2014年2月28日金曜日

皇室の報道の在り方について。


最近の皇室の状況が、日々、メディアの話題にのぼっている。
以前から、皇太子妃雅子さまのご病状や、
愛子内親王さまの登校の様子などが、話題となってきた。
それらは主に、女性向けの雑誌で、「最近のご様子」の一環として、
取り上げられてきたと思う。

このところは、平成天皇のご入院があり、
今後の病状や、それに伴う日本の世の中の変化が考えられて、
話題としては大きくなってきていると思う。

私は女性として、女性雑誌はときどき目を通してきた。
そこで描かれる皇室の御様子、特に女性たちのご様子は、
とても魅力的で、私たち庶民の女性たちにとっても、
常に気になり、女性たちが集まっては共通の話題としておしゃべりをしあうのに、
もってこいの話題であった。

それというのも、もともと女性たちは「お姫様のお話」や、
「ご尊貴なかたがたのお話」が大好きで、
ファッションや言葉遣い、ご家族の様子など、「知りたい」「真似したい」と思うものなのである。
そして、お姫様がたと自分を比べては、「うちはまだまだ庶民ね…」とためいきをついてみたり、「皇室ご用達」のおいしいお菓子をちょっとだけ味見してみたり、
それを楽しんでいたわけである。

雅子妃がご病気になられる以前には、ファッションが中心だったと思う。
どこにお出かけをされた、その時どんなお帽子をかぶっておられた、どんなバッグを持っておられた、写真とともに語られる情報は、一種のタレントのファッションリーダーのような存在だった。

あるいは、美智子妃殿下に関しても、天皇陛下との軽井沢での出会い、
子育ての仕方、読んでいる本、テーマとして扱っている生涯のご勉学、
そして、夫婦愛に関して、私たち日本の庶民の「お手本」となられる女性であった。

それが、雅子妃の、まさかのご病気をきっかけとして、
雑誌報道の内容も変化してきたと思う。
ひとつは、特に女性雑誌では、雅子妃と紀子妃を比べて、
「長男の嫁」VS「次男の嫁」といった見方をして、
「我々の悩みとそう変わらない」といった視線で、記事が語られる点である。
また、皇后さまに関しても、皇后さまと雅子妃を「嫁・姑」と捉え、
「どこの家族でも女の戦いはあるのね」という切り口になる。

これは、皇室に関する報道としては、少し下世話なかんじがする。
皇室という特殊な位置にある人々には、それぞれの考えや、仕事や、使命があるはずなので、それらの物の見方は「ずれている」といったほうがいいだろう。

ただ、最近の女性雑誌の内容は、気になることがたくさんあった。
ひとつは、後継問題である。
率直なところ、皇太子ご一家に関しては、今後、男の子が新たに誕生することはないだろう。
そうすると、現行の法律では、皇位継承権は、現在の皇太子殿下の次は、
秋篠宮殿下であり、次は、秋篠宮ご夫妻のお子さんである悠仁さまになる。

「女帝論」という論議はあったが、法律として制定されていないし、
論議も熟していない。
だから、このままだと愛子さまは内親王として成長され、民間に嫁ぐことになる。
そして、悠仁様が、いずれ皇位を継承されることになる。
皇位を継承されるかたは「皇太子」と呼ばれ、幼いころから教育を受けることになる。
しかし、女帝論の可能性もあるので、悠仁様に皇太子教育はまだされていない、という話である。

幼い子どもたちのことである。
これらの論議は早く行って、将来のことを決めてあげるのが、一番ではないだろうか。

先日、ブータンの国王夫妻が来日された。
ご結婚されたばかりの夫妻で、その仲睦まじさに、誰もが拍手を送った。
殺伐とした世相にあって、本当に心から喜びあえるハッピーなニュースであったと思う。
それにつけても、「ご夫妻で」という意味は大きい。

とても残念なことであるけれど、日本の皇太子殿下は今、ご夫妻でお仕事をすることができない。
皇室の報道が、制限がかけられているものの、どちらかと言えば、皇太子ご夫妻に対する「冷たい視線」があるのは、誰もが感じていることだと思う。
私自身も、率直な気持ちを言って、雅子妃のご病気がなぜ治らないのか、
愛子様の登校拒否や、カメラに対しての「あのポーズ」はなんなのか、と気をもんでしまう。
ただその気持ちをよく内省してみれば、それは、皇太子ご夫婦、皇太子ご一家に対する、とても大きな期待と、それを裏切られた哀しみのように思う。

天皇家は、日本人のアイデンティティそのものであり、日本の国の誇りである。
海外に対して、例えばブータン国王夫妻のお出迎えに対して、
皇太子さまがおひとりで迎えるしかなかったことが、「国民として恥ずかしいこと」であり、「悔しいこと」なのだと思う。
そして、お役目を果たすことができなかった雅子妃に対して、裏切られた、という気持ち、日本人のアイデンティティをけなされた気持ちが強くなるのだと思う。

天皇陛下は年齢を考えても、ご病状が気になるところである。
報道の仕方はさまざまにあるとしても、海外に比べれば日本の王室は相当に守られていると思う。
日本人として、日本の国として、するべきことはきちんと考えて、
今後の、「日本の象徴」「日本の誇り」である皇室を、しかるべきように整えていきたいように思う。





婚活・結婚と仕事・専業主婦。

「婚活」という言葉が、社会に通用するようになって、しばらく経つように思う。
「婚活」という言葉が、当初とても珍しく思われたのは、結婚のために、積極的に活動をする、ということが、とても不思議なことであるように感じられたからだ。
というのは、男性と女性は、自然な形で出会うのがふつうであったし、親や社会がときにはどんなに反対しても、出会うべき男女は出会い、結婚に向かっていくものであった。
だから、やはり、結婚や男女の出会いは、自然な形が一番であるように思われる。
また、日本には伝統的にお見合い結婚というのがあったが、これも、女性本人が、積極的に行うものではなかった。
そうした意味で、「婚活の時代」は、不思議な時代である。

出会いに関しては、昔は、地域の「おせっかいおばちゃん」や、親戚のおばちゃんなどがいて、年ごろの男女の仲立ちをしてくれたものだ。
しかし、現代では、お見合い結婚は否定される傾向にあり、恋愛結婚が主流となっている。
こうした、恋愛、結婚の環境が、とても変化しているように思う。

女性の人生は、ふつうに考えて、恋愛、結婚、妊娠、出産、子育て、と進んで続いていく。
この人生の課程を、順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、次に結婚をしよう、ということになる。
そして、25歳も過ぎたら、周囲の人たちもあれこれ言うようにもなってくるので、積極的に、計画的にこの人生の課程を進めていこうとする。
女性にとっては、ある意味、当たり前のことである。

女性の人生は、普通に考えて、これから先、恋愛、結婚、妊娠、出産、育児、
と続いていく。
この人生の過程を順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、結婚をしよう、ということになる。
そして、25歳すぎたら、積極的に、計画的に、この人生の課程を進めていこうとする。
女性にとっては、普通のことである。

この、女性の人生課程を、よりよく積極的に進めようとすると、たとえば、学校を選んで、進路を選んで、受験勉強をして、エントリーシートを提出して、受験して、面接を受けて、結果を受け取り、合否を判定する、ということになる。
それと全く同じ方程式で、婚活を、熱心に行うことになる。
その際、自分の能力を高めたり、能力をアピールすることにもなる。
また、相手=志望校に対して、どれほどの能力があるいか、詳しく調べて、そこにいきたいかどうか、綿密に調査して、調べることになる。

しかし、実際には、恋愛、結婚というのは、人と人との感情や、相性や、縁結びということが関係してくる。
だから、どれだけ努力して、熱心に行っても、それが実を結ぶとは限らない。
綿密に調べて選択した結果の相手に、どうしても好意を抱くことができなくて、本当に好きじゃなくてもいいのかどうか、悩む人もいる、と聞く。
また、とても好きな人に、経済的な力がまだついていなくて、結婚しても生活の基盤がない、とか、あるいは、「思う人に思われず」ということにもなる。
男女の仲は、コンピューター見合いが発達したとしても、なかなかうまく運ばないようだ。

あるインターネットサイトで、某国立大学の大学院に進学した女子学生が、専業主婦になりたい、と、婚活をしていると、そういう記事を読んだ。
私は思った。
せっかく大学まで行かせてもらって、たくさん勉強をしたのに、その学力や知識を、社会に出て、世のため、人のために、役立てようとは思わないのだろうか。
女性の生き方として、人間の生き方として、どうなのかと思う。
女性の生き方が、問われる時代であるように思う。



2014年2月26日水曜日

2014年3月の予定。


2月もあすとあさってで修了、ということになる。
今月もいろいろなことがあったが、がんばった、ということだろうか。
手帳を見ると、3月には、いろいろな行事予定が書きこまれている。
毎年、年度末というのは、何かとあわただしいものだ。
それでも、今年の年度末は、例年にもいや増して、あわただしいような気がするのは、気のせいだろうか。

まず、例年通りということで、各学校の卒業式と、入学の準備がある。
それから、人事異動や大学入学に伴う、引っ越し、転居があるだろう。
個人レベルではこういったことが、環境の変化となって、
よい気晴らしとなる場合もあれば、たいへんなライフスタイルの変化となる人も多いだろう。

3月11日には、東日本大震災から3年目の節目を迎える。
あれから、もう3年経ったのか…と思いを深くする。
さまざまな行事も行われるだろうと思う。
個人個人で、気持ちも新たに、災害に備えて、非常用品を整える節目ともなるだろう。

3月中旬には、JRの一年で一度の時刻改正が行われる。
あの分厚い時刻表を、3月号だけは、購入するかたも多いようである。

3月はまた、テレビ番組の改編の時期である。
今年の3月には、とても長い間続いてきたテレビ番組が終了することが、
すでに予定されている。
こうしたことも、ひとつの時代の節目となって、ライフスタイルを、
もしかしたら大きく変えるかもしれないし、
そうでもないのかもしれない。

3月に入ってからは下旬にかけて、桜の花も開花していく。
暖かくなっていくにしたがって、気持ちも開放的になっていくだろうと思う。

思えば、この冬もなんだかとても長かったような気がする。
梅の花も咲き始めて、雪の合間には、小さな草たちが芽を出している。
春の息吹とともに、さまざまな物事が、3月を迎えようとしている。

2014年2月25日火曜日

独裁的な国家プロジェクトに関する考察。


日本の、昨今の独裁的な政治体制がどこを目指しているのか。
IT化は必要なことだ、と誰もが思うだろう。
また、国民総背番号制と、クレジットカードに象徴される信用社会が、
必要とされているようにも思えるだろう。
しかし、その行きつく先は、「最後の審判」とも呼べるほどの、
「振り分け」であるのではないか、と私は思う。

今もし、この国家的プロジェクトの「ふるいの網」に対して、
生き残りたいと思うなら、クレジットカードで信用を積み重ねることなのかもしれない。

また、イオンは、知っている人は知っているとおり、
民主党と関わりの深いところである。
独裁国家が、自民党だけではなく、民主党も抱き込んでいることは、
誰もが知っておかなければならない事実である。
その昔、自民党と社会党はいわゆる55年体制を作っていたわけであるが、
共存共栄の関係だったのである。

また、この格差社会の振り分けは、もっと深刻な状況で行われているように、
私は思っている。
IT化、というと、もしかすると協力したり、賛成したりする人も多数かもしれないが、「振り分けて落とす」という点を、目的にしているところがあるのではないか、と私は思うのである。

それはたとえば、生活保護者、老後の資金のない高齢者、病気で働けない人、ニート、教育程度が低く生産性の低い人、ストレスに弱い人、お金を持っていない人、こういった人たちを対象にして、社会から「落とす」ことを、目的にしているのではないか、と思われる点がいくつかある、ということである。
非常に気がかりであるが、とても心配なところである。

たとえば、ノロウイルス、感染性の病気がこんなにたくさん起こるのは、なぜなのだろうか。
これらは、もしかすると、医療設備に頼らざるを得ない高齢者を対象にして、生命の選抜を行っているのではないだろうか。

ずっと以前であるが、副総理である麻生太郎氏が、こうした発言をしていた。
いわゆる、医療の世話になって存命を長くしているようなご老人には、
生きていないでほしい、税金の無駄遣いだ、という発言である。
こうした発言には、本心、本音が含まれているので、注意が必要である。

IT化、国の強靭化、というと、聞こえはいいが、
実際には、税金のかかる、いわゆる「弱者」という人たちを、落とそうというプロジェクトであると、私には思えるのである。
そこには、選民思想があり、ネオナチ、ファシズムとも呼ぶべき、
日本人の根底に眠る、恐ろしい心根の息吹が、あるのだと思う。

2014年2月24日月曜日

「キイチゴ禁止令」


昨日、日本政府が「痛みを伴う改革」をしようとしているのではないか、
という考えを、記事に書いた。
これが、本当に良いことなのかどうか、私自身、何度も何度も、考え直している。
「改革」は、一種の手術療法のようなものであり、
その副作用は、必ずあるものだ。
それが「痛み」であったり、「後遺症」であったりするのだと思う。

それらの痛みを少しでも少なくするために、
この計画に賛同して、一緒に改革を行う、という人たちを、
集結することも、大切かもしれない、と思う。
チームで行う、あるいは、日本国民全員で行う、ということも、
有りではないか、と思う。

また、新しい国の形も、もっともっと討論してもよいのではないかと思う。
たいていの人、特に男性陣は、国の形や、線路の状況など、
個人個人でそれぞれの「夢」を持っているように思う。

以前、私が札幌にいたときに、タクシーに乗って、
タクシーの運転士さんがいろいろ語っていたのを聞いていたのだが、
その運転士さんは、渋滞の道にうんざりしながらも、
「もし私が札幌市長だったら、札幌に東京の山手線のような、
ぐるりと巡回する線路を作るね」
などと言い出すのであった。
そして「その山手線も、空中をモノレールでぶらさがるみたいのがいいね」
などと、夢を語りだすのである。
なんだかとても面白かった。

「僕は、やっぱり、飛行機で日本中を行ったり来たりできるシステムがいいと思う。
僕は飛行機が好きなので、小さい空港をあちこちに作って、
空路というのも、標識とか確保して、
すいすい飛行機で往復できるのがいいと思う。
今は、空がとても渋滞しているんだ」
などと語る人もいる。

あるいは、「僕だったら、女性たちはみんな女子校に通うべきだ、と思う」
そういう人もいる。
私も、小さいとき小学校のときは、身体が小さかったので、
男の子たちがとてもやんちゃで、本当に困ったことがある。
女の子は、小学校のときから、女子校にするべきだ、と思う。

それから、「学校の入学選抜は、推薦だけにしたらいいと思う。
入学試験をなくす」
そういった案もある。
それに僕は、そういう案を出すのは、政治家だけじゃずるいと思う。
僕だっていろいろな国造りの案は出したい。
どうせ線路だって古くなっているし、
IT化はしなきゃならない。
映画「サマーウォーズ」のようにさえならなければ、
IT化は素晴らしいと思う。
国際通貨の運用も素晴らしいと思う。

それから、日本の新幹線は古くなってもうだめなんじゃないかと思う。
南海トラフ地震もあるし、東海道に重点を置く状況ではないと思う。

どっちみち、第二次世界大戦後、昭和の高度成長期に、
一息に作られた線路や建物、水道管さえもが、とても古くなって、
作り替えを必要とされている。
もしかしたら、東京都だって日本国だって、いったんここを更地にするくらいの考えで、最初から国を作ることを考えてもいいのだと思う。

日本では、一千年も前には、奈良の都、平安の都と、
人の頭で考えた、理想の都市づくりをしてきた。
そうしたことを、してもよいのかもしれない。

なんだか楽しみな計画である。
もっともっと、たくさんの人たちが、
理想の国造りに参加できる、そういうのがいい、と思う。

チェコの作家カレル・チャペックは、著書「園芸家12カ月」のなかで、
「自分がもし一日だけ独裁者になったとしたら」という面白い発想を述べている。
つまり、「キイチゴ禁止令を出す」とかいうのである。
私も園芸家として、キイチゴにはひどい目にあったので、
大賛成である。


2014年2月23日日曜日

「痛みを伴う改革」と日本の新しい国造り。

ソチ五輪も、きょうが閉会式である。
先週の大雪によって、日本ではさまざまなことが起こったが、
きょうは、東京マラソンも無事に日程が始まって、
日本社会は順調に動いているかのように見える。
しかし、大雪に対する対応が遅れた、との見方があり、
東京都知事選挙の結果に対する不満の高まりもあり、
内閣の支持率は急速に低下してきているように思える。
そこへすかさず付け入るのが、今もくすぶる、小沢一郎、三宅雪子の、
「生活の党」である。
ここへ、反原発派が結集すると、政府の求心力がとても下がってしまうことだろう。

しかし、私の見方では、東京都知事選挙は、舛添氏が当選しても、細川氏が当選しても、どちらも大勢において、変わりはない、という選挙だったのではないか、と思う。
というのは、私の思うには、ある国家的なプロジェクトが進行中なのではないか、と推測されるからである。
それは、国造りであり、日本列島改造であり、痛みを伴う改革である。
日本国を、大規模に改造しよう、という改革なのではないか、と思うのである。

その計画に乗ったのが、小泉純一郎氏、森一朗氏、細川護煕氏、という、総理大臣経験者ではないかと思う。
このあたりの総理経験者に加えて、現在の総理である安倍氏、副総理であり総理経験者である麻生太郎氏、そうそうたる面々が、ここに、この計画に賛同しているのではないか、と思えるのである。

今、日本は、大揺れに揺れている。
メガバンクである、みずほ銀行の不祥事と、長期にわたる手入れ、
JR北海道をはじめとしたJRに対する、長期の調査と監査、
NTTドコモも、不穏なニュースが飛び交っている状況である。

特にJRでは、私もJR北海道を利用していたこともあり、
とても気にかけていたのだが、
先月、発表があり、羽田空港と東京駅を結ぶ線が、新たに開通することになった。
これは、JRで開通する、ということである。
さらに、東北本線、常磐線、高崎線、と新幹線の発着駅である東京と、上野、これらがつながるのである。
これは、乗客にとってはもちろん、JRにとってもとても利益の高いものである。
しかし、羽田から浜松町を結ぶモノレールの経営者にとっては、またモノレール沿線の住民と経営者にとっては、まさにこれは、「痛み」である。

また、今回の大雪では、関東の周辺に大雪が降って、
かなりたくさんの人々が孤立して、たくさんの応援部隊が必要となった。
しかし、群馬か山梨か、というと、山梨のほうが後回しになったように見える。
山梨はリニアが開通する予定の土地であり、
この状態では、とてもリニアを通せるとは、誰も思わないのではないだろうか。

また、東京から高崎、長野、これは信越本線であるが、
この長野新幹線から、長野駅から北陸、日本海側へと、北陸新幹線を通す準備ができている。
これは、リニアと東海道は置き去りで、東京から群馬県、長野県、富山県、と日本海側にルートを通す予定、と思われてしかたない。

しかし、こうしたことを予定として発表したら、東海道の人たちはとても怒るだろう。
これは、住民にとっても経営にとっても、大きな「痛み」である。

これらの、日本列島改造計画に関して、もしも国会で民主的に討論していたとしたら、反対派住民の勢力があって、とても一気に実現できるものではないだろう。
それで、秘密情報保護法をまず作って、秘密裡のうちに、これらの大改造計画を、実現してしまおう、ということなのではないか、と思われる。

NTTでは、業績不振のニュースはあるが、夏8月には、新端末の発売や、新たな電波の許可などが、検討されているようである。
これは、電話の国営化を意図しているように思えてならない。
また、ここにいわゆる、国民総背番号制が導入されて、クレジットカードや住民票とつながれば、一大IT国家ができあがることになる。
すでに、札幌市では、ITマネーを使った都市づくりの実験が始まろうとしている。

IT国家と、国土強靭化、JR各路線の再建、新設、
電波、電話、テレビ局、こうしたところの、大々的な改革が、
同時進行で進められているようなのである。
また、教育や道徳、女性に対する教育も、同時に行われているようである。
こうした計画が、秘密情報の「秘密」に値するところなのだろう。

しかしこれこそが、極右翼、独裁、と呼ばれる思想であり、
民主主義とは正反対の政治手法なのではないか。

独裁の支配する国では、国民は平穏に暮らしているが、
何も知らされない。
独裁者のほうでも、国民が平穏であるならばよい、と考えている。
だが、国民は考える力をなくし、
争うこともしなくなる。
競争力のなくなった、独裁国家が出来上がるのである。

学ぶことも、他国の言葉や文化を学習することも、許されない。
まるで箱入り娘のように、国民を扱うのである。

これが、独裁主義国家であるが、
これは、日本の家父長制度の家族形態にとてもよく似ている。
よいリーダーシップをとる「一家の大黒柱」なら、
家族全員がとても幸せに暮らせるだろう。
でも、もし支配的であったり、家族の苦労を省みない大黒柱であったら、
家族全員が泣いて暮らすことになるだろう。

国においても同じで、「よい王様」であったら、
それは、国民にとって、幸せな形態であるかもしれない。
でも、「悪い王様」であったら、北朝鮮のように、
質素倹約を強いながら、王は王国の頂上で、丸々と太る、
という状態になるのである。

果たしてこれが、本当によい国のあり方なのだろうか。

ITと線路、充分な駅の整った日本国家を想像するのは楽しいが、
そういった国家体制に行く着くまでの過程で、
「痛み」が、「痛すぎる」ことはないだろうか。
たくさんの国民が、泣いたり命を落としたりすることが、
あるのではないか。

先行き不透明な状況で経営難や社会不安が起こったり、
社会不安による購買意欲の低下、
社会不安による、子どもたちや弱者と呼ばれる人たちへの、
「痛み」「いじめ」こうしたことが、とても心配であるが、
今起こっていることは、まさにそれだとしか、言いようがない。

医療に対する改革の兆しも見受けられるが、
医療制度や福祉制度に対する配慮が見受けられない。
IT端末を使えない高齢者に対する配慮はないのだろうか。

先だっての大雪は、とても急いで、国民に秘密にして、
何人の人の命を犠牲にしても構わない、という、
国家の姿勢に警告が発せられたように、私は思う。

人間の力で、この改革に負ける人と勝つ人を、
裁くことができるのだろうか。
そんなことを、してもよいのだろうか。

今の日本が目指している、積極的平和主義とは、
貧困や差別を含めた構造的暴力を根絶するところまで、
平和の概念に含めている。

大規模な日本列島の構造改革が、
あまりにも悲痛な痛みをもたらすことのないように、
国の形があっても、
人の笑顔がない、そんな国にならないように、
心の底から念願するものである。

2014年2月21日金曜日

NHKドラマ「ごちそうさん」感想。

NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」は、とても人気があるようだ。
その前の「あまちゃん」の人気から始まって、ツイッター上でも、共通の話題になるような、インターネット世代の、テレビとツイッターの連動が、うまく行っているのかもしれない。
テレビドラマの感想を、ツイッターで交わせるような、そういう時代の先駆けなのかもしれない。
私自身は、以前は毎朝必ず、テレビ小説を観ていた時期もあったが、ライフスタイルの変化で、見ない時期もある。
朝の連続テレビ小説は一日一回15分という「短さ」と、月曜日から土曜日までという放送スタイルとで、国民のライフスタイルを担う、大事なテレビドラマだと言えるだろう。
私も一時期は、朝起きるとNHKをつけて、時計代わりに、朝の支度のひとときを、送っていたものである。

「ごちそうさん」の人気は知っていて、人気になってから数回、実際に見てみて、それで、やっぱりストーリーはよくわからない部分もあったけれども、「ごちそうさん」という題名の由来を聞いて、なるほど、と思うところもあった。
戦争中で食料も乏しく、また人の心が苦しみ荒んでいるようなときに、おいしい料理を作ってふるまう、それで「ごちそうさん」という呼び名がついたのだという。
「ごちそうさまでした」というときに「ごちそうさん」と言うのが東京の人なので、そのあたりは、大阪の感覚なのかもしれない。

私は昨夜、ずいぶん回復してきた大雪の流通にほっとしながら、それでも生協さんには欠品や遅れがあって、自宅で保管してきた食品を計算して分けて使う状況になっていた。
それでも、「こういうときだから」ということで、とっておいたお味噌を、新しくふたを開けた。
そして、豚汁を作った。
「こういうときだから」と、ちょっとしょっぱめに作ってみた。
「少ししょっぱめのほうが、元気が出る」と思ったのだ。

それを家族の椀に取り分けて「さあ、できたわよ」という瞬間に、
「ああ、これが「ごちそうさん」っていうのかも」と、思ったのである。

そのときの気持ち、というと、「さすが、こういうときに、備蓄のコメや味噌を取ってある」とほめられたことや、家族が、とてもおなかを空かせていて、自宅付近を見て回っても、予想以上の被害に、なんだか元気がなかった状況、そういう状況のなかで、もしかしたら隣家の冷蔵庫は空っぽという状況のなかで、自分だけは、食料を備蓄してあったこと、そしておいしくてあったかい料理をふるまえること、そこに、何かの喜びと誇りを、発見したのである。
料理はいつも作っているが、こうした状況のなかでの、料理、そして、それをふるまって喜んでもらえることは、何かとても貴重な体験であった。

こうして、お料理上手さん、ご家庭上手さんが、いざというときに、家族だけではなく、近隣の人々にまで、心も元気が出る料理をふるまえることが、「ごちそうさん」の才能であったり、努力であったり、料理上手の極意なのかもしれない、そして、これが、ドラマのテーマなのだろう、と思うのだ。

グルメブームで、このドラマに出てくる料理が、とてもおいしそうだとか、レシピを再現してみたいとか、そういうことも、テレビドラマの楽しみ方だと思う。

それにしても、この「ごちそうさん」は、「食べさせたい」という女性の願望を、あますところなく追求しているドラマではないだろうか、と思う。
女性の願望そのまま、という点では、このドラマには、まざまざと見せつけられる点が、たくさんある。
ひとつは、最近の朝ドラには、よくあるパターンであるが、結婚を申し込むのが、女性ヒロイン側である、ということである。
男女同権の時代であるが、これは、とても興味深い話である。
つまり、女性の側が、自分の好きになった人と結婚したい、という根強い願望である。
これは、朝ドラの視聴者の大半が、高齢のかたであることを考えると、自由に結婚相手を選べなかった時代を反映しているものか、と思われる節もある。

次に、結婚相手であるが、背の高い、帝国大学の学生である。
もともと、ヒロインの親が下宿屋さんをしていて、そこに下宿住まいをするようになった学生を、下宿屋さんの娘さんが見初めて、声をかけたのだから、恐れ入る。

また、自分の作った料理を食べさせたい、というのは、女性の本能的な愛情表現である。
それを喜んで食べてもらえることは、女性にとって、愛情を受け入れてもらった、という証拠となる。

現代の女性たち、妻たち、主婦の皆様たちは、せっかく作った料理を、夫や子どもたちはてはペットにまで、「食べてもらえない」という苦悩を抱えている。
ペットのエサのコマーシャルに「食べてくれる」「食べてもらえる」と繰り返し出てくるのは、いかにペットに「食べてもらえないか」ということを、飼い主が本当に苦しんでいるからである。

小さな子どもの離乳食でも、幼稚園のお弁当作りでも、「食べてもらえる」ことは、重要なテーマとなっている。
そのくらい、みな、誰も、食べてくれないのである。

女性にとって、自分が作った料理は、自分からの愛情そのものである。
それを食べてもらって、おいしいと言ってもらって、初めてこの愛情は、一方通行ではなく、通じ合ったものとなる。
しかしそれは、女性の側からの一方的な愛情表現を、ただ受け取ってもらいたい、という本能的な欲求なのではないか、と思う。

それでも、受け取ってもらうために、おいしいと言ってもらうために、味付けや食材の買い方、レシピの研究、小姑とはりあいながら、人間関係に心をすり減らしながら、家庭料理に時間を費やしている。

女性の生き方、本当にこれでよいのだろうか。
家族のため、それはただ数名分のためである。
しかし根本は、料理は、自分の愛情欲求である。

料理は、一日三食で、本当に時間がかかるものだ。
一日に3時間、5時間とかける主婦もいることだろう。
そうした時間を、ただ自分の愛情表現だけでなく、もっと広く、社会のために使えないものなのだろうか。
時間と労力を、ただ愛を受け取ってもらって自分が満たされる目的のためだけでなく、広く社会のために、使えないものなのだろうか。

毎日、時間をかけて、そのことにばかり、時間を費やす、そういうのってくだらない。
もう少し、何か社会のためになることをしたらいいと思う。

2014年2月20日木曜日

雪国の知恵。

関東圏の大雪は、毎日のたくさんの人たちの努力と協力で、
困難を克服しつつあるようだ。
私も、何か明るい前途が見えてきた。
ご近所のレストランも、通常営業になってきている。
これで来週いっぱいで雪が溶けきれば、
もう、あとは春を待つだけ、と、明るい気持ちである。

また、雪国で暮らしていた知恵が、
ここで役に立ったことが、とてもとても、よかったなぁと思う。

きょうも、戸外に出て、雪かきをしてきた。
雪も降ってから数日たって、雪かきのそのあと、の段階に入っている。
道の脇には、雪が山になって積まれている。
これをさらに除雪する作業である。
50センチほどの積雪、これは自然に積もったものであるが、
その上に、雪かきで載せた雪が、冷たく堅い氷となって固まっている。
まずこの、表層の堅い氷を、除去しなければならない。
ここは、まずスコップを立てて、ざくざく、と縦に切り込みを入れるようにする。
それから、横からこの塊を、すくうようにする。
そして、春まで雪をためておけるような場所まで、運んでいく。
私の場合は、官地と呼ばれる場所で、誰の土地でもなく、昔は水路だったところである。

堅い表層のその下は、自然に積もった雪で、まだふわふわしていて、
軽くてすくいやすい。
これをすくって、やはり運んで行って捨てる。
このときに、土木作業で使う、一輪車とかを使ってもよいのかもしれない。

道路の脇に薄く固まった氷であるが、これも、スコップを立てて、ざくざくと、
割っていく。
割ったら溶けやすくなり、運びやすくなるので、
それを雪捨て場に運ぶ。

雪で屋根などが、破損して、これから工務店などに、修理を頼む場合は、
家にかけている保険が効く場合がある。
そうした保険に、被災証明書を使うことができる。
保険会社に請求するための
被災証明書は、市役所の、社会福祉課や市民福祉課に申請する。

きょうも、雪かきをしていたら、お友達に会って、
いろいろな情報を交換することができた。
やはり、結の思想というのを、感じることができる。
とても心があたたまる。




2014年2月19日水曜日

「メダルにはこだわってない」ってどういうこと?!


ソチ五輪も、終盤を迎えている。
きょうも競技が行われ、選手たちの声も届いてくる。
それにしても、なにか腹が立ってしょうがないのは、
順位にかすらなかった選手が、
「メダルにはこだわっていない」
「常に自分のなかで勝つ」などと言っていることだ。
本当に、空気が読めない、というのは、こういうことを指すのではないだろうか。

よく、甲子園野球の選手でも、監督のインタビューでさえも、
「いつもの力を出し切れればいい」とか、
「相手の胸を借りるつもりで」とか、
あるいは、「いい試合をしたい」などと発言している。
まったく、勝負の場であるということを、理解していない物の言い方だ。

練習のときの、「いつもの」力で、
世界の大舞台で、勝てるはずがない。
全然、「いつも」の時と場合じゃないからだ。
いつもじゃない、世界の大舞台で勝つためには、
いつもじゃない試合をいつもじゃない力を出して、
戦うしかない。
となりにいるのはライバルであって、お友達ではないのだ!

蹴落とせ!
何をなまぬるいことを言っているんだ!
勝つつもりじゃない人が、勝った話など、聞いたことがない。
勝つつもりで、勝つ練習をして、勝つ本番を戦い抜いた人だけが、
勝利の表彰台に登れるのだ。

金メダルがほしかったら、金メダルなりの練習をして、
金メダルの本番を、やってのけることである。

オリンピック・女子フィギュアスケート。

今夜、日本時間の深夜の時間帯に、
冬季オリンピック・ソチ五輪の、女子フィギュアスケートの競技が行われる。
日本では、今、関東地方の大雪のために、いろいろと大変な状況でもあるけれども、
選手にとっては、4年に一度の、いや、一生にそう何度もない、大きな舞台であり、大きなチャンスのときである。
遠くロシアを思いながら、心から応援したいものだ、と思う。
幸い、テレビ中継の電波はつながっていて、改めて「つながり」というものを、感じさせられている。

フィギュアスケートの競技は、ショートプログラムと、フリーと、それから、これは競技の点数とはあまり関係ないのだが、エキシビションというのがある。

フィギュアスケートの競技がなぜ、こうして三つの種目に分かれているのか、みなさんご存知かもしれないが、改めて、楽しみのために、ここで少し書いてみようと思う。

まず、ショートプログラムであるが、これは、技術である。
スケートの技術を披露して、競うものである。
たとえて言えば、学校の国語の時間に、文章の単語や漢字、句読点を習うようなものだろうか。
そして、それらの技術が採点される。
フィギュアスケートのショートプログラムでは、ジャンプや回転、スケーティングなど、何項目もの技術が、試されることになっている。

ずっと以前は、リンクの上に、まっすぐに線を引いたその上を線の通りに滑ってみたり、あるいは、円を描いた上を、滑ってみたりした。
その後、音楽に合わせることになったが、ショートプログラムが、技術を中心に採点される場面であることに、変わりはない。

また、ショートプログラムの点数順で、フリーの滑走順が決まる。
これは、学力テストで、上位10名に入った学生が、二次試験、最終試験を受けるようなものである。
フリーでは、スケートの技術のほかに、その上に、というべきであろうか、演技、芸術点が採点される。

これは、国語の文章でいえば、表現力、ストーリーを自分で創って、それを人々により高い芸術的視点をもとに、伝える、という競技であろうか。

それを考えると、本当に、フィギュアスケートというのは、文章とよく似ている。
文章を書く人は、技術力は基礎の基礎として、高いレベルを維持していなければならなくて、いつでもそれを披露できるようでなければならない。
そして、その上に、プロフェッショナルであれば、観ている人に、感情や思い、思想や哲学、感動までも伝えられるようにならなければならない。

ショートプログラムとフリーとで、合計点を合わせて、最終得点となる。
ショートプログラムで高い点数をとっていても、フリーのほうが、比重が大きいので、逆転できるチャンスはあるが、やはり、どんな仕事でも、技術力は高いほうが、評価されるのではないだろうか。

そこで、メダルが決まると、今回のソチオリンピックの場合は、閉会式の前日に行われる予定のようであるが、エキシビションがある。
この、エキシビションは、競技の採点の対象にはなっていない。
しかし、とても華やかで楽しいものである。

以前私の母は、このエキシビションが一番楽しみだ、と言っていた。
それは、ショートでもフリーでも厳格な採点がなされていて、衣装やライトアップ、使用する音楽もとても厳しい基準があるし、そして選手たちが、競技、という場面なので緊張している場合が多くて、観ているほうが、はらはらするからである。
まったく母親らしい気持ちである。

でも、点数と順位が決まってからの、エキシビションは、選手たちが、あたかも「NO SIDE」といわんばかりに、とても仲が良く、とてもリラックスしていて、華やかな衣装や、競技で使用してはいけない技も、披露してくれる。
これらは、選手たちからの、観客に対するサービスであり、感謝であり、そしてまた、アンコールでもある。

そして、エキシビションは、高まった技術と、高まった芸術と、競技の場を離れた、自由な表現がある。

本当のプロの文筆家になったら、こうした、技術あって当たり前、表現力あって当たり前、そのうえで、楽しんで感謝して書ける、文章作家になれるのかなぁ、…と思う。
いつか、自由自在の境地で書けるまで、まずは技術と、そして心を磨くことなのだろうか。
女子フィギュアスケートの競技には、いつも励まされる思いがする。


2014年2月18日火曜日

首都圏の食糧事情。


せんだっての大雪で、被害の規模が、日々明らかになってきている。
あす、あさっての雪の予報は、撤回されて、明日も晴れるようである。
きのうときょうで、雪の被害は、とても回復できてよかったと思う。
それでも、これからまた、2月中にも3月にでも、まだ雪は降るかもしれないし、
何よりも、ここ5日間の、輸送の途切れで、首都圏に食料が足りなくなっていくのではないか、と思われる。
交通網さえ回復すれば、電気やガスは大丈夫なのではないか、と思う。
電話線も回復は早いだろう。

しかし、食料の輸送は、そう短時間にはうまく行かないようである。

私個人では、ご近所の家でも、自宅でも、生協さんを利用していて、
冷凍庫にも食品庫にも、たくさんの買い置きがあり、
あと1週間くらいは、心配はない。
それに、親戚の畑でも、ご近所の畑でも、川のほとりでも、
その気になれば、白菜や大根を栽培している。
庭には、小松菜の葉っぱが、雪に埋もれてはいるが、健在である。

こうした、私の家の状況と、東京の都会の状況は、
また、ちがうものだろう、と思う。
店に食料品がなくなってしまえば、お金があっても、モノがない、
ということになるだろう。

また、最近では、ご近所のスーパーマーケットを冷蔵庫代わりにしておく、
というふうにして、買い置きをしない派が多いようである。
私は、買い置き派なので、買い置きしていない家では、きっと大変だろう、と思う。

こうした大雪の状況では、地震とちがって、どうという被害を発表しずらいのかもしれない。
今夜、発表された、農作物の被害状況は、いわゆる、「農産品」であり、
生鮮食料品である。
また、イチゴ、キュウリ、ぶどう、などは、旬のものではなく、
農家には影響を及ぼしても、人の健康に害を及ぼすような食料品ではないように思われる。

イチゴやキュウリなどは、ビニールハウスで促成栽培しているものである。
冬の作物、たとえば、大根やニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、ゴボウなどは、地面の下で健在であると思う。

また、北海道では、人口よりも、牛の数のほうが多い、と呼ばれるところで、
北海道だけで計算すると、食料自給率は、500パーセントにもなろうか、という地域である。
冬の間には、秋に収穫されたじゃがいもが、大きな倉庫に、保管されている。
それで、冬の間も、来年の夏までも、順調にじゃがいもを、出荷できる状態になっている。
お菓子、ポテトチップスの材料になるために、蓄えられているじゃがいももある。
太平洋さえ荒れなければ、大きな船で運べば、二晩で届くものである。
ポテトチップスで有名な菓子メーカー、カルビーでは、
専用の「カルビー・ポテト丸」という、本州に向けた、じゃがいも運搬船もある。

私たちは、東北の震災のときに、東北の皆様が優先である、と、
パンやお米、お菓子や医療用品などを、しばらく我慢して、東北に送った。

今度は、首都圏が、地方から、支援を受けてもよいときである、と私は思う。
東京の人はプライドが高いから、なかなかそうは言い出せないのだろうか。

じゃがいものほかにも、北海道には、ニンジン、玉ねぎ、大豆、小豆、などがある。
大豆や小豆を調理して食べたことのない人も多い首都圏かもしれないが、
保存が効くし、一晩、水に漬けて、翌日、鍋でよく煮れば、
とてもおいしく、栄養があって、食べられる。

それから、冷凍品と常温品は、まだ近くの倉庫に、蓄えてある可能性が高いと思う。
米は、業者が出し惜しみしたのかもしれないし、
賢い主婦がすぐに走ったのかもしれない。
冷凍品というのは、冷凍食品である。
冷凍された、魚や、お弁当、お惣菜、野菜、肉、ハンバーグなどがある。
常温品は、常温で保存できる食料で、缶詰や、レトルトのほかに、乾麺、お菓子、などがある。
こうしたものを、全国から、送ってあげられないだろうか。
大阪の橋下さんは、東京を恨んでいるだろうか…???

屋根の雪をおろす方法。


屋根の雪をおろすためには、
その真下の部屋で、ストーブをガンガン焚いて、
部屋をあたためるとよい。
上昇した気温が屋根をあたためて、
屋根と接する雪が、少し溶ける。
それで、積もった雪が、ずれて落ちる。
傾斜のある屋根の場合。

国家主義。

国家主義とは何か。
きょうは、このテーマを論じてみようと思う。

国家主義とは、簡単なたとえをとってみれば、
家が大事、そしてそこに暮らす人々の健康や幸せ、命というものは、
家の次に大事、という考えである。

箱が大事で、その箱の中にある命は、二番目だ、という考え方である。

かつての日本の家制度、家父長制度は、
そこの家の娘さんが、好きでもない男性のところに嫁いで、
泣いて暮らしたとしても、
「家のため」ということで、彼女の気持ちを踏みにじることは、平気だった。
優先順位として、家という箱が大事で、命はその下にあったのである。

老舗の店の暖簾も、そうかもしれない。
老舗の店を継続し繁栄させていくために、
跡継ぎの息子がどんなに学問ができても、
どんなに好きな女性がいても、
まずは老舗の店を継続させることが大事で、
息子の気持ちや時には、相手の女性を選択する権利まで、
二番目三番目になってしまうのである。

本来は、人を幸せに、健康に生きさせるために、
家や店があるのではないだろうか。
箱だけ残っても、そこに暮らす人々が幸せでなければ、
何の意味もないのである。

今、オリンピックのさなかである。
オリンピックは、世界中からそれぞれの国が、代表選手を出して、
国対国、の戦いを行うところである。
スポーツというルールのあるゲームに昇華しているけれども、
本質的には、国と国との戦いという点で、
世界大戦に近いところがあるのかもしれない。
「国の威信をかけて」「国の名誉をかけて」という。

こうしたときに、人は自然に、自分の出身国を応援する。
これは、健全な愛国心(パトリオティズム)である。
健全な愛国心は、自分自身が依って立つところの、
母系集団を、自然に愛する、大切にする、という意味である。
自分の母国は、自分のアイデンティティの基盤を作る、
とても大切なものである。

このごろ、こうした「郷土愛」「健全な愛国心」が、
失われているかもしれない。
東京に出てくると、出身地を隠そうとする人がけっこうたくさんいる。
自分が生まれて育った場所、地域を、愛せないどころか、
憎む人もたくさんいる。
これは、心が、あまり健全ではない、ということである。

このパトリオティズムが、行き過ぎたところが、
ナショナリズムつまり、国家主義となる。
健全か、健全ではないか、の境目は、
「命と比べて、優先順位はどちらか」という点である。

国が勝てれば、ひとりひとりの兵の命は二の次、これが、
ナショナリズム、歪んだ母国愛である。

ナチスのユダヤ人収容所では、
本当に最後の最後まで生き残った人たちは、みな、
最後の最後まで、食べるものを分け合った人たちである。
「私ひとり生き残ればそれでいい」という考えの人は、
どんどん先に、死んでいったのである。

そうなると、幸せとは何か、という論法になってくる。
それは、次の機会にゆずることにしよう。
ただ、「幸せ」という概念は、そのものとして存在する、ということが、
とても大切だと思っている。



2014年2月17日月曜日

大雪の対策を考える。メモ。

さきほど、町内をよく見て、何軒かの地域の人と、
お話をしてきました。

片屋根(ルーフ屋根)は、ほぼ全て、落下して破損しています。
落下した片屋根の下に自家用車が置いてあって、
その車の上に落ちた家もありました。

高齢者ひとり暮らしのお宅。(女性)
すでに、何軒かの人が、訪問していて、
玄関口まで除雪をしてあげていました。
ただ、高血圧の薬がなくなってしまいました。
きょう、月曜日に病院に行く予定だったのですが、
雪で行けなくなってしまいました。
ご近所の人が、病院まで薬だけ取りに行ってくれるように、
手配をしてくれました。
ケアサービスの車は、入れないので、
本日は介護福祉士は来ないそうです。

食料品の備えがあるかどうか尋ねてみたところ、
普段から買い置きしてあるので、
冷蔵庫にたくさんあるそうです。

雪かきマナー。

持ち家のある人は、自宅前の道路を除雪するのがマナーです。
空き家の場合は、そこだけ道路が除雪されていないので、
町内の人たちで協力して除雪を行うと、
そこが通るようになります。

側溝に溶けた水が流れ込むので、
側溝の穴の周辺を重点的に除雪して、
そこに向かって川や水路を作ってあげるようにすると、
日光で溶けたスムーズに流れていきます。

溶けたコンクリートの面は、日光で温まるので、
そういった日光の当たる場所を先に作ってやるといいです。
ここは、水や氷を残さず、完璧に除雪します。

大雪の対策を考える。

本当に、思いがけない大雪となった。
週末の雪の、雪かきも終わらないうちに、
また、あす火曜日からは、雪が降るという。

きょう、月曜日、あす火曜日午前中までが、
雪のない状態で、作業や、災害対策、
これから起こる状況に対応する策を、
たくさん行動することが、必要になってくると思う。

すでに、市町村では、これまで培った、
災害、特に地震であるが、地震対策、避難対策を応用して、
「なにかあったとき」の災害対策が取られているようである。
私はそれを、とても心強く思う。

明日になったら、また雪が降り出して、
今ある状況の上に、また積もることになる。
きょうのうちに、雪かきをして、
少しでも減らしておくことが、大切である、と私は思う。

屋根の雪であるが、
北海道では、ビルの屋上には、融雪の設備と、排水の専用のパイプがあった。
これから、ビルの屋上で雪が溶けだすと、
ビルの建物が傷む可能性がある。
それでも、圧迫されないうちなら、建物の設計と相談して、
建物が負荷に耐えることができるかどうか、
計算してみるのも大事かと思う。

一般の住宅では、屋根の雪下ろし、というのは、しなかった。
新潟や日本海側ではどうか知らないが、
どうにも、やはり、新潟の雪の風景というと、
屋根の雪下ろしが、光景として、有名なようである。

北海道では、屋根に上って、雪下ろしをする、という話は、
まず聞いたことがない。
屋根は危ないので、登らないほうがよいと、私は思う。
春になれば溶ける、という気持ちで、
家が雪で埋まってしまう状態で、春まで待つ、ということである。
ただ、出入り口は確保しておいたほうがいい。
二階建ての建物の、一階部分が、すっぽりと雪が積もってしまって、
二階から出入りする状況とか、
あるいは、学校では、二階の教室の窓から、
積もった雪の上に、飛び降りるのが、
男子生徒たちの、通例となっていた。
そのくらい積もってもいい、という気持ちで、
家の周りの除雪には、手をつけなくていい、と私は思う。

大事なのは、出入り口と通路の確保である。

関東地方の家は、造りの関係から、屋根に積もった雪の重みには、
なかなか耐えない、心配なところもある。
実際、私の家の近くでも、すでにたわんでいるところがある。
このたわんだトタン屋根の雪の重みが心配であるが、
北海道では、こうしたやわらかい作りの建物はなかったと思う。
上るのは危険なので、
きょう、あすじゅうに、おろすことは、やはり考えるべきだろうか。
晴れて、溶けてくれたらいい、と思う。
あるいは、ホースで水をかけてみてもよいかもしれない。

交通網に関して、これが、心配なところがある。
山梨県や長野県では、陸の孤島状態である、と聞いた。
北海道では、冬になると、陸の孤島になる村落が、たくさんある。
そのため、冬になる前に、食料品などは、
すべて準備して蓄えておくのである。

陸の孤島、という状況であと一週間がんばる、という計算ができれば、
山梨県は山梨県なりに、「内輪で」工面することができるのではないか、と思う。

なにも、今日中に、峠を開通させる必要はないのではないだろうか。
少なくとも今週いっぱいは、「陸の孤島」の、孤島の内部で、
食料品のやりくりができるはずである。

線路も、田んぼの真ん中を走っているとか、大きな川や鉄橋など、
回復までにとても作業を必要とするところがあるようだ。

もしどうしても必要であるなら、
電車の線路か、車の道路か、どちらかを優先させて、
片方を通行させてはどうか、と思う。

心配なのは、地域のお年寄り、一人暮らしの人たちのことである。
元気がいい人はすでに、自宅玄関と、自宅前の道路の除雪を終えていると思う。
町内会で声をかけて、一軒一軒、まわってみることも、
大切であるかと思う。
その際に必要なのは、人がひとり歩ける分の通路である。
それは、歩幅の幅であり、道路全部とか、車一台入れる分、とまでは、
必要ないのではないか、と思う。
スコップがあれば、造れる通路なので、
お年寄りの家の前には、そうした通路を、近隣の人たちが作ってあげたい。

そして、このところ最近では、ご家庭で、食品を保存する、という習慣がない家が、たくさんある、という話である。
お年寄りの家を訪問する際には、そういった点で困っていないかどうか、
分けてあげることも、大切だと思う。
次の雪、火曜、水曜、木曜、この雪が乗り切れれば、次の雪までに余裕があるはずなので、あと一週間、自宅で食べていければよい、ということになる。

プロパンガスは、減ってしまうと交換のための車が入ってこられないので、
ガスは大切に使いたい。
灯油も、自宅にある分と、買いにいく分とで、節約して使いたい。

次に、高速道路にはまってしまった車であるが、
きょうとあすで、なんとかまず、運転や同乗者の身の安全を確保して、
車を掘り出すことが不可能だと思うなら、
まず、人が通れる通路を作って、高速道路から降りることだと思う。
高速道路から降りるには、かなりの長さの道を歩かなければならないが、
その通路を歩幅で作って、2キロでも3キロでも歩いて降りる。

車は、春まで置いておくくらいの気持ちでもよいと思う。
また、運転者がいなくなった状況で、自衛隊などの、専門の人たちが、
雪をかいて、一台、一台、撤去することになるだろうと思う。
しかし、すでに、雪の捨て場に困っているほど、場所がないのではないだろうか。
片側通行にして、片方一車線の道路に、置いておくことになるだろうか。
キーをつけたまま、車を置いて、人命優先にしたほうがよいのではないかと思う。
きょうあすじゅうに車が撤去できないと、その上にまた雪が積もることになるが、
人命優先と、あとは、春の日差しを待つばかりである。

こうした災害の発生のあとには、水が汚れたり、
そうしたことで、感染病が流行したりもする。
雪を乗り越えたあとの、対策も、いっしょうけんめいしていきたい。

みんなで生きていけなければ、この社会に生きていても、
何が楽しいのか、さっぱりわからなくなってしまう。
私も、昨日は、道路の雪かきをしながら、
普段はなかなか話ができない、ご近所の人たちと、
情報交換やおしゃべりや、共同作業をしあって、
とても有益でなにかとても、心が温まるものがあった。

東北の震災のときも、こうして、絆が生まれたのだろうか、と思う。
そうして、手を取り合って、生きていきたい、乗り越えていきたい、と、
心から思う。


★追記★

新幹線について。
新幹線の復旧は、もうすでにできているような情報もあるが、
不通の区間もあるようである。
あすからの雪に備えて、大雪の場合には、運休する予定を、
JRのほうでも、乗車を予定する人にも、
立てておいたほうがよいのではないかと思う。

不通区間は、おそらくは雪に線路が埋もれているのではないかと思う。
次の雪までに、主要な部分で雪かきをしておくことは、
とても大事だと思う。
ひとつは、積もった雪の量を減らしておくだけでもいい。
線路や架線など、重要なところだけ、部分的に雪かきをしておいてもよいと思う。
機械類を、なんらかの形で保護しておくことも、
対策になるかと思う。
雪は水なので、錆などの調整がとても大事である。




2014年2月16日日曜日

立憲主義と憲法改正までの行程表。

なにかとざわついた2014年も、明けて2月半ばとなった。
通常国会は、都知事選を終えて、ようやく本格的な討議に入ったようである。
今国会の大きなテーマは、なんと言っても、憲法改正論議だろう、と思う。
昨年から内閣は、まずは秘密情報保護法案を決議し、憲法改正のために、一歩一歩着実に、その行程を進めてきた。
年明けて、本格的に憲法改正に着手しようというのは、自然な流れでもある。

この流れを阻止できなかったのが、都知事選での、憲法改正反対派、原発反対勢力であろうと思う。

憲法改正までの道筋として、国会で取り上げ、審議し、国民投票を行うことを決定する、という順になるだろうか。
それは、これからどれくらいの期間をかけて行うことになるだろうか。

通常国会は、6月下旬までの日程である。
その間、4月にアメリカのオバマ大統領の日本国訪問があり、6月には、ロシアのプーチン大統領の訪日がある予定となっている。
とてもいそがしい政治日程のなかで、今年の6月までに、憲法改正の審議を終えることができるだろうか。
それは、やはりどうしても早すぎるように思う。

国会を延長したとしても、今年9月である。
その後、国民投票を行うとすると、10月になるだろうか。
もしも、国民投票で、憲法改正が可決されたとして、この新憲法の施行は、再来年の春から、というようなことだろうか。

そして、この新憲法のポイントといえば、何と言っても、9条である。
平和憲法であり、武器を持たない憲法である。

この論議をしつくして、国民総意の結論を出すためには、今年いっぱい、という日程は、あまりにも短すぎるのではないだろうか。

また、私だけではなく、これほど憲法論議が高まってから、誰もが思うことだろうけれども、自民党がすでに出している、憲法改正の草案を、一条一条、もう一度といわず、二度も三度も、見直したいという気持ちがとてもある。

今一度、憲法改正の具体的なところ、日程と内容を、考えなおしたいものだ。
そして、そのための時間は、どうしても必要であると、私は思う。
安倍総理大臣の任期中に、ひとつの大きな仕事として成し遂げる事柄であって、あと3年がかりでも、よいのではないか、と私は思う。

2014年2月15日土曜日

ソチオリンピック・女子フィギュア・フリー


冬季オリンピックも、開会式から一週間の日程が過ぎた。
今朝は、私もライブで見ていたが、男子フィギュア・フリーでは、
日本の若い期待の新星、羽生結弦選手が、金メダルに輝いた。
とてもうれしかった。
アナウンサーも、「爽やかな笑顔」「爽やかな演技」と称賛していた。
本当に素晴らしい金メダルだったと思う。

こうなると、なんだか心配というか、期待が重くなってくるのは、女子のフリーである。
今季のオリンピックでは、女子選手が、なかなか力を発揮できない状況のようである。
遠いロシアのソチのことではあるが、私なりに思ったことを、書いてみようと思う。

ひとつは、ソチの環境のことである。
オリンピックが始まる前から、ちょっとしたニュースにはなっていたことであるが、
ソチの環境は、突貫工事のためか、あまり良くないようだ。
たとえば、化粧室の問題があった。
それから、エレベーターが故障して閉じ込められた、外国人男性選手がいたそうである。
男子選手なりに、力でこじ開けたらしい。
それから、選手村のクリーニングの体制が追いつかないようで、ウェアをクリーニングに出しても、誰のものかわからない、という状況もあるようだ。

これらの状況は、男性選手にとっては、かえって発奮材料になるものかもしれないが、女子選手にとっては、厳しいものである。
また、暖房設備が充分なのかどうか、これも心配である。
ソチは、ロシアのなかでもまだ暖かい気候のところである、ということだが、
画面で見る限り、とても寒そうである。
羽生選手は東北出身ということで、寒さ対策に慣れていたのではないか、と感じられるところがある。
日本人選手、女子選手だけでも、そのあたりの肌理細かい配慮をしてあげられないものか、と思う。

次に、今回の大会の雰囲気として、欠かせない状況は、テロ対策と、ドーピング検査である。
オリンピック大会は、年々、問題を大きくふくらませる状況になっている。
国際情勢も無関係ではいられない。
特に、ロシアの黒海地方は、ロシアとヨーロッパ、中近東を結ぶ場所にあり、テロが頻繁に起こっている地域でもある。
ロシアも、国の威信をかけて、テロが起こらない、安全な大会として成功させようと、力を尽くしていることだろう。
前回の夏季五輪、ロンドンでも、テロ対策が一番の問題であった。

次に、選手たちの、演技の問題である。
まず、浅田真央選手である。
この緊張した雰囲気のなかで、ホッケーやスノーボードでは、むしろ良い戦いのエネルギーになるところであるが、フィギュアスケートでは、特に女子では、ここで、エレガントさや、芸術性が要求される。
浅田選手の、ショートプログラムでは、ショパンのノクターンを選曲している。
ここで、浅田選手が、ノクターンを演じるには、やはり極度の緊張は、周囲の環境から伝わってくるものだ、と思う。
私は、この雰囲気のなかで、「演じやすい」と思うのは、「悲しみ」という感情の表現である。
ソチ、ロシア、テロ、という環境のなかで、世界情勢や紛争に対する「悲しみ」という気持ちを、つなげて行って、持てないだろうか、と思う。
特に、韓国のキム・ヨナ選手には、技術はあっても、感情表現がない、と言われている。
ここで、美しい、訴えるような「悲しみ」を表現してはどうか、と思う。

次に、鈴木明子選手である。
鈴木選手のフリーの曲目「オペラ座の怪人」は、題名からは想像がつながらないが、恋愛ストーリーである。
これは、フリーの演技の、日本時間の前日に、衛星放送で、映画が放送される。
これを、日本の人たちが、みんなで観て、「オペラ座の怪人」とは、どういうストーリーなのか、よくよく理解して応援していきたいものだ。

次に、村上佳菜子選手である。
村上選手のとてもよいところは、元気さとはつらつとした性格である。
演技が終わった後に、ガッツポーズをとらないように、優雅さを気品をプラスしたいものである。

また、浅田さんのフリーは、ラフマニノフである。
やはり、オリンピック前の選考会でもそうであったが、演じきれない、と葛藤している状況がうかがえたように思う。
私が思うのは、まず、三回転半ジャンプである。
これは、曲の流れとして、リズムやタイミングがつかみずらいところで、ジャンプとなっている。
会場の音響効果にもよるのかもしれないが、どの音でジャンプのタイミングを決めるのか、音楽と楽譜と、よく相談して、決めておいてはどうか、と思う。

また、ラフマニノフは男性の作曲家であり、ロシアの荒々しい真冬の大地のイメージがあり、浅田選手の個性では、どうにも合わないように、思えるところがある。
以前にも私は、「嵐のイメージ」と思ったのだが、やはり、前回の大会では、男性的な、森の木が荒々しく揺さぶられるような状況になってしまった。

私は、ここに、やはり、女性には女性が感じ取る嵐があるのではないか、と思うのである。
たとえば、嵐が怖いとか、あるいは、悲しい、せつない、つらい、という気持ちである。
腕にも悲しみとせつなさを表現するのがよいかもしれない。
また、実際にロシアに行って、感じ取った、雪原の寒さ、凍りつくような大地のなかで咲く一輪の花、をイメージしてはどうかと思う。
一輪の花は、吹雪のなかで、はかなげに、切なく、頼りなく揺れるのである。


雪の日の対処法。


先週に引き続き、今週も首都圏は大雪である。
今朝、目が覚めて、驚いた人も、とても多いと思う。

私は、北海道にいた。
雪に対して、対応法を、市民が全員熟知していた土地がらから、
思うことを、いくつか書いてみたい。

その1、大雪の天気予報が出されたら、北海道の人でも、家から出ない。
北海道から本州に来たときに、本州の人たちの、台風への対処法に、本当に驚いたことがある。叱られたこともある。
本州での台風への対処と同じように、北海道では、大雪や吹雪に対して、畏怖心を持って対応している。
命に関わる問題である。
しかし、数日間で過ぎ去る天候でもある。
しっかりと食料を買い込み、家から一歩も出ないように、気象情報が出された日(前日)から、準備をして家ごもりをするものである。
食料の準備がなくても、明日になれば、天候がおさまるので、きょうは我慢して待つ。

その2、雪かきをする。
雪が降りやんでから、といわず、ちょこちょこ外に出て、こまめに雪かきをする。
特に、門、玄関、など、人が通る通路は、人が通れる幅(50センチくらい)は雪かきをする。
雪かきは、専用の、プラスチックのスコップを使ってもよいが、
凍って固まった雪は、氷になっているし、とても重くて堅いので、
カネのスコップで切り崩してもいい。
スロープは、危険である。
歩行者用のスロープは、ゆるい傾斜になっているので、すべりやすい。
階段を使うようにする。
階段を、よく雪かきしておく。
お湯は使わない。あとで冷えたときに凍って固まってかえって危険である。

その3、人間ラッセル。
一晩開けると、雪が積もっている。
30センチ、40センチ、50センチ、このくらいの雪をどうにかするには、
人間ラッセルが有効である。
もちろん、スコップで雪をどかす方法もあるが、
これは、雪を踏み固める方法で、通路を作る方法である。

男性が、5人~10人くらい、上下のスキーウェアを来て、大きな長い長靴を履く。
そして、腕組みをして、駐車場や玄関前など、雪をどうにかしたいところの端に立って、「わっせ、わっせ」と一歩ずつ、体重をかけて踏み固めながら、歩くのである。
そして、それを行ったり来たりする。

また、柔らかい雪が大量に積もっている玄関前などは、自分がスキーウェアを着て、長靴を履いて、手でかきながら、足で踏み固めながら、歩いて通路を作る。
次に通る人のためでもある。
玄関から門まで、玄関から、郵便受けまで、通路を作って、そこを常に、一時間ごとに、雪かきをする。

その4、屋根の雪。
溶ければ落ちる。
雨が降ってきたので、雪が溶けて、落ちやすくなっている。
トタン屋根などは、ずれていって、雪の塊が、あるとき突然落ちることがある。
真下にいないように、気を付ける。
屋根の真下には、標識を置いて、そのエリアに入らないように注意喚起する。
個人の家でも行う。

その5、雪捨て場。
川や側溝に捨てる。溶けて流れていく。

その6、木に積もった雪。
長い棒などで、たたいて落としておく。
枝ごと折れて、その下に道路があって、人が通っていたら大変である。
看板も塀も同様である。
たたいて落としておく。

その7、車、使わない。
チェーンを巻いても、坂道は登れない。
スタッドレスタイヤも、万能ではない。
溶けるまで待つ。



2014年2月5日水曜日

女性の職業選択。

このところ、女性と職業について、考えている。
男女平等の時代となり、男女雇用機会均等法が施行されてから、20年経つ。
そうした時代は進んで、今は道路工事や建設現場など、力仕事や大きな機械を使う作業にも、女性が職業進出をしてきた。

しかし私は、やはり、女性には女性に、生まれ持った性質にふさわしい職業が、あるように思えてならない。
これは、感覚的なものかもしれない。
また、女性にとって、何が幸せなのか、幸せになるにはどうしたらいいのか、を考えるときに、職業の選択は、実はとても大事な問題ではないか、と思える。

そして、考えるのは、昔も今も変わらないが、いわゆる「水商売」と呼ばれる職業の女性たちのことである。

以前とはちがって、女性たちの間でさえ、「平等感」が、浸透してきている。
そして、水商売であろうと、どんな職業であろうと、差別はいけない、という考えが、どんどん、特にむしろ、インテリ層と呼ばれる女性たちの間に、浸透してきているように思える。

直感的に、あるいは、とても世間的に、「水商売をしているなんて…」と批難するような認識は、なくなってきているのだろうか。
そして、直感的に、世間的に、「水商売をしてはいけないよ」とアドバイスする人に対して、「なぜいけないの?」「悪いことなの?」「法律でも決められていることだし」「みんな行っている」
あるいは、「必要な資金を稼ぐためなら、お金はお金、仕事は仕事と割り切ってすればいいんじゃないの?」という批難を受けてしまうことになる。

しかし、本当に、お金のため、それも、たとえば母子家庭が必要な生計を立てるため、とか、学業の資金のためであるとか、そういったことで、水商売を選ぶのは、本当に「よい選択」なのだろうか。

私は思う。
やはり、昔とちがって、職業選択の権利は、自分自身が持っているのである。
ずっと以前は、明治維新以前などは、たとえば、社会の事情があって、どうしても職業を選べなかった時代もあった。
しかし、現代は、自分の力で、選ぶことができるのである。

また、給金が高いのは、それはそれだけの「もの」を売っているのである。
売っているものは、「女性」であり、「プライド」でもある。

この、「女性を売る」「プライドを売る」ということを、一度でもした女性は、その当時もそれから一生も、ずっと、「プライドを捨てた女性」として、世間から、ばい菌のような扱いを受けることになる。
それは、人間として自尊心を、捨ててしまったからで、そうした選択をする女性は、なにかしら堕落の雰囲気を周囲に影響させるからである。

私は、こうして文章を書いてきて、常に考えている言葉がある。
それは、「人は、パンのみにて生きるにあらず」という言葉である。
生計を立てること、食べること、つまりパンだけで生きて行ってそれでよいのならば、プライドでも女性でも、販売することは差支えない、ということになるだろう。
しかし、人間は、パンだけで生きていく動物とは、一線を画して、社会を維持して、幸せを確立していくのである。

私は、生計のために、「割り切って」水商売をする選択は、よいとは思えない。
私だったら、どんなに生活に困っても、どんなにお金が必要であっても、水商売はしない。したくない。
それは、人間としての、尊厳を、持っていたいからである。
自分で自分を、もっと大切にしたいのである。

たとえば、最近では、大学生が、勉強して上の学校に進学するため、そして、資格試験に合格するために、資金を必要とするため、それを自分で調達するために、以前とはちがった感覚で、水商売をする人がいるという。
そうした人は、これも「割り切って」ということなのだろう。
しかし、やはり、たとえ勉強とか、高い目標があったとしても、そのためなら手段を選ばない、という道筋は、まちがっていると私は思う。

その水商売の経歴のおかげで、身にはそれなりの雰囲気がつき、その後も、男性からは見下されて、生きていかなければならない。

男性には男性のものの見方、社会構造というのがあり、それは、男性の視点や感性を実際に尋ねてみないと、わからないときもある。
要するに、水商売をした女性は、それなりの扱いしかできない、店に行くことはあるかもしれないが、自分の妻や娘は、こうした「下の下」の職業には絶対に就かせない、これが、男性の本心であり、男性から見える世界なのである。

こうした、男性から見える社会のなかで、女性たちは生きているわけであるから、これを批難したり文句を言ったりする前に、職業選択の自由意思でもって、自尊心のある職業を、選ぶべきではないだろうか。

女性たちは、男性社会のなかで、「尊重して扱われたい」という気持ちを持っている。
尊重されるには、尊重されるだけの、貴重な自尊心を、保ち続けていることが、とても大切であると、私は思う。





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