投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

衆議院解散総選挙の可能性について。

今、日本の社会は、嵐のなかにある。
東日本大震災後、原子力発電所の再稼働をめぐる対立は、国民世論を二分した。
その後、集団的自衛権についての世論でも、国民は二分されて対立した。
今年になってからは、安全保障法制に関して、またも二分された。
これは単に、与党と野党の対立だけ、とは言えなくなった。
右派と左派に、完全にふたつに分かれた日本社会は、今、対立に次ぐ対立によって、疲れ切っているともいえる。

そうした状況のなかで、反政府派、反政権派は、勢いを増している。
不満は募るばかりである。
ここはいっそ、来年の参院選を待たないで、衆議院解散総選挙を行いたい、というのが、野党の欲求ではないだろうか。

私も、ときどき思う。
デモや署名運動は、選挙で選ばれた議員の得票数に比べれば、遠く及ばないだろう。
しかし、昨年の選挙からこの一年で、デモの背後にいる、声を挙げない反対派は、いったい本当のところ、どれくらいいるのだろう。
一度、選挙を行って、その得票数を見てみたいものだ、と思うのである。
浮動票と呼ばれる人たちも、とても高い投票率で、投票に出かけるのかもしれない。
それくらい、国民世論は高まっているように見える。

自民党や政府は今、選挙について、どんな考えを持っているのだろう。
もちろん、選挙の準備はしているだろうと思う。
昨年もそうだったが、「勝てる」という見込みのない状況で、衆議院解散を宣言するとは思えない。
解散をする立場の人が、主導権を握っている選挙である。
しかし、今回ばかりは、開けてみなければわからない。

ずっと以前に、「郵政選挙」というのがあった。
これは、国民に信を問う選挙で、開けてみなければわからないところで、国民世論は盛り上がったものである。
今、安全保障法制をかけて、国民に信を問う気持ちは、総理大臣には、あるのだろうか?

解散総選挙を行うなら、11月にも解散して、またも12月、年末選挙というスケジュールになるだろう、と思う。
今を逃したら、今年中の選挙はないし、年明け選挙というのも、あまり聞かない。
とすると、今、選挙を行うメリットは、どのくらいあるだろうか?

私は、各政党の勝敗について、考えてみた。
自民党は、準備万端である。
確実な右派がしっかりといる。
民主党は、以前、政権交代を成功させた。
今も、激しい内閣攻撃をしている。
この情勢なら、きちん…

「国民連合政府」とは、どんなものなのか?

秋も深まってきている。
日が暮れるのが早くなって、一雨ごとに気温が下がってきているのがわかる。
まだ10月だけれども、今年は寒くなるのが、例年より早いかんじがする。

軽減税率の話が、進んでいるようだ。
この件では、自民党は、ちょっとした「ポカ」をしてしまったように見える。
もともと、軽減税率は、ヨーロッパの手法を模範にしたもので、
消費税の率を上げる際に、人々の生活必需品だけは、税率を低く抑えたものである。

日本でも、ずっと以前は、たとえば「塩」の値段は、専売公社が決めていて、国民を保護していた。
今でも、コメの値段が高騰しすぎることのないように、政府が管理している。
国民が、人間として、ある意味「生物として」生きていくのに不可欠な物資に対しては、それが不十分になって、生命体の維持が不可能になってしまったりしないように、商売や税率からは引き離して、保護するべきなのである。

それが、これまでの消費税の一律8パーセントの考え方では、まったくなされていなかった、と言ってもいいと思う。
しかし、10パーセント引き揚げ時には行われる、ということに、話が進んできた。
これは、国民の声や、メディアの努力によるところが大きいと思う。
自民党としては、これは勉強不足だった、としか言えないのではないか。

さらに、「新三本の矢」において「600兆円」のGDPの目標額がある。
これに向けた取り組みとして、「IOT」というモノゴトが、研究開発されるそうである。
この「IOT」というのは、Internet of Things の略で、インターネットを使って、宅配やタクシーの配車などの、さまざまな活動をまとめて行おう、ということである。
この「IOT」が以前から計画されていたとすれば、マイナンバーと「IOT」の結びつき、そこへ軽減税率の、すでに消えようとしている案であるが、還付式、というのは、まさに結びついて、大変なことになるところだった。

また、軽減税率が、一律のまま上がっていくとなれば、国際社会のなかで、「日本式はそれはどうなのか」と指摘されることになったかもしれない。
国民が、常識的な訴えを声にしたのは、とてもよかったと思う。

それにしても、マイナンバーとIOTを結び付けようとしていた、今のこの政府は、「大丈夫」なのだろうか?
大胆な改革をする、ということなので、それはきっと、賛成派も反…

内閣改造と「一億総活躍」。

先日、10月7日に、内閣改造が行われて、第三次安倍内閣が発足した。
私も記者会見を見ていた。
よいメンバーが選ばれている、と思えた。
新しいメンバーシップ、チームワークに期待する気持ちになった。
これから、来年に向けて、TPPのための秋の臨時国会や、さまざまな議論が交わされていくことになるのだと思う。
まだまだ、政治から目がはなせない。

今回の内閣改造では、「新三本の矢」が、発表された。
この「新三本の矢」は、「一億総活躍」というスローガンに代表される、大きな目標であり、具体的な数値である。
「一億総活躍相」も設けられた。

この、「一億総活躍」の意味が、いまひとつ、意味不明瞭である、という話になっている。
私も考えてみた。

具体的な数値目標はこのとおりになっている。
その1、GDP 600兆円
その2、希望出生率 1.8
その3、介護離職 ゼロ

これは、目指すべき大きな目標である、ということで、具体的な法案やロードマップは、これから考える、ということである。
どんな法案が生まれてくるのか、本当に楽しみである。

私も、じっくり考えてみた。

GDP 600兆円、という数字は、現在のGDPが490兆円であるから、とてつもなく大きな数値目標である。
これは、「一億総活躍」となった状態のときに、生み出されるであろう生産を、誰かがなんらかの方法で、計算したのだろうと思う。
「一億総活躍」となった状態、というのも、考え方というか、文章の読み取り方になってくる。
現在の日本の人口は約一億人であるが、今のところ、「総活躍」はしていない、という認識のもとに、言われている言葉である。

では、どんな人たちが、「活躍していない」と認識されているのだろう。
「活躍している」とは、どんな状態にあることを指すのだろう。

これは、目標GDPを見るとわかることで、生産活動をしている、ということになるだろう。
給与をもらって仕事をしている、という状態だと思う。

そうすると、今、「給与をもらう仕事」に従事していないのは、どんな人だろう?
と考える。
やはり、専業主婦、高齢者、障がい者、ということになるだろうか。
未成年の児童や青少年は、勉強中なので、「活躍」からは除外する、ということになるだろうか。

これらをひとつひとつ考えてみると、高齢者は、健康であれば、生産的な仕事に就くことがまだまだ可能である。

2015・ノーベル賞ウィーク。

今年も秋のノーベル賞ウィークがやってきた。
連日、速報が鳴り響く。
近年では、インターネットの動画で、発表の様子を、ライブ中継で見ることが出来る。
ノルウェーで行われている発表会の緊迫した様子が伝わってきて、どきどきする。
こうして「世界」に触れると、本当になにかこう、未来へのワクワクした気持ちが高まる。

月曜日の夜は、医学生理学賞の発表だった。
日本から、大村智博士が、授賞された。
微生物学の片りんに属する私としても、本当に本当にうれしかった。
長年にわたる、コツコツとした努力が実を結んだのだと思う。
「成功の理由は?」と記者会見で問われて、「私どもの研究は、共同研究ですから」という言い方は、とてもそのとおりで、うれしいものだった。
生物学の研究を本当にわかっているかたの言葉だと思った。
これから、日本でも世界中でも、微生物学の研究にスポットライトがあたって、予算も充分に組まれて、ますますの発展が期待される。
本当にうれしかった。
おめでとうございます。

昨夜、火曜日の夜は、ノーベル物理学賞の発表だった。
聞きなれないノルウェーの言葉に耳を澄ませていると、まちがいなく、日本人の名前が読み上げられていた。
「スーパーカミオカンデ」の言葉も聞こえる。
ニュートリノの研究で、日本の梶田隆章博士が、授賞された。
本当に素晴らしいことである。
飛騨の山奥に、地下1000メートルの深さに掘った、スーパーカミオカンデの話は私もよく知っていた。
日本の研究者の、真面目で繊細で誠実な性質が、こうした研究成果をもたらすのだと思う。
ニュートリノというのは、どこまで細かく小さいのだろうか。
宇宙の始まりに関しても、これからもっともっと研究が進むという。
また、これからの日本の子どもたちが、こうした研究に興味を持ち、取り組む意欲も環境も整うということだろう。
本当に、喜ばしいことである。
おめでとうございます。

こうして、秋の夜長は、世界的な、人類的な躍進を目の当たりにして、学問の秋を楽しむことができる。
きょう7日は、ノーベル化学賞の発表である。
そして、明日8日はノーベル文学賞、あさって9日はノーベル平和賞と、発表が続く。
週明けの12日月曜日は、ノーベル経済学賞の発表である。

明日8日の、ノーベル文学賞は、日本中の人々にとって、本当にやきもきして、ざわつく夜になりそうだ。
大江…

内閣改造の試練。

明日、7日は、内閣改造である。
相当数の閣僚席が、留任となっている。
昨年も内閣改造があった。
安倍総理大臣の方針としては、老壮青に女性、といった、バラエティに富む、それでいて安定した閣僚を整備したいようである。
来年の憲法改正に向けて、盤石な体制が準備されている。

アリの穴から堤が崩れる、という。
今回の内閣改造で、アリの穴となりそうなのは、どの閣僚席だろう。
国土交通相、公明党の席である。

思えば、維新の党も、不自然な分裂劇を繰り広げた。
次に、反戦派が狙いを定めるのは、公明党である。
公明党も、維新の党のように、内部分裂をすれば、議席の数は減り、連立与党は、危機にさらされる。

反戦派、反安倍派の動きは、安保法案の採決のあとも、決して止まってはいなかったようだ。
安倍総理大臣が、日本をあとにして、TPPに専念しているころ、反体制派は、公明党のそれもトップ幹部にモーションをかけて、公明党の分裂を、画策しているようだ。

ここで、太田国土交通相が、退陣となれば、公明党内の力関係がうまくいかなくなることは必須である。

総理大臣には、閣僚の任命権がある。
公明党の党代表がなんと言おうと、今は、与党の安定を、第一に考えて、今からでも、太田氏の留任を、決定すべきである。




TPP交渉大筋合意。乳製品について。

TPPの交渉も、最終的な目的地が見えてきたようである。
世界経済を革新的に変える、TPPの交渉は、誰もが注目しているところである。
夜になるという、共同記者会見が楽しみである。

最後の難関は、ニュージーランドがアメリカに対して、乳製品の市場開放を強く主張しているあたりだということである。
ニュージーランドは、酪農王国であり、酪農大国である。
ニュージーランド経済の大半を、酪農業が占めている、ということである。
そして、酪農立国の名にふさわしく、世界の乳製品流通量の30パーセントを、ニュージーランドが占めている。

乳製品とは、生乳、つまり搾ったばかりの状態の液体状の牛乳を、さまざまに加工して作った製品である。
チーズやバター、脱脂粉乳、粉乳、乳清、といろいろな加工製品がある。
アメリカへの市場開放は、乳製品のどれか、たとえば「乳清のみ」というような規定の枠を決めて行えば、アメリカもニュージーランドも、双方が納得できるのではないだろうか。

「乳価」は、生乳の値段である。
それは、世界経済における「株価」のような数値で表されている。
そして、世界的均衡を保っている。
世界的な「乳価」を気にしながら、農家は、生産をしている。

近年、世界的に、食生活の欧米化が進んでいることと、栄養状態のよくない難民などに対してとても栄養価が高いことで、乳製品への需要は増大している。

TPP交渉、大筋合意へ。

9月30日から始まっていた、TPPの交渉が、日程を延期しながらも、大筋合意に達する見通しとなった。
TPPが合意となれば、これからの日本の産業も、貿易も変化してくる。
長年取り組んできた課題だっただけに、大筋合意のニュースは喜ばしいことである。

最後の最後まで残った課題は、医薬品の特許保護期間であった。
私は、アメリカの言っていることは、とても重要なことだと思った。
医薬品の研究開発には、たくさんのコストと、膨大な人件費、たくさんの研究者の努力、研究のための設備投資、それから時間がかかる。
ひとつの薬を開発して商品化するまでに、数十年かかるものもある。

この医薬品のデータ、つまりレシピを、アメリカでは国内の医薬品開発のために保護したかったということだから、これも当然のことである。
医薬品の特許と、最初に研究開発した人たち、製薬会社の権利を保護しなければ、今後、医薬品の研究のための、意欲も資金もなくしてしまう。
それでは、人類的な、医学の進歩は望めない。
医薬品の研究を金銭的に守ることは、医薬品のこれからの未来のために、どうしても必要なことなのである。

せっかく、莫大な資金をかけて、医薬品を開発したとしても、ほんの5年か8年で、その特許を手放し、後発品を許すとなれば、「もうばかばかしいから、研究開発なんかしないで、どこかの誰かが開発したものを、後発品で売り出すことにする」というような製薬会社が現れないとも限らない。

アメリカの主張は、強気でもゲームでもなく、「本気」なのである。
アメリカの、「12年」を受け入れるくらいの態勢は必要である。
また、この「12年」の意義が、わかるようなアジア諸国の「意識変革」も、これから先もっともっと必要なので、理解させるように努めるべきである。





インフォメーション・「あさが来た」

9月28日から、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が始まった。
朝の15分のテレビドラマが、半年間続くのである。
私は昨年4月から9月までの前半期に「花子とアン」の感想を書いてきた。
その後、10月から今年3月までの後半期に「マッサン」の感想を書いてきた。
どちらもとても手ごたえのあるドラマで、書いていてとても楽しかった。

今年4月から9月までの「まれ」は、都合によりお休みして、次回作の「あさが来た」を楽しみにしていた。
この「あさが来た」も、ホームページでいろいろ読んで調べてみると、展開が楽しみな、とても面白そうなドラマである。
この感想をまた、半年間、書いてみてほしい、という要望も多少ならずあって、私もどうしようか迷ったのだけれども、やはり見送ることにした。

というのは、若い書き手に、これにトライしてほしい、と思うからである。
テレビドラマを半年間、続けて見ることだけでも、忍耐力のいることだけれども、視聴者は、学校や会社、家庭という毎日を淡々と送っているのである。
そして、ドラマと一緒に、考えたり、悩んだり、楽しんだり、笑ったり泣いたりするのである。
そうした、視聴者と一緒の目線を持ちながら、一方で、ドラマ制作者の都合を考えてみたりもする。

私の「感想」には、そうした、いろいろな要素が集まっていたと、自分で思う。

今回の「あさが来た」のテーマは、ひとつは、朝ドラ初の時代劇、ということであるが、江戸時代から明治への激動の時期に、ヒロインがどう生きたか、という点が、大きなテーマであると思う。

また、いくつか絞れるテーマがあって、これは朝ドラのテーマとして定番であるが、「夫婦愛」である。
「あさが来た」では、生まれたときからの許嫁、という夫婦の縁だが、この縁を、一生はぐくんでいくことになる。
夫婦がどのように人間関係、夫婦関係を築き、大切にし、時には泣いたりもするのか、ここは、見どころというか、研究のしどころであると思う。

現代には、「嫌婚」という言葉もあるそうである。
もう、「婚活」つまり、結婚のための努力はしない、ということなのである。
結婚は、ハイリスクノーリターンである、と言いきる若者もいるそうである。

そうした現代のなかで、ドラマがどのように、夫婦が夫婦でいることの必要性を訴えていくのか、とても楽しみなところである。
視聴者によっては、「やっぱり結婚なん…