投稿

2月, 2014の投稿を表示しています

皇室の報道の在り方について。

最近の皇室の状況が、日々、メディアの話題にのぼっている。 以前から、皇太子妃雅子さまのご病状や、 愛子内親王さまの登校の様子などが、話題となってきた。 それらは主に、女性向けの雑誌で、「最近のご様子」の一環として、 取り上げられてきたと思う。
このところは、平成天皇のご入院があり、 今後の病状や、それに伴う日本の世の中の変化が考えられて、 話題としては大きくなってきていると思う。
私は女性として、女性雑誌はときどき目を通してきた。 そこで描かれる皇室の御様子、特に女性たちのご様子は、 とても魅力的で、私たち庶民の女性たちにとっても、 常に気になり、女性たちが集まっては共通の話題としておしゃべりをしあうのに、 もってこいの話題であった。
それというのも、もともと女性たちは「お姫様のお話」や、 「ご尊貴なかたがたのお話」が大好きで、 ファッションや言葉遣い、ご家族の様子など、「知りたい」「真似したい」と思うものなのである。 そして、お姫様がたと自分を比べては、「うちはまだまだ庶民ね…」とためいきをついてみたり、「皇室ご用達」のおいしいお菓子をちょっとだけ味見してみたり、 それを楽しんでいたわけである。
雅子妃がご病気になられる以前には、ファッションが中心だったと思う。 どこにお出かけをされた、その時どんなお帽子をかぶっておられた、どんなバッグを持っておられた、写真とともに語られる情報は、一種のタレントのファッションリーダーのような存在だった。
あるいは、美智子妃殿下に関しても、天皇陛下との軽井沢での出会い、 子育ての仕方、読んでいる本、テーマとして扱っている生涯のご勉学、 そして、夫婦愛に関して、私たち日本の庶民の「お手本」となられる女性であった。
それが、雅子妃の、まさかのご病気をきっかけとして、

婚活・結婚と仕事・専業主婦。

「婚活」という言葉が、社会に通用するようになって、しばらく経つように思う。 「婚活」という言葉が、当初とても珍しく思われたのは、結婚のために、積極的に活動をする、ということが、とても不思議なことであるように感じられたからだ。 というのは、男性と女性は、自然な形で出会うのがふつうであったし、親や社会がときにはどんなに反対しても、出会うべき男女は出会い、結婚に向かっていくものであった。 だから、やはり、結婚や男女の出会いは、自然な形が一番であるように思われる。 また、日本には伝統的にお見合い結婚というのがあったが、これも、女性本人が、積極的に行うものではなかった。 そうした意味で、「婚活の時代」は、不思議な時代である。
出会いに関しては、昔は、地域の「おせっかいおばちゃん」や、親戚のおばちゃんなどがいて、年ごろの男女の仲立ちをしてくれたものだ。 しかし、現代では、お見合い結婚は否定される傾向にあり、恋愛結婚が主流となっている。 こうした、恋愛、結婚の環境が、とても変化しているように思う。
女性の人生は、ふつうに考えて、恋愛、結婚、妊娠、出産、子育て、と進んで続いていく。 この人生の課程を、順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、次に結婚をしよう、ということになる。 そして、25歳も過ぎたら、周囲の人たちもあれこれ言うようにもなってくるので、積極的に、計画的にこの人生の課程を進めていこうとする。 女性にとっては、ある意味、当たり前のことである。
女性の人生は、普通に考えて、これから先、恋愛、結婚、妊娠、出産、育児、 と続いていく。 この人生の過程を順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、結婚をしよう、ということになる。 そして、25歳すぎたら、積極的に、計画的に、この人生の課程を進めていこうとする。 女性にとっては、普通のことである。
この、女性の人生課程を、よりよく積極的に進めようとすると、たとえば、学校を選んで、進路を選んで、受験勉強をして、エントリーシートを提出して、受験して、面接を受けて、結果を受け取り、合否を判定する、ということになる。 それと全く同じ方程式で、婚活を、熱心に行うことになる。 その際、自分の能力を高めたり、能力をアピールすることにもなる。 また、相手=志望校に対して、どれほどの能力があるいか、詳しく調べて、そこにいきたいかどうか、綿密に調査して、調べるこ…

2014年3月の予定。

2月もあすとあさってで修了、ということになる。
今月もいろいろなことがあったが、がんばった、ということだろうか。
手帳を見ると、3月には、いろいろな行事予定が書きこまれている。
毎年、年度末というのは、何かとあわただしいものだ。
それでも、今年の年度末は、例年にもいや増して、あわただしいような気がするのは、気のせいだろうか。

まず、例年通りということで、各学校の卒業式と、入学の準備がある。
それから、人事異動や大学入学に伴う、引っ越し、転居があるだろう。
個人レベルではこういったことが、環境の変化となって、
よい気晴らしとなる場合もあれば、たいへんなライフスタイルの変化となる人も多いだろう。

3月11日には、東日本大震災から3年目の節目を迎える。
あれから、もう3年経ったのか…と思いを深くする。
さまざまな行事も行われるだろうと思う。
個人個人で、気持ちも新たに、災害に備えて、非常用品を整える節目ともなるだろう。

3月中旬には、JRの一年で一度の時刻改正が行われる。
あの分厚い時刻表を、3月号だけは、購入するかたも多いようである。

3月はまた、テレビ番組の改編の時期である。
今年の3月には、とても長い間続いてきたテレビ番組が終了することが、
すでに予定されている。
こうしたことも、ひとつの時代の節目となって、ライフスタイルを、
もしかしたら大きく変えるかもしれないし、
そうでもないのかもしれない。

3月に入ってからは下旬にかけて、桜の花も開花していく。
暖かくなっていくにしたがって、気持ちも開放的になっていくだろうと思う。

思えば、この冬もなんだかとても長かったような気がする。
梅の花も咲き始めて、雪の合間には、小さな草たちが芽を出している。
春の息吹とともに、さまざまな物事が、3月を迎えようとしている。

独裁的な国家プロジェクトに関する考察。

日本の、昨今の独裁的な政治体制がどこを目指しているのか。
IT化は必要なことだ、と誰もが思うだろう。
また、国民総背番号制と、クレジットカードに象徴される信用社会が、
必要とされているようにも思えるだろう。
しかし、その行きつく先は、「最後の審判」とも呼べるほどの、
「振り分け」であるのではないか、と私は思う。

今もし、この国家的プロジェクトの「ふるいの網」に対して、
生き残りたいと思うなら、クレジットカードで信用を積み重ねることなのかもしれない。

また、イオンは、知っている人は知っているとおり、
民主党と関わりの深いところである。
独裁国家が、自民党だけではなく、民主党も抱き込んでいることは、
誰もが知っておかなければならない事実である。
その昔、自民党と社会党はいわゆる55年体制を作っていたわけであるが、
共存共栄の関係だったのである。

また、この格差社会の振り分けは、もっと深刻な状況で行われているように、
私は思っている。
IT化、というと、もしかすると協力したり、賛成したりする人も多数かもしれないが、「振り分けて落とす」という点を、目的にしているところがあるのではないか、と私は思うのである。

それはたとえば、生活保護者、老後の資金のない高齢者、病気で働けない人、ニート、教育程度が低く生産性の低い人、ストレスに弱い人、お金を持っていない人、こういった人たちを対象にして、社会から「落とす」ことを、目的にしているのではないか、と思われる点がいくつかある、ということである。
非常に気がかりであるが、とても心配なところである。

たとえば、ノロウイルス、感染性の病気がこんなにたくさん起こるのは、なぜなのだろうか。
これらは、もしかすると、医療設備に頼らざるを得ない高齢者を対象にして、生命の選抜を行っているのではないだろうか。

ずっと以前であるが、副総理である麻生太郎氏が、こうした発言をしていた。
いわゆる、医療の世話になって存命を長くしているようなご老人には、
生きていないでほしい、税金の無駄遣いだ、という発言である。
こうした発言には、本心、本音が含まれているので、注意が必要である。

IT化、国の強靭化、というと、聞こえはいいが、
実際には、税金のかかる、いわゆる「弱者」という人たちを、落とそうというプロジェクトであると、私には思えるのである。
そこには、選民思想…

「キイチゴ禁止令」

昨日、日本政府が「痛みを伴う改革」をしようとしているのではないか、
という考えを、記事に書いた。
これが、本当に良いことなのかどうか、私自身、何度も何度も、考え直している。
「改革」は、一種の手術療法のようなものであり、
その副作用は、必ずあるものだ。
それが「痛み」であったり、「後遺症」であったりするのだと思う。

それらの痛みを少しでも少なくするために、
この計画に賛同して、一緒に改革を行う、という人たちを、
集結することも、大切かもしれない、と思う。
チームで行う、あるいは、日本国民全員で行う、ということも、
有りではないか、と思う。

また、新しい国の形も、もっともっと討論してもよいのではないかと思う。
たいていの人、特に男性陣は、国の形や、線路の状況など、
個人個人でそれぞれの「夢」を持っているように思う。

以前、私が札幌にいたときに、タクシーに乗って、
タクシーの運転士さんがいろいろ語っていたのを聞いていたのだが、
その運転士さんは、渋滞の道にうんざりしながらも、
「もし私が札幌市長だったら、札幌に東京の山手線のような、
ぐるりと巡回する線路を作るね」
などと言い出すのであった。
そして「その山手線も、空中をモノレールでぶらさがるみたいのがいいね」
などと、夢を語りだすのである。
なんだかとても面白かった。

「僕は、やっぱり、飛行機で日本中を行ったり来たりできるシステムがいいと思う。
僕は飛行機が好きなので、小さい空港をあちこちに作って、
空路というのも、標識とか確保して、
すいすい飛行機で往復できるのがいいと思う。
今は、空がとても渋滞しているんだ」
などと語る人もいる。

あるいは、「僕だったら、女性たちはみんな女子校に通うべきだ、と思う」
そういう人もいる。
私も、小さいとき小学校のときは、身体が小さかったので、
男の子たちがとてもやんちゃで、本当に困ったことがある。
女の子は、小学校のときから、女子校にするべきだ、と思う。

それから、「学校の入学選抜は、推薦だけにしたらいいと思う。
入学試験をなくす」
そういった案もある。
それに僕は、そういう案を出すのは、政治家だけじゃずるいと思う。
僕だっていろいろな国造りの案は出したい。
どうせ線路だって古くなっているし、
IT化はしなきゃならない。
映画「サマーウォーズ」のようにさえならなければ、
IT化は…

「痛みを伴う改革」と日本の新しい国造り。

ソチ五輪も、きょうが閉会式である。
先週の大雪によって、日本ではさまざまなことが起こったが、
きょうは、東京マラソンも無事に日程が始まって、
日本社会は順調に動いているかのように見える。
しかし、大雪に対する対応が遅れた、との見方があり、
東京都知事選挙の結果に対する不満の高まりもあり、
内閣の支持率は急速に低下してきているように思える。
そこへすかさず付け入るのが、今もくすぶる、小沢一郎、三宅雪子の、
「生活の党」である。
ここへ、反原発派が結集すると、政府の求心力がとても下がってしまうことだろう。

しかし、私の見方では、東京都知事選挙は、舛添氏が当選しても、細川氏が当選しても、どちらも大勢において、変わりはない、という選挙だったのではないか、と思う。
というのは、私の思うには、ある国家的なプロジェクトが進行中なのではないか、と推測されるからである。
それは、国造りであり、日本列島改造であり、痛みを伴う改革である。
日本国を、大規模に改造しよう、という改革なのではないか、と思うのである。

その計画に乗ったのが、小泉純一郎氏、森一朗氏、細川護煕氏、という、総理大臣経験者ではないかと思う。
このあたりの総理経験者に加えて、現在の総理である安倍氏、副総理であり総理経験者である麻生太郎氏、そうそうたる面々が、ここに、この計画に賛同しているのではないか、と思えるのである。

今、日本は、大揺れに揺れている。
メガバンクである、みずほ銀行の不祥事と、長期にわたる手入れ、
JR北海道をはじめとしたJRに対する、長期の調査と監査、
NTTドコモも、不穏なニュースが飛び交っている状況である。

特にJRでは、私もJR北海道を利用していたこともあり、
とても気にかけていたのだが、
先月、発表があり、羽田空港と東京駅を結ぶ線が、新たに開通することになった。
これは、JRで開通する、ということである。
さらに、東北本線、常磐線、高崎線、と新幹線の発着駅である東京と、上野、これらがつながるのである。
これは、乗客にとってはもちろん、JRにとってもとても利益の高いものである。
しかし、羽田から浜松町を結ぶモノレールの経営者にとっては、またモノレール沿線の住民と経営者にとっては、まさにこれは、「痛み」である。

また、今回の大雪では、関東の周辺に大雪が降って、
かなりたくさんの人々が孤立して、たく…

NHKドラマ「ごちそうさん」感想。

NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」は、とても人気があるようだ。
その前の「あまちゃん」の人気から始まって、ツイッター上でも、共通の話題になるような、インターネット世代の、テレビとツイッターの連動が、うまく行っているのかもしれない。
テレビドラマの感想を、ツイッターで交わせるような、そういう時代の先駆けなのかもしれない。
私自身は、以前は毎朝必ず、テレビ小説を観ていた時期もあったが、ライフスタイルの変化で、見ない時期もある。
朝の連続テレビ小説は一日一回15分という「短さ」と、月曜日から土曜日までという放送スタイルとで、国民のライフスタイルを担う、大事なテレビドラマだと言えるだろう。
私も一時期は、朝起きるとNHKをつけて、時計代わりに、朝の支度のひとときを、送っていたものである。

「ごちそうさん」の人気は知っていて、人気になってから数回、実際に見てみて、それで、やっぱりストーリーはよくわからない部分もあったけれども、「ごちそうさん」という題名の由来を聞いて、なるほど、と思うところもあった。
戦争中で食料も乏しく、また人の心が苦しみ荒んでいるようなときに、おいしい料理を作ってふるまう、それで「ごちそうさん」という呼び名がついたのだという。
「ごちそうさまでした」というときに「ごちそうさん」と言うのが東京の人なので、そのあたりは、大阪の感覚なのかもしれない。

私は昨夜、ずいぶん回復してきた大雪の流通にほっとしながら、それでも生協さんには欠品や遅れがあって、自宅で保管してきた食品を計算して分けて使う状況になっていた。
それでも、「こういうときだから」ということで、とっておいたお味噌を、新しくふたを開けた。
そして、豚汁を作った。
「こういうときだから」と、ちょっとしょっぱめに作ってみた。
「少ししょっぱめのほうが、元気が出る」と思ったのだ。

それを家族の椀に取り分けて「さあ、できたわよ」という瞬間に、
「ああ、これが「ごちそうさん」っていうのかも」と、思ったのである。

そのときの気持ち、というと、「さすが、こういうときに、備蓄のコメや味噌を取ってある」とほめられたことや、家族が、とてもおなかを空かせていて、自宅付近を見て回っても、予想以上の被害に、なんだか元気がなかった状況、そういう状況のなかで、もしかしたら隣家の冷蔵庫は空っぽという状況のなかで、自分だけは、食料…

雪国の知恵。

関東圏の大雪は、毎日のたくさんの人たちの努力と協力で、
困難を克服しつつあるようだ。
私も、何か明るい前途が見えてきた。
ご近所のレストランも、通常営業になってきている。
これで来週いっぱいで雪が溶けきれば、
もう、あとは春を待つだけ、と、明るい気持ちである。

また、雪国で暮らしていた知恵が、
ここで役に立ったことが、とてもとても、よかったなぁと思う。

きょうも、戸外に出て、雪かきをしてきた。
雪も降ってから数日たって、雪かきのそのあと、の段階に入っている。
道の脇には、雪が山になって積まれている。
これをさらに除雪する作業である。
50センチほどの積雪、これは自然に積もったものであるが、
その上に、雪かきで載せた雪が、冷たく堅い氷となって固まっている。
まずこの、表層の堅い氷を、除去しなければならない。
ここは、まずスコップを立てて、ざくざく、と縦に切り込みを入れるようにする。
それから、横からこの塊を、すくうようにする。
そして、春まで雪をためておけるような場所まで、運んでいく。
私の場合は、官地と呼ばれる場所で、誰の土地でもなく、昔は水路だったところである。

堅い表層のその下は、自然に積もった雪で、まだふわふわしていて、
軽くてすくいやすい。
これをすくって、やはり運んで行って捨てる。
このときに、土木作業で使う、一輪車とかを使ってもよいのかもしれない。

道路の脇に薄く固まった氷であるが、これも、スコップを立てて、ざくざくと、
割っていく。
割ったら溶けやすくなり、運びやすくなるので、
それを雪捨て場に運ぶ。

雪で屋根などが、破損して、これから工務店などに、修理を頼む場合は、
家にかけている保険が効く場合がある。
そうした保険に、被災証明書を使うことができる。
保険会社に請求するための
被災証明書は、市役所の、社会福祉課や市民福祉課に申請する。

きょうも、雪かきをしていたら、お友達に会って、
いろいろな情報を交換することができた。
やはり、結の思想というのを、感じることができる。
とても心があたたまる。




「メダルにはこだわってない」ってどういうこと?!

ソチ五輪も、終盤を迎えている。
きょうも競技が行われ、選手たちの声も届いてくる。
それにしても、なにか腹が立ってしょうがないのは、
順位にかすらなかった選手が、
「メダルにはこだわっていない」
「常に自分のなかで勝つ」などと言っていることだ。
本当に、空気が読めない、というのは、こういうことを指すのではないだろうか。

よく、甲子園野球の選手でも、監督のインタビューでさえも、
「いつもの力を出し切れればいい」とか、
「相手の胸を借りるつもりで」とか、
あるいは、「いい試合をしたい」などと発言している。
まったく、勝負の場であるということを、理解していない物の言い方だ。

練習のときの、「いつもの」力で、
世界の大舞台で、勝てるはずがない。
全然、「いつも」の時と場合じゃないからだ。
いつもじゃない、世界の大舞台で勝つためには、
いつもじゃない試合をいつもじゃない力を出して、
戦うしかない。
となりにいるのはライバルであって、お友達ではないのだ!

蹴落とせ!
何をなまぬるいことを言っているんだ!
勝つつもりじゃない人が、勝った話など、聞いたことがない。
勝つつもりで、勝つ練習をして、勝つ本番を戦い抜いた人だけが、
勝利の表彰台に登れるのだ。

金メダルがほしかったら、金メダルなりの練習をして、
金メダルの本番を、やってのけることである。

オリンピック・女子フィギュアスケート。

今夜、日本時間の深夜の時間帯に、
冬季オリンピック・ソチ五輪の、女子フィギュアスケートの競技が行われる。
日本では、今、関東地方の大雪のために、いろいろと大変な状況でもあるけれども、
選手にとっては、4年に一度の、いや、一生にそう何度もない、大きな舞台であり、大きなチャンスのときである。
遠くロシアを思いながら、心から応援したいものだ、と思う。
幸い、テレビ中継の電波はつながっていて、改めて「つながり」というものを、感じさせられている。

フィギュアスケートの競技は、ショートプログラムと、フリーと、それから、これは競技の点数とはあまり関係ないのだが、エキシビションというのがある。

フィギュアスケートの競技がなぜ、こうして三つの種目に分かれているのか、みなさんご存知かもしれないが、改めて、楽しみのために、ここで少し書いてみようと思う。

まず、ショートプログラムであるが、これは、技術である。
スケートの技術を披露して、競うものである。
たとえて言えば、学校の国語の時間に、文章の単語や漢字、句読点を習うようなものだろうか。
そして、それらの技術が採点される。
フィギュアスケートのショートプログラムでは、ジャンプや回転、スケーティングなど、何項目もの技術が、試されることになっている。

ずっと以前は、リンクの上に、まっすぐに線を引いたその上を線の通りに滑ってみたり、あるいは、円を描いた上を、滑ってみたりした。
その後、音楽に合わせることになったが、ショートプログラムが、技術を中心に採点される場面であることに、変わりはない。

また、ショートプログラムの点数順で、フリーの滑走順が決まる。
これは、学力テストで、上位10名に入った学生が、二次試験、最終試験を受けるようなものである。
フリーでは、スケートの技術のほかに、その上に、というべきであろうか、演技、芸術点が採点される。

これは、国語の文章でいえば、表現力、ストーリーを自分で創って、それを人々により高い芸術的視点をもとに、伝える、という競技であろうか。

それを考えると、本当に、フィギュアスケートというのは、文章とよく似ている。
文章を書く人は、技術力は基礎の基礎として、高いレベルを維持していなければならなくて、いつでもそれを披露できるようでなければならない。
そして、その上に、プロフェッショナルであれば、観ている人に、感情や思…

首都圏の食糧事情。

せんだっての大雪で、被害の規模が、日々明らかになってきている。
あす、あさっての雪の予報は、撤回されて、明日も晴れるようである。
きのうときょうで、雪の被害は、とても回復できてよかったと思う。
それでも、これからまた、2月中にも3月にでも、まだ雪は降るかもしれないし、
何よりも、ここ5日間の、輸送の途切れで、首都圏に食料が足りなくなっていくのではないか、と思われる。
交通網さえ回復すれば、電気やガスは大丈夫なのではないか、と思う。
電話線も回復は早いだろう。

しかし、食料の輸送は、そう短時間にはうまく行かないようである。

私個人では、ご近所の家でも、自宅でも、生協さんを利用していて、
冷凍庫にも食品庫にも、たくさんの買い置きがあり、
あと1週間くらいは、心配はない。
それに、親戚の畑でも、ご近所の畑でも、川のほとりでも、
その気になれば、白菜や大根を栽培している。
庭には、小松菜の葉っぱが、雪に埋もれてはいるが、健在である。

こうした、私の家の状況と、東京の都会の状況は、
また、ちがうものだろう、と思う。
店に食料品がなくなってしまえば、お金があっても、モノがない、
ということになるだろう。

また、最近では、ご近所のスーパーマーケットを冷蔵庫代わりにしておく、
というふうにして、買い置きをしない派が多いようである。
私は、買い置き派なので、買い置きしていない家では、きっと大変だろう、と思う。

こうした大雪の状況では、地震とちがって、どうという被害を発表しずらいのかもしれない。
今夜、発表された、農作物の被害状況は、いわゆる、「農産品」であり、
生鮮食料品である。
また、イチゴ、キュウリ、ぶどう、などは、旬のものではなく、
農家には影響を及ぼしても、人の健康に害を及ぼすような食料品ではないように思われる。

イチゴやキュウリなどは、ビニールハウスで促成栽培しているものである。
冬の作物、たとえば、大根やニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、ゴボウなどは、地面の下で健在であると思う。

また、北海道では、人口よりも、牛の数のほうが多い、と呼ばれるところで、
北海道だけで計算すると、食料自給率は、500パーセントにもなろうか、という地域である。
冬の間には、秋に収穫されたじゃがいもが、大きな倉庫に、保管されている。
それで、冬の間も、来年の夏までも、順調にじゃがいもを、出荷できる…

屋根の雪をおろす方法。

屋根の雪をおろすためには、
その真下の部屋で、ストーブをガンガン焚いて、
部屋をあたためるとよい。
上昇した気温が屋根をあたためて、
屋根と接する雪が、少し溶ける。
それで、積もった雪が、ずれて落ちる。
傾斜のある屋根の場合。

国家主義。

国家主義とは何か。
きょうは、このテーマを論じてみようと思う。

国家主義とは、簡単なたとえをとってみれば、
家が大事、そしてそこに暮らす人々の健康や幸せ、命というものは、
家の次に大事、という考えである。

箱が大事で、その箱の中にある命は、二番目だ、という考え方である。

かつての日本の家制度、家父長制度は、
そこの家の娘さんが、好きでもない男性のところに嫁いで、
泣いて暮らしたとしても、
「家のため」ということで、彼女の気持ちを踏みにじることは、平気だった。
優先順位として、家という箱が大事で、命はその下にあったのである。

老舗の店の暖簾も、そうかもしれない。
老舗の店を継続し繁栄させていくために、
跡継ぎの息子がどんなに学問ができても、
どんなに好きな女性がいても、
まずは老舗の店を継続させることが大事で、
息子の気持ちや時には、相手の女性を選択する権利まで、
二番目三番目になってしまうのである。

本来は、人を幸せに、健康に生きさせるために、
家や店があるのではないだろうか。
箱だけ残っても、そこに暮らす人々が幸せでなければ、
何の意味もないのである。

今、オリンピックのさなかである。
オリンピックは、世界中からそれぞれの国が、代表選手を出して、
国対国、の戦いを行うところである。
スポーツというルールのあるゲームに昇華しているけれども、
本質的には、国と国との戦いという点で、
世界大戦に近いところがあるのかもしれない。
「国の威信をかけて」「国の名誉をかけて」という。

こうしたときに、人は自然に、自分の出身国を応援する。
これは、健全な愛国心(パトリオティズム)である。
健全な愛国心は、自分自身が依って立つところの、
母系集団を、自然に愛する、大切にする、という意味である。
自分の母国は、自分のアイデンティティの基盤を作る、
とても大切なものである。

このごろ、こうした「郷土愛」「健全な愛国心」が、
失われているかもしれない。
東京に出てくると、出身地を隠そうとする人がけっこうたくさんいる。
自分が生まれて育った場所、地域を、愛せないどころか、
憎む人もたくさんいる。
これは、心が、あまり健全ではない、ということである。

このパトリオティズムが、行き過ぎたところが、
ナショナリズムつまり、国家主義となる。
健全か、健全ではないか、の境目は、
「命と比べて、優先…

大雪の対策を考える。メモ。

さきほど、町内をよく見て、何軒かの地域の人と、
お話をしてきました。

片屋根(ルーフ屋根)は、ほぼ全て、落下して破損しています。
落下した片屋根の下に自家用車が置いてあって、
その車の上に落ちた家もありました。

高齢者ひとり暮らしのお宅。(女性)
すでに、何軒かの人が、訪問していて、
玄関口まで除雪をしてあげていました。
ただ、高血圧の薬がなくなってしまいました。
きょう、月曜日に病院に行く予定だったのですが、
雪で行けなくなってしまいました。
ご近所の人が、病院まで薬だけ取りに行ってくれるように、
手配をしてくれました。
ケアサービスの車は、入れないので、
本日は介護福祉士は来ないそうです。

食料品の備えがあるかどうか尋ねてみたところ、
普段から買い置きしてあるので、
冷蔵庫にたくさんあるそうです。

雪かきマナー。

持ち家のある人は、自宅前の道路を除雪するのがマナーです。
空き家の場合は、そこだけ道路が除雪されていないので、
町内の人たちで協力して除雪を行うと、
そこが通るようになります。

側溝に溶けた水が流れ込むので、
側溝の穴の周辺を重点的に除雪して、
そこに向かって川や水路を作ってあげるようにすると、
日光で溶けたスムーズに流れていきます。

溶けたコンクリートの面は、日光で温まるので、
そういった日光の当たる場所を先に作ってやるといいです。
ここは、水や氷を残さず、完璧に除雪します。

大雪の対策を考える。

本当に、思いがけない大雪となった。
週末の雪の、雪かきも終わらないうちに、
また、あす火曜日からは、雪が降るという。

きょう、月曜日、あす火曜日午前中までが、
雪のない状態で、作業や、災害対策、
これから起こる状況に対応する策を、
たくさん行動することが、必要になってくると思う。

すでに、市町村では、これまで培った、
災害、特に地震であるが、地震対策、避難対策を応用して、
「なにかあったとき」の災害対策が取られているようである。
私はそれを、とても心強く思う。

明日になったら、また雪が降り出して、
今ある状況の上に、また積もることになる。
きょうのうちに、雪かきをして、
少しでも減らしておくことが、大切である、と私は思う。

屋根の雪であるが、
北海道では、ビルの屋上には、融雪の設備と、排水の専用のパイプがあった。
これから、ビルの屋上で雪が溶けだすと、
ビルの建物が傷む可能性がある。
それでも、圧迫されないうちなら、建物の設計と相談して、
建物が負荷に耐えることができるかどうか、
計算してみるのも大事かと思う。

一般の住宅では、屋根の雪下ろし、というのは、しなかった。
新潟や日本海側ではどうか知らないが、
どうにも、やはり、新潟の雪の風景というと、
屋根の雪下ろしが、光景として、有名なようである。

北海道では、屋根に上って、雪下ろしをする、という話は、
まず聞いたことがない。
屋根は危ないので、登らないほうがよいと、私は思う。
春になれば溶ける、という気持ちで、
家が雪で埋まってしまう状態で、春まで待つ、ということである。
ただ、出入り口は確保しておいたほうがいい。
二階建ての建物の、一階部分が、すっぽりと雪が積もってしまって、
二階から出入りする状況とか、
あるいは、学校では、二階の教室の窓から、
積もった雪の上に、飛び降りるのが、
男子生徒たちの、通例となっていた。
そのくらい積もってもいい、という気持ちで、
家の周りの除雪には、手をつけなくていい、と私は思う。

大事なのは、出入り口と通路の確保である。

関東地方の家は、造りの関係から、屋根に積もった雪の重みには、
なかなか耐えない、心配なところもある。
実際、私の家の近くでも、すでにたわんでいるところがある。
このたわんだトタン屋根の雪の重みが心配であるが、
北海道では、こうしたやわらかい作りの建物はなかった…

立憲主義と憲法改正までの行程表。

なにかとざわついた2014年も、明けて2月半ばとなった。
通常国会は、都知事選を終えて、ようやく本格的な討議に入ったようである。
今国会の大きなテーマは、なんと言っても、憲法改正論議だろう、と思う。
昨年から内閣は、まずは秘密情報保護法案を決議し、憲法改正のために、一歩一歩着実に、その行程を進めてきた。
年明けて、本格的に憲法改正に着手しようというのは、自然な流れでもある。

この流れを阻止できなかったのが、都知事選での、憲法改正反対派、原発反対勢力であろうと思う。

憲法改正までの道筋として、国会で取り上げ、審議し、国民投票を行うことを決定する、という順になるだろうか。
それは、これからどれくらいの期間をかけて行うことになるだろうか。

通常国会は、6月下旬までの日程である。
その間、4月にアメリカのオバマ大統領の日本国訪問があり、6月には、ロシアのプーチン大統領の訪日がある予定となっている。
とてもいそがしい政治日程のなかで、今年の6月までに、憲法改正の審議を終えることができるだろうか。
それは、やはりどうしても早すぎるように思う。

国会を延長したとしても、今年9月である。
その後、国民投票を行うとすると、10月になるだろうか。
もしも、国民投票で、憲法改正が可決されたとして、この新憲法の施行は、再来年の春から、というようなことだろうか。

そして、この新憲法のポイントといえば、何と言っても、9条である。
平和憲法であり、武器を持たない憲法である。

この論議をしつくして、国民総意の結論を出すためには、今年いっぱい、という日程は、あまりにも短すぎるのではないだろうか。

また、私だけではなく、これほど憲法論議が高まってから、誰もが思うことだろうけれども、自民党がすでに出している、憲法改正の草案を、一条一条、もう一度といわず、二度も三度も、見直したいという気持ちがとてもある。

今一度、憲法改正の具体的なところ、日程と内容を、考えなおしたいものだ。
そして、そのための時間は、どうしても必要であると、私は思う。
安倍総理大臣の任期中に、ひとつの大きな仕事として成し遂げる事柄であって、あと3年がかりでも、よいのではないか、と私は思う。

ソチオリンピック・女子フィギュア・フリー

冬季オリンピックも、開会式から一週間の日程が過ぎた。
今朝は、私もライブで見ていたが、男子フィギュア・フリーでは、
日本の若い期待の新星、羽生結弦選手が、金メダルに輝いた。
とてもうれしかった。
アナウンサーも、「爽やかな笑顔」「爽やかな演技」と称賛していた。
本当に素晴らしい金メダルだったと思う。

こうなると、なんだか心配というか、期待が重くなってくるのは、女子のフリーである。
今季のオリンピックでは、女子選手が、なかなか力を発揮できない状況のようである。
遠いロシアのソチのことではあるが、私なりに思ったことを、書いてみようと思う。

ひとつは、ソチの環境のことである。
オリンピックが始まる前から、ちょっとしたニュースにはなっていたことであるが、
ソチの環境は、突貫工事のためか、あまり良くないようだ。
たとえば、化粧室の問題があった。
それから、エレベーターが故障して閉じ込められた、外国人男性選手がいたそうである。
男子選手なりに、力でこじ開けたらしい。
それから、選手村のクリーニングの体制が追いつかないようで、ウェアをクリーニングに出しても、誰のものかわからない、という状況もあるようだ。

これらの状況は、男性選手にとっては、かえって発奮材料になるものかもしれないが、女子選手にとっては、厳しいものである。
また、暖房設備が充分なのかどうか、これも心配である。
ソチは、ロシアのなかでもまだ暖かい気候のところである、ということだが、
画面で見る限り、とても寒そうである。
羽生選手は東北出身ということで、寒さ対策に慣れていたのではないか、と感じられるところがある。
日本人選手、女子選手だけでも、そのあたりの肌理細かい配慮をしてあげられないものか、と思う。

次に、今回の大会の雰囲気として、欠かせない状況は、テロ対策と、ドーピング検査である。
オリンピック大会は、年々、問題を大きくふくらませる状況になっている。
国際情勢も無関係ではいられない。
特に、ロシアの黒海地方は、ロシアとヨーロッパ、中近東を結ぶ場所にあり、テロが頻繁に起こっている地域でもある。
ロシアも、国の威信をかけて、テロが起こらない、安全な大会として成功させようと、力を尽くしていることだろう。
前回の夏季五輪、ロンドンでも、テロ対策が一番の問題であった。

次に、選手たちの、演技の問題である。
まず、浅田真央…

雪の日の対処法。

先週に引き続き、今週も首都圏は大雪である。
今朝、目が覚めて、驚いた人も、とても多いと思う。

私は、北海道にいた。
雪に対して、対応法を、市民が全員熟知していた土地がらから、
思うことを、いくつか書いてみたい。

その1、大雪の天気予報が出されたら、北海道の人でも、家から出ない。
北海道から本州に来たときに、本州の人たちの、台風への対処法に、本当に驚いたことがある。叱られたこともある。
本州での台風への対処と同じように、北海道では、大雪や吹雪に対して、畏怖心を持って対応している。
命に関わる問題である。
しかし、数日間で過ぎ去る天候でもある。
しっかりと食料を買い込み、家から一歩も出ないように、気象情報が出された日(前日)から、準備をして家ごもりをするものである。
食料の準備がなくても、明日になれば、天候がおさまるので、きょうは我慢して待つ。

その2、雪かきをする。
雪が降りやんでから、といわず、ちょこちょこ外に出て、こまめに雪かきをする。
特に、門、玄関、など、人が通る通路は、人が通れる幅(50センチくらい)は雪かきをする。
雪かきは、専用の、プラスチックのスコップを使ってもよいが、
凍って固まった雪は、氷になっているし、とても重くて堅いので、
カネのスコップで切り崩してもいい。
スロープは、危険である。
歩行者用のスロープは、ゆるい傾斜になっているので、すべりやすい。
階段を使うようにする。
階段を、よく雪かきしておく。
お湯は使わない。あとで冷えたときに凍って固まってかえって危険である。

その3、人間ラッセル。
一晩開けると、雪が積もっている。
30センチ、40センチ、50センチ、このくらいの雪をどうにかするには、
人間ラッセルが有効である。
もちろん、スコップで雪をどかす方法もあるが、
これは、雪を踏み固める方法で、通路を作る方法である。

男性が、5人~10人くらい、上下のスキーウェアを来て、大きな長い長靴を履く。
そして、腕組みをして、駐車場や玄関前など、雪をどうにかしたいところの端に立って、「わっせ、わっせ」と一歩ずつ、体重をかけて踏み固めながら、歩くのである。
そして、それを行ったり来たりする。

また、柔らかい雪が大量に積もっている玄関前などは、自分がスキーウェアを着て、長靴を履いて、手でかきながら、足で踏み固めながら、歩いて通路を作る。
次に通る人…

女性の職業選択。

このところ、女性と職業について、考えている。 男女平等の時代となり、男女雇用機会均等法が施行されてから、20年経つ。 そうした時代は進んで、今は道路工事や建設現場など、力仕事や大きな機械を使う作業にも、女性が職業進出をしてきた。
しかし私は、やはり、女性には女性に、生まれ持った性質にふさわしい職業が、あるように思えてならない。 これは、感覚的なものかもしれない。 また、女性にとって、何が幸せなのか、幸せになるにはどうしたらいいのか、を考えるときに、職業の選択は、実はとても大事な問題ではないか、と思える。
そして、考えるのは、昔も今も変わらないが、いわゆる「水商売」と呼ばれる職業の女性たちのことである。
以前とはちがって、女性たちの間でさえ、「平等感」が、浸透してきている。 そして、水商売であろうと、どんな職業であろうと、差別はいけない、という考えが、どんどん、特にむしろ、インテリ層と呼ばれる女性たちの間に、浸透してきているように思える。
直感的に、あるいは、とても世間的に、「水商売をしているなんて…」と批難するような認識は、なくなってきているのだろうか。 そして、直感的に、世間的に、「水商売をしてはいけないよ」とアドバイスする人に対して、「なぜいけないの?」「悪いことなの?」「法律でも決められていることだし」「みんな行っている」 あるいは、「必要な資金を稼ぐためなら、お金はお金、仕事は仕事と割り切ってすればいいんじゃないの?」という批難を受けてしまうことになる。
しかし、本当に、お金のため、それも、たとえば母子家庭が必要な生計を立てるため、とか、学業の資金のためであるとか、そういったことで、水商売を選ぶのは、本当に「よい選択」なのだろうか。
私は思う。 やはり、昔とちがって、職業選択の権利は、自分自身が持っているのである。 ずっと以前は、明治維新以前などは、たとえば、社会の事情があって、どうしても職業を選べなかった時代もあった。 しかし、現代は、自分の力で、選ぶことができるのである。
また、給金が高いのは、それはそれだけの「もの」を売っているのである。 売っているものは、「女性」であり、「プライド」でもある。
この、「女性を売る」「プライドを売る」ということを、一度でもした女性は、その当時もそれから一生も、ずっと、「プライドを捨てた女性」として、世間から、ばい菌のような扱いを受けることになる。 それは、…