2014年10月4日土曜日

NHK「マッサン」第1週「鬼の目にも涙」感想。

朝の連続テレビ小説「マッサン」が始まった。
私も前々から楽しみにしていたので、一日、一日、いろいろな興味を持って、見ていた。
一週目は本当に、盛り沢山な内容で、意気込みが伝わってくる。
国際結婚のふたりが主人公とあって、英語の字幕が出たり、時には吹き替えになったり、日本の広島県が背景となるかと思えば、スコットランドに変わるときもある。
今週は、日本の実家に、外国人のお嫁さんを連れて帰ってきたところから始まって、回想をまじえながら、ふたりが出会ったいきさつや、結婚を決心するまでの心の流れ、日本に来るまでの心の葛藤や周囲の状況まで、描いていたと思う。
そして、新番組の紹介でもあったように、日本の文化を再発見する、という意図や、冒険の物語を描いてみたい、という意図も、とても盛ってあるかんじがした。
特に、日本文化の発見については、外国から来てくれたエリーの戸惑いを通して、日本人の私たちこそが、認識しなおせる、お楽しみも含まれているようで期待したいと思う。

「マッサン」を、これから半年間見ていくときに、どんなことをポイントにして自分なりに観察したり、発見したり、感動したりしたいかな、というときに、一週間見ていて私もあれこれ考えたけれども、ひとつとても気になることは、これは、男性が書いた脚本である、ということである。
男性には男性にしか見えない世界観があり、人間観があると、私は思う。
すでに、主人公の亀山政春は、ちょっと女性たちからは想像もできないような行動形態をとっていて、将来の夢も大きい。
ドラマのなかで、大声を張り上げるのも、とても意表を突かれるかんじがする。
それで、私はこのドラマを見るときに、「男のサクセスストーリー」という視点から、物語を眺めてみたいと思う。

考えてみれば、前回の「花子とアン」が、女性のサクセスストーリーであったので、そういった意味からも、比較検討もできて、面白い試みだと思うのだが、どうだろうか。

さて、政春の物語は、始まったばかりである。
まず、今週は26歳。
まだまだ若い。
将来への夢も希望も、とてもたくさん大きくある。
そのひとつひとつを実現させていくことが、政春の人生のストーリーだと言えるだろう。
今回のドラマは、子ども時代から時系列を追っていく、という構成ではないので、子ども時代のことはよくわからないが、それでも、誰もが20代には持っていた夢も希望も、男性なら誰もが持つ大志を、持っている。

政春はまず、「大恋愛をする」という夢をかなえたところである。
「大恋愛をして、愛し合って結婚する」「最高のお嫁さんをもらう」という人生の重大ポイントを成し遂げたところである。
この結婚が、日本に来たら、猛反対に遭う。

若い男性の希望も野心も、そして若いというだけで、こういうものではないだろうか。
同じNHKの大河ドラマでも、男性が主役だと、子ども時代から若い時代を描く放送回では、なかなか視聴率が上がらない。
というのは、子ども時代、若い時代は、凡庸でうだつの上がらない、どちらかというと恵まれないのが、男性の若い時代、というものだから、ではないかと思う。

男性社会は厳しい縦社会になっていて、若いというだけで、最下位である。
これが、大河ドラマでも、大人になって仕事上の成果を成し遂げるようになってくると、物語としても盛り上がってくるし、成功の喜びに満ちてくる。
若かりし時代を描いたときには、「まるで自分を見ているようだ」と苦々しい思いをしてチャンネルを回した視聴者も、成功が続く壮年時代になるとやはり「まるで自分を見ているようだ」とチャンネルを合わせるのである。

男性の若い時代というのは、こうして、夢と希望と野心があっても、うだつの上がらない風采をしているものである。
けれども、胸に秘めた夢への思いはとても熱く、重いものではないだろうか。
そして、その夢が実現できるのだろうか、実現できないのではないか、と不安と恐怖に怯えているのかもしれない。
また、若い時代でまだ何も始めていない時期には、自分自身の胸に秘めた夢を、誰かほかの人に語るということは、まったくないのではないか、と思われる。
ドラマのなかでは、政春は、親や実家の番頭さんや、あるいは空や田んぼに向って、「俺は日本で初めてのウイスキーを作りたいんだ!」と叫んでいるが、本当に男性たちは、自分の夢を口にするだろうか?
私はそういう姿をあまり見たことがないように思う。

けれども、恋人だけは別である。
私の友達の経験だと、それまで平々凡々と、「人生はたいがい良ければそれで良し」などと言っていた恋人が、打ち解けてくると、熱く夢を語る日が、いつか来るのだという。
その夢は、恋人にしか打ち明けたことのない内容で、ほかの誰かに言ったことは一度くらいはあるけれども、はなから莫迦にされてしまった、ということなのである。
そして、一度莫迦にされると、もう二度と誰にも言わない、と心を閉ざしてしまうのが、男性である、とその友達はいうのである。

政春にとっては、己の心に秘めたウイスキー造りへの夢を、恋人のエリーに語ったところから、人生が始まるのではないか、と思う。
男としての、成功へ向けての夢の第一歩である。
くじけそうになるとき、困難にぶつかるとき、周囲の反対に遭うとき、恋人であり妻であるエリーだけが、政春の本当の目的を理解して、支えてくれる。
妻、というのは、それだけで存在価値があるものであるし、それだけが、妻としての役割であるかもしれない。

政春は、妻エリーという理解者を、生まれて初めて、もったのだと思う。
そこから、サクセスストーリーが始まる。
男社会の上下、親子という上下もとても厳しい。
この厳しい下位にいて、エリーだけは、政春を見上げて、理解して、支えてくれるのである。