2016年3月26日土曜日

思春期の男の子になぜ一日千円必要か。

これは、私が主人から聞いた話と経験から、まとめて書いています。
思春期の子どもの育て方ですが、思春期、つまり、中学生、高校生、という年齢の子どもたちは、女の子も男の子も、「友達」が一番大切になってきます。
「友達」「仲間」です。
特に男の子は、縦型のピラミッド社会を形成する性質がありますから、中学生のころから、こうした縦型の社会を、学校のなかで、部活動のなかで、作ることをします。
そして、もちろんですが、そのピラミッド社会において、できるだけ優位に、上位になることが、自尊心の形成のために、とても重要になってきます。
こうなると、勉強よりも、マンガよりも、「親よりも」友達が大事、ということになります。
子どもの成長過程において、思春期は、社会性を育て、自分をとりまく社会を形成するための、重要な時期となります。

こうしたときに、親が、どのように、子どもの成長をフォローしてあげられるか、というと、これは、いろいろなことがあります。

ひとつは、子どもは子どもなりに、男の子ですが、男の子なりに、言葉にならなかったり、親に詳しく説明したくなかったりする理由で、いろいろなものが必要になる、ということです。
たとえば、学校の教室で、隣の男の子に、消しゴムを取られたとします。
子どもとしては、授業で使うものでもあり、とても必要なのですが、親に言うと、「どうしてなくしたの?この前買ってあげたでしょ」ということになります。
しかしこうしたときに、男の子が何か欲しい、と言ったときに、理由を尋ねずに、欲しいものを渡してあげるのです。
男の子は男の子なりに、今すぐに、新しい消しゴムが調達できれば、このイジメから解放される、この人間関係に「勝つ」ことができる、とわかっています。
それなので、翌日には、親から新しく買ってもらった消しゴムがあることが、必要なのです。
こうして、その男の子が、取られたにも関わらず、新しい消しゴムを親が用意してくれた、となると、この子には、「バックに親がついている」ということになり、もういじめられなくなるのです。

男の子はこうして、初対面の男子ふたりが出会うと、どちらが上位になるか、必ず決めています。

また、思春期の男の子は、「俺はいかに親をうまくだまして牛耳っているか」ということを、比べたがります。
それはたとえば、学校の教材として必要だから、ということで、給食費やリコーダーの代金などを、多めに親に申告して、親が教材費を出して渡してくれると、それをくすねて、おこずかいにするのです。
そうして、「俺はこんなに親の支配から自由だ」ということを吹聴して、男の子仲間の間で、「株を上げる」のです。
ピラミッド社会のなかで、いかに株を上げるか、これが、男の子の最大重要なことです。

しかしこれは、決して親をだましているわけではなく、「俺はこれだけ親から愛されている」ということの、証明でもあります。
このときに、お金持ちの親なんかだと、親の職業や年収が、男の子の株を上げる要素にもなっています。

思春期の男の子に、使い道を問わずに、一日千円のおこずかいをあげると、いったい何に使うでしょう。
たいていは、塾の帰りに、暗い夜道に集まって、コンビニでコロッケを買います。
そして、この千円を「おごり」に使います。
おごってあげる男子は、おごられる男子よりも、位が高い、ということになるのです。

このようにして、思春期の男の子に、エロ本も必要ですし、母親があれこれ詮索しないで、本人の自由になるおこずかいを与えると、本人を取り巻く友達社会のなかで、「ボス」になれるわけです。
男の子にとって、これは、とても重要なことなのです。

ぼくより。
ぼくは、この理論は、夫に対しても使うべきだと思っています。
夫が社会の中で、ピラミッド構造のなかで、できるだけ上位に立てるような、そんな妻が、正妻として、ピックアップされて、もてるわけです。
朝倉聡子は、そういう、男性を昇進させてくれる、女性です。
おわり。


2016年3月24日木曜日

貧困問題とノーベル経済学賞。

いかに温厚な紳士を相手にしても、その男性を、怒鳴るまで怒らせる、これが、DVを誘発する女性の特徴である。
男性に対して、必要のない攻撃を行い、必要もなく挑戦的な物言いをする、これが、DVが女性にも原因がある、と言われる理由である。

貧困問題は、今現在のところ、人類の英知を結集しても、つまり世界トップレベルの学問においても、解答のないテーマである。
これは、人類始まって以来のテーマであるが、人類は、二千年かけても、この問題を克服することが未だできていない。

たとえば、共産主義は、マルクス、レーニンといった、世界最高峰の学者が、精魂傾けて成し遂げた学問であり、その人類的実験が、共産主義国の樹立である。
中国もロシアも、東欧諸国も、「貧困の撲滅」「経済的に平等な社会」を目指して、東西冷戦というリスクをもっても、この実験に取り組んだのである。

その結果が、共産主義の崩壊である。
中国を見ても、ロシアを見ても、あるいは東欧諸国、キューバの現状を見ても、共産主義という、「富の分配」は、成功しなかった。
実際にしてみて、成功しなかったのであるから、貧困問題に関して、「富の分配」は、成り立たない、ということが明らかになったわけである。

角田光代、という女性は、その著作「紙の月」で、ヒロインに悩みを持たせている。
それが、貧困問題、お金の問題である。
角田光代という女性は、一風変わった、「ヘンナオンナ」で、こうした、人類が、時にはキリストが、時には釈迦が、厳しい修行を行ってまで解き明かそうと取り組んだ「悩み」を、持っているのである。

すなわち、人はなぜ貧困にあえぐのか、人はなぜ病気になるのか、人はなぜ、生まれながらに平等ではないのか、という問いである。

角田氏の一番「ヘンナ」ところは、こうした問いかけに対して、自分で、経済学なり医療なりを学ぶことをしないで、小説という形で、世の中に呼び掛けながら、「誰か」にそれを「やってもらおう」としているところである。

角田氏の考えは、お金に関して、「あるところから、ないところへ、受け渡してあげればいい」という考えである。
これは、誰でも考えつくような、短絡的な考えである。
人類二千年の思索と経験でも、成果があがらなかった、この短絡的考えに固執して、時の為政者に「べきだ論」で、迫る。
それでも、自分では、経済学理論を学ぼうとしないのである。

昨年、2015年のノーベル経済学賞の受賞テーマは「貧困と健康の関連について」であった。
角田氏は、この論文を読んで勉強したのだろうか。

国連本部、つまり、世界最高峰の学問を、ひととおり修めてから、こうした短絡的な、「富の分配論」を唱えているのだろうか。
富の平等分配論は、お隣の中国を見て明らかなとおりである。
もしも、政治に対して、持論や、独創的な見解があるなら、それを、私たちに申し渡してほしいものである。

最後に、私が思うのは、こうした疑問や問いかけを、恋人や夫、父親や上司、政治家といった人たちに、「気軽に問いかける」「気軽に頼む」「べきだ論でやれという」こうした女性が、社会からも男性からも、嫌われるということである。

「紙の月」の感想でも意見表明した通りだが、要するに、世間知らずで、不勉強、そして、怠け者で、「誰かにやってほしい」とすがる性質があるのだ、と私は思う。

これからの女性は、自立しなければならない。
そのために大切なのは、依存したり命令したりするのではなく、まず自分で、謙虚な気持ちで、勉強することである。

私たちの長年の経験からわかっていることは、貧困の人に、恵んであげるのは、よくない、ということである。
そして、貧困の人ほど、変にプライドが高く、傲慢だ、ということである。
謙虚な気持ちで、素直な気持ちで、まず言葉遣いと態度から、改めるべきである。


アメリカ大統領選挙・トランプ氏のこと。

3月もなかばを過ぎ、桜の花だよりもあちこちから聞こえています。
政治のほうは、ますます多忙となってきています。
これまでの問題を、ひとつひとつ、丁寧に片付けていかなければならない、と思っています。
前政権をとても深く悩ませていた問題に関しましては、これからも目をそらさずに、じっくりと考えていくことが必要かと思います。
しかし、今回は、このようにみんなの力を結集することができて、本当によかったと思っています。

次の問題に、かかるときが来たのかもしれない、と思います。
すでに、国際問題は、大変な状況を迎えていたのですが、その前に、対応しなければならない問題があった、ということです。
ここから、国際問題に取り掛かれる、ということです。

アメリカ大統領選挙は、大きな局面を迎えています。
共和党の候補者選びが佳境を迎えているときに、ベルギーではテロ事件が起こり、それに対する各国トップのコメントが、それぞれの性格を表すものとして、話題になっています。

アメリカでは、民主党の候補者が、ヒラリー・クリントン氏になるのではないか、と思われる方向です。
ヒラリーさんになるとすると、女性初のアメリカ大統領誕生ということになります。
こうしたことを前面に出して、民主党は、ヒラリー氏になるのではないか、と言う方向に向かっています。

一方で共和党では、「話題の」「旋風の」トランプ氏が、度重なる「過激発言」で物議をかもしています。
ベルギーのテロ事件に関しては、「水責め」つまり、拷問をしてでも、テロリストから情報を聞き出す、と発言しました。
世界中の「良識ある」人々から、このトランプ発言は、とても問題とされています。

トランプ氏の発言は、恐怖をあおる、とか、憎悪をあおる、と評されています。
でも私たちは、この発言を、「憎悪や恐怖をあおっている」というよりは、「人々の本音を言葉にしている」「人々の気持ちを代弁している」というふうに捉えています。

イスラム教徒には、穏健派と原理主義者と、両方がいる、そして、穏健派に対しては、信仰の自由を守って寛大に処すべき、というところですが、本音としては、ヨーロッパの端正な街並みに、金ピカのモスクはいらない、というところではないでしょうか。
原理主義者かもしれないし、穏健派なのかもしれないが、ともかく、紛らわしいものは、街から出て行ってほしい、安心で安全な生活を心の底から望んでいる、というところではないでしょうか。

ぼくは思います。
トランプさんの言っていることは、みんなの心のなかにある「本音」です。
本音を口に出しているからこそ、たくさんの人々から支持され、注目されているのだと、ぼくは思います。



2016年3月22日火曜日

戦争問題と貧困問題について。

こんにちは。
朝倉聡子です。
きょうは、ツイッターではなく、まとめてブログで、今の私たちの考えや状況をお報せしたい、と思います。
聴いてくださいね。

まず、戦争についてですが、私たち夫婦の間で、戦争する、しない、ということでもめたのですが、状況をツイッターでお伝えしたところ、たくさんのかたがたからの支援があり、軍需景気を醸し出す、という経済政策は、助かることになりました。
それで、主人も、戦争はできればしたくない、皆さんの意見や考えに支えられている、ということで、たくさんの人たちが戦争に反対なので、平和国家をめざすことになりました。
私も、主人を信じることにしました。

今、現在も、世界各地で、小規模な衝突や事故が起こっていますが、これらは「小競り合い」のようなものです。
3月9日の日食(新月)のときのような、世界的な戦略は、現在行われていないですし、そうした戦略を立てるような世界的な指導者も、いないです。

これから、3月9日の装備が徐々になくなっていって、最終的には、小競り合いもなくなっていくのではないか、と思っています。
そのための、平和的な話し合いも、世界各地で行われています。

時間がかかることかもしれないですが、少なくとも、日本が主体的に、積極的に、戦争を起こすことはない、ということで、皆様に了承してほしい、と思っています。
よかったですね。


次に、私たちが、今、問題として検討していることがらについてです。
私たちは、これまで、原発の方針や、教育の方針を立てて、実行してきました。
また、前政権ではなかなか伝わらなかった、皆様の要望に、できる限り応えてきました。
それは、個人単位の小さなものから、何名かの人たちの要望から、会社から、というものです。
それらのほとんどを、できる限りの法律と予算のなかから、速やかに実行してきました。

しかしここで、「最後の」というべきかもしれないですが、大きな難問にぶつかりました。
女性と子どもたちの貧困について、です。

これは、20日(日曜日)の夜に、インターネットを見ていて、これまでも前政権にも要望の強かったこともあり、よく理解いたしました。
貧困問題、特に、女性と子どもたちの貧困については、私たちは、予算の計算をしてみたり、もしその政策が実行されたときには、そのあとどのようなことになるか、ということも含めて、検討しています。
そして、抜本的で根本的な、貧困対策を講じようとしています。

私たちが今、考えているのは、具体的には、以下に書き記すことです。
まずひとつめは、このような、現金給付という形での、シングルマザーと子どもたちに対する手当を、福祉政策として行った国があったことを、考えました。
アメリカです。
強い要望があり、また、子どもたちの現状と将来を考えたうえでの福祉政策だったのですが、これを悪用する人が出て、モラルハザードが起こりました。

つまり、女の子が15歳、16歳くらいで、父親のわからない子どもをどんどん産んで、その子どもと母親への手当で一生「楽に」暮らしていく、というライフスタイルを選ぶようになった、ということです。
これは、善意による福祉政策としては、結果残念、ということです。
日本でも同じようなことが起こりはしないでしょうか。
これは、女性だけの問題ではなく、男性も、結婚や、子どもの扶養という責任を放り出す社会を、作り出すことになる、ということです。


次に、貧困状態にある子どもに、具体的にいくら援助すればよいのか、ということです。
こども一人が生活していくのに、生活費だけで一年で100万円かかるとすると、成人して二十歳になるまで、実に2000万円ものお金がかかることになります。
これを、税金でまかなう、ということは、どういうことを意味するのか、女性たちはそれをわかって、シングルマザーになっているのでしょうか。

自分で働いて、子どもを育てるとしても、その子が成人するまでに、2000万円です。
これだけのお金を稼ぐことができる、と予定したうえでの出産なのでしょうか。

これは生活費だけの計算であって、教育費、つまり、高校進学、大学進学、部活動など含めると、もっとかかることになります。

これだけの予算を、どのように立てればよいでしょうか。
これらの計算はすでにこちらで行っていますが、5兆円かかる、という計算です。
こうした、税金の使い道に、国民皆さんが納得するでしょうか。

次に、女性の仕事の賃金をどのようにして上げるか、という問題です。
たとえば、一個100円の品物を販売する会社があるとします。
この会社に勤めている女性が、一か月10万円のお給料を得るために、100円の品物が何個売れると、利益が出るでしょうか。

実に、10万個もの品物を販売しないと、女性ひとりのお給料は利益として出ないのです。
こうした会社経営、商売の状況を知っていて、女性は、手に職もついていない状態で、子どもと母親の生活費をねん出するほどの、お給料を出してほしい、というのでしょうか。
また、女性の仕事は、内容として、男性ほど責任をもっていない仕事が多いです。
たとえば、レジ打ち、品出し、店頭販売員などです。
これらの仕事に誇りを持つことは大事ですが、実際には、経営努力によって、品物は売れているのです。
一個100円の品物は、コストもかかっています。
このなかから、人件費つまりお給料を払うことは、企業にとっても、しっかり働く人じゃないと困る、というわけです。
こうした状況のなかで、男性たちは必死に働いています。

次に、ひとりの人の、貧困状態を助けるための初期費用についてです。
この初期費用には、150万円かかる、と言われています。
まずきちんとした家(アパートなど)を借りて住む場所を確保し、カーテンも、鍋もやかんも、布団から枕まで、買いそろえてあげます。
その費用が150万円だそうです。
しかし、このようにして、貧困状態にあった人を、初期費用で「きちんとした暮らし」に整えてあげても、半年もしないうちに、カーテンからやかんまで、売り払って、一文無しになってしまうそうです。
そうして何を買うか、というと、口紅などを買うそうです。

貧困状態にある人は、たとえて言えば、砂漠のような状態です。
この砂漠に、コップ一杯の水をたらしても、あっという間に吸い込んでしまって、残るのは、元の砂漠です。
貧困状態を根本的に解決するのは、月々の決まった扶養手当ではなくて、砂漠となってしまった、この人を、とりまくすべてのこと、人間関係から、ひとつひとつの持ち物、お金に対する感覚、金銭管理の仕方の教育、健康管理の仕方の教育など、複雑で多様な手当てが必要なのです。

「お金」とは、不思議なものです。
誰もが、お賽銭を投げて、商売繁盛を祈願したでしょう。
黄色い財布がいい、とか、長財布がいい、とか、方角を気にした人もいるでしょう。
小さな魚屋さんだとしても、売れる店は、腐った魚でも売れていくのです。
でも、売れない魚屋さんでは、新鮮な魚をきれいな皿に並べても、売れないものはまったく売れないのです。
なぜなのでしょう?

また、砂漠のように貧困の人に、少しでも援助すると、援助したほうが巻き込まれてお金を吸い取られて貧困にさせられてしまう、とも言います。
これは、商売をしている人なら、誰もが知っていることです。

そうしたことで、私たちは、「子どもの貧困」について、幅広い視野とこれまでの各国の取り組みや経験を考えて、抜本的で根本的な解決法を、しっかりと毎日考えています。
私たちの、これらの考えの道筋をたどってみて、何かいい意見がありましたら、こちらにお寄せください。
私たちは、貧困の人たちを見捨てるつもりはありませんが、問題がそれだけ根深いことを、危惧して、一番よい対策をと、考えを進めているのです。

これは、私の主人も、先生がたも、お友達も、みな同じです。

もう少し待ってくださいね。
よろしくお願いします。

2016年3月21日月曜日

NHK大河ドラマ「真田丸」第11回「祝言」感想。

昨夜は、楽しみにしていたドラマ「真田丸」の放送があった。
私も家族と一緒にみんなで楽しく観た。
こうしたテレビドラマからは、さまざまな世界観や人間模様を学ぶことができる。
特に私は、女性たちにこそ、こうした男性向けともいえる戦国もののドラマを観てほしい、と思っている。
私が、今回、女性たちに「ここをポイントに観てほしい」と思ったのは、男性社会のピラミッド構造について、である。
戦国時代も現代も、このピラミッド構造に変わりはない。
女性たちは、脳の仕組みが横並びだ、と言われているが、男性たちはこうして、縦社会を作っている。
私も、女性として、社会の中で仕事をしていくときに、このピラミッド構造がなかなかのみこめず、理解できず、というか「見えない」ものなので、とてもやりずらかった。

女性たちは、仕事をしていく上で、夫を支えていく上で、男の子を育てていく上で、こいした、男性社会のピラミッド構造を、どう捉えていくべきだろうか。

私はまず、こうした男性社会の仕組みをよく見て理解するのがいい、と思う。
そして、仕事をする上では、ピラミッド構造のなかに、どう溶け込んで、上に登っていくかを考えるのがいいと思う。

また、夫を支える上では、このピラミッド構造のなかで、夫がどの立場にいて、そしてどのように上に登っていこうとしているのか、よく理解して、男性社会のなかで、上へ上へと登っていけるように、支えていくのがいいと思う。

また、男の子を育てる際には、特に思春期の男の子はそうであるが、すでに徐々にこうしたピラミッド構造を、中学校のなかで、高校のなかで、形成しつつあるので、その社会のなかで、どのように株を上げて、上昇していけるかを、母親として支えてあげるのがいいと思う。

こうした男性社会のなかで、一番下、下位になってしまうと、いじめを受けて、孤立してしまいやすい。
これは、大人の社会のなかでも、同じである。
下位になるといじめられ、就職も昇進もうだつのあがらないまま、一生を終えることになる。

女性として、妻として、母親として、どのように男性を支えるか。
男性にとって、価値ある女性、本当の女性らしい女性、頭のいい、気配りの効く女性とは、男性が今まさに、この階級闘争の上位に登ろうとしているときに、働きのある女性、ということになる。

今回の放送「真田丸」では、対比される女性像として、「梅」と「きり」の二人の女性像が描かれた。

梅は、地味ではあるが、謙虚で慎ましく、常に、男性を立てて、下に下にとなる女性である。
特に思春期の男の子は、自尊心が高いので、こうして、「下に」なってくれる女性に心惹かれがちである。

しかし、「きり」は、小生意気でおてんばで、いつもケンカをする、ケンカ友達になるようなタイプである。
この「きり」が、実は、「本妻タイプ」と言われるキャラクターである。

夫と、対等の立場に立つのが、妻である。
女性として、下に下にと支えるタイプは、結局は側室にしかなれない。
結局は、ばかにされたり、大切にされなかったりするのである。

「きり」は、いざというとき、つまり、武士として、その場に居合わせなければならないときに、さっと行動して、信繁の手をひっぱって、宣言の場に立ち会わせる。
もし、「きり」の働きがなければ、信繁は、男として、男社会のなかで、「ここぞ」という大切な場面に立ち会うことができなくて、メンツをつぶしていたことになる。

「きり」は、男性社会の仕組み、しきたり、そして、どんなときにどんな対応をしなければならないか、よくわかっているのである。

服装の注意、「あなたの性格上の弱いところはここ」というところをよくわかっているのである。
また、「こういうときにこう言ってほしいんでしょ」ということもわかっていて、一番プライドを傷つけない方法で、言うのである。
つまり、ずけずけ言うのである。
あっけらかんと、明るく言うのである。

男性は、こうした「きり」のような、本当に男性社会のなかで、上へ上へと登っていくときに、役に立つことができる女性を、正妻にしたい、と強く望むのである。
本当に選ばれる女性が、「きり」のような、小生意気な女なのである。

☆追記
兄・信幸の妻「こう」の働きも、秀逸であった。
「こう」は、夫の信幸にただ「祝言の間、弟・信繁を広間から出さないように、ずっと見ていなさい」と言われる。
「こう」は、義父・昌幸が暗殺に狙われていることや、夫が大きな策略を立てていること、生きるか死ぬかの勝負に出ていることなどは、詳しく知りたがったわけではない。
ただ、夫の言う通りにしただけである。
それでも、夫の「必死さ」「真剣勝負のとき」ということはよくわかったのだろう。
あるいは、武士の妻として、教育を受けていたのだろうか。
弟・信繁が広間から出ようとしたときに、病身ながら、踊りを踊り始めて、必死で夫の言いつけを果たそうとしたところは、とても立派だった。

女性の「働き」というのは、こういうときに、力を発揮する。
女性も、男性社会のひとりの重要な戦力であり、妻として、ときに夫の言いつけ通りに、働きをする、ということは、とても重要であると、私は思う。

☆追記

思春期の男の子を育てるときに、「どんな母親であるか」は、男の子の株を左右する事柄である。
年頃の男の子に手作りのお弁当を持たせて、その包みが「ピカチュウ」であったりしたら、絶対にいけない。
男性社会のなかで、下の下になってしまう。
せめて、おこずかいを一日千円、使い道は何も言わずに渡してあげよう。


2016年3月14日月曜日

NHK大河ドラマ「真田丸」第10回「妙手」感想。

昨夜、NHK大河ドラマ「真田丸」を観たかたが、たくさんおられると思う。
私も、そのひとりである。

毎年、話題のNHK大河ドラマであるが、今年は、戦国時代を舞台として、信濃の一族・真田家を描くことになった。
戦国時代に通じている時代劇ファンにとっても、よく知っているところと、あまり知られていないところが、入り組んでいる、楽しいドラマである。

脚本家は三谷幸喜氏で、やはりNHK大河ドラマである「新選組」でも、話題のドラマ作りをしている。
今回も、期待が高まっている。

三谷幸喜氏の描くドラマというと、今回もそうであるが、「人間味あふれるキャラクター」である。
今回の「真田丸」でも、策師である、父・昌幸、その長男で堅実な性格の信幸、そして、主人公である、次男・信繁の性格や行動、そのちがいがよく描かれている。
また、それをとりまく女性たちのキャラクターや魅力も、存分に発揮されている。

私たちは、こうしたドラマが、キャラクターを中心に描かれるのは、とてもよいことだと思っている。
そうした描き方もある。

ただ、ここで思ったのは、父・真田昌幸と、次男・信繁の、「策」というものが、詳しくは描かれていないように思ったので、ここで今一度、おさらいしてみたい、と思う。

昨夜の放送回では、上野の沼田城を奪還したい、という戦略であった。
しかし、信濃から援軍を送れば、徳川に対して面目が立たない。
太平洋側から攻めてくる北条を、なんとかして、沼田から撤退させたい。

信繁は、父から任されて、この策略を練ることになる。
父にこうした戦略を任されることは、まだ若い息子にとって、とてもうれしいことである。
信繁は、「彼女」である、梅のところに行って、あれこれ話しながら、戦略を練った。

しかしここが、どんなふうにどんな戦略をこねたのか、あまり詳しく描かれなかったようである。

信繁の戦略とは、こうである。

越後の上杉が、軍の勢力をすごく強く持っていて、勢いがある。
そして、沼田城を攻める…「かもしれない」という状況を、作ることである。

強い強いと評判の上杉が、沼田を攻めてくる、とわかれば、太平洋側から攻めていた北条は、怖気づいて、撤退するにちがいない。

しかし、上杉には、今はまったくその気はないだろう。
また、越後では、内乱が起こっていて、沼田攻めどころではない。
軍の勢力も衰え気味である。

ここで、上杉が、「本当に」沼田を攻めてくれれば、真田としては、大助かりなのだが、上杉にはその気はない。

「なんとかしてその気になってもらう」のが、信繁に任された戦略である。

信繁は、越後と信濃の国境沿いのあたりで、「戦争ごっこ」を起こしてもらうことにする。
信濃が攻めて、越後が討つ。越後の勝ち、という構図である。

この「戦争ごっこ」は、なんのための芝居であるか。
越後・上杉に、軍の勢力が大いにあって、そして、南下して、信濃や上野を攻める気である、と証拠づけるのである。

もちろん、上杉としても、真田としても、ここで無駄に軍の勢力は使いたくない。
信繁は、それで、策を練ったのである。

「戦争ごっこ」のうわさがたちまち広がったところで、沼田の兵士たちに、「次は、上杉は、沼田を攻めてくるらしいよ」と、佐助を使って、噂をたてさせる。
これで、「上杉VS北条」の構図ができあがる。
「勢いにのっている」とみなされた上杉を恐れて、北条は、沼田城から、軍を引き上げさせた。

信繁の策、つまり、軍も兵士も使わないで、沼田から北条を引き揚げさせる、これは、成功した、ということになる。

ポイントは、「上杉に勢いがあり、一戦やらかす気もある」ことを、北条に印象付けたところにある。

昨夜の「真田丸」では、刃を突き付けられて、震えが来てしまった、兄・信幸と、数十もの刃を首に向けられたなかで、堂々と話をつけた、弟・信繁の、対照がきわだっていた。
これは、勇敢と呼ばれた信繁の、ヒーローたる資質を、表したものだと、思う。

これからも、戦国時代のヒーローたちから、生きること、生き抜くことの、極意を、学んでいきたいものだ、と思う。


2016年3月11日金曜日

3月11日に思うこと。

きょうで、あの東日本大震災から、丸5年。
私たちは、毎日毎日を、ただただ、一生懸命生きてきた。
あの日、午後2時46分。
私たちは、いまだかつてない、大災害に遭遇した。

あの日から、人生が変わってしまった人たち。
そして、新しく生き始めた人たち。
私たちも、あの日から、前進を開始した。

私たちは、豊かで平和な日本を構築していた。
そして、日々、悩みはありながらも、それを乗り越えて、
助け合いながら、生きていた。

しかし、安倍政権は、震災後の混乱と、人々が力を合わせる気持ちを利用して、
巨大な政権を作ってしまった。
その安倍政権も今はもうない。

これからは、平和な社会を、いま一度、建設していこうと思う。




2016年3月10日木曜日

新月と日食、この日に起こった世界的な出来事について。

今回の世界戦争戦略について。
私たちは、3月9日に予定されていた、世界戦争を、中止させることに成功した。
今回の戦争は、以下のような戦略であった。

まず日本は、アメリカと同盟国であるので、アメリカに、主に、物資の提供を行うことになっていた。
物資とは、燃料や、兵隊の食料、武器などである。
日本各地のアメリカ軍基地、自衛隊基地が、その任務にあたることになっていた。
私たちは、それらの日本国内の任務を、数日前に解除した。

アメリカは、日本を本拠地と定めて、ここから、陸海空の軍隊を発着させることになっていた。
そして、まず、朝鮮半島有事を起こす。
韓国から、北朝鮮を制圧し、北朝鮮から、中国に入る。
このような戦略をひとつ、立てた。

しかし、朝鮮半島で有事となると、中国の軍隊は、南シナ海にあったものが、北朝鮮のほうに移動することになる。
そして、南シナ海が手薄になる。
この手薄になった南シナ海のほうから、アメリカ軍の主たる攻撃が始まるのか、それとも、北朝鮮のほうから中国に攻め入るのか。
中国では迷うところであった。

しかし、3月9日は、新月である。
新月の日に、日食が同時に起こる。
日食が起きると、インドネシアでは、水位、潮位の変化が起きて、精密機械がうまく作動しなくなる。
このときを狙って、アメリカは、南シナ海側から、中国を攻める予定であった。

また、この第一打が起こると、中国の背後から、ロシアが、中国に攻め入る戦略であった。
ロシアは、先日、朝倉聡子のブログで書いたとおり、ロシアは原油で困っている。
日本が、原油を輸出してあげるかわりに、ロシアは中国をあざむいて、中国の背後から、国境を攻める戦略であった。

またこの第一打のあとすぐに、ネパール、チベットの方向から、インドを本拠地としたイギリス軍が、国境を破って、中国に攻め入る戦略であった。

アメリカは、すでにオバマ政権が失脚し、次期大統領候補である、トランプ氏が、次の実質的な実権を握っていた。
そして、オバマ政権から引き継いで、この戦略を続けようとした。
第三次世界大戦、中国戦略を始めようとしたのである。

しかし、この計画には、すでに穴が開いていた。
つまり、日本が戦争に反対し、グローバルガバナンスへの道筋をたどり始めていたために、日本は、沖縄基地をはじめとするすべての基地をアメリカに対しては閉鎖していた。
そして、すでに、安倍政権の指示によって、日本海には自衛艦がたくさん出ていたものを、すべて、母港に帰した。

アメリカは、日本が戦争態勢に入らないので、遅々として進まない戦争に対して、怒っていたが、これらの戦略が、日本の状態の変化によって、戦略通りに進まなくなったことを知った。

そして、日本を兵站の補給基地にする代わりに、韓国を補給基地にしようとしたのである。

ここで特筆すべきは、韓国の、パク・クネ大統領は、この戦略を知って、韓国本土を守るために、日本に対して、慰安婦の件を、のんだ、ということなのである。
まことに立派な大統領である。

しかし、アメリカは、日本がだめなら、韓国、ということで、韓国本土に軍隊を大量に送り込み、日本の代わりをさせようとした。
それが、3月7日に起こった、大規模な米韓軍事演習なのである。
アメリカは、北朝鮮に対して、挑発行為を長期間にわたって、行うことにした。
そして、北朝鮮が怒って、ミサイル発射などをしたら、すぐにでも踏み込む戦略であった。

こうしたすべての戦略を見破った朝倉聡子は、夫にそれを伝えた。
そして、政権トップである夫・リーダーは、北朝鮮、ロシア、イギリス、韓国、アメリカ、インドネシア、フィリピン、ハワイ、こうした各国に、ホットラインで、この戦略を説明し、中止を要請した。

まさに、新月の前の夜のことであった。

日本と世界は、安倍政権が企てた、世界戦争をこれですべて、回避した、ということになる。
これからは、世界政府、グローバルガバナンスに向けて、日々、毎日、前進していきたい。


2016年3月9日水曜日

ある作家のひとりごと。

私はね、いろいろ思うの。
女流作家同士は、仲良くしてほしい。
特にね、中条きよし、このあたりのことを、しっかりしてほしいの。
「うそ」っていう歌を、ご存知でしょう。
「折れたタバコの吸いがらで、あなたの嘘がわかるのよ」
これからの女流作家は、こうした「男の嘘」がわかるような、
男の心情を汲み取るような、
そういう女流作家であってほしい、と思うのよ。

でもね、最近の女流作家は、どうも、自己主張ばかり強すぎて、ね。
「花子とアン」でも、自分の言いたいことばかり、主張したでしょう。
でもね、朝倉聡子は、本当はこう思っていたの。
中園ミホさん、あなたね、子どもを産んで、育てて、それが女の幸せだと、そうテレビで言いたかったのかもしれないけれどね、でもね、本当の女の幸せっていうのは、男に愛されるってことでしょう。
それはね、妊娠だけさせられて、捨てられるっていうことじゃないの。

なぜ、中園さん、あなたが、セックスだけさせられて、妊娠させられて、それで捨てられたのか、考えてみてよ。
朝倉さんは、中園さん、あなたみたいな恋愛をする女性を、かわいそうに思ったの。
それで、中園さん、あなたがね、なんで好きな男に、結婚してもらえなかったのか、それを、気が付かせてあげよう、と思ったわけ。

わたしはね、こう思うわけ。
これまで、女流作家は、甘やかされてきたの。
でも、それはね、相手にされなかった、ということなの。
男性の読者たちはね、女流の文学なんて、読まなかった。
目もくれなかった。

これはね、女流記者さん、あなたにもね、言えることなの。
そうなのよ。
朝倉さんが、女性にも関わらず、毎日毎日、朝早く起きて、新聞を読んで、そしてその日のうちに、政治的見解を書く。
これは、正しいかどうかの問題じゃない。
自分なりの、政治的な意見を持っているかどうか、の問題なの。

こうして、朝倉さんが、女流の政治的な意見を書き始めたので、そうでしょ。
毎日毎日、決まった時間に、ブログをアップしたでしょ。
それだけの責任感が、あなたがたにある?

わたしはね、これまで、こんなに仕事をする女性には、お目にかかったことがない。
こうして朝倉さんが、「女だって、やればできる」これを証明したので、あなたがたに、日が当たってきたんでしょ。
女性の活躍する社会。
これをみんなで応援したくなったのは、朝倉さんが、こうして「女だってできる」ことを証明したからなの。
それなのに、なんなの?
仕事も半人前。
母親としても、半人前。
そんな女流記者さんたちが、男女平等を訴えても、どうにもならないの。

男はね、女、子ども、老人、それから、社会のいろいろな人たちに責任をもって、
守ってあげる仕事をしているの。

それなのにね、女として、守ってもらえるかどうかが、幸せの基準だなんてね、
それでいて、男女平等だけは主張する、それじゃあね。
やることをきちんとやって、それから権利の保障でしょ。

わたしはね、思うわけなの。
中園さん、あなたの子どもさんが、やがて大人になって、「僕のお父さんはどんな人だったの? 僕が産まれるときに、どうして去っていったの?」そう聞かれたら、なんて答えるの?
俵万智さん、あなたの息子さん、学校で嫌がらせに遭っているんでしょ。
それなんで、学校がきちんとしてほしいっていうけれど、それって、モンスターペアレンツ、いや、複数形じゃないわね、モンスターペアレントなんですよ。

自分の子どもの責任は、自分で負うべきです。
いっときは良かったかもしれない。
愛ってこういうものだ、と実感できたかもしれない。
でも今、地獄でしょ。

愛っていうのは、ひとりよがりではないものでしょ。
女流作家は、愛を描こうとしているけれど、愛の押し付けをしているだけであって、本当の愛をまだ知らない、と思うの。

NHK朝ドラ「まれ」でね、この人は、芸術について、あるいは表現について、こう語っていた。
「誰にどんなふうに思われようと、あなたはあなたの表現したいことを100パーセント表現した。それでいいの。」
こんなセリフがありました。
しかしね、朝倉さんは、そうは考えていないの。
相手に受け止められて初めて、表現であるわけでしょ。
朝倉さんのブログはいつも、わかりやすいでしょう。
相手の気持ちを考えているでしょう。
どう受け止められるか、できるだけ正確に、思ったことが伝えられるように、一生懸命努力しているから、受け止められる文章を書けるんです。
だから、読まれる。
読者も多いわけなんですよ。



私たちはね、女流作家をいじめたわけじゃない。
女流作家が、批判や批評を受けて、それを糧に、大きく成長していくことを望んでいるの。
仲良しごっこをして、本当の感想も言わないで、それが、本当の友情なのかしらね。

わたしはね、女流作家にはね、女性たちを教育する責任があると思う。
でもね、女流たちは、自分のエゴで書いているでしょう。
朝倉さんは、女性の読者がたくさんついていることを知っていて、これからわたしの責任次第で、女性の社会的立場が、上りもすれば下がりもする、それを知っていて、一生懸命、書いているの。
エゴなんかじゃないですよ。

中園さん。
「花子とアン」がヒットしてから、いろいろな場に呼ばれて、書く機会もたくさんあったでしょ。
その機会を生かしきれなかったのは、それは、それがあなたの実力だからなの。
本当に実力をつける、ということは、文章の技術だけではなく、書く、という意味の必要性、社会のなかで、書く人はどんな責任を負っているか、それをきちんと考えた人なわけなの。

それには、政治のこと、歴史のこと、心の問題、教育問題、生と死、そうした、文章の技術だけではない、人生の体験や、思想や哲学、そうしたバックボーンが必要になってくる。
朝倉さんは、10年がかりで、それらを勉強したの。
まさに、猛勉強ね。
その間、恋愛にうつつを抜かしたりしなかった。
真剣に、毎日毎日、勉強した。

そうした姿を知っているから、この人の夫は、彼女を尊敬しているの。
男はね、尊敬する女性と結婚したいの。
なぜなら、男は、ダメ男だからね。
ダメな自分を、向上させてくれる相手に、男は惚れこむものなの。

わたしたちは、こうして、朝倉さんからいろいろなものを与えてもらっているわけなの。
それは、一番大きいところでは、「女のひとだって、やればできる」という証拠なのですよ。

あなたがた、女流作家、女流記者さん、あなたがたは、自分ひとりの実力で、女性の地位を向上させることはできましたか?
わたしは、できなかったと思いますよ。
権利を主張して、べきだべきだ、と言ってみたけれど、誰も耳を貸さなかったでしょうう。

わたしはね、こう思ったの。
女性たちは、朝倉さんに、甘えているんだね。
あれもしてほしい、これもしてほしい。
朝倉さんみたいな、やさしい、あたたかい、これは心があたたかい、ということだけれど、そういうやさしいお母さん、が欲しかったでしょう。
でも、あなたがたの本当のお母さんは、戦後すぐに産まれて、そんなに教育も受けなかった。

朝倉さんが言っていたの。
戦後の今の女性たちには、親がいない。
お母さんは、大学を出ていないのに、娘さんは大学を立派に卒業しました。
そうすると、まだまだお母さん的な存在に、いろいろ世話になりたいときに、「お母さん」になってくれるような、先輩がいないわけなの。

でもね、朝倉さんは、自分ひとりで、女性の生き方がどうあるべきか、一生懸命考えて、学んできた、というわけなの。
朝倉さんも、挑戦、チャレンジだ、と言っていた。
男性社会のなかで、どんなふうに、女性として、伸びていけるか。

時には、受け身であること、時には、やさしい言葉遣いをすること、そうしたことを、いろいろ工夫して、行動してみたわけなの。
それが、今の結果に結びついているわけ。

中条きよしの「うそ」この、「嘘」は、なぜ男は、つくのでしょう?
もう一度、考えてみてほしい、と思う。

朝倉さんは、知っています。
男の嘘は、どんなときにつくものなのか。
そして、この人の夫が、嘘をつくときには、わかっていても、黙って許しています。

あなたがたのなかで、この「嘘」の意味がわからずに、ただただ、事実だけを明らかにして、それが本当のことだと、それで社会がよくなると、確信している女性がいるなら、それは、男の本当の気持ちが、わからないからなの。

朝倉さんは、男の嘘の、本当の意味を知っている。
そういうところを、男性たちは、すごく好きなわけ。

男性たちが、朝倉さんと一緒に仕事をしたい、と思うのは、朝倉さんを女性として恋愛対象としてだけ思っているわけではなくて、ただ、一緒にいて居心地がいい、ということなの。
仕事のしかたを知っている。
社会の仕組みを知っている。
だから、一緒にいて、居心地がいいわけなの。

でも、男の嘘の意味がわからない女性たちとは、もう少しも、一秒も、一緒にいたくないんですよ。

これからも、批評や批判を恐れずに、自分を向上させてくれるものだと思って、男性と同等に、批判を受けてください。
男性作家たちは、たくさんの批評や批判を受けています。
そのことに、気づいていますか。

本当に相手にされはじめたから、批評を受けることになったんですよ。
これまでは、つまり、女流文学は、相手にされていなかった、ということなの。
それくらい、日本の女流文学は、レベルが低かった、ということなんですよ。

ゲスの極み乙女。
ベッキーちゃん。
彼らに悪さをしたのは、あなたがたでしょう。

わたしたちは、思っています。
不倫はよくない。
でも、あんなふうに陥れて、人を苦しめるのは、もっとよくない。
これから、あなたがたには、将来があるでしょう。
それと同じように、ゲスさんにも、ベッキーさんにも、将来があるんです。
そうした、手加減を、これまで男性の雑誌記者さんたちは、知っていたわけなの。

でも、女流は、手加減がわからない。
だから、女性はダメなんだ、と言われるの。

日本の雑誌業界、芸能業界は、女流たちが、程度をわきまえない仕事をするので、混乱しています。
これは、政府からの言論弾圧よりも、悪いことなんですよ。
たくさんの芸能人たちが、震えあがっています。
そうして、芸能人たちを、精神的に追い詰めることが、芸能記者の仕事なんでしょうか。
これは、「イジメ」です。

わたしたちには、わかっています。
あなたがた女性記者たちは、子どものときに、母親から、厳しくしつけられてきました。
このしつけは、あなたがたにとっては、イジメだったんですね。

親にされたことを、そのまま、社会に投影しているだけなんですよ。

これからは、朝倉さんが、あなたがたの、お母さんがわりになってくれます。
そう思っていいんですよ。

じゃあね、これからも、朝倉さんの言うことをよく聞いて、イジメはやめるんですよ。

そして、実力をつけるために、努力また努力をしてくださいね。

ある作家のひとりごと、でした。




2016年3月8日火曜日

アメリカ大統領選挙について。

アメリカの大統領選挙であるが、私が戦争をやめたために、大統領選挙に影響が出てしまったようである。
戦争は、安倍内閣のときに、安倍氏自身の発案で、計画的に始められようとしていた。
南シナ海で、中国とアメリカの戦争を行う、という計画である。
そこに、日本軍が、安全保障法案をもとにして、参加する、という手筈であった。
これは、アメリカ政府にとっても、アメリカ国民からの支持を絶大に大きくするための、作戦であった。

しかし、2月なかばになっても、日本が戦争のための、安全保障法案の審議に入らなかったために、アメリカは、またも戦争の計画が頓挫してしまった。
アメリカは、戦争を基盤とした戦争経済のうえに、経済政策が成り立っている。
アメリカは、経済的に危機的状況にある。
その経済危機の脱却のために、戦争を始めようとしていたのである。

その戦争が、日本の計画通りに始まらなかったので、オバマ政権、オバマ民主党が、勢いを失ってしまった。
もしも、2月に南シナ海で、中国との衝突が起こっていたなら、トランプ氏への支持は、低下していたはずである。
そうした予定だったのである。

しかし、私たちが、日本が起こそうとしていた戦争を、ストップさせた。
それなので、アメリカ大統領選挙の予備選は、予定通りにならなかったのである。

私は思う。
アメリカは、戦争を基礎とした経済構造から、完全に脱却するべきである。
そのための、経済的な基礎の打ち直しを、現在、計画中である。





グローバルガバナンスの工程表について。

グローバルガバナンスを目標に、私たちは前進を開始した。
私たちとは誰か。
この大目的に一緒にまい進する人々である。
私たちは、みんながチームワークで、この仕事を進める。
私たちは、すでに仕事を開始している。
どんなふうに仕事を進めるか。
工程表はすでに作成してある。

まず、国連を中心にしたグローバルなネットワークがすでにあるので、
これを補強する。
国連の目下の問題は、金策である。

もしも、国際政治を、国際政府にするとしたなら、
政治に必要なのは、予算つまり税金と、国会議員である。
地方議員、地方自治も必要になる。

現在の国の様子では、中国は共産主義、ロシアもまた同じである。
ヨーロッパとアメリカ、日本などのアジア諸国は、民主主義国家となっている。
こうしたさまざまな国の形態、これをそれぞれに、諸国、つまり、「小県(ちいさがた)」と捉える。

この小県(ちいさがた)という発想は、NHKの大河ドラマ「真田丸」を見ていただければ、よくわかると思う。
また、日本史を学んだ人々にとっては、徳川幕府の政治を思い起こしてもらえればよいと思う。
地方には、「藩」があった。
それぞれの藩で、藩政をしいていた。
その藩を統べるのが、徳川政府である。

こうした考えを基にして、それぞれの国を「藩」に見立て、国と国を連携させるシステム、これを、「国際政府」とする。

この「国際政府」の、首都をどこに置くか。
また、この国際政府の首長は誰であるか、首長をどのように選出するか。
このあたりは、これからよくよく討議していくことになる。

まずは、国連を中心にして、世界各国で起こっている戦争や紛争を、停止させる。
これは、紛争調停をするという方法である。
決して、空爆など、戦争的なことをして、力と力の対立を作るものではない。
たとえば、コソボ地区、ここではすでに、金銭のやりとりも含めて、紛争の調停が行われた。

このような調停を、次々に進めていく。
そしてこの地球上から、紛争をなくしていくのだ。

次に、経済政策である。
今や、経済は、世界経済の動きなくして語れない。
世界はワールドワイドな動きを持っている。
この世界経済に手を入れる。

次に、日本において「厚生労働省」にあたるシステムを稼働させる。
リオオリンピックを成功させるために、ブラジルや南米を中心とした地域の、清潔、安全を計画している。
これは、アフリカ地域に関しても同じである。
「きれいな水」は世界的に不足している。
この「きれいな水」を、日本の水道技術をもって、ブラジルやアフリカに提供することも、手法のひとつである。

ほかにも、次々に、工程表を作って、すでに日本政府として、稼働させ始めている。
一緒に取り組もうではないか。




2016年3月7日月曜日

グローバルガバナンス。

このところ、世界は、大きな問題が山積している。
それは、世界的問題、という意味である。
ジカ熱。
サッカーワールドカップ。
イスラム国。
各地で起こっている民族間紛争。
世界的な地殻変動に基づく、地震や天災。

こうした問題を解決するためには、世界的な政府、グローバルガバナンスが要求される。
私たちは、戦争は一切やめて、このグローバルガバナンスに向けて、前進を開始した。

「保育園落ちた。日本死ね」の問題について。

このところ、女性と母親を中心に、保育園問題が話題となっている。
保育園が足りない、子どもたちが貧困にさらされている、という問題である。
保育施設が足りない、経済がたちゆかない。
その問題の解決法として、国が国費で、これらの子どもたちを、育てるべきだ、という論議である。

この問題は、根本的には、貧困問題である。
小さな子どもだから、「かわいそう」「いのちは大切」と、感情を動かされるところがあるが、もしも、これが、大人の男性なら、国費で、家や施設、また、生活費をまかなってもらえる、という「うまい話」になってしまう。
貧困問題を、子どもの保育の問題にすりかえるべきではない。

子どもを育てるのが、「国」であるとすると、これはどういった国是に基づく国だろうか。
全体主義の国である。
こうした「国造り」を、女性たち、母親たちが、感覚的に訴えているとすると、問題である。
国のありかた、政治とは何か、ということを、猛勉強するべきであって、国という存在に甘えるべきではない。

子どもを育てるのが、保育園など、専門施設であることを正論として訴えるならば、この問題を訴えている女性たちは、自らを「女性は産む機械である」と認めていることになる。
本当に、そう思って訴えているのだろうか。

子どもを産み、育てるのは、権利であって、義務ではない。
あたかも、国か他人に、子どもを育てることを、「押し付けられた」ように語っているのは、なにかのカンチガイである。
子どもを育てる権利を放棄しているのである。

子どもや貧困者を、国費で育てたり守ったりする、ということになると、これは、国のありかた、根幹の主義主張を決める問題である。

日本は国家主義ではないし、全体主義でもないし、あるいは共産主義国でもない。
民主主義の国である。
個人が個人の選択で、自由な人生を送る権利が保障されているのである。

国は親ではない。
国民の一員であるならば、一員として、国という社会に甘えるだけではなく、大人として、社会に参加するべきである。