芸術の秋は、学問の秋でもある。
暑い夏を過ぎると、学問に励もうとばかりに、10月のノーベル賞ウイークがやってくる。
稔りの秋にもふさわしい、どの受賞者も、人生の秋の稔りを手にしているかのようである。
世界最高峰のこの賞が、いつどのように選考され、発表されているのか、なかなかうかがい知ることができなかったが、おととしくらいからだろうか、発表の瞬間は、ノーベル賞のホームページや、ノーベル賞のYouTubeチャンネルで、ライブ中継で見ることができるようになった。
北欧スウェーデンの、アカデミックな建物の一室で、「その瞬間」を待つ人々のざわめきや、発表者の真剣でリスペクトにあふれた表情などを、リアルタイムで体験することができる。
今週に入ってから、月曜日には、医学生理学賞、火曜日には物理学賞、昨日水曜日には、化学賞の発表があった。
火曜日の物理学賞では、日本から受賞があり、とても驚いてとてもうれしかった。
スウェーデン語と英語をまじえながら、その話のなかに、日本人の名前が入るのがわかって、とても驚嘆した。
それに、受賞の理由の説明も、大きなスクリーンを使って行われて、よくよく見ていると、どういう研究なのか、よくわかる。
日本人受賞者が出た物理学賞の説明では、実際にアカデミーの室内にある電灯を、点滅させたり、赤色にしたり、青色にしたり、スマートフォンを出して、「こうしたものにも使われています」と光らせてみたりして、とてもわかりやすかった。
これから、この青色発光ダイオード、LEDというものが、世界中に普及していくのだ、と思うと、本当に誇らしい。
世界中には、もはや未踏の地、というのは地理的には存在しないだろう。
どこの地も、誰かがすでに到達して、旗を立てて開発してしまっている土地である。
でも、人間には、誰もがフロンティアスピリットがあって、何か新しいものを発見した最初のひとりになりたい、という願望があるように思う。
そうしたとき、人類の高み、物理や化学、医学の研究は、まだまだ未開の分野で会って、そこには、フロンティアスピリットを全開にする余地があるし、チャンレンジのしがいもある、というものである。
私は、研究者というのが、大好きである。
昨日の、ノーベル化学賞も、とても面白い説明であった。
これまでの顕微鏡で写したミトコンドリアの写真と、ノーベル賞受賞者の撮影したミトコンドリアの写真を比べて、どれだけ精度が上がったかを、説明していた。
こんなナノレベルのものが、こんなに鮮明に撮影できるなんて、スライスしてスキャンするとは、こんな小さなものを、と本当に驚嘆した。
私が大学で勉強したころには、電子顕微鏡に何億もかけて、電顕室には、そんなに誰もが立ち入ることができないほど、貴重で最新であったはずだ。
科学は日進月歩で進んでいる。
私はこうして、大学で勉強したことは、「基礎の基礎」と思うことにしている。
そして、最新の研究の成果を、できるだけ新鮮に、バージョンアップして、学ぶようにしている。
こうしたことが、たとえ専門の仕事を離れていても、ライフワークの一環になるように思う。
これからは、もう電顕の時代ではない、蛍光顕微鏡の時代だ!と思うと、心が躍る。
そういうわけで、ノーベル賞ウイークはまだまだ続く。
きょう、木曜日は日本時間夜8時から、ノーベル文学賞の発表である。
文学賞は、ノーベル賞の華、と呼ばれているそうだ。
あした金曜日は、ノーベル平和賞の発表である。
この世界情勢において、どこが平和賞をいただくことになるのだろう。
昨年はシリアの化学兵器を除去する団体だった、一昨年はEUヨーロッパ連合だった。
個人でなく団体で受賞したり、数名の共同事業に与えられたりもするようだ。
また、過去の実績を、10年、20年たってから、評価することもあるようだ。
どちらにしても、とても楽しみである。
世界トップレベルのアカデミックな雰囲気に、ほんの少しでも、片鱗でも、触れてみたい。
そんな気持ちで、今夜もノーベル賞発表のライブ中継に、夢中になると思う。
日本人三名の、ノーベル物理学賞受賞、ばんざい!おめでとうございます!