どんな夜にも、朝が来る。
「あさが来た」の題名の意味の深さを、なにか感じさせる、きょうこのごろである。
ヒロインあさは、ようやく炭鉱を運転させることができた。
その名も「加野炭鉱」である。
立派な看板も作ってもらって、机もひとつもらって、
本当に「働く女性」になってきた。
看板も机も、働く女性として仕事が認められたという証で、
あさにとっては、本当にうれしかっただろうと思う。
仕事の一番の報酬は「次の仕事がもらえること」だと、
どこかで聞いたことがある。
まさにこれが、あさにとっての、働く女性としての、入り口となるだろう。
物語は序盤のクライマックスを終え、次の山に入ろうとしている。
ここで、さまざまな伏線が混みあってきて、面白くなってきた。
ひとつは、姉はつとの対比である。
姉のはつは、同じく両替屋に嫁いだのに、その店は倒産してしまう。
そして、今は、小さいながら農業を営んでいる。
子どもがひとりいて、きょう、おなかの中にまたひとり増えた状況である。
一方でヒロインの妹あさは、働く女性であり、子どもはまだいない、という状況である。
女性が仕事をする、という大きなテーマに、真正面から体当たり、という構図である。
NHK朝の連続テレビ小説は、今年2015年前期は「まれ」であった。
「まれ」でも、仕事と家庭を両立させる女性を描いたのだったが、
「まれ」がなんとも素通りしてしまって、あっさりと、家庭と仕事、育児と夢、
両方を実現してしまったのに比べて、
今回の「あさが来た」では、「まれ」がいとも簡単にはしょってしまった、そのもやもやした部分に、堂々と切り込んでいるのである。
姉のはつが、「子育てをする専業主婦」、
対立するあさは、「仕事をするキャリアウーマン」である。
私が、「よく描けている」と思うのは、
専業主婦には専業主婦の悩みや葛藤がある、という点である。
つまり、はつに「私には、子どもを産むことしかできないのかしら?」という、
女性として、人間としての、根本的な疑問を、抱かせているのである。
また、キャリアを持って働く女性である、あさには、
子どもがいない、夫と一緒に仲良く暮らすことができない、
「なんだかすっきりしない」「充足感がない」という気持ちを、言わせているのである。
それが、貧しくても子を持ち、母親になった姉のはつに対しての、
「お姉ちゃんにはかなわない」というセリフである。
片方は、「子どもを産み育てる専業主婦になってもなんだか人生が充実しない」
もう片方は、「仕事をして成功しても、やっぱり人生が充実しない」
その葛藤を、ふたりの姉妹の対照を通して、見事に描いている、と思う。
現代の女性たちが思う、仕事と家庭の葛藤が、
はつとあさの、「子どもか自分か」「家庭か仕事か」
という悩み苦しみに、描かれている。
また、現代でも、「男性のがわの意識変革が必要」と強く言われているが、
今の状況では、あさの夫・新次郎の態度を見ていると、
まさに意識変革を、望んでしまうところである。
あさがこの問題をどのように乗り越えていくのか、
はつがこの悩みをどのように超えていくのか、
とても見どころになってきた、と思うのは、私だけではないと思った。
ところで、このところ、次のクライマックスに向けての、
とても面白い伏線が明らかになってきた。
それは、五代ディーン・フジオカの登場である。
五代氏は、あさの幼少時から、縁のあった男性であった。
この男性が、こともあろうに、すでに結婚している、あさに、
「らぶ」という言葉を使って!言い寄ってきているのである。
朝の連続テレビ小説で、こうして、ヒロインをめぐる、
ふたりの男性が描かれることは、そんなに珍しくはないかもしれない。
しかし、大森美香女史の描き方は、
この、ヒロインをめぐる男二人の対立と、
そのときに揺れるヒロインの心の描き方が、断然ちがうのである。
これは、「不機嫌なジーン」でも、
主要なテーマとして描かれていた。
思えば、向田邦子女史も、こうして、
ヒロインをめぐる、ふたりの男性、
あるいは、三人の関係、というものを、
絶妙で微妙な表現で、描き切っていたと思う。
このあたりも、これから特別に、見どころとなってきた。
時代は移り変わっても、季節は移り変わっても、
また、あさは来る。
明日もあさっても、「あさ」を楽しみに、
きょうもがんばろう!
2015年11月19日木曜日
2015年11月16日月曜日
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」感想。11月16日。
きょうも、「あさが来た」で始まる「あさが来た」! というかんじである。
昨日は、あさの女性経営者としての仕事ぶりに学んだところであった。
きょうは、あさの姉、はつについて、考えてみたいと思う。
あさとはつの姉妹は、ダブルヒロインということで、対照的な女性の姿、生き方を描いているそうだ。
昨今は、このようなダブルヒロインや、姉妹ものが、とてももてはやされているそうである。
流行である、ということは、それだけ女性たちから、興味や関心が持たれている、ということなので、このあたりも学んでいきたいと思う。
私がこのふたりの姉妹について思うのは、さまざまな対照であるが、なかでも、同じように両替屋に嫁いだのに、妹のあさは、時代の変化のなかで、両替屋としてまた商売を営む家として、生き残った、ということである。
そしてもう片方の姉のはつの家は、両替屋はとっくに潰れてしまった。
時代の変化の波に飲み込まれて、生き残れなかった、ということである。
私たち現代人も、今、時代の変化の波のなかにいる。
ふたりの女性の生き方から、「生き残れる女性」「生き残れない女性」という対照を、見ていきたいと思うのである。
生き残った加野屋のあさ、妹であり主役であるが、こちらのほうは、両替の仕事が「あぶないのではないか」ということを、とても早くに察知した。
加野屋としては、大旦那も若旦那もまだまだ、時代の変化に気づくことができず、また、蔵のなかの金貨を数えることも、大福帳を計算しなおすことも、していなかった。
それを行ったのが、嫁に入ったあさである。
あさが大福帳の計算をしていなかったら、時代の先読みをしていなかったら、まちがいなく加野屋も、倒産の憂き目にあっていただろう。
それが生き残ったのだから、嫁であるあさの才覚によるものである。
一方、はつの嫁いだ山王寺屋ではどうであったか。
これは、姑の菊や、その夫であり大旦那である辰巳卓郎、このあたりにすでに、伏線があるようだ。
というのは、婿養子で、菊がこの山王寺屋を仕切っていた、という事情があり、婿養子も息子も、この菊に頭が上がらない状況だった、ということである。
なので、時代の変化のときに、見栄や外聞が先にたって、打つべき手を打てなかった、という点が大きい。
そこへ嫁入りしたのが、当時の女性としての身だしなみを身に着けた、はつであった。
お琴にお花、お裁縫である。
この、はつは、山王寺屋の商売、仕事にまったく口出しをしなかった。
あさとは対照的である。
もしも、山王寺屋に入ったのが、あさであったなら、山王寺屋は生き残った可能性が高い。
女性の才覚、仕事に関する「口出し」というよりは、女性らしい時代への敏感な感性、そういったものが、はつにはないのである。
また、はつは、当時の女性の生き方振舞い方として教えられていたとおりであるだろうが、外の世界に出ようとしなかった。
外の世界や、あるいは社会のなかで何が起こっているのか、まったく興味を持たないのである。
社会のなかに生きていながら、社会の動静にまったく興味を持たない女性が、現代の世の中にも多数存在するが、はつはそのような女性であった。
また、夜逃げをして、夫が失踪して、その後、夫の惣兵衛が戻ってくるのであるが、「よい仕事人でなくてもいいから、よいお父さんになってください」と言う。
これは、男性陣から見たら、問題発言である。
女性は、良い家庭を築きたいと願う。
そうした意味から、夫にはよい夫、よい父親であってほしいと願うものである。
だから、女性の目から見たら、これはごくごく自然な発言で、こうした発言をする女性は、よくいる。
しかし、男性は、仕事で成功したいものではないだろうか。
家庭を守れるだけの稼ぎがあればいい、というのは、妻が夫に言うにしては、残酷な言葉でもある。
男性は、なかなか父親にはなりきれないものだ、という。
これは心理的なものであるだろう。
しかし、父親である以前に、「男として」生きたいのではないだろうか。
「男として」妻から褒められたいのではないだろうか。
はつの妻のしての言動は、夫の可能性を封じ込めるものであり、夫の男らしさを認めていないものなのである。
こうした妻をもって、惣兵衛が男として成功できるかというと、これはむずかしい。
妻のはつも、母親の菊も、まったく同じ、うちに内にと閉じこもるタイプで、男性を抑圧するタイプなのである。
しかし、こうした惣兵衛の姿に、自分自身を重ねるのだろうか、惣兵衛ファンがとても多い、ということである。
女性たちは怖れをもって、この「惣兵衛ファン」の増加を見守るしかない。
昨日は、あさの女性経営者としての仕事ぶりに学んだところであった。
きょうは、あさの姉、はつについて、考えてみたいと思う。
あさとはつの姉妹は、ダブルヒロインということで、対照的な女性の姿、生き方を描いているそうだ。
昨今は、このようなダブルヒロインや、姉妹ものが、とてももてはやされているそうである。
流行である、ということは、それだけ女性たちから、興味や関心が持たれている、ということなので、このあたりも学んでいきたいと思う。
私がこのふたりの姉妹について思うのは、さまざまな対照であるが、なかでも、同じように両替屋に嫁いだのに、妹のあさは、時代の変化のなかで、両替屋としてまた商売を営む家として、生き残った、ということである。
そしてもう片方の姉のはつの家は、両替屋はとっくに潰れてしまった。
時代の変化の波に飲み込まれて、生き残れなかった、ということである。
私たち現代人も、今、時代の変化の波のなかにいる。
ふたりの女性の生き方から、「生き残れる女性」「生き残れない女性」という対照を、見ていきたいと思うのである。
生き残った加野屋のあさ、妹であり主役であるが、こちらのほうは、両替の仕事が「あぶないのではないか」ということを、とても早くに察知した。
加野屋としては、大旦那も若旦那もまだまだ、時代の変化に気づくことができず、また、蔵のなかの金貨を数えることも、大福帳を計算しなおすことも、していなかった。
それを行ったのが、嫁に入ったあさである。
あさが大福帳の計算をしていなかったら、時代の先読みをしていなかったら、まちがいなく加野屋も、倒産の憂き目にあっていただろう。
それが生き残ったのだから、嫁であるあさの才覚によるものである。
一方、はつの嫁いだ山王寺屋ではどうであったか。
これは、姑の菊や、その夫であり大旦那である辰巳卓郎、このあたりにすでに、伏線があるようだ。
というのは、婿養子で、菊がこの山王寺屋を仕切っていた、という事情があり、婿養子も息子も、この菊に頭が上がらない状況だった、ということである。
なので、時代の変化のときに、見栄や外聞が先にたって、打つべき手を打てなかった、という点が大きい。
そこへ嫁入りしたのが、当時の女性としての身だしなみを身に着けた、はつであった。
お琴にお花、お裁縫である。
この、はつは、山王寺屋の商売、仕事にまったく口出しをしなかった。
あさとは対照的である。
もしも、山王寺屋に入ったのが、あさであったなら、山王寺屋は生き残った可能性が高い。
女性の才覚、仕事に関する「口出し」というよりは、女性らしい時代への敏感な感性、そういったものが、はつにはないのである。
また、はつは、当時の女性の生き方振舞い方として教えられていたとおりであるだろうが、外の世界に出ようとしなかった。
外の世界や、あるいは社会のなかで何が起こっているのか、まったく興味を持たないのである。
社会のなかに生きていながら、社会の動静にまったく興味を持たない女性が、現代の世の中にも多数存在するが、はつはそのような女性であった。
また、夜逃げをして、夫が失踪して、その後、夫の惣兵衛が戻ってくるのであるが、「よい仕事人でなくてもいいから、よいお父さんになってください」と言う。
これは、男性陣から見たら、問題発言である。
女性は、良い家庭を築きたいと願う。
そうした意味から、夫にはよい夫、よい父親であってほしいと願うものである。
だから、女性の目から見たら、これはごくごく自然な発言で、こうした発言をする女性は、よくいる。
しかし、男性は、仕事で成功したいものではないだろうか。
家庭を守れるだけの稼ぎがあればいい、というのは、妻が夫に言うにしては、残酷な言葉でもある。
男性は、なかなか父親にはなりきれないものだ、という。
これは心理的なものであるだろう。
しかし、父親である以前に、「男として」生きたいのではないだろうか。
「男として」妻から褒められたいのではないだろうか。
はつの妻のしての言動は、夫の可能性を封じ込めるものであり、夫の男らしさを認めていないものなのである。
こうした妻をもって、惣兵衛が男として成功できるかというと、これはむずかしい。
妻のはつも、母親の菊も、まったく同じ、うちに内にと閉じこもるタイプで、男性を抑圧するタイプなのである。
しかし、こうした惣兵衛の姿に、自分自身を重ねるのだろうか、惣兵衛ファンがとても多い、ということである。
女性たちは怖れをもって、この「惣兵衛ファン」の増加を見守るしかない。
2015年11月15日日曜日
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」感想。11月15日。
11月もなかばとなり、秋から始まった朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、快走を続けている。
私は、このドラマから、さまざまな視点で、女性の生き方や、時代背景を学びたい、と思っている。
そのなかでも、大きなテーマとして、働く女性の悩みとその解決を、見つけたい、と思っている。
今週は、女性経営者にとって、女性管理職にとって、まったく頭の痛い問題である、「男性の部下をどのようにして働いてもらうか」「指示を聞いてもらうか」というテーマで、興味津々であった。
また、ヒロインとしても、炭鉱夫を相手に啖呵をきって、女性経営者として、しっかりと責任を果たした話題の場面であるから、とても楽しみにしていた。
一週間、見終わった。
ドラマのストーリーとしては、あれだけ反抗していた炭鉱夫たちが、おとなしくなって、あさは信頼を勝ち得ることができて、そして仕事を始めたのであるから、これは成功である。
しかし、やはりどこか見ていて、つじつまが合わないというか、「本当にこれで、彼ら炭鉱夫たちが納得したのか?」「あさのどのあたりの言動に、炭鉱夫たちが信頼をしたのか?」という点では、はてなマークがいくつも付くところであった。
とにかく、あさは、なんでもした、と思う。
女性経営者として、「私のほうが立場が上です」という尊大な態度もとってみた。
あるいは、丁寧に「石炭を掘る」という意味を、蒸気機関の働きまで説明して、誇りをもってもらった。
あるいは、頭を下げた。
あるいは、大阪から夫に来てもらった。
あるいは、相撲を取って勝った。
あるいは、仕事の内容を深く理解したいと思って、実際に炭鉱に入ってもみた。
ドラマのなかで、決め手として取り扱われていたのは、ピストルの暴発であるように思う。
それらのたくさん工夫したうちの、「どれかひとつ」が、きっと、炭鉱夫の心をつかんだのだろう、と思う。
でももしかすると、これだけたくさんいろいろなことをしたから、ようやく働いてもらえた、ということなのかもしれない。
どうなのだろう?
印象的な言葉、これは、夫の新次郎からも言われたし、祖父の林与一からも言われていることであるが、「女性のやわらかい力」は、いったいどこにあったのだろうか。
やはり、史実としても、ドラマとしても、炭鉱夫を動かした決め手は、ピストルという武器のようである。
それが、「おなごのやわらかい力」なのだろうか?
おりしも、フランスでは、武器の力には、武器の力で対抗する、というテロリズムが行われているところである。
私は、今週のドラマには、少なくとも「女性らしい柔らかい力」は、意味不明のまま未消化に終わったと思った。
これは、これからの課題として、残されていると思う。
私が、女性管理職として、男性の部下に働いてもらうために、これが大事だ、と思うことをここでまとめてみようと思う。
あさが工夫したさまざまな事柄のなかに、たくさんのヒントが隠されている。
たとえば、実力は男性並みか、それ以上であること。
これは、働く女性が管理職で仕事をしていく上で、もっとも大事なことである。
男性にひけをとらないくらい、男性であろうと女性であろうと、仕事の実力は同等かそれ以上であることである。
次に、彼ら命をかけて働く男たちに、命をかけるほどの「価値」「意味」「大義」を伝えることである。
男の人たちは、何か大きなことのために、命を張りたいものだと思うのだ。
あさは、明治の時代を開く大きな意味を、この石炭事業に見出した。
炭鉱で働く男たちには、蒸気機関車や、開けていく東京の様子などは目に見えない。
時代の変化も、時代が朝を迎えていることも、まだわからない。
しかし、「わたしたちが、あなたがたが、新しい日本の国づくりをしていくのです」と言ったときに、男たちの胸に火が灯ったのではないだろうか。
大事なのは、仕事に誇りを持つことである。
命をかける価値のある仕事を見出した時、男性たちは、力いっぱい、自分たちの自主的な自発能動で、動き始めたように思う。
私は、こうした男性たちの、意欲を引き出す力が、あさにはあった、と思ったのである。
これからも、働く女性にはがんばってほしい。
私も、「あさが来た」から学んで、一生懸命、自分の道を生きていきたいと思う。
私は、このドラマから、さまざまな視点で、女性の生き方や、時代背景を学びたい、と思っている。
そのなかでも、大きなテーマとして、働く女性の悩みとその解決を、見つけたい、と思っている。
今週は、女性経営者にとって、女性管理職にとって、まったく頭の痛い問題である、「男性の部下をどのようにして働いてもらうか」「指示を聞いてもらうか」というテーマで、興味津々であった。
また、ヒロインとしても、炭鉱夫を相手に啖呵をきって、女性経営者として、しっかりと責任を果たした話題の場面であるから、とても楽しみにしていた。
一週間、見終わった。
ドラマのストーリーとしては、あれだけ反抗していた炭鉱夫たちが、おとなしくなって、あさは信頼を勝ち得ることができて、そして仕事を始めたのであるから、これは成功である。
しかし、やはりどこか見ていて、つじつまが合わないというか、「本当にこれで、彼ら炭鉱夫たちが納得したのか?」「あさのどのあたりの言動に、炭鉱夫たちが信頼をしたのか?」という点では、はてなマークがいくつも付くところであった。
とにかく、あさは、なんでもした、と思う。
女性経営者として、「私のほうが立場が上です」という尊大な態度もとってみた。
あるいは、丁寧に「石炭を掘る」という意味を、蒸気機関の働きまで説明して、誇りをもってもらった。
あるいは、頭を下げた。
あるいは、大阪から夫に来てもらった。
あるいは、相撲を取って勝った。
あるいは、仕事の内容を深く理解したいと思って、実際に炭鉱に入ってもみた。
ドラマのなかで、決め手として取り扱われていたのは、ピストルの暴発であるように思う。
それらのたくさん工夫したうちの、「どれかひとつ」が、きっと、炭鉱夫の心をつかんだのだろう、と思う。
でももしかすると、これだけたくさんいろいろなことをしたから、ようやく働いてもらえた、ということなのかもしれない。
どうなのだろう?
印象的な言葉、これは、夫の新次郎からも言われたし、祖父の林与一からも言われていることであるが、「女性のやわらかい力」は、いったいどこにあったのだろうか。
やはり、史実としても、ドラマとしても、炭鉱夫を動かした決め手は、ピストルという武器のようである。
それが、「おなごのやわらかい力」なのだろうか?
おりしも、フランスでは、武器の力には、武器の力で対抗する、というテロリズムが行われているところである。
私は、今週のドラマには、少なくとも「女性らしい柔らかい力」は、意味不明のまま未消化に終わったと思った。
これは、これからの課題として、残されていると思う。
私が、女性管理職として、男性の部下に働いてもらうために、これが大事だ、と思うことをここでまとめてみようと思う。
あさが工夫したさまざまな事柄のなかに、たくさんのヒントが隠されている。
たとえば、実力は男性並みか、それ以上であること。
これは、働く女性が管理職で仕事をしていく上で、もっとも大事なことである。
男性にひけをとらないくらい、男性であろうと女性であろうと、仕事の実力は同等かそれ以上であることである。
次に、彼ら命をかけて働く男たちに、命をかけるほどの「価値」「意味」「大義」を伝えることである。
男の人たちは、何か大きなことのために、命を張りたいものだと思うのだ。
あさは、明治の時代を開く大きな意味を、この石炭事業に見出した。
炭鉱で働く男たちには、蒸気機関車や、開けていく東京の様子などは目に見えない。
時代の変化も、時代が朝を迎えていることも、まだわからない。
しかし、「わたしたちが、あなたがたが、新しい日本の国づくりをしていくのです」と言ったときに、男たちの胸に火が灯ったのではないだろうか。
大事なのは、仕事に誇りを持つことである。
命をかける価値のある仕事を見出した時、男性たちは、力いっぱい、自分たちの自主的な自発能動で、動き始めたように思う。
私は、こうした男性たちの、意欲を引き出す力が、あさにはあった、と思ったのである。
これからも、働く女性にはがんばってほしい。
私も、「あさが来た」から学んで、一生懸命、自分の道を生きていきたいと思う。
2015年11月11日水曜日
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」感想。11月11日。
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」が、好調である。
視聴率もグングンアップしている、と毎日、インターネットニュースで、
話題になっている。
誰が見ても、無条件で楽しい、というテレビドラマは、
毎日の生活に、朝の光を照らしてくれるみたいで、
本当に元気がでる。
「あさが来た」は、今、物語序盤のクライマックスに入っている。
それは、前評判でも有名なシーンが近づいている、ということである。
きょうの放送でもすでに、あさが、炭鉱の男たちを前に、
啖呵を切るシーンがあった。
本当にかっこよかった。
炭鉱と言えば、私も北海道にいたので、
夕張の炭鉱のことを思い出す。
夕張の炭鉱はすでに閉山してしまったが、
「石炭の歴史村」は行ったことがあって、
炭鉱の模型があったりして、当時の状況を知ったりすることができた。
また、映画「幸福の黄色いハンカチ」でも、
主人公の高倉健が、炭鉱夫で、とても男らしくてかっこよかった。
きょうのテレビドラマでも、炭鉱に入るときには、
ガス探知のための、小鳥のかごを持って入っていて、
とてもリアリティがある。
炭鉱の仕事は、まさに命がけである。
あさの加野屋が、新しくこの山を買い取ったのに、
肝心の炭鉱夫たちが、まったく仕事をしないで、
困っているのが、現状である。
いったい、あさは女性経営者として、
どのように「部下」に働いてもらうのだろう。
ここが今週の見どころであるように思う。
これから女性管理職もたくさん増えてくるだろう。
そうしたときに、男の人たちというのは、
多かれ少なかれ、炭鉱夫のような性分を持っているわけであるから、
どうしたら、「真面目に」「きちんと」「自主的に」
働いてもらえるのかどうか、
ここは、しっかりとテレビドラマから学びたいところである。
今週はこのあたりをしっかりと描いてほしいところである。
私なりに思うところがあるけれども、それは、テレビドラマで、
ストーリーが進んでから、私なりの感想を書いてみたい、と思う。
あさのもとで、彼らゴロツキが、
どんなにおとなしくなるものなのか、ここは見どころである。
(本当に、おとなしくなる、ということなのだろうか?)
ところで、あさの姉「はつ」である。
今、「姉妹」というのは、とても話題性のあるテーマになっている。
昨年のディズニーアニメ「アナと雪の女王」あたりから、
流行があるのだろうか。
女性たちにとっては、ふたつの異なる個性、
その対立と融和というのは、大きなテーマである。
「あさが来た」でも、姉のはつと、妹のあさの、
ふたりの性格と人生が、対照的に描かれていて、
とても興味深い。
「はつ」は、姉妹の長女という役割である。
そのためか、「しっかりもので、芯の強い」と描きたいようだ。
しかしこのごろの、はつ、には、
女の弱さ、というものがありありと見てとれるように思う。
というのは、はつは、ひとりでなんでも頑張るタイプで、
周囲からの手助けに対して、非常に拒絶的であるからである。
世の中にこういう女性は「いるいる」というかんじである。
何に関しても、人の手助けを受けることが嫌いな強情ッパリで、
外面はよいが、内面は弱々しくてボロボロである。
それに比べると、姑や舅、夫や番頭さんの手助けを、
快く受け取る妹のあさは、
周りから見ていて、何かと安心である。
周りの人を心配させない、というのは、
女性としてのたしなみであり、礼儀であり、常識である、
と私は思う。
そういう点で、皆に心配をかけながら、
本当は誰が見ても全然大丈夫じゃないのに、
大丈夫、大丈夫、と虚勢を張る、はつは、
周りから見て、迷惑を広げる存在であるかもしれない。
これからも、はつ、とあさ、のふたりの対照を、
女性の生き方や振舞い方の手本として、反面教師として、
一生懸命、学んでいきたい、と思っている。
「あさが来た」毎朝、楽しみに観ています!!!
視聴率もグングンアップしている、と毎日、インターネットニュースで、
話題になっている。
誰が見ても、無条件で楽しい、というテレビドラマは、
毎日の生活に、朝の光を照らしてくれるみたいで、
本当に元気がでる。
「あさが来た」は、今、物語序盤のクライマックスに入っている。
それは、前評判でも有名なシーンが近づいている、ということである。
きょうの放送でもすでに、あさが、炭鉱の男たちを前に、
啖呵を切るシーンがあった。
本当にかっこよかった。
炭鉱と言えば、私も北海道にいたので、
夕張の炭鉱のことを思い出す。
夕張の炭鉱はすでに閉山してしまったが、
「石炭の歴史村」は行ったことがあって、
炭鉱の模型があったりして、当時の状況を知ったりすることができた。
また、映画「幸福の黄色いハンカチ」でも、
主人公の高倉健が、炭鉱夫で、とても男らしくてかっこよかった。
きょうのテレビドラマでも、炭鉱に入るときには、
ガス探知のための、小鳥のかごを持って入っていて、
とてもリアリティがある。
炭鉱の仕事は、まさに命がけである。
あさの加野屋が、新しくこの山を買い取ったのに、
肝心の炭鉱夫たちが、まったく仕事をしないで、
困っているのが、現状である。
いったい、あさは女性経営者として、
どのように「部下」に働いてもらうのだろう。
ここが今週の見どころであるように思う。
これから女性管理職もたくさん増えてくるだろう。
そうしたときに、男の人たちというのは、
多かれ少なかれ、炭鉱夫のような性分を持っているわけであるから、
どうしたら、「真面目に」「きちんと」「自主的に」
働いてもらえるのかどうか、
ここは、しっかりとテレビドラマから学びたいところである。
今週はこのあたりをしっかりと描いてほしいところである。
私なりに思うところがあるけれども、それは、テレビドラマで、
ストーリーが進んでから、私なりの感想を書いてみたい、と思う。
あさのもとで、彼らゴロツキが、
どんなにおとなしくなるものなのか、ここは見どころである。
(本当に、おとなしくなる、ということなのだろうか?)
ところで、あさの姉「はつ」である。
今、「姉妹」というのは、とても話題性のあるテーマになっている。
昨年のディズニーアニメ「アナと雪の女王」あたりから、
流行があるのだろうか。
女性たちにとっては、ふたつの異なる個性、
その対立と融和というのは、大きなテーマである。
「あさが来た」でも、姉のはつと、妹のあさの、
ふたりの性格と人生が、対照的に描かれていて、
とても興味深い。
「はつ」は、姉妹の長女という役割である。
そのためか、「しっかりもので、芯の強い」と描きたいようだ。
しかしこのごろの、はつ、には、
女の弱さ、というものがありありと見てとれるように思う。
というのは、はつは、ひとりでなんでも頑張るタイプで、
周囲からの手助けに対して、非常に拒絶的であるからである。
世の中にこういう女性は「いるいる」というかんじである。
何に関しても、人の手助けを受けることが嫌いな強情ッパリで、
外面はよいが、内面は弱々しくてボロボロである。
それに比べると、姑や舅、夫や番頭さんの手助けを、
快く受け取る妹のあさは、
周りから見ていて、何かと安心である。
周りの人を心配させない、というのは、
女性としてのたしなみであり、礼儀であり、常識である、
と私は思う。
そういう点で、皆に心配をかけながら、
本当は誰が見ても全然大丈夫じゃないのに、
大丈夫、大丈夫、と虚勢を張る、はつは、
周りから見て、迷惑を広げる存在であるかもしれない。
これからも、はつ、とあさ、のふたりの対照を、
女性の生き方や振舞い方の手本として、反面教師として、
一生懸命、学んでいきたい、と思っている。
「あさが来た」毎朝、楽しみに観ています!!!
2015年11月5日木曜日
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」感想。11月5日。
朝の連続テレビ小説「あさが来た」の視聴率が、
とても上がっているそうである。
朝ドラ初の時代劇に、AKB48の爽やかな歌声、
こうしたところで、新しい視聴者層をつかんだのかもしれない。
ところで、今週に入ってから気になっていた、
「愛と仕事の両立」である。
働く現代女性にも通じるこの「家庭と仕事の両立」
というテーマを、大森美香女史が、どのように描いてくれるのか、
私たち働く女性に、どのようなメッセージとアドバイスをくれるのか、
とても楽しみにしていた。
しかし、たくさんの女性視聴者にとってそうであるように、
「これはどうなのかな?」と、考えさせられる、
問題提起、という形になっていると、私は思う。
私が疑問に思ったのは、
ひとつは、「あさ」の悩み方である。
夫からの愛情を得たい、という気持ちが、
そのまま子どもがほしい、という気持ち、
女性として見られたい、という悩みに直結してしまっている。
でも、男性にとって、「愛」とか、
「女性を愛する」とかいうことは、
性的な欲求を抱くこととイコールなのだろうか?
女性は、男性からの「愛」を、
性的な行動とカンチガイしやすいのではないか、と思う。
あさの夫・新次郎は、お家のこと、仕事のこと、
特に新しい仕事のことでとても悩んでいるけれども、
その状態で、あさに対しては、やはり内心、
感謝の気持ちでいると思う。
そうした、「お家とりつぶし」も近いかもしれない状況のときに、
性的な気持ちになれないのは、
まっとうな男性として当たり前で理性的だともいえるかもしれない。
人間として、しっかりしているのではないか、と思う。
ところで、大森美香女史の、対照的な女性、
このドラマでは、姉妹であるが、
この描き方には、まだまだ不足があるように思う。
というのは、お家取りつぶしになった山王寺家が、
ああいった状況で暮らすことになって、
その家や、家族の、心の状態を、
しっかりと描いていないからである。
お家がなくなって、生活の質が極端に落ちたところに、
笑顔があるはずがない。
こうした状態の描き方には、
現代のリストラ家族や、倒産家族にも共通するところがあるので、
しっかりした人間観察がほしいところである。
荒んだ心や、荒んだ表情、荒んだ言葉のやりとり、
こうしたものが、まったく描けていない。
また、貧困家庭で、妊娠という事象が起こると、
「やだ、できちゃったわ」というのが、本音ではないだろうか。
少子化問題に何か問題提起したいのかもしれないが、
子どもが生まれてくるということは、
母親にとっても家族にとっても、
「おめでたい」では済まないものが、たくさんあるはずだ。
そうした複雑な心情や状況が、まったく描けていないと思う。
また、当時は、貧しい家では、子どもの「間引き」が、
当然のように行われていた。
「あさ」と、「はつ」の家の事情の描き方に、
ドラマ作りをする人たちの、
もう一歩、人間観察、社会観察を、
期待したいと思う。
2015年11月2日月曜日
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」感想。11月2日。
NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、
朝ドラ初の時代劇にトライ、ということで、
たくさんの視聴者から、とても好評のようである。
私も、毎朝とても楽しみに観ている。
「あさが来た」は、ヒロインが女性実業家、
ということで、女性が働くということ、
女性が活躍する、ということが、
大きなテーマとなっているように思う。
時代背景もあり、明治維新のころ、
夫とともに、お家とともに、
時代を駆け抜けた女性、ということになるだろうか。
私はここで、もうひとつのテーマを追いかけてみたい、と思った。
それは、女性脚本家の持つ、固有のテーマである。
「あさが来た」の脚本家である大森美香女史のテーマはなんだろう?
私は、向田邦子賞も受賞した、フジテレビのドラマ「不機嫌なジーン」
にも共通するテーマを観た気がした。
それは、「男性の浮気」である。
「不機嫌なジーン」でも、
ヒロインが、研究や仕事に夢中になっていると、
パートナーであり恋人でもある男性が、
浮気をしてしまうのである。
「不機嫌なジーン」では、男性が浮気をすることを、
遺伝子のせいにしていて、
「男は浮気をする生き物である」
というようなことを、表現していた。
明るくて闊達で、仕事に夢中になっている女の子が、
恋人に浮気をされるのは、とても痛いことである。
それが、ヒロインのちょっとした劣等感になっていて、
「色っぽい女性にはかなわない」
「私には色気がない」と、意気消沈してしまうのである。
今回の、「あさが来た」でも、
元気で仕事の能力のあるヒロインの、夫が、
どうにも「色っぽい」女性と、浮気をしそうなところである。
また、姉の「はつ」も、しんみりとした色気があり、
そちらのほうが「しあわせ?」と問いかけたいような、
ストーリー展開になってきた。
しかし、NHKの朝の連続テレビ小説で、
朝から国民の皆さまの前で、
「男は浮気をする生き物である」と、
テーマを打ち出すのは、どうなのだろう?
NHKの朝ドラとして、ヒロインが、
「男性の浮気」というテーマを、
どのように風に乗り、ふわりと乗り越えるのか、
ここからが見どころである。
また、働く女性にとって、
家庭と仕事の両立とは、
愛と仕事の両立であり、
仕事に打ち込めばダンナの愛が逃げていく、
という大テーマになってきたので、
ここはNHKから、大いに学びたいところである。
2015年10月3日土曜日
インフォメーション・「あさが来た」
9月28日から、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が始まった。
朝の15分のテレビドラマが、半年間続くのである。
私は昨年4月から9月までの前半期に「花子とアン」の感想を書いてきた。
その後、10月から今年3月までの後半期に「マッサン」の感想を書いてきた。
どちらもとても手ごたえのあるドラマで、書いていてとても楽しかった。
今年4月から9月までの「まれ」は、都合によりお休みして、次回作の「あさが来た」を楽しみにしていた。
この「あさが来た」も、ホームページでいろいろ読んで調べてみると、展開が楽しみな、とても面白そうなドラマである。
この感想をまた、半年間、書いてみてほしい、という要望も多少ならずあって、私もどうしようか迷ったのだけれども、やはり見送ることにした。
というのは、若い書き手に、これにトライしてほしい、と思うからである。
テレビドラマを半年間、続けて見ることだけでも、忍耐力のいることだけれども、視聴者は、学校や会社、家庭という毎日を淡々と送っているのである。
そして、ドラマと一緒に、考えたり、悩んだり、楽しんだり、笑ったり泣いたりするのである。
そうした、視聴者と一緒の目線を持ちながら、一方で、ドラマ制作者の都合を考えてみたりもする。
私の「感想」には、そうした、いろいろな要素が集まっていたと、自分で思う。
今回の「あさが来た」のテーマは、ひとつは、朝ドラ初の時代劇、ということであるが、江戸時代から明治への激動の時期に、ヒロインがどう生きたか、という点が、大きなテーマであると思う。
また、いくつか絞れるテーマがあって、これは朝ドラのテーマとして定番であるが、「夫婦愛」である。
「あさが来た」では、生まれたときからの許嫁、という夫婦の縁だが、この縁を、一生はぐくんでいくことになる。
夫婦がどのように人間関係、夫婦関係を築き、大切にし、時には泣いたりもするのか、ここは、見どころというか、研究のしどころであると思う。
現代には、「嫌婚」という言葉もあるそうである。
もう、「婚活」つまり、結婚のための努力はしない、ということなのである。
結婚は、ハイリスクノーリターンである、と言いきる若者もいるそうである。
そうした現代のなかで、ドラマがどのように、夫婦が夫婦でいることの必要性を訴えていくのか、とても楽しみなところである。
視聴者によっては、「やっぱり結婚なんて必要ない」という結論に達するかもしれない。
ドラマがどれだけ、結婚の必要性を感じさせてくれるのか、あるいは、時代を嫌婚ブームに仕立て上げてしまうのか、見どころである。
もうひとつのテーマは、ヒロインあさが、女性実業家として成功していく点である。
時代背景がちがうので、今の私たちにそっくりそのまま当てはまるかどうかは、わからない。
しかし、普遍というのは、きっとあると思う。
現代社会で、仕事をして、それも大きな仕事をしていこう、としている女性たちがぶつかる悩みに、ヒロインあさも、きっとぶつかるのだろうと、思う。
その障害を、どのように乗り越えていくのか、ひとつひとつ、見守っていきたいところである。
これは、結婚しているかどうかには、関係ないかもしれないし、あるのかもしれない。
また、女性実業家という仕事が、恋愛や家庭とどう両立するのか、こうしたところも、学ぶところがたくさんあると思う。
できれば女性が、これらのテーマのどこかを見つけて、できればひとつに絞って、この半年間、ドラマをよく見て、そして、自分の感想を、自分の文章で書き表してみてほしい、と思う。
書いたものは、インターネット上に出すと、NHKの人たちが、けっこう探して隅から隅まで読んで参考にしているようなので、そういう方法もあると思う。
また、自分だけのものとして、日記などにしたためてもよいかもしれない。
私も、このドラマを見て、ここに挙げたいくつかのテーマを、そのときどきで、考えて、発表することもあるかもしれない。
でも、本当に、若手に、たくさん書いてほしい、と思うものである。
これから、冬を越えて半年間、ヒロインあさの笑顔に楽しませてもらいながら、じっくりと「女性の生き方」について、思索を深めていきたい。
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