今年も読書週間が始まった。
10月27日から11月9日までだそうで、毎年11月3日の文化の日を中心とした二週間を、読書週間に充てているのだそうである。
今年の標語は「めくる めぐる 本の世界」となっている。
このキャンペーンの発足のきっかけやキャンペーンの内容を、ホームページで見ていると、読書週間には、新しい時代の、何か新しい目的観や手法が必要なような気持ちがする。
というのは、読書週間の始まりは、終戦後間もない昭和22年で、本、出版物への、要望や必要性がとても高かったころだ、ということだからである。
その時期に、出版社や公共図書館などが集まって、「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」と運動が始まったのだそうである。
昭和20年代には、戦後間もない、ということもあって、本というよりも、情報への希求が強かったのではないだろうか。
それも、海外の文化や、外国の情報、外からの情報である。
本や活字が定着してから、写真、映像(動画)、テレビや映画の情報が、媒体として普及し始める。
写真や映像以前というと、活字への要望というより、「欲求」に近いものが、強く強く存在したのではないか、と思われる。
それは、活字媒体への欲求であって、よくよく突き詰めてみれば、情報への欲求だったのではないだろうか。
現代社会では、インターネットが加速度的に普及している。
ファクシミリの普及でもそうだったのだが、文字や活字だけではなく、絵や写真が、とても手軽に送れるようになった。
ツイッターやフェイスブックでもわかるとおり、デジタルカメラはとても発展して、手軽に使えるようになった。
フェイスブックの記事では、文字の数はとても少なくても、写真が主だった伝達手段として使われることが多いようである。
また、ツイッターを見ていてもわかるとおり、イラストやマンガを描ける人が、とても多くなったように思う。
サインペンやボールペンで、手帳に「アイコン」的なイラストを記入している人も多いようだ。
また、手帳の余白に、絵画的なアイディアを書き留める人も多いようである。
私自身は、自分で自信を持って言えるほど、「活字派」である。
デジタルカメラも持っているし、簡単なイラストならがんばれば描くこともできるが、「言葉か?絵画か?」と問われれば、即答で「言葉です」と答えると思う。
ツイッターもフェイスブックも、文字の打ち込みを「私」の表現手段にしたい、と思っている。
言葉を使っての発信で、それをすべてにしたい、それは個人所有の主義である。
私個人が予想していたよりも、写真や映像での情報発信が多くなったようである。
また、情報の受信も、文字より写真や映像が多く、スマートフォンやタブレットも含めて、インターネットを介する場合が多いようである。
こうして、国内外からも海外からも、たくさんの情報が受信できるようになって、活字への欲求は薄れてしまったようだ。
私自身も、「チボー家の人々」「狭き門」「戦争と平和」「レ・ミゼラブル」「モンテ・クリスト伯」など、長編小説を、夢中になって読んだものだ。
あのときの、長編小説に浸りきる、という感覚を、子どもたちにも教えてあげたいように思う。
けれどそれは、今にして思うと、とても忍耐力と読解力の必要なことだったのかもしれない。
そしてそれは、なんらかの「欲求」に基づくものだったように思う。
現在では、映像文化が盛んとなり、イラストも音楽も手軽にパソコンで作れるようになった。
そして、作り手も多くなった。
活字文化、文学は、グーテンベルグが活版印刷を発明してから、起こったものだそうである。
とすれば、インターネットやデジタルの発達で、文学とはまた別の文化が生まれるものなのかもしれない。
「昔はよかった」と思わないで、イラストがすらすら描ける子どもたちを、褒めてあげればよいのだろう。
とはいえ、言葉には言葉にしか表現しえないものがあると、やはり思う。
言葉で残さなければならないものも、たくさんあるだろう。
言葉を通して読み取らなければならないものもあるだろう。
私は、言葉、活字文化の衰退は、現代の活字文化の中にあるテーマに問題があるのではないか、と考えている。
思想やテーマ性が、低くなったり、軽くなったり、あるいは深刻であったりしすぎないだろうか?
せっかく、忍耐力と読解力をもって、長編小説を読んでも、そのあとに苦々しい気持ちが残ったりしないだろうか?
いわゆる「ソフト」の面で、活字文化、日本文学は、まだまだ改善と進展の余地があり、問題点がとてもたくさん残っていると思う。
アニメも、コミックも、とても力強く、活発である。
特に青春を描くときに、とても元気が良い。
日本の現代文学のなかに、今、それがあるだろうか?
活字文化は、ひとにぎりの「文学オタク」の溜り場になってはいないだろうか?
言葉でしか表現できない「なにか」を求めて、私も、一生懸命、文字を書いている。