2014年4月30日水曜日

祖母の話・生糸生産・かかあ天下とからっ風。

私自身が、女性として自分の人生を考えるにあたって、よく周囲の教育者や先輩から言われたのは「働く女性であること」だ。
私自身は、料理や手芸が好き、という性格があり、学校の勉強は好きだったけれども、社会に出てバリバリ働く、という意思は、あまり固いとは言えなかった。
専業主婦になるよりも、もっともっと外に出て働いて、社会的に、視野を外に向けるように、あるいは社会に関わるように、生産的な女性であるように、と言われ続けて、さまざまに女性と仕事、というテーマを考えたときに、とても手助けになったのは、私自身の祖母の話である。
祖母は、女学校を出てから、小学校の教師をしていた。
その後、嫁いでからは、養蚕農家の仕事を一生、続けていた。
私の父方の実家は、養蚕農家である。
養蚕農家において、働き手というのは、男女問わず、老若男女問わず、皆が働き手であったわけであるが、なかでも重要な役割を果たしたのが、女性である。
それも、女性、つまり私の祖母の役割は、養蚕という仕事の、リーダーシップの役を果たしたのである。
養蚕と言うのは、お蚕様という、生糸を生産する生き物を相手にしている。
生き物相手にこれを育てる、ということが主眼となっていたからか、生き物の様子をよく観察して、その育成をするのは、女性の観点がとても重要であったようだ。

祖母は、朝早く起きると、お蚕様の様子をまんべんなく観察する。
昨夜のエサの残り具合や、表情や食欲などをよく見る。
育ち具合をよく見てから、「きょう与えるエサ」を決める。
お蚕様のエサは、桑の葉であるが、この桑の葉にも、三種類以上の木があって、お蚕様の育成過程において、どの葉が適しているか、決まっていたようである。
養蚕農家はエサを育てる畑として、かなりの広い畑を維持していた。
そして、桑畑の面倒を見るのは、「男衆」の仕事であった。
そして、「きょうはこの畑から、この桑の葉を持ってきて与えておくれ」と判断して指示するのは、祖母、つまり女性のリーダーの役割であった。
そして、祖母の指示に従って、桑畑に行って力仕事である桑の枝切り、桑の運搬そして、お蚕様に与える仕事、これをするのが、「男衆」の役であったわけである。

この、「きょうは、この葉を与えておくれ」という判断が、養蚕農家のトップである、養蚕女性トップの手腕の見せ所であった。
というのは、毎年、大きくて白いきれいな繭をたくさん作れるかどうか、というのが、養蚕農家が集まる農村では、「腕利き」として名をはせる、大切な評価であったからである。
(逆を言えば、小さくて黄色い繭しか作れない女性もいたわけである。)
とてもうれしいことに、私の祖母は、毎年いつでも、大きくて白い繭を作ることができた。
それで、繭も生糸も高く売れることができて、家はとても繁盛したのである。

このとき、男衆の役割というと、さきほど述べたように、力仕事であり、もうひとつは、やはり一家の大黒柱として、一家一族を治めることであった。
そして、経理も行っていたようである。
つまりこの男衆の大黒柱が、祖父、ということになる。

養蚕農家の状況というと、また昔の時代のことであるから、現代に当てはまるかどうかはわからないが、とても参考になることはたくさんある。
たとえば、子育てである。
祖母は、養蚕の仕事をしながら、子どもを産み、育てた。
その際、小さな子どもたちは、子守りにまかせていたようである。
仕事場と、子どもたちの養育の場が、同じ場所であったことは、とても重要なことだったように思われる。
当時であるから、子守りさんは、雇われた小学生くらいの女の子であったり、姉たちであったりしたようだ。
そうして、小さな赤ちゃんを背中におぶって、家の仕事をしたり、小学校へ通って勉強していた女の子たちがいたようである。
そして、祖母つまり母親は、仕事の合間を縫って、おっぱいをあげたりする時間だけ、赤ちゃんと関わるような状況であったらしい。
それでも、同じ家にいるわけであるから、子どもの顔を見ながら、育児も仕事もすることができた、これは、母親にとって女性にとって、とても大切なことであるように思われる。
また、子どもにとっても、「おかあちゃん」のそばにいることは大事であったし、同時に、大家族と地域社会のなかで、たくさんの人たちに育まれ見守られていることは、子どもの心身の成長や、安全のために、とても有効であったように思われる。

群馬県では、養蚕が盛んで、その際に、女性が、その仕事のリーダーを務める、という形であったので、「かかあ天下」と呼ばれる状況になったようだ。
しかしそこには、一家の生計を「おかあちゃん」がカギを握っていることが含まれている。
また、祖母の言葉遣いを思い出してみると、男衆に向かって、決して命令調であることはなかったと思う。
「きょうはこうしておくれ」と優しい口調であったことや、とても働き者で、連絡や報告などの配慮があったことを、女性としてとても大切な仕事のしかたであったように思う。
「大きくて白い繭」を作れる祖母のもとで、「このおかあちゃんの言うことを聞いていれば、仕事がうまくいく」という実績は、力仕事の男性陣や経理の大黒柱を安心させるには、充分な実力であったようだ。
私は、働く女性、働き者の女性の姿の姿を、養蚕農家の担い手であった祖母の生き方に、見習うことができる。


2014年4月29日火曜日

NHK「花子とアン」第三週「初恋パルピテーション!」感想。

毎朝楽しみにしている、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
第三週目にはいった。
このころには、4月から始まった新しい生活や、新しい家や、新しい友達、新しいパソコンにも、なじんできているころである。
そして、朝の連続テレビ小説にも、なじんできている。
登場人物の役名も、役柄も性格も、ずいぶんわかってきた。
なにしろ、朝の連ドラは、女性をヒロインにして、一生を描くものなので、子役の時代から、両親やきょうだいとのやりとりまで、丁寧に描かれている。
こうしたところが、一般の小説にはない、「朝ドラ」ならではの楽しみかもしれない。
第三週目は、いよいよ、ヒロインの初恋である。

三週目にして「初恋」とは、ちょっと早いような気もするが、今回の朝ドラは、どうにも恋愛と友情をテーマとして扱っているところが、たぶんにあるようだ。
私たち女性陣は、小説やドラマを恋愛の教科書にして、恋愛や結婚、人生を進めてきている。
誰にも相談できないような心の悩みに答えてくれるのは、学校の先生や親きょうだいではなく、コミックやドラマの主人公たち、ということが、とても多いのではないかと思う。
何しろ、学校では、恋愛学や結婚学は教科になっていない。
聖書を読んでも経典を読んでも、どこにも恋愛の正解がないのである。
だから、ドラマのヒロインに自分の気持ちを重ね合わせて、感情移入をして、これからの人生を考え直すのである。

そうして、朝ドラのヒロイン、初恋から、いろいろな気持ちを学んだり、触発されたりもするものだ。


今回「花子とアン」では、ヒロイン花子の初恋の相手は、帝大生の「北澤さん」のようである。
「ようである」と書いたのは、第三週目を観ていて、果たしてここで描かれる花子の初恋が「北澤さん」なのか、「朝市くん」なのか、判然としない描かれ方であるからだ。
朝市くんは、山梨の故郷で、幼馴染みとか学友とかいう存在である。
またもうひとり、山梨・甲府の故郷には、武くん、という男の子もいる。
彼らから見ると、花子が初恋の相手のようなのである。
どの子もこの子も、ぶどうの花が咲くように、甘酸っぱい初恋の味を発見する年ごろであるようだ。
第三週目で、花子は16歳である。
女優さんの実年齢と、役の年齢と、少し離れているようなところは、ドラマだからしかたないが、これが16歳と考えると、帝大生との初恋も、そんなにませているようには思えない。
16歳というと、今でいうと、高校生の年齢であり、話題のアイドルグループ・AKB48も、そのあたりの年齢である。

だから、修和女学校の女学生たちも、恋愛の話題でいっぱいである。
こちらの女学校の事情というと、こちらは甘酸っぱいというよりは、もっと真剣に人生に立ち向かわなければならない状況である。
というのは、この女学校では、「寿退社」ならぬ「寿退学」が、この時代にあったというわけなのだ。
よい縁談が降るように来るのは、16歳から17歳までなのだ、という。

女学校の学友たちも、次々に縁談が決まっていく。
そうしたなかでの、帝大生との初恋は、一気に結婚の話にまで飛んでいく。

この当時の大学生、男子たちも、とてもまじめだったのかもしれない。
「まずはお付き合いから」とは言わず、いきなり「結婚してください」だから、本当に驚いてしまう。
これがこの時代の日本の、恋愛風情だったのだろう。

花子も、パルピテーション、つまり胸の鼓動を抑えきれない状況であるから、もちろんうれしかったし、北澤くんとの結婚を夢見たりもしただろう。
しかしここで、夢を壊す現実に、直面することになる。
この「山梨の実家に里帰りする」を提案したのは、女学校の校長先生、例のブラックバーン女史であるから、何か思うところがあったことは、容易に想像がつく。
「実家に里帰りして、あなたの置かれた状況を見てごらんなさい。恋愛にうつつを抜かしている場合なのですか」という、厳しい問いかけと、教示である。

実際に、山梨の実家に帰ってみると、両親も祖父も兄も妹たちも、とても質素な生活である。
そして、その質素な生活のなかから、花子のための、学費を工面しているのである。
一家の希望の星が、東京の女学校へ通う、花子なのである。
花子は一家の期待を背負っているのだ。
こうした状況を目の当たりにしたら、花子も、夢のような初恋は、断念せざるを得なくなるだろう。

それでもやっぱり、花子にとって、勉学を続ける決心をしたことは、本当によかった、と思う。
妹のカヨは、花子のすすめには従わない。
花子はカヨにも、「東京の女学校に行こうよ」と誘うのだが、一家の家計では、女の子をふたりも東京に出すことはできないのだろう。
カヨは、製糸工場の女工さんになることに、すでに決めてあるのである。

当時の製糸工場の女工さんというと、「ああ野麦峠」という小説があって、この小説が、本当に当時の時代背景を、事実だけを書いていたかどうかは、さだかではない。
しかし、日本人にとっては、製糸工場の女工さんというと、「哀史」という印象があるようだ。
だが、この「花子とアン」の放送の時期と重なって、群馬県の富岡製糸工場が、世界遺産への道を確実にした、という報道があった。
この富岡製糸工場では、女性たちが適切な訓練を受け、きびきびと活発に働いていたようである。
また、近代の様式を取り入れて、前向きに教育に取り組んでいたようなのである。
これは、現代の、働く女性たちの先駆けであり、本当に模範となるよいことだと思った。

妹のカヨは、製糸工場で働くことになる。
それは、あえて言えば、高校を卒業してから、大学進学はしないで、就職した、ということになるだろうか。
私が思うのは、私自身の、きょうだいの体験である。
本当に、妹のカヨは、「お姉さんが女学校に行って学問をしているから、それが私の希望なのよ」と心底思っていたと、私は思う。
というのは、姉妹というのは不思議なもので、どこかで「もうひとりの私」という気持ちの通じ方があるからだ。
本当に、姉妹の気持ちをよく汲み取った描き方である、と思った。

妹たちや両親の気持ちを汲んで、花子は再び東京に戻り、学業を続ける決心をする。
16歳の女の子が、恋愛にぼっとうして何も手につかなくなるよりは、ずっとおすすめしたい、選択肢である。
こうした、花子の学問への情熱が、山梨の故郷にいる、男子生徒にまで、影響を及ぼす。
農家の後継ぎをしようと働いていた朝市くんも、教会の図書室での勉強を始めるし、字が読めなかったお母さんも、石版を手に、仮名の練習である。
ひとりの女の子が、教育を受ける、ということが、どんなに周囲に影響を与えるものなのか、みごとに見せてくれた、第三週であったと思う。
花子のこれからの成長が、楽しみである。



2014年4月21日月曜日

思想と哲学を考えるにあたって。追記。

思想と哲学を考えるにあたって。追記。

共産主義、というテーマもある。
共産主義は、ひとつの人間観に基づいている。
すなわち、人間はすべて平等である、という人間観である。
また、ひとつの幸福観にも基づいている。
それは、富の分配である。
しかし本当に、働いた人も働かなかった人も、平等に富が分配されて、それで人間として、幸福を感じるものなのだろうか?
こうなると、思想や哲学の範疇となってくるのである。

もしも、共産主義の基礎となる、人間観と幸福観に関して、決定的な誤りを見つけて論破することができたら、世界の東西冷戦は、なくなるそうだ。
現在、世界を悩ます問題のひとつは、東西の冷戦、つまり、共産主義と資本主義の対立であるから、この問題提起は大きい。


NHK「花子とアン」第二週目「エーゴってなんずら?」感想。

楽しみにしていた、この四月から始まったNHK連続テレビ小説「花子とアン」。
カナダの女流作家モンゴメリの「赤毛のアン」を翻訳した、村岡花子さんの伝記をもとにした、ドラマである。
第二週の副題は「エーゴってなんずら?」である。
第一週で、山梨の農家から、東京の女学校に入学してきた花子が、全寮制の女学校の生活に、なかなかなじめないで、苦労している様子が描かれている。
まだまだ、ドラマとして、なんとなく枠が出来てこないというか、キャラクターがうまく定まらない状況で、走り始めた、読み始めの小説にありがちな、もやもやしたキャラの状況である。
たとえば、ブラックバーン校長である。
すごく「こわい」かんじもするけれど、本当は慈愛にあふれた女性教育者なのかもしれない。
英語の富山先生である。とてもきれいな女優ともさかりえさんの、怒った表情は見ていてとてもかわいらしいのだが、それがとてつもなく、厳しい先生なのである。
それから、上級生にも言葉遣いを厳しく管理する女学生がいる。
この女優さんは、お笑いタレントのハリセンボンさんなので、どこかやっぱり笑顔になってしまう。

「お友達になりましょう」と言ってくれたのは、醍醐さんである。
どこかの天皇家か華族の出なのか、と思われるような苗字ではある。

こうしたお嬢様学校のなかで、寄宿生活はつらそうだ。
特に、花子にとっては、山梨の実家の方言を直さなければならない、その上に、英語を覚えなければならないのである。
英語で及第点を取らなくては、その場で落第となり、給費生としては、学校から容赦なく追い出される、というわけなのだ。

ここで私が思ったのは、全寮制の教育のシステムである。
私自身は寮生活はしたことはないが、実習で泊まりがけの教育カリキュラムを受けたことがあり、実際には、周りの人たちが思っているほど、ホームシックにはならなかった。
むしろ、家族からの解放感のほうが大きかったような気がする。
建物も広くて大きいし、給食もみんなで食べるほうが、楽しかったように思う。
友達もいろいろな種類のひとがいて、上級生や、年上、年下、すごく年上の先輩など、夜も朝も、仕事や勉強をしながら、いろいろな世界の話を聞くことができた。
また、相談事も、いろいろできたと思う。

私の友達や家族では、実際に寮生活で勉強した人がいて、さっそく尋ねてみたところ、やはり、強烈なホームシックという気持ちはなかった、という。
やはり、家族からの解放感が大きかったという。
ただ、家族から手紙が来たり、宅配便が届いたりすると、そうそれは友達のほうに届いて自分には届かなかったりすると、そのときは、さすがに寂しいらしい。

そんなこともあって、私は、全寮制の教育システムには、もろ手を挙げて賛成である。
家族や両親、生まれ育った環境から離れて、広い広い世界に飛び出すことができる。
こうして育まれた人格は、とても社交性が生まれているのではないか、と思う。

ところで、この「花子とアン」であるが、第一週が「花子と呼んでくりょう!」であった。
そして、第二週は、女学校の寮生活に入る。
花子のもとの名前は「安東はな」である。
これは、当時、庶民的に、女の子の名前は、ひらがなやカタカナで、二文字であった、そういった風習や流行があったのだろう、と思われる。
また、名前にも格式があり、「○子」と、漢字が一文字に子どもの「子」をつけた名前は、確か家族や皇族のお嬢様の名前として、風習であったように思う。
だから今でも、皇族のお子様で内親王であるお姫様は、漢字に子どもの子、というつけ方となっている。
美智子、紀子、眞子、佳子、愛子、雅子、というふうである。
だから、「子」をつけた名前で呼んでほしい、という願いは、庶民の「はな」から、華族、お嬢様の「花子」に飛び上がりたい、社会階層を飛びぬけてお姫様になりたい、という思いを如実に表したものなのである。

女学校へ行っても、「はな」はまだ、「花子」と呼んでもらうことができない。
「はな」と「花子」の間を行ったり来たりするのが、この「花子とアン」のストーリーの主軸となるところなのだろうか。

「赤毛のアン」も、「アンなんていう平凡な名前」と、平凡であるとか庶民であるとかいうことを、飛び越えたい女の子の素朴な気持ちが、名前に表されている。
アンは、コーデリア、と呼んでほしい、と養父に要望するのだから。
たくさん勉強したら、「はな」は「花子」へと、美しい蝶になれるのだろうか。
これから始まる物語が、とっても楽しみである。

子どもたちの教育について。

より高度な教育環境を育むために。
今、日本の子どもたちに、なんだか元気がない。
どうにもひ弱で、どちらかというと、子どもっぽい、と言われているようだ。
「子どもっぽい」と「子どもらしい」というのは、ちょっとちがったニュアンスがある。
「子どもっぽい」という言葉で表現されるのは、未熟であるとか、劣っている、という印象がある。
しかし、「子どもらしい」という言葉のなかには、健康ではつらつとした様子や、物おじしない、闊達な様子が含まれているように思う。
誰にでもニコニコと笑顔で話しかけ、感情のままに涙をこらえることをしないで、素直にはきはきしている印象がある。
日本の子どもたちには、こうした「子どもらしい」素朴さや健康的な様子が欠けてきたようだ。
そして、それは、大人になってからも続くようなのである。

今ここで、日本も欧米諸国も、教育というものを、全体に見直さなければならない時期に来ているようだ。
それは、各国共通の思いであり、検討課題であるようだ。
日本の子どもたちは、義務教育という基本的な教育環境に恵まれている。
そして、衣食住ともに足りているのである。
戦前は、教育を受けることすらままならない、切迫した状況があった。
これは、現在でも第三国と呼ばれる、発展途上国では、依然として続いている環境である。
しかし、この第三国の状況と、文明と生活に恵まれた環境を、比較するのはよくないと私は思う。
これから、基礎教育が行きわたった第三国に対して、リーダーシップをとるため、それは模範を示すという意味であるが、先へ先へと、進めて行かなければならないのが教育なのだと思う。

マズローの心理的欲求の五段階説がある。
ピラミッド型の欲求の五段階の図を、一度は目にしたことがあると思う。
五段階になっていて、下から上へと上昇していくものなので、こうした書き方で説明しょうと思う。

5、自己実現の欲求    ↑
4、尊敬・評価の欲求   ↑
3、社会的欲求      ↑
2、安全の欲求      ↑
1、生理的欲求      ↑

人間が生きていく限り、成長する生き物である限り、上へ上へと目指すという説である。
第三国の子どもたちにとって、生理的欲求、つまり、食べ物、住む環境といった、第一番目の状況が、「今現在の」もっとも緊急な欲求なのである。
それで、これら衣食住の欲求を満たすために、まず読み書きを覚える。
こうすると、少しでもよい職に就くことができて、食べ物を賄えるのである。
また、餓えた両親や妹弟を養うことができる。
今、途上国の学校では、給食をふるまっている、という。
読み書きよりも、給食が目当てという生徒が、いないだろうか。
こうした途上国の子どもたちが、学校に通うためにすごくがんばっているのは、ただ、マズローいうところの、最初の段階の欲求を満たすためではないだろうか。

さて、日本の子どもたちのことを、このマズローの五段階の欲求にあてはめて考えてみる。
そうすると、本当に幼いころから、衣食住はもとより、安全な社会に暮らして、読み書きよりももっと高度な教育を受けることができている。
しかしそれは、戦前の時点で目指した教育の目標だと言えはしないだろうか。

現代の子どもたちには、これらの二段階目までの目標が、すでに与えられている環境である。
そうすると、次に求めるのは、おそらくは必死になって求めるのは、次なる段階、社会的存在の欲求そして、自己実現の欲求である。

「自己実現」とは、本当にむずかしい概念である。
私自身も、この言葉の意味と概念でつまずいてしまうところがある。
しかし、今の私にとっては、なんとなく経験として理解できてきたかんじもしている。
もしかしたら、おこがましい言い方になるかもしれないが、それは、「この世に生まれてきた意味」というようなところにポイントがあるような気がする。
それは、「本懐」とか「使命」とか、あるいはオリジナリティ、あるいは、孔子のいうところの「天命」というところかもしれない。
「その人にしかできない何か」ということである。
とはいえ、世界には70億もの人口があり、70億通りもの職業があるとも思えない。
そういった理屈で人は、いや子どもたち若者たちは、オリジナリティという点でも、挫折してしまうように思われる。
「点でも」という言い方をしたのは、「ナンバーワンよりオンリーワン」という自己実現の視点が、流行したことがあったからであり、競争社会において、ナンバーワンになれなかった人たちが、今度はオンリーワンを目指そうとしたけれど、それはもっとむずかしかった、というもっともっと強い挫折感であるように思うのだ。

これからの日本社会は、読み書きという基礎教育はもとより、自己実現というオンリーワンを目指した教育を、してはどうか、と思う。
どんな時代や環境にあっても、「オンリーワン」になった職業人はいる。
いわゆる、偉人であったり、有名人であったり、職業として成功した人たちである。
こうした人たちは、ナンバーワンでもある。
ナンバーワンの人たちの社会のなかで、オンリーワンたる個性をも発揮しているのである。

私自身が自分のことや、今いる友達、先輩のことを考えてみて思うのは、私自身が、とても強い才能の卵であったことと、その能力を見出してくれた人がいたこと、そして才能の発現の仕方を教えてくれた人、才能を発現する場を与えてくれた人、才能を発現する場を作る方法を教えてくれた人、の存在を思う。
そして、才能の大きさと、目標の大きさに比べれば、小さく弱い、誰でも同じだけ、と言える、心を持っていたこの心を、支えてくれた、人たちがたくさんいたことである。

私は、ここを強調したいと思うのだけれども、こうした、支えてくれる人たちに恵まれることは、第三段階目の社会的欲求、第四段階目の尊敬・評価の欲求が満たされているということである。
それは、とてもコミュニケーション力が高い、ということでもある。
また、精神的にも自分で自分を安定させたり、感情を整理整頓するだけの力がある、ということでもあり、また、自分の周りの社会への気配り配慮ができたり、自分の居場所を作る能力がある、ということでもある。
協調性や調和力も含まれるであろうし、「絆」の社会で、社会のために動くことができる、ともいえるだろう。
現代日本の子どもたちは、すでに、インターネットなどを使って、社会的欲求や、尊敬・評価の欲求を満たそうと、人間関係を育むことに、全力を尽くしているように見える。
また、就職活動においても、人間関係を構成する力や、コミュニケーション力が求められたり評価されたりしている。
これはすでに、日本社会に基礎的な教育環境が整って、次の段階に移行しようとしている状況だといえるのではないか。
これは、すでに「精神的欲求」という段階なのである。

現代日本の子どもたちは、すでに下から二番目、あるいは考え方によっては三番目までは満たしている環境・状況にあるので、一番上の自己実現の欲求を満たすため、ここを目標に定めて、ほんの幼いころから、小学生のころから、これらの教育・訓練をしてはどうか、と思うのである。
それは、教育の考えにあることであるが、小さな石をコツコツと積み上げるのとはまたちがって、もっと高い目標に到達するために、小さいときから、高みを目指すやり方である。
私の周囲の人たちに試しに尋ねてみたところ、絵の才能があって、社会で活躍している人は、もしも幼い子どもたちで、将来的に絵を目指す子どもがいるなら、小さい時から、海でも山でも自然でも、自分の眼で見ることを勧める、という。
なぜなら、今の子どもたちはアニメがとても好きで、絵もとても上手ではあるけれども、アニメを見てアニメを描く、という状況なので、職業作家にはなれないのだそうだ。
次に、小説を書く人の話を聞くと、子どものころから、とにかく本を読むことを勧めたいそうである。
なぜなら、今の子どもたちは成熟を気取っていて本当に小さい時からちょっとした物語や小説を書いて、インターネットで投稿しているが、実際には読んでいる量が少ないので、浅いことしか書けない。
それでいて、へんな表現力だけはついている状況である。(いわゆる手練れ、である)

幼いころに、「将来こうなりたい」という職業を決めてしまうのは、まだまだ小さすぎるかもしれないが、こうした才能や「やりたい」ことを、見抜く目が必要である。
そして、その才能を見抜くのは、同類の成功している人であって、申し訳ないことながら、現在の小学校の先生ではない、と思う。
また、子どもが素晴らしい才能を持っていて、それを伸ばしていくために、経験に即した具体的なアドバイスをしてあげられるのは、同類職業の、やはり成功している人たちである。
「成功している人」というのはとても大事で、成功するための体験を、たくさん持っているのである。
また、こうした専門的職業人に、委員会などで、小学校教育、中学校教育、もしかすると、幼稚園教育やもっと幼いころからの教育環境であるかもしれない。
そうしたことを、たとえば、国として教育制度の大枠で行うことは、とても可能であると私は思う。
しかし、相当高いレベルになると、個人的な指導が必要になってくるようにも思う。

こうした状況を考えて、今後の子どもたちの教育について、もっともっと長期的に時間をかけて、たくさんのことが論じていかれることが、とても望ましいと思う。



2014年4月20日日曜日

4月20日 ツイッターまとめ。

寒い四月ですね。今年はどんな夏になるのかな。私は、できるだけ気楽に過ごしたいと思っています。ブログの更新とか、フェイスブックとかツイッターからも、できるだけ距離を置いて、いろんなことを見直してみたいです。
今年の夏から、来年までの1~2年間くらいは、しばらく書くのをトーンダウンして、自分のための時間を取りたいと思っています。この夏は特に、家庭菜園とそこで収穫された野菜を使っての料理に取り組みたいと考えています。
昨年夏くらいから、書くことのスタイルを変えることに取り組んできたのですが、社会の変化もあり、なかなか思う方向に変えることができないです。もっと思い切って、時には自分のことだけを考えないと、まいってしまいそうな世の中です。
毎日書く、毎日記事をアップする、というブログのスタイルが、とても負担になるときがあります。そういった状況の改善に取り組んで、いろいろな人にも相談してきたのですが、「今までどおり」を主張する人が多く、「みんなのため」という理屈も、自分のなかでつじつまが合わなくなってきました。
メールマガジンでの記事の発信方法や、活字媒体を使っての発信方法など、いろいろ検討してきたのですが、毎日のブログ記事を続けながら、検討を続けることはむずかしいです。
「降りるのか」「負けて引き下がるのか」「もったいない」という言葉を聞くと、どんなふうに捉えられてもいいから、自分と自分の家族を守りたい、と思うのです。自分自身の人生とか、もっとこういうふうにこういうことを書きたい、とかいうこと。大事なこと。
アイディアや情報の共有が当たり前の社会で、自分自身の意見を、どれだけ自分のものにしておけるか、というのは、大事なことです。「それは私が発案した意見であって、あなたのものではない」ということ。

知的財産権は、著作権と重なるところも多分にありますが、そのほかにも、作家の生計や身の安全を保障するための、大切な権利であると、私は思います。
倫理上の問題、「誰かのため」とかいうことで、無料記事の提供を訴えることは、モラルにつけ込む、モラルハラスメントです。

そろそろ「誰かのため」に自分を犠牲にすることを、やめたい、と思うのです。どんな理由で、原稿料の支払われないブログ記事を、一生懸命書くのでしょう?
震災以降は、危機的状況のなかで、何かできることはないか、とそればかり考えて、急ぎ急ぎの状況で書いてきました。そうしたなかで、自分が本当にしたかったこと、書きたかったことを見失ってきたように思います。
震災以降は、危機的状況のなかで、何かできることはないか、とそればかり考えて、急ぎ急ぎの状況で書いてきました。そうしたなかで、自分が本当にしたかったこと、書きたかったことを見失ってきたように思います。
仕事に見合った、立場と環境、そして食べ物と睡眠時間を必要としています。
生計を立てるために、パートのアルバイトをしながら、同時に教員としてたくさんの生徒たちの教育をする、これでは文明後進国のボランティアです。日本はいつから、ボランティアに頼らなければならないほど、文明が低下したのでしょうか。
日本は、まるで、お母さんの無条件の愛情を、当たり前のように求める社会となってしまったようです。そろそろ母の無償の愛から卒業しなければならないでしょう。



憲法問題と思想・哲学。

憲法改正が、論議されている。
日本の方向がどちらへ向かうのか、何が正しいのか、国民の意見を二分する、大きな問題となっている。
この問題提起に対して、私自身がどうにもすっきりした意見を持てないことが、自分自身でも不可解であるように感じていた。
しかし、ここまで議論してきて、ようやく何かが掴めた気がしている。
それは、憲法であったり、国造りの方向性であったり、ときには、資本主義、民主主義、右翼、左翼、という問題が、根本的な人間観に基づく、ということである。
つまり、思想や哲学といった方向で踏み込んだ議論をしないと、「何が正しいのか」「どちらへ進むべきなのか」といったことが、正解として、決着がつかないのである。

民主主義や高福祉主義は、「人間は生まれながらにして平等であり、すべての人が差別なく、すべての権利と福祉が受けられるものだ」という主義である。
これは、いわゆる「性善説」という思想に基づいた主義である。

一方で、スイスのような、自衛の軍隊を持った永世中立国では、他の国がいつでも攻撃してくる可能性がある、という前提に基づいて、軍を作り、自国を守っている。
これは、「世の中には善い人もいれば、悪い人もいる」という、「性悪説」の思想に基づいていると言える。

現実には、民主主義を標榜する国、高福祉を理念として掲げる国では、さまざまな問題が起こっている。
たとえば、民主主義の国で、貧困層に対して、特別な優遇措置を行ったところ、貧困層の人たちが、まったく働かなくなってしまった、等々である。
また、高福祉の国に移住してきて、他の民族の風習を広げ、社会を不安定にさせておきながら、人権という点で、何も言わせない状況もあるだろう。

日本でも、インターネットという匿名性の高い討論の場が出来たからなのか、「本音」を言う人が増えてきたように思う。
たとえば、知的障がい者に対しての福祉措置である。
本当に、知的障がい者に対して、健常者と同じ権利を与えてもよいのだろうか。
それでは、健常者のほうが、とても不利になったり、社会が不安になったりはしないだろうか。
日本では今、こうした「現実直視の本音」が出始めている。

私たちは、戦後の生まれであり、平和と平等を、当たり前のように学んで身に着けてきた。
しかし、現代の時代を見渡すにつれて、平等の定義を、疑ってかからざるを得ない状況になってきている。

戦後は、すべての人が、義務教育を受けることができた。
つまり、教育の基礎的な環境はすべての人が同じだったはずである。
それなのに、たとえば同年代でも、年齢を重ねるにつれて、キャリアや人生の状況が変化してきている。
私が思うのは、環境は同じであったはずなのに、なぜ努力をしなかったのか、という疑問である。
努力をして幸せになった人が、努力を怠って不幸になった人のために、人生を費やしてまで何か、貢献しなければならないのだろうか…?という疑問が、常に心にある。
この疑問は抱えたままで、問い続けようと思っている。

性善説、性悪説というのは、代表的な人間観のいくつかであり、他にもたくさんの思想・哲学がある。
それらを、時間をかけてたくさんの人たちで討議して、「本当の人間観」を導き出すことが、とても大切なのではないだろうか。

日本における、憲法改正の問題は、他国、民主主義の国から見ると、とても違和感のあるものなのかもしれない。
しかし、民主主義だけでは乗り越えることのできない問題が、多発しているのが現代なのである。

たくさんの人たちの、たくさんの、時間をじっくりかけた、討論を望みたい。
そして、最良の選択をしたい、と思うものである。

2014年4月17日木曜日

理化学研究所とSTAP細胞と反原発運動の関連について。

昨日4月16日、STAP細胞の問題で、理化学研究所の笹井副センター長が会見を行った。
私は、この会見の中継を見ていたが、とても納得できる、細胞生物学としても、科学者としても、立派な会見である、と思った。
しかし、報道は、論文の撤回や、あるいは、小保方晴子ユニットリーダーへのスキャンダル的な言い回しに終始しているようである。
私が考えるのは、ひとつは、このSTAP細胞の問題が、なぜこんなにも大きな問題になったのか、ということである。
STAP細胞があるのかないのか、という問題なのだろうか。
それとも、ひとりの若い女性研究者に対する嫉妬なのだろうか。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。

STAP細胞そのものに関して言えば、私もひとりの自然科学者として、笹井副センター長の説明はとても納得のいくものであった。
生物学の研究は、数十年、数百年、ととても長いスパンで行うことであり、今後の研究を続けなければならないことは、自然科学者にとって、自明の理である。
もしも、STAP細胞が「ない」と断言できない状況にあるにも関わらず、ここで撤回をしたり、あるいは理化学研究所やひとりの若い研究者を「潰す」ようなことをしたら、これは、世界中の自然科学者が黙っていないだろう。
もしも黙っていたとしても、それは無言の抵抗になるだろう。
まるで、ガリレオ・ガリレイの裁判のようである。
「それでも地球は回っている」のである。

小保方リーダーが所属する、理化学研究所は、戦前に、渋沢栄一氏が関わって設立された理学研究所である。
ここでは、産学一体となった、理学の研究開発を行っている。
まさか、と笑っていたかもしれないが、私たちが日々使用しているリコーのコピー機械は、理化学研究所で研究開発されたものが実用化されたものである。

そして、とても大事なことは、戦前から始まったこの理化学研究所では、原子爆弾の研究開発が行われていた、という事実である。
戦争に入って、日本でも原子爆弾の開発を急いでいたわけであるが、アメリカに先を越されたというわけである。
しかし、戦後にも、もしかすると今現在でも、原子爆弾の研究開発を行っている可能性は、とても高い。
もし理化学研究所で、原子爆弾の開発を行っていたとすると、今回のSTAP細胞の一連の報道は、理研潰しの陰謀であり、政局でもある。
しかし、誰もどこも報道していなかった、誰も知らなかったとすると、この、原爆開発所潰しの動きは、水面下でとても、大きな権力・勢力のもとで行われていたことになる。

この会見の内容が、生物学を専門としていない人たちにとっても、たいへんにわかりやすかったにも関わらず、結局は、理研へのスキャンダルへと転落していくことは、原爆潰し、理研潰しをもくろんだ人たちにとっては、とても好都合であるにちがいない。
そうした動きに連動するかのように、アメリカから大統領が来日することは、不思議な話である。
また、福島県知事の選挙をめぐって、「元首相」たちが、再び動きを起こそうとしていることは、本当に不思議なことである。

核廃絶、憲法改正への反対、反原発を訴えるのならば、堂々と正論を通すべきではないか。
もしかすると、東京都知事選挙でも、のろしを上げた人たちが、水面下の工作とアメリカとの連携をもって、日本の政府をつぶそうとしているのではないだろうか。

私は、思う。
自然科学を、政争の具にしてはいけない。
そして、若い女性ひとりを、若いから、女性だから、どうせ何も言えないだろうと、犠牲にするような勢力こそが、敵なのだ、と考える。
自然科学は、事実であり、真理そのものである。
絶対にこれを、変えることはできない。

もしも今、自然科学の真理を隠滅し、政争の具とし、何かを得たような気持ちになった人たちが出たとしても、20年後、50年後に歴史が証明するだろう。
不名誉な名前を歴史に残したくなければ、こうした陰謀を撤回することこそが、正義であると、私は信じる。
小泉純一郎氏、細川護煕氏、私はこのあたりの人たちに、用心したほうがよいのではないか、と思う。

「それでも地球は回っている」のである。

2014年4月13日日曜日

東日本大震災・そのあとの3年間。

2011年3月11日の、東日本大震災から、三年目の春が来た。
どんなに困難な3年間だったか、あらためて考えてみる。
人の心は、吹雪に逃げ込んだ屋根の下で、ずっと凍えていたが、この春のあたたかさで、少しずつ、戸外に出ようとしているかのようだ。
しかし、震災の疲労と心労が出るのは、まだまだこれからかもしれない。
ストレスの後遺症は、社会にますます広がっているかのようだ。

この3年間、誰が一番がんばったのだろう?と考えてみる。
もちろん、日本の国ぜんぶが、辛酸をなめた、あの震災であった。
それでも、まず、あの震災当時、首相だった民主党の菅直人さんが、やはり一番がんばったのではないだろうか。
あのときの、震災に対する対応はとても素早く、海外からの救援隊も受け入れた。
また、東京では、帰宅困難者を出さなかった。
福島原発では、水蒸気爆発はあったが、核融合炉の爆発はなかった。
あのとき、「もうすぐ核融合炉が爆発する」といって、テレビでは、終日、福島原発を遠くから映した映像が、ずっと続いていた。
福島から半径300キロ圏内では、死の灰が降る、放射能の影響を免れえないという話だった。
でも、核融合炉の爆発は、起こらなかった。
これは、こういっては福島の人に何か言われるかもしれないが、不幸中の幸いであり、天災に対して、充分に速やかに、ベストを尽くした対応だったと思う。
あのときの、菅直人首相は、えらかった、がんばったと思う。

そして、そのあと、2011年10月に、あとを継いだのは、野田佳彦首相である。
あのとき、あの日本では、総理大臣のなり手は、誰もいなかったのではないだろうか。
震災からの復興をテーマにした時期の総理は、誰もなりたくなかった、やりたくなかったのではないだろうか。
しかし、野田首相は、「どじょう」の座右の銘を取り出して、泥にまみれて、地道に仕事に取り組んだ。
翌年6月に、三党合意の末に、消費税の法案に取り組んで、可決させたのである。
これは、震災復興のために、どうしても必要な予算であった。

海外からも、こうして国民の合意を得て、消費税を上げることができたのは、政治上の奇跡と評価されている。
これが、震災後3年間で、一番の、大変な時期の、出来事である。

この3年間、私もがんばって書いてきた。
そして、菅さん、野田さん、とがんばってきた。
メディアの皆さまも、当時担当して書いていた記者さんたちは、まだまだ若手と呼ばれる、使い走りに近い立場だったかもしれない。
そうした人たちが、集まって、力を合わせて、一番困難な時期を乗り切ってきたのである。
一番えらかったのは誰か。
民主党の菅直人さんである。
次にえらかったのは誰か。
民主党の野田佳彦さんである。
そして、当時、新聞メディアを書いていた記者さんたちである。

あのころの、彼らたちには、もう誰もかなわない。
あのとき、政権を持っていなかった自民党は、その後「もっと上の偉業を」ということで、焦っているのではないだろうか。
あのあと、震災後と増税を目にしたメディア人も、「もっと上の成果を」と焦っているのではないだろうか。
新聞記者さんたちも、あの当時からは、バトンタッチした状況で、前の人たちよりももっと上をと目指して、うまくいかない。
それは、どうにも、震災がないから、という言い方をするしかない。

私は、書ききってきたと思う。
自分で自分に誇りがある。
3年経って、疲労が出始めているとしても、もう安心という状況までたどり着いて、とても満足している。
この3年間ほどの、充実感や求心力、国民がひとつにまとまる力は、今はもうない、と私も、菅さんも野田さんも、きっと判断すると思う。

これからは、社会の安定を、求めていくのがよいのではないか、と思う。
政権交代した自民党は、ここからは、徳川家康のように、長く長く安泰な日本国の地盤を築いていくのが、一番よいのではないだろうか。

平安時代というのは、400年も続いた、本当にその名の通り、平安な時代であった。
政治的に動きが少なかったため、社会が安定していたために、人々の心は豊かでおっとりしていた。
そうした環境に恵まれて、平安文化は花を咲かせた。
女流文学者たちも、豊かで平安な環境のなかで、自由に筆を運ぶことができたのである。
そうして、豪華な絵巻ができあがったのである。

平安な世の中に、平安な花が咲く。
豊かな心は、社会の安定から生まれる。
徳川家康のような、自民党政治を、望むものである。

2014年4月10日木曜日

国民投票法の審議開始。

四月一日に、消費税の増税が施行されてから、まだ10日である。
それでも、無事に施行された、と言うことはできるかもしれない。
「そんなに急いでどこへ行く」といったかんじで、国会では、さっそく、憲法改正の論議にはいった。
まずは、国民投票法の審議開始である。
私は、この、憲法改正に関わる審議には、さまざまな疑問を持っている。
ひとつは、なぜ、憲法の改正をするのか、ということである。
憲法全体は、第二次世界大戦後にアメリカの関わりによって制定されたものであり、現代の世の中にとっては、とても旧い、という評価がある。
私自身も、そう感じている。
憲法全体を、一章一章、ていねいに、国民全体で見直すべきではないか、という考えである。
しかし、今回の憲法改正の焦点は、憲法第9条である、という話である。
この9条は、一般に「平和憲法」と呼ばれているものであり、日本国は、軍隊を持たない、戦争をしない、という決まりごとである。
この憲法の9条を改正しようというのは、どういった目的があるのだろうか。

たとえば、永世中立国であるスイスは、軍隊を持っている。
これは、いつでも稼働が可能である、という前提に基づいた、行使力のある軍隊である。
そして、自国を他国からの侵略から守る、という意義は、国民に広く理解され、支持されている。
そして、徴兵制も行っている。

果たして日本では、本当にこうした、理念に基づく、永世中立国を作ろう、という目的のもとに、憲法の改正を行おうとしているのだろうか。
私は、この点が非常に疑問である。

ただでさえ、昨年12月の秘密情報保護法案の可決によって、国政の動きや国際情勢の動きが、わかりづらくなっている。
その上に、こんなに急いで、憲法9条の改正とは、「今すぐに」「こちらから」戦争を仕掛けようとしているとしか思えない。
それは、永世中立国という理念に基づいた、国の建設とは、目的を異にしていると思う。
もしも、憲法の改正が実行されたら、すぐにその場で、戦争を始めて、中国や韓国にミサイルを落とすつもりなのだろうか。
そのあたりで、どうにもこの動きに、賛同しかねるのである。

次に問題だと思うのは、国民に対する、説明不足である。
これは、「急ぎすぎ」と同じ問題である。

もしも仮に、政府が、国民のために「良かれ」と思ってしたことであっても、こうした説明不足、秘密主義のもとでは、国民の心は、政府から離れてしまう。
現在の衆議院、参議院の議席の数を足せば、与党自民党にまったく揺らぎはない、と思えるかもしれない。
しかし、国民の心が政府から離れてしまえば、そこには、怒号のとびかうデモや反乱しかないのである。
秩序が混乱した状況のなかで、憲法の改正が行われるとすれば、これは、強硬であり、独裁である。

説明不足は、たとえば、一家の主であっても、「誰にもわかってもらえなくても、とにかくみんなのためになるのだからいい」といった、個人主義的な考えを生みがちである。
それは、美徳である、と思い込んでしまう人もいるかもしれないが、誰もついてこなくなっては、結局は、これらの議案も、政策も、成立不可能になってしまうのである。

しっかりと、言葉を尽くして、説明をするべきである。
誰かひとりにわかってもらえばいい、という考えも、ちょっとした甘えであると考えてもよいと思う。

また、もしも仮に、永世中立国の考えを持っているとしても、この考えは、性善説や性悪説といった、思想に基づくものであり、とても広い理解を得ることはむずかしい。
それでも、スイスでは理解がいきわたっているわけである。
これらの考え、ひとつの思想であり、政治的理念であるが、これらの考えを徹底して説明し、国民の納得を得ることをしないのでは、どんなよい理想も、無価値なのである。
平和に至る手法は、平和的であるべきだ。
ともかく国民を何も知らない子どもように扱って、さっさと法律を作成してしまおうというのは、独善である。

私は、こうした説明不足の状況で、増税、消費税も落ち着かない状態で、国民の気持ちや社会状況も見てとらないうちに、審議を始めるのは、反対である。
今でもすでに、国民世論は半々どころか、政府への不信は高まる一方ではないか。
こうした状況で、もしも私自身が、個人的に憲法改正を支持したとしても、勝てる見込みがあるとは、到底思えない。
勝てない戦いに参加するのは、ごめんこうむる、というところである。

本当に、国民と国のためを思って、憲法の改正を成功させたいのであれば、時間をかけるべきである。
そして、まるで「敵をあざむくには、まず味方から」のようなやり方で、政治的な戦いを進めていくのは、絶対に反対である。

こうした問いかけに、政府は、誠実に、答えるべきである。

小保方晴子博士とSTAP細胞の無限の可能性。

このところ、細胞ブームが起こっている。
まさに、一億総「細胞マニア」となってきた。
一般庶民がこんなに細胞に、生物学に詳しくなったのは、ひとえに、ノーベル賞を受賞された、iPS細胞の山中教授と、STAP細胞の小保方晴子博士のおかげである。
連日連夜、テレビでもインターネットでも、細胞のニュースが「わかりやすく」説明されていて、生物を専門に学んだことがない一般市民の皆さまも、細胞について、一連の専門的知識を披歴することができるようになった。
これは、本当に面白い現象である。

それにしても、報道のこの過熱ぶりには、なにか不思議に感じるものがある。
いったいそれは、どういうものなのだろう?

私は思った、これが、日本人の持って生まれた気質なのではないか、と。

海外ではこんなことを言うそうである。
「アメリカの家に住んで、中国の料理を食べて、日本人の奥さんをもらう、これが世界で一番幸せだ」と。
まさに、典型的日本人気質が表れた、今回のSTAP細胞問題であるように思う。
日本という国において、女性が学問を学び、高等知識を披露するというのは、こうした問題を引き起こすのである。
日本の女性たちは、常にこの、日本的特質のなかで、懸命に努力を続けてきた。
その結果、「かわいいけれど、頭は悪い」あるいは「頭はいいけれど、ブス」という、どちらか片方を選ばなければならなくなった。
日本の男性社会のなかでは、「かわいくて頭もいい女性」は、徹底的にやきもちを焼かれて、からかわれて、たたかれるのである。
「からかう」という行為は、している本人はそんなつもりはない、というが、実際には、嫉妬からくる行為なのである。

まさに、今、小保方さんは、日本中の男性陣から、「からかい」を受けているのである。
そして、また、日本中の女性陣から、「いびり」を受けているのである。
本当に、よくがんばっていると私は思う。
そして、ここをがんばってほしい、と心から思って、応援するのである。

この問題の根本的なところが、私にはよくわからなかった。
ここ数日、旅行をしたりして、同窓の学友に会うことがあり、同じ生物を専攻した友として、話をすることがあった。
また、別の、生物とは専門外の友達ともよく話すことがあった。
それで、明確になってきた事柄がある。
それは、私自身も生物の畑にいた人間なので、今回の一連の騒動の真相が、よくわからなかった、という点が、とても大事であるようだ。
それで、うまくコメントできなかったように思う。

つまり、ひとつは、生物の畑にいる人間であれば、誰もが周知していることがらを、専攻がちがう人たちはまったくわからなかった、ということである。
それは、STAP細胞の研究が何を意味するのか、という点である。
それから、科学者というのは、男性であろうと女性であろうと、高名であろうとなかろうと、真実は真実である、ということである。
また、このSTAP細胞が、どれだけ価値のあるテーマであるか、ということである。
また、STAP細胞とiPS細胞の比較とその関係について、である。

まず、STAP細胞というのは、大学の同窓生もみながみな、考えていたことであるが、異口同音にいうことは「そんなのあるわけない」ということである。
でも、自然科学の世界に、100%ない、ということはないので、これから先の研究結果によっては、そういったことも起こり得るかもしれない、ということだ。
「あるわけない」というのは、つまり、細胞は、受精卵のときには、手にでも足にでも耳にでも皮膚にでもなり得る、万能細胞である、ということである。
これが、成長するにしたがって、分化をしていく。
そして、皮膚の細胞になったら、その細胞は、もうどんなに増やしても、皮膚細胞にしかならない。

実は、生物の世界では、そうでなければ困るのである。
大人の皮膚の細胞が、何か薬剤を一滴降っただけで、耳になったり、足になったりしたら、困るわけである。
もしも、STAP細胞が実用化されて、この薬剤がスプレー容器に入っていて、電車の中で「シュッシュッ」としたら、隣にいた人の腕にかかって、その腕の細胞が、耳になったり足になったりするのである。
こうしたことが起こったら困る。
こうした薬液があったとしたら、ひょっとしたら生物兵器にもなり得る、かなり特殊な薬液となる。
こうしたことは、世界中のどこにも起こっていない。
つまり、生物の世界では、未だ、どこにも起こっていない。
だから私たちは、安心して暮らすことができるのである。

しかしまた、青いバラや、青いチューリップを見てみたい、と思うように、人間の願望は果てしないものがある。
あるいはまた、惚れ薬や毛髪薬も、造ることができたらノーベル賞だと言われているが、そういったものは、まだまだ夢の薬である。
STAP細胞は、そうした、科学者たちが願う、夢の薬である。
それが、「できた」というのだから、とても驚くのである。

実際に、これは、できたのだろうか?
そのあたりで、再現性や論文があやしい、ということになってしまった。

次に、iPS細胞との関係である。
iPS細胞は、元はと言えば、発想の点では、STAP細胞と同じである。
皮膚の細胞から、別の細胞を作り出せないだろうか、という望みである。
もともと最初の受精卵には、すべてになり得る可能性があるのだから、単なる夢ともいえないところがある。
でも、iPS細胞は、とても手順がかかる。
京都大学の山中教授がこの手順を研究開発したことは、とても画期的なことだった。
それにしても、「薬液を一滴たらすだけ」と比べれば、とても手間暇かかる作業ということになる。
なので、もしスタップ細胞が本当のことだとすると、もうiPS細胞は、はいらなくなる。
iPS細胞の必要性それ自体を、否定してしまうことになる。
そして、日本としても海外の研究者としても、万能細胞に関しては、iPS細胞の研究は費用も人員も含めて、すべて閉鎖して、STAP細胞の研究のほうへ投入しましょう、という話になってくる。
もしも、スタップ細胞が本物だとすると、iPS細胞の100倍は、大きな成果なのである。

しかしこれは、こうした研究課題に取り組むことそれ自体が、京都大学やノーベル賞、そしてノーベル賞受賞者である山中教授への、挑戦であり、いわば「殴り込み」である。
こうした、殴り込み的研究とその成果を発表したのだから、世間が騒然とするのも当たり前といえば当たり前である。
こうした研究に取り掛かることさえもおこがましい、というところだ。
そこに取り組んだのだから、若さや情熱、という点が評価される。

京都大学としても、山中教授としても、これは心中穏やかではないのではないか、と思う。
それでも、生物学を学んだものなら誰でも感じる通り、生物と自然界の常識としては「あるわけない」ということなので、そわそわしてしまうところだ。

そうして、念入りに論文や写真を調べることになったのだと思う。
私は実際に論文を目にしていないので、それが事実かどうかわからないが、この論文は引用がとても多いそうである。
科学論文に引用や注釈がつくことは当たり前のことなので、その程度がどれくらいなのか、ということは、実際に目にしてから判断するべき問題である。
写真であるが、わかりやすいように細胞を染めたり、光を当てて影をつけたりすることは、当たり前の実験研究方法なので、素人があれこれいう問題ではないと思う。

再現性については、たとえそれがとても低いものだとしても、かなり条件を絞ったら、再現可能なのではないか、と私なりに想像する。
というのはたとえば、気温が20度なら発現するが、20.1度なら発現しない、とか、季節に関係がある、とか、そうしたたくさんの条件である。
これらは、今一度、たくさんの人員を配置して、きちんと確かめるべきであると私は思う。
また、小保方さんが、こうしたことを言われて悔しいと思うなら、自分だけでも、何年かけてでも、再現の証明実験を重ねて、条件を提示すること、そして、データを明確に提示し、論文を、納得の行くまで書けばいい、と思う。

「ねつ造」という言葉は、たとえば、作家が「盗作」と言われるに等しい言いがかりである。
悪意があった、という意味になる。
それは、京都大学やほかの生物学者や、あるいは、iPS細胞にかかりきりになっている人たち、ここにお金をかけている人たちが、主観的に思うことなのではないだろうか。
科学的な事実を実験を重ねて確かめることをしないで、iPS細胞以上のものが、今から出てきたら困る人たちが、たくさんいる、ということで、STAP細胞をもみ消そうとしているのではないだろうか。
もし、「もみ消し」の動きがあるとすれば、世界的大発見を、日本人の偏狭な女性への偏見でもって、つぶしてしまうことになる。
まさに国家的損失である。

しっかりと、時間とお金をかけて、素直な心にかえって、STAP細胞の可能性を、立証することが大切であると、私は思うのである。
そうして、小保方博士には、がんばってほしい、と思うのである。

私は、この日本社会において、女性が学問をするということ、そのなかで、女性らしい素直な性質の表現を、とても大切にしたいと思っている。
今の50代、60代の女性たちは、男性社会のなかで、学問をして発言をするためには、まるで男のような服装をして、男のような言葉づかいをしなければならなかった。
そういった時代は終わったのだ、と私は思う。

女性らしい、感性と感覚で、自由な服装やファッションをして、女性らしい言葉遣いをして、そのうえで、素晴らしい高度な研究も成し遂げてほしい、と心から願う。
根気と、忍耐力とで、きっとこの問題は乗り越えていける。
こうして、日本中を、「細胞ブーム」に巻き込んだだけでも、次代の子どもたちに生物学の素晴らしさを広めたことになる。
すでに、小保方さんががんばってきた成果が、子どもたちに表れているのである。
これからも、ずっと応援している。
どうぞ、健康に気を付けて、気丈に、一緒にがんばっていきましょう。



2014年4月9日水曜日

「花子とアン」第一週「花子と呼んでくりょう!」感想。

春になった。
春四月、というと、楽しみなのは、NHK朝の連続テレビ小説である。
毎年、というわけではないが、学校や仕事のライフスタイルに沿って、朝の連続テレビ小説を、観ていた数年間があり、その後も、「ちょっと面白そう」と思うと、やっぱりこの半年も、ヒロインと一緒に過ごして行こうかと考えてしまう。
「花子とアン」は、モンゴメリの「赤毛のアン」を日本語に翻訳した、翻訳家である村岡花子さんの生涯をモチーフに、ドラマ化したものである。
文筆を生きがいとした女性であり、作家でもあり、また、私自身が子どものころ、何度も読み返した「赤毛のアン」を日本に紹介したかた、ということで、とても楽しみである。
もちろん、「村岡花子」という名前は、ずっとずっと以前から、よく知っていた。
たぶんずっと子どものときから、アンといえば、村岡花子さん、だったように思う。

その後、複数の翻訳家が、「赤毛のアン」の翻訳に取り組み、アニメ化もされている。
それでも、読み返してみようと思うのは、やはり村岡さんの「アン」である。

一週目は、NHK朝ドラの定番というかテンプレートでもあるが、ひとりの女性の一生または半生を描くものであるので、幼少時代が出てくる。
ヒロインも子役である。
ヒロイン花子は、山梨県の生まれだそうである。
これは、初めて知る事実、というかんじがする。
考えてみれば、作家の生涯は、ドラマ化されたり小説になったりあるいは分析をされたりもするが、翻訳家の生涯は、あまりひんぱんに目にするものではないかもしれない。
時は、明治時代の中盤である。
このヒロイン花子は、幼いころから文才を発揮して、それを目に留めた父親が、当時まだ珍しかった女学校へ入学させて、教育を受けさせることになる。
この女学校は、キリスト教系のミッションスクールである。

どこかで聞いた話だ、と思ったら、昨年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、晩年の八重と新島襄のふたりが取り組んでいたのが、教育であった。
それも、明治維新のあと、海外から入ってきた教育、キリスト教教育、英語教育、そして、女子教育である。
とすると、言ってみれば、八重の作った学校に、ヒロイン花子が通い始める、ということになる。
これは、素敵なつながりである。

江戸時代と明治維新の動乱の時代を生きた女性、新島八重が、晩年に取り組んだのは、近代化であり、教育であった。
その教育の礎を築いて一生を終えたわけである。
そして、新しい女性教育の基礎の次の時代に、村岡花子の時代がある。

そして、あえて言えば、子どものころ、大好きな「赤毛のアン」を読んで育った私たちの世代へと、女性教育の時代は、バトンタッチされていくのである。

明治時代の山梨県では、まだまだ日本の夜明け、というのは、とても遅く訪れていた状況かもしれない。
それでも、行商という、世間を広く見聞してまわる仕事を持つ父親が、幼い娘の才能を見抜き、どんなことをしてでも、と教育を受けさせてあげるエピソードは、とても素敵なことだと思う。
この、ヒロイン幼少期のエピソードが連なる第一週は、当時の生活や時代背景、社会状況を、よく描いているものだ、と思う。

特に、今は当たり前となっているのだが、小さな子どもたち、男の子も女の子も、教育を受ける権利があるのだ、というあたりで、ずっと昔には、女の子には教育は必要ないと思われていた、という点が、強調されていて、とても大事な点だと思う。
また、ヒロイン花子の母親は、字が読めない、これも、とても大切なことである。

この時代から、子どもたちは、親の世代よりも、もっともっと教育を受けて、親より賢くなっていく。
親の知らないことを、娘が知っている、親ができないことを、娘ができる、ご近所の子どもたちができる、という状況になる。

私が、このあたりがとても大事だ、と思うのは、字が読めない母親が、字が読めるようになる娘に対して、どのように対応するか、ということである。
ドラマのなかでは、親は親として、あたたかい心で包んでいた。
実際には、娘が母親を追い抜かすほど、学問ができる状態になったら、親としては、手に負えないとか、親としてのプライドが傷つくとか、どう扱ったらいいのかわからない、というふうになるのではないだろうか。

実の子どもが、親を追い抜いて行く、そうすることで、世代から世代へと、人は成長していくものである。
こうしたところを、巧みに描いていると思う。

もちろん、NHKの朝ドラでは、意地悪な両親、とか意地悪な家庭というのは、設定として、ないことになってはいるのだが、ここに描かれる、花子の母親は、学問をする女の子にとっては、いてほしい姿、あたたかい母の姿である。

翌週では、いよいよ花子が、東京の女学校へ行く場面である。
とても楽しみである。

2014年4月4日金曜日

朝倉聡子・旅の途中。

こんにちは。

朝倉聡子です。
4月も4日目、新年度が始まり、花と嵐と太陽が続いています。
わたしは、桜前線と共に、北上しながら、旅の途中にいます。
4月1日には、さっそく、駅のコンビニエンスストアで、消費税の支払いをいたしました。
1000円、と「本体価格」のついたお品物、レジに持って行くと、「1080円です」と元気な声がしました。
明るい、まだまだ若い、アルバイトでしょうか、お嬢さんです。
一瞬「あれっ?」と思いながら、消費税と合わせて、千円札と一緒にコインを出しました。
そして、これが現実なのだ、と思い直しました。

思い返せば、2年前、あの震災から丸1年たったあと、6月でした。
衆議院で、消費税の増税が可決されました。
そして、8月には、参議院での可決です。
三党合意の歴史的な夏でした。

あれから2年たって、社会がどんなふうに変わったか、どんな方向に向かっているのか、なにかわからなくなっていました。
でも、これが現実、です。

税・社会保障一体改革は、私が、北欧型の高負担高福祉社会を、ずっと夢見てきたことの、実現です。
本当にうれしかった。

駅の真横には、新しい建物が建っていて、なにか旗がなびいています。
昨年の真夏には、古い建物が取り壊し作業されていた場所です。
4月1日に見学会開始、とその幟には記してあります。
高齢のみなさまのための、福祉マンションです!
新しく作られたバス停には小さなかわいらしい屋根がつけられていて、その下で、春の陽射しに照らされて、老夫婦が座って語り合っていました。
「ここにしましょうか」
私は、そっと、その高齢者マンションの案内パンフレットを一枚、とっておきの記念にいただいてきました。

4月からのNHK連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」では、「花子とアン」が始まりました。
宿のテレビ、朝の8時、毎朝観ています。
教育を受けた女性たちが、どんなふうに夢をはばたかせ、その翼で未来を描いていくのでしょうか。
「これから始まるあなたのストーリー」まさに、「わたしのストーリー」と、女性たちが声をはずませて言えるように、毎朝、元気な「花子とアン」に、励まされそうです。

私も、何か新しいことに、取り組みたくなりました。
きょうまでの一週間は、いわば休養のための一週間。
きょうになって気づいたこと、世界が変わったこと。

これから、なにか新しい形で、新しいことを書き始めたい、と思い始めました。
それは、新しい連載エッセーでもいいかもしれないし、新しい連続小説かもしれないです。
あるいは、政治からはちょっと離れて、もっと詩的な、文学的表現を追求してみてもいかもしれない、と思ったりもするのです。

そして、今年の庭には、たくさんの手作り野菜を育てて、いろいろな料理にもトライしてみたい、それから、それから、と夢がいっぱいです。

もう少し、いましばらく、時間をたっぷりと取って、新しいこれからの道を、考えてみたいのです。
それは、新しい連載の書き貯め、の時間となるかもしれないですが、どうぞ、朝倉聡子に、花を見る時間を、くださいませ。

四月の雨に降られて、駅のホームで、次の列車を待ってみたい、そんな気持ちでいます。

またときおり、旅の途中から、葉書をお伝えいたします。
ありがとうございます。

朝倉聡子。

2014年4月4日。