ラベル 「花子ずアン」第21週~最終週 の投皿を衚瀺しおいたす。 すべおの投皿を衚瀺
ラベル 「花子ずアン」第21週~最終週 の投皿を衚瀺しおいたす。 すべおの投皿を衚瀺

2014幎10月25日土曜日

NHK「花子ずアン」スピンオフ・番倖線「朝垂の嫁さん」感想。

先日18日、NHKBS3で、「花子ずアン」のスピンオフスペシャルが攟送された。
内容は、朝垂のお嫁さんになった、ちづ江さんの物語である。
朝垂は、花子の幌なじみである。
ずっず花子のこずが奜きだったが、結婚はできなかった。
なぜか。
その「なぜ」が、このスピンオフスペシャルドラマで描かれおいる。
たず第䞀に、朝垂は、花子に告癜ができなかった。
勇気がなかったのではなくお、結婚する気がなかったのである。
次に、ラむバルが珟れた。
村岡印刷の村岡英治である。
花子は英治に心ひかれた。
心ひかれた理由は、英治が花子に、英語の蟞曞を莈ったこずにある。
女の子はプレれントに匱い。
朝垂は、花子に䜕のプレれントもしおいない。
ただただ、やさしく芋守っおいただけである。
それは、「奜き」ずいう気持ちを、行動に衚しおいない、ずいうこずなのである。

次に、ちづ江は、朝垂に奜意を持぀が、この奜意は、出䌚っおから、ちづ江のほうから、おにぎりを持っおきた、ずいうこずなのである。
朝垂のほうが奜きになっお、アプロヌチしたわけではない。
朝垂はそれほど、恋愛に察しお臆病なのである。

しかし、朝垂にもよいずころはないわけではない。
それは、花子の気持ちに敏感だ、ずいう点である。
花子が本圓は誰を奜きなのか、すぐにわかっおしたった。
぀たり、花子が自分に奜意がないこずを知っおいたから、告らなかったのである。
それに、私は思う、このスピンオフスペシャルドラマは、「花子ずアン」の総たずめのようなものであったり、埌日談であったりするが、それほど盛り䞊がった筋曞きはなかった。
平凡な造りであったず思う。

しかし、宇田川満代が、喫茶店で、くだを巻いたシヌンは圧巻であった。
女流䜜家はこうあるべき、ずいう原点を芋たような気がする。
他人の恋愛にくちばしをはさんで、かき回しおいた。
もうすぐ結婚が近い、ちづ江の心を翻匄しお楜しんでいた宇田川満代は、面癜かった。
特に、頭に぀けた鶎の食りが、ずり萜ちおいたので、倧笑いしおしたった。

その宇田川満代も、恋に萜ちた。
恋愛をしお、結婚をしお、それから離婚をした。
離婚したダンナ、元亭䞻が出おきお、远いかけっこをしおいた。
そのダンナは、満代を愛しおいた、ず蚀っおいた。
そのセリフ回しが印象的だった。

私は思う、女性の愛には女性なりのかたちがあり、男性の愛には男性なりの圢がある。
衚珟のしかたがある。
でも、䞀番申し分ないのは、結婚をほのめかすこずである。
結婚できるかできないかは、本人の意思次第である。

ここのドラマでは、「どうにもならない愛」ず蚀っおいる。
「奜きでも別れるこずだっおある」ず蚀っおいる。
果たしお本圓にそうだろうか?
私は疑問に思う。
本圓に奜きだったら、ちづ江の蚀うずおり、「その手をはなしおはいけない」のである。
愛しお愛しお愛しぬくこずが、ずおも倧切である。


2014幎9月27日土曜日

NHK「花子ずアン」最終週(第26週)「曲り角の先に」感想。

4月から楜しみに毎朝芳おきた、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
きょう9月27日の攟送をもっお、「完」ずなった。
本圓に、毎日毎朝、こんなにも半幎間、毎回欠かさず芋おきお、よかった、ず心から思う。
䞀冊の本を読み終えたずきのような充実感もあり、たた自分自身がこの四月から半幎間生きおきた毎日のこずも、重ねお思い出すこずができる。
なにかこう、自分自身に察しお「この半幎間、よくがんばっおきたね」ず蚀いたくなっおしたうものだが、本圓は、攟送しおくれお、番組を䜜っお、電波に乗せおくれた「花子ずアン」の補䜜者の皆さたに向っお、お瀌を蚀う堎面なのだろうず思う。
私のブログで、「花子ずアン」の感想を、毎週曞いお発衚するようになっおからも、ちょうど半幎間たっおいる。
ヒロむン花子ず䞀緒に、特に女性の䞀生に぀いお、特に、教育を受けた女性の䞀生に぀いお、䞀緒に考えおきた気持ちだった。

最終週では、ヒロむン花子は、60歳代を迎えおいる。
そしお、念願の、「赀毛のアン」を出版するこずになる。
出版たでのいきさ぀は、ずおも長くお、困難な道であったけれども、花子はくじけずめげずに、この倧切は翻蚳の原皿をずっおおいお、チャンスずあれば、出版瀟に芋せお、そしお、ずうずう出版するこずができた。
ここで、花子の60代を考えおみたいず思う。
テレビ小説は青春時代が䞻になるものであっお、花子の50代、60代は、それほど長く䞹念に描かれたものではなかった。
けれども、埗るものはたくさんあったず思う。
こうした、50代、60代、70代の幎ごろの特城は、これから私たちが高霢化瀟䌚で、高霢者を理解するためにも、自分自身が高霢になっおいくずきにも倧切なこずであるので、いく぀か思うずころを曞いおみたい。

ひず぀は、「これからは若い人の意芋を倧切にしなくちゃ」ずいうずころである。
幎霢が高くなり、芪や教垫、友達も、幎霢ず共に老いおいったり、亡くなったりもする。
花子もすでに、父芪ず、「赀毛のアン」の原曞をプレれントしおくれたスコット先生を亡くしおいる。
そうしお、先茩や教垫、䞊に立っお教えお導いおくれる人たちを亡くしたあずは、自分が時代の最幎長者になっおいくものだ。
たた、自分の子どもや、仕事を通しお教えおきた子どもたち、花子にずっおは、ラゞオを聎いおいたずいう少幎や、読者であった子どもたちだが、そうした人たちが、花子を取り巻く瀟䌚には、増えおいく、ずいうこずである。
幎長者が枛っお、幎䞋の人たちが増える。
そしお、花子ず倫・英治ず、嚘・矎里は、子どもたちのための図曞通を開く。
これは、花子が老いを迎えたずきの、倧きな仕事ずしおずおも倧事なこずだず思う。
人生で仕事をなしずげた女性が、今床は若い人のために、ずおも倧切な、人生䞊の決断であるように思う。

次に、幎老いおも、倉わらないものは倉わらない、ずいうこずである。
最終回でも描かれたが、花子は、新しい本に出䌚うず倢䞭になっおよみふけっおしたう。
これは、子ども時代から倉わらない。
そしお、女孊校時代ず同じように、初めおの英単語にでくわすず、英語の蟞曞を探しお倢䞭になっお走り回るのである。
この、蟞曞を探しお走り回るシヌンは、花子の性栌を衚すシヌンずしお、ずおも印象的である。
この楜しい性栌は、倧人になっおからも、50歳を過ぎおからも、60歳を過ぎお、有名䜜家になっおからも、倉わらない。
我が子が倧きくなっお、自分自身に癜髪が増えおきおも、倉わらないどころか、たすたす匷調される性栌になるようだ。
私たちも、身近な高霢者ず接するずきに、たるで子どもみたいな性質を目の前にしお、驚くこずがある。
子ども時代からの性質や性栌は、どんなに曲がり角を曲がっおも、どんなに人生䞊の困難を乗り越えおも、結婚しおも子どもを持っおも、倉わらないものだ、ず぀くずく思う。
高霢になればなるほど、もっずもっず、子どもらしい性栌が真ん䞭にストンず立ち䞊がっおくるように思う。
たた、こうしお高霢になるたで残る性質が、圌女の人生を決定した、ずいっおも過蚀ではないような気がする。
それくらい、子どもの時からずっず、本が奜きだった。

次に、花子の「これから」である。
60代になっお、ようやく代衚䜜である「赀毛のアン」を出版するこずができた。
最終回で終わっおしたったドラマをどうこういうのは申し蚳ないが、このあず村岡花子は、「赀毛のアン」のシリヌズを、冊も翻蚳しお䞖に出すこずになる。
75歳たで長生きするのである。
こうなるず、たったく、時間ずの勝負、いや、寿呜ずの勝負である。
私たちも身近な高霢者が、健康法や食事法にずおも興味を持っお真剣に語ったり情報亀換したり、入れ蟌んだりするのを芋おいる。
あずは、寿呜しだい、ずいうずころだ。

花子は、50代、60代、でひず぀のステむタスを築くこずができた。
あずは、よい本をどんどん翻蚳しおいくのみ、である。
生きおいる限り、翻蚳を続けたのだろうず思う。
これこそが、ラむフワヌク、ず呌べるものだろう。

翻蚳者・村岡花子が生たれるたで、実に、50幎、60幎かかったずいうわけであるが、そこたでの苊闘ず、そこから生たれる喜びを思うず、ずおも玠敵な人生である。

教育を受けた女性が、そうでない女性ず比べお、どんなふうにちがった道を歩むこずになるのか、もう䞀床、いた䞀床、よく考えおみたい。
ひずりの女性の人生を、半幎かけお、ゆっくりず、毎日15分ず぀、远いかけおきた。
䞀緒に泣いたり笑ったり、考えたり迷ったりもしおきた。
そうした半幎間を、倧切に、䜕床も䜕床もかみしめおいきたいず思う。
かけがえのない、花子の䞀生だった。
そしお、かけがえのない、2014幎の春倏秋であった。
ありがずう。
ごきげんよう。さようなら!

2014幎9月20日土曜日

NHK「花子ずアン」第25週「どんな朝でも矎しい」感想。

今週も、「花子ずアン」で、朝を迎えた。
気が付けば、25週間ずなり、攟送回数も150回で、残すずころあず6回である。
こうなるず、芋おいるほうもなんずなく、「最埌たできっちり芋終えたい」ずいう気持ちになっおくる。
䞀冊の本を読み終えようずするずき、残りのペヌゞ数が手でさわっおも薄くなっおくるず、なんだかドキドキする。
本圓に残りを党郚読み終えお「完走」できるのか、「登頂」できるのか、䞍安になっおみたり、読み終えるこずがこわくなったり、もったいなくなったりもする。
ちょうど、テレビ局でも、秋の番組改線の時期であり、䌚瀟でも、倧孊でも、幎床の前期が終わり、埌期が始たるころである。

花子の人生の物語も、あの登堎人物はこう萜ち着いお、この登堎人物はこう萜ち着いお、ずあちこちで決着が぀いおくる。
これは、テレビドラマの終盀だから、ずいう理由ではないず、私は思う。
花子の人生が、「決着のずき」を迎えおいるのではないか、ず思う。

若い人たちは、芪の䞖代やその䞊の䞖代を芋おいお、「結果っお衚れるものなんだな」ず思うこずは、ないだろうか。
人生は、生きおきたようにしか死んでいけない、ずも蚀われる。
自業自埗、ずいう蚀葉もあるし、努力は必ず実を結ぶ、ずも蚀う。
誰の、どんな人の人生にも、山があっお谷もあるが、結論が出るずきがあるのではないか。
珟代の䞖の䞭、孀独にひずり老埌を迎える人もいれば、息子や嚘、孫たちに囲たれお、老埌をにぎやかに迎える人もいる。
仕事で成果を成し遂げる人もいれば、手の䞭に䜕も残っおいない人もいる。
はっきりずした蚀い方かもしれないが、あたりにもはっきりずしおいるが、本圓に自分のしおきたこずの結果が、老いたずきに衚れるのではないか、ず思う。

今週は、ヒロむン花子の翻蚳家ずしおの人生、教育を受けた女性ずしおの人生の初めに、ずおも倧きな圱響を䞎えた、父芪の吉平が人生を終えおいる。
花子ずいう嚘、兄効たちを持った、父・吉平の人生も、語るにあたりあるものだ。

父ず嚘の関係ずいうのは、面癜いものだ。
このずころは、父芪䞍圚ずか父芪がいらない、ずかいう説もある。
父芪がいなくおも子どもは子どもずしお立掟に人暩を䞎えられるのはずもかくずしお、果たしお父芪に「父性愛」「父性本胜」がない、ず蚀い切れるだろうか?

嚘たち、子どもたちは、父芪なしで、本圓に、䜳い人生を生きおいけるだろうか?

少なくずも花子には、父芪が必芁であったず思う。
お父さんも、花子を孊校に行かせるために、ずおもがんばった。
経枈的にも、あるいは芪の愛情ずしおも、そしお結婚のずきも、地震のずきも、戊争のずきも、田舎にいお、田舎から出おきお、無償の愛情を泚いだのは、父・吉平であった。

母芪にできるこずはたず「産む」ずいうこずかもしれない。
父芪の愛情は、母芪ずはちがっお、むしろもしかしお、瞁もゆかりもないずころに結ばれる絆だからこそ、尊いのかもしれない。
瀟䌚に出お掻躍しお生きおいくためには、教育が必芁で、䞀生を芋守っおいくこずが必芁だ。
父芪の目ず経枈力ず、深い父性愛が必芁である。

花子の人生が、たずえば、英語でアメリカ人ず察等に話をし、本を出版し、子どもたちを育お、家庭を育み、戊争を乗り越えお生きた蚌を珟実にした、父の吉平は、その立掟な教育の蚌を、目で芋お耳で確かめるのである。

花子はラゞオで、自分の人生を語り始めおいる。
人生ず仕事ず教育が実を結ぶずき、心に初めお浮かぶのが、たくさんの人たちに支えられたずいう、感謝の気持ちなのかもしれない。

2014幎9月19日金曜日

NHK「花子ずアン」感想・番倖線・長男的運呜「兄やん・吉倪郎」

日本䞭に笑顔を涙ず感動をもたらしおいる、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
ラストスパヌトに向っお、物語が終結しおいく様子は、芋おいお本圓に充実感がある。
特にきょう、19日金曜日の攟送では、花子の家族が䜕十幎かぶりに䞀家党員集たるずいう、ずおも幞せな家庭ずなった。
そしお、ずっず長い間察立しおきた、父・吉平ず、長男・吉倪郎が、和解をする、ずいうずおも感動的なシヌンがある。
この父は、蟲家の婿入りをしたのであるが、行商の仕事をしおいお、なかなか家に垰っおこなかった。
この婿(花子の父芪)ず、舅(花子の祖父)も、察立しおいおなかなか家族のなかでは和解できなかったのだが、4月ごろの、ただ花子も吉倪郎も子ども時代、ずいうころでも、父ず息子の察立は、端的に描かれるものであった。
なぜ、父ず息子はこうしお、察立し、反抗しあうものなのだろう。
これは、氞遠のテヌマなのだろうか。

私は、このように考えおいる。
父芪も息子も、ずもに男性である。
男性は、家庭のなかでも、男性瀟䌚を構成しおいる。
䞀般的に、幎長の男性が、この男性瀟䌚のトップである。
そしお、䞀家の長ずしお、リヌダヌシップをずるのが、この男性瀟䌚のトップである。
この、男性瀟䌚の䞊䞋構造がしっかりず組たれおいないず、男性は家庭のなかで行き堎をなくしおしたう。
花子の家でも、舅がいるずきに、居堎所をなくした婿は、倖ぞ働きに出おしたう。
婿が家に垰っおくるず、息子が兵隊に出おしたう。
これは、䞊䞋瀟䌚がうたく組たれおいなくお、居堎所が定たらなくおふわふわしお居心地が悪いせいである。

この男性瀟䌚の「しっかりした組み方」の調敎圹をしおいるのが、この䞀家の女性たちである。
特に、舅にずっおは嚘であり、å©¿・吉平にずっおは劻であり、長男・吉倪郎にずっおは母芪である「ふじ」この女性が、男性瀟䌚のかじ取りを担っおいるのである。

男性にずっおは、「居心地」ず玹介したように、䞊䞋関係が収たっおいるほうが、やりやすいのである。
䞊䞋の䞋なら䞋で、立掟で力あるリヌダヌのもずで働くのは、誇りを持おる圹である。
しかし、この䞊䞋を、しっかりを定めないで、劻・ふじが、息子・吉倪郎のほうを、ずおも甘やかしお可愛がっおいたずするず、男性たちのなかで、䞊䞋関係が逆転しおしたうのである。

倫よりも息子をかわいがり、倫よりも息子のほうを、「立掟だず思う、尊敬しおいる」こういうお母さんがいる家庭は、芁泚意である。

男性瀟䌚をうたく行くようにするのも混乱させるのも、劻次第である。
劻は倫を立おお、きちんず尊敬するこずが倧切だ。

きょうの攟送では、父芪が息子に話すシヌンがあった。
ああいったこずは、本来、ありえない。
男性は口が達者ではないし、こうしたこずを、うたく䌝えるのが男性の仕事ではないのである。
「お父ちゃんが、お兄ちゃんのこずを、こう蚀っおいたよ」
「お兄ちゃんは、お父ちゃんにこうしたこずをわかっおほしいのよ」
こうしたこずを、日々、䌝達圹を果たしおいるのが、劻であり、母芪である女性の圹割である。

面ず向かっお話す必芁に迫られるのは、男性にずっお危機的状況である。
この状況を䜜りださないように、間に立぀女性たちは日ごろから、情報䌝達の圹割、男性には苊手な郚分のフォロヌをしおあげるべきである。
それが、女性の女性らしさであり、圹割なのではないだろうか。

男性瀟䌚の䞊䞋䌝達がうたくいかず、䞊䞋関係もうたくいかない、この安東家では、時代背景から、兄やんが人生䞊の危機にたで远い詰められたずきに、どうしようもなくなっお、無理なストヌリヌをこしらえおしたった。
父ず息子のやりずりは、女性しだいで玠晎らしくよくなる。
このあたりを、綿密に描きこんでほしい、きょうの攟送であった。


2014幎9月16日火曜日

「花子ずアン」感想・番倖線・愛される女性・カペの物語。

朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
攟送終了たであず2週間ずない状況ずなった。
終結しおいく物語を惜しむべく、ここで、ドラマ感想の番倖線ずしお、ヒロむン花子の効である「カペ」のこずを、いろいろに考えおみたいず思う。

カペは、長女の花子が女孊校に入るために、䞀家党員で経枈協力䜓制をずったため、カペ自身は女孊校には進孊できなかった。
そしお、自分で決めお、補糞工堎に女工ずしお䜏み蟌みで働いた。
しかし山梚の補糞工堎は劎働環境がずおもき぀かったようで、そこを逃げ出しおきた。
考えおみるず、花子の呚囲には、厳しい環境から逃げおきた女性ばかりが集たっおきたようである。
花子の腹心の友たる蓮子もそうであるし、花子・カペ・モモの䞉姉効ずしお、モモも北海道の生掻が぀らかったずいうこずで、逃げおきた。
蓮子の元には、やはり苊境から脱しおきた女性たちが身を寄せおいる。

カペは、補糞工堎から脱出しおきたずに、花子が東京の女孊校にいたコネクションで、掋裁のお針子さんずしお働き口を芋぀けるこずができる。
これは、䜏み蟌みであるようだ。
珟代ではそうでもないが、今よりももっず、圓時はコネクションずいうのは、匷い瞁故ずなったようである。
瞁故ずいうのは、信頌の蚌ずしおずおも倧切である。
花子が東京で信頌を築いおいたから、その血の぀ながった効であるカペも、䜏み蟌みの勀め口を芋぀けるこずができたのだ。
その埌、花子は、女孊校を卒業しおから山梚で教員をするのであるが、䞀念発起しお、䜜家になるために、出版瀟で働くこずにしお、䞊京しおくる。
その時には、カペはお針子さんをやめお、銀座のカフェの女絊さんずなっおいる。
このカフェで、花子ず職堎の仲間たち、倫や友達も集たっおさたざたな゚ピ゜ヌドが繰り広げられるのであるから、堎の䞭心ずしお、花圢ずしお、ずおも重芁な圹柄ずなっおいる。
このずきのカペはすでに、「愛される女性」「愛を集める女性」ずしおの性質を、開花させおきおいるように思う。

このカフェ・ドミンゎで、花子ず倫である英治ずの恋愛が玡がれおいく。
カペは、ここで、䞀生涯の愛する男性・郁匥ず出䌚う。
この郁匥は、姉である花子の倫の実の匟である。

カペず郁匥ずの最初の出䌚いは、カフェに来た、郁匥からの「こんにちは」から始たる。
そしお、郁匥の䞀目惚れらしく、郁匥はカペに、小さな花をプレれントしおいる。
それは「勿忘草(わすれなぐさ)」の花で、この䞀枝を、カペの髪に差しおあげおいる。
村岡印刷の次男であった郁匥は、むギリスのロンドンで、最新の印刷技術を孊んで、垰囜したばかりであった。
西欧かぶれ、あるいは、ちょっずバタヌの銙りがするような、ず衚珟するべきであろうか、きざっぜいずころもありながら、にくめない茶目っ気があった。
そしお、その茶目っ気ず倩性の無邪気さで、カペにアタックするのである。

カフェ・ドミンゎを蚪れるたびに、花のプレれントである。
䜜者がどのような思い入れでこうした、匟・郁匥を描いたのかはわからないが、こうした倩真爛挫な男性、その朗らかさは特に女性ぞの恋愛衚珟ずしお衚れおいるのだが、そうした男性は、本圓に玠敵な存圚である。
この郁匥青幎は、兄・英治ず花子ずの恋愛に、圓初、割り切れない思いを抱いおいる。
それは、郁匥が「お矩姉さん」ず呌んでいたのは、英治の最初の劻・銙柄だったからである。
兄・英治が、先劻ずの間柄に悩み、新しく出䌚った女性・花子ぞの気持ちの板挟みになるずきに、匟・郁匥は、「がくは割り切れない」「矩姉さんがかわいそうじゃないか」ず憀慚する。
そうしお、兄の感情、その堎の感情を代匁しおいるのである。
感情を代匁しお発蚀するこずで、兄の気持ちも花子の気持ちも、むしろ浄化され、敎理敎頓されおいくこずができただろう。
こうした、感情の玠盎な男性は、矀像劇には、ひずりはいお、その堎の真実を、あたかも道化のごずく、口にするのである。
郁匥は、そうしたタむプの男性である。
そしお、郁匥の気持ちのなかで、兄・英治ず、のちの劻ずなる花子の関係が了承されおいったずきに、初めお英治ず花子が、本圓に倫婊ずしお認められた、ずいう状況にもなる。
ヒロむン花子にずっおも、ずおも倧切な存圚であった。
本圓のこずを、蚀っおくれる貎重な人であったず思う。
英治ず花子が結婚しお家庭を築く。
この家庭ずは、物理的に「å®¶」を指したようなずころがある。
英治ず花子の結婚生掻が始たったあず、この矀像劇の䞻たる舞台は、ふたりの家、居間ずなる。
カフェ・ドミンゎずいう、瀟亀の堎から、もっず家庭的なサロンの堎ぞず矀像劇の舞台が移っおのち、郁匥はこの村岡家で、もっずカペず芪しくなり、そしお、カペぞのプロポヌズぞず至るのである。

この時期たで、カペの恋心に぀いおは、あたり描かれないずいうか、泚目されないずころがある。
それは、芖点がヒロむンにばかり行っおいたからではなく、カペが、「愛される偎」「遞ばれる偎」であったからである。

ヒロむン花子もそうであるし、その友・蓮子もそうであるが、こうした自立を求める女性は、恋愛に関しお、女性が「遞ぶ偎」「愛する偎」に、なりたがる傟向がずおも匷いように思われる。
そしお、男性ず女性ず、どちらが先に愛し始めたか、ずいう点においお、「私が先に愛し始めた」ずいう、決定打を打ちたいずころがあるように思う。
぀たり、恋愛関係における、積極性であり、䞻導暩を握りたい、ずいう匷い決心のように思われるのだ。
そしお、その䞻導暩ず自䞻性こそが、恋愛ず結婚における、「女性の自立である」ず匷く匷く蚎えたいようである。

しかし、カペは、受け身である。
たず先に、郁匥が䞀目惚れをしお、カペにアタックを始めたのである。
プロポヌズも、郁匥のほうから決断をしお、たたそしおプロポヌズの仕方も、匊楜四重奏の楜団を呌び、ロマンチックな堎所を考え、時間を決めお、服装もびしっず決めお、前日には兄ず矩姉にも日皋を䌝えお、衝動ではない蚈画的な、ラむフむベントを決断したのである。
私は垞々思っおいるのだが、男性にも、「告癜する暩利」「プロポヌズをする暩利」「どんな玠敵なプロポヌズをしようか倢芋お蚈画しお決行する暩利」があるのではないだろうか。
バレンタむンデヌには、女性は「勇気を持っお」告癜するのだが、それは、本圓に、男性にずっお、ありがたいこずなのだろうか。幞せなこずなのだろうか。
䞀時的には男性はバレンタむンデヌのチョコレヌトの数を自慢しあったりしお有頂倩であるが、最終的には、告癜する女性たちは、男性の人生䞊ずおも玠敵な䜓隓ず暩利を、はく奪しおしたっおいるのではないだろうか。
確かに、女性から「奜き」ず蚀っおもらえれば、男性にずっおは、䞀芋、楜に思えるかもしれない。
誰かを奜きになっお、遠くから芋おいお、たず䞀声かけお、名前ず顔を芚えおもらっお、デヌトにさそっお、お話をしお、そのお話が意気投合しお、ず恋愛を進めるのは、ずおもずおも険しく曲がりくねった道なのである。
そのワむンディングロヌドを䞀気に瞮めおくれるのが、女性からの告癜ず、女性からの積極的な恋愛行動である。
こうした、恋愛ロヌドの短瞮は、男性にずっお、「圌女ずの䞀生の思い出」がないたたに、結婚匏になっおしたった、ずいう結果になる。
女性に䞻導暩を握られお、どっちが誰を愛しおいたのか、本圓に圌女ず結婚をしたいず思っお決断した理由がなんだったかわからないたたに、結婚生掻が始たり、続いおいくこずになる。

぀たり、女性が䞻導暩を握っお愛し始めた状況では、男性にずっおは、「だっお、ボクのほうから君を遞んだわけじゃないでしょ」「ボク、ひずこずもそんなこず蚀っおないよ」「結婚したいっお蚀ったの、君じゃないの、ボク蚀っおないよ」ずいうこずになる。
そしお、困難があったり、劻のほうから蚀い出した話合いに、「ボク、関係ないからね」ず逃げ出すこずにもなったりする。
家庭のなかで「ここ䞀番」ず男性に䞻導暩を握っおもらいたいずき、決断しおほしいずきに、「ボク、君ず結婚するっおい぀決めたっけ?」ずなっおしたうのではないか。

そうした結婚生掻を続けおいくのは、山坂ある人生、なんだか぀らかったり、乗り越えられなかったりするものではないだろうか。

しかし、カペのように、女性が恋愛に関しお、受け身であるず、男性は、「ボクが考えに考え抜いお決心した人」「ボクが遞んだ人」ずいうこずになる。
そしお、愛情もたくさん持っお、この女性を倧切に守るようになるだろう。
女性の立堎からするず、積極的に「愛する」ずいうよりは、男性から心づくしで「愛される」ずいう状況になる。
愛に包たれ、思いやりに包たれ、男性の力匷さず勇気ず決断に垞に守られおいる状況である。

カペは、郁匥からプロポヌズを受け、そのお返事をする前に、運呜の打撃に遭っおしたう。
関東倧震灜がで郁匥が亡くなったのである。
このずき、カペは人間ずしお女性ずしお、本圓に぀らい䜓隓をする。
この状況から立ち盎るには盞圓の時間ず気持ちが必芁だった。
しかしカペには、「愛された」ずいう䜓隓が残っおいる。
郁匥の愛は、カペの身を包んでいるかのように芋える。
愛される䜓隓は、重ねおみないずなかなか、わからないものである。

どうしお女性は、「遞ばれる」より、「遞ぶ」ほうを、自立だず捉えるのだろう?
誰かに遞ばれおから、その人を愛するこずは、できないのだろうか。
どうにも女性は、誰かに先に愛されおしたうず、気が匷かったり、䞻導暩が握れないこずが蚱せなかったりしお、誰かから先に愛の告癜を受けるず、絶察に断らずにはいられない、ずいうタむプの人が、いるようだ。
それも、たくさんいるようだ。

愛される女性・カペの、「愛された」「花を莈られた」「プロポヌズをされた」ずいう愛され䜓隓は、誰も描くこずはないのだろうか。
郁匥に先立たれたあずも、カペは、郁匥の愛に包たれながら、力匷く、自分のラむフワヌクである、新しいカフェ、自分のお店を開く。
これは、女性ずしおは、ずおも力匷い行動力である。
こうしたずきに、カペを支えおいるのは、郁匥を愛する思いず、愛された思いであるだろう。
店を続けるこずが、郁匥ずの思い出を玡ぐこずになるのだろう。
郁匥の時蚈が、お守りのように、カりンタヌのうしろの棚に眮かれおいる。

このお店はずおも繁盛しお、軍人さんたちもたくさん集たった。
人が集たる、ずいうこずは、たくさんの人から奜かれる、愛される、ずいうこずである。
カペはいわゆる、愛される性栌になったのだろう。
戊争䞭にカペは、婊人䌚の䞀員ずしお、軍人さんを応揎する立堎になるのだが、それは、軍人さん぀たり、男性の気持ちがよくわかるようになっお、戊争のぜひや理屈はずもかくずしお、がんばっおいる男性を心から応揎する気持ちに、自然な心の発露ずしお、思ったのだろうず思う。

今週の攟送では、カペも40代なかばを越えおいるが、やはり独身のたたである。
それは、蚀うたでもないが、郁匥を今も愛しおいるからである。
空襲を逃れた、郁匥の思い出の本を、抱きしめた。
圢ずしお䜜ったカフェは空襲にずもなう火事でたたもなくなっおしたったけれど、カペには愛された思い、が残っおいる。
愛されるこずが、氞遠の愛に぀ながるかのように、カペの笑顔はふっくらずしお、故郷の林檎のように愛らしい。

2014幎9月13日土曜日

NHK「花子ずアン」第24週「生きおいる蚌」感想。

ひずりの女性ヒロむンの半生を描く、NHKの朝ドラマ。
ドラマの攟送党䜓を芋おいるず、半幎間の攟送もラストに入るず、䜕か勢いずいうのがなくなっお、芋おいるほうも、のんびりずした雰囲気になっおくる。
これは、ヒロむンの人生が、やはり若かった時期よりも、幎霢がいった時期のほうが、勢いや動きずいうのが少なくなっおくるからだろう、ず思われる。
たた、やはり、人生ずいうのは、若い時代が䞀番、躍動しおいおフレッシュなのだろう、ず思われる。
それは、誰の人生にずっおも、そうなのだろう、ず思う。
そしお、芖聎者ずしおも、芋おいお感情移入できるかどうかは、ヒロむンの幎霢ず自分の幎霢ず、あるいは経隓ずで、重ね合わせられるものがあるかどうか、ずいう点が倧事かもしれない。

花子の人生も、埌半に入った。
昭和20幎は1945幎であるから、1983幎生たれの花子も、52歳である。
䞉十代のなかばから、倫ずなる村岡英治にその才胜を芋出されお、翻蚳の仕事を始めおから15幎はたっおいる。
その間に、結婚があり、子育お、結婚、ラゞオの仕事、ず数々のラむフむベントがある。
そしお、50代ずなるず、仕事の面でもプラむベヌトの面でも、萜ち着きが出おきたずころだず蚀えるだろう。

時代背景は、戊争が起こっおいる。
戊争の描き方はいろいろあるだろうけれども、朝ドラの描き方の基本ラむンずいえば、戊争の時代に、庶民がどういう気持ちで、どんな暮らしをしおいたか、ずいう䞀点だず蚀えるだろう。
そういう点で、「花子ずアン」は、戊況や囜ず囜ずの様子、政治や軍隊を描いおはいないのは、朝ドラのラむンを螏襲しおいるからだず蚀える。
しかし、ヒロむン花子は、蚀論人であり、瀟䌚掻動家でもある。
戊争ず平和に぀いお、あるいは囜のあるべき姿に぀いお悩むこずも発蚀するこずもあっただろう。
珟代の日本でそれを、NHKドラマでヒロむンに発蚀させるこずは、どうか、ずも思われる。
特に、癜蓮こず、宮本蓮子ず、思想䞊で袂を分か぀あたりなど、もっずもっずポむントをしがっお描きこむこずも可胜だった、ず蚀えるだろう。

そういった点で、今回の朝ドラは描くこずがむずかしい面はあっただろうず思う。

しかし、今週の花子のテヌマずしおは、50代を迎え、戊争ずいう時代背景、ゞフテリアで2か月も寝蟌む、子どもは育っおいく、ずいうあたりで、仕事の面で、ラむフワヌクに入った、ずいうずころが、ずおも倧事だず思う。

ずいうのは、人生が、䜕かを成し遂げようず若い時代を登っおいく時期もあれば、ある時期には、自分の人生に限りがあるこずに気が付き、残りの20幎、30幎で、䜕をしようか、自分が生きた蚌ずしお、この䞖界に䜕を残しおいこうか、ずいう発想になるのではないか、ず思われるからだ。

ドラマの花子は、若い女優が挔じおいるからか、幎霢をあたり感じさせないが、すでに癜髪が少しず぀芋えおいる。
倫の英治も幎霢に達した挔技をしおいる。
そしお、山梚の䞡芪も、兄効も友達も、䞀緒に老いおいっおいる。
子どものころ、「はなたれ」などずいっおからかっお遊んだ幌なじみも、すでに壮幎の域に達しおいる。
そうした、幎霢ず時代背景のなかで、残りの人生を、粟䞀杯充実したものにしよう、ず、花子には次の転機が蚪れおいるのである。

特に、病気は、呜ずいうものを感じさせるだろう。
そしお、戊時䞋であっおも、戊争が終わるのを埅぀のではなく、そんなふうに埅っおいるだけでは寿呜はどんどん燃えお行っおしたうものであるから、どんな状況であろうず、仕事を始めるのである。

これは、教育を受けた女性、仕事を持っおいる女性に蚪れる、50代の転機ではないか、ず思われる。
珟代でも、60歳の定幎を控えお、老埌を考えるずいう、真摯な詊みが、たくさんの人たちにおいお、行われおいる。
そこには、老埌の人生、残りの人生を、ただ趣味で費やす、孫育おで費やすのずはちがう、仕事の円熟ず成熟があるように思う。

花子の人生は、実際には、呜を考えるほど残りは短くはないのだが、このあたりで真剣なラむフワヌク、呜を䜕に䜿うのかを、考え、決定するずころが、本圓に働く女性の人生ずしお、芋ごたえのある週であった。

2014幎9月6日土曜日

「花子ずアン」第23週「アンずの出䌚い」感想。

春、桜咲く4月から半幎間のお付き合い、倧奜きなテレビのお友達「花子ずアン」もずうずう秋9月にはいった。
今週は、物語もラストクラむマックスにはいり、ずうずう花子はアンず出䌚う。
「アンずの出䌚い」ずいうタむトルが、ずおも䞍思議な可憐なかんじがする。
アンずいう少女は、「赀毛のアン」ずいう小説の䞻人公であるが、たるで生きおいる少女であるかのように、この小説ずの出䌚いを、䞻人公ずの出䌚いに芋立おた衚珟である。
私たちも、小説のなかの䞻人公、圹柄、ドラマや映画のなかの圹柄を、実圚する人物のように、友達や恋人のように思ったりする。
䞖界的名䜜文孊には、そうしたファンがたくさんいるようで、アンも、たくさんの女子たちのお友達である。

圓時、海倖文孊を日本に玹介する䜜家や出版瀟、翻蚳家は、少なかったのかもしれない。
英語に習熟しお、原曞を読む力のあった花子は、そうした状況のなかで、日本に海倖文孊を玹介する胜力ず圹割があったずいえる。
それでも、たずえば、花子の語孊力に着目しお、「こうした本を玹介したい」「こうした本を玹介しおください」ず、呚囲の人たちが、原曞を持っお花子のもずを蚪れお、䟝頌するこずは倚かったようだ。
翻蚳者・花子自身の着県点や遞択県も重芁であるが、こうした呚囲の人たちの働きかけも倧事だったずいえるだろう。

そしお、その䞭の䞀曞が、「赀毛のアン」であったずいうこずである。
おそらく圓時、花子のもずにはたくさんの原曞が持ち蟌たれたであろうし、たた花子の仕事ずしおも、時間ず劎力には限界はあるものだから、遞ばれた䞀曞ずいうわけである。
その「赀毛のアン」を持っおきおくれたのが、花子の女孊校時代の恩垫である、スコット先生である。
4月からずっず、花子の少女時代のずきも、テレビを毎日芋おいた私には、ずおも印象的な堎面で、本圓によく芚えおいた。
女孊校では、寄宿舎も含めお、党員が英語だけで話をしなければならないずきがあり、特に授業は英語だけであった。
山梚から出おきお方蚀もただ抜けない、東京語ずいうか暙準語もただ話せない花子にずっお、蚀語の壁は本圓に厚かっただろうず思われる。

そのずきに、矎しいメロディヌずずもに、花子の耳ず心に入っおきたのが、スコット先生の歌う、歌であった。
寄宿舎から抜け出そうず思ったり、塀のずころたできお家族ず話をしおいる花子の耳に、倜のしじたに、その歌声は響いおきた。
スコット先生は、カナダからきた教垫である。
あの時代、明治時代に、はるばるカナダから倪平掋を越えお、アゞアの日本の女性たちの教育のために、䞀生を捧げる芚悟で枡っおきた、女性教垫である。
その心は、どんなものだったろう、ず思う。
寄宿舎の倜では、遠くカナダの恋人を思い、手玙を曞きながらこの歌を歌っおいた。
どんなに恋人を恋しく思っおいただろう。
それでもスコット先生は、アゞアの女性教育のために、芚悟を定めお、日本に来おいたのだ。
そうしお、修和女孊校の女孊生たちを育おた。
そのなかのひずりが、村岡花子だったわけである。
どんなにか、うれしかったろう、ず思う。

恋人を思う歌ず、教育ぞの芚悟、矎しい歌声に、スコット先生のあふれる慈しみを感じる。






The Water Is Wide (スコットランド民謡)

The water is wide, I cannot cross over.
And Neither have I wings to fly.
Give me a boat, that can carry two,
And both shall row, my love and I.

2014幎8月31日日曜日

「花子ずアン」第22週「新しい家族」感想。

今幎の春から始たったドラマ「花子ずアン」。
の朝の連続テレビ小説では、ひずりの女性にスポットを圓おお、その半生を描くものだ。
䞡芪の出䌚いから、幌い子ども時代、孊校に䞊がる時代、就職掻動、恋愛ず結婚、仕事ず友情、これらを描いお、物語は人生の埌半戊に入っおいく。
今週の「新しい家族」では、幎代が「あれから5幎」ずいうふうに飛びながらも、花子の人生の埌半が、進んでいくようである。
花子は40代に入り、だいたい45歳ごろであろうか。

女性の人生の、本圓の充実期は40歳からである、ずいう話をどこかで聞いたこずがある。
䜕かの歎史小説や西掋の栌蚀にも、やはり女性の人生は40代からが本番である、ず曞かれおいたこずを思い出す。
それは、特に女性は、10代、20代で、若い時代のずきのほうが、華やかで矎しいからではないか、ず思う。
ただ「若い」ずいうだけで、本圓に茝かしいものだず思う。
それはそれで、若い時代を倧切にするべきだず思う。
しかし、人間ずしおの本圓の深みず、10代、20代で䜕をしおきたか、ずいうその結果は、やはり40代になっお衚れるのではないか、ず思える。

物語のヒロむン・花子も、10代、20代では、玆䜙曲折ず悩みず葛藀の連続であった。
女孊校に入っお孊んだものの、自分の生き方が定たらず、家族ずの間で、それでもそのずきそのずきで、最善の遞択をしおきたず思う。
特に、女孊校を卒業した埌に、郷里に戻っお教員をしたこずが、その埌の職業を考えるず回り道になっおおり、そうした遠回りを、ひず぀ひず぀自分の人生の蓄えにしおきたこずが、花子の40代に぀ながっおいるように思える。

そこには、小孊校の教員だったころの、「子どもたちにお話を聞かせたい」ずいう気持ちが䞀筋、芯が通っおいる。
たた、䞀筋芯が通っおいるのずはたた別に、䜏む堎所も倉わり、人間関係も倉わり、結婚しお劻ずなり、母ずなっおいる。
そしお、仕事も、翻蚳ず、「ラゞオのおばさん」ずなっおいる。
倉わらない目的ず、次々に倉わる職皮ずが、圌女の葛藀を物語っおいるようだ。
そしおそれらすべおを財産にしお、その財産ずは、瀟䌚的な地䜍であったり、職業であったり、すでに出版した本であったりするが、そこで、40代が花開くのである。

すでに、「ラゞオのおばさん」の仕事は、毎日倕方の「コドモの時間」ずしお安定しおおり、䞡芪や効たちには、自分自身の力で楜をさせおあげられるほど、経枈力を身に着けおいる。
この週では、北海道に嫁いでいた効のモモが、東京に来お、新しい人生を始めおいるが、この効が、新しく、近代的な生掻を始めるこずができたのも、苊境から立ち盎るための手助けをするこずができたのも、花子自身が、キャリアを積んできたからである。
そのキャリアずは、仕事であり、家族でもあるだろう。
たた、家族が自宅の敷地内で皌働させおいる、印刷所兌出版瀟でもある。
ここの仕事は順調であるようだ。

自分の仕事、翻蚳やラゞオの仕事が順調で、倫の仕事、印刷所兌出版瀟が順調で、この状況の花子、45歳過ぎの花子には、経枈的にも瀟䌚的地䜍も安定しお最沢な状況であったこずがうかがわれる。
これが、教育を受けお、その教育を瀟䌚に発展させお努力しおきた女性の姿である。

たた、「新しい家族」ず衚題にあったように、圓時はよくあったこずだったようだが、効・モモの実の嚘を、村岡家の逊女にするこずができた。
これは、子ども䞀人を逊う力があったずいうこずである。
育おる力でもある。

この週からは、時代は戊争の状況に入るようだ。
そしお、いよいよ、モンゎメリ「赀毛のアン」ずの出䌚いである。
友たちも充分に力を぀けお、女流䜜家ずしお掻躍しおいる。
「赀毛のアン」ずの出䌚いは、40歳過ぎおからだったのか、ず今さらながらに感慚深いものであるが、それこそが、40歳たで、努力を積み重ねおきた、孊び働く女性ぞの、人生埌半ぞの結実であり、プレれントでもあるのだろう。
40代ずいう、人生の成熟に向っおの、これからの「花子ずアン」ずおも楜しみである。



2014幎8月27日氎曜日

「花子ずアン」䞻題歌「にじいろ」感想。


衚珟ず日本語の間。
倏䌑みも終盀ずなった。
孊生の皆さたには、倏䌑みの宿題がたっさかり、ずいうずころである。
受隓生や浪人生の皆さたには、「倏が受隓の倩王山」ずいうこずで、充実した孊力づくりに取り組めたのではないか、ず思う。
私は、自分自身が、こうしお文章を曞くこずでさたざたな掻動をしおいるので、教育問題は、ずおも倧切なこずだず垞々思っおいる。
いろいろず考えたが、やはり私は、自分が文章を曞くから、ずいう理由だけではなしに、やはり日本語、語孊力、ネむティブな母囜語の語孊力が䞀番倧切だ、ずいうこずが、孊力ず教育に䞀番に蚎えたいこずである。
私は、䜕よりも「正確な日本語」の習埗が、䞀番倧切なこずである、ず考えおいる。
正確な日本語は、のかなった日本語であるが、これは、事実を正確に䌝えるメディアやニュヌス番組などの、文章が䞀番であるように思う。

ここで、正確な日本語ず、文孊的衚珟に぀いお、具䜓䟋を瀺しおよく考えおみたい。
朝の連続テレビ小説「花子ずアン」は、クランクアップを迎えたようであるが、攟送はただただ続いおいる。
みなが毎朝、目にしお耳にする、テヌマ゜ングの歌詞を䟋にずっおみるず、正確な日本語ず、文孊的衚珟のちがいがわかりやすいので、曞き分けおみたいず思う。

♪ これから始たるあなたの物語
これは、「これから始たる○○の物語」ずなるこずが、正確な日本語である。
たずえば、「これから始たるりサギの物語」
「これから始たるミッキヌマりスの物語」
などずいうように、○○には、名詞が入るべきである。
「だれの」あるいは「どんな」物語なのか、ずいう修食語になるはずだ。
しかし「あなたの」は、二人称である。
名詞にすれば、正確な日本語衚珟であるが、ここで二人称にしたのは、「ひずひねりした」日本語の修食ずなる。
このあたりで、文孊的衚珟ずなるが、これは、「䌝える」日本語ずしおは、ずおもわかりずらい。

♪ ずっず長く道は続くよ
䞀行目に、「これからあなたの物語が始たりたすよ」ず呌びかけおいるにも関わらず、今床は、「道」が䞻語になっおいる。
これは、考えようによっおは、䞀行目に「あなた」に呌びかけたので、「これから始たる道は長いですよ」ず道に぀いお説明したようになっおいる。
しかし、䞀行目では道は出おこないので、「物語むコヌル道」ず考えたほうがよいだろう。

♪ 虹色の雚降り泚げば
「詩なので」ずいうこずで、ありえない物が登堎しおくる。
このあたりでは、詩的衚珟ずしお、「虹色」の䞃色が、詩党䜓に圩りを醞し出しおいるず捉えられる。
しかし、新聞、メディアでは、絶察に䜿わない、䜿っおはいけない衚珟である。
もし、「本圓に」虹色の雚が存圚するずすれば、それは人工的にむンクで染色した氎ずいうこずになるだろう。
このあたりでは、文孊的衚珟ずしお意味をかんぐれば、「色ずりどりの倢や垌望にあふれた雚」ずいうこずになるかもしれない。
しかし、これたた、「倢や垌望」ず、「雹」の印象は、ずおもちがうものであっお、「雹」は、䞀般的には、暗い、灰色の空、どんよりずした雲、ずセットになるものである。

♪ 空は高鳎る
䞀般的に、「胞が高鳎る」「心が高鳎る」ずいう衚珟はあるが、「空」がどんなふうに高鳎るのか、意味䞍明である。
これは、文孊的衚珟であろう。

♪ たぶしい笑顔の奥に悲しい音がする
「笑顔」に「奥」はないし、「音」もない。

♪ 寄り添っお今があっおこんなにも愛おしい
䞀行目に「これから物語が始たる」ず宣蚀しおいるにも関わらず、「過去からこれたで寄り添っおきお今がある」ずいう過去からの話になっおいる。

♪ 手を぀なげば枩かいこず
嫌いになれば䞀人になっおいくこず

これは、○○すれば△△である、ずいう話法の繰り返しだずするず、
手を぀なげば枩かいこず、
䞀人になれば嫌いになっお(冷たく)なっおいくこず
ずするのが、正確な手法である。

♪ ひず぀ひず぀があなたになる
ひず぀ひず぀、人生䜓隓を積み重ねおいけば、それが○○になる、ずいうわけである。
しかし、その○○には、名詞がはいるべきではないだろうか。
ひず぀ひず぀積み重ねおいくず「あなた」ずいうアむデンティティになる、あるいは、「あなた」の人生になる、歎史になる、あなたのドラマになる、ずいう蚀い方になるだろうか、このあたりをすばらしく端折っおいるようである。
党䜓に「ひず぀ひず぀があなたになる」では、そのたたでは日本語ずしお通じない。

♪ 道は続くよ
ここで、䞀行目、二行目、に垰っおきお、詩ずしおは完結したこずになる。
締めくくり方ずしおは、これで的を射おいたようである。
それにしおも、わかりずらい歌詞であった。
ここで、できるだけわかりやすく、倉換しおみようず思う。

♪ これから始たるあなたの人生の道、ずいう物語
人生の道はずおも長く続くものなんですよ
虹色の倢や垌望が雚のように降り泚ぐでしょう
倢や垌望を考えるず胞の錓動が高鳎りたす
笑顔ずいうのはずおもたぶしいものですが
笑顔ずいう喜びず泣き声ずいう悲しみは、同時に存圚するものです

人ず人は寄り添っおいけば愛おしさが湧いおくるものですが
䞀床嫌いだず思っおしたうず孀独になっお寂しい思いをしたす

愛するこずも孀独も、倢も垌望も、笑顔も悲しみも、
ひず぀ひず぀を䜓隓するごずに、あなたの人生は積み重なっおいきたす
そのようにしお、あなたの人生の道は続いおいくのです ♪

私は、この朝ドラテヌマ゜ング「にじいろ」の䜜詞・䜜曲・ボヌカルを担圓しおいる絢銙ずいう女性シンガヌ゜ングラむタヌをずおも尊敬しおいるので、こうした文章の翻案は、絢銙さんぞ、なんらかの文句を぀けたいわけではない。
ただここで、日本語の文孊的衚珟ず、正確な䌝達衚珟ずのちがいを、明確にしたいだけである。
日本語の文孊的衚珟では、倒眮法であったり、䜓蚀止めであったり、文孊であるがゆえのさたざたな比喩を䜿う。
そうするこずで、矎しい日本文孊の衚珟が芞術ずしお完成するわけであるが、意味䌝達ずしおは、ある意味、これほどたでにわかりずらいのである。
それはあたかも、私が䟋をずっおこうしお曞きならしおみたずおり、英語の文章を翻蚳したかのようになる。

珟代の日本語教育は、日本の文孊的衚珟の意味や文化をくみずり、理解しよう、ずいう点が目的になっおいるように思う。
しかし私は、文孊的衚珟の前に、基瀎的な、日本語の正確な䌝達力が必芁であるように思う。
基瀎的に正確な日本語を、たず理解するこず、そしお、次に、自分の意思や考えを曞き䌝えるこずである。

ネむティブな母囜語の正確な習埗は、æ•°å­Š、歎史、理科、英語にもずおも圹立぀。
たずえば、数孊であれば、文章題ずいう問題がある。
数孊の方皋匏は、文章をそのたた数孊蚘号を䜿っお曞き盎したものである。
そこでは、数字ず数字ずの関係性が瀺される。
ずずの関係性を正確に衚すのは、蚀葉も同じ圹をしおいるのだ。

たた、歎史もそうである。
挢字や蚀葉、圢容詞がわからなくお、どうしお固有名詞が芚えられるだろうか。
芚える以前に、歎史の教科曞を読みこなさなければならないのである。
歎史の教科曞は、珟代にはないような抂念や思想もあらわされる。
ただ経隓も少ない若い人たちに、歎史的抂念を教えるには、歎史の教科曞に出おくるたくさんの蚀葉を、理解しなければならない。
「革呜」「政府」「䞻矩」「王制」「暩力」等々である。
これらの蚀語の意矩を、ひず぀ひず぀、理解しお確認しなければならない。

そういった意味で、理科もそうである。
理科は、実隓の結果、実際の珟象ず蚀語を結び付けお理解しお芚えなければならない。
英語は、もちろんのこずである。
母囜語の日本語をほずんど理解しないたたで、別の蚀語を芚えるのはむずかしい。
最近では、特に発音やむントネヌションの関係から、幌少の時期から習埗を始めるこずが倧切にされおいるが、発音ず、それず「意矩を理解する」のずは、別のこずである。
たた、英語には、瀌儀䜜法や人間関係のありかたも反映されるので、それらの総合的な孊習も必芁ずされるだろう。

珟代の若者は、シンガヌ゜ングラむタヌの、すでに基瀎的日本語の䞊に芞術的衚珟を身に着けた絢銙さんの歌を聎いお日本語を芚えようずしお、理解䞍胜に陥っおいるのではないだろうか。

正確な日本語を、芞術的衚珟ずは別に、しっかりず基瀎力ずしお、習埗する必芁がある。
それは、おそらくは、小孊校の教科曞から、立お盎すべき教育方法である。


2014幎8月24日日曜日

「花子ずアン」第21週「ラゞオのおばさん誕生」感想。

絶賛攟送䞭の「花子ずアン」。
倏䌑みの子どもたちも巻き蟌んで、昭和の時代や、女性たちの生き方、ずきには女性たちのファッション、あるいはずきには、ヒロむンずその友達の「倫」「圌氏」「恋愛」をめぐっお、華やかに話題が起こっおいる。
私はこうした、誰もが芋おいるようなテレビドラマを題材にしお、䌚瀟や孊校で話題にしたり、あるいはツむッタヌやブログで、ミニ蚎論をしおみるのは、ずおもよいこずだず思っおいる。
今週「ラゞオのおばさん誕生」では、特に、働く女性である花子を支える、倫の働きが際立った週であったず思う。
もずもず䜜家であり翻蚳家である花子に、ラゞオの仕事が舞い蟌んできたのは、「腹心の友」である、蓮子の぀ながりである。
蓮子が以前の結婚で九州にいたずきに、確か「犏岡日報」ずかいうような新聞瀟で、蚘者をしおいた黒沢ずいう男性が、東京に来お、ラゞオの仕事をしおいたのである。
そしお、ラゞオで、子ども向けに、「女性の声で攟送をしたい」ずいう芁望が発生したずきに、花子に癜矜の矢が立おられたのである。
翻蚳家である花子になぜ、ラゞオの仕事が来たのだろうか。
今では、䜜家がラゞオ番組を担圓するこずはめずらしくはないが、花子の仕事はどちらかずいえば、女性アナりンサヌのような蚘事の読み䞊げである。
圓時も今も、教育を受けた女性、賢い女性、西掋颚の思想を身に着けた女性、そしお、臆するこずなく積極的に前に出おくる女性は、ずおも重宝されたように思う。
その重宝ぶりは、ただ、「賢い女性が少ないから」ずいう理由であるようだ。
それにしおも、ラゞオの仕事ずは、たいしたものである。
圓時ずしおはずおも珍しく、先駆けであり、誰もがうらやむ仕事だったのではないだろうか。
仕事の話を持っおきたのは、䜕よりも腹心の友、友はコネクションも呌んでくれる。

この仕事を、「匕き受けおみたら」ず優しく埮笑んでくれたのが、倫の英治である。
たた、ラゞオ局に挚拶に行くずきに、保護者のように連れお行っお、男性同士の瀟䌚の匕き継ぎをしおくれたのが、倫の英治である。
たた、攟送の仕事で緊匵するから、ず、子どもの写真を持たせおくれたのも、倫の英治である。
女性が瀟䌚で仕事をするずきに、保護ずなり盟ずなり、仕事の仕方を教え、瀟䌚の仕組みを教え、ずきには、緊匵のほぐしかたや䌑み方たで教えおくれる、それが、倫の圹割であった。
女性が、瀟䌚のなかで、胜力を出し切っお仕事をするためには、䜕よりも呚囲の人々、そしお、男性の支えが必芁ずなる。
その「男性の支え」ずは、職堎の男性であり、家族である。
父であり、倫であり、兄でもあるだろう。
花子は、父にも倫にも兄にも恵たれ、觊発を受けおいる。
たた、今週は、職堎で、厳しい扱いを受けるのだが、これは詊緎ずいうよりも、やはり仕事は厳しい、甘い考えではやっおいけない、ずいう教蚓であるように思う。
たるで嫌味を蚀っおいるような、先茩のアナりンサヌであっおも「アナりンスずいうのはこうあるべき」ず厳しく諭しおくれおいるようである。
こうした䞭で、花子は、仕事ずいうものを䜓埗しおいくようである。

ここで、効の「もも」が、花子の仕事に挑む様子を芋おいるシヌンがあるのだが、「もも」は、䜕を感じただろうか。
私は、教育を受けた女性ず、受けなかった女性ずの栌差を感じる。
たた、結婚に恵たれた女性ず、恵たれなかった女性の栌差を感じる。
たたもうひず぀蚀えば、「奜きな男性ず結婚できた女性」ず、そうではなかった女性ずの栌差を感じるものである。
どちらにしおも、花子の職堎での苊劎は、効のももには、かけ離れた䞖界であるこずが物悲しい。
この家の姉効間栌差をどうこう蚀うのは、簡単なこずである。
しかし、父芪の吉平にしおみれば、子どものうちの誰かひずりに力を入れお教育をし、兄効たちはそれを経枈面で支えた、そのたわりたわった経枈効果が、20幎埌、30幎埌に出おいお、効たちも䞡芪たちもよい暮らしぞず向䞊しおいるのではないかず思われる。

それにしおも、北海道の開拓から逃げおくるなんお、北海道民ずしおは、「どうなのかな」ず思えるずころもあった。
みんな苊劎しお、原野を切り拓いお、今の雄倧な北海道があるのだ。
自由ず民䞻ず、西欧颚な気颚を楜しめればよかったのに、ずちょっず残念に思う。

今週の、「ラゞオのおばさん誕生」では、ストヌリヌの流れが掎みずらいずころがあり、来週から来月のラストに向けお、぀ながりの週だったのではないか、ず思われる。
来週からはいよいよ、蓮子ず花子ず、女流䜜家たちの、女性解攟運動が始たるのではないか、ず思われる。
これは芋逃せないずころである。

ずころで、村岡英治ず花子の挔技であるが、結婚しお䜕週間、いや䜕幎か経ったからか、ずおも倫婊らしくなっおきた。
花子の䞡芪圹が、本圓にほのがのずした、これ以䞊ないほどの倫婊を醞し出しおいるのを考えるず、ただただ初々しいかんじもする。
これから、女性解攟運動に、花子が参加しおいくにあたっお、倧きなテヌマずなるのが、その倫たちである。
花子が仕事を持぀女性であるこず、劻が仕事をしおいるこずを、倫はそんなに手攟しで応揎できるものだろうか。
もちろん、理想ずしおも、倫が自分自身で持぀䞻矩ずしおも、「女性は仕事をするべきだ」「女性の仕事を応揎するべきだ」ずいう匷い意志はあるだろう。
しかし、女性の瀟䌚参加は垞に、男性のプラむドずの戊いである。

職堎の先茩や、孊校の先生、仕事の仲間なら、男性が女性を心から応揎し励たすこずはあるだろう。
しかし、倫ずなるず話はたたちがっおくるのではないだろうか。
実際に、仕事を持぀女性が、倫婊䞍仲のために離婚にいたったり、仕事を続けおいくために女性が、「結婚か仕事か」の遞択にせたられ、仕事を遞ぶこずは、倚いのである。
たた、珟代の瀟䌚でも、女性の瀟䌚参画のために、男性の応揎や、なかでも、「意識倉革」が必芁だず蚀われおいるが、その意識倉革を、どのようにやり遂げお行けばよいのだろうか。
今、村岡英治に降りかかっおいる課題は、たさにそのあたりである。

䞀方、蓮子の珟圚の倫である、宮本韍䞀は、蓮子ずの結婚前から、䞻矩䞻匵ずしお、女性の自立、女性の自由を蚎えおいたずころがあり、ここは鉄板ずなっおいるようだ。
本圓に、本圓に、だがしかし、「倫」ずいうものは、劻の自立を、手攟しで、なんの障害もなく、乗り越えおいけるものなのだろうか。

倫ずいっおも、男である。
男ずしお、䞀人前かそれ以䞊の仕事をしたい、もっずもっず成功したい、ずいう気持ちは匷いのではないだろうか。
そしお、そのずきに、劻に仕事や人生の「支え」になっおほしい、仕事の手助けをしおほしい、仕事のスタッフになっおほしい、ず思うものではないだろうか。
たた、昭和初期のこの時代、ほかの倫婊が、劻が倫を立おお支えお、立身出䞖をさせおあげおいる状況のなかで、英治ひずりが、「私は劻を支えたす」「劻の成功が倫である自分の成功です」ず蚀えるものなのだろうか。
倜、劻が仕事で家を留守にしおいるずきに、ひずり台所に立ち、自炊をする倫が、劻の仕事ず仕事での成功を、劬むこずはないだろうか。

もずもず、倫婊は察等であり、平等である。
これは、江戞時代でも平安時代でも倉わらない。
この倫婊の察等意識が、劻の仕事を支えるべきずいう、䞻矩䞻匵ずぶ぀かるずき、英治の心のなかで、葛藀は起こらないものなのだろうか。
来週以降の、「花子ずアン」では、倫婊の葛藀も芋せおほしいずころである。
たた、それを乗り越える英治の姿も、芋せおほしいずころである。
たた、女性解攟運動に䌎う、男性たちの抵抗ず、意識倉革も、倧いに期埅するずころである。