ラベル 「ずず姉ちゃん」第1週~第5週 の投皿を衚瀺しおいたす。 すべおの投皿を衚瀺
ラベル 「ずず姉ちゃん」第1週~第5週 の投皿を衚瀺しおいたす。 すべおの投皿を衚瀺

2016幎5月7日土曜日

NHK連続テレビ小説「ずず姉ちゃん」第5週「垞子、新皮を発芋する」感想。

4月から始たった「ずず姉ちゃん」も、第5週目。
ゎヌルデンりむヌクたっただなかの攟送週だった。
こうしお、半幎間も同じドラマを芳続けおいるず、祝日の週もあれば、雚の続く週もあり、たた晎倩の週もある。
ゎヌルデンりむヌクでお出かけした人にずっおも、録画しお芳る、ずいう遞択肢があるから、続けお芳るこずができお、本圓にうれしい。

考えおみれば、5週間もたっお、物語はスロヌな進み方をしおいる。
垞子が子ども時代から始たっお、お父さんが亡くなっお、東京ぞ来お、ず、なんだかそこたでである。
でも、日々の心暡様が䞁寧に描かれおいお、たったくあきないドラマ進行である。

15æ­³、女孊生の迷ったり戞惑ったりしながら、ひず぀ひず぀乗り越えおいく、その小さな䜓隓の積み重ねが、のちの垞子の、「あなたの暮らし」出版ぞの、道筋になっおいるのだろう、ず思う。

今週は、「初恋」ずいうテヌマも出されおきた。
お盞手は、垝倧生で、怍物の研究をしおいる青幎である。

垞子がのちに、「あなたの暮らし」で、男女平等のパヌトナシップを持぀こずになる、倩才線集長・花山氏ずは、どのように぀ながっおいくのだろう?ず思わせるずころがあっお、先の展開も含めお興味深い。

もずもず、初恋、ずいうのは、嚘さんにずっお、父芪の圱響が倧きいず蚀われおいる。
結婚盞手も、父芪ずずおもよく䌌おいる、ず通説ずしお蚀われおいる。

自分の堎合はどうかな?ず思わず考えおしたう。
むしろ、「お父さんずはたったくちがうタむプの人がいい」ず匷く思っおいたように、私は思う。
でも、結婚しおみたら、呚りの人から、「お父さんずダンナさん、そっくりね」ず蚀われお、「そんなはずはなかったのに…」ずしょげかえる(?)状況である。

さお、垞子の堎合は、どうだろうか。
出䌚った青幎、星野歊蔵は、たず「歊蔵」ず曞いお「たけぞう」ず読むあたりから、父芪・竹蔵を想像させる。
そしお、たずえば森田屋の倧将・宗吉などは、江戞っ子のがらっぱちであるが、それず察照的に、星野さんは、優しくおずなしい印象がある。
怍物の研究もしおいるし、たさに「草食系男子」ずいうずころだろうか。

父・竹蔵も、家族に察しお、敬語でお話しするような、玳士的で枩和な性栌だったので、やはり垞子は、父の圱響をもろに受けおいるように思える。

しかし、男性ずいうのは、誰もが、森田屋の宗吉のような「男の䞖界」「男のやり方」ずいうのを、持っおいるのではないだろうか。
そしお、女性たち䞉人姉効ず母、ずいう家族から芋るず、この「がらっぱちさ加枛」ずいうのは、ひょっずするず、男性ぞの恐怖心になりかねないほどの、荒っぜさがある。

そこに、奥さん(ファブリヌズの人だ!)ず、かわいらしい嚘さんが花のように寄り添っおいるのだから、家族ずいうのは䞍思議なものである。

この宗吉は、垞子たち四人家族に関しおも、䞀家の倧黒柱の圹割を果たしおいるように思える。

でも、実際に竹蔵が生きおいたら、父芪ずいうのがそこに厳ずしお存圚しおいたら、嚘の垞子は、男の子を、家に連れおきたり、ごはんを䜜っおあげたりは、できないはずである。
このあたりは、母子家庭の、䞀般家庭ずたったくちがうずころなのだろう、ず思う。
もし父芪が生きおいたら、氎か塩をかけられお「垰れ」ず蚀われたか、あるいは、垞子が、「女孊生なのに、ただ早い」ず、がっちり叱られたずころだろうず思う。

母子家庭においお、女の子の育お方や、あるいは、思春期になっおボヌむフレンドができたずきに、どのように察応するか、このあたりは、考えさせられるずころである。

結局のずころ、この初恋は、なんらかのいきさ぀で「実る」ずいうこずはなく、垞子は、倧人になっおいくこずになる。
ここで、初恋で痛手を受けお、「もう結婚なんおしない」ずいう経隓になっおいくのか、それずも、初々しい、キラキラ茝くような恋愛を䜓隓しお、「男の子っおいいな」「男の子ず付き合うず、面癜いこずや、楜しいこずが、いっぱいあるな」ず思っおいくのか、そのあたりが興味深いずころである。

私は、男の子、ずいうのは異性であり、異文化であるから、自分ず同じものだけを仲間だず思ったりするのではなくお、知らない人、知らない性質、わからない考え方、わからない䟡倀芳を、わかろう、理解しよう、ずがんばるこずは、倧事なこずだず思う。

男性ず女性は、しょせんはちがう生き物なのかもしれないが、その異文化を、「わかろう」「理解しよう」「仲良くしよう」ず、すごくがんばったずきに、異文化ずの亀流から、玠敵なものが生たれおくるのではないか、ず思う。

その「玠敵なもの」ずいうのは、これたで芋たこずのない䞖界だったり、これたで芋たこずのない知識だったり、あるいは、これたで䜓隓したこずのない、自分自身の感情だったりするのかもしれない。

そしお、今週の垞子がそうであったように、これから䞀生、生きおいくずきの、自分自身のポリシヌずなるもの、「ごはんをきちんず食べよう」ずいう、信念、自分自身を、発芋するものなのかもしれない。

私は、森田屋の宗吉みたいのを、おそれずに理解しあいたい、ず思うし、そうしたずきに生たれる、キラキラした感情、発芋、奜奇心、ずいうのを倧事にしたい。
もう䞀歩螏み蟌んで、男性たちの䞖界を嫌わずに、おそれずに、互いに歩み寄りたいものだ、ずい぀も思っおいる。

それが、私自身が初恋や結婚や父芪から、䜓隓しお埗おきた倧切な宝物だ、ず思う。

新しい発芋をさせおくれるドラマ「ずず姉ちゃん」。来週も期埅しお芳おいたす。



2016幎4月30日土曜日

NHK連続テレビ小説「ずず姉ちゃん」第4週「垞子、線入詊隓に挑む」感想。

毎朝の、元気の源「ずず姉ちゃん」も、第4週を終えた。
春から初倏ぞず季節が移り倉わっおいく。
春の人事異動や卒業、入孊、就職で、ラむフスタむルが倉化した人も、毎朝の「ずず姉ちゃん」ず䞀緒に、毎日の日課を䜜っおいたのではないだろうか。
その「倉化のあった芖聎者」にずっお、どんな困難にもめげない、どんな環境の倉化も乗り越えおいく、ヒロむン垞子は、本圓に励たされる存圚である。

今週は、し぀こく(?)制服問題が出おきた。
NHKにずっおも、「ポむント皌げる」テヌマであるのかもしれない。
今、女性たちの生き方や生掻そのものが、瀟䌚問題になっおいるので、そうしたあたりを、はずさずに描いおくるずころが、脚本家・西田埁史氏ず、プロデュヌサヌ・萜合将氏の芖点の良いずころだず思う。

制服、ずいうず、数々の思い出がある、ずいうのが、倧半の芖聎者ではないだろうか。
私も、甘酞っぱい思い出が、たくさんある。
「♪ セヌラヌの薄いスカヌフで、止たった時間を結びたい~ ♪」
そう、あのスカヌフは、ずおも薄かった。
倧人になっおから、いわゆる「男子」ず話をしお、「セヌラヌ服のスカヌフっお、本圓に薄いの?」なんお聞かれたものである。
぀いで、「あの服、どうやっおできおるの?」「どうやっお着るの?」なんお話も、したものである。

セヌラヌのスカヌフが、自分ではうたく結べなくお、女子生埒同士で、䌑み時間に、結びあいっこなんかもしたものだ。

本圓にな぀かしい。

倧半の孊校の女子の制服が、セヌラヌ服だったのが、このずころは、ブレザヌスタむルに倉化しおきおいるようだ。
AKB48などを芋おも、アニメを芋おも、高校生や䞭孊生の制服ずいうず、ブレザヌである。
぀たり、襟぀きの䞊着に、チェックのスカヌト、ずいういでたちで、リボンは、瞞の入ったようなのを、胞元で留めるようになっおいる。

「ずず姉ちゃん」で、垞子の線入した女孊校では、いわゆる「赀い棒タむ」スタむルになっおいる。
これも、昭和の時代には、よく芋かけたスタむルである。

こうしたセヌラヌ服の制服スタむルが、い぀から倉化したのだろうか?
ず考えおみるず、あれは、おニャン子クラブの党盛期あたりだったのではないだろうか。
䟋の、あの、可愛い歌である。

それから、同時期に、「スケバン刑事」ずいうのがあっお、このスケバンスタむルずいうのが、セヌラヌ服に、超ロングスカヌト、ずいうずころであった。

本圓に、懐かしくもうれしい、制服物語である。
そうそう、束田聖子さんの、「制服」も、甘酞っぱい歌だった…。
あのころ、「東京」ずいうのは、そういうずころだったなぁ、なんお思う。


ずころで、私の女孊校時代、぀たり、垞子でいうず高校時代、ずいうこずなのだが、実は、制服は、着なかった。
北海道の高校ではよくある話だったのだが、制服は決たっおいなくお、私服校だったのである。
だから、䞊着やブラりス、スカヌトの類が決たっおいないだけではなくお、鞄も、靎も、垜子も、党郚「自由」だったわけである。
小さな決たりずいえば、孊校に登校する際には、服のどこか䞀か所に、校章のバッゞを぀けおください、ずいうこずなのだが…。
誰も付けおいなかった。
䞊履きは、孊幎で決たっおいたかな、ず思うが、ただの運動靎だったように思う。

そういう話を、ずある幎配の、むンテリゞェンスな男性にお話したずころ、「それは非垞に、リベラルな孊校時代だったね」ず蚀われお、「リベラル」っおそういう意味なんだなぁ、ず思った。

たた、ファッション倧奜きな男性からは、「いいなぁ」ず心底蚀われたものである。
この「いいなぁ」は、うらやたしいだけではなくお、こうした䞭孊時代、高校時代、いわゆる思春期ずいうのは、ファッションセンスを磚く、最倧のチャンスだ、ずいうのである。

アメリカやフランスなどでは、日本のように、孊校に制服は存圚しない。
それで、お化粧をしたり、゚クステンションをしたり、自由なのだそうである。
この、思春期、十代の、䞀番、人目を気にする時期、あるいは、䞀番、個性化しおいく成長期に、日本のように、「制服」で、䞀元化するず、ファッションセンスが育たないのだそうである。

そう蚀われおみれば、日本人のファッションセンスっお、囜際的には最悪である。
これは、äž­å­Š、高校で、「制服」ずいう䌝統があるからにちがいない。

異性の目を気にするのも十代のこの時期であるから、本圓に、勉匷はそっちのけで、毎朝、鏡を芋お、衣裳遞び、衣裳チェックである。

髪も毎日同じでは孊校には行けない。
線み蟌み技術は女子の必須項目だった。

毎日、同じブラりスや同じ服装で行くわけにもいかない。
芪に掗濯をしおもらうわけにいかないので、みんな、自分で掗濯をしお、自分でアむロンがけをしおいた。

仮に、ブラりス䞀枚、2900円だずしお…。掗い替えを考えるず、䞀週間で5枚は必芁になるだろう。
スカヌト䞀枚、5900円だずしお、䞉枚は必芁だろう。
冬物ず倏物、䞡方必芁である。

䞊着は、カヌディガンや、ブレザヌ、冬のコヌト、倏の矜織ものである。
それから、入孊匏や卒業匏、あるいは、喪服ずしお、スヌツも必芁である。

服に合わせた、バッグず垜子、靎も必芁で、雚の日にはレむンシュヌズ、雪の日には、長めのブヌツ、ずいうこずになる。

結果、制服が決たっおいる孊校より、高く぀くのは必然である。

たた、これは実際䜓隓したから、であるが、ブランドものの服が奜き、芪に買っおもらえる、ずいう生埒は、メンズビギのTシャツを着おきた。
トラッドでおしゃれに決めおくる男子生埒は、モテモテだった。
ビヌトルズファッションで、髪も前髪ぱっ぀んで孊校に通っおいた生埒もいる。

私も、そうしたファッション環境のなかで、自分らしいファッションセンスを磚いおいった…ず曞きたいずころだが、実際には、詊行錯誀でたいぞんだった。
垢ぬけないTシャツに、だがだがゞヌンズ、こんな栌奜で、毎日孊校にくる生埒は、それなりの立堎を芚悟しなければならない。

でも、リベラルで楜しかったず思う。

日本の孊校も、すべお私服化するべきではないか、ず私は思う。
私の䞻人も、そう思うそうである。
特に䞻人は、黒の詰襟を着おいたので、これが、ゞヌンズにTシャツで孊校に行けるなら、楜でいい、ずいうのである。
「倏、涌しい」ずいう。

かの、黒沢和子女史が、衣裳を担圓しおいるドラマ「ずず姉ちゃん」。
垞子は制服の孊校で、どのようにファッションセンスを磚いおいったのだろう?
気になるずころだ。

今も昔も倉わらないのは、「おしゃれしたい」ずいう乙女心だろうか。
私も、スカヌトのヒダを寝抌ししお、うたくいかなくお、朝起きお、「きゃ~」ずなったこずがあったなぁ!

♪ だけど、東京で倉わっおく、あなたの未来はしばれな~い~ ♪


2016幎4月27日氎曜日

NHK連続テレビ小説「ずず姉ちゃん」第3週「垞子、はじめお祖母ず察面す」感想。

䞀家の倧黒柱であり、唯䞀の皌ぎ手であった、父・竹蔵を倱っお、䞉姉効ず母の四人家族は、生掻に困窮するようになる。
父の䌚瀟から出されおいた揎助も、ずうずう打ち切りである。
そんなずき、この若い母芪は、どんなふうに家族を守っお、生掻を切り拓こうずしたか。
瞁を切ったはずの実家の母芪(垞子たちにずっおは祖母にあたる)のずころに、「åž°ã‚‹」ずいう道である。

垞子たち䞉姉効にずっおは、母の母、぀たり祖母は、もう亡くなっおいるず聞かされおいたようだ。
子どもたちにずっお、生きおいる人を、死んだずいう嘘は、本圓によくないこずだ、ず思う。

ここには事情があっお、母・君子は、実家から、結婚を反察されお、家を飛び出した、ずいうわけだった。
そのずき、実家の祖母・滝子ずは、絶瞁状態になったのである。

200幎の暖簟を誇る材朚問屋の「む゚」、この「む゚」の存続のために、お芋合い結婚をさせられそうになったそうである。
それで、「自由に生きたい」「奜きな人ず結婚したい」ず、意志を匵っお、滝子から勘圓された、ずいうわけなのである。

しかし、この結婚はうたくいかなかった、ずいう結論になるだろうか、竹蔵は、結栞で亡くなっおしたったのである。
そうしたずきに、祝犏されなかった結婚、ずいうのは、あたりにも孀立しおいお、぀らいものである。

芪ずの確執、芪ずのケンカは、誰でもあるこずだろう、ず思う。
時には䟡倀芳のちがいから、瞁を切るほど憎くなる、互いにわかりあえなくお察立するこずもあるだろう。

けれども、やはり結婚するずきには、芪から、芪戚から、ご近所の人々から、友達から、祝犏される結婚でありたいものである。

私はこう思う、叀いのかもしれないけれども、結婚ずいうのは、倫ず劻ずのふたりだけのこずではなくお、たくさんの人々を瞁結びするものである、ず。
そしお、若い倫婊は、倧きな広い環境のなかで、新しい家庭ずいう皮を蒔き、その芜を、䞀生懞呜育おおいくものではないか、ず。
そのずきに欠かせないのが、倪陜ずなり雚ずなり、倧地ずもなる、家族であり、環境、人間関係である、ず思うのである。


個人䞻矩がずおも匷くなっおしたうず、これが良くない方向に傟くず、孀立状態を生んでしたう。
そのなかで、経枈的にも粟神的にも、远い詰められおしたうのではないか、ず思う。

芪ずの葛藀はあるもので、誰もが芪を乗り越えお、倧人になっおいくものなのだろう。
でも、戻るべきずころも助けおくれる人も、やはり芪なのではないか、ず思う。

話は少し暪道にそれるようだけれども、「掟遣村」ずいうのがあっお、郜䌚で職を倱くし、家も倱くした人たちが、誰にも頌らずに、郜䌚の片隅の屋根のないずころで、幎越しをする、ずいう瀟䌚問題がある。
私は、この報道を芋るたびに思うのだけれども、圌らはどうしお、実家に、芪元に、垰らないのだろうか?

いったん家に垰っお、寝る堎所ず食べるものくらいは、提䟛しおもらっお、力をためお、そこからたた新しい就職先を探せばよいではないか、ず思うのだ。
しかし、むンタビュヌなどを聞くず、「ちゃんずした職に就いおから、芪に報告する」ずいうのである。
故郷に錊を食るたで垰れない、ずいうこずだろうか。
それずも、本圓に、䜕か、芪ずの溝が深くなっおしたっお、垰りたくない、ずいうこずだろうか。

厳しい蚀い方のようだけれども、私はこうした、芪ず瞁を切ったずか、芪に顔芋せできない、ずかいう人は、他人ずは仲良くできるけれども、血の぀ながった人ずは仲良くできない、ずいう人は、やはり䜕か本人に問題があっお、人間関係がうたく構築できない人なのではないか、ず思うのである。
そういう人が、掟遣村などに集たっお、職もなく家もなくさたよっおいる、ずいうのは、䜕かずおも根の深い問題であるように思う。


ずころで、自由恋愛をめざし、家を出お恋愛結婚をした、君子の生き方は、圓時、昭和のはじめごろ、ずしおは、ずおも珍しいものだった、ず蚀えるず思う。

父ず母が、そうした自由恋愛のもずに結婚したから、垞子たち䞉姉効も、近代化する日本瀟䌚のなかで、䞀歩リヌドした生き方、ラむフスタむルを生きるこずになったのではないか、ず思われる。

祖母・滝子の気持ちもわからないでもない。
実はきのう、「スタゞオパヌクからこんにちは」を芋おしたっお、(ずきどき芋る)ゲストが、滝子圹の、倧地真倮さんだったので、本圓におきれいなかたで、みずれおしたった。
それでお話を聞いたのだけれども、圹䜜りずいう点で、芪子、母嚘、ずいう点で、ずおも真剣に取り組んでいらっしゃったず知った。

この祖母・滝子にしおみれば、もしも自分が母芪だったら、可愛い嚘が、自由恋愛をしお「この男性ず結婚したい」なんお、誰かを連れおきたら、どんなふうに思うだろう。
うちの䞻人は「たずぶっずばす」ず蚀っおいる。

しかし、もしもっず冷静になっお、この男性を芋おみれば、それは、嚘よりも倧人であり、人生を長く生きおきお、人を芋る目も確かになっおいるずころであるから、「竹蔵」この男に、嚘をたかせるわけにいかない、ずいうずころは、確実である。

なにしろ、竹蔵は、幌いころに䞡芪を倱っおいお、芪戚じゅうをたらいたわしにされながら育った経歎がある。
人間は経歎でも育ちでもないかもしれないが、それは、嚘の結婚を考えれば、建前に過ぎない。
第䞀、実際に、竹蔵の匟は、定職に就かず、「䞀山圓おる」こずを目論んで、ぷらぷらしおいるではないか。
この匟が、いずれ嚘たち䞀家に、「たかり」にやっおくるこずは、火を芋るよりも明らかである。
そんなこずくらいは、芪である滝子には、お芋通しである、ずいうこずなのだ。

たた、滝子の「む゚」ず、「シゎト」であるが、滝子自身が、「倧倉だったけれども、この道を生きおきおよかった」ずいう匷い思いず実感があるのではないだろうか。
そしお、䜕よりも、仕事に誇りを持っおいる。

「暮しの手垖」の線集者である垞子の祖母は、早くから、働く女性であり、管理職でもある、ずいうこずなのだ。
そうした祖母の生き方、仕事の仕方から、垞子が孊んだこずも倧きいずいうこずだろう。

働く女性ずしお、嚘にも、生きがいのある、匵り合いのある人生を送らせおあげたい、それが、母芪ずしおの思いやりであり、嚘ぞの愛情だったのではないか、ず思うのである。

嚘が、家業を継がない、ずいうこずは、母にずっおは、党人栌の吊定であり、これたでの母の党人生の吊定だったのだろうず思う。
「母芪をばかにしおいるの?」ずずおも悔しいだろうず思うのである。
芪には芪の、メンツずいうものがあっお、それを守るために、我が子から尊敬されるために、日々、奮闘しおいるものだ。

そうした母の気持ちが、なかなか䌝わらない。
でも、嚘ずしおも、人生経隓のある幎䞊の女性から、その䜓隓に基づく教えを、玠盎に受ける姿勢も、倧事だったのではないか、ず思える。
蚀い方や口調もあるだろう。
嚘は嚘ずしお、母芪ぞの愛情や尊敬を、もっず衚しおもよかったのかな、ず思う。
「母芪ぞの尊敬」を衚さないで、自分の我を通したあたりは、むしろ「お母さんずそっくりの匷情嚘」ずいうこずになるわけだ。

どちらから、セトモノであるこずをやめお、受け入れる気持ちになっおもよいように思った。


ずころで、「代々続く家を継ぐ」ずいうのは、そんなに嫌なものなのだろうか?

私は、北海道で育った。
北海道は、開拓100幎を少し過ぎたずころであり、歎史が浅い。
それなので、「代々続く家」なんお、誰も持っおいなかった。
だから、「実家の家業を継ぐ」「継ぐべき家業がある」ずいう人は、珍しかった。
本州から来た友達は、けっこう「家業」のある人が倚くお、そういう友達をうらやんだものなのである。

結局のずころ、人は、自分にないもの、他人が持っおいるものが、うらやたしくお仕方ないのかもしれない。
けれども昚今の、時代劇ブヌム、歎史ブヌムを芋るず、誰もが、個人䞻矩にはあきあきしおきお、ルヌツ、アむデンティティを、求めおいるような気がするのだけれども、どうだろうか?

これから、母ず嚘、祖母ず孫嚘は、どんなふうに「女性の幞せ」を远求しおいくのだろう?
本圓に、楜しみな「ずず姉ちゃん」である。



2016幎4月25日月曜日

NHK連続テレビ小説「ずず姉ちゃん」第2週「垞子、効のために走る」感想。

倧奜きな、竹蔵お父さんが亡くなっおしたっおから、5幎がたっおいる。
2週目は、子圹ではなくお、ヒロむンの垞子は、高畑充垌さんになっおいる。
元気いっぱいの登堎である。
亡きお父さんず玄束したこず、䞉姉効の「ずず」代わりになるこず、お母さんず効たちを守るこず、このテヌマで、垞子は、悩み、考えながら、15歳を生きおいく。

お母さんも、垞子も鞠子も、それなりに自分の力で、父の死を乗り越えたず思われる。
特に長女の垞子は、父から重倧な䜿呜を蚗されたので、責任感ず、それからきっず、「誇り」があるだろう、ず思われる。

末っ子の矎子だけは、ただただ父芪のいない自分の人生を、受け入れるこずができおいないようである。
小孊校では、お友達がみんな、お父さんのお話をするので、すっかりたいっおしたう。
暗い顔をしお䞋を向いお、お友達ずも話さないので、ちょっずした仲間はずれになっおいる。

これは、小さい子どもずしおは、いわゆる「問題行動」の状態である。

珟代の䞖の䞭だったら、孊校の先生や、孊校カりンセラヌ、芪埡さんがいっしょになっお、こうした問題行動に取り組むこずになるだろう。

ヒロむン垞子は、幌い効の、問題行動に取り組むこずになる。
「私にはお父さんがいない」その悲しみをなんずか解決しようずしお、「矎子には、お母さんも、垞子お姉さんも、鞠子お姉さんもいるでしょう」ず蚀っおはみるけれど、「お姉ちゃんなんか倧嫌い」「ずず姉ちゃんなんか信じない」ず、ふおくされお、ひずりで郚屋に閉じこもっおいる。

垞子は、矎子の「ずず」代わりになりたいず、町内の運動䌚に出お、か぀おのお父さんの姿のように、䞀等賞をずろうずする。

私は思う。
心が傷぀いお、友達ず比べお自分が劣っおいるような気がするずき、友達ず比べお自分の状況が䜕か足りないような気がするずき、䜕よりも萜ち蟌んでいるずきに、「や぀あたり」をする盞手がいるこずは、ありがたいこずだ、ず思うのである。

垞子も鞠子もお母さんも、矎子のために、翻匄される。
頭を悩たせる。
本圓に困っおいる。

誰かひずりでも、「わたし」のために、こんなに困っおくれる人がいたら。
誰かを、本圓に心から困らせお、悩たせお、時には泣かせるこずができたら。

そうしないず、ずおも癒えない心の傷、ずいうのが、あるのだず思う。
誰かを、困らせお困らせお困らせお、そうしないず、ずおも心のバランスがずれない、ずいうこずなのだ。

逆に蚀えば、どんなに心が傷぀いたずきにでも、ぞそを曲げお、八぀圓たりする盞手がいる、ずいうこずは、ずおも倧事なこずで、どんなこずも乗り越えられる、倧事な人間関係になる。

䞖の䞭のお母さん、お父さんたちは、子どもの八぀圓たりに察しお、厳しい態床をずるこずもあるかもしれないけれども、孊校や友達付き合いで傷぀いた心を、家庭で癒すこずができるのは、家庭の倧切や圹割だず思う。

垞子ず鞠子、そしおお母さんは、幌い矎子にずっお、倧切な家族環境になっおいる。
家族を営み、家族を健党に維持しおいる。
暖かい家族のなかで、幌い心、父を倱った柔らかい心は、確実に、力匷く、癒されおいくのである。

ずおもよい、第二週目であった。


2016幎4月8日金曜日

NHK連続テレビ小説「ずず姉ちゃん」第䞀週「垞子、父ず玄束する」感想。

毎朝、楜しみに芳おいる、NHK朝の連続テレビ小説は、秋から春たでの攟送「あさが来た」を終えた。
最終回のラストシヌンでは、菜の花畑で再䌚する、倫婊の姿が描かれた。
芖聎率もずっず高く、囜民的な人気を維持した「あさが来た」の、このラストシヌンには、感激の声も倚いずいう。
本圓によいドラマだった。
私も、倧倉な冬の季節を迎えおいたが、その寒さを乗り越えるのに、本圓に心の支えになっおくれたドラマだった。
ありがたいこずだ、ず思う。

そしお、4月からは、新しい季節、新しい人生、新しいドラマが始たる。
「ずず姉ちゃん」は、前評刀も高い、期埅できるドラマである。

「暮しの手垖」ずいう、昭和の時代に䞀䞖を颚靡した、女性雑誌の創刊をした女性・倧橋鎭子さんがモデルずなっおいる。
私は、どんなドラマになるのかな、ずむンタヌネットを駆䜿しお、「暮しの手垖」や、モデルずなった倧橋女史のこずや、名線集長ず呌ばれた花森安治氏のこずも、おおたかに調べおみた。
それから、NHKのホヌムペヌゞもいろいろ読んでみた。

あれこれず、芋どころの倚いドラマのようである。
今回のドラマは、安倍政暩の圱響を倧きく受けおいるようである。
「あさが来た」のずきも、登堎人物である、䞻人公の姉「は぀」の生き方や考え方、暮らし方を通しお、「質玠に぀぀たしく生掻する」ずいうこずを、囜民に蚎えたかったようである。
今回の、「ずず姉ちゃん」でも、「぀぀たしい暮らしを倧切にする」ずいうこずを、囜民、特に女性たちに蚎えたかったのではないか、ず思う。
それは、安倍政暩が、戊争をしようず蚈画しおいたからだず思う。

その戊争も無事回避され、パナマ文曞も芋぀かっお、䞖界情勢は倧きく倉わろうずしおいる。
そうした時期に、今さらながら、「質玠倹玄぀぀たしい暮らし」を、囜民に蚎える必芁はないのかもしれない。
蚀論統制はもう解けたのである。

しかし、攟送が始たっお、実際に芋おみるず、「昭和の暮らし」の、䞁寧さ、矎しさが䌝わっおきお、これは「芋どころ」ずいっおも差し支えない気がしおきた。
戊埌の高床経枈成長期が終わっお、平成の䞖の䞭は、「もっず昭和の時代を芋盎そう」ずいう気颚が広がっおいる。
若い女性の間にも、「ナチュラルで䞁寧な暮らし」が、静かに、自然に支持を広げおいるように思われる。

朝食の前に、鏡に向かっお髪を梳かす、ずか、ちゃぶ台を䞁寧に拭くこず、きんずんを䜜るずきに、ふかしおから裏ごしするこず、着物は畳に広げお䞁寧にたたむこず…。
あるいは、ふすたに空いた穎は、桜の花圢に切った玙で、きれいに貌っお補修するこず…。
どれをずっおも、「矎しい暮らし」ずいう気がする。
「暮しの手垖」の基本になった、䞉姉効ずご䞡芪の、昭和の暮らしである。
こうしたずころを、芋どころずしお芋おいきたいように思う。

「昭和の暮らし」に぀ながっおいくずころでは、目をキラキラさせお、芋぀めたいずころがある。衣裳の担圓が、映画監督・黒沢明氏のご息女である、黒沢和子さんである、ずいうこずである。
「暮しの手垖」の前身ずなった「スタむルブック」が、衣装、ファッションの雑誌であるので、ドラマ党線を通しお、ファッションには、ずおもずおも、期埅できそうで、うれしい、ず思うのである。

芋どころはただただある。
私が、疑問にも思い、問題にも思うのは、「ずず姉ちゃん」の成長過皋である。
぀たり、母子家庭の父芪代わりになった、長女の成長する姿である。
なんらかの理由で、ある家庭が母子家庭になるず、残された芪、母芪が、長女、あるいは長男を、倫代わりにしおしたうこずがある。
そうしないず、未亡人にずっおは、家庭を圢成できない、ずいうこずかもしれない。

これは、長男、長女にずっお、アむデンティティの圢成期に、倧きな圱響を及がすこずは、みなが知っおいるずおりである。
幌いながら、倫代わりを果たさなくおはならない子どもが、いわゆる「子どもらしい成長期」を持぀こずができず、芪に充分甘えるこずができずに、粟神的な発達の偏りを起こしおしたう、ずいうこずである。

そしお、小さいずきはただしも、倧人になっおから、ノむロヌれや、う぀病になっおしたう。

今回のヒロむンの背景は、最初から、母子家庭の父芪代わり、ずいうこずで、芋おいおかわいそうでしかたないかんじがする。
このあたりを、脚本家の西田埁史氏がどのような手腕で描いおいくのか、泚目されるずころである。


芋どころは、ただもうひず぀ある。
私が思う倧きな芋どころは、ヒロむン垞子の恋愛ず結婚である。
モデルずなった倧橋女史は、結婚されおいない。
しかし、「暮しの手垖」の名線集長・花森安治氏ずは、かなり接近した仲であったようである。
仕事䞊の最高のパヌトナヌでありながら、結婚はしなかった、恋愛ずいう仲でもなかったこずを、呚囲の人たちにも䞖間にも、匷く蚎えおいるようである。
この姿は、ドむツの哲孊者、サルトルず、女性論で名高いボヌノォワヌルのこずを連想させる。
ボヌノォワヌルの著䜜「第二の性」は、フェミニズムを思う女性にずっおは、必読の曞である。

結婚しない、「恋人」ずも呌びあわない、察等な男女関係がそこにはあったのではないか、ず私には思われるのである。
このあたりで、珟代瀟䌚の、結婚や恋人や、恋愛や男女平等に関わる、たくさんの䞍満や疑問に察しお、ヒロむン垞子が、あるひず぀の「男女のありかた」「わたしたちの圢」を、提案しおくれるのではないか、ず思うのである。

矎しい、䞀冊の雑誌、䞀遍の゚ッセヌ。
枅く明るく矎しい昭和の時代に、新しい女性の生き方を広げおいった、ヒロむン「ずず姉ちゃん」このドラマに、期埅したいず思う。