2015年12月31日木曜日

2015年・今年もお世話になりました!

2015年も、大晦日を迎えた。
ご近所の家でも、門松を新しく備えて、見ていてとてもすがすがしい。
気持ちのひきしまる思いがする。

年末ジャンボ宝くじの抽選発表が、テレビ中継を通して行われた。
私も、数枚のくじ券を握りしめて、じっと見守った。
「幸運の女神」という、美しい女性がいた!
高市早苗総務相も、「幸運の女神」となって、登場して、お言葉を述べられていた。
そして、「幸運の矢」を、発射してくださった。

この、高市氏の放った矢のおかげで、一番はずしてしまって、私の夢は、はかなくも消えてしまった。
本当に残念であった…。

でも、いいお正月を迎えられそうだ。
総務大臣が幸運の矢を射るわけだから、内閣としては、宝くじにもろ手を挙げて賛成なのだと思ってまちがいないだろう。

いい夢を見たついでに、午前中のうちに茹でた年越しそばを、お昼ごはんにいただいた。
何事も、早め早めに先手を打つのが、勝つための盲点ではないか。
いや、ポイントではないだろうか。
やはり、政府としては、遅め、遅めに、すべてを地道に行うのが、教育勅語のしきたりであるようである。

ところで、今夜であるが、なんと、カウントダウンのニューイヤーデー、ということである。
私たちは、クリスマス前後を乗り切った。
しかしまだ、テロの脅威は、続いている。
今夜は、日本でもカウントダウンコンサートや、各地でカウントダウンのお祭りがある。
世界的にも、たとえば、アメリカ、ニューヨークのタイムズスクエアでの、カウントダウンは、とても有名である。

こうしたことで、テロが、本当に狙いを定めているのは、今夜から明日にかけて、なのかもしれない。

日本でも、カウントダウンコンサートや、初詣に出かける人はたくさんいる。
この初詣は、年が明けて元旦になってから、朝から出かけるのでなくて、お寺や神社に、除夜の鐘を聞くところから、深夜に行くことが、多いようなのである。
「行く年くる年」でも、放送されている。

そういうわけで、今夜は、できるだけ行動を慎んで、テロの脅威に備えたほうがよい、と私は思う。

安心・安全な自宅で、家族や友人と一緒に、NHK紅白歌合戦を観よう。
私は、毎年楽しみにしているので、紅白を見る予定である。
紅白では、紅白アプリというのがあって、ダウンロードすれば、紅組でも白組でも、いいと思ったほうに投票することもできる。
曲順もわかるし、好きなアーティストの少し前には、アラートを設定できる。
私はすでに、アプリをダウンロードして、準備してある。

紅白歌合戦が終わったらそのあとは、ジャニーズのカウントダウンコンサートが、フジテレビで放送される。
ジャニーズのメンバーと一緒に、テレビの前で、カウントダウンして、ハッピーニューイヤーを迎えたい。

皆さま、どうぞ、よいお年を。
今年もお世話になりました。


朝倉聡子

2015年12月31日


紅白アプリのダウンロードはこちらから →

http://www.nhk.or.jp/kouhaku/app/


追記☆
紅白歌合戦の投票は、アプリをダウンロードすれば、誰でも可能なのだが、ジャニーズや「嵐」のファンの、若い女の子たちが、たくさん集まって投票するので、ここ数年は、「白組」が勝つことがとても多くなっている。
投票の仕方を、少し考えたほうがいいのかな、と思うけれども、AKBファンの男の子たちも、がんばってもいいのでは?とも思う♪




2015年12月30日水曜日

教育勅語を垂れるべき資格はあるのか。

年末も、とうとう30日となった。
明日は大晦日である。
もう、きょうからあれこれ忙しい。
おせちの仕込みに入らなければならないし、大掃除はまさに大詰めである。
年賀状はきれいに印刷して出し終えた。
年末の買い物もほぼ済ませて、あとは楽しい寝正月を待つだけである。

それにしても、政治の世界というのは、今、話題の「ブラック企業」であるらしい。
官庁では、御用納めをするその日も、翌日も、まだまだ上役が仕事をしているのだから、部下は休めない。
日本人は、エコノミックアニマルだとか、働きバチだとか言われるけれど、まずは政治家自ら、「ライフワークバランス」の姿勢を示してほしいものが、ブラックなありさまである。
そのうえ、力になってくれたブロガーには、給料はあげないで働かせるのだから、日本の政治家の「ブラックぶり」はたいしたものである。
まず、生まれ持った才能がない。
だから、努力で補うしかないのだろう、と思う。
日本の政治家は、上から下まで、本当に「努力家」である。

こうした、誠意も真心もない、付け届けの腐敗で歪んだ政治家が、真摯で真面目な一国民に、何をか訓示を垂れたいらしい。
なぜ今ごろ、そんなことを言い出すのか、首を傾げてしまう。
教えてあげたいのは、こちらのほうである。

だいたい、今の総理大臣の権力というのは、あらゆる問題に関して「知恵」があったから、求心力を持てたのではないか。
その知恵、というのは、一国民、それも若い女性から、こっそり得たものなのである。
実際には、総理大臣の頭のなかは、それほど重量はなさそうだ。

だいたいにおいて、出てくる時期が遅かったではないか。
三党合意による、税・社会保障一体改革、つまり、消費税の増税は、民主党の野田総理大臣と、朝日新聞とで、行って成果を挙げたのである。
安倍総理大臣が、第一次安倍内閣を崩壊させるしかなかった、仇敵の小沢一郎氏を、追放したのは、私のブログと、朝日新聞とメディアの皆さまが、友情で結びついて、チームワークで行ったからである。

自分の力では、小沢一郎に負けっぱなしだったものが、今ごろ出てきて、私たちに何をか訓示を垂れる立場になろうとは、おこがましいものである。
消費税の増税も、経済政策はまずは、民主党と、朝日新聞と、読売新聞も社説でたくさん応援したし、「増税は少子高齢化の対策で、有意義なこと」と書いたからである。
それをすべて、自分の手柄のような顔をしているが、私たちは忘れない。

また、2012年8月のアジア危機に際しても、対応したのは、野田総理大臣と朝日新聞の記者の皆さん、メディアの皆さん、そして素人ながら、志のあった、私という一ブロガーなのである。

そうしたことを、なかったことにしたいのが、安倍総理大臣なのではないか。
「飴と鞭」というやり方では、小沢一郎に勝つことができなかった人物が、エラそうに教育勅語をするものではない。
あなたが出てこられて、今の状況があるのは、私たちが友情と信頼に基づいて、一生懸命やったからなのである。
謙虚になるべきだ。
その傲然とした頭を、心から、垂れるべきである。


2015年12月28日月曜日

きょう、日韓外相会談。

きょうは、師走も28日となった。
官庁は御用納めの日である。
大掃除などをして、あとは忘年会であろうか。
明日からは本格的に、Uターンラッシュとなる。

こんなに暮も押し迫ったときに、外交は年末の最後の最後まで、とても忙しそうだ。
28日のきょう、岸田外相が訪韓して、日韓外相会談を行う予定だ、という。
慰安婦問題の妥結をはかっているらしい。

ところで、私もあらためて、友達や先輩に尋ねてみたのだが、慰安婦問題というのは、結局のところ、事実だったのか?

誰にどう尋ねてみても、答は明白で、今、日本政府がしようとしていることは、友好的な外交問題ではなくて、歴史をねじ曲げようとしている、ということらしい。
未来志向で考える、という意味はよいことだと思うが、韓国の人々の気持ちを考えると、これは、非情な国家的策略で、TPPやこれから起こるであろう戦争に関して、韓国を脅した、取引だと思う。
韓国は、中国や北朝鮮に挟まれたが、経済のこともあって、アメリカ組に着くことにしたようだ。

それにしても、安倍総理の「おわびの手紙」というのは、なんなんだろう?
心から謝罪するつもりは毛頭なくて、ただ、この場を丸く収め、あとあと利益を収めるための、演技で行う「おわび」というわけだ。
思い起こしてみれば、8月の広島、長崎での「おわび」も、そのあとの談話も、あとあとの利益、権益を思えば、簡単に頭を下げることができた、というわけなのだ。
どこからどこまでが嘘なのか、まったくわかりかねる。

ここ数年の安倍政権で、どの団体も、どの個人も、政権から「飴」と「鞭」の両方をもらったのではないか、と思う。
そう思うのは、私自身がその「個人」であるからだ。

テレビの報道番組では、有能なキャスターが、降板を明らかにした。
言論の封じ込めも甚だしい。
このテレビ局もきっと、「鞭」をくらったのだろうが、同時に、「飴」もたくさんもらっていたのだろう、と思うと、なんだか人間って、こんなものなのか、と思ってしまう。

だけど一番情けないのは、安倍政権である。
支配力はとても強めているが、その内容は、飴と鞭による拘束であり、「志を共にして集まった」とか、「尊敬の気持ちで集まった」というわけではないのだ。
何よりも確かなのは、安倍政治の内容を理解して支持しているわけではない、ということである。
「仕方がないから言うことを聞いている」のであって、「素晴らしい理想に共鳴している」というわけではない。

安倍氏の演説は、カリスマめいた、独特の調子を放っているが、これらのすべてが、甘い言葉と、なんとなく理想的に見える、へんてこな理屈に基づいているのだ、と思うとぞっとする。

民主主義、ばんざい、である。
これでもし、選挙制度がなかったら、権力者というのは、何をどこまで行ったのであろうか?
あとは、安倍政権が怖がっているのは、選挙だけ、ということになるだろうか。
しかしここに、マイナンバー制と国政調査が加わっている。
おそるべし、おそるべし、恐怖政治の時代となったわけなのである。


2015年12月27日日曜日

浅田真央さん・蝶々夫人。全日本選手権・2015

全日本選手権も、昨夜は男子のフリースケーティングが行われて、盛り上がっている。
地元、北海道では、こうして札幌に世界レベルの選手たちが集まることを、とても楽しみにしていて、たくさんの観客が、暖かい拍手で、迎えている。
日本ハムファイターズも、こうして、北海道の温かいファンに恵まれて、強くなった。
昨日の、羽生結弦選手の成績は、とても素晴らしかった。
スポーツをしていれば、そして仕事をしていれば、調子のいいときもあれば、そうでもないときもある。
「そうでもないとき」に現れてくるのが、実力というもので、このときに出てくるのが、練習の成果、というものなのだ、と思う。

私もこうして書く仕事をしていて、けっこう「易しい」文章をすらすらと書くものだから、あまり練習も訓練もしていないのだろう、と思われがちなのだが、実は、文章鍛錬というのは、欠かさずにしているものである。
それを、そうと見せないところが、やはり一流と呼ばれるための大切なことなのではないか、と自分で自分に言い聞かせている。

きょうは、女子のフリースケーティングがある。
宮原知子さんも、新しく登場してきて、女子の難易度はとても高くなっている。
そうしたところで、浅田さんがどのように、次の試練を乗り越えるのか、みんなが見ている。
私自身が、仕事に関しても、技術や練習に関しても、また女性としても、学ぶ気持ちで、一生懸命見つめている。

浅田選手は、ジュニア時代から、日本の女子フィギュアスケートの世界を、ひっぱってきた。
「憧れ」でもって、ひっぱってきたのである。
そして、新しいまだ幼いジュニアたちが、浅田選手の背中を慕って、たくさん、氷の上に舞い降りてきている。

浅田選手は、デビューのころは、「妹キャラ」で、かわいらしく元気に演じればよかった。
スケートを楽しめればよかった。
でも、大人になって、25歳になって、追われる立場になった。
その状況で、やはり先頭に立っているのだから、常に挑戦、挑戦である。
また、後輩の指導・育成に携わる立場になって、「お姉さんキャラ」も、身につけなければならないのだろう。
そういったところを、今まさに乗り越えようとしている。

私は、そういう生き方を、本当に尊敬している。

ところで、「和」の表現なのだけれども、私もずいぶんと考えたけれども、世界というレベルで、「和」を、特に女性の「和」を表現するのは、とてもむずかしい、と思った。
フィギュアスケートはもともと西洋のスポーツであるし、また世界から日本を見たときに、「エキゾチックな」印象を求められることが多く、その「エキゾチックな」かんじは、当の日本人が見てみると、なんだか違和感のあるものだ、と思うのだ。

いろいろな演出方法があると思うけれども、世界のレベルで競うことを考えて、「世界から見た日本」という演出で、「和」の表現をしてみるのも一案だと思う。
日本人が見て「これは日本的じゃないわ」と思ったとしても、世界の目で見て、「これが日本」「ジャパン」と思えれば、それでいいのではないか、と思う。

もうひとつは、羽生結弦選手が、「侍」「武士道」というような点で、(実際には陰陽道だが)「和」を表現したことにならって、女性には女性の「何か」を表現するのがいい、と思う。
でも私は、それは、京都の舞妓さんではないんじゃないだろうか…?と思う。
江戸の町娘だって、立派な日本女性であるし、明治の女だって、日本女性である…。

まだもう少し、シーズンは残されている。
私も、浅田さんと一緒に、世界に発信する「女性の和」を、もっともっと追求して考えていきたいと思う。
そのためにも、どうしても浅田さん、世界選手権の切符は、手にしておいてほしい、と願うものである。
世界に表現する、日本女性の素晴らしさを、一緒に表現して、進んでいきたい、と思う。





総理のご病気。

総理大臣は、どうもノイローゼらしい。
知っている人から聞いた話だが、ある日本人は、自宅のごはんの残りがあると、「アフリカの難民の皆様が困っているのに」と思って、傷んでいても捨てられないのだそうである。
それどころか、遠く何万キロも離れたところにいる飢餓難民のことを思うと涙が出て、食事ものどを通らないのだそうである。
テレビの報道を聴いて、まるで自分のことのように思い、外国と我が家との境目がわからなくなってしまう状態を、ノイローゼ、という。

しかし、確かにこの論法は正しい。
この「正しさ」で、総理大臣は、戦争を正当化して、たくさんの議員たちを論戦に巻き込み、打ち負かしてきたのだろうと思う。
しかし、難民だけじゃなく、「私」も、幸せになる権利があるのである。

貧困の子どもたちが出るのは、ひとえに政治家の責任である。
これを、なんともできないで、政治家づらをして「なごみスパ」に通っているのは、怠け政治家としか言いようがない。
誰がどんなふうに論戦をかましても、難民のために、今日の幸せを我慢する必要はないのである。



2015年12月26日土曜日

夢を買う~宝くじの楽しみ方。

今年も年末となった。
年末恒例の行事を、このブログでいくつか紹介しているけれども、大晦日の楽しみといえば、紅白歌合戦と、「年末ジャンボ宝くじ」の抽選発表である。
宝くじの思い出といえば、たくさんの人々に、その人の数だけ、きっとあるだろう、と思う。
私が思い出すのは、以前、ラジオ番組で聞いた、「宝くじ川柳」である。
「宝くじ はずれて今日から 仕事始め」 
嗚呼!

また、こんな思い出もある。
実は私、一家でひとりの「当たる人」で、300円の一枚買って、3000円当たったことがある。
この3000円で、万年筆を買った。
その後、書くことはますます、楽しくなった。

今年の年末ジャンボは、なんと10億円当たるのであるが、私は、まだ3億円というころから、夢を買うこの宝くじを、楽しみ尽くしている。

一番楽しいのは、使い道を考えることだ。
「3億円当たったら、どんなふうに使おう!」という計画を綿密に立てるのである。
これは、漠然としているよりも、できるだけ具体的なほうが面白い。
ただし、抽せん日当日までしか楽しめないので、買って神棚にあげたら、そのときから、ネットを駆使して情報収集を始めたいものである。

たとえばこんなふうである。

「欲しかったCD、全部買う!」
CDアルバム一枚の値段が3000円として、リストアップしてみたが、私のほしいのは100枚くらいである。
そうすると、CDだけで、300万円である。
すごい!
まだまだ使える。

次に、欲しかった本、全部買う!
けっこう高い専門書も欲しかったので、一冊5000円として、これをやはり100冊である。
そうすると、500万円也。

次に、マンションを買うことにする。
駅前の新築で、2000万円。

それから、車を買う。
レクサス 400万円。

う~ん。
足りない。
足りないのは、私の買い物の額なのである。
とても一億円使えないのである。

それで、翌日また考えて考えて、お友達にも相談して、「社会人留学っていいわよ」という話を聞く。
書店で、留学情報誌を見て計算する。
留学の学費、一年で500万円。
オーストラリアあたりがいい、滞在費 500万円。
これで合計4200万円。

やっぱり、3億円どころか、1億円も使えない!

そのあたりで、ようやく気付くのである。
3億円というお金は、おうちに持ってきて積んでおくことは不可能だ、ということである。
ならば、貯金しておこうか。
ところが、貯金とか預金には、限度額があって、ゆうちょ銀行などはこのところ、上限1300万円、ということなのである。
私の3億円、いったいどこにしまっておけばいいの?!

こうして、ようやく、資産運用の立て看板が、電車の窓から、気になるようになる。
株式か債券にして、保管しておくしかない。
いやこれは、保管ではなく、資産を運用するので、資金を活動させておく、ということなのである。

そうすると、やはり、宝くじは、当たったら、「みずほ銀行」様様にお願いして、資産運用してもらうことにする、それしかない。
みずほで通帳を作り、奥の部屋でよく相談して、いいところの株式などを紹介してもらおう、ということになるのである。
そうして、生きている限り、年金額のように、月々の利子を受け取ることにしよう。

このあたりで、プール付きの豪邸は、維持費と人件費のあたりで、あきらめている。
そして、「遊園地のお取り寄せ」は、2億円では不可能だ、ということも、わかってきている。
そして、月々の利子生活、というところに、落ち着いてしまった。
嗚呼!

それにしても、この当たり券、もし10億円当たっても、3億円当たっても、きっと、現金の山が手元にくることはきっと一度もないだろう、と思う。
銀行の奥の部屋で、通帳を持たされて終わりなのだろう。
そして、銀行としては、現金が動くことはなく、数字上で、金額が移り変わって、これまで以上に、資産運用をしていける、ということなのである。

年末ジャンボ10億円。
ずいぶんとはずんでくれたものだ、と思うけれども、実際には、銀行としても、歳末大セールをしていた、ということなのである。
きっと、今年も、銀行はすごく儲かったことだろう。

でもでも私は、この一枚の宝くじに、やっぱり夢を載せて、新しいタブレット端末などを、電気店に、さわりに行ったりするのである。



2015年12月25日金曜日

フィギュアスケート・全日本選手権始まる!

今夜から、フィギュアスケートの全日本選手権が始まる。
まずは、ジュニア、そしてペア、そして、男子ショートプログラムである。
羽生結弦選手は、スペインでのグランプリファイナルで、男らしい快挙をなしとげた。
本当に拍手喝采である。
あの、伝説となった完売御礼の「anan」は、もちろん私も手に入れた!
これからの羽生選手の挑戦は、王者の地位を堅持し続けることにあるだろう、と思う。
スポーツの世界は記録、記録ということで厳しいが、300点代を、コンスタントに出せるか、というあたりが、これからの目標になってくるのではないだろうか。
そうして、王者を維持し続けたところに、ステイタスがある。
これからは、ステイタスを築く時期ともいえるかもしれない。

また、こうしたトップクラスの選手が、素晴らしい演技をすることで、次々に新しい、若い選手が、出てくる。
きっと、テレビの前の小さな子どもたちだって、スケート靴を、サンタさんにお願いしたに決まっている!

また、女子のフィギュアスケートの熱も、もっともっとヒートアップしているところである。
今回の全日本選手権が行われる、札幌の真駒内アイスアリーナは、1972年(昭和47年)に、札幌オリンピックで使われたリンクである。
ここでは、最高にキュートな、ジャネット・リン選手が、演技を披露した。
その笑顔は、世界中に希望と喜びを広げていった。

(真駒内のスケートリンクは、日常的には、市民に開放されているので、私も友達と、スケート遊びに行ったことがある)(すべれます)

それはともかくとして、今回も、浅田真央選手には、期待が集まるところである。
日本は今、2020東京オリンピックに向けて、スポーツにはものすごく力を入れている。
オリンピックに出られるようなトップアスリートには、どうにも国から、至上命令がくだされているように思う。
「国威向上」なのだろうか。

羽生選手は、「和」のプログラムを見事に成功させた。
そして、世界トップクラスの成績を収めて「和」を世界に宣揚した。

どうにも私のカンでは、浅田選手も「蝶々夫人」で、「和」の表現を申し渡されているのではないか、と思える。

しかし、蝶々夫人は、日本人女性をモチーフにした、といっても、イタリアのオペラである。
まして、ワールドワイドでグローバルなこの時代に、まるで国粋主義、まるで民族主義の「和の宣揚」なんか、気にする必要ない。
浅田さんは浅田さんで、自分なりの演技を、集中できればいい、と思う。

このところの浅田さんの演技は、とても表現が豊かである。
そのぶん、蝶々夫人になりきりすぎて、全身に悲しみや恋が表現されてしまう。

こうしたときは、表現と技術を、均等に分け合うことが大事である。
むずかしい技術を必要とされるときだけ、恋する夫人だったのが、トップアスリートに戻るのである。
文章もそうであるが、表現と技術は、ときに相反するものである。
今の表現力で、「技術のとき」の切り替えができれば、きれいにジャンプが決まって、高得点間違いなしである。

今夜も、明日も、あさっても、テレビの前で、スケート靴を抱きしめた子どもたち、そしてジャネット・リンの笑顔にまいって、スケートを始めた私も、ずっと、観ている。
がんばってください!応援しています!



2015年12月24日木曜日

クリスマスイブに映画「ボディ・ガード」!

きょうは、クリスマスイブ!
家族で、恋人同士で、ひとりぼっちで、仕事の山と一緒に、いろいろな人がいろいろなところで、クリスマスイブを迎えるのだと思う。

私は、午前中に、ささやかながら、エビフライとフライドチキンを、一生懸命揚げた。
そしてこれから出かけて、予約した小さなクリスマスケーキを受け取りに行ってくる。
早めのクリスマスイブの準備は、13時35分からの映画を楽しみたいから、ちょっと急いでいる。

テレビ東京系、7チャンネルで、13時35分から、映画「ボディガード」が放送される。
クリスマスイブにぴったりの、ラブロマンスである。
きょうは、映画とケーキとチキンで、クリスマスを祝いたい。
もしよかったら、年末のお忙しいところ、手をとめて、一緒に映画を見ませんか?

by 朝倉聡子♪


2015年12月23日水曜日

子どもと女性の貧困について。

年末年始となった。
子どもたちにとっては、冬休みにクリスマス会、おじいちゃんおばあちゃんの元へ里帰り、お年玉、と楽しみなことがたくさんある。
「子どもは風の子」とはよく言ったもので、どんなときにも、子どもたちは元気である。
しかし、この時期、クリスマスやお年玉を、楽しみに思うことができない子どもがたくさんいる。
冬休みで、学校が休みだからといって、家で面白いことがあるわけではない。
お母さんのひとり親家庭で、そのお母さんが、仕事に行って、生活を支えているのである。
お昼ごはんを、お母さんが作ってくれるわけではない。
それどころか、冬の寒い一日を、ストーブもエアコンもなしで、過ごさなければならない子どもが、案外たくさんいる。

私は、そうした子どもたちが、どのようにして、どんな理由で、貧困になってしまうのか、いろいろ考えてみる。
子どもたちの貧困は、そのまま、その母親である女性の貧困でもある。
女性たちがなぜ、幼い子どもを抱えて、貧困になってしまうのか、いろいろな原因も理由もある。

理由をつきつめてみれば、男女間の問題であったり、性格の問題であったり、あるいは、ご両親の問題かもしれないし、教育の問題でもあるかもしれない。
また、労働環境の問題もあるかもしれない。

そうした理由や原因を、もっともっと、たくさんの人たちが、関心をもって、取り組んでほしい、と私は思う。

メディアでも、もっともっと取り上げて、たくさんの人が、関心を持ち、情報を入手し、そして、その結果としては、社会全体で、子どもたちの貧困に取り組めるようにしたいものだ。
また、産まれてきた子どもたちが、平等に教育を受け、食べるものや寝る場所に困らないように、国政で取り組んでほしい、と私は総理大臣に、お願いしたいと思う。

国の予算で、子どもたちの貧困に取り組んでほしい、と切に願っている。
また、女性の貧困に対する対策も、専門家の助力や、たくさんの人たちの専門的な意見を取り入れて、具体的に打ち立ててほしい、と心から願っている。

年末の寒いときに、子どもたちが、暖かいリビングで、クリスマスケーキとクリスマスプレゼントに囲まれて、そして、幸せそうなお母さんに抱きしめられて、笑顔ですごせるように、心から願っている。


2015年12月22日火曜日

冬至からクリスマスにかけて。

日が暮れてきました。
冬至ですね。
一年で一番、夜の時間が長くて、昼の時間が短い、そういう日です。
子どものころ、そうした説明を聞いて、不思議な気がしたものです。
太陽さんは、ちょっと気分屋さんなのかな、と思ってしまったものです。

日本やアジアでは、冬至と呼んで、ゆず湯に漬かったり、かぼちゃ料理をいただいたりします。
また、暦の作り方も、冬至を始点にしているようです。

ヨーロッパでは、キリスト教にとって、キリストの生誕の日、ということで、お祭りや儀式が行われたりします。
でも、皆さんもご存知のように、キリスト教を信じる人たちの説にもいろいろあって、実際にキリストが生誕したのは、12月ではない、という話もありますね。

これは、もともと、ヨーロッパに古くから根付いていた、太陽への信仰と関わりがあるようです。
太陽を尊敬する気持ちや風習が、キリスト教に重なって、冬至とクリスマスとニューイヤーが近いのですね。

きょうから、クリスマスまで、テロに関しては、特別な注意をしましょう。
明日は天皇誕生日で、日本ではゲリラの可能性も否定できないです。
夜も暗くなって、いろいろ心配ですから、みんなで声をかけあって、早くおうちに帰りましょう。
そして、静かにこれから年末年始を、乗り越えましょう。



2015年12月21日月曜日

今週の予定。

週明けの月曜日となった。
年末年始に向けて、ラストスパートの一週間である。
今回の年末年始の休みは、
26日が土曜日なので、27、28、29、30、31、1、2、3、と、
9連休になる。
里帰りや旅行の予定を立てている人も多いだろうか。

今年の年末年始は、いろいろな点で、
毎年とは少しちがう、ということを、考えにいれてみたい。
楽しみもある。
年賀状も楽しみだし、年末ジャンボ宝くじも、今年は1等が10億円だ、ということである。
しかし、恐れや不安もある。
テロの不安である。

特に、イスラム教とキリスト教の対立、といった点から、25日のクリスマスはもしかしたら、何かあるのかも…?と推測する人もいる。
もし、クリスマスが無事に終わったとしても、今年から来年の冬にかけて、年末年始にかけて、対テロ対策では、いろいろなことが想定される。

そういうわけで、今週は、できることはしておこう。
まず、インフルエンザの予防接種である。
これは、来年の2月まで、長い期間に有効である。
真冬にテロが起こって、逃げたり隠れたりしなければならないときに、風邪やインフルではどうしようもない。
インフルエンザの予防接種を、今週中に受けておこう。
ご近所の内科が開いているのも、きょう月曜日と、火曜日、そして、水曜日は天皇誕生日で祝日だから、木曜日、金曜日だけ、となる。
土曜日の診療はないもの、と思って、病院の9連休に備えたい。
子どもたちのことも、対応しておきたい。

そういう意味で、風邪薬や頭痛薬などの常備薬も、今のうちに、ドラッグストアで備えたい。

それから、年末年始と冬の期間にかけて、歯医者にも行っておきたい。
痛いところがなければ、歯科検診でもいいし、今痛いと思うならば、すぐに治しておこう。

反戦派は、年末年始の活動を予定しているのだろうか。
私は思う。
私もそれなりに長い期間、世界情勢に関わってきて、今の情勢もよく考えて、理解しているつもりである。
今、日本で、憲法がどうであるとか、あるいは、主義主張で、平和・反戦運動を起こしても、対テロ戦争を止めることはできない。
男性から愛されている人も、愛されなくてつらかった人も、よくよくわかっていることであるが、男性というのは、一度言い出したら、女性の言うことなど、聞かないものだ。
男性には男性の思考があり、理屈があり、世界があり、社会があり、社会構造があり、価値観があり、そして、戦う理由がある。
そうしたときに、女性たちは、参加しないなら、ただ黙って、身の安全を第一に考えて、対テロ戦争が終わるまで、待つしかない。

静かに、おとなしく、家でじっとしているのがいい。
私たちの予想をはるかに超えたところで、世界、というレベルで、何かが起こっているのである。
戦争に参加しないなら、平和主義者のままで、戦争が終わるまで静かに待つこともできるだろう。

テロの脅威がすぐそこにあるときに、私たちは、態度を決めなければならないときに来ている。
流されても、選んでも、自分の意志だけではない、歴史や時代や世界が、物事を動かしているときに、静かに息をひそめていることもまた、ひとつの大切な選択であると、私は思う。

2015年12月20日日曜日

「喜びを表現する」ということ。

きょうは、日曜日。
師走となれば、いろいろと忙しい。
貴重な日曜日である。
私はきょうは、年賀状の住所録を打ち込みをしていた。
毎年、少しずつ引っ越しなどがあって、正確に住所を打ち込むのは、
根気のいる作業であるが、
お正月を思うと、それも師走の日曜日ならではの楽しみである。

昨日、土曜日には、「ミュージックフェア」を見た。
たくさんの、素敵な歌があった。
私の大好きな松田聖子さんの歌もあった。
「生きてるって素晴らしい」!
松田聖子さんにしか表現できないフレーズである。

人生には、山があって谷がある。
人にはいろいろな感情があって、喜怒哀楽がある。
表現者というのは、喜怒哀楽のすべての感情を、
表現できる技術力がなければならない。
それがすべてできないと、優秀な表現者とはとても言えない。

松田聖子さんは、特に「喜び」「楽しさ」を表現する力がある。
作詞家の松本隆さんも、松田さんのことを、「天才」と高く評価している。
作詞家としては、「恋をした喜び」「恋がかなったうれしさ」「恋人と一緒にいるときのときめき」を、歌手に表現してほしい、と願うものだ。
それを、頭のてっぺんから足のつま先まで、「うれしい」と表現できるのが、松田さんだ、ということである。
私も、松田聖子さんの歌からは、恋をする喜び、歌う喜びが伝わってくる。
そして、生きる元気が湧いてくる。
湧いてくるというよりは、元気をもらえるのだろうか。

表現者としては、視聴者や読者を、悲しい気持ちにさせたり、落胆させたり、暗く沈んだ気持ちにさせたりするほうが、技術的には、簡単なことである。
これは、映画でも言えることであるが、たとえば、コメディ映画などを、「お笑い」といって、ちょっと低く見る人もいるけれども、実際には、視聴者を泣かせるよりも、視聴者を笑わせるほうが、ずっと難易度が高いのである。

日本には伝統的に、話芸というものがある。
落語である。
この落語は、さまざまな種類はあるものの、お客さんを「笑わせる」ところに、高い技術が求められている。
人を泣かせることは簡単だが、笑わせることは、伝統芸能として弟子入りして習い、そして襲名するほどの、高い高い技術だ、ということである。

笑い、喜びというのは、ポジティブシンキングである。
ポジティブでいる、ということは、絶え間ない努力の結果である。
一方で、悲観的である、悲しんでいるということは、運命や人生に流されている、ということである。
人生は、自分の手で切り拓き、自分の手で建設するものである。
流されている人は人生を、「与えられるもの」という言い方をする。

私は、表現者としての松田聖子さんの特徴を、「愛される喜び」特に、「男性から愛され守られ、大切にされている女性の喜び」だと思う。
これは、特別な才能でもあるかもしれない。
フィギュアスケートの浅田真央さんも、この「愛される喜び」を表現できる才能を持っている。
そして、それを演じて、視聴者に、元気と勇気を与えることができる。

一方で、ひねくれて、ふてくされて、陰気で暗い表現者は、愛されないつらさ、愛されないみじめさしか、書けない。
というのは、体験が浅いからである。
人生体験が浅く、思索も浅薄である。
だから、「人生は喜怒哀楽」などと言いながら、実際には「人生は、怒と哀しかない」のである。

こうした表現者が、なにごとかを表現して、それを読んだり聞いたり見たりすると、結局のところ、不幸になる方法はわかるけれども、幸せになる方法はわからない。
これは作者自身が、幸せになる方法を知らないからである。

私は、幸せというのは、努力してその上に建設して、一生懸命がんばったところにある、と思う。
そういう女性が、たくさんの男性たちから、愛され、守れていると思う。
松田聖子さんの歌は、たくさんの男性たちから支持されている。
それは、聖子さんが、元気で、生きる喜びに満ち溢れているからである。
愛される喜びがある女性は、美しくて気品がある。
そして、絶賛されている。
これからも、私は、松田聖子さんを応援したいと思う。

天国のキッス →

https://www.youtube.com/watch?v=xZvqFEDguV0

2015年12月19日土曜日

今夜は、おうちで「ミュージックフェア」を見よう!

今年もあと…何日だろう?
「もういくつ寝るとお正月♪」という歌は、
カウントダウンの歌なのだ、と気づいた。
私はこの時期、卓上カレンダーに、
カウントダウンの数をつけている。
あともういくつ眠ると、2016年になるだろう?

年末ということもあり、
一年をしめくくるための、さまざまな催しがある。
「今年の漢字」というのも、面白い企画である。
ある雑誌では、タレントのみんなに、
それぞれに、「今年の漢字」を尋ねていた。
私もそろそろ、自分自身の「今年一年」を、
あれこれと考えている。

テレビでは、音楽番組で、
「今年一年の総集編」を放送することが多い。
きょうは土曜日。
土曜日の夕方6時というと、
フジテレビのミュージックフェアである。
新聞のテレビ欄には、Music Fair の頭文字をとって、
「MF」と記載されているようだ。

ミュージックフェアは、
静かなスタジオで収録した、質の高い音楽番組として、
長年親しまれている。
そして、毎年暮れには、「今年の総集編」
を放送する。
きょうが、その放送日である。

きょうの放送では、私の大好きな、松田聖子ちゃんが、
登場するようである。
聖子さんの歌声は、うれしさやよろこびが素直に表現されていて、
大好きだ。
今夜は、早く帰って、おうちでテレビを見よう。
「ミュージックフェア」を見よう、っと!!!

ミュージックフェア 公式サイト →
http://www.fujitv.co.jp/MUSICFAIR/

2015年12月18日金曜日

「波の数だけ抱きしめて」

きょうは、晴れて気持ちのいい金曜日。
クリスマスの準備の手を止めて、
少し楽しんでみたい。
午後1時から、NHKのBSプレミアムで、
映画が始まる。
「波の数だけ抱きしめて」
中山美穂さんと、織田裕二さんが主演の、
湘南が舞台の映画である。
楽しみに、観ようと思って、
今、おひるごはんとポップコーンの準備をしている。





2015年12月6日日曜日

テロに注意!

一昨日、政府の「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」が、テロ対策の強化策を決定した。
パリの同時テロを受けた対応である。
こうして、日本でも「テロ対策推進本部」が出来て、そこが、こうして首相官邸に集約する情報一元化を打ち出した、ということは、日本でも、テロが起こる危険性がある、ということだと、私は思う。
まだ、政府から、たとえば「非常事態宣言」のようなものは出されていない。
もしも、政府から正式な宣言が出たら、もしかしたら、パニックが起こるかもしれない。
また、テロ組織にむしろ「チャンス」を与えてしまうかもしれない。
だから、気になる人から、まず自分から、テロ対策をしていってはどうか、と思う。

パリのテロ事件から学べることが、いくつかある。
パリで同時多発テロが起こったのは、夜の9時過ぎであった。
この、夜の9時過ぎに、どんな場所で起こったかというと、ひとつは、コンサートホール、つまりライブハウスである。
それから、レストラン、これはお酒も出す料理屋である。
それから、郊外のサッカースタジアムである。

ここに出かけていた人は、どんな用事で、この時間帯に家にいないで、外にいたのだろうか。
現代は、夜型社会である。
夜に、仕事が終わった後に、趣味や友達付き合いをするのは、もちろん自由である。
でも、仕事や家族でどうしても出かけなければならない用事だった、とは言い難い。
テロは許しがたい行為であるが、テロに遭った人たちが、どんな行動形態をしていたのか、そうしたところから、学べるものは学んでいこう。
必要な用事でなければ、夜は出歩かないようにしたい。

特にこれからの季節は、忘年会やクリスマス会、年末の用事など、出かける行事が増える季節である。
「本人の自粛」というところで、テロを未然に防ぎたいものだと思う。

また、非常事態宣言のあとのパリの様子を、インターネットなどでうかがい知ることができる。
できるようでできないかんじもある。
しかし、私たち日本人は、東日本大震災のころから、いざというときの備え、をする習慣ができている。
もしも夜や、真冬の寒い時期に、テロが起こったら、どういう状況になるかよく考えて、予備のたくわえを、できる人から、自主的にしていこう。

それから、こうしたときは、男女平等もなにもないものである。
男性は、女性を、家族を、しっかり守っていこう。
職場では、女性が、帰宅が遅くならないように、守っていこう。
子どもたちの登校下校の道も、保護者や地域の人たちで、よく守っていこう。

現代女性はこういうと、とても怒るかもしれないが、こうしたときには、男性の言うことを聞こう。
父親や夫、職場の男性や上司のいうことをよく聞いて、自分のことは自分でできるように、がんばろう。

これから寒さの季節にもなる。
栄養をつけて、あったかくして、よく睡眠をとって、不測の事態も、乗り越えていこう!!


2015年12月5日土曜日

フィギュアスケート・グランプリファイナル・2015

先週末は、フィギュアスケートのNHK杯で、
本当に熱い熱い三日間を生きることができた、と思う。
特にやっぱり、「歴史的瞬間に居合わせた」「異次元」と呼ばれた、
羽生結弦選手の演技は、素晴らしかったと思う。
ショートプログラムでは、ショパンを華麗に熱く演じてくれた。
私もあらためて、ショパンを「聴いた」気持ちでいる。
そして、フリースケーティングでは、いまだ成功したことがない、とかねがね言われていた「和」の演技を、見せてくれた。
ジャンプがすべて成功、という素晴らしい演技である。
日本の「和」が、胸に熱く伝わってきた。
そして、世界最高得点である。
「王者」と自分で言い切れる自信が、本当になんだか、うれしい、というかんじである。

フィギュアスケートの「シーズン」というのが、だんだん理解されてきたこのごろである。
いくつかのグランプリシリーズで演技して、それから、グランプリファイナルが行われる。
これから、12月10日(日本時間では12月11日の早朝)に、スタートする。
スペインのバルセロナで行われる、というから、選手たちはすでに現地入りしていることだろうか。

今、ヨーロッパでは、厳戒態勢が敷かれているところである。
そのなかで、競技を行うということは、「平和の勢力がめげない」ということだと思う。
男子選手はもちろんのこと、女子選手も、世界情勢がわかっていての、競技だと思うので、いろいろ心細いこともあるだろうけれども、がんばってほしい、と思う。

浅田真央選手の、NHK杯のフリースケーティング「蝶々夫人」は、とても素晴らしかった。
浅田選手の目指すところを、よく知らなくて、あの女性らしい演技を、高く評価しない人がいる。
けれども、浅田選手が目指しているのは、世界レベルなのだ、ということを、理解してほしいと思う。
まだ十代のうちは、「元気」「活発」「陽気」でよかった。
元気いっぱいのジャンプを飛べればよかった。
でも、世界は、特に欧米は、「女性らしいしなやかさ」「女性らしい豊かさ」があって当たり前の場所である。
浅田選手が立っている場所は、「世界」なのである。
アジア的な、アクロバットではなくて、女性的な演技を目指している。
そういう視点で、浅田選手の演技を、評価していきたいものだ、と思う。

ところで、浅田選手のショートプログラム「素敵なあなた」これからもっともっといろんなふうに伸びていく可能性のあるプログラムで、これからもとても楽しみである。
私はちょっとこんなふうに思った。
それは、フリースケーティングの「蝶々夫人」のストーリーが、始まっていて続いている、というかんじである。

蝶々夫人は、結婚してからがちょっと長いストーリーであるが、彼女が、夫となるその海軍士官に出会ったときには、どんな気持ちだったろう?と思うのだ。
そして、その背の高い、西洋の恋人から、プロポーズされたときの、喜びと、「有頂天な」気持ちである。
「あなたって本当に素敵ね!この私を選ぶなんて、いかしてるわ!」
そんな、ちょっと生意気な気持ちだろうか。

私もこのジャズの名曲を、日々の暮らしのなかで、口ずさんでいる。
大好きな歌である。
一緒に、この世界のなかで、がんばっていこうね!


2015年12月4日金曜日

シングルマザーとその子どもたち。

子どもの貧困が今、わたしたちが抱える問題となっている。
子どもの貧困について、テレビでも新聞でも、インターネットでも、詳しくその内実が語られている。私もそれをよく読んでみる。
子どもの貧困には、いくつかの典型があるようだ。
ひとつは、以前は「母子家庭」と呼ばれた「ひとり親家庭」である。
母子家庭も父子家庭も、一様に子どもを育てるには、課題を持っている、という意味で、名称を「ひとり親」にしたのだろうが、やはり、ずっと以前からそうであったように、母子家庭つまり、「母ひとり子ひとり」という家庭において、貧困の度合いが、強いようである。

私が気になったのは、これらのニュース記事を読んでいて、その詳細が語られているにも関わらず、この家庭が、どうしてひとり親家庭になったのか、その理由については、ほとんど触れられていないことだ。
子どもが産まれた以上は、今は母子家庭であったとしても、必ず父親の存在があったはずである。
なぜ、結婚したにも関わらず離婚をしたのか。
あるいは、なぜ結婚をしなかったのか。
そのいきさつについては、ほとんど触れられていない。

しかし、新聞ニュースが触れても触れなくても、だいたいのところは想像がつく、というところだろう。
ひとり親家庭になった母は、結婚しても夫婦関係がうまくいかなかったので、離婚したのである。
夫婦関係がうまくいかなかったのはなぜなのか。
その理由は千差万別だろうと思う。
なかには、夫のDVを挙げている記事もあった。
あるいは、インターネット上で匿名の記事があって、夫の浮気が原因で離婚した、という例がある。
いずれの場合でも、夫つまり、男性の側に原因があって、離婚せざるを得なかった、ということである。
けれども、子どもには何の罪もない、夫は憎いが、子どもは可愛い、というのが、母親たちの気持ちである。

また、もうひとつの、ひとり親家庭の理由としては、もともと結婚しないで、子どもが産まれた、という状況である。
「シングルマザー」という言い方には、結婚してから子どもが産まれて、それから離婚した場合と、最初から結婚をしなかった場合と、両方が含まれている。
私が特に、いろいろと思いを至らせるのは、後者の、「結婚をしなかった」場合のほうである。
シングルマザーのなかには、結婚をして産まれた子どもも、結婚をしなかった場合も、どちらも同じように扱ってほしい、という願いがあるようだ。
それで、「シングルマザー」という言葉でひとくくりになっているが、子どもが産まれるまでの過程は、ずいぶんとちがうように思える。

私が、ここで、シングルマザーに至る「いきさつ」にこだわるのは、ひとつ大切な理由がある。
それは、母親となった女性が、それで本当に幸せだったのか、よい選択をしたのか、という大きな疑問があるからである。
やはり、子どもを持つほど、父親となった相手の男性を愛したのならば、結婚したかったのではないだろうか。
結婚したかったのに、できなかった、それは、女性として、幸せなことなのだろうか。

「いろいろ事情があって結婚はできなかったけれど」
という言葉で、自分が持つ複雑な恋愛状況を、正当化して、見えるものも見えなくしてしまってはいないだろうか。
「子どもをもつくらいに、私たちは愛し合っていた」
そういった理屈をつけて、結婚できなかったこと、結婚した夫婦や結婚後に産まれた子どもとの「ちがい」があることを、なんとか自分の気持ちに、整理をつけたいのではないだろうか。

同じことは、結婚したけれども離婚した母子家庭にも言える。
なぜ、他の夫婦はうまく関係が続いて、生涯にわたって伴侶でいられるのに、なぜ「うちの」家庭だけが、うまくいかなかったのか。
本当に、「男が悪い」「男性の責任」なのだろうか?
本当に、妻の側、女性の側に、なんの責任も原因もなかったのだろうか?

私は、こうした問いに対して、なかなか答が出てこないことを、残念に思う。
そして、彼女たちの、「いろいろ事情があって」「愛し合ってはいたのだけれど」という気持ちの整理のための理屈を、正当化して、「男性が悪かった」ことにすることを、よくないことだと思う。
このところの、特に女流文学のほうでは、こうした理屈を、正当化するような文学が多いと思った。
そして、そこに愛があったから、という理由で、何か自分を楽にしたい、あるいは、愛という言葉で、人生から逃避しようとしているような気持ちを、思った。
それは、「楽な方向に流されたい」という気持ちでもあるし、女性としての母性本能、つまり、「本能に流された生き方」とも言えるのではないか、と思った。

けれども私は、そうしたシングルマザーや、離婚に至った母親たちを、責めているわけではない。
まして、生きている価値がないとか、人権もない、とか、自由な発言もできない立場だ、と言っているわけではない。

私は、彼女たちが一様に抱えている「なぜ?」の問いに、答えようと思ったのである。

私は昨年、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の感想を書いていた。
脚本家の中園ミホさんは、結婚しなかったシングルマザーである。
中園さんが、「花子とアン」の放送が始まる前から、シングルマザーであることを宣言して、「大いにやらかそう」みたいなことを言っていたのを知って、私は、中園さんに、教えてあげたくなったのである。
「なぜ、ワタシの恋愛は、結婚に至らなかったのか?」
というその理由である。

「花子とアン」の放送を見ていて、ヒロインの花子の行動や言動をつぶさに見て、私はそこに、「結婚に至らない恋愛」のたくさんの兆しを見て取った。
それを、ひとつひとつ、ブログに書いて、アップしていったのである。
そうすると、ストーリーが、誰が見ても、つじつまが合わなくなってきたと、思わないだろうか?

シングルマザーになった理由を、「なぜ、私の両親の恋愛は結婚に至らなかったのか?」というテーマとして考えてみることもできる。
私はここがよく見える。
このあたりがわかると、自分自身の出自も、自分自身の存在価値も、よくわかってきて、すっきりするのではないだろうか?

もし、要望があれば、それを何回かに分けて、書き綴ることにしようと思う。


2015年12月2日水曜日

今夜12月2日・FNS歌謡祭♪

12月、師走となった。
いろいろなことがあった一年である。
年末恒例の行事が、次々に行われている。
年賀状はもう書いただろうか?
私は、パソコンとプリンターを駆使して、
毎年、かわいらしい年賀状を印刷している。
今年の年末は、郵便事情が、遅れがちになっている、
という話がある。
もともと、お歳暮の季節でもある。
マイナンバーの配達が遅れていて、
気持ちが落ち着かないかもしれないが、
郵便局と自治体を信じて、待つことにしてみよう。
私は、マイナンバーは届いた。
郵便配達の人に、「お待ちしていました」
と言うと、笑顔で応対してくれた。

郵便局もがんばっているから、
私たちも、年賀状は、余裕をもって、
住所や郵便番号は、わかりやすい文字で、
書くことにしよう。

真冬のシーズンにさしかかり、
夜はすぐに暗くなる。
先週末は、夕暮れになると、
フィギュアスケートが放送されて、
本当に素晴らしかった。
私たちは、この冬、
風邪をひいたりしないように、
外出なども、必要ではない限りは控えて、
家で家族と一緒に、
手作りのお料理をいただきながら、
テレビで、楽しむことにしてはどうか、と思う。

今夜、12月2日は、フジテレビ系で、
FNS歌謡祭の放送が行われる。
これも、ライブ中継なので、
なにごとにおいてもライブ中継が好きな私は、
毎年、楽しみにしている。

FNS歌謡祭は、大晦日のNHK紅白歌合戦とは、
また、雰囲気がちがっている。
出場する歌手のメンバー構成が、
若手が多い。
紅白歌合戦だと、演歌の歌手も登場して、
老若男女向けの構成になっているが、
FNS歌謡祭は、まったく若者向けの構成になっているのではないかと思う。

さらに楽しみは、さまざまな歌手が、
コラボをするところである。
FNS歌謡祭ならではの、スペシャルコラボや、
ここでしか歌わない曲があったりする。
誰かのとてもいい歌が、
別の歌手でカバーされて歌われて、
とても新鮮な聞き心地になる。

また、東京のホテルの大広間に集まって、
それがライブ中継されるので、
観客は、参加する歌手のメンバーである。
有名な歌手の皆さんが、
テーブルに着席して、
ジュースを飲みながら拍手をしていたり、
歌っている人の応援をしていたりするのが、
みどころのひとつになっている。

演奏は、ひとつの楽団で行うわけだから、
特に私は、ピアノを弾いている人に注目している。
次から次に、曲が奏でられるわけだが、
そのほとんどすべてを、ピアノ演奏するので、
とても尊敬してしまう。
時には楽譜を宙に飛ばして、
熱演している。

夜7時に始まって、
11時過ぎまでの4時間の長丁場である。
夕食や夜食を準備して、
曲と曲の間にお風呂にもはいって、
じっくりと、ゆったりと、
音楽にひたる一夜となる。

私も今夜は、録画もしかけて、
テレビで音楽を楽しみたいと思っている。

FNS歌謡祭ホームページ →

http://www.fujitv.co.jp/FNS/2015/contents01.html