2014年は、日本という国にとって、「台風の当たり年」と言えるのではないだろうか。
今週もまた連休をめがけて、大型台風が南から近づいてくる。
秋の行楽シーズンに、さまざまな楽しい予定を立てていた人も、台風にはかなわない。
一年に一度の、秋の旅行が、日程変更を迫られた人も多いことだろう。
本当にそれだけで、「へこむ」ものだ。
2014年今年は、台風の当たり年、というだけでなく、2月には、大雪が二週間続いたこともあった。
あの大雪で、都知事選の方向性がぐっと変わったのではないか、とも言われているので、人の心も政治も、天候に大きく影響されることが、立証された、ともいえる。
「立証された」という言い方をしたのは、このところ、人は、天候や自然をあまりにも甘く見て、痛い目に遭っているのではないか、と思えるからである。
台風が予想されているのに、会社も学校も休みにならないで強風のなか会社員が出勤する姿は、何かとても違和感がある。
私の場合は、北海道だったので、台風がめったに来ないし、たまに来ても、すでに温帯低気圧になって、雨を降らせるくらいである。
それなので、本州で台風をとても畏れて気象情報が出る事態が、いまだにピンとこないところがある。
でも、北海道には、冬の雪があり、吹雪があり、吹雪の吹き溜まりがあった。
自然の厳しさを肌で感じていて、自然に対して畏怖の気持ちは魂の次元まで、と思えるほど染みついている。
2011年には、東日本大震災があって、日本人は、心がとても痛んでいるか、あるいは、天災に対してとても敏感になっているのかもしれない、と思う。
天災はずっと大昔からあった。
そして、人々はそれを、少しずつ、忍耐強く、一生懸命力を合わせて克服してきた。
たとえば、江戸時代の江戸のまちは、火事がとても多かったそうである。
人々は力を合わせて、火事の克服に取り組んだ。
近代化もあり、現代ではすでに火事の被害はゼロとも言われている。
そのようにして、天災のひとつひとつを、人智を尽くして、克服していく努力が必要である。
起こってしまった目の前の現実に、ただただ、悲嘆にくれているようではいけない。
特に、たくさんの人たちに影響を与えるメディアが、感情と悲観を紙上から世論へと広げていくようでは、人々の柱となりリーダーとなるメディアとして、失格である。
メディア人がまず、天災の被害とその実態、事由と解決法をしっかりと認識して、「絶対に克服していける」と確信することが大切である。
報道写真を見て、感情に流されている状態では、ただの視聴者・読者である。
感情に流されがちな、悲観に流されがちな自分の心を、客観視と学びによって、克服しなければならない。
沖縄では、台風の通り道となっているために、伝統的に建物が低く地を這うようにできているそうである。
地上の建物が強風に飛ばされても、地中に避難のための穴を掘っているところもある。
また、台風によって、数日間の水不足が生じるので、対策として、各自が自宅の屋根の上に、非常用水を貯める貯水タンクを備えている。
沖縄に観光旅行に行くことがあったら、そうした、沖縄の人々の、昔からの知恵に目をとめてよく覚えてくるといい。
そして、東京にいて、台風のニュースを聞いたり文献を読んだりしただけで、「こわい」「かわいそう」と思って、簡単に悲壮感を書き綴ったりしないようにするべきである。
人は自然と調和して、よい関係を持って付き合っていくことができる。
その際には、人のほうが、自然に対して謙虚な心を持つことが大事である。
そして、その上で、天災による被害を克服するのは、やはり人間である。
大きな、生きて活動している地球に、住まわせてもらっている謙虚さを持って、今年の「当たり年」を乗り越えたいものである。