竹取物語・かぐや姫の伝説。

日本にも、古来からの童話がある。
「日本にも」というと、なんだか妙なかんじではあるが、現代の世の中は、ディズニーランドにしても、人々の衣裳にしても、西洋風になってきて、「お姫様」というと、白雪姫であるとか、眠り姫、なかには「雪の女王」というのもある。
また、童話というと、やはり西洋の童話が読まれているようで、グリム童話、アンデルセンの童話が人気であるばかりか、子どもたちからも支持率が高いようである。
日本の童話にも、「かぐや姫」という美しい伝説のお姫様がいる。
そのかぐや姫がなかなか、子どもたちの間で広がらないのは、そのわかりずらさにあるのかな、と思う。
また、古来から、童話や伝説には、さまざまな意味、解釈、注釈がつけられていて、海外から入ってきたものよりも、地元・日本のものであるほうが、なんとなくリアリティがあったり、深読みしてしまったりする。
意味・解釈を知ってしまうと、そのファンタジーに浸りずらい。
また、着物や建物、動植物が、身近に知っているものだと、これもファンタジックな幻想をさまたげてしまうようである。

たとえば、「竹林」である。
あるいは、黒い長い髪を結う、とか、あるいは日本の帝、というのも、京都あたりでおしろいに黒ポチの眉を描いていそうで、なんだかどうもロマンチックではない。

注釈としては、かぐや姫が、最後に月に昇っていったあたりなどは、育ててくれたおじいさん、おばあさんに対して何の恩返しもない、という声もあるし、またたくさんの求婚者に、この世にありもしないようなプレゼントを要求したのも、とてもわがままである、という感想もある。

なぜ、かぐや姫は、たくさんの男性たちの求婚に応じなかったのだろう?
なぜ、あれほどまで人の心を集めた美しさを持ちながら、もっともっと、この世のよいものを得ようとしなかったのだろう?
なぜ、最終的には誰とも結婚しないで、月へ帰ってしまったのだろう?
非常に謎が深い。

シンデレラ姫は、お城に昇って王子様と結婚してハッピーエンドである。
白雪姫も、意地悪な継母からいじめられはするが、王子様に助けられて結婚してハッピーエンドである。
眠り姫も、魔法使いに呪いにかけられてしまうが、やはり王子様が助けに来てくれて、結婚してハッピーエンドとなる。

それなのに、それなのに、日本のかぐや姫は、誰とも結婚しないで、月に昇るのである。

私は、かぐや姫に対しての「わがまま」「恩知らず」という意見には、違和感を感じる。
というのは、何かもっとそこに、神秘的で輝かしい月の魔法のようなものを感じるからである。

かぐや姫は、もともと月の住人なのだそうである。
求婚者に「では、これを持ってきてくれたら、あなたと結婚いたしますわ」と言った、その5つのもの、これらがあったら、月の魔法がほどけて、地球で暮らすことが叶う、なんらかの秘密のものだったのではないだろうか…?と私は以前から思ってきた。
たとえば、「仏の石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「焼いても燃えない布」「竜の首の珠」「ツバメの子安貝」などである。
どれを考えても、この世にあるかないかわからないような、珍しい品物である。
しかし、ロマンチックな品物でもある。

私はこんな解釈を試みてみるのである。
「仏様の石の鉢」→ 絶えることなく清らかな水が湧きだす鉢
「蓬莱の玉の枝」→ たくさんのたわわな実がなる食料品の成る枝
「焼いても燃えない布」→ 戦火に焼けることのない家や街
「竜の首の珠」→ 豊かで強くあること
「ツバメの子安貝」→ 子どもたちが平穏で楽しく遊ぶこと

月から人間界におりてきたお姫様は、月の上から、人々の争いの生活を見て、嘆いていたのかな、と思うのである。
誰か、この世界を平和に安心したところに、してくださいませんか、まるで月の世界のように、そうしたら私も長くこの地球にとどまって暮らしていけるのですが…。
かぐや姫の願いは、そのあたりにあったのではないか、と思うのである。

しかし、かぐや姫の持つ、輝かしい月の光が、人々を安らかにするのとは裏腹に、人間たちは争って、闘争心を燃やしたり、仲間割れを起こしたりする。
かぐや姫も悲しかったろう、と思うのである。

みんなが楽しく、暮らしていけたらいいね、と今夜も月から、かぐや姫が見守っている。
…と思いきや、今夜は新月だそうである。
人間界に望みはあるやなしや、というところである。


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