2016年9月24日土曜日

「女性が活躍する社会」は、誰が作るのか?

「女性が活躍する社会」は、誰が作るのか?

こんにちは。朝倉聡子です。
きょう、今さっき、主人と話し合っていました。
主人は、私の「とと姉ちゃん」の感想を読んで、「とてもいいね」と言いました。
「でも君、女性が活躍する社会を作るんじゃないの?」と言いました。
それで、誤解に気付きました。

私は、蓮舫さんの、民進党代表選での演説を聞いて、本当にガッツのある、やる気のある、素晴らしい演説だと思いました。
そして、蓮舫さんが、特に子育てや高齢者の介護について、女性がのびのびと働ける社会を、と言ったので、同じ女性として、応援しよう、という気持ちになりました。

でもそれは、あくまで、後ろからバックアップする、という意味の応援です。
私が、「女性が活躍する社会」を作ろうという意味ではないです。

私が政治の仕事をしてきたのは、女性のためとか、自分のため、というわけではないです。
特に、自分の利益とか、女性だけの利益だけを追求するような政策は、言ったことがないです。
私は、広く、社会のため、男性女性に関わらず、人のため、に、政治的な意見を言ってきました。
自分の利益を主張したことは、まずないです。

私は、一生懸命がんばってきました。
女性が、この男性社会のなかで、実力を持って、成功するには、たくさんの苦労があり、工夫があり、悩んだり苦しんだりしながら、がんばるものだ、と思います。

蓮舫さんはじめ、女性の皆様が、がんばる気持ちがあるのなら、後ろからバックアップしますが、私が先頭に立って、女性たちのために、環境を作ってあげようとは思っていないです。

もともと私は、「女性だけのために」という考えは、偏狭ではないか、と思うことさえありました。
政治家なら、日本国全体のことを、男女関わりなく、考えて手を差し伸べるべきではないでしょうか。
また、政治家の仕事としては、国際関係、外交関係もあります。
そうしたことを、幅広く、政治していくことが、大事です。

私自身は、これから、朝ドラマの感想の連載が終わったら、しばらく休養する予定です。
そして、今後も、国際関係や、日本国全体の政治を見渡して考えていくつもりです。
私自身は、これまでもこれからも、特別に女性だけのため、という政治は、しないです。

女性が活躍する社会は、女性たちにやる気があってこそ、現実になるものです。
誰かに作ってもらおう、というような「甘えた」考え方では、いつまでも「ただの女の子たち」と言われちゃいますよ。

何かを実現したいと思ったら、まず自分が、先頭に立って、がんばりましょう。
ね。
ではでは。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第25週「常子、大きな家を建てる」感想。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第25週「常子、大きな家を建てる」感想。

半年にわたる、長い物語の、幕が閉じられようとしている。
今週は、これまでの放送を振り返るようなシーンも多かった。
ヒロイン・常子も、人生の後半生を迎えている。

これまでずっと一緒だった、母・君子が亡くなった。
そのとき、常子は44歳である。

母、というのは、年齢がまだ若いころは、対立したり、反抗したりする相手である。
常子たち姉妹の場合は、父が早くに亡くなったために、母と三姉妹が結束して人生と社会に立ち向かうしかなかった。
そのためか、母親に反抗するような場面は描かれなかった。
その母と三姉妹の結束の象徴のように、常子が大きな家を建てたときには、三姉妹とそのお婿さん、そして生まれてきた子どもたちも一緒の、大家族となる。

大きなリビングに、みんなで集まって食事をとるシーンは、本当にほほえましい。
こんな大家族を作ることができること、自分と家族の「居場所」を作ることができたのは、母・君子の、家庭構成力によるものかもしれない。

あたたかい言葉、あたたかい食事、社会の荒波に出ても、帰ってくれば、そこに居場所があり、笑顔があること。
母・君子が作っていたのは、そうした、社会から逃れる避難所であり、そして、子どもが成長し、男性たちが癒される、「帰り着く場所」であったと言える。

女性が、社会に出て働くことは、とても素晴らしいことだ。
そのために、家庭構成力が落ちてしまうのは、残念なことではないか、と思う。
大事なのは、バランスであると思う。

もともと、癒しやあたたかさ、安らぎの言葉と雰囲気、というのは、女性に特有のものかもしれない。
もちろん、男性でも癒し系の性質を持っている人もいるとは思う。

でも、家庭と仕事の両立というときに、女性にとって一番むずかしいのは、「社会の顔」と、「家庭の顔」の、スイッチの切り替えではないか、と私は思う。

社会に出れば、男性と同等に戦力として仕事をしなければならない。
それは、ライバル社との競争でもあるかもしれない。
その勢いや「よろいかぶと」を付けたままで、家庭に帰ってきたときに、平穏と調和を醸し出す、家庭構成力を発揮できるか、というと、とてもむずかしい。

母・君子が常に持っていたのは、平穏な家庭の雰囲気のムードメーカーという役割である。
そのムードを醸し出す力の強さは、それぞれの女性によって、少しずつちがうものかもしれない。

君子それ自身が、家庭そのものだった、と言えるのかな、と思う。

その君子が、73歳で亡くなった。
充実の人生だったと思う。

常子は、以前から、「常子さん自身のファンもついたことだし、何か書き始めれば」と、花山から進言されていたとおり、エッセーを書き始める。
人生も後半戦になって、新しいことを始めること、新しいことに挑戦する、この姿勢は、とても見事なことだと思う。

亡くなって初めて気づく、母の人生、ひとりの女性の人生の、「幸せ」について、常子は、「小さな幸せ」という題名で、エッセーを書き始める。

誰もがそうかもしれないが、人生の後半になると、姿形が母親と似てくることもあって、自分の人生と、母の人生を、そっと重ねるようになる。
そして、今生きている自分自身は、まぎれもなく、母から教わったすべてのことから出来上がっていることに、気づくものである。

気づくのかもしれないが、素直に受け入れるのかもしれない。
時には、母親ゆずりの性質を、褒められたりうらやましがられたりするのも、この年齢なのではないか、と思う。

それも、家も建てて目標を完遂したからこそ、「お母さんのおかげです」と言えるものなのかもしれない。
成功はたくさんの感謝を生み出す。

そうして、母から受け継いだ、ひとつひとつのことを、仕事に、エッセーに伝え残していく。

常子が、エッセーを書き、そして、社内で女性に対して親切に優しくするのも、その時代にめずらしく、女性が働きやすい会社を作るのも、すべて母の気持ちに寄り添っているからなのではないか、と思う。

後輩も増え、部下も増え、責任も大きくなり、仕事はますます多忙となっていく。
そのなかで、常子は、人生そのものを考え、女性の幸せを考え、それを後世に、つまり自分がいなくなったあとにも、残す形へと、これまでよりもっと大きな「残す」という方向へと、進めていく。

高齢化社会といっても、年齢は、本当は、若いころからの積み重ねの結果かもしれない。
子どもにとって、社会は機会平等であるべきだが、その機会を、どのように生かせたかは、高齢になって、結果が出る、ということではないか、と思わされる。

君子の人生のその終わり方も、充実も、常子の人生の充実も、若いころから一生懸命、丁寧に生きてきたことの、積み重ねであり、結果である。
年齢を重ねたらもうあとは結果だけ、とか、高齢者に機会はない、とか、いうつもりもない。
ただ私は、半年間、ヒロイン常子と一緒に、悩み、考え、行動してきて、やはり、人生の後半生は、結果を受け取るときなのではないか、とも考えさせられた。

ドラマもあと一週間の放送である。
どんなふうにしめくくりを描くのか、楽しみに、大事に大事に、時を積み重ねたい、と思う。


2016年9月21日水曜日

高齢化社会を考える。

高齢化社会を考える。

これから、ますます、高齢化社会へと向かっていく。
高齢化対策は、「今、作っている政策を、自分が体験する」と思って、考えなければならないと思う。
高齢者は、他人ではない。
いつか、そうなる自分自身の姿であり、家族の姿である。
心を込めて、「わたしはこういう老後を生きたい」と思えるような、思いやりのある政策を考えたいと思う。

一昔前と比べて、自由の気風が広がって、画一化された社会の枠組みがなくなっている。
それは、いいことでもあるが、損なってしまったものも、あるのかもしれない。

人間は、家庭のなかで生まれ、家庭のなかで死んでいくものだ、と私は思っている。
その「家庭」つまり、大家族制度が崩壊してしまってから、人はさまよい始めたように思う。
子育ても、老後も、温かい家庭のなかで、というわけにいかなくなってしまった。

これからは、家庭の代わりになるものを探さなければならない。
あるいは、家庭の代わりになるものが、社会制度なのかもしれない。
ある人は、自分自身の個人の力で、子育ても老後も乗り越えようとする。
しかし、ある人は、社会の庇護なしでは、子ども時代も、老後も、豊かに生活することが、むずかしい、となる。

こうした世のなかで、すべてを自己責任とする気風は、もう終わってしまったようである。
血がつながっていてもいなくても、手を取り合い、助け合う社会が必要である、と考える人のほうが、多くなってきたように思う。

老後のライフスタイルも、個人の自由を追求すればするほど、さまざまな形に変化してきた。
個人の自由であるから、誰も干渉できない部分が多いと思う。

生き方、ライフスタイル、老後、すべてを自分で決められるようにしなければならない。

豊かな老後、というよりも、安心の老後、トラブルのない老後を、社会が、それなりに準備してあげる、というのが、母性の強い社会かもしれない。

具体的には、私はこんなことを考えてみた。
老後を「第二の人生」と呼ぶことが多い。
ということは、「第二の学校」があってもよいのではないか、ということである。

時代は次々に新しいものが発明されて、刷新されていく。
老後の生き方も、変化してきた。
そうした老後に関して、公的な、あくまで、民間ではなく、公的な機関で、平等な「老後教育」が行われたらよいのではないか、と思う。

年金や健康、医療や家事にわたるまで、老後の人生を考えるべく、学校を作ってはどうかと思う。
そして、定年退職後、半年ないし、一年の間、その学校に通って、豊かで安全な老後を、準備するのである。

「第二の学校」で、教えたいこと、教えてほしいことを、具体的に、箇条書きしてみた。
こうしたことで、豊かで安全な老後を、健康で楽しい老後を、生きていけたら、素晴らしいのではないか、と思う。


高齢者学校
健康管理の仕方。
認知症予防の仕方。
健康診断の検査値の読み方。
資産管理の仕方。
相続の仕方。
お料理、家事の仕方。
家計簿の付け方。
老前整理の仕方。
お葬式についての知識。
○趣味いろいろ試してみる。
その後、公民館教室を選んで、趣味クラブに付く。
(人は社会的な生き物なので、どこかに所属していることが大事ではないかと思う。
自分に合った趣味サークルが見つかるまで、いろいろな趣味を試してみてはどうか、と思う。ボランティアもとてもいいと思う。)

「きょういく。きょうよう」=「今日、行く」「今日、用」

インターネットの仕方。
お悩み相談。



2016年9月18日日曜日

民進党・蓮舫氏の提案について。

民進党・蓮舫氏の提案について。

先日15日、民進党の代表選が行われた。
新代表は、圧倒的多数で、女性の蓮舫さんとなった。
蓮舫さんの、代表選に向けての演説を聞いて、これからの民進党の向かう方向を、知らされたように思う。
特に「女性」「子ども」が、クローズアップされていた。
これに関して、思うところを少し、書いてみようと思う。

女性と子ども、特にとても小さい乳児をめぐる問題を、考えてみた。
具体的な法案もいろいろある。
女性からの申し出も、訴えもいろいろある。
これに関して、私は、主人と一緒に、よく話し合ってみた。

ひとつは、「子どもはだれのものか」という問題である。

子どもは、大人が、自分たちの人生の選択として、子どものある人生を選んだ、と思える。
そして、自分が産んだ子どもは、自分が責任をもって育てるべき、という根強い「思い」があると思う。

昔は、大家族制度があって、子どもたちは、その大家族の中で、村のなかで、たくさんの人たちに見守られながら育てられてきた。
そうした昔の村社会が壊れた現代において、子どもを誰が育てるのか、という課題は、「やはり親が責任をもって」とも思うところでもある。

財産も介護も、子どもが親の面倒を見る、というのが基本であるから、もしも、子どもとその母親に援助をしたとしても、社会としては、「結局は自分の子どもなんじゃないの」ということになる。

私たちは、これらの「子育てが大変であるという原因について」を追求したり、あるいは、「本来誰が子育てに責任を持つべきか」という「べき論」を、いったん取り下げてみることにした。

それくらい、女性、特に働く女性の、子育てをめぐる訴えは大きく、社会の声となって、鳴り響くようになったからである。

私は、「子どもは親が全責任を持って育てるもの」「子どもは、親のもの」というひとつの価値観を、打ち払うことが必要ではないかと思う。

そして、女性たちが懸命に訴えているように、「子どもは社会のもの」「子どもはみんなで見守って育てるもの」というように、社会の価値観を、変化させていくことが、ポイントになってくるのではないか、と思う。
「子どもは社会みんなで育てるもの」という、世論を形成するのである。

この世論が形成されたのちには、女性たちが提案する、いろいろな法案が、成立可能になってくる。
大事なのは、「子どもは社会のもの」という価値観へと、世論を変化させていくことではないか、と思う。


次に、蓮舫さんの主張に関して、具体的な法案を考えてみる。

1、働くお母さんに対して、奨学金制度を作る。

育児期のたくさんの問題に関しては、「お金があれば解決する」問題は少なくない。
地方にいる実家の両親に出てきてもらうにも、ベビーシッターを雇うにも、お金の問題は急務である。
これを、女性が、社会で働いて、出世したときに、支払うようにするのである。

2、育児の現場をもう一度調べる。
赤ちゃん用品の現状を今一度、調べてみる必要があると思う。
子ども、教育に関しては、予算を惜しまない親が増えているなかで、育児用品、ミルクや紙おむつなどは、次々に新製品が発売されている。
今と昔では子育ての方法も、道具も、変わってきた。
育児の現場で、若いお母さんたちが、次々に発売される赤ちゃん用品に混乱させられていないか、今一度よく調べてみる必要があると思う。

3、NGOの支援。

働くお母さんや、ひとり親家庭に関して、あちこちにNGOができている。
それらの活動は、それぞれが孤立していることが多いように思う。
つまり、少人数の活動にとどまっている、ということである。
これらのNGOを支援し、大きな活動の輪へと広げて、活動を大きくできるように、支援することができるのではないか、と思う。


NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第24週「常子、小さな幸せを大事にする」感想。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第24週「常子、小さな幸せを大事にする」感想。

秋風が吹き始める。
秋の稔りがある。
朝ドラでも、数々の稔りがある。
ひとつひとつ、人生の「名言」が生まれてくるのは、秋の季節なのかも、と思う。

「あなたの暮し」の商品試験に、「もの言い」がついて、新聞社の主催で、公開試験が行われた。
メーカーの人たちも集まって、洗濯機について、どんな試験をしているか、公開する。

視聴者の人々がみんなそうであったように、ひとつひとつの電化製品について、こんなふうに試験が行われていたことは、とても興味深い話だった。
常子の、永遠のライバルともいえる、赤羽根とも、直接対決となる。
アカバネの製品に、決定的な欠陥があったことは、もちろん、この勝負のポイントとなった。
しかし私は、赤羽根さんと、常子の、討論が、一番大事な、常子と「あなたの暮し」の、生き方ともいえる、「幸福観」対決だった、と思う。

赤羽根さんは、つらい戦争の体験から来た、自分自身の幸福観を持ち出す。
「お金持ちになること」「モノで豊かになること」これこそが、人々が求める幸福だ、というわけである。
確かに、戦中戦後を生活してきた人にとっては、経験からくる、必要性であるだろうと思う。
それはそれで、確かに、現実味のある、説得される理論である。

対して、常子は、「私たちは、小さな幸せを大事にしたい」と言う。
「小さな幸せ」の例として、読者からのアンケートカードの話をする。
「新しい冷蔵庫が家に来たときに、夏に冷たいジュースが飲めるのを、楽しみしていました」という話である。

夏に冷たいジュース。
私もこの夏は、我が家の冷蔵庫に、冷たいグレープフルーツジュースを冷やしておいて、暑くてたまらなくなったとき、物書きの合間に、キッチンに立っては、ガラスのコップに、冷たいジュースを注いだものである。
確かに、とても幸せで、でもそれは、とてもささやかで小さな幸せだ、とも思う。

この「小さな幸せ」を、日々、積み重ねていけたら、それだけで充分幸せな人生を送っていける、とキッパリ言い切ることもできそうだ。

私は、独身時代の「将来の夢」というと、こんなふうに、ささやかで小さな幸せの光景を、求めていた。
結婚して、小さな台所を持って、スープを何時間もコトコト煮ながら、台所の隅のテーブルで、小さな手帳に、ささやかな詩を書く。
そんな時間を大切にしたい、というのが、夢だった。

その「ささやかな幸せの時間」のために、どれだけの条件が必要か、考えてみた。
この光景を思い浮かべるとき、キッチンの窓の外には、砲弾が落ちていてはいけない。
スープに入れる、玉ねぎもニンジンも、農薬が不必要に使われていない、安心安全な食材でなくてはいけない。

スープを煮る鍋は、金属が溶け出すようではいけないし、スープを置いたストーブは、火災に対して安全対策をとっていなければならない。

部屋の中は、暑くなく、寒くなく。
清潔な衣服を着ていて、テーブルの上は清潔に整理整頓されていなければならない。

そして、できあがった、おいしいスープを一緒にいただくために、誠実でたくましい夫がいなければならないし、素直で聞き分けのよい子どもが、ふたりはいなければならない。
そして、夫と子どもたちが、私の作ったスープを「おいしい」と言って、食べてくれなければならない。

小さな、ささやかな光景であるけれども、その小さな絵を作り上げるためには、たくさんのたくさんの、条件が必要なのだ、と思った。


私が、政治や経済に関して、関心を持って、そこに参加しようと思ったのは、こんなささやかな小さな絵を完成のために、少しでもがんばりたい、と思ったからである。

家の中の整理整頓くらいは、個人の努力でできることかもしれない。
けれども、安全なストーブ、安全な野菜、安定した平穏な社会、というのは、決して個人的な努力だけでは、完成できないものだ。
政治、という社会活動が、必要なのである。

「小さな幸せ」の光景には、平穏で安全な社会のなかの、小さな家、というたくさんの条件が必要なのだ。

私はそうした意味で、女性が、小さな幸せのために、家庭と、愛する家族のために、社会参加を積極的に行ってほしいものだ、と思う。

というわけで、常子の人生のテーマ、「あなたの暮し」のテーマが、ここで、描かれた、一週間だった。
小さな幸せを大事に大事に積み重ねていく、その一助になれば、という「あなたの暮し」が、たくさんの読者から支持されたのは、常子の「小さな幸せ」が共鳴を生んだ、ということだと思う。

常子にとっても、私たち視聴者にとっても、とても大切な一週間だった、と思う。
大事なことに気付かせてくれてありがとう。

物語もラストスパートである。
大切に見守っていきたいと思う。



2016年9月14日水曜日

第二次アジア危機のこと。

第二次アジア危機のこと。
先日9月11日の「真田丸」観ました。
その前の週も、観ました。
その前の週、というと、9月4日の放送ですが、
その回のときに、「これは何か起こっているのでは?」と、思いました。
日本政府や、メディアの皆さまの動きの真意とか、水面下の動き、というものが、はっきりとは見えてこなかったので、ただただ、物事が推移していくのを、待つしかなかったです。

7月の参院選のころから、何らかのメッセージを感じ取っていて、「誰か大物が、日本の政治の指導をしているのでは?」と、漠然と感じていました。
それが誰なのか、どんな目的をもった人物なのか、なかなかわからないまま、時が過ぎていきました。
暗中模索、といってもいい日々のなかで、その「誰か」が何者なのか、ということで、こちらのメンバーとも、さまざまな憶測をして、対応法を考えていきました。

8月に入ってからは、何か大きく物事が動き始めたのを感じ、そして、それが良いほうに向かっているのか、それとも、そうではないのか、判断が付きかねる状態で、日々が過ぎていきました。

アメリカのオバマ大統領が、日本に対して、指導をしているか、あるいはGHQのような立場、つまり占領軍という立場でものを言っているらしい、と気が付いてから、どのように対応したらいいか、いろいろ思いました。

日本は、地震も台風もあり、政治的にもとても大きな問題を抱えていて、このままではどうなるのか、と思っていたところでした。
誰か、力のあるリーダーが、日本を統治してくれるのなら、それもありがたい話だ、と本気で思いました。
その思いは、ずっと続いていました。

特に、女性の政治家、リーダーを指導しているようだ、と気づいてからは、主人も私も、国際的にもトップレベルである指導者から、女性リーダーの指導を受けられるチャンスならば、と本気で考えました。
しかし、心の底で、何かもやもやしたものがあり、漠然とした不安があって、「これは良くない話なのでは?」と感じて、なかなか決断できませんでした。

「もうあと2~3日考えてから、新しいリーダーのもとで働いてみよう」と思って、その2~3日の間に、状況がずいぶんと変わりました。

叱咤、激励、それだけならともかく、非難、中傷、挑発、といったことが続き、「こういうことを言う人なら、付いていきたくない」という気持ちに変わってきました。
また、打ちのめされていくうちに、できるかどうか、という自信がどんどんなくなっていきました。

それで、ドラマの感想だけは、続けて行きたいと思ったので、何を言われても、読んでくれる人がいるのだから、と思って、週に一度は、ドラマの感想を書くことにしました。

正直、非難・中傷が、私に何かをするように、という「脅し」であることはわかったのですが、「何を」要求されているのか、よくわかりませんでした。
主人とも話し合ったのですが、私がもし、ブログを書かなくても、オバマ大統領としては、日本の占領をしたいならすればいいし、戦争をしたいなら、すればいいではないか、と思いました。

そういうあたりで、状況はだいたいわかったものの、安倍総理大臣にしても、オバマ大統領にしても、なぜ、戦争を始めるときに、私のブログが必要なのか、それがわからなかったです。
いまだに、わかりません。

先日の「真田丸」を観て、メディアのかたがたが書いてくることは、戦略だったのだろう、と思いました。
それでも、傷ついた心、壊れた信頼関係は、そんなに簡単に取り戻せるとは思わないです。

心理戦というのは、こわいものです。
勝ったとしても、勝ったほうも負けたほうも、同じくらいの「焼け跡」が残るものではないか、と思います。
特に、心の痛み、疲れ、それから、関係性の回復に、どれだけ時間がかかるか、ということです。

「真田丸」では、兄・信幸と、弟・信繁は、「見せかけの対立」を演じたわけですが、メディアの皆様は、私たちに、そうした作戦があって、あんなに数か月も、非難・中傷をしたのでしょうか?

私はよくわからなくなりました。
とても、混乱しています。

「真田丸」に、どれだけのメッセージが含まれていたのかも、私たち、こちらでも考えましたが、どうにも、どちらにでも考えられることも多く、判断のつきずらいところがあります。
「甲斐・信濃」を領国とした、という意味のことが言われていましたが、これは、「中国・韓国」という意味なのでしょうか。

何がどのように起こったのか、詳しいことを知りたいです。
よく知ったうえで、今後の対応法を、決めていくのがよいのではないか、と思います。

今後とも、よろしくお願いします。


2016年9月10日土曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第23週「常子、仕事と家庭の両立に悩む」感想。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第23週「常子、仕事と家庭の両立に悩む」感想。

秋風が吹き始めた。
鈴虫の鳴き声も爽やかな秋の日々が続く。
どんな秋にしようか、と誰もが思うところだろう。
「読書の秋」「スポーツの秋」。
静かな秋の日々が、始まっていく。

朝の連ドラでは、秋風が吹き始めると、もう物語は終盤である。
常子の仕事と、「家庭」つまりここでは恋愛であるが、このあたりも、熟するときを迎えている。
サブタイトルでは「仕事と家庭の両立」となっているが、物語のなかでは、常子と、恋人・星野は、いわゆる「家庭」を築いている状況にはないようだ。
だから、「家庭」といっても、この週のテーマとしては、「恋愛」そして、「プライベート」というあたりだろうか。

常子が、社員を家族と思って一途に仕事をしていきたい、と思うときに、プライベートで、心動かされる恋人や子どもたちが存在する、ということは、とても悩むところだろう、と思う。
私はそういうときの、花山さんの言葉が印象的だった。
「不器用な人だな、君も」という言葉である。

子どものときに、父親と約束した三か条を一途に一生懸命に、実現しようとする、それは、常子の信条だろうと思う。
真摯に人生に向き合い、悩みながら、そのときそのときで、最善の選択をする、それが、常子の芯となる、いいところなのだろうと思う。

けれども、一生懸命、真摯に生きようとすればするほど、周囲とぶつかってしまう。

今週の放送では、メディア界、出版界の事情がよく描かれていた。
週刊誌と新聞のちがいや、全国紙という影響力の大きさである。
私は、このあたりで、「影響力」というものをもう一度よく学べた、と思う。
今、メディアに関わる人々も、これから関わりたいと思う人にとっても、とても大切な言葉が、新聞記者の国実さんから、聞くことができてよかった。

それにしても、赤羽根さん、というひとつのモチーフは、常子の人生に立ちふさがるもの、信念を通そうとするときの、すべての障害の象徴であるように思う。

私は、ドラマを観ることで、赤羽根さんの気持ちや状況がよくわかった。
また、社内で、いわゆる裏切り行為というのが出るわけだが、その社員の気持ちもよくわかったと思う。
その人にはその人なりの、状況や立場や気持ちがある。
ひとりひとりの気持ちを大切にすればするほど、信念を通すのは、とても高い理想となってしまう。
ひとりの女性が、「わたしはこういうふうにしたい」と思うことを、成し遂げようとするときに、これほどの障害にぶつかるのか、と思うと、「生きる」ということは、とても厳しい現実との、闘いである、と思わされる。

ひとりの女性が、「わたしはこういうふうにしたい」と思うこと、貫き通そうとすること、それは、身近なところから、仕事の範囲まで、多岐にわたって、あることだと思う。

たとえば、ダイエットに挑戦する。
「摂取カロリーを減らす」ためには、食欲であったり、友達からの誘いであったり、あるいは、「そんなことして何になるの?」という、自分の心のささやきであったり、たくさんの障害が出現するものだ。

また、常子のように、社会に何かを訴えようとする場合もある。
現代では、「食の安全」を訴えて行動する女性たちがいる。
意見がぶつかったり、あるいは、食品を扱う企業からの、いやがらせや抵抗を、もしかしたら、受けているのかもしれない。

何か大事な仕事を成し遂げよう、完遂しよう、としているときには、必ずこうした、障害が起こってくるものだ。

女性は特に、忍耐力を身に着けることが、とても大切なのではないか、と思うのである。

そうしたことを考えながらテレビドラマを観ていると、常子の一貫した、人生に向き合う真摯な態度が、目指すべき、女性の生き方として、明確に提示されているように思うのである。

そして今週は、恋人・星野との、家族ぐるみのお付き合いがあった。
ふたりの恋は、付き合いかたにしても、離れる理由にしても、いつも誠実で、まっすぐであった、と思う。

「仕事と家庭の両立」というのは、常子にとっては、仕事に対しても誠実に向き合う、恋人に対しても、誠実に向き合う、という、一貫した態度であったと思う。

坂口健太郎さんが演じる、星野武蔵は、若いころには、「葉っぱのあんちゃん」とニックネームで呼ばれていて、生真面目で、ちょっとあわてんぼうなところが、好感がもてた。
大人になってからの、坂口さんは、子どもたち、男の子と妹を、ふたりを従えて、父性愛を感じさせる、頼もしい存在になった。

仕事を一生懸命にしたあとに、星野宅のブザーを押して、子どもたちと愛する恋人の笑顔に出会うことは、常子にとって、とてもうれしい時間だっただろうと思う。

ロマンチックなシーンがたくさんあって、抒情を感じられた。
「月がきれいですね」の意味は、「ぼくはあなたが好きだ」という意味だと、そういう話があった。
夜空の澄んだ、明るい夜に、気持ちを伝えあう、そんな胸キュンのシーンは、朝ドラならではの、美しさであったように思う。

常子の、星野さんに包まれるときの、安心感が伝わってきて、そのときの、星野の確信をもった愛情が伝わってきて、とても素敵だった。

人生を丁寧に生きようと思う、充実させて生きようと思う、でも誠実に生きれば生きるほど、選択は重みを増して、ふたりの心に迫ってくるようだ。

私は、仕事に対しても、家庭に関しても、誠実に、真摯に向き合おうと思えば思うほど、不器用に悲しみも募ってしまう、そういう常子の生き方がとても好きである。

春から続いてきた、ひとりの女性の成長物語の終盤に、秋の景色は、ふさわしいものだ。
日々、秋の色に染まっていく太陽とともに、充実した秋と人生を、実らせたいものだ、と思った。
これからも楽しみに観ています。




2016年9月4日日曜日

今の、私の気持ち。


今の、私の気持ち。
今の状況を、そのまま書き出してみる。
女性は、戦利品ではない。
アメリカの認識がその程度だとすると、「平和」への意識のあまりの低さにがっかりとするばかりである。
うちの主人は、「平和」のための仕事なら、オバマさんやメディアの皆さんと一緒に行いたいと思っている。
創価学会も一緒に、「平和」への道を、歩みたいと思っている。

それに対して、朝倉聡子は、反対である。
理由として一番大きいこと。
オバマ大統領が信用できない。
オバマさんの理想とする「平和」は、確かに大義名分としては立派であるが、たわごとである。
アメリカが有利になる「平和」、アメリカ大統領選挙で、民主党が有利になるための、「平和」、
オバマ大統領の、個人的理想を実現するための、きわめて個人的な状況での「平和」である、と思う。

朝倉聡子は、オバマ大統領の個人的理想を実現するための手助けにすぎない状態で、自立的な仕事ができない。
安倍総理大臣のときもそうであったが、誰かの個人的理想や、個人的な人生の充実のための、「お手伝い」をするのは、もう二度とごめんである。

結局のところ、アイディアを出すのは、朝倉聡子で、成果はすべて、政治家が持っていく。
朝倉は、インターネットの闇の中で、地下活動をしたままで、毎日せっせとブログを書いても、日の当たるところに呼ばれる気配がない。
やってもやっても報われない、まったく虚しい作業である。

それでも、震災のあと、日本の皆様のために、と無償でがんばってきたが、その結果が、安倍総理の暴走であり、独裁であり、戦争への突入であった。
朝倉聡子は、安倍総理大臣を、信じて裏切られたわけである。

オバマ大統領が、はかりしれない知恵と、権力を手にしたときに、戦争をしたくならないと、誰が言えるだろうか。
まったく疑わしい限りである。
アメリカは、今でも、最新の核兵器と軍隊を持っていて、いつでも稼働できる状態である。
今、どんな理想を口にしていても、知恵と権力を手にしたら、人が変わってしまうことはまちがいない。

仕事として、「平和」を目指すなら、それはそれで、わからないこともない。
しかし、私の夫のことを、どうこういうのは、なぜなのか。
女性は戦利品ではない。
もし、誠実に愛情があって、結婚したいと思うのなら、インターネット上の妻、などという、たわけたことを言わないで、ミシェル夫人と正式に別れてから、花束の一つでも持って、私の自宅を訪れるべきである。

しかし、実際には、ただ、朝倉聡子の権力が欲しいだけであって、愛情のかけらもない。
権力争いが、戦国時代とそのまま同じ、ということは、アメリカ民主主義の低劣さを表すものである。
全世界が失望するところである。

また、この一か月間、読売新聞で書き綴ってきた、低劣で俗悪な悪口、非難、中傷、これらを見ていて、たくさんの人々が、オバマ大統領という人間の本質を見た気がしたと思うが、はるかかなた遠くにいたときのアメリカ大統領とちがって、本当に俗悪で、差別的で、傲慢であった。
こんな人、こんな指導者に率いられているアメリカ国民が、かわいそうである。
今のアメリカがこうなってしまったのも、よくわかる。
そして、こういう俗悪な性格を持つオバマさんと、絶対に仕事はしたくない、と思わせるほど、がっかりした。

次に、安倍総理大臣のときにもそう思ったのであるが、安倍氏も、朝倉と朝日、読売の知恵がなければ、総理大臣が務まらないほど、頭の中身が軽かった。
今もオバマ大統領は、朝倉に知恵を求めている。
それは、オバマ大統領の頭の重さよりも、朝倉のほうが、重い、ということを、認めているからである。
朝倉にしても、そう思う。
誰が、自分より頭の悪い、勉強不足な指導者の下で、せっせと働く気持ちになるものか。
ばかの下で働くと、余計ばかになってしまうから、やりたくない。

やりたくない、というが、いったい、オバマ大統領は、何を私にやらせたいのか。
それがはっきりしない。
何をどうしてほしいのか、言葉で表すことができていない。
その状況で、何をどう脅されても、さっぱりわからない。

あなたのほうが頭が悪いのに、なぜ私があなたに謝るのですか?
わかりません。

自分の人生は、自分のものである、と私は思っています。
これまで、世のため、人のため、と一生懸命、無償で働いてきました。
その結果が、戦争です。
私は、もう仕事がいやになってしまいました。
人間はとても愚かです。
男性は特に愚かです。


結論として、一番大事なのは、オバマ氏のいう「平和」というのは、ロシア・中国との戦争を意味する、ということです。
「平和」の名のもとに、共産国と戦争をする、それが、オバマ式の「平和」理論です。

こんな、やましい「平和」理論に、誰がだまされるものですか。



2016年9月3日土曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第22週「常子、星野に夢を語る」感想。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第22週「常子、星野に夢を語る」感想。

「わたし、女の人のためになる雑誌を作りたいんです!」
常子が、愛する男性・星野に、夢を語る。
これまで、母と妹たちを守るために、自分の人生を捧げてきたけれど、「自分の夢ができたんですね」と、星野もほほえんでくれる。
男性は、恋をすると、恋人に、夢を語りたがるものらしい。
それも、本当に信頼していて、けっしてその夢をばかにしたりしない、そういう愛する女性にだけ、本心からの夢を語るらしい。
あなたは、愛する男性から、夢を打ち明けられたことがありますか…?

女性も、心から打ち解けあって、信頼できて、そしてその人と将来を共に歩みたい、と思うようになると、恋人に夢を語りたくなる。
私も、いろいろな夢を彼に語った。

私の夢は、とと姉ちゃんの夢と、よく似ている。
「女の人のためになる文章を書きたい」ということである。
読んでいてホッとするような、心が温まるような、勇気と活力が湧いてくるような、明日への希望の灯がともるような、そんな文章を書きたい。
…そうした夢を、恋人に語ってきた。
そして、彼はそれを心から応援してくれたし、アドバイスもくれて、助けてくれた。
ここまで来られたのは、頼もしい恋人のおかげである。

ところで、「とと姉ちゃん」では、雑誌「あなたの暮し」が、大変なことになっている。
商品試験の結果が、売り上げに影響する、ということで、企業にとっては、目障りな存在になってきたのだ。
常子も、相手のあることであるから、悩む。
でも、星野さんのところの息子さんが、粗悪品の電気釜で、やけどをしたことを聞いて、やはり、企業には、良心的な商品を作ってほしい、と、覚悟を決める。
「脅しには屈しません」と、輝く瞳と、ぎゅっと結んだ唇が、愛らしい。

私は今、常子の気持ちが、「すごくよくわかる~!」というかんじである。

商品試験というのは、世の中で販売されている、すべての品物に対して行われるべきだ、と思う。
誰もがそう思うだろう。
いっときの売り上げのために、宣伝文句を考えることが、売り手のすることではないと思う。
購入者の人が、安心して使えるように、誠心誠意、質の高い品物を提供することが、製作・販売をてがける者の心得である。

それは、文学作品や、文章、メディアに対しても言えることではないか、と私は、思っている。
庶民のために、受け取り手のために、本当に安全で質の良い「作品」を提供してほしい、そのために、試験と評論を行うのである。

私はそのために、主に女流作家の文学に対して、厳しいながらも、本気の評論を行ってきた。

その結果が、「赤羽根」さん、というわけである。

常子、負けるな!
メディアの誇りと自覚を持って、戦え!
権力には屈するな!
臆するな!

と、声を大にして言ってあげたい。

本当に、日本の世の中は、「良いものを良い」と言えない世の中になってしまった。
そればかりか、「悪いものを悪い」と言えない、沈鬱な世の中になってしまったようである。

女性たちが、その本を読んで、人生を誤るかもしれない。
人生の選択を誤り、恋愛を誤り、子育てを誤り、お金の使い方を誤り、何が正しくて何がまちがっているのが、判断力がなくなって、自分も家族もけがをする。
大やけどを負って、その傷跡が、一生、残る。

そういう文学作品を、世の中に放っておいていいはずがない、と私は思う。
粗悪品を、活字にして売るのは、やめてほしい。
質の高い文学作品を、誇りを持って、世に広めるべきだ。

庶民は苦しんでいる。
女性たちは何を道しるべにすればよいのかわからなくなって、安くて読みやすい文学作品を手に取るかもしれないが、結果、大やけどをしているのである。

私は、常子の夢、「女の人のためになる雑誌」を、もう一度、日本の世の中に取り戻したい、と思う。
そのためには、「悪いものは悪い」と言い切る勇気、そして、権力とは戦う気概も必要である、と思う。

戦後の日本の電化製品は、「暮しの手帖」の製品試験によって、他の国よりも、飛躍的に質が高くなった。
それが、戦後の高度経済成長期を支え、今も、「メイドインジャパン」は、世界に誇れるブランドなのである。

惜しいかな、日本文学には、今のところ、「メイドインジャパン文学」と誇れるほどのレベルがない。
それは、優れた批評家がいなから、優れた批評家を潰す土壌が根強いからである。

これからの、日本文学のために、真実に「女の人のためになる」ために、私も常子と一緒に、がんばっていきたい、と思う。

2016年9月2日金曜日

子どもたちの問題について。

子どもたちの問題について。

ここ数年、子どもたちの問題が、大きくなっている。
一昔前までは、子どもたちの問題も、いじめや仲間はずれ、ケンカ、といったことも、程度が甘かったように思う。
ここ数年の、子どもたちの問題は、いじめがエスカレートし、時にはまだ年端もいかない少年が、犯罪をすることにまでなっている。

こうした問題の根本原因をつきとめ、この問題を克服することが、今、人々の心からの願いであり、訴えである。

子どもたちのいじめ、それによる自殺や犯罪は、大人社会の反映である、と言われて久しい。
私自身も大人になってから、仕事をする上で、パワハラやセクハラ、脅し、からかい、といった、「いじめ」にあってきた。
きょうも、思い通りにならないと、からかう、いじめる、という社会の「常識」に触れたばかりである。
大人の社会がこうであるのだから、これらの人間関係が、子どもたちに影響しないはずがない、と私は思う。
大人たちは、子どもたちの問題にとりかかる前に、まず自分の胸に手を当てて、自分自身が、「いじめ」やパワハラを行っていないかどうか、よく反省してみることが、必要だろうと思う。

そして、自分自身が、こうした、おどしや嫌がらせを、どうしたらしなくなるのか、自らの心を省みる時間を、落ち着いて持つべきである、と私は思う。

ところで、近年の、子どもたちのいじめや自殺について、その原因を、今一度よく、考えてみたい。
ニュース等で語られる、いじめの背景では、両親の問題や、家庭の問題を、タブー視して避けている風潮があるように思う。

今、こういったことを発言すると、フェミニストの皆さん、女性の皆さんからは、とても反発を買うであろうけれども、あえて、ここで、本当のことに触れてみたいと思う。
それは、近年、特にここ20年ほどで、離婚と共働きが増えている、ということである。
母子家庭が増えている。
共働きで、家に「お母さん」がいない家庭が増えている。

ほんのゼロ歳児のときから、保育所に子どもを預ける母親が増えている。
そして、子どもが中学生、高校生という、まだまだ親の保護が必要な年齢のときに、母親が家をあけて、パートに出るような家庭も増えている。

母子家庭の家の子どもがいじめられやすいことは、女性も知っているかもしれないが、男性のほうが、よりよく理解している。
わかりきった、事実である。

また、共働きで、子どもを幼児期から手放して保育所や幼稚園に預けっぱなしにした子どもには、情緒不安定の性質が見られることは、誰もが承知の事実である。

これらの事実に目をつぶってはいけない。
女性の社会進出と同時に、子どもたちの問題が多発するようになったのである。

私は、子どもたちの問題を以前から本当に心を痛めながら、考えてきた。
そして、子どもの幸せを根底から支えるのは、女性の幸せ、「お母さん」の幸せである、という考えに至り、女性の問題に取り組んでいる。

女性が、より賢くなり、強くなり、また社会の中で守られて、愛されて生きるようになれば、その子どもは、健やかに強く、生き抜いていくはずである、と私は確信している。

補足であるが、子どもたちの睡眠時間が、都市化、現代化によって、減っていないか、と思って心配である。
よくぐっすり眠れているだろうか。
私は、疲れ切っている子どもたちを、よく休ませてあげたい。
寝つきがよくないことは、大人たちの問題でもある。
寝つきがよいかどうか、よく親が心配してあげて、対処するべきではないだろうか。

慢性的な睡眠不足を解消するためには、数か月のあいだ、しっかり眠ることが必要である。

おいしいものを食べて、ぐっすり眠る、この生活を続けていれば、なぜか世の中が幸せで満ち足りたところに、見えてくるのだそうである。
私の友達の体験である。

よく眠り、よく食べる、こうした子どもの、基本的な生活を支えてあげるのが、母親のとても重要な役目ではないか、と私は思うのである。





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