2015年10月20日火曜日

衆議院解散総選挙の可能性について。


今、日本の社会は、嵐のなかにある。
東日本大震災後、原子力発電所の再稼働をめぐる対立は、国民世論を二分した。
その後、集団的自衛権についての世論でも、国民は二分されて対立した。
今年になってからは、安全保障法制に関して、またも二分された。
これは単に、与党と野党の対立だけ、とは言えなくなった。
右派と左派に、完全にふたつに分かれた日本社会は、今、対立に次ぐ対立によって、疲れ切っているともいえる。

そうした状況のなかで、反政府派、反政権派は、勢いを増している。
不満は募るばかりである。
ここはいっそ、来年の参院選を待たないで、衆議院解散総選挙を行いたい、というのが、野党の欲求ではないだろうか。

私も、ときどき思う。
デモや署名運動は、選挙で選ばれた議員の得票数に比べれば、遠く及ばないだろう。
しかし、昨年の選挙からこの一年で、デモの背後にいる、声を挙げない反対派は、いったい本当のところ、どれくらいいるのだろう。
一度、選挙を行って、その得票数を見てみたいものだ、と思うのである。
浮動票と呼ばれる人たちも、とても高い投票率で、投票に出かけるのかもしれない。
それくらい、国民世論は高まっているように見える。

自民党や政府は今、選挙について、どんな考えを持っているのだろう。
もちろん、選挙の準備はしているだろうと思う。
昨年もそうだったが、「勝てる」という見込みのない状況で、衆議院解散を宣言するとは思えない。
解散をする立場の人が、主導権を握っている選挙である。
しかし、今回ばかりは、開けてみなければわからない。

ずっと以前に、「郵政選挙」というのがあった。
これは、国民に信を問う選挙で、開けてみなければわからないところで、国民世論は盛り上がったものである。
今、安全保障法制をかけて、国民に信を問う気持ちは、総理大臣には、あるのだろうか?

解散総選挙を行うなら、11月にも解散して、またも12月、年末選挙というスケジュールになるだろう、と思う。
今を逃したら、今年中の選挙はないし、年明け選挙というのも、あまり聞かない。
とすると、今、選挙を行うメリットは、どのくらいあるだろうか?

私は、各政党の勝敗について、考えてみた。
自民党は、準備万端である。
確実な右派がしっかりといる。
民主党は、以前、政権交代を成功させた。
今も、激しい内閣攻撃をしている。
この情勢なら、きちんと候補さえ立てれば、勝てる見込みはある。

維新の党は、分裂騒動のただなかにあるが、選挙というと、結束する可能性があるしまた、次の国政選挙のために、国政をするために、今の分裂騒動を起こしている、ともいえる。本気で戦うだろうと思う。
共産党は、バックボーンに中国を抱えている。
日中の関係がこのような状態になっているときに、不遜な動きをするのではないか、と気になるところである。
国民連合政府を打ち立てよう、という話も、とんだ野望に見えてくる。

ママの会、SEALDsは、どのように参加するだろう。
単なるデモに終わるのか、それとも正式に政治に参加してくるのか、気になるところであるが、それ相当の得票数と、議席確保は期待できるところである。
そうすると、選挙後の政治は、面白くなってくる。

ここで、公明党のことを、書かなければならない。
公明党の支持基盤、大きな組織票というと、創価学会である。
池田大作氏が姿を現さなくなって、もう数年になっている。
ご存命であるとしても、相当の高齢で、すでに、後継者が選挙その他の活動を取り仕切っているとみてもまちがいない。
池田大作氏のいない創価学会は、これからこのあとどうなるのだろうか。

誰もが、この宗教団体から、勧誘を受けたり、公明党への投票を依頼されたことがあると思う。
国民として思想信念の自由は保障されるべきであるが、今、公明党が、解散総選挙に向かうと、すでに支持基盤が割れてきている創価学会が、分裂して、もう公明党が、なくなる、という可能性が見えてきた。
日本の宗教界に、さまざまな物議をかもしてきた新興宗教団体が、ここで消えてなくなる、というのも、日本の将来にとって、一大事という気がしてくる。
世界に誇る日本の文化、宗教、という点で、今後の創価学会に関して、どのように対応するか、ここも政治的判断であるように思う。





2015年10月17日土曜日

「国民連合政府」とは、どんなものなのか?

秋も深まってきている。
日が暮れるのが早くなって、一雨ごとに気温が下がってきているのがわかる。
まだ10月だけれども、今年は寒くなるのが、例年より早いかんじがする。

軽減税率の話が、進んでいるようだ。
この件では、自民党は、ちょっとした「ポカ」をしてしまったように見える。
もともと、軽減税率は、ヨーロッパの手法を模範にしたもので、
消費税の率を上げる際に、人々の生活必需品だけは、税率を低く抑えたものである。

日本でも、ずっと以前は、たとえば「塩」の値段は、専売公社が決めていて、国民を保護していた。
今でも、コメの値段が高騰しすぎることのないように、政府が管理している。
国民が、人間として、ある意味「生物として」生きていくのに不可欠な物資に対しては、それが不十分になって、生命体の維持が不可能になってしまったりしないように、商売や税率からは引き離して、保護するべきなのである。

それが、これまでの消費税の一律8パーセントの考え方では、まったくなされていなかった、と言ってもいいと思う。
しかし、10パーセント引き揚げ時には行われる、ということに、話が進んできた。
これは、国民の声や、メディアの努力によるところが大きいと思う。
自民党としては、これは勉強不足だった、としか言えないのではないか。

さらに、「新三本の矢」において「600兆円」のGDPの目標額がある。
これに向けた取り組みとして、「IOT」というモノゴトが、研究開発されるそうである。
この「IOT」というのは、Internet of Things の略で、インターネットを使って、宅配やタクシーの配車などの、さまざまな活動をまとめて行おう、ということである。
この「IOT」が以前から計画されていたとすれば、マイナンバーと「IOT」の結びつき、そこへ軽減税率の、すでに消えようとしている案であるが、還付式、というのは、まさに結びついて、大変なことになるところだった。

また、軽減税率が、一律のまま上がっていくとなれば、国際社会のなかで、「日本式はそれはどうなのか」と指摘されることになったかもしれない。
国民が、常識的な訴えを声にしたのは、とてもよかったと思う。

それにしても、マイナンバーとIOTを結び付けようとしていた、今のこの政府は、「大丈夫」なのだろうか?
大胆な改革をする、ということなので、それはきっと、賛成派も反対派もいる、とは思うけれども、これからの日本は大きな荒波にもまれて、のまれていく感も、いなめないところだ、と私は思う。

ところで、秋の臨時国会は、開かれないことになったそうである。
国際的なさまざまな会議や交流が行われる時期なので、いいことだと思う。

国内では、次の選挙に向けて、動きが起こっているようである。
私が特に、興味深いと思うのは、共産党が呼び掛けている「国民連合政府」である。
安保法案の成立の時期から、すぐに、共産党の委員長が、ツイッターで呼びかけを始めていた。
安保法案に反対する立場の議員が、政党を超えて、ではなくて、連立政権を組んで、国民連合政府を作る、という案だそうである。
この案に、どのくらいの政党や議員が共鳴しているのだろうか?

共産党としても、もしかすると政権が握れるあたりが見えてきたのだろうか、現実的になってきて、日米安全保障条約は維持する、と言い出した。
理想と現実の着地点、という意味で、政治的に大人になってきたのだろうか。


民主党のほうでは、すでに来夏の参院選の候補が準備できたころだと思う。
もしかすると、ママの会やSEALDsも、政党を作って候補を立てるのだろうか。

そうした動きが、ある程度まで整ってきたとすると、これからの活動は、具体的かつ計画的に動かなければならない、と思う。

選挙というと、自民党の手法にならうのが、一番かと思う。
自民党は長い政党の歴史のなかで、選挙に関しては経験を積み重ねている。

まずは、年末年始の活動である。
有権者に年賀状書きから始めるのが妥当だろう。
年末年始には、ご挨拶をすることも必要だろう。
自民党議員は、こうしたときに、選挙地盤の地元に帰って、結婚式やお葬式、子ども会の野球チームでの交流などを、している。
「新しいやり方」を模索するのも大事だけれども、こうして有権者と親しい交流を持つのは大事なことだ。

それから、後援会である。
有権者の皆様のなかで、我が候補を特別に支援してくれるという人を、後援会に入ってもらって応援してもらうことは、とても大事である。

それから、もうすでに、インターネット選挙の時代となっている。
後援会や、支援者は、ホームページの充実と、ツイッターのアカウントの開設を、始めたほうがいいと思う。

来年、年明けには、すぐに、ツイッターや動画サイトを通して、政治的な考えを発表して討論に入る。
これから、来夏の参議院選に向けて、本格的な活動が、始まろうとしている。




2015年10月10日土曜日

内閣改造と「一億総活躍」。


先日、10月7日に、内閣改造が行われて、第三次安倍内閣が発足した。
私も記者会見を見ていた。
よいメンバーが選ばれている、と思えた。
新しいメンバーシップ、チームワークに期待する気持ちになった。
これから、来年に向けて、TPPのための秋の臨時国会や、さまざまな議論が交わされていくことになるのだと思う。
まだまだ、政治から目がはなせない。

今回の内閣改造では、「新三本の矢」が、発表された。
この「新三本の矢」は、「一億総活躍」というスローガンに代表される、大きな目標であり、具体的な数値である。
「一億総活躍相」も設けられた。

この、「一億総活躍」の意味が、いまひとつ、意味不明瞭である、という話になっている。
私も考えてみた。

具体的な数値目標はこのとおりになっている。
その1、GDP 600兆円
その2、希望出生率 1.8
その3、介護離職 ゼロ

これは、目指すべき大きな目標である、ということで、具体的な法案やロードマップは、これから考える、ということである。
どんな法案が生まれてくるのか、本当に楽しみである。

私も、じっくり考えてみた。

GDP 600兆円、という数字は、現在のGDPが490兆円であるから、とてつもなく大きな数値目標である。
これは、「一億総活躍」となった状態のときに、生み出されるであろう生産を、誰かがなんらかの方法で、計算したのだろうと思う。
「一億総活躍」となった状態、というのも、考え方というか、文章の読み取り方になってくる。
現在の日本の人口は約一億人であるが、今のところ、「総活躍」はしていない、という認識のもとに、言われている言葉である。

では、どんな人たちが、「活躍していない」と認識されているのだろう。
「活躍している」とは、どんな状態にあることを指すのだろう。

これは、目標GDPを見るとわかることで、生産活動をしている、ということになるだろう。
給与をもらって仕事をしている、という状態だと思う。

そうすると、今、「給与をもらう仕事」に従事していないのは、どんな人だろう?
と考える。
やはり、専業主婦、高齢者、障がい者、ということになるだろうか。
未成年の児童や青少年は、勉強中なので、「活躍」からは除外する、ということになるだろうか。

これらをひとつひとつ考えてみると、高齢者は、健康であれば、生産的な仕事に就くことがまだまだ可能である。
働きがい、生きがいを求めている人もいるだろうと思う。
障がい者はどうだろう?
障がいを持っていても、なんらかの形で社会貢献したい、と思う人もいると思う。

次に、専業主婦である。
専業主婦は、家事と育児に携わっているわけであるが、給与をもらう仕事ではない。
人口の半分が女性であることを考えると、総理大臣は、特に女性に「社会で活躍する」という状態になってほしい、と思っているように思う。

私も、ときどき思うことがある。
せっかく四年制大学を出て、資格試験も合格したのに、結婚や出産、そして介護、という問題で、仕事を辞めて、家庭に入る人が多い。
これはもったいないことだと思う。
この主婦の人たちが、生きがいを持って家事と育児に励んでいるならまだしも、世の中的には、やはり「三食昼寝付き」を楽しんでいる女性も、とても数多く存在するように思われる。

こうした、学問をおさめた女性たちが、もっと生産的活動に従事できるようにすると、GDPも600兆円に達するのではないだろうか。

次に希望出生率である。
両親のもとから、子どもが生まれる、と考えると、二人以上の子どもが生まれないと、人口は減少していくということになる。
よりつきつめて考えるとこれは、とてもデリケートで、ソフトな面を持った問題である。
恋愛から結婚に至り、結婚から出産に至り、という過程を考えると、女性はもとより、男性の、ライフスタイル、人生観まで幅広く考えなければならない、と思う。

この、デリケートでソフトな問題を、政治的な視点から対応して、法案を立てるということである。
電話による「恋愛ホットライン」や「嫁姑ホットライン」を開設するべきだろうか。

次に、介護離職ゼロ、である。
高齢化社会において、介護の問題は、皆が直面しなければならない問題だと思う。
これは、女性だけではなく、男性にも負担がかかってくる問題である。
また、介護そのものを少なくするために、高齢者が健康でいられることも、大切な要件になってくるだろうと思う。

こうした目標を、総理大臣から提案されたので、国民として、ひとりひとりが、その目標に到達するために、「どうしたらいいか?」と、「なぞなぞ」を出されたつもりで、考えてみてはどうか、と思う。

私は、夢のある提案である、と思った。
みんなで一緒に、目標に向かっていきたい、と思う。

☆追記
四年制大学を卒業した女性が、一度は正社員に就きながらも、その後離職した場合、どのようないきさつで、離職することになったのだろう?
四年制大学を卒業した女性の、「追跡調査」をしてみてはどうだろう?


2015年10月7日水曜日

2015・ノーベル賞ウィーク。


今年も秋のノーベル賞ウィークがやってきた。
連日、速報が鳴り響く。
近年では、インターネットの動画で、発表の様子を、ライブ中継で見ることが出来る。
ノルウェーで行われている発表会の緊迫した様子が伝わってきて、どきどきする。
こうして「世界」に触れると、本当になにかこう、未来へのワクワクした気持ちが高まる。

月曜日の夜は、医学生理学賞の発表だった。
日本から、大村智博士が、授賞された。
微生物学の片りんに属する私としても、本当に本当にうれしかった。
長年にわたる、コツコツとした努力が実を結んだのだと思う。
「成功の理由は?」と記者会見で問われて、「私どもの研究は、共同研究ですから」という言い方は、とてもそのとおりで、うれしいものだった。
生物学の研究を本当にわかっているかたの言葉だと思った。
これから、日本でも世界中でも、微生物学の研究にスポットライトがあたって、予算も充分に組まれて、ますますの発展が期待される。
本当にうれしかった。
おめでとうございます。

昨夜、火曜日の夜は、ノーベル物理学賞の発表だった。
聞きなれないノルウェーの言葉に耳を澄ませていると、まちがいなく、日本人の名前が読み上げられていた。
「スーパーカミオカンデ」の言葉も聞こえる。
ニュートリノの研究で、日本の梶田隆章博士が、授賞された。
本当に素晴らしいことである。
飛騨の山奥に、地下1000メートルの深さに掘った、スーパーカミオカンデの話は私もよく知っていた。
日本の研究者の、真面目で繊細で誠実な性質が、こうした研究成果をもたらすのだと思う。
ニュートリノというのは、どこまで細かく小さいのだろうか。
宇宙の始まりに関しても、これからもっともっと研究が進むという。
また、これからの日本の子どもたちが、こうした研究に興味を持ち、取り組む意欲も環境も整うということだろう。
本当に、喜ばしいことである。
おめでとうございます。

こうして、秋の夜長は、世界的な、人類的な躍進を目の当たりにして、学問の秋を楽しむことができる。
きょう7日は、ノーベル化学賞の発表である。
そして、明日8日はノーベル文学賞、あさって9日はノーベル平和賞と、発表が続く。
週明けの12日月曜日は、ノーベル経済学賞の発表である。

明日8日の、ノーベル文学賞は、日本中の人々にとって、本当にやきもきして、ざわつく夜になりそうだ。
大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞が1996年であったから、もう19年たっている。
そろそろまた、日本にも「賞が来る」のではないかと、期待されている。

日本からの候補というか、ノーベル賞には「候補」というのはないそうだが、話題になっているのは、村上春樹氏だそうである。
村上春樹といえば、日本でも30年ほど前に、いっせいを風靡した作家である。
近年また、若い人たちに流行が来ていて、30年まえの作品が、最近になって映画化された、ということだ。
また、英訳、仏訳もされていて、独特の文体は英訳しても伝わるようで、特に中国の若者などに、人気があるということである。
世界中の、海外文学ファンにとって、やはり「読みやすさ」「面白さ」という点で、村上文学は、広く読まれている、ということだと思う。

でも私は、あえて言うとすると、村上文学が、日本を代表する世界的文学だ、とは、思えないところがある。
30年まえの日本と言えば、欧米への傾倒がまだまだ強く、自国の誇りとかアイデンティティが確立されていなかったころだ。
それで、イギリスのバンド「ビートルズ」の曲が題名になった「ノルウェイの森」や、海外文学を題名にとった「海辺のカフカ」などが、代表作になっている。
これらの文学が、「日本として、日本文化を世界に発信する」という意味で、日本国の代表作と呼べるかどうか、というと疑問である。

大江文学は、日本の伝統文化を隅々まで描きつくしていた。
日本家屋の描写などは、とても印象深い。
川端康成は、日本人の特別に繊細な感性を表現していたと思う。

そうした点から、今の日本を代表する文学を、しっかり選んでほしい、と切に願うものである。
正直、今、村上春樹氏が、ノーベル賞を授賞するとなると、日本の文壇は漂流してしまうと思うのである。

私が、「日本文化の発信」として、とてもよい作品だと思うのは、五木寛之氏の「親鸞」である。
こうした、日本的な情緒と描写のある日本文学を、世界に発信していきたい、と願うものである。

今夜も明日も、ノーベル賞ウィークはまだまだ続く。
涼しく穏やかな秋を、じっくりと味わっていきたい、と思う。


ノーベル賞ホームページ → http://www.nobelprize.org/


2015年10月6日火曜日

内閣改造の試練。


明日、7日は、内閣改造である。
相当数の閣僚席が、留任となっている。
昨年も内閣改造があった。
安倍総理大臣の方針としては、老壮青に女性、といった、バラエティに富む、それでいて安定した閣僚を整備したいようである。
来年の憲法改正に向けて、盤石な体制が準備されている。

アリの穴から堤が崩れる、という。
今回の内閣改造で、アリの穴となりそうなのは、どの閣僚席だろう。
国土交通相、公明党の席である。

思えば、維新の党も、不自然な分裂劇を繰り広げた。
次に、反戦派が狙いを定めるのは、公明党である。
公明党も、維新の党のように、内部分裂をすれば、議席の数は減り、連立与党は、危機にさらされる。

反戦派、反安倍派の動きは、安保法案の採決のあとも、決して止まってはいなかったようだ。
安倍総理大臣が、日本をあとにして、TPPに専念しているころ、反体制派は、公明党のそれもトップ幹部にモーションをかけて、公明党の分裂を、画策しているようだ。

ここで、太田国土交通相が、退陣となれば、公明党内の力関係がうまくいかなくなることは必須である。

総理大臣には、閣僚の任命権がある。
公明党の党代表がなんと言おうと、今は、与党の安定を、第一に考えて、今からでも、太田氏の留任を、決定すべきである。




2015年10月5日月曜日

TPP交渉大筋合意。乳製品について。


TPPの交渉も、最終的な目的地が見えてきたようである。
世界経済を革新的に変える、TPPの交渉は、誰もが注目しているところである。
夜になるという、共同記者会見が楽しみである。

最後の難関は、ニュージーランドがアメリカに対して、乳製品の市場開放を強く主張しているあたりだということである。
ニュージーランドは、酪農王国であり、酪農大国である。
ニュージーランド経済の大半を、酪農業が占めている、ということである。
そして、酪農立国の名にふさわしく、世界の乳製品流通量の30パーセントを、ニュージーランドが占めている。

乳製品とは、生乳、つまり搾ったばかりの状態の液体状の牛乳を、さまざまに加工して作った製品である。
チーズやバター、脱脂粉乳、粉乳、乳清、といろいろな加工製品がある。
アメリカへの市場開放は、乳製品のどれか、たとえば「乳清のみ」というような規定の枠を決めて行えば、アメリカもニュージーランドも、双方が納得できるのではないだろうか。

「乳価」は、生乳の値段である。
それは、世界経済における「株価」のような数値で表されている。
そして、世界的均衡を保っている。
世界的な「乳価」を気にしながら、農家は、生産をしている。

近年、世界的に、食生活の欧米化が進んでいることと、栄養状態のよくない難民などに対してとても栄養価が高いことで、乳製品への需要は増大している。

TPP交渉、大筋合意へ。


9月30日から始まっていた、TPPの交渉が、日程を延期しながらも、大筋合意に達する見通しとなった。
TPPが合意となれば、これからの日本の産業も、貿易も変化してくる。
長年取り組んできた課題だっただけに、大筋合意のニュースは喜ばしいことである。

最後の最後まで残った課題は、医薬品の特許保護期間であった。
私は、アメリカの言っていることは、とても重要なことだと思った。
医薬品の研究開発には、たくさんのコストと、膨大な人件費、たくさんの研究者の努力、研究のための設備投資、それから時間がかかる。
ひとつの薬を開発して商品化するまでに、数十年かかるものもある。

この医薬品のデータ、つまりレシピを、アメリカでは国内の医薬品開発のために保護したかったということだから、これも当然のことである。
医薬品の特許と、最初に研究開発した人たち、製薬会社の権利を保護しなければ、今後、医薬品の研究のための、意欲も資金もなくしてしまう。
それでは、人類的な、医学の進歩は望めない。
医薬品の研究を金銭的に守ることは、医薬品のこれからの未来のために、どうしても必要なことなのである。

せっかく、莫大な資金をかけて、医薬品を開発したとしても、ほんの5年か8年で、その特許を手放し、後発品を許すとなれば、「もうばかばかしいから、研究開発なんかしないで、どこかの誰かが開発したものを、後発品で売り出すことにする」というような製薬会社が現れないとも限らない。

アメリカの主張は、強気でもゲームでもなく、「本気」なのである。
アメリカの、「12年」を受け入れるくらいの態勢は必要である。
また、この「12年」の意義が、わかるようなアジア諸国の「意識変革」も、これから先もっともっと必要なので、理解させるように努めるべきである。





2015年10月3日土曜日

インフォメーション・「あさが来た」


9月28日から、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が始まった。
朝の15分のテレビドラマが、半年間続くのである。
私は昨年4月から9月までの前半期に「花子とアン」の感想を書いてきた。
その後、10月から今年3月までの後半期に「マッサン」の感想を書いてきた。
どちらもとても手ごたえのあるドラマで、書いていてとても楽しかった。

今年4月から9月までの「まれ」は、都合によりお休みして、次回作の「あさが来た」を楽しみにしていた。
この「あさが来た」も、ホームページでいろいろ読んで調べてみると、展開が楽しみな、とても面白そうなドラマである。
この感想をまた、半年間、書いてみてほしい、という要望も多少ならずあって、私もどうしようか迷ったのだけれども、やはり見送ることにした。

というのは、若い書き手に、これにトライしてほしい、と思うからである。
テレビドラマを半年間、続けて見ることだけでも、忍耐力のいることだけれども、視聴者は、学校や会社、家庭という毎日を淡々と送っているのである。
そして、ドラマと一緒に、考えたり、悩んだり、楽しんだり、笑ったり泣いたりするのである。
そうした、視聴者と一緒の目線を持ちながら、一方で、ドラマ制作者の都合を考えてみたりもする。

私の「感想」には、そうした、いろいろな要素が集まっていたと、自分で思う。

今回の「あさが来た」のテーマは、ひとつは、朝ドラ初の時代劇、ということであるが、江戸時代から明治への激動の時期に、ヒロインがどう生きたか、という点が、大きなテーマであると思う。

また、いくつか絞れるテーマがあって、これは朝ドラのテーマとして定番であるが、「夫婦愛」である。
「あさが来た」では、生まれたときからの許嫁、という夫婦の縁だが、この縁を、一生はぐくんでいくことになる。
夫婦がどのように人間関係、夫婦関係を築き、大切にし、時には泣いたりもするのか、ここは、見どころというか、研究のしどころであると思う。

現代には、「嫌婚」という言葉もあるそうである。
もう、「婚活」つまり、結婚のための努力はしない、ということなのである。
結婚は、ハイリスクノーリターンである、と言いきる若者もいるそうである。

そうした現代のなかで、ドラマがどのように、夫婦が夫婦でいることの必要性を訴えていくのか、とても楽しみなところである。
視聴者によっては、「やっぱり結婚なんて必要ない」という結論に達するかもしれない。
ドラマがどれだけ、結婚の必要性を感じさせてくれるのか、あるいは、時代を嫌婚ブームに仕立て上げてしまうのか、見どころである。

もうひとつのテーマは、ヒロインあさが、女性実業家として成功していく点である。
時代背景がちがうので、今の私たちにそっくりそのまま当てはまるかどうかは、わからない。
しかし、普遍というのは、きっとあると思う。
現代社会で、仕事をして、それも大きな仕事をしていこう、としている女性たちがぶつかる悩みに、ヒロインあさも、きっとぶつかるのだろうと、思う。
その障害を、どのように乗り越えていくのか、ひとつひとつ、見守っていきたいところである。
これは、結婚しているかどうかには、関係ないかもしれないし、あるのかもしれない。
また、女性実業家という仕事が、恋愛や家庭とどう両立するのか、こうしたところも、学ぶところがたくさんあると思う。

できれば女性が、これらのテーマのどこかを見つけて、できればひとつに絞って、この半年間、ドラマをよく見て、そして、自分の感想を、自分の文章で書き表してみてほしい、と思う。

書いたものは、インターネット上に出すと、NHKの人たちが、けっこう探して隅から隅まで読んで参考にしているようなので、そういう方法もあると思う。
また、自分だけのものとして、日記などにしたためてもよいかもしれない。

私も、このドラマを見て、ここに挙げたいくつかのテーマを、そのときどきで、考えて、発表することもあるかもしれない。

でも、本当に、若手に、たくさん書いてほしい、と思うものである。

これから、冬を越えて半年間、ヒロインあさの笑顔に楽しませてもらいながら、じっくりと「女性の生き方」について、思索を深めていきたい。