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1月, 2014の投稿を表示しています

STAP細胞と小保方さんの研究。

昨日1月30日、「NUTURE」誌に、日本の女性科学者である、小保方晴子さんのSTAP細胞の記事が掲載された。 細胞の初期化、再生などの用語が使われている研究であるために、一昨年にノーベル賞を受賞された、山中教授の研究と比較されている。 女性の化学研究者が、こうして、新発見をしたことで、とても注目されている。 私も、研究の内容を、興味を持って、詳しく読んでみた。 山中教授のiPS細胞との比較も、とても興味深い。
私が第一印象として思ったのはまず、ヒトに関して、この実験が、いまだ成功していない点である。 この時点で、つまり、マウス実験においての研究成果は、それほど価値が高い、とはいいがたい。 この時点で、公に明らかに発表されてしまったら、若い研究者としては、どうなのかな、ということを思った。
マウスの実験までなら、ある意味、いくらでもどんなことでもできるし、倫理上の問題もない。 山中教授のiPS細胞は、ヒトに対して有効であるから、価値が高いのである。
次に、こうしたある意味、奇抜ともいえる研究成果に対して、吟味されるのは「再現性があるかどうか」という点であるが、これに関して、再現性が確認されていないのは、とても残念なことである。 すなわち、誰がどのように行っても、一定の条件のもとで、この結果が出せるのかどうか、これが「再現性」と呼ばれるものであるが、今回の研究では、再現性は不確定で、偶発性が高いようである。
次に、今回の研究が、アンチエイジング、老化対策に有効である、という話である。 これは、今回の研究によって再生される細胞が、胎盤に関わりがある、ということである。 現在、女性の美容や健康、アンチエイジングとして評判が高いのが、「プラセンタ」という物質であるが、これは、馬や豚、羊の胎盤から作られるものである。 赤ちゃんを育む胎盤であるから、当然、若い細胞と生命力にあふれている、というわけである。
次に、この研究成果を、すぐに商品化に結び付けて、すでに特許を出願している点である。 これは、この研究を、ヒトに対する医療に使う方向ではない、ということだろうと思う。 つまり、医療分野に使う意向はなく、ここで、「マウスでかまわない」「牛でも羊でもかまわない」という、化粧品や健康食品としての、利用価値を求めている、ということだと思う。
次に、この研究成果が、今後、世界の生物界、医療界で、データとして、重要な資料とし…

現代家計簿事情。

私はこのところ、家計管理に興味を持っている。 というのは、4月に消費税の増税があるので、それまでに買うものを、計画しておきたい、と思っているからである。 「お金」に関するさまざまな知識と情報は、インターネットでも手に入るし、雑誌や口コミなどでも手に入るが、どんなふうにそれを自分の家計に役立てるかは、自分自身である、と思う。
私は、小学生のころからいわゆる「おこずかい帳」を持たされて、高校生になってからは、こずかい帳から毎月、郵便貯金まで出していた。 そして、学生時代にひとり暮らしを始めてからも、ずっと家計簿はつけていた。
そのころから考えてみても、現代の家計簿は、ずいぶんと事情が変わってきたように思う。 ひとつは、クレジットカードの普及である。 それから、各種料金の自動引き落としである。 そして、お給料の自動振り込みである。 これらを考えると、手元に現金として数えられるお金を記入することができなくなり、想像上で、お金というものを、把握するしかなくなる。 これまでの出来上がりの家計簿では、クレジットカードの扱い、自動引き落としの扱いが、うまくいかなくなる。 つまり、クレジットカードの使用分は、家計簿のどの日付に書き込めばよいのか、ということである。 それで、一か月の収支を、想像上、理論上でとらえるしかなくなってくる。
ずっと以前からのご婦人雑誌の、ベストセラー的な家計簿のテンプレートでは、当てはまらなくなってくる。 また、細目についても、「お弁当」は、主食なのか、副食なのか、という点で、記入に困ることになる。 外食ランチにしても、ランチ料金が全体に下がっていることや、仕事を持つ女性は、必要な食事としてとっているので、食費なのか、交際費になるのか、区別がつかなくなる状態である。
それでも、やはり家計管理、お金の管理は必要である、と思うので、女性たちは、女性には限らないが、ともかくは家計簿をつけなくては、と思う。 それで、まずは領収書、レシートを記入するところから始めることになる。 しかし、家計簿で一番大切なことは、記入したものを見て、過去の支出を反省したり、未来の予算を立てたりすることなのである。
この「家計の見直し」ということが、自分ではなかなかできない、ということは、とても問題である。 ある時期、ワイドショーで、家計診断のコーナーがあった。 視聴者から募集して、その家にロケに行く。 そして、経済学の専門家が…

日本テレビ「明日、ママがいない」第二回放送を見て・感想。

何かと話題になっている、テレビドラマ「明日、ママがいない」の第二回放送を見た。 モデルとされた病院や福祉団体からは、放送中止の申し出が出されているが、テレビ局側では、放送は続ける、という話である。
第二回の放送を見てみて、これはなるほど、11回なら11回、と放送回数が決まっているとすると、続けられるものだ、と思った。 というのは、このドラマの舞台である児童保護施設に在籍する、子どもたちの数とそれから、その施設長の大人、この登場人物のことを、一回の放送で、ひとりずつ取り上げて行けば、物語が続くのである。 それなので、たとえスポンサーが降りたとしても、テレビ局側では、話題性があるということなら、続けるのだろう、と思う。
脚本家は、新人の松田沙也さん、となっているが、脚本と監督をしているのは、野島伸司さんである。 私は、以前から、野島氏のドラマが、一定の話題性があるということで、見ることがあったが、とても問題を感じるのである。 それは、とても悲観的である、ということと、その世界観がどこか、歪んでいるように感じるからである。
特に、今回の「明日、ママがいない」では、女性、それも「母親」に対する、痛烈は批判が繰り広げられているように思える。 児童保護施設に預けられた子どもたちのいきさつを、毎回毎回語ることで、世の中の母親への、批判をしているようだ。 それは、期待との裏返しでもある。 野島さんのお母さんというかたは、どういうかたなのだろう?
そして、主人公の少女のなかに、「本当の愛」を見出す、これが、野島氏の、変わらないテーマである。 時に少女は、大人よりも博愛と慈愛を発揮するものである。 こうした「本当の愛とはこれだ」のテーマが、訴えるに値するものかどうか、そこが、視聴者への問いかけになっていると、私は思う。


NHKドラマ「紙の月」第三回「清らかな罪」感想。

新春から始まった、NHKドラマ「紙の月」も、第三回の放送が終わった。 全5回の放送であるから、物語もなかばを過ぎたわけである。 今週のテーマは、どうにも「お金と女性」であるように思えた。 「お金と夫婦仲」のようにも思えるし、「お金と愛」のようにも、感じられる。 人間にとって、「お金」とは、なんだろうか? 私は、これは、考えれば考えるほど、わからなくなる。
世間には、経済学なる学問がある。 私にとっては、政治も歴史にも、それなりの法則を見出してきたわけであるが、経済学だけは、どうにもわからないところがある。 経済学の専門に聞いても、それぞれ、理論や学派もあるようで、どれが正しいというわけでもなさそうだ。 日本では、一昨年の暮れから、新しい経済政策が始まっていて、世の中の経済が回転している、というかんじがする。
今回は、40代の女性友達、三人の、それぞれの金銭事情が描かれれているように思う。 これらは、現代の女性たちが、抱える金銭事情、家庭事情を、3人の人物に象徴して描いたようにも思える。
主人公の梨花は、裕福な家で育ち、その実家の会社経営がうまくいかなくなった、という経歴を持つ。 また、高校時代には、ご両親からもらったおこずかいから、ボランティア募金をしていた。 そして、結婚してからは、仕事は忙しいが収入が高い夫のもとで、主婦として暮らしているが、何か物足りないものを感じて、銀行のパートを始める。 そして、銀行のお金を横領してしまう。
友人のひとりである、木綿子は、何か役名の通りの、「木綿の」イメージのある主婦である。 夫と、小学生の娘の三人で暮らしている。 この木綿子は、いわゆる「節約主婦」である。 今、とても「節約」がはやっているようである。 これは、デフレと呼ばれた時代のものでもあるが、やはり一家の家計を預かる主婦としては、収入が一定なので、支出をできるだけ抑えれば貯金ができる、というシンプルな理論から、節約を心掛けている。 ただ、木綿子は、「お金があればそれがイコール幸せだとは思わない」という信念を持っている。
もうひとりの友人である亜紀は、離婚ののちに、ファッション雑誌の編集の仕事を続けながら、ひとりで暮らしている。 恋人がいるがうまくいかない。

日本テレビ「明日、ママがいない」第一回・感想。

1月16日に第一回の放送があった、日本テレビの「明日、ママがいない」が、とても話題を集めているようだ。 実在する病院や、医療、教育のシステム、それらの団体が、抗議を申し入れた、という話である。 私は、この木曜日夜10時のドラマは、いわゆる「社会派」という枠であるということで、今回はどんなドラマ作りになるのか、興味があった。 都合で、当日には視聴することはできなかったのだが、翌日、翌々日と、インターネットサイトで無料放映されていて、視聴することができた。 いろいろなことを、たくさん思った。 この問題、いわゆる、親のない子どもたちが、施設で育てられる、というテーマに関しては、とてもデリケートな心で、対応しなければならないものだ、と思う。 なので、私自身の真意が誤解なく伝わるように、という気持ちで、長くなるかもしれないが、買いてみたいと思う。
まずひとつは、ドラマ全体に対する、一視聴者としての、第一印象である。 それは、興味をかきたて、フィクションの世界にのめりこませる、視聴率を上げる、という目標において、とても「ドラマティック」である、ということである。 音楽や映像、エピソードの数々にしても、とてもドラマ的、つまり、フィクション的であって、小説でいえば、「読み物としては面白いが、真実味に欠ける」というところである。 エンターテイメントとして、うまく出来上がっている、というところだと思う。
次に思ったことは、ドラマの出来具合としても関係してくるところだが、テーマが散っている、ということである。 さまざまな理由で、実の両親のもとで暮らすことのできない子どもたち、この子たちが集まった施設、ここでのストーリーである。 社会派として訴えたいのは、ポイントとして、どこになるのだろうか。 「親子、家庭、愛情」という点では、実の親子でも、実際にはうまくいかないことがあったり、理想どおりではなかったり、たくさんの問題があると思う。 それから、この子たちが、この施設に預けられた理由である。 赤ちゃんポストは赤ちゃんポストで、とても大きな社会的なテーマを提起している。 また、一時代には、コインロッカーベイビーということも、実際の社会問題となった。 これらの、「施設に来た理由」には、掘り下げられるべきたくさんの点がある。 それから、実際に施設というのは、どういうところなのか、実際に、親切に子どもたちが育てられているのか、という問…