スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

1月, 2019の投稿を表示しています

ほかの記事も、読んでみてね!

右上の三本線を、クリックしてみてください。
ラベル(カテゴリー)がでてきます。
これまでのブログ記事を、見ることができます。
よろしくお願いします。

「人生がときめく片づけの魔法」を読んで。 2011年7月5日

「人生がときめく片づけの魔法」を読んで。
三日間で、一気にというより、味わいながらじっくり読んだ本でした。
筆者の近藤麻理恵さんも、私と同じく『「捨てる!」技術』(辰巳渚著・宝島新書)に衝撃を受けた人のひとりで、あの「片づけ法」を実践したかたでありました。
私自身も、「捨てる」の技術では目からうろこが落ちたというか、片づけに開眼したところがあり、以来、自分なりの「捨てる」基準や、収納法を、割合に身近に体験していた人間だということがわかりました。
そして、人々の暮らしが豊かになり、「モノ不足」に悩まされたりしない現代社会において、ますます「モノ」と自分、「モノ」と生き方が、追究され思索され、ときには哲学される時代になった、とはっきり認識しました。
近藤さんの、「モノ哲学」「モノ感性」には、本当に脱帽します。
そして、実用的なものを残すこと(捨てるものを選択するというより、残すものを選択して整理整頓を実践していく)のではなく、「感性にまかせて、ときめくものを残す」という点で、この本は他の類書とはちがう個性を放っているように思いました。
私自身を振り返ってみれば、近藤さんに伝えたいくらいのうれしさですが、「捨てる技術」を実践して、空いたスペースに、「大好きなものを集める引き出し」を作っていました。
それは、特別に実用的なものでもないし、今すぐ使うものでもないのですが、気に入って買って、もったいないからつかわない、小花模様のがまぐち、とか、屋台で販売されていたガラスのおはじき、とか、大事に使っていたけれど機種変更でお役御免になった思い出の携帯電話などが入っています。
そして、その「大好き引き出し」をときどき眺めては、ときめいています。
先日、買い物に行って、そのときは髪飾りを選んでいたのですが、
「人は案外、ときめくものを残す以前に、ときめくものを購入していないのではないか?」という思いを持ちました。
私が一目でときめいたのは、赤いギンガムチェックの髪飾りでしたが、
それを買おうかどうか迷ったときに、隣に置いてある、ベージュの飾りを手に取って「こちらのほうが、着る服に合わせて応用が効くかしら?」つまり「無難かしら?」と考えてしまったのです。
人は案外、買い物をする段階において、「モノ」と対峙していて、ときめきや感性でモノを選んではいないのかもしれないです。
また、近藤さんがおそらくは生まれついて都会の…

「捨て・捨て」ブームに思う・その2・建設 2011年6月13日

「捨て・捨て」ブームに思う・その2・建設


前回、「捨てる」という行為を中心に書いた。次の段階を考えたい。


私自身は、家や部屋から不要物を排出した際に、
それらをどういった方法で処分するか、という点については、
ここでは論じていない。
その点をご了承いただきたいと思う。
その問題については、また別の機会に言及したい。


「捨てる」という行為には、目的がある。
家、部屋というのはもともと、住人が、
衣食住の生活を行う基盤の場所である。
その場所を整え直すために、
まず、「捨てる」という行為を行う。
それは、ひとつの「リセット」と呼べるかもしれない。


人間は生きていると、定期的に、「節目」に遭遇する。
それは、小さな子どもにとっては、
「幼稚園の入園」かもしれない。
乳幼児期に必要だった哺乳瓶とベビーベッドは手放して、
幼稚園バッグと、新しい靴を用意する。


彼らの居心地のよい部屋には、
幼稚園バッグと、新しい靴とが並べてあるにちがいない。
居心地のよくない園児の部屋にはまだ、哺乳瓶がころがっているかもしれない…。


「捨てる」という行為のあとには、
大切なもの、「今の自分に必要な暮らしの品々」を集めて、
使いやすく並べて、部屋を作り直すという、「建設」の行為が行われる。


scrap & build 、わたしの好きな言葉である。
いつも「今の自分」の居心地のいい、家づくり、部屋づくりを心掛けたい。
人生の節目には、部屋を建設することが、必要である。

「捨て・捨て」ブームに思う。その1  2011年6月11日

「捨て・捨て」ブームに思う。


物を捨てることが、ひとつのブームになっている。これについて考えたい。


物を捨てるための、手法やアドバイスを書いた本が、
何種類も出されて、評判になっている。
実際に実行する人もたくさんいるようだ。


「片づける」
「収納する」
「整理する」
のではない。
「捨てる」のである。


それほど、現代の日本人は、物にあふれているのか。
物が多すぎて困っているのか。
きっと本当に困っているのだ。
そして、何をどう捨てればいいかわからない。
判断に困っている。


考えてみれば、わたしたちの親の世代、
そのまた親の世代は、
戦後の高度成長期を生きてきた。


物がたくさん発明され、作られ、売られ、買われてきた時代である。
歴史を振り返ってみて、これほど短期間に、
次々に新しいものが発売された時期もないのではないかと思える。


飽食の時代になり、栄養価という価値が模索され始めた。
「モノ」に関しても、ようやく飽和状態になり、
持つ「モノ」に関してその質や感情の価値を、
模索されるようになったように思う。


「捨てる」ことは、
なにか大切なものを選んで「残す」ことでもある。


さあ、あなたは何を手の中に残しますか?
それぞれが、問いかけられている時代なのかもしれない。