2014年10月17日金曜日

反戦原理主義の台頭に思う。


「反戦原理主義」の台頭に思う。
このところ、日本の社会がとても騒がしい。
騒がしいとひとことで片づけられない。
物騒である、危険なかんじがする、という雰囲気がある。

私はもともと、平和主義者である。
世界の平和を追い求めているし、これまでもそうしてきた。
しかし、このところ「平和」という概念をめぐって、変なふうな戦いが起こっているように感じられてならない。
私はもともと、集団的自衛権の解釈に関しては、そんなに積極的ではなかった。
しかし、集団的自衛権の解釈について、常に解説を試みてきたのは、それが主義一貫した論理だからである。
そして、「反戦」に関して、原理主義にもにた、過激派とも呼べる「平和主義活動家」がとても増えてきたことに、危惧を感じるからである。

「平和」は正しい。
その正しさを確信するあまりに、行動が「過激派」と呼ばれるほどに、過剰に暴力的になっていると感じるのだ。
あたかも、イスラムの原理に回帰しようとした人々が、「コーランに書いてあるから正しい」と確信犯的に確信して、過剰な行動に出るように、「反戦平和主義」の人々は、自身のもつ危険性に気づいていない。

日本の世の中は、過激派のコントロールするところにならないように、今後、慎重な対応が求められる。