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祖母の話・生糸生産・かかあ天下とからっ風。

私自身が、女性として自分の人生を考えるにあたって、よく周囲の教育者や先輩から言われたのは「働く女性であること」だ。
私自身は、料理や手芸が好き、という性格があり、学校の勉強は好きだったけれども、社会に出てバリバリ働く、という意思は、あまり固いとは言えなかった。
専業主婦になるよりも、もっともっと外に出て働いて、社会的に、視野を外に向けるように、あるいは社会に関わるように、生産的な女性であるように、と言われ続けて、さまざまに女性と仕事、というテーマを考えたときに、とても手助けになったのは、私自身の祖母の話である。
祖母は、女学校を出てから、小学校の教師をしていた。
その後、嫁いでからは、養蚕農家の仕事を一生、続けていた。
私の父方の実家は、養蚕農家である。
養蚕農家において、働き手というのは、男女問わず、老若男女問わず、皆が働き手であったわけであるが、なかでも重要な役割を果たしたのが、女性である。
それも、女性、つまり私の祖母の役割は、養蚕という仕事の、リーダーシップの役を果たしたのである。
養蚕と言うのは、お蚕様という、生糸を生産する生き物を相手にしている。
生き物相手にこれを育てる、ということが主眼となっていたからか、生き物の様子をよく観察して、その育成をするのは、女性の観点がとても重要であったようだ。

祖母は、朝早く起きると、お蚕様の様子をまんべんなく観察する。
昨夜のエサの残り具合や、表情や食欲などをよく見る。
育ち具合をよく見てから、「きょう与えるエサ」を決める。
お蚕様のエサは、桑の葉であるが、この桑の葉にも、三種類以上の木があって、お蚕様の育成過程において、どの葉が適しているか、決まっていたようである。
養蚕農家はエサを育てる畑として、かなりの広い畑を維持していた。
そして、桑畑の面倒を見るのは、「男衆」の仕事であった。
そして、「きょうはこの畑から、この桑の葉を持ってきて与えておくれ」と判断して指示するのは、祖母、つまり女性のリーダーの役割であった。
そして、祖母の指示に従って、桑畑に行って力仕事である桑の枝切り、桑の運搬そして、お蚕様に与える仕事、これをするのが、「男衆」の役であったわけである。

この、「きょうは、この葉を与えておくれ」という判断が、養蚕農家のトップである、養蚕女性トップの手腕の見せ所であった。
というのは、毎年、大きくて白いきれい…

NHK「花子とアン」第三週「初恋パルピテーション!」感想。

毎朝楽しみにしている、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
第三週目にはいった。
このころには、4月から始まった新しい生活や、新しい家や、新しい友達、新しいパソコンにも、なじんできているころである。
そして、朝の連続テレビ小説にも、なじんできている。
登場人物の役名も、役柄も性格も、ずいぶんわかってきた。
なにしろ、朝の連ドラは、女性をヒロインにして、一生を描くものなので、子役の時代から、両親やきょうだいとのやりとりまで、丁寧に描かれている。
こうしたところが、一般の小説にはない、「朝ドラ」ならではの楽しみかもしれない。
第三週目は、いよいよ、ヒロインの初恋である。

三週目にして「初恋」とは、ちょっと早いような気もするが、今回の朝ドラは、どうにも恋愛と友情をテーマとして扱っているところが、たぶんにあるようだ。
私たち女性陣は、小説やドラマを恋愛の教科書にして、恋愛や結婚、人生を進めてきている。
誰にも相談できないような心の悩みに答えてくれるのは、学校の先生や親きょうだいではなく、コミックやドラマの主人公たち、ということが、とても多いのではないかと思う。
何しろ、学校では、恋愛学や結婚学は教科になっていない。
聖書を読んでも経典を読んでも、どこにも恋愛の正解がないのである。
だから、ドラマのヒロインに自分の気持ちを重ね合わせて、感情移入をして、これからの人生を考え直すのである。

そうして、朝ドラのヒロイン、初恋から、いろいろな気持ちを学んだり、触発されたりもするものだ。


今回「花子とアン」では、ヒロイン花子の初恋の相手は、帝大生の「北澤さん」のようである。
「ようである」と書いたのは、第三週目を観ていて、果たしてここで描かれる花子の初恋が「北澤さん」なのか、「朝市くん」なのか、判然としない描かれ方であるからだ。
朝市くんは、山梨の故郷で、幼馴染みとか学友とかいう存在である。
またもうひとり、山梨・甲府の故郷には、武くん、という男の子もいる。
彼らから見ると、花子が初恋の相手のようなのである。
どの子もこの子も、ぶどうの花が咲くように、甘酸っぱい初恋の味を発見する年ごろであるようだ。
第三週目で、花子は16歳である。
女優さんの実年齢と、役の年齢と、少し離れているようなところは、ドラマだからしかたないが、これが16歳と考えると、帝大生との初恋も、そんなにませている…

思想と哲学を考えるにあたって。追記。

思想と哲学を考えるにあたって。追記。

共産主義、というテーマもある。
共産主義は、ひとつの人間観に基づいている。
すなわち、人間はすべて平等である、という人間観である。
また、ひとつの幸福観にも基づいている。
それは、富の分配である。
しかし本当に、働いた人も働かなかった人も、平等に富が分配されて、それで人間として、幸福を感じるものなのだろうか?
こうなると、思想や哲学の範疇となってくるのである。

もしも、共産主義の基礎となる、人間観と幸福観に関して、決定的な誤りを見つけて論破することができたら、世界の東西冷戦は、なくなるそうだ。
現在、世界を悩ます問題のひとつは、東西の冷戦、つまり、共産主義と資本主義の対立であるから、この問題提起は大きい。


NHK「花子とアン」第二週目「エーゴってなんずら?」感想。

楽しみにしていた、この四月から始まったNHK連続テレビ小説「花子とアン」。
カナダの女流作家モンゴメリの「赤毛のアン」を翻訳した、村岡花子さんの伝記をもとにした、ドラマである。
第二週の副題は「エーゴってなんずら?」である。
第一週で、山梨の農家から、東京の女学校に入学してきた花子が、全寮制の女学校の生活に、なかなかなじめないで、苦労している様子が描かれている。
まだまだ、ドラマとして、なんとなく枠が出来てこないというか、キャラクターがうまく定まらない状況で、走り始めた、読み始めの小説にありがちな、もやもやしたキャラの状況である。
たとえば、ブラックバーン校長である。
すごく「こわい」かんじもするけれど、本当は慈愛にあふれた女性教育者なのかもしれない。
英語の富山先生である。とてもきれいな女優ともさかりえさんの、怒った表情は見ていてとてもかわいらしいのだが、それがとてつもなく、厳しい先生なのである。
それから、上級生にも言葉遣いを厳しく管理する女学生がいる。
この女優さんは、お笑いタレントのハリセンボンさんなので、どこかやっぱり笑顔になってしまう。

「お友達になりましょう」と言ってくれたのは、醍醐さんである。
どこかの天皇家か華族の出なのか、と思われるような苗字ではある。

こうしたお嬢様学校のなかで、寄宿生活はつらそうだ。
特に、花子にとっては、山梨の実家の方言を直さなければならない、その上に、英語を覚えなければならないのである。
英語で及第点を取らなくては、その場で落第となり、給費生としては、学校から容赦なく追い出される、というわけなのだ。

ここで私が思ったのは、全寮制の教育のシステムである。
私自身は寮生活はしたことはないが、実習で泊まりがけの教育カリキュラムを受けたことがあり、実際には、周りの人たちが思っているほど、ホームシックにはならなかった。
むしろ、家族からの解放感のほうが大きかったような気がする。
建物も広くて大きいし、給食もみんなで食べるほうが、楽しかったように思う。
友達もいろいろな種類のひとがいて、上級生や、年上、年下、すごく年上の先輩など、夜も朝も、仕事や勉強をしながら、いろいろな世界の話を聞くことができた。
また、相談事も、いろいろできたと思う。

私の友達や家族では、実際に寮生活で勉強した人がいて、さっそく尋ねてみたところ、やはり、強烈なホ…

子どもたちの教育について。

より高度な教育環境を育むために。
今、日本の子どもたちに、なんだか元気がない。
どうにもひ弱で、どちらかというと、子どもっぽい、と言われているようだ。
「子どもっぽい」と「子どもらしい」というのは、ちょっとちがったニュアンスがある。
「子どもっぽい」という言葉で表現されるのは、未熟であるとか、劣っている、という印象がある。
しかし、「子どもらしい」という言葉のなかには、健康ではつらつとした様子や、物おじしない、闊達な様子が含まれているように思う。
誰にでもニコニコと笑顔で話しかけ、感情のままに涙をこらえることをしないで、素直にはきはきしている印象がある。
日本の子どもたちには、こうした「子どもらしい」素朴さや健康的な様子が欠けてきたようだ。
そして、それは、大人になってからも続くようなのである。

今ここで、日本も欧米諸国も、教育というものを、全体に見直さなければならない時期に来ているようだ。
それは、各国共通の思いであり、検討課題であるようだ。
日本の子どもたちは、義務教育という基本的な教育環境に恵まれている。
そして、衣食住ともに足りているのである。
戦前は、教育を受けることすらままならない、切迫した状況があった。
これは、現在でも第三国と呼ばれる、発展途上国では、依然として続いている環境である。
しかし、この第三国の状況と、文明と生活に恵まれた環境を、比較するのはよくないと私は思う。
これから、基礎教育が行きわたった第三国に対して、リーダーシップをとるため、それは模範を示すという意味であるが、先へ先へと、進めて行かなければならないのが教育なのだと思う。

マズローの心理的欲求の五段階説がある。
ピラミッド型の欲求の五段階の図を、一度は目にしたことがあると思う。
五段階になっていて、下から上へと上昇していくものなので、こうした書き方で説明しょうと思う。

5、自己実現の欲求    ↑
4、尊敬・評価の欲求   ↑
3、社会的欲求      ↑
2、安全の欲求      ↑
1、生理的欲求      ↑

人間が生きていく限り、成長する生き物である限り、上へ上へと目指すという説である。
第三国の子どもたちにとって、生理的欲求、つまり、食べ物、住む環境といった、第一番目の状況が、「今現在の」もっとも緊急な欲求なのである。
それで、これら衣食住の欲求を満たすために、まず読み…

4月20日 ツイッターまとめ。

寒い四月ですね。今年はどんな夏になるのかな。私は、できるだけ気楽に過ごしたいと思っています。ブログの更新とか、フェイスブックとかツイッターからも、できるだけ距離を置いて、いろんなことを見直してみたいです。
今年の夏から、来年までの1~2年間くらいは、しばらく書くのをトーンダウンして、自分のための時間を取りたいと思っています。この夏は特に、家庭菜園とそこで収穫された野菜を使っての料理に取り組みたいと考えています。
昨年夏くらいから、書くことのスタイルを変えることに取り組んできたのですが、社会の変化もあり、なかなか思う方向に変えることができないです。もっと思い切って、時には自分のことだけを考えないと、まいってしまいそうな世の中です。
毎日書く、毎日記事をアップする、というブログのスタイルが、とても負担になるときがあります。そういった状況の改善に取り組んで、いろいろな人にも相談してきたのですが、「今までどおり」を主張する人が多く、「みんなのため」という理屈も、自分のなかでつじつまが合わなくなってきました。
メールマガジンでの記事の発信方法や、活字媒体を使っての発信方法など、いろいろ検討してきたのですが、毎日のブログ記事を続けながら、検討を続けることはむずかしいです。
「降りるのか」「負けて引き下がるのか」「もったいない」という言葉を聞くと、どんなふうに捉えられてもいいから、自分と自分の家族を守りたい、と思うのです。自分自身の人生とか、もっとこういうふうにこういうことを書きたい、とかいうこと。大事なこと。
アイディアや情報の共有が当たり前の社会で、自分自身の意見を、どれだけ自分のものにしておけるか、というのは、大事なことです。「それは私が発案した意見であって、あなたのものではない」ということ。

知的財産権は、著作権と重なるところも多分にありますが、そのほかにも、作家の生計や身の安全を保障するための、大切な権利であると、私は思います。
倫理上の問題、「誰かのため」とかいうことで、無料記事の提供を訴えることは、モラルにつけ込む、モラルハラスメントです。

そろそろ「誰かのため」に自分を犠牲にすることを、やめたい、と思うのです。どんな理由で、原稿料の支払われないブログ記事を、一生懸命書くのでしょう?
震災以降は、危機的状況のなかで、何かできることはないか、とそればかり考えて、急ぎ…

憲法問題と思想・哲学。

憲法改正が、論議されている。
日本の方向がどちらへ向かうのか、何が正しいのか、国民の意見を二分する、大きな問題となっている。
この問題提起に対して、私自身がどうにもすっきりした意見を持てないことが、自分自身でも不可解であるように感じていた。
しかし、ここまで議論してきて、ようやく何かが掴めた気がしている。
それは、憲法であったり、国造りの方向性であったり、ときには、資本主義、民主主義、右翼、左翼、という問題が、根本的な人間観に基づく、ということである。
つまり、思想や哲学といった方向で踏み込んだ議論をしないと、「何が正しいのか」「どちらへ進むべきなのか」といったことが、正解として、決着がつかないのである。

民主主義や高福祉主義は、「人間は生まれながらにして平等であり、すべての人が差別なく、すべての権利と福祉が受けられるものだ」という主義である。
これは、いわゆる「性善説」という思想に基づいた主義である。

一方で、スイスのような、自衛の軍隊を持った永世中立国では、他の国がいつでも攻撃してくる可能性がある、という前提に基づいて、軍を作り、自国を守っている。
これは、「世の中には善い人もいれば、悪い人もいる」という、「性悪説」の思想に基づいていると言える。

現実には、民主主義を標榜する国、高福祉を理念として掲げる国では、さまざまな問題が起こっている。
たとえば、民主主義の国で、貧困層に対して、特別な優遇措置を行ったところ、貧困層の人たちが、まったく働かなくなってしまった、等々である。
また、高福祉の国に移住してきて、他の民族の風習を広げ、社会を不安定にさせておきながら、人権という点で、何も言わせない状況もあるだろう。

日本でも、インターネットという匿名性の高い討論の場が出来たからなのか、「本音」を言う人が増えてきたように思う。
たとえば、知的障がい者に対しての福祉措置である。
本当に、知的障がい者に対して、健常者と同じ権利を与えてもよいのだろうか。
それでは、健常者のほうが、とても不利になったり、社会が不安になったりはしないだろうか。
日本では今、こうした「現実直視の本音」が出始めている。

私たちは、戦後の生まれであり、平和と平等を、当たり前のように学んで身に着けてきた。
しかし、現代の時代を見渡すにつれて、平等の定義を、疑ってかからざるを得ない状況になってきている。

理化学研究所とSTAP細胞と反原発運動の関連について。

昨日4月16日、STAP細胞の問題で、理化学研究所の笹井副センター長が会見を行った。
私は、この会見の中継を見ていたが、とても納得できる、細胞生物学としても、科学者としても、立派な会見である、と思った。
しかし、報道は、論文の撤回や、あるいは、小保方晴子ユニットリーダーへのスキャンダル的な言い回しに終始しているようである。
私が考えるのは、ひとつは、このSTAP細胞の問題が、なぜこんなにも大きな問題になったのか、ということである。
STAP細胞があるのかないのか、という問題なのだろうか。
それとも、ひとりの若い女性研究者に対する嫉妬なのだろうか。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。

STAP細胞そのものに関して言えば、私もひとりの自然科学者として、笹井副センター長の説明はとても納得のいくものであった。
生物学の研究は、数十年、数百年、ととても長いスパンで行うことであり、今後の研究を続けなければならないことは、自然科学者にとって、自明の理である。
もしも、STAP細胞が「ない」と断言できない状況にあるにも関わらず、ここで撤回をしたり、あるいは理化学研究所やひとりの若い研究者を「潰す」ようなことをしたら、これは、世界中の自然科学者が黙っていないだろう。
もしも黙っていたとしても、それは無言の抵抗になるだろう。
まるで、ガリレオ・ガリレイの裁判のようである。
「それでも地球は回っている」のである。

小保方リーダーが所属する、理化学研究所は、戦前に、渋沢栄一氏が関わって設立された理学研究所である。
ここでは、産学一体となった、理学の研究開発を行っている。
まさか、と笑っていたかもしれないが、私たちが日々使用しているリコーのコピー機械は、理化学研究所で研究開発されたものが実用化されたものである。

そして、とても大事なことは、戦前から始まったこの理化学研究所では、原子爆弾の研究開発が行われていた、という事実である。
戦争に入って、日本でも原子爆弾の開発を急いでいたわけであるが、アメリカに先を越されたというわけである。
しかし、戦後にも、もしかすると今現在でも、原子爆弾の研究開発を行っている可能性は、とても高い。
もし理化学研究所で、原子爆弾の開発を行っていたとすると、今回のSTAP細胞の一連の報道は、理研潰しの陰謀であり、政局でもある。
しかし、誰もどこも報道していなか…

東日本大震災・そのあとの3年間。

2011年3月11日の、東日本大震災から、三年目の春が来た。
どんなに困難な3年間だったか、あらためて考えてみる。
人の心は、吹雪に逃げ込んだ屋根の下で、ずっと凍えていたが、この春のあたたかさで、少しずつ、戸外に出ようとしているかのようだ。
しかし、震災の疲労と心労が出るのは、まだまだこれからかもしれない。
ストレスの後遺症は、社会にますます広がっているかのようだ。

この3年間、誰が一番がんばったのだろう?と考えてみる。
もちろん、日本の国ぜんぶが、辛酸をなめた、あの震災であった。
それでも、まず、あの震災当時、首相だった民主党の菅直人さんが、やはり一番がんばったのではないだろうか。
あのときの、震災に対する対応はとても素早く、海外からの救援隊も受け入れた。
また、東京では、帰宅困難者を出さなかった。
福島原発では、水蒸気爆発はあったが、核融合炉の爆発はなかった。
あのとき、「もうすぐ核融合炉が爆発する」といって、テレビでは、終日、福島原発を遠くから映した映像が、ずっと続いていた。
福島から半径300キロ圏内では、死の灰が降る、放射能の影響を免れえないという話だった。
でも、核融合炉の爆発は、起こらなかった。
これは、こういっては福島の人に何か言われるかもしれないが、不幸中の幸いであり、天災に対して、充分に速やかに、ベストを尽くした対応だったと思う。
あのときの、菅直人首相は、えらかった、がんばったと思う。

そして、そのあと、2011年10月に、あとを継いだのは、野田佳彦首相である。
あのとき、あの日本では、総理大臣のなり手は、誰もいなかったのではないだろうか。
震災からの復興をテーマにした時期の総理は、誰もなりたくなかった、やりたくなかったのではないだろうか。
しかし、野田首相は、「どじょう」の座右の銘を取り出して、泥にまみれて、地道に仕事に取り組んだ。
翌年6月に、三党合意の末に、消費税の法案に取り組んで、可決させたのである。
これは、震災復興のために、どうしても必要な予算であった。

海外からも、こうして国民の合意を得て、消費税を上げることができたのは、政治上の奇跡と評価されている。
これが、震災後3年間で、一番の、大変な時期の、出来事である。

この3年間、私もがんばって書いてきた。
そして、菅さん、野田さん、とがんばってきた。
メディアの皆さまも、当時担当し…

国民投票法の審議開始。

四月一日に、消費税の増税が施行されてから、まだ10日である。
それでも、無事に施行された、と言うことはできるかもしれない。
「そんなに急いでどこへ行く」といったかんじで、国会では、さっそく、憲法改正の論議にはいった。
まずは、国民投票法の審議開始である。
私は、この、憲法改正に関わる審議には、さまざまな疑問を持っている。
ひとつは、なぜ、憲法の改正をするのか、ということである。
憲法全体は、第二次世界大戦後にアメリカの関わりによって制定されたものであり、現代の世の中にとっては、とても旧い、という評価がある。
私自身も、そう感じている。
憲法全体を、一章一章、ていねいに、国民全体で見直すべきではないか、という考えである。
しかし、今回の憲法改正の焦点は、憲法第9条である、という話である。
この9条は、一般に「平和憲法」と呼ばれているものであり、日本国は、軍隊を持たない、戦争をしない、という決まりごとである。
この憲法の9条を改正しようというのは、どういった目的があるのだろうか。

たとえば、永世中立国であるスイスは、軍隊を持っている。
これは、いつでも稼働が可能である、という前提に基づいた、行使力のある軍隊である。
そして、自国を他国からの侵略から守る、という意義は、国民に広く理解され、支持されている。
そして、徴兵制も行っている。

果たして日本では、本当にこうした、理念に基づく、永世中立国を作ろう、という目的のもとに、憲法の改正を行おうとしているのだろうか。
私は、この点が非常に疑問である。

ただでさえ、昨年12月の秘密情報保護法案の可決によって、国政の動きや国際情勢の動きが、わかりづらくなっている。
その上に、こんなに急いで、憲法9条の改正とは、「今すぐに」「こちらから」戦争を仕掛けようとしているとしか思えない。
それは、永世中立国という理念に基づいた、国の建設とは、目的を異にしていると思う。
もしも、憲法の改正が実行されたら、すぐにその場で、戦争を始めて、中国や韓国にミサイルを落とすつもりなのだろうか。
そのあたりで、どうにもこの動きに、賛同しかねるのである。

次に問題だと思うのは、国民に対する、説明不足である。
これは、「急ぎすぎ」と同じ問題である。

もしも仮に、政府が、国民のために「良かれ」と思ってしたことであっても、こうした説明不足、秘密主義のもとでは、国…

小保方晴子博士とSTAP細胞の無限の可能性。

このところ、細胞ブームが起こっている。
まさに、一億総「細胞マニア」となってきた。
一般庶民がこんなに細胞に、生物学に詳しくなったのは、ひとえに、ノーベル賞を受賞された、iPS細胞の山中教授と、STAP細胞の小保方晴子博士のおかげである。
連日連夜、テレビでもインターネットでも、細胞のニュースが「わかりやすく」説明されていて、生物を専門に学んだことがない一般市民の皆さまも、細胞について、一連の専門的知識を披歴することができるようになった。
これは、本当に面白い現象である。

それにしても、報道のこの過熱ぶりには、なにか不思議に感じるものがある。
いったいそれは、どういうものなのだろう?

私は思った、これが、日本人の持って生まれた気質なのではないか、と。

海外ではこんなことを言うそうである。
「アメリカの家に住んで、中国の料理を食べて、日本人の奥さんをもらう、これが世界で一番幸せだ」と。
まさに、典型的日本人気質が表れた、今回のSTAP細胞問題であるように思う。
日本という国において、女性が学問を学び、高等知識を披露するというのは、こうした問題を引き起こすのである。
日本の女性たちは、常にこの、日本的特質のなかで、懸命に努力を続けてきた。
その結果、「かわいいけれど、頭は悪い」あるいは「頭はいいけれど、ブス」という、どちらか片方を選ばなければならなくなった。
日本の男性社会のなかでは、「かわいくて頭もいい女性」は、徹底的にやきもちを焼かれて、からかわれて、たたかれるのである。
「からかう」という行為は、している本人はそんなつもりはない、というが、実際には、嫉妬からくる行為なのである。

まさに、今、小保方さんは、日本中の男性陣から、「からかい」を受けているのである。
そして、また、日本中の女性陣から、「いびり」を受けているのである。
本当に、よくがんばっていると私は思う。
そして、ここをがんばってほしい、と心から思って、応援するのである。

この問題の根本的なところが、私にはよくわからなかった。
ここ数日、旅行をしたりして、同窓の学友に会うことがあり、同じ生物を専攻した友として、話をすることがあった。
また、別の、生物とは専門外の友達ともよく話すことがあった。
それで、明確になってきた事柄がある。
それは、私自身も生物の畑にいた人間なので、今回の一連の騒動の真相が、よくわ…

「花子とアン」第一週「花子と呼んでくりょう!」感想。

春になった。
春四月、というと、楽しみなのは、NHK朝の連続テレビ小説である。
毎年、というわけではないが、学校や仕事のライフスタイルに沿って、朝の連続テレビ小説を、観ていた数年間があり、その後も、「ちょっと面白そう」と思うと、やっぱりこの半年も、ヒロインと一緒に過ごして行こうかと考えてしまう。
「花子とアン」は、モンゴメリの「赤毛のアン」を日本語に翻訳した、翻訳家である村岡花子さんの生涯をモチーフに、ドラマ化したものである。
文筆を生きがいとした女性であり、作家でもあり、また、私自身が子どものころ、何度も読み返した「赤毛のアン」を日本に紹介したかた、ということで、とても楽しみである。
もちろん、「村岡花子」という名前は、ずっとずっと以前から、よく知っていた。
たぶんずっと子どものときから、アンといえば、村岡花子さん、だったように思う。

その後、複数の翻訳家が、「赤毛のアン」の翻訳に取り組み、アニメ化もされている。
それでも、読み返してみようと思うのは、やはり村岡さんの「アン」である。

一週目は、NHK朝ドラの定番というかテンプレートでもあるが、ひとりの女性の一生または半生を描くものであるので、幼少時代が出てくる。
ヒロインも子役である。
ヒロイン花子は、山梨県の生まれだそうである。
これは、初めて知る事実、というかんじがする。
考えてみれば、作家の生涯は、ドラマ化されたり小説になったりあるいは分析をされたりもするが、翻訳家の生涯は、あまりひんぱんに目にするものではないかもしれない。
時は、明治時代の中盤である。
このヒロイン花子は、幼いころから文才を発揮して、それを目に留めた父親が、当時まだ珍しかった女学校へ入学させて、教育を受けさせることになる。
この女学校は、キリスト教系のミッションスクールである。

どこかで聞いた話だ、と思ったら、昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、晩年の八重と新島襄のふたりが取り組んでいたのが、教育であった。
それも、明治維新のあと、海外から入ってきた教育、キリスト教教育、英語教育、そして、女子教育である。
とすると、言ってみれば、八重の作った学校に、ヒロイン花子が通い始める、ということになる。
これは、素敵なつながりである。

江戸時代と明治維新の動乱の時代を生きた女性、新島八重が、晩年に取り組んだのは、近代化であり、教育であった。
そ…

朝倉聡子・旅の途中。

こんにちは。

朝倉聡子です。
4月も4日目、新年度が始まり、花と嵐と太陽が続いています。
わたしは、桜前線と共に、北上しながら、旅の途中にいます。
4月1日には、さっそく、駅のコンビニエンスストアで、消費税の支払いをいたしました。
1000円、と「本体価格」のついたお品物、レジに持って行くと、「1080円です」と元気な声がしました。
明るい、まだまだ若い、アルバイトでしょうか、お嬢さんです。
一瞬「あれっ?」と思いながら、消費税と合わせて、千円札と一緒にコインを出しました。
そして、これが現実なのだ、と思い直しました。

思い返せば、2年前、あの震災から丸1年たったあと、6月でした。
衆議院で、消費税の増税が可決されました。
そして、8月には、参議院での可決です。
三党合意の歴史的な夏でした。

あれから2年たって、社会がどんなふうに変わったか、どんな方向に向かっているのか、なにかわからなくなっていました。
でも、これが現実、です。

税・社会保障一体改革は、私が、北欧型の高負担高福祉社会を、ずっと夢見てきたことの、実現です。
本当にうれしかった。

駅の真横には、新しい建物が建っていて、なにか旗がなびいています。
昨年の真夏には、古い建物が取り壊し作業されていた場所です。
4月1日に見学会開始、とその幟には記してあります。
高齢のみなさまのための、福祉マンションです!
新しく作られたバス停には小さなかわいらしい屋根がつけられていて、その下で、春の陽射しに照らされて、老夫婦が座って語り合っていました。
「ここにしましょうか」
私は、そっと、その高齢者マンションの案内パンフレットを一枚、とっておきの記念にいただいてきました。

4月からのNHK連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」では、「花子とアン」が始まりました。
宿のテレビ、朝の8時、毎朝観ています。
教育を受けた女性たちが、どんなふうに夢をはばたかせ、その翼で未来を描いていくのでしょうか。
「これから始まるあなたのストーリー」まさに、「わたしのストーリー」と、女性たちが声をはずませて言えるように、毎朝、元気な「花子とアン」に、励まされそうです。

私も、何か新しいことに、取り組みたくなりました。
きょうまでの一週間は、いわば休養のための一週間。
きょうになって気づいたこと、世界が変わったこと。

これから、なにか新しい形で、新…