2014年10月11日土曜日

NHK「マッサン」第2週「災い転じて福となす」感想。

大好評で始まった、朝の連続テレビ小説「マッサン」。
前評判から人気があり、私も見どころがたくさんある、と思って楽しみに見ていたのだが、早くも気持ちが失速してきてしまった。
というのは、主役のマッサンに、魅力がない、ということなのである。

国際結婚がテーマである。
あの時代に、はるばる外国から、家族も故郷も捨てて、「あなただけよ」と日本に嫁いできてくれたエリー、この、ひとりの女性が、すべて捨てるだけの価値、どうしても好きで好きでたまらないポイント、というものを、マッサンのなかに探したのだが、それが見当たらない。
この、マッサンという男は、ただの「情熱バカ」なのではないだろうか?
夢は大きい、仕事にも熱心である。
でも、人の心への機微というものに欠けている。

人間関係や、あるいは、日本に嫁いできたエリーがどんな苦労をするか、という点で、そうした苦労をどう乗り越えていくか、という点で、まったく頭を使っていない。
もしかしたら、「おつむが弱い」のかもしれない、と思わせるほど、頭を使っていない。
これがいわゆる、「ダメンズ」という性質なのでないか、と思う。
ダメンズにまいってしまったのだから、エリーもその程度の女性でしかなかった、見る目がなかった、ということなのだろうか。


男は仕事さえしていれば、それで女性たちがついてくる、と思っている「誰か」がいて、こうしたドラマを作っているのだろうか?

第一週の「鬼の目にも涙」もそうであったが、姑の嫁に対する、いわゆる「嫁いじめ」「嫁姑問題」は、笑いを取れるほど、簡単な問題ではない。
また、第二週目の今週もそうであったが、マッサンが留学渡航する前に、婚約をした女性がいたということも、ずいぶんとあやふやな約束ではあったようだが、こうした状況におかれた女性、(優子)の気持ちも、深刻である。
優子の気持ちをないがしろにしたまま、それでもエリーの味方をする、この問題に真摯に取り組もうとしない、マッサンや周囲の男性たちの対応は、とても残酷である。
ドラマとしては、話題性を持とうとしたのかもしれないが、朝からイジメを見てそれを見続けるほど、私たちは暇を持て余しているわけではない。

しかし、男性側の思い違いというのは、こうした、仕事の邪魔になる女性たちの人間関係や感情というものを、「女難」と捉えていて、時にはこうして、女性たちの感情をかきまわすことを、男の甲斐性であるとか、もててもててしょうがなくて「うれしい悲鳴」と感じる傾向性がある、ということである。
別にこれは、マッサンがもてているわけではなくて、マッサンに、人の感情を思う心の機微と、人間関係を調整する頭脳がないだけ、なのである。

二週間見てきたのだが、最初の期待がだんだん薄れてきてしまった。
ただただにぎやかで騒がしいドラマ、という感じである。
それにしても、「あなたは仕事さえしていればいいの、私は意地悪でもなんでも耐え抜くわ」という女性が、どこにいるだろうか?
夫婦愛をテーマにしたというが、早くも興ざめである。

女性は、女性の気持ちや人の気持ちに敏感で、心遣い、言葉遣いの丁寧な男性が好きである。
仕事さえしていれば、人はついてくる、というのは、男性陣の、完璧な誤解である。
ただ、職場で、仕事の上司などであれば、仕事にプライベートを持ち込まず、仕事だけに専念している男性上司というのは、とてもやりやすい仲間となるかもしれない。
それでも、これからの社会で、仕事をする際に、女性たち、つまり複数の女性が仕事仲間であるときに、その人間関係を調整するのは、男性や上司の役割であるから、それができない上司というと、やはり願い下げである。


☆追記
このマッサンは、初めてエリーを日本に連れてくるときに、「お母さんがエリーに会いたいと楽しみに待っている」と言っている。
これは、真っ赤なウソであった。
このために、エリーがどれだけ泣いたかわからない。
マッサンという男は、物語の一番最初から、ウソツキなのである。