、夫に提供するでしょう。
そして、力を合わせれば、チームワークが生まれて、お互いの人生の困難に立ち向かって乗り越えられるようになります。

そうしたときに、必要なのは、人間としての「体力」といったものなのかな、と思います。
健康、という意味での体力もそうですし、知力、判断力、持久力、忍耐力、もしも商売などをしていれば、その商売を成功させる力、時代の変化というような荒波が押し寄せてきたときにも、乗り越えていける力、というものを、よりたくさん持っているパートナーがいると、夫婦として、一緒に、人生の荒波を乗り越えていける、と思います。

恋愛の時期は、この夫婦間のパートナーシップを、絆として、あるいは、お互いに力を合わせる方法として、築く時期なのかな、と思います。
これはやはり、ある程度好きじゃないと、パートナーシップは築けないんじゃないか、と思います。
結婚は、やっぱり相手を好きじゃないと、乗り越えられないような困難がたくさんあると思います。
好きでも乗り越えられないんじゃないか、と思える困難はたくさんあると思います。

たとえば、事故ですとか、重い病気、リストラ、子どものいじめ問題など、あまりにもつらすぎて、家族という人間関係を維持することさえ困難になるほど、たいへんなことが、人生には起こります。
あった愛もなくなるほど、つらいことだって、あるんじゃないか、と思います。

そういうときに、社会的に「結婚」という枠組みは、とてもよいもので、恋愛感情だけで維持される関係とちがって、「今は恋愛している場合じゃない」という状況のときにも、夫婦という関係は維持することができます。
たとえば、世の中が戦争になったとき、などは、恋愛感情で、キラキラと「好き好き」言ってられないんじゃないか、と思うんです。

人生はつらいことのほうが多いんじゃないか、と私は思います。
ただでさえつらい人生なのだから、夫婦とか家庭には、少しでも多くの笑顔があったほうがいいんじゃないか、と思います。

よくお笑い芸人のかたがモテる、と言いますが、一緒にいて楽しい人、こういう人も、人間としての人間力、「体力」のある人なのかもしれないです。

恋愛の出会いのキラキラした時期に、強く深い絆を、パートナーシップをしっかりと組めば、その後の人生の困難を、力を合わせて、乗り越えていくことができると、私は思います。

世の中には、選択の自由があって、「気楽だけど孤独な独身」を選ぶことも、人生の選択だと思います。

私自身は、「煩わしいけれども、にぎやかな、結婚」という選択を選びました。
自分で選択したことなので、パートナシップを維持するために、いろいろな努力をしています。

最近、ツイッターで見かけた言葉で、「結婚なんて、いずれ数年すれば、熱が冷めてしまうもの」ということに関して、興味深い意見がありました。
それは、「なんにもしてないのにパソコンが壊れた」と言っている人と同じことで、「何かし忘れてる」か、「何かしすぎている」か、どちらかなんだよね。
という言葉です。出所がわからなくてごめんなさい。
でも、結婚って、そういうことじゃないかな、と思います。

出発は恋愛のときめきや一目ぼれだったかもしれないし、あるいはお見合いや紹介、婚活、という人もいると思うのですが、その後の、「するべきこと」「してはいけないこと」を、努力して、維持しているか、メンテナンスしているか、っていうことは、とても大事なんじゃないかな、と思います。

どちらにしても、より幸せになるために、人生の選択をしていくのではないか、と思います。

ぼくより。
ぼくもそう思います。



2016年5月9日月曜日

2016夏の参院選の争点をどうするか、ということ。

ゴールデンウイークも、明けた。
いよいよ、夏の参院選に向かって、スパートである。
公示日は、6月22日、投開票日は7月10日である。
梅雨の期間の選挙となるが、毎回、参院選というと、梅雨と真夏に重なる、熱い熱いこの季節である。

今回の選挙では、いまだ争点が明確に定まらない、と言われている。
昨年から、反安倍政権に関して、たくさんの声があがっている。
安保法案の採決の際には、国会議事堂前に、たくさんのデモが押し寄せた。
国民的議論となっている。

私たちは、今回の参院選の争点について、長時間討論し、吟味した。
そして、考えたのが、以下のようなことである。

ひとつは、安保法案に関する「盛り上がり」が、下火となっていることである。
私の自宅近所でも、昨年から今年にかけて、玄関に「アベ政治を許さない」という例の書体のポスターが貼られていたが、4月にはいってから、撤収されている。
これはもう、「反安倍」の世論が、終わってしまったということを意味していると思う。

また、それに関して考えると、安保法案の是非についての討論は、議論が出尽くしている。
昨年も、安保法案の採決の直前では、野党側で、質問することが何もない状況だった。

今から、再び安保法案の討論をしても、同じ論議の繰り返しになる。
そうなると、政治や選挙に関して、「飽き」が生じてしまう。

選挙は、充分に討論を戦わせたのちに、国民からの審判を「待つ」ものではない。
選挙は、充分に勝てる作戦を立てて、勝つための闘いをするものだ、と私たちは思う。

勝つためには、女性票と浮動票の行方が、勝負を決するところとなる。
近年、投票率は年々下がっていて、有権者人口の半分にも満たない状況である。
また、今回の選挙からは、18歳選挙法が施行される。
そうしたときに、いかに国民を巻き込んで、政治の渦に入ってもらうか、そして、女性票をどのように動かしていくか、ここが、大事なポイントになってくると私は思う。

私たちは、民進党を応援している。
そして、政権交代をめざしている。
そうしたときに、人口の半分である女性票の動きが、すべてを決すると言っても過言ではない、と私は思う。

また、これは、朝倉聡子が、なんとかこうはできないか、と願っているところであるが、近ごろ、女性たちが、声をあげ始めている、と思う。
テレビニュースでも、女性アナウンサーが、たくさん出てきた。
これは、今年4月からの動きである。
インターネットのニュースでも、日曜日の早朝であったり、平日の昼間であったりするが、女性メディアジャーナリストが、声をあげ始めていて、その声を消すのがむずかしい状況である。

しかし、女性たちは本当に本気で、政治に参画する気持ちがあるのかどうか。
私は、「やれるもんならやってみろ」とは言わないが、一度やらせてみたい、と思ったのである。
これは、私個人の考えというか希望と期待である。

新聞各紙で、論説や社説で、識者からも、さんざんに叩かれながら、議論を深めていくということが、本当に女性たちにできるのだろうか。
政治に参加して、法案を作り、その法案を通すまでの道のりは、茨の道である。
その道を、がんばり通すことができるのかどうか。

女性たちが本当に、この茨の道を通ることができて、女性の意見を法律として成立させられるようになったら、本当に、この世の中は、変化していくと思う。

女性たちが声をあげ始めたのは、ただの不満なのか、それとも建設的に、政治を進めることができるのか。
政治的に目を開いてきた証拠なのか、私は、女性たちに「やらせてみたい」と思ったのである。
それで、主人にお願いして、こうした考えを聞いてもらったわけである。

まだもう少し、争点を決めるまでに日にちがあるようである。
よくやりとりして、メディアの世論形成の作戦と共に、一緒に戦っていきたい。



2016年5月7日土曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第5週「常子、新種を発見する」感想。

4月から始まった「とと姉ちゃん」も、第5週目。
ゴールデンウイークまっただなかの放送週だった。
こうして、半年間も同じドラマを観続けていると、祝日の週もあれば、雨の続く週もあり、また晴天の週もある。
ゴールデンウイークでお出かけした人にとっても、録画して観る、という選択肢があるから、続けて観ることができて、本当にうれしい。

考えてみれば、5週間もたって、物語はスローな進み方をしている。
常子が子ども時代から始まって、お父さんが亡くなって、東京へ来て、と、なんだかそこまでである。
でも、日々の心模様が丁寧に描かれていて、まったくあきないドラマ進行である。

15歳、女学生の迷ったり戸惑ったりしながら、ひとつひとつ乗り越えていく、その小さな体験の積み重ねが、のちの常子の、「あなたの暮らし」出版への、道筋になっているのだろう、と思う。

今週は、「初恋」というテーマも出されてきた。
お相手は、帝大生で、植物の研究をしている青年である。

常子がのちに、「あなたの暮らし」で、男女平等のパートナシップを持つことになる、天才編集長・花山氏とは、どのようにつながっていくのだろう?と思わせるところがあって、先の展開も含めて興味深い。

もともと、初恋、というのは、娘さんにとって、父親の影響が大きいと言われている。
結婚相手も、父親ととてもよく似ている、と通説として言われている。

自分の場合はどうかな?と思わず考えてしまう。
むしろ、「お父さんとはまったくちがうタイプの人がいい」と強く思っていたように、私は思う。
でも、結婚してみたら、周りの人から、「お父さんとダンナさん、そっくりね」と言われて、「そんなはずはなかったのに…」としょげかえる(?)状況である。

さて、常子の場合は、どうだろうか。
出会った青年、星野武蔵は、まず「武蔵」と書いて「たけぞう」と読むあたりから、父親・竹蔵を想像させる。
そして、たとえば森田屋の大将・宗吉などは、江戸っ子のがらっぱちであるが、それと対照的に、星野さんは、優しくおとなしい印象がある。
植物の研究もしているし、まさに「草食系男子」というところだろうか。

父・竹蔵も、家族に対して、敬語でお話しするような、紳士的で温和な性格だったので、やはり常子は、父の影響をもろに受けているように思える。

しかし、男性というのは、誰もが、森田屋の宗吉のような「男の世界」「男のやり方」というのを、持っているのではないだろうか。
そして、女性たち三人姉妹と母、という家族から見ると、この「がらっぱちさ加減」というのは、ひょっとすると、男性への恐怖心になりかねないほどの、荒っぽさがある。

そこに、奥さん(ファブリーズの人だ!)と、かわいらしい娘さんが花のように寄り添っているのだから、家族というのは不思議なものである。

この宗吉は、常子たち四人家族に関しても、一家の大黒柱の役割を果たしているように思える。

でも、実際に竹蔵が生きていたら、父親というのがそこに厳として存在していたら、娘の常子は、男の子を、家に連れてきたり、ごはんを作ってあげたりは、できないはずである。
このあたりは、母子家庭の、一般家庭とまったくちがうところなのだろう、と思う。
もし父親が生きていたら、水か塩をかけられて「帰れ」と言われたか、あるいは、常子が、「女学生なのに、まだ早い」と、がっちり叱られたところだろうと思う。

母子家庭において、女の子の育て方や、あるいは、思春期になってボーイフレンドができたときに、どのように対応するか、このあたりは、考えさせられるところである。

結局のところ、この初恋は、なんらかのいきさつで「実る」ということはなく、常子は、大人になっていくことになる。
ここで、初恋で痛手を受けて、「もう結婚なんてしない」という経験になっていくのか、それとも、初々しい、キラキラ輝くような恋愛を体験して、「男の子っていいな」「男の子と付き合うと、面白いことや、楽しいことが、いっぱいあるな」と思っていくのか、そのあたりが興味深いところである。

私は、男の子、というのは異性であり、異文化であるから、自分と同じものだけを仲間だと思ったりするのではなくて、知らない人、知らない性質、わからない考え方、わからない価値観を、わかろう、理解しよう、とがんばることは、大事なことだと思う。

男性と女性は、しょせんはちがう生き物なのかもしれないが、その異文化を、「わかろう」「理解しよう」「仲良くしよう」と、すごくがんばったときに、異文化との交流から、素敵なものが生まれてくるのではないか、と思う。

その「素敵なもの」というのは、これまで見たことのない世界だったり、これまで見たことのない知識だったり、あるいは、これまで体験したことのない、自分自身の感情だったりするのかもしれない。

そして、今週の常子がそうであったように、これから一生、生きていくときの、自分自身のポリシーとなるもの、「ごはんをきちんと食べよう」という、信念、自分自身を、発見するものなのかもしれない。

私は、森田屋の宗吉みたいのを、おそれずに理解しあいたい、と思うし、そうしたときに生まれる、キラキラした感情、発見、好奇心、というのを大事にしたい。
もう一歩踏み込んで、男性たちの世界を嫌わずに、おそれずに、互いに歩み寄りたいものだ、といつも思っている。

それが、私自身が初恋や結婚や父親から、体験して得てきた大切な宝物だ、と思う。

新しい発見をさせてくれるドラマ「とと姉ちゃん」。来週も期待して観ています。



2016年5月5日木曜日

NHKドラマ10「コントレール~罪と恋」感想。

ゴールデンウイーク、いかがお過ごしでしょうか。
今年のゴールデンウイークは、テレビやオンデマンドで、ドラマ三昧、というかたも多いかと思います。
テレビドラマは、手軽で無料の楽しみです。
私は、テレビドラマが大好きです。
もともと、映画が大好きなのですが、テレビドラマを好きになった一番の理由は、北海道にいたからかもしれないです。
というのは、真冬の猛吹雪の日が三日も続くと、テレビが一番のお友達になるからです。
テレビは本当に、楽しい友達です。

きょうは、「コントレール」というドラマの再放送を見ました。
昼の「とと姉ちゃん」のあと、ニュースを5分間見て、そのあと放送がすぐ始まったので、なんとなく見てしまいました。

脚本家の、大石静女史は、「セカンドバージン」で、社会現象を起こした、たいそう実力のあるかたです。
今回も、女性たちのリアルなニーズに応えて、このドラマを書きおろしているそうです。

このドラマの設定は、非日常的で、小説にするなら、純文学というより、サスペンスになるかと思います。
日常的に体験できることではないので、そのぶん、エンタテイメント性が強く、本当に実力派だ、と感じさせるほど、うまくできている、と思いました。

でも、このヒロイン、文、の「男性とのお付き合い」は、恋ではなくて、癒しを求めているのではないか、と思います。
夫を事故で亡くしているのだから、心が深く傷ついていて当たり前です。
そういう状態のときに、成長や幸せを求める、発展的な恋ができるか、というと、何か精彩に欠ける状態に溺れていくようです。

こうした、退廃的なドラマを、NHK、という受信料を払っている公共放送で放映するのだから、良家の奥様たちが、内密な情熱を持っている奥様たちが、他の局の昼メロなら見ないけれど、「NHKでいってるんだから、いいんでしょう」ということで、夜の放送ながら、録画をしかけておいて、昼間、ダンナも子どももいないところで、こっそり見るんじゃないか、と思います。
NHKも、立場や責任を、もっとわきまえるべきじゃないか、と思います。

しかし、脚本としてのレベルは、とても高いと思います。
大石静女史は、次には、日テレで、結婚したばかりの北川景子さんを主役にして、新しいドラマを企画しているそうですから、これが期待されます。

それにしても、45歳で、訳ありの「恋」。
これは、「コントレール~罪と恋」ではなくて、「コントレール~罪と更年期」以外のなにものでもない、と思いました。

しかし、子どもがホモ、っていうことが、この世の中にはあるんですね。
お母さんがたの苦労って、本当にいろいろあるんだなぁ、と思います。
これは、切実ですね。


☆追記
それにしても、薄幸な女性って、本当に、「男を見る目」がないですよね。
私だったら、あの男らしい刑事さんと結婚して、再出発しますけどね。



2016年5月4日水曜日

安倍昭恵さんへ。思うこと。

こんにちは。
初夏の候となりました。
いかがおすごしでしょうか。
いくつか、お伝えしようと思うことがあります。
まず最初に、私たちの子どもたちに関しましては、どこの著名人、芸能人のかたもそうでありますように、子どもには子どものプライバシーと将来がありますので、ここでは触れないことにいたします。

次に、フジテレビの月曜9時のドラマ、いわゆる「月9」というものに関して、お伝えいたします。
私はこれまでも、長く、フジテレビの月9ドラマを観てきましたが、こうして、児童養護施設出身の役があるとか、障害を持った役がある、ということは、ありませんでした。
これが、どうしてこういういきさつになったのか、不思議に思っておりました。

つい先ごろ、これがどうしてこういういきさつになったのか、だいたいのところ、わかってきました。
いろいろ考えましたけれども、こうしてまとめてみます。

戦争が、男性の性質の肥大化したもの、だとするなら、母子、というのは、女性の本能の肥大化したもの、といえるかもしれないです。
男性の性質も、女性の性質も、生まれながらに授かったものであり、自然なものですが、権力と一体化すると、なにか尋常ではない方向に向かうように思います。

今年2月には、戦争を強引に押し進めようとする、安倍総理大臣の動きを、止めることができました。
これは、たくさんの人々の力、民意であります。

そしてそのあと、非常に活発に、「女性の権利」ということが、メディアで報道されるようになりました。
これは、一般的な「女性の権利」ではなく、特に貧困の女性、貧困状態にある母子に限ったことのようです。

私と主人は、これまでこうした問題「にも」真剣に取り組んでまいりましたが、以前申し上げました通り、貧困というのは、人類の根源的な課題です。
また、もしも国家予算を使って、こうした「かわいそうな」母子に、お金を渡すのならば、正規に国会を通さなければなりません。

どんなふうに民衆運動をしても、どんなふうに市民運動をしても、国家予算をおろすには、国会を通さなければならないのです。
そうしたところで、昭恵さんの「やり方」は、筋が通っていないのです。
筋が通らないから、実現しないのです。

総理大臣の権限でどうかなるか、といえば、多少はどうかなるかもしれないですが、予算に関してだけは、国会の予算委員会で、多数決で決めなければなりません。

そうしたところを、よくご理解できていなかったので、総理夫人としての、「活動」が、うまくいかなかったのではないか、と思われます。

また、貧困ですとか、障害ですとか、そういった「目に見えてかわいそうな人」にだけ、あれこれと手当をするのは、センチメンタルな女学生にも似て、偏っています。
一国のトップとなれば、大局的な視野にたって、国民全員のことを考えなければなりません。
そうしたときに、「かわいそうな子どもたちにだけ」目をかける、ということ、そればかり考えている状況では、とても総理大臣の妻は務まらないでしょう。
要するに、政治がわかっていなかったのだと思います。

私は、先日、インターネットでたまたま、著作に関する対談を読みました。
安倍昭恵さんは、お子さんが授からなかったので、それに関してのひとつの代償として、「使命」をお持ちになった、ということです。
そして、首都圏の児童養護施設を訪問している、ということです。

それで、フジテレビの月9、たくさんの女性たちが、楽しみに観ているテレビドラマの時間帯に、女性から人気絶大の俳優をもってきて、障害者のドラマを作らせた、ということなのですね。

私も、以前、権力の中枢に着く以前は、テレビドラマの感想を書いていたことがありました。
今でも、書いています。
しかしそれは、皆様が楽しければ、という思いで、書いているものです。
みんなが楽しくて、話題になって、時には人生を考えたり語ったりできる、そんな場を、作ることができたら、という思いで書き始めました。

また、私のブログの読者の皆様には、男性のかたが多いので、男性に、女性の生活リズムを知ってほしい、という思いがありました。
国民の皆さん、女性の皆さんは、こうして朝の支度の時間に、15分間のドラマを楽しんでいるんですよ、一緒に観てみませんか、という気持ちでした。

しかし、安倍昭恵さんは、ご自身の「使命」と確信しているもののために、テレビドラマを使っているのですね。
つまり、子どもを授からなかった代償として、権力を使って、母性本能の肥大化したものを、触れ回っているんですね。
そうした目的で、テレビ制作に口を挟むのは、よくないことです。
立場というものがあります。
ほかの人が、感想を言ったり、要望を言ったりするのとは、わけがちがいます。
これからは、こうしたことは、やめましょう。

テレビドラマ制作の皆さんも、聞いてください。

私は、楽しいドラマ、質のよいドラマ作りのため、あるいは、ただ楽しんでもらえるなら、喜んでもらえるなら、ということで、ドラマの感想を書いてきたのです。
決して、強要はありませんし、まして権力として、介入する気持ちはまったくないです。
でも、私が何か書くと、ドラマも視聴者も盛り上がって面白い、というなら、それは、これからも、一緒に楽しみながら書いていきたいと思います。
どうでしょうか?

安倍昭恵さんはこれ以上、肥大化した本能を満たすために、「かわいそうな人」の援助を、行うべきではないと、私は思います。
政治家の妻として、しっかり務まらなかったことの責任をとって、きちんとした形で、身を引くことが大事なのではないか、と思います。

そうしたわけで、安倍昭恵さんをバックにして、私と主人と、私たちの仲間たちに対して、異常なまでのバッシングをしてきた人たちに、申し上げますが、やめましょう。

しかし、「真田丸」は、面白いですね。
実話を基にしているところがあるんでしょうか。
私たちの騒乱を、ドラマに仕立てるあたりが、製作者としても、芸術家としても、見事だと思います。

歴史的に見ても、政治に騒乱が起こるときに、芸術が発達しているようです。
リアリティがあるから、視聴者の人たちにとっても、本当に映像文化は、のめりこめるくらい、すごみを増してきましたね。

正直、私は、楽しんでいます。

そういうわけですので、これからも、私がドラマ感想を書いたほうがいいと思うなら、そのようにお申し付けください。
でも、きっと、もっと自由に、芸術をしていきたいのではないか、と思います。
そうだとしたなら、このあたりで、安倍昭恵さんも、私も、身を引くことにいたします。
どうぞ、考えてみてくださいね。

では、またね。
ゴールデンウイーク、いい季節ですね! 楽しみましょう!!!


参考 安倍昭恵さん対談 → http://www.bookbang.jp/review/article/509688

2016年5月2日月曜日

好きな人に好かれるために。

俺は、聡子ちゃんのことを見つけてから、一年間はプロポーズまで準備した。
俺はな、もっともっと、聡子ちゃんのことを知ってから、いろいろと近づこうとした。
しかし、聡子ちゃんは、俺のことに気が付かなかった。
俺は、遠くから見守っていた。
俺は思う。
高嶺の花になるべきだ。
彼女のことを、誰かほかの男に取られたら困る、と思って、俺は、焦った。
しかし、焦りは禁物、と思い、じっくりと近づいて、罠にはめよう、と思った。
できるだけ用心して、嫌われないように、そして、気づかれないように、そっと近づいていった。
男というものは、一度狙った獲物は、できるだけ離さないようにする。
せっかく俺の嫁さんになってくれたのだから、困らせないように、泣かせないように、できるだけ優しくする。
そして、嫁さんの好きなものは、なんでも手を出して、やってみる。
たとえば、ドラマが好きだといえば、ドラマを一緒に観る。
これは、嫁さんがひとりで楽しそうに観ているのが、気に入らないからだ。
それで、「おい、一緒に観よう」と言う。
しかし、嫁さんは、「わたし、ひとりで観る」と言ったりする。
そうすると、俺は困る。

俺は、嫁さんが、お料理をしているので、俺もお料理を覚えて、一緒にキッチンに立つようになった。
大事な嫁さんだから、女の子に、火を使わせるわけにいかない。
洗濯も、お食事の支度も、俺がやる。
奥さんは、きれいに着飾って、上品にお座りをしている。
まるで、猫ちゃんみたいだ。

しかし、ここは譲れない。
俺は、女性は社会参加すべきだ、と思う。
仕事を持つべきだ、と思う。
おうちでエプロンをつけて、おままごとをしているだけの人生では、彼女のためにかわいそうだ。
生きがいがある人生、ライフスタイルを送ってほしい。
彼女には才能がある。
その才能を、みんなの前に、堂々と出すべきだ。

俺と彼女は、戦った。
彼女は、おうちで専業主婦になりたかった。
内助の功を果たす、と言った。
教育理論も勉強して、家事も完璧にこなせる女の子だ。
ファッションセンスもいいし、お化粧もきれいにできる。
いつも身だしなみはきちんとしているし、お部屋もきれいに片付けることができる。
それは、うちの奥さんが、いい奥さんになりたいと思って、独身時代から、訓練してきたからだ。
うちの奥さんは思っていた。
「男と言うものは、結局は、奥さんに家にいてほしいものだと思う」そう言っていた。

俺も実は、奥さんが仕事で活躍するようになったら、ちょっとだけやきもちを妬いた。
しかし、俺は、乗り越えてきた。
それは、奥さんのことを、心底好きだったからだ。

何しろ、丸々一年もかけて、計画を練りに練って、公然とした仲になったわけだ。
そう簡単に手放すわけにいかない。
それなので、乗り越えることにした。

正直、奥さんが男のように仕事をするのは、耐え難いこともあった。
また、俺よりも、奥さんのほうが、えらくなって、俺はちぢこまった。
でも、それも乗り越えてきた。
なぜ、乗り越えられたか。
それは、奥さんの優しさと努力のたまものだ。

俺が困っているとき、奥さんはいつも、とても優しかった。
それに、すごくダメになっているときには、叱咤激励もしてくれた。
正直、ぶっとばされるくらい、叱咤激励された。
俺の奥さんは、優しくて、強い女性である。

男勝りというのではない。
男に負けないくらい、言い返せる、そういう度胸があるのである。

ぼくは、正直言って、男をものにしよう、とする方法をなんとか彼女から聞き出したい、と思う女性は、あまり好きじゃない。
なぜかというと、男をハンティングしようとしているからだ。
うちの奥さんは、俺をハンティングしようとはしなかった。
俺が、奥さんをハンティングしたのである。

おわり。

フジテレビ新しい月9「好きな人がいること」の制作発表を見て。

昨夜5月1日、インターネットで、フジテレビのドラマの制作発表が行われた。
「行われた」といっても、バラエティ番組のトークのような、うちとけたかんじだった。
7月からの夏ドラマ、そして、フジの恋愛ドラマ、ということで、すごく楽しみに見た。
「こんなふうに、ドラマって出来上がっていくんだ~!」と、とても楽しいかんじがした。
どうもまず、俳優と女優さんが決まって、それから、「海ロケ」が決まったようなかんじだ。
夏のドラマで、海や海辺のロケ、それから、海辺のレストランのロケ、と、大枠が決まった、という段階であるようだ。

こうして、綺麗で素敵で、まだまだ若くてはつらつとしている女優さんと、まだまだできあがっていない、というかんじの若手の男性俳優さんとを並べて、そこからドラマが始まるらしい。

ドラマ制作って、本当に楽しそうだ、と思う。
才能でいっぱいの彼らを自由に動かして、夏のドラマを作る、ということなのだろう。
私もやってみたい!と思ったぐらい、素敵だ。

海辺のレストランが舞台となるようである。
このレストランを経営しているのが、三人兄弟の長男である。
今の時代に、海辺の一等地にレストランを持っている、ということは、親からもらった財産で起業したか、あるいは、親の代からあるレストランを受け継いだか、というところだろう。
それで、まずは採算の取れる経営を、ということで「お金」にはこだわる長男なのではないだろうか。

次男は、天才シェフ、ということである。
味にはとことんこだわる、食材選びにはお金に糸目をつけない、というこだわり派なのではないだろうか。
これは、長男の経営論とは、対立しそうである。

三男は、お調子者でモテモテ男子だそうである。
お気楽な性格からも、人間関係が広そうで、そのぶん、レストランの経営に関しては、「サービス」といった点で、「もっとサービスでお客さんに奉仕しようよ」というようなことを主張しそうである。
これも、長男や次男と対立しそうである。

こうした三人兄弟のなかに、主演のヒロイン桐谷美玲が飛び込んでいく。
ヒロインは、パティシエをめざしていて、いつか自分のお店を持ちたい、と夢見ている。
この三人兄弟から、何かしら学ぶところがあるのかもしれないし、この三人に、「夢」を思い出させる役割というのも、あるのかもしれない。

そして、夏の海である。
「みんな重い見えない荷物 肩の上に 抱えてたわ」
だからこそ精いっぱい輝いているから青春時代なのかな、と思う。

きらめく夏の海、お祭り、花火、恋、仕事、将来、夢と希望と挫折、
たくさんの宝物が「好きな人」という言葉に、込められているような気がする。