2014年8月31日日曜日

NHK「花子とアン」第22週「新しい家族」感想。

今年の春から始まったドラマ「花子とアン」。
NHKの朝の連続テレビ小説では、ひとりの女性にスポットを当てて、その半生を描くものだ。
両親の出会いから、幼い子ども時代、学校に上がる時代、就職活動、恋愛と結婚、仕事と友情、これらを描いて、物語は人生の後半戦に入っていく。
今週の「新しい家族」では、年代が「あれから5年」というふうに飛びながらも、花子の人生の後半が、進んでいくようである。
花子は40代に入り、だいたい45歳ごろであろうか。

女性の人生の、本当の充実期は40歳からである、という話をどこかで聞いたことがある。
何かの歴史小説や西洋の格言にも、やはり女性の人生は40代からが本番である、と書かれていたことを思い出す。
それは、特に女性は、10代、20代で、若い時代のときのほうが、華やかで美しいからではないか、と思う。
ただ「若い」というだけで、本当に輝かしいものだと思う。
それはそれで、若い時代を大切にするべきだと思う。
しかし、人間としての本当の深みと、10代、20代で何をしてきたか、というその結果は、やはり40代になって表れるのではないか、と思える。

物語のヒロイン・花子も、10代、20代では、紆余曲折と悩みと葛藤の連続であった。
女学校に入って学んだものの、自分の生き方が定まらず、家族との間で、それでもそのときそのときで、最善の選択をしてきたと思う。
特に、女学校を卒業した後に、郷里に戻って教員をしたことが、その後の職業を考えると回り道になっており、そうした遠回りを、ひとつひとつ自分の人生の蓄えにしてきたことが、花子の40代につながっているように思える。

そこには、小学校の教員だったころの、「子どもたちにお話を聞かせたい」という気持ちが一筋、芯が通っている。
また、一筋芯が通っているのとはまた別に、住む場所も変わり、人間関係も変わり、結婚して妻となり、母となっている。
そして、仕事も、翻訳と、「ラジオのおばさん」となっている。
変わらない目的と、次々に変わる職種とが、彼女の葛藤を物語っているようだ。
そしてそれらすべてを財産にして、その財産とは、社会的な地位であったり、職業であったり、すでに出版した本であったりするが、そこで、40代が花開くのである。

すでに、「ラジオのおばさん」の仕事は、毎日夕方の「コドモの時間」として安定しており、両親や妹たちには、自分自身の力で楽をさせてあげられるほど、経済力を身に着けている。
この週では、北海道に嫁いでいた妹のモモが、東京に来て、新しい人生を始めているが、この妹が、新しく、近代的な生活を始めることができたのも、苦境から立ち直るための手助けをすることができたのも、花子自身が、キャリアを積んできたからである。
そのキャリアとは、仕事であり、家族でもあるだろう。
また、家族が自宅の敷地内で稼働させている、印刷所兼出版社でもある。
ここの仕事は順調であるようだ。

自分の仕事、翻訳やラジオの仕事が順調で、夫の仕事、印刷所兼出版社が順調で、この状況の花子、45歳過ぎの花子には、経済的にも社会的地位も安定して潤沢な状況であったことがうかがわれる。
これが、教育を受けて、その教育を社会に発展させて努力してきた女性の姿である。

また、「新しい家族」と表題にあったように、当時はよくあったことだったようだが、妹・モモの実の娘を、村岡家の養女にすることができた。
これは、子ども一人を養う力があったということである。
育てる力でもある。

この週からは、時代は戦争の状況に入るようだ。
そして、いよいよ、モンゴメリ「赤毛のアン」との出会いである。
友たちも充分に力をつけて、女流作家として活躍している。
「赤毛のアン」との出会いは、40歳過ぎてからだったのか、と今さらながらに感慨深いものであるが、それこそが、40歳まで、努力を積み重ねてきた、学び働く女性への、人生後半への結実であり、プレゼントでもあるのだろう。
40代という、人生の成熟に向っての、これからの「花子とアン」とても楽しみである。



2014年8月30日土曜日

内閣改造の予想をしてみる。

8月も終わろうとしている。夏の終わりである。
子どもたちの夏休みが終わり二学期が始まる。
政治日程でも長かった夏休みが終わり、秋の政局が始まる。

一番最初に、すでに始まっているのは、内閣改造の話題である。
現政権はとても安定した政権であり、内閣人事はこの2年間まったくなかった。
一昨年の12月に衆議院選挙で、自民党が大勝し、たくさんの議席を獲得したことが記憶に新しい。
そして翌年、つまり昨年2013年の夏であるが、参院選で「ねじれ」を完全に克服した。
自民党政権は、国民が待ち望んだ安定政権である。
私たち国民の側からすれば、いつの間にか、自国の総理大臣の顔と名前も一致しないうちに、交代してしまうような不安定な政権より、安定して仕事をしてもらったほうが、とても安心である。
私たち庶民の仕事や役、ポストでさえ、ほんの半年や一年でそうそう変わるものではない。
じっくりと腰をすえて、仕事に取り組む態勢は、とても必要であるし、誠実に思える。

しかし、今回の内閣改造は、そうした「安定」に異議を唱える政治家が多い、という不満噴出が元である、ということで、国民としては政治不信への道を一直線にたどるべき報道の数々である。
もともと、閣僚ポストは、「仕事をするための」役であって、昇進したからそこがゴール、という意義ではないはずだ。

そういった本来の閣僚の意義を踏まえたうえで、少し大人になって、社会構造というものを見直してみたい。

今回の内閣改造には、論功行賞はあってはならないはずである。
これまで2年間、現内閣は大きな躍進を遂げてきた。
これは、計画的なものであり、その計画は、じっくりと進んでいる。
けっして、「ゆっくりと」とは言わないが、政治の計画には、100年の大計が必要だと言われているから、2年では完了しえない政治問題がたくさんあるのである。
そのほとんどが、「まだ手を付けたばかりです」という状態だと思う。
6年後の東京オリンピックもそうであるし、北陸新幹線、リニアモーターカーの開業、南海トラフ地震、首都直下地震への懸念、東北の震災の復興、経済政策、女性のための政策、少子高齢化政策、消費税増税などなど、「この2年で始まりました」という政策が山ほどある。
それらを、実行力を決意を持って、行動力と熱意をもって、実現するリーダーが、必要である。

なので、すでに始まっていて、これからも継続していく問題は、今後も同じかたが続けてくれることが望ましいのではないか、と私には思える。そうでなければ、これまでその政策の副役職として、仕事の内容を把握したうえで、これからも続けていけるかたである。

きょうも次々にニュースが入ってきて、すでに内閣改造の発表は始まっているようであるが、その細かい内容が明らかにされてはいない。
一番大きなニュースとなっているのは、石破氏の動向である。
せんだってから、新設される安全保障相の役を提案されてきたのだが、固辞しているという。
そして、これも新設される、地方創生相、ここへの大抜擢も考えられているそうだ。

私は、自分自身が長く地方に在住してきていて、都市集中型の日本の在り方にも疑問をもってきたので、地方創生相というのは、とても期待している。
まだまだ官僚組織も実体がないということなのだが、これからひとつずつ手作りで作っていくことは、とてもやりがいのある仕事であると思う。
北陸新幹線や北海道新幹線も着工して、来年には開業する、こうしたときに、地方創生相の役割はとても大きいはずである。

外交、外務大臣は誰になるのだろう?
これから、アジアとの交流や、もっと広くワールドワイドな世界交流に向けて、プロフェッショナルな手腕が期待される。
TPPの交渉もまだ途中である。
このあたりは、閣僚の交代があるかないか、ということも含めて、重厚な人事が期待されるところである。

女性閣僚の起用はすでに枠が大きく取られている、という。
これは、女性の活動政策に伴うものでもあるが、広く世界に向けて、女性に開かれた社会である日本、をアピールする目的があるだろう。
実力のある女性政治家の抜擢が期待される。


☆ 追記 ☆
 ワールドワイドな外交問題では、日本は、積極的平和主義のもと、国連と力を合わせて、種々の問題に取り組んでいる。
中でも私がとても期待しているのは、「きれいな水」に関する問題である。
特にアジアが中心となって、世界中のすべての人々が、衛生的できれいな水を与えられるように、これからの活動はとても期待されている。
積極的平和主義を本当に積極的に推進できる政治家が、ワールドワイドな取り組みをすることを、とても期待している。

2014年8月27日水曜日

NHK「花子とアン」主題歌「にじいろ」感想。


表現と日本語の間。
夏休みも終盤となった。
学生の皆さまには、夏休みの宿題がまっさかり、というところである。
受験生や浪人生の皆さまには、「夏が受験の天王山」ということで、充実した学力づくりに取り組めたのではないか、と思う。
私は、自分自身が、こうして文章を書くことでさまざまな活動をしているので、教育問題は、とても大切なことだと常々思っている。
いろいろと考えたが、やはり私は、自分が文章を書くから、という理由だけではなしに、やはり日本語、語学力、ネイティブな母国語の語学力が一番大切だ、ということが、学力と教育に一番に訴えたいことである。
私は、何よりも「正確な日本語」の習得が、一番大切なことである、と考えている。
正確な日本語は、5W1Hのかなった日本語であるが、これは、事実を正確に伝えるメディアやニュース番組などの、文章が一番であるように思う。

ここで、正確な日本語と、文学的表現について、具体例を示してよく考えてみたい。
NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」は、クランクアップを迎えたようであるが、放送はまだまだ続いている。
みなが毎朝、目にして耳にする、テーマソングの歌詞を例にとってみると、正確な日本語と、文学的表現のちがいがわかりやすいので、書き分けてみたいと思う。

♪ これから始まるあなたの物語
これは、「これから始まる○○の物語」となることが、正確な日本語である。
たとえば、「これから始まるウサギの物語」
「これから始まるミッキーマウスの物語」
などというように、○○には、名詞が入るべきである。
「だれの」あるいは「どんな」物語なのか、という修飾語になるはずだ。
しかし「あなたの」は、二人称である。
名詞にすれば、正確な日本語表現であるが、ここで二人称にしたのは、「ひとひねりした」日本語の修飾となる。
このあたりで、文学的表現となるが、これは、「伝える」日本語としては、とてもわかりずらい。

♪ ずっと長く道は続くよ
一行目に、「これからあなたの物語が始まりますよ」と呼びかけているにも関わらず、今度は、「道」が主語になっている。
これは、考えようによっては、一行目に「あなた」に呼びかけたので、「これから始まる道は長いですよ」と道について説明したようになっている。
しかし、一行目では道は出てこないので、「物語イコール道」と考えたほうがよいだろう。

♪ 虹色の雨降り注げば
「詩なので」ということで、ありえない物が登場してくる。
このあたりでは、詩的表現として、「虹色」の七色が、詩全体に彩りを醸し出していると捉えられる。
しかし、新聞、メディアでは、絶対に使わない、使ってはいけない表現である。
もし、「本当に」虹色の雨が存在するとすれば、それは人工的にインクで染色した水ということになるだろう。
このあたりでは、文学的表現として意味をかんぐれば、「色とりどりの夢や希望にあふれた雨」ということになるかもしれない。
しかし、これまた、「夢や希望」と、「雨」の印象は、とてもちがうものであって、「雨」は、一般的には、暗い、灰色の空、どんよりとした雲、とセットになるものである。

♪ 空は高鳴る
一般的に、「胸が高鳴る」「心が高鳴る」という表現はあるが、「空」がどんなふうに高鳴るのか、意味不明である。
これは、文学的表現であろう。

♪ まぶしい笑顔の奥に悲しい音がする
「笑顔」に「奥」はないし、「音」もない。

♪ 寄り添って今があってこんなにも愛おしい
一行目に「これから物語が始まる」と宣言しているにも関わらず、「過去からこれまで寄り添ってきて今がある」という過去からの話になっている。

♪ 手をつなげば温かいこと
嫌いになれば一人になっていくこと

これは、○○すれば△△である、という話法の繰り返しだとすると、
手をつなげば温かいこと、
一人になれば嫌いになって(冷たく)なっていくこと
とするのが、正確な手法である。

♪ ひとつひとつがあなたになる
ひとつひとつ、人生体験を積み重ねていけば、それが○○になる、というわけである。
しかし、その○○には、名詞がはいるべきではないだろうか。
ひとつひとつ積み重ねていくと「あなた」というアイデンティティになる、あるいは、「あなた」の人生になる、歴史になる、あなたのドラマになる、という言い方になるだろうか、このあたりをすばらしく端折っているようである。
全体に「ひとつひとつがあなたになる」では、そのままでは日本語として通じない。

♪ 道は続くよ
ここで、一行目、二行目、に帰ってきて、詩としては完結したことになる。
締めくくり方としては、これで的を射ていたようである。
それにしても、わかりずらい歌詞であった。
ここで、できるだけわかりやすく、変換してみようと思う。

♪ これから始まるあなたの人生の道、という物語
人生の道はとても長く続くものなんですよ
虹色の夢や希望が雨のように降り注ぐでしょう
夢や希望を考えると胸の鼓動が高鳴ります
笑顔というのはとてもまぶしいものですが
笑顔という喜びと泣き声という悲しみは、同時に存在するものです

人と人は寄り添っていけば愛おしさが湧いてくるものですが
一度嫌いだと思ってしまうと孤独になって寂しい思いをします

愛することも孤独も、夢も希望も、笑顔も悲しみも、
ひとつひとつを体験するごとに、あなたの人生は積み重なっていきます
そのようにして、あなたの人生の道は続いていくのです ♪

私は、この朝ドラテーマソング「にじいろ」の作詞・作曲・ボーカルを担当している絢香という女性シンガーソングライターをとても尊敬しているので、こうした文章の翻案は、絢香さんへ、なんらかの文句をつけたいわけではない。
ただここで、日本語の文学的表現と、正確な伝達表現とのちがいを、明確にしたいだけである。
日本語の文学的表現では、倒置法であったり、体言止めであったり、文学であるがゆえのさまざまな比喩を使う。
そうすることで、美しい日本文学の表現が芸術として完成するわけであるが、意味伝達としては、ある意味、これほどまでにわかりずらいのである。
それはあたかも、私が例をとってこうして書きならしてみたとおり、英語の文章を翻訳したかのようになる。

現代の日本語教育は、日本の文学的表現の意味や文化をくみとり、理解しよう、という点が目的になっているように思う。
しかし私は、文学的表現の前に、基礎的な、日本語の正確な伝達力が必要であるように思う。
基礎的に正確な日本語を、まず理解すること、そして、次に、自分の意思や考えを書き伝えることである。

ネイティブな母国語の正確な習得は、数学、歴史、理科、英語にもとても役立つ。
たとえば、数学であれば、文章題という問題がある。
数学の方程式は、文章をそのまま数学記号を使って書き直したものである。
そこでは、数字と数字との関係性が示される。
AとBとの関係性を正確に表すのは、言葉も同じ役をしているのだ。

また、歴史もそうである。
漢字や言葉、形容詞がわからなくて、どうして固有名詞が覚えられるだろうか。
覚える以前に、歴史の教科書を読みこなさなければならないのである。
歴史の教科書は、現代にはないような概念や思想もあらわされる。
まだ経験も少ない若い人たちに、歴史的概念を教えるには、歴史の教科書に出てくるたくさんの言葉を、理解しなければならない。
「革命」「政府」「主義」「王制」「権力」等々である。
これらの言語の意義を、ひとつひとつ、理解して確認しなければならない。

そういった意味で、理科もそうである。
理科は、実験の結果、実際の現象と言語を結び付けて理解して覚えなければならない。
英語は、もちろんのことである。
母国語の日本語をほとんど理解しないままで、別の言語を覚えるのはむずかしい。
最近では、特に発音やイントネーションの関係から、幼少の時期から習得を始めることが大切にされているが、発音と、それと「意義を理解する」のとは、別のことである。
また、英語には、礼儀作法や人間関係のありかたも反映されるので、それらの総合的な学習も必要とされるだろう。

現代の若者は、シンガーソングライターの、すでに基礎的日本語の上に芸術的表現を身に着けた絢香さんの歌を聴いて日本語を覚えようとして、理解不能に陥っているのではないだろうか。

正確な日本語を、芸術的表現とは別に、しっかりと基礎力として、習得する必要がある。
それは、おそらくは、小学校の教科書から、立て直すべき教育方法である。


2014年8月25日月曜日

広島土砂災害について。

広島市で起きた土砂災害は、8月25日現在で死者50人、不明者38人を出す被害となった。
市街地とも呼べる地域で起こった災害であり、地元の人々をはじめ、日本中の人々の、心理的なショックは、とても大きいところである。
報道を読むと、もともとこの地域は、山肌の地盤が弱く、以前にも同じ土砂災害を起こしていた地域であるという。
そういった地盤に、再び住宅地を建てて人が住んでいたことは、人災に当たるといわれてもしかたのないところがある。
私がテレビ映像で見ていても、あるいは、ときおりその地域を旅してみても、「どうしてあんな、山の災害のありそうなところに、住宅地を建てるのかな?」と不思議に思うときがあった。
北海道では平原、平地が広かったから、平地に家を建てるのは当たり前のことであったけれども、日本の特に海沿いでは、平野部がとても狭くて、山に向かって、段々畑よろしく、段々住宅地を建てるのが、当たり前になってきているという。
それにしても、近年でずいぶんと無理な開発をしたものだと思う。
都市部への人口集中はこうした危険を持っている。
これから、地方の創生といった政策も始まるという。
昔から人が暮らしていた、地盤の安定した場所で、人々が暮らしを営めるような、そうした政策が今後、功を奏していくだろうと思われる。

政治という仕事は、とても昔の、守護、地頭、豪族、荘園主、地元の有力者、といったころから、一番の仕事は、「治水」であったといわれる。
また、政治を司る人が、「天帝」と呼ばれ、天と地をつなぐもの、と呼ばれたのも、人々がずっと以前から、人として暮らしを営むために、天すなわち自然とのつながり、付き合い方を、とても必要としていたからだろう。
その、「天と地をつなぐ」大役を果たしていたのが、政治家である。

利根川の治水もそうであるし、小さな農村の段々畑の水の割り当ても、そこから人間のコミュニティと、文化が始まった、と呼べるものであった。
川には、護岸工事が施され、川に沿って、お寺が建てられた。
このお寺は、水をめぐる人々の争いを治める役所であり、水害で亡くなったかたを弔う役割もあった。
水と人、自然と人との付き合いは、とても昔から始まっていて、その付き合いは今もまだ、終わるということがない。

今回の、広島土砂災害も、天と地をつなぐ政治の役割は、政治家としての手腕を発揮すべき、大きなテーマとなるだろう。
政府に期待したい。



2014年8月24日日曜日

NHK「花子とアン」第21週「ラジオのおばさん誕生」感想。

絶賛放送中の「花子とアン」。
夏休みの子どもたちも巻き込んで、昭和の時代や、女性たちの生き方、ときには女性たちのファッション、あるいはときには、ヒロインとその友達の「夫」「彼氏」「恋愛」をめぐって、華やかに話題が起こっている。
私はこうした、誰もが見ているようなテレビドラマを題材にして、会社や学校で話題にしたり、あるいはツイッターやブログで、ミニ討論をしてみるのは、とてもよいことだと思っている。
今週「ラジオのおばさん誕生」では、特に、働く女性である花子を支える、夫の働きが際立った週であったと思う。
もともと作家であり翻訳家である花子に、ラジオの仕事が舞い込んできたのは、「腹心の友」である、蓮子のつながりである。
蓮子が以前の結婚で九州にいたときに、確か「福岡日報」とかいうような新聞社で、記者をしていた黒沢という男性が、東京に来て、ラジオの仕事をしていたのである。
そして、ラジオで、子ども向けに、「女性の声で放送をしたい」という要望が発生したときに、花子に白羽の矢が立てられたのである。
翻訳家である花子になぜ、ラジオの仕事が来たのだろうか。
今では、作家がラジオ番組を担当することはめずらしくはないが、花子の仕事はどちらかといえば、女性アナウンサーのような記事の読み上げである。
当時も今も、教育を受けた女性、賢い女性、西洋風の思想を身に着けた女性、そして、臆することなく積極的に前に出てくる女性は、とても重宝されたように思う。
その重宝ぶりは、ただ、「賢い女性が少ないから」という理由であるようだ。
それにしても、ラジオの仕事とは、たいしたものである。
当時としてはとても珍しく、先駆けであり、誰もがうらやむ仕事だったのではないだろうか。
仕事の話を持ってきたのは、何よりも腹心の友、友はコネクションも呼んでくれる。

この仕事を、「引き受けてみたら」と優しく微笑んでくれたのが、夫の英治である。
また、ラジオ局に挨拶に行くときに、保護者のように連れて行って、男性同士の社会の引き継ぎをしてくれたのが、夫の英治である。
また、放送の仕事で緊張するから、と、子どもの写真を持たせてくれたのも、夫の英治である。
女性が社会で仕事をするときに、保護となり盾となり、仕事の仕方を教え、社会の仕組みを教え、ときには、緊張のほぐしかたや休み方まで教えてくれる、それが、夫の役割であった。
女性が、社会のなかで、能力を出し切って仕事をするためには、何よりも周囲の人々、そして、男性の支えが必要となる。
その「男性の支え」とは、職場の男性であり、家族である。
父であり、夫であり、兄でもあるだろう。
花子は、父にも夫にも兄にも恵まれ、触発を受けている。
また、今週は、職場で、厳しい扱いを受けるのだが、これは試練というよりも、やはり仕事は厳しい、甘い考えではやっていけない、という教訓であるように思う。
まるで嫌味を言っているような、先輩のアナウンサーであっても「アナウンスというのはこうあるべき」と厳しく諭してくれているようである。
こうした中で、花子は、仕事というものを体得していくようである。

ここで、妹の「もも」が、花子の仕事に挑む様子を見ているシーンがあるのだが、「もも」は、何を感じただろうか。
私は、教育を受けた女性と、受けなかった女性との格差を感じる。
また、結婚に恵まれた女性と、恵まれなかった女性の格差を感じる。
またもうひとつ言えば、「好きな男性と結婚できた女性」と、そうではなかった女性との格差を感じるものである。
どちらにしても、花子の職場での苦労は、妹のももには、かけ離れた世界であることが物悲しい。
この家の姉妹間格差をどうこう言うのは、簡単なことである。
しかし、父親の吉平にしてみれば、子どものうちの誰かひとりに力を入れて教育をし、兄妹たちはそれを経済面で支えた、そのまわりまわった経済効果が、20年後、30年後に出ていて、妹たちも両親たちもよい暮らしへと向上しているのではないかと思われる。

それにしても、北海道の開拓から逃げてくるなんて、北海道民としては、「どうなのかな」と思えるところもあった。
みんな苦労して、原野を切り拓いて、今の雄大な北海道があるのだ。
自由と民主と、西欧風な気風を楽しめればよかったのに、とちょっと残念に思う。

今週の、「ラジオのおばさん誕生」では、ストーリーの流れが掴みずらいところがあり、来週から来月のラストに向けて、つながりの週だったのではないか、と思われる。
来週からはいよいよ、蓮子と花子と、女流作家たちの、女性解放運動が始まるのではないか、と思われる。
これは見逃せないところである。

ところで、村岡英治と花子の演技であるが、結婚して何週間、いや何年か経ったからか、とても夫婦らしくなってきた。
花子の両親役が、本当にほのぼのとした、これ以上ないほどの夫婦を醸し出しているのを考えると、まだまだ初々しいかんじもする。
これから、女性解放運動に、花子が参加していくにあたって、大きなテーマとなるのが、その夫たちである。
花子が仕事を持つ女性であること、妻が仕事をしていることを、夫はそんなに手放しで応援できるものだろうか。
もちろん、理想としても、夫が自分自身で持つ主義としても、「女性は仕事をするべきだ」「女性の仕事を応援するべきだ」という強い意志はあるだろう。
しかし、女性の社会参加は常に、男性のプライドとの戦いである。

職場の先輩や、学校の先生、仕事の仲間なら、男性が女性を心から応援し励ますことはあるだろう。
しかし、夫となると話はまたちがってくるのではないだろうか。
実際に、仕事を持つ女性が、夫婦不仲のために離婚にいたったり、仕事を続けていくために女性が、「結婚か仕事か」の選択にせまられ、仕事を選ぶことは、多いのである。
また、現代の社会でも、女性の社会参画のために、男性の応援や、なかでも、「意識変革」が必要だと言われているが、その意識変革を、どのようにやり遂げて行けばよいのだろうか。
今、村岡英治に降りかかっている課題は、まさにそのあたりである。

一方、蓮子の現在の夫である、宮本龍一は、蓮子との結婚前から、主義主張として、女性の自立、女性の自由を訴えていたところがあり、ここは鉄板となっているようだ。
本当に、本当に、だがしかし、「夫」というものは、妻の自立を、手放しで、なんの障害もなく、乗り越えていけるものなのだろうか。

夫といっても、男である。
男として、一人前かそれ以上の仕事をしたい、もっともっと成功したい、という気持ちは強いのではないだろうか。
そして、そのときに、妻に仕事や人生の「支え」になってほしい、仕事の手助けをしてほしい、仕事のスタッフになってほしい、と思うものではないだろうか。
また、昭和初期のこの時代、ほかの夫婦が、妻が夫を立てて支えて、立身出世をさせてあげている状況のなかで、英治ひとりが、「私は妻を支えます」「妻の成功が夫である自分の成功です」と言えるものなのだろうか。
夜、妻が仕事で家を留守にしているときに、ひとり台所に立ち、自炊をする夫が、妻の仕事と仕事での成功を、妬むことはないだろうか。

もともと、夫婦は対等であり、平等である。
これは、江戸時代でも平安時代でも変わらない。
この夫婦の対等意識が、妻の仕事を支えるべきという、主義主張とぶつかるとき、英治の心のなかで、葛藤は起こらないものなのだろうか。
来週以降の、「花子とアン」では、夫婦の葛藤も見せてほしいところである。
また、それを乗り越える英治の姿も、見せてほしいところである。
また、女性解放運動に伴う、男性たちの抵抗と、意識変革も、大いに期待するところである。



2014年8月23日土曜日

これからの暮らしのこと。

8月もお盆を過ぎ、子どもたちの夏休みも終盤である。
9月からは2学期、そして秋となる。
2年前の8月そして9月には、アジア危機があった。
あのとき、日本と、日本の国に暮らす、愛する家族を守るために、とにかく必死で夢中だったことを思い出す。
ラジオで語学講座を、4月から五か月も続けてきたのに、あと一か月で修了という9月の一か月を、アメリカとのやりとりと、戦争が始まるかもしれない強い不安と、その戦争に負けるかもしれないという畏れとで、いっぱいになって、語学に集中できなかった。
あの夏から、もう2年も、世界情勢が続いているようである。
それは、外交と呼ぶべきなのか、それとも、絶え間ない戦争なのか、あるいは絶え間ない、上位争い、下剋上の争いなのだろうか。
日本は、その争いを、せざるをえない状況になったのだろうと思う。

私はあのとき、ともかく、アメリカの、アジアに対する戦略をやめさせればよい、と思っていた。
でも、その続きは、必然的に流れがあったということだろう。
それだけでは、終わらなかったのだろうと思う。

そのあと2年間、私は、アメリカを含めた世界情勢が、勢力分布図を変化させていくための、大きな変革の時代にはいっていたことはわかっていた。
しかし、絶え間ない、日本への攻撃や、あるいは日本からの反撃があるとは、思ってもみなかった。
戦争には、いろいろある。
交通戦争も「戦争」と名がつくものであるし、また各国間の経済戦争もまた、「戦争」である。
それらを含めた戦争が、もうすでに2年も続いていたとは、知る由もなかった。
それでも、続いてきたことに、まちがいはないのだろう。
私がただ、「今の世の中どうなっているのか、よくわからない」と、世界に心を閉ざしていたのかもしれない。

今も、あのアジア危機のときのように、なんらかの状況分析や、あるいは、戦略を述べたりが、できたらよかったのかもしれない。
しかし、今の私には、情報が少なすぎることもあって、何がなんだか、さっぱりわからない。
それに、やはり、戦争は男性の領域であると私は思う。
日本に暮らす愛する人たちの命を守るために、という意義では、女性らしい、命を守る気持ちが強く働いたのかもしれないが、今、外に打って出るような積極的な行動には、どうにも気持ちが向かない。
どうしても、できない。
女性には女性の領域があり、守るべき立場や、居るべき場所があるのだ、と涙をのむしかないのかもしれない。

これから、戦争はいったい、何年くらい続くのだろうか。
あのときの、対アメリカの日本の対応を考えると、世界各国からの日本へのやっかみは、とどまるところをしらないように思う。
それでも、アメリカを「やっつけた」日本は、世界一の上位を誇っているはずなのだが、と思う。

この2年間、私たち一般の国民は、戦争が起こっていることも、あるいは、2年前にアジア危機があったことも、まったく知らないで来た。
そして、市内の食料品店は通常通りに営業をし、電気もガスも水道も、まるでなんの滞りもなく、使うことができた。
私の趣味というか、好きなことである、雑誌の小さなふろくも、今でも続いている。
女性向けの雑誌は、今でもファッションや料理、秋冬物のバッグや靴のきれいなカラー写真を掲げている。
テレビ番組も、楽しそうに続いている。

あれから2年、さまざまな形で、メディアの報道もとても「厳しく」なり、あまり油断して浮かれて遊んでいないように、というような自覚を呼び覚ますようになってきている。
これは、治安維持法とまではいかないが、治安に対してもっと警戒心を持ちましょう、という意味であると、私は常々思ってきた。
それで、本当にここ2年は、行動なども、不要不急の外出はしないように、心掛けてきた状況である。

これから、あと何年に渡って、こうした状況が続くのだろうか。
以前のような平和な状況にはならないのだろうか。
もっとも、以前の日本社会は、「平和ぼけ」とも呼ばれたくらいの、気の抜けた状態であったかもしれない。
私が知りたいのは、これからの、私自身の暮らしについてである。
あるいは、私自身の仕事についてである。

仕事について言えば、私はどうしても、ここ一年、あるいはここ二カ月悩んだ通り、戦争や戦略には、どうしても気性が向いていない。
それでも、国内のことや、女性の教育、子どもの教育など、できることはあるかもしれない。
国内の情勢がある程度守られるのなら、教育や社会構築など、実際にできることはあるはずである。
そうした仕事をしていくのがよいだろうか。
しかし、本音といえば、戦争が終わるまで、自宅でおとなしく暮らしていきたい、という気持ちである。

もうひとつは、暮らしのことである。
食料品や衣料品、医薬品やライフラインは、守られるのであろうか。
もちろん、戦況によっては、さまざまな状況へと変化していくこともあるだろう。
しかし、たとえば、私は、秋の気配を察すると、秋冬物の衣料の支度を始めるのが常であった。
年末に向けて、来年の手帳やカレンダー、冬物衣類の買い物などを始めるのが、私の秋の習慣である。
しかし、戦争ということになれば、これから物資不足や、あるいは、ぜいたくは慎むとか、ぜいたくを慎むのは当たり前としても、本当に、食料品や必要な衣類や生活用品まで、数が少なくなる、ということは、あるのだろうか。
もしそうだとすると、生活に関して、もっともっと、注意事項があるはずである。
これまでと同じ生活態度でよいはずがないと思う。
これから、一般庶民としては、どんな生活態度を心掛ければよいのだろうか。
冠婚葬祭も慎むべきなのだろうか。
たくさんのたくさんの、「わからないこと」があって、心はまだ、薄暗い闇のなかにいる。
もしもこれからの、暮らしのこと、生活態度、ライフラインや食料、仕事のことを、よく教え、導いてもらえたら、目の前は少し、明るくなる。
そして、今なにをどうすればよいのか、確かな行動指針が見えてくる。


2014年8月22日金曜日

7月1日からこれまでのこと。

2014年7月1日。日本において、集団的自衛権の解釈が、閣議決定された。
その日から、もう一か月と22日が過ぎようとしている。
私は、この4月から、ずっと集団的自衛権については、悩んできた。
昨年末の、秘密情報保護法案から、ずっと悩んできた。
私は、今の政権を支持してきた。
私は、決して右翼だったわけではなく、東日本大震災のあとの日本に、求心力の強い政権が必要だと思ったからであり、国民であるかぎり、政権というリーダーのもとに、力を合わせるべきだ、と信じたからである。
それが、国をよくしていくただひとつの道であるし、大震災という天災を乗り切るための、たったひとつのよい方法であると信じてきた。
現在の政権は、衆議院、参議院の数を考えても、絶対的多数であり、安定政権であり、ともすると、「独裁政権」とも呼ばれかねない政権である。
独裁は、危険なことである。
しかし私は、「よい王様」の「よい政治」という可能性を考えて支持してきた。

今年の6月は、集団的自衛権を考えて、どうしても納得できなかったし、支持しかねるところがあった。
権利として持っていることを大事に考えているのか、それとも、すぐにでも戦争を始めたいのか、私には判別できなかった。
そして、まさか戦争はしないだろう、と政権を信じることにした。
そして、自分の頭の中で論理をひっくりかえしてはつじつま合わせをするかのように、集団的自衛権と正当防衛について考えて、書いてきた。
それでも、戦争を始めるだろうとは思わなかった。
露ひとつ、疑わなかった。

しかし、7月1日に集団的自衛権の閣議決定がなされると、すぐに、戦争は始まった。
ウクライナ上空でマレーシア航空機が爆撃されたときに、私にはすぐにわかった。
たくさんの日本国民にも、すぐわかった。
そして、次々に世界中で、飛行機が撃墜され、大規模な事故が起こっていった。
これらが、集団的自衛権の解釈変更を得たばかりの日本国が、日本政府が行った戦争であることは、誰の目から見ても、明らかだった。

戦争は、サッカーゲームとはちがう。
そこには、人の命がかかっている。
マレーシア機でも、たくさんの子どもたちの命が失われた。
悲しみと心の痛みで、私は、寝込んでしまった。
それ以来、一か月と22日、私は自室から、起き上がれない毎日を送っている。
昼もカーテンをひいて、エアコンをかけて、ただただ、亡くなった子どもたちのために、祈る日々を続けている。

これまで、どんないやがらせをされても、政権を支持してきた私は、いったい、なんだったのだろう?
なんのために、3年間もブログを書き続けてきたのだろう?
すべて、「平和のため」だった。
日本が平和であっても、世界のどこかで、戦争の惨禍が起こっている。
そういったことをなくして、世界中が平和になるように、世界中の人々が幸せになるように、みんなが笑顔で暮らせるように、それが私のずっと前からの、たったひとつの、生きる目標であり、生きがいであった。

しかし、私のしてきたことが、戦争に直結してしまった。
私が支持していた日本国が、日本政府が、率先して戦争を始めてしまった。

自分の生きている間に、世界の平和は実現できないかもしれないが、それでも、平和に向かって一歩一歩、進むことができるだろう、と確信していた。
しかし、結果は無残だった。
ふたたび戦争が始まった。この戦争は何年続くのかわからないが、世界の各地では、以前にも増して、破壊が始まっている。
私の生きている間に、平和になることは、もう絶望的になってしまった。
あとはただ、戦争、戦争、人為的な事故、そして、神がお怒りになったように自然災害が起こるのである。

なんとかして、自分で自分の筋をつけようとしてみた。
つじつま合わせをしてみようと思った。
こうして、一時期はたいへんに犠牲者が出たとしても、いずれ世界政府のようなものができて、国連は平等になり、平和な世界が構築される、そのための一時的な通過点である、と考えようとした。
しかし、事態はよりいっそう、悪くなるばかりである。

そして、日本が戦争をしていることはこんなに明白なのに、反対運動を恐れてなのか、政府はそれを宣言しようとしない。
国内は守り、国外で戦争をする、というつもりだったのかもしれないが、当然ながら、国内も荒れてきている。
人の心が荒れて荒んできている。
何よりも、希望がない。
こんな戦争の世の中を生きて行って、何が楽しいものか。

私は、7月1日以来、一か月と22日で、すべてを失ってしまった。
まずは、健康状態を失ってしまった。
ほとんど食べていないし、眠ってもいない状態で、お医者様のお世話になっているが、エンディングノートを日々、書いては消している状況である。
そのエンディングノートを書くためのペンを持つ手もおぼつかない。
私のしてきたことが、たくさんの人の命を奪うことになったなんて、私は「人殺し」ではないか。
私に、生きていく資格などないのだ、という強い慙愧の念が、心と身体を、むしばんでいくのがわかる。
もう今年いっぱい、命はないのかもしれない。
生きていたとしたって、なんの希望があるものだろうか。
これまで、3年間書いてきたこと、生きてきたこと、そのすべてが、世界中のたくさんの人たち、未来ある人たち、子どもたちの命を奪うペンだったというわけだ。
あまりにも罪深く、生きている資格のない私は、家族とも孤立し、たったひとりの夜を、闇の中をさまよっている。

あんなに楽しかった、家庭菜園では、ミニトマトの赤い実が、たくさん実っては落ちる。
ピーマンも茄子も、たくさん実をつけた。
春にはあんなに楽しく、夏の実りとお料理を楽しみにしていたのに、人命を奪った私には、これらの美しい実を手にする資格がないのだ。

友達に言われて、男性たちは、あるいは政府の人たちは、日本国の女性たちを守るために、ひいてはあなたを守るために、戦争を始めたのだ、ということも考えてみた。
二年前のアジア危機を考えると、アメリカを撤退させただけでは、日本も世界情勢も終わらなかった、ということだろう。
私にとっては、アメリカの野心を終わらせただけで終了であったが、その続きがあった、ということなのだという。

あるいは、男性は、基本的に、戦争が好きなのだという。
戦争が好きだという、男性の心理を、理解しようと、この一年間、とても苦しみ悩み、苦闘してみたが、最後の最後までわからなかった。

私は思う、戦争はやめてほしい。
たとえどんな理由があったとしても、戦争はやめてほしいのだ。
これ以上、私に咎を与えないでほしい。
これまで政権を支持してきた私には、何よりもつらい罰となってしまった。

男性たちが、競争心や闘争心があるのは、素晴らしいことだと思う。
しかし、戦争は、行き過ぎではないだろうか。
どうか、やめてほしい。
そして、私に、以前のような豊かで明るい日々を、返してほしい。
以前のように明るく、朝の光を浴びて、木々の梢に吹く風に笑顔し、小鳥たちと歌い、花を育て、ピアノを弾いて、おいしいお料理を作って、詩歌に親しんでいた生活に、かえしてほしい、と思うのだ。
今の私はそれらのすべてを、暗黒の絶望のなかに、失ってしまった。
闇をさまよう私に、誰か、道しるべを教えてくれないか、と思う日々なのです。


2014年8月19日火曜日

NHK「花子とアン」職業婦人・醍醐亜矢子女史。

4月から、毎週の「花子とアン」の感想を綴っている。
週ごとにストーリーを追いかけている書き方であるが、ここで、登場人物のひとり、醍醐亜矢子女史に、スポットを当てて書いてみたいと思う。
醍醐さんは修和女学校時代からの、花子の学友である。
花子が女学校に入学したのはまだ、「小さい人たち」と呼ばれる10歳ごろであるが、その当時、先に入学していて「はなさん。お友達になりましょう」と言ってくれた友達が、醍醐亜矢子さんである。
「はなさん。髪におリボンはつけないの? 髪におリボンをつけないのは、お着物に帯を締めないのと同じなんですって。よろしかったら、私のおリボンをさしあげるわ」と言って、自分のリボン箱のなかから、花子に、大きな花のようなリボンをプレゼントしてくれた友達である。
この醍醐さんは、成長して、職業婦人になるのだが、大正時代、昭和の時代、と日本の最先端の時代を東京・銀座で生きるのであるから、さすがに素晴らしいファッションセンスである。
まさに、「歩く文明開化」と呼びたいほどである。

醍醐さんは華族出身であるようだが、まさに明治から大正、昭和と、このドラマを文明で彩ってくれている。
花子の「腹心の友」は、蓮子さんであるようだが、醍醐さんもまた親友のひとりと言えるだろう。
この醍醐さんは、女学校の卒業当時は、婚活にうちこんでいた。
永久就職を求めるタイプだったのである。
どちらかというと、清純でおとなしめ、芯の強い醍醐さんには、いい家に嫁ぐのが一番向いているようにも見える。
しかし、決まりかけていたお医者様との縁談をやめて、職業婦人になることにした。

出版社で、花子の同僚を務め、花子のサポートもしてくれる。
そして、白蓮事件のあとでは、白蓮のことを、フリージャーナリストとして取材して、連載、そして、一冊の本にまとめるのである。
これは本当に、当時の最先端の職業であっただろうと思う。
蓮子と醍醐さんも女学校で同級生であったわけだから、ここで、花子、蓮子、醍醐亜矢子が、女流文筆家として仲良くそろうわけだ。
女学校時代の卒業生がこうして、社会で活躍する職業婦人になることは、本当にすがすがしい女性の生き方である。

しかし、醍醐亜矢子にも、「結婚」「恋愛」は、なぜかとてもむずかしいハードルであるようだ。
平成の現代でも、仕事を持つ女性は、いつの間にか年齢が上がってしまっていて、よい出会いがない、という状況で30代を迎えている。
本日の放送で、女学校時代の思い出を「20年も前のこと」というセリフがあったので、三人とも、醍醐さんももちろん、35歳にはなっているはずである。

醍醐さんは、花子の実兄である吉太郎と出会い、お互いに好意を持ったようである。もちろん、花子を介して出会った状況であり、このあたりの人間関係は、兄弟、姉妹、家族や幼なじみ、といった出会い方になっていて、昭和初期の人間関係を、詳しく見る気がする。
現代では兄弟同士で顔を合わせることも少ないかもしれない。

それにしても、醍醐亜矢子の恋愛は、唐突である。
吉太郎は憲兵であり、以前は社会主義者である宮本龍一を秘密任務で追いかけていた。
その宮本龍一と駆け落ちした蓮子さん、その友達の花子さんと醍醐さん、となっていて、村岡家で、一同に会して、お昼弁当にお稲荷さんなどを一緒にいただいている状況である。
白蓮事件をジャーナリズムした醍醐さんと、宮本龍一を追っていた吉太郎が、どうして一緒になれるはずがあろうか?というところである。

このあたりはまだおいておくとしても、NHKのドラマはいつも、なぜか、女性のほうから「好きです」の告白である。
これは、NHKの朝ドラでは、もしかすると必須の条件であるようなことを聞いたことがある。
朝ドラの視聴者は、年配のかたが多く、お見合い結婚や家同士の結婚であったために、「(今の結婚にも満足しているけれど、できるならば)好きな人と結婚してみたかった」という女性の声が高いのだそうだ。

それにしても、女性のほうからの、「好きです」は、いかがなものであろうか。
私は、絶対的に、「好きです」の告白は、男性からであるべきだ、と考えている。
というのは、男性にも、告白する権利、というのがあるのではないか、と思うからである。
また、男性の側にも、事情というのがあるのではないだろうか。
たとえば、心のなかに忘れられない初恋の女性がいる、とか、郷里に残してきた婚約者がいる、とか、今は仕事が充実しているので、恋愛や結婚は考えられない、とか、正直いってあなたのこと好きじゃない、とかいう事情である。

そういえば、吉太郎の初恋の人は、蓮子さんだったし、醍醐さんも以前は村岡英治を好きだと言っていたし、これはいったい、どういう人間関係なんだろう?

そういうわけで、愛の告白は、結婚を含めて、男性の側で、心の準備、環境の準備、覚悟と忍耐力が定まってから、男性から計画的に決心して行うのが、一番良いと思う。
これは、女性が、自分の心や立場を守るための、大切な心得でもあると思う。
ドラマのなかでも、職業をしているだけに、活発で積極的で発言力もある女性が、その積極性のままに愛の告白をして、あとから男性を困らせて、結局は傷ついている。
「あなたには、自分よりももっとふさわしい男性がいます」
こんなひどい言い方をされるなら、壁の花になって、静かに申し込みを待っていたほうがよいのではないか、と思う。

醍醐さんの仕事ぶりについては、またこれからも、働く女性として楽しみなところなので、注目して、みならっていきたい。
「花子とアン」の登場人物は、どのメンバーもとても魅力的で、一言では語れない。これからもとても楽しみである。

2014年8月18日月曜日

NHK「花子とアン」第20週「海にかかる虹」感想。

NHK朝ドラ「花子とアン」は、白蓮事件も一難去って、蓮子さんは何事もなかったかのように、一般庶民に落ち着いている。
伝助との別れと許しは、とても印象的な場面だった。
そして、花子は、本来の職業だった、あるいは視聴者も待ちに待ってまちくたびれて、もうすっかり忘れてしまっていたのだったが、翻訳業に本腰を入れ始める。
小学校の教員をしていたときには、文筆の道に進むための、なんらかのきっかけが必要だった。
そして、文筆業が翻訳業へ、そして児童文学へ、と方向性を持つためには、やはり大きなきっかけが必要だったということだろう。
考えてみれば、「文筆」あるいは童話作家というはずだった花子に、「英語の翻訳」という道を示したのが、夫である村岡英治である。
花子の人生と職業選択は、そのときそのときの出会いや、環境にとても左右されているようだ。
しかしこれも、明治、大正、昭和、という、女性の職業の先駆けであった時代であるから、いたしかたない、ともいえる。

夫となる男性、あるいは職場の男性から、職業や社会人としての「作法」を教わることは、女性にとってはよくあることで、どんな社会人たる男性と知り合えるかは、女性の職業に対する姿勢や取り組み方、具体的な仕事の仕方にとても影響してくるようである。
そうした意味で、村岡英治は、ドラマのなかでこそ影薄いイクメンであるが、陰に日なたに、社会人として、職業を、妻の花子に叩き込んだ張本人でもあるかもしれない。
また、花子が夫・英治に対する思いというのも、「仕事をさせてくれた」「仕事を応援してくれた」あるいは、「自身の才能というものを、開花させてくれた」という意味で、とても大きいのかもしれない。
自宅に印刷所まで作ってくれるのだから、すばらしいことである。
当初は、家内制手工業、とも思い、印刷の仕事がたくさんほしいから妻に働かせたのか、ともかんぐったものだが、花子の、当時としては貴重な、英語と翻訳という才能を、だれよりも評価していたのは、夫の英治だったかもしれない。

このあたりで、「夫連」が描かれるのだが、蓮子の夫、シュギシャたる宮本龍一はすでに、姑にやっつけられ、子煩悩なふつうのオジサンになってきている。
なんとも情けない話で、蓮子が駆け落ちしたその理由、男性的な魅力というのが見えてこない。
もしかしたら、宮本龍一というのは、駆け落ち前から、マイホームパパな一面をのぞかせていて、アットホームな雰囲気が、蓮子は好きだったのかもしれない。

どちらにしても、花子も蓮子も、文才を後押ししてくれる夫に出会って、本当に幸せである。
実際には、こんな男性がいるわけない、というのは、誰もがご存知の事実である。

さて、この週「海にかかる虹」の本題は、ひとり息子・歩の件である。
小さな子どもを失う悲しみを、日本中の子どもたちのために、児童文学を翻訳したい、という大きな目標に変換していったのである。
ドラマを見ていても、「こっちがパパのダーリング」と歌まで覚えてしまった視聴者としては、本当に心が痛む思いがした。
そして、花子が、その痛みを、忘れることではなく、常にいつもそばに、歩くんがいる、歩くんに話聞かせている、という気持ちになったこと、これは、とても大切であると、私は思う。

世の中には子どもが大好きでも、子に恵まれない女性もいる。
また、我が子さえよければ、ほかの家の子どもはどうでも関心がない、という母親もいる。
そうしたなかで、ご近所の子どもにも、日本中の子どもにも、自分の文筆力と英語力で、一生懸命仕事をしていきたい、と思えた花子は、とても幸せであると思う。
何か遅咲きなところはあったが、ここからが花子の本領発揮となるのだろう。

海のシーンはとても印象的だった。
もっともっと、ダンナに甘えて、悲しみ苦しみ涙ももっと見せてもよかったのではないか、と思う。
ダンナ自身の苦しみ悲しみ、そして、父親だってつらいのに、母親だけつらいふりする妻、こうした妻をもって、それでも支えていく英治の孤独も、もっと描いてよかったのではないか、とも思う。
父親としての、英治の心意気も、言葉や態度にして、見せてほしかった週であった。

NHK「花子とアン」第19週「春の贈りもの」感想。

NHK連続テレビ小説「花子とアン」。花子の人生も、関東大震災を迎えた。
季節は春、となっている。
この春は、どういう春なのか。
関東大震災が9月1日に起こり、翌年の春、ということである。
春は復活の季節、再生の季節であり、表題の「春の贈りもの」は、関東大震災からの再生をさすものだろう。
何事であっても、半年あればすぐに復活の、村岡夫妻である。
村岡夫妻は、消失してしまった村岡印刷と、やはり銀座にあって焼失した、花子の出版社であった聡文堂、に関して、さまざまな思いがあったようである。
もちろん、再建である。
しかし、この再建の道のりは、たいへんになにか不愉快というか、またも不自然さを感じさせるものであった。
ここのご夫婦は、何につけても、「夫唱婦随」ならぬ、「婦唱夫随」なのである。
「印刷所兼出版社を作りましょうよ!」と高らかに宣言したのは、妻である花子である。
そこに、「そうしよう」と賛同したのが、夫の英治である。
この夫、これが本当に「敷かれた亭主」というのだろうか、妻のいうことを次々に実現するために、一生懸命がんばる夫君で、自ら何かを提案して、始める、というところがまったくない。
実際には、男性は、妻が提唱したことに、賛成することはないし、がんばって仕事をすることは、絶対にない。
…と私は思う。
そういう意味で、ここの村岡英治氏は、いるはずのない男性であり、ある意味、女性作家が作り出した、空想上の男性像である。

こうして、空想上の男性と、あまりにも意気盛んな妻とで、あっと言う間に新しい会社が設立される。
会社の設立資金も、妻が、女学校時代の学友、(正確に言えば、学友の夫君の財産)から、集めた資金なのである。
奥さんがいたれりつくせり、の村岡夫婦であるが、村岡英治氏の自立性はどこにあるのだろうか。
なにかふわふわした、得体のしれない優しい夫として描かれているようで、心もとない。

ともかく、こうして、亡き義弟のための(このあたりもどことなく不自然な)最初の一冊を、印刷・出版することになる。
花子が、初めて翻訳して連載した「王子と乞食」である。
現代では、「乞食」は、使ってはいけない語句となっているのだが、これがこんなに頻発されるNHKドラマもなかなかである。
こうして、関東大震災というとてもつらい状況を、花子がひとりで本を印刷して、ひとりで春を作って、みんなにばらまいた、というわけである。


NHK「花子とアン」第18週「涙はいつか笑顔になる」感想。

日本中をにぎわせた「白蓮事件」のエピソードも幕を閉じて、物語は次々に進んでいく。
ここまで来ると、放送もあと2か月となり、ラストスパートに向けて、花子の人生を、着々と進めていかなければならない状況のようだ。
これまでも、NHKの朝ドラを見ていて、こうした、何か「人生早送り」の場面も慣れてきて、あら、と思ったらナレーションと字幕が出てきて「大正12年」と、数年も飛んでいたりする。
これも朝ドラの見どころである。
朝ドラは、ひとりの女性の一生または半生を描くものであるが、やはり人の人生というのは、「飛ばせる時期」と、「刻銘に描きこむべき時期」とが、あるのではないかと思う。
結婚をして、子どもが生まれて、白蓮事件があって、その次としては、関東大震災は欠かせない。
これまでも、明治から大正、昭和を描いたドラマや小説があるが、必ずその時期に、関東大震災は入ってくる。
時代背景として欠かせないものである。

これから先、平成という時代を舞台にしてドラマや小説を描くとき、あるいはひとりの人の人生を描くとき、東日本大震災は、やはり欠かせない時代背景になるのだろう。
「そのとき、ヒロインはどうしていましたか?」という問であり、「私はどうしていました」の答でもある。
また、作家の腕が問われる場面でもあるだろう。
今回の朝ドラでは、関東大震災を一週間で扱うことにしてしまった。
これは、ドラマの筋書きを進める上での、必要悪か、やりたくない宿題のように扱われるような状況でもある。
ただ、時間の関係で、簡素に描くしかなかったのかもしれない。

関東大震災では、花子の夫・英治、その弟である郁弥が、震災の犠牲になる。
花子の妹かよの、恋人でもあった、郁弥であった。
ここでは、花子が震災で受けたショックが描き切れず、ただ、「どんなつらい境遇でも、涙のあとには笑顔になる」という、テーマが強調されたように思う。
また、子育てでは、大正時代としては、「これ本当?」というくらい、育児に熱心な父親が描かれた。
平成の時代では、お母さんだけが子育てをしているようなシーンは、視聴者からお叱りを受けてしまうのだろうか。
花子・かよの姉妹の対比が、あまりにも単純で、そこに、姉妹らしい女性らしい、感情の葛藤が見えてこないところもある。
ただ、ここで花子は、とてもつらいときに、子どもたちにお話をする、という経験をする。
花子の、児童文学への道は、このあたりをきっかけに始まったようである。
花子が、白蓮のように恋愛短歌に進まず、宇田川満代のように現代小説に進まず、翻訳と児童文学に進んだ、なんらかの芽生えが、見え始める週であった。




NHK「花子とアン」第17週「腹心の友ふたたび」感想。

NHKの朝の連続テレビ小説「花子とアン」も、真夏の放送となった。
半年間の物語は、この季節にクライマックスを迎える。
すなわち、子どもたちの一学期が終わり、夏休みにはいるころ、梅雨が終わり、真夏の日差しが照りつけるころである。
先の週で、話題の「白蓮事件」を精一杯描き切ったNHKスタッフは、ようやく続きをつなげているかのように、ほどけたピースをひとつひとつ合わせていくように、「腹心の友ふたたび」の週を乗り切った。
白蓮事件は、蓮子さんの出奔だけで、とても大きな話題となるものであるが、「花子とアン」のテーマは、女性の友情だそうである。
だから、白蓮を心の底から、心身共に助けた仲間、友達の在り方が、とても重要になってくる。
このあたりで、「花子とアン」は、ダブルヒロインの物語だったのか、とも話題になった。
もしかすると、本当のヒロインの花子がかすんでしまうくらいの、大胆な蓮子の恋情であった。

蓮子はすぐにおなかに子どもができる。
でも、追われる身でもある。
そうしたときに、助けたのが、「腹心の友」である、花子である。
花子はまず自宅にかくまった。
この自宅は、すでに結婚して子どもも生まれていた、村岡英治との新居である。
その後、花子の実家である、甲府の家にも、蓮子を連れて行ってかくまっている。
蓮子の新しい夫となった宮本龍一は、社会主義者としても、白蓮事件としても追われる身であるから、ここで、「身柄」という点で、応援するのは、本当に「困った時の友こそ真の友」といえる状況だろう。

しかし、ここで、いま一度よくよく考えてみなければならないのは、本物の友情とはなにか、という意義である。
友達のためなら、一切合財すべてを肯定して、味方になってあげるのが、友情なのだろうか。
「あなた、それは本当はまちがっているんじゃないの?」と、筋を教えてあげるのも、友情の大切な核心ではないだろうか。
「かわいそう」これは同情であって、友情ではない。
このときの花子の行動が、はたして本当に「友情」と呼べるものだったのかどうかは、賛否両論ではないだろうか。

蓮子の結婚は、駆け落ち、という社会的には短絡的なものであった。
恋愛と結婚、男性と女性の仲は、ただただ、一緒になればいい、というものなのだろうか。
また、このいきさつの物語の作り方がいかにも不自然になり、実家のご両親も、実家のご近隣も、誰も蓮子さんを客観的に見る人がいなくなり、誰もが応援隊になっている。

不自然さのきわまった、「腹心の友たち」であった。


「不思議」な時代。


よく眠っていた夜中に、ふと何か重苦しい気配がして、目が覚める。
暗闇のなかで電灯をひとつ灯すと、まるで、誰かにじっと見つめられているような、不思議な気配がする。
物音はひとつもなく、シーンとしていて、普段なら遠くのバイパスを車が通る音くらいはするのだが、なんの音もない。
映画の無音場面のように、とても静かだ。
お茶でもいれようかと思うが、あまりの重苦しさに、そんな気持ちになれない。
冷蔵庫に何か冷たい飲み物でもあったかな、と思うが、食欲もない。
こんな夜に、ほかのみんなはどうしているのだろう?と思う。
ツイッターのタイムラインをのぞいて、みなが、テレビを観ていたり、ゲームをしていたり、高校野球の結果をつぶやいているのを見て、少しほっとする。
それでも、なにかこの時間に、どこかで誰かが、何かとても思い悩んでいるのではないか、と心配になる。

「死」という文字がこのところ、たくさんのところで目につくようになったような気がする。
「死」の時代、「殺」の時代なのだろうか、と不思議に思う。
これまで、それ相応に長く生きてきて、こんな世相はなかった。
つい先月には、世界各地で飛行機の墜落事故が次々に起きた。
大きな事故、小さな事故、社会事件、せっかくの夏祭りも台風や事故で、楽しめる状況からは程遠くなっている。
いったい、何が起こっているのだろう?いったい何がどうなっているのだろう?
いろいろな仮説を考えてみる。
実はどこかでひそかに、戦争が起こっているのだろうか。
ウクライナでの飛行機墜落事故は、本当は第三次世界大戦の始まりで、どこかの国が戦略的に墜落させたのではないだろうか?
次々と起きる飛行機事故も、本当は、どこかの国の作戦なのではないだろうか?

世の中を社会不安に陥れるような、誰かの策謀があるのだろうか?
もしそうだとしたら、誰が何のために、そういったことを行うのだろう?

あるいはもしかしたら、キリスト教で言われていたように、最後の審判のときが来たのだろうか。
ハルマゲドン、ということなのだろうか。
キリスト教では、ハルマゲドン、最後の審判のあとに、復活があり、地上の王国が築かれるのだという。
だけど、そこで生き残らないとならない。
宗教的な話であり、これまでは意に介さない説話であったが、その予言が、当たってきたのかもしれない、とさえ思ってしまう。

いったい、この時代の、この「死」「殺」という重苦しい空気は、どこから生じたのだろう?
時代の節目なのだろうか。
転換点なのだろうか。

私は、思う。
やはり、新しい次の戦争が始まったのだ、と思う。
今度は、ヨーロッパ対アジアの戦いなのではないかと思う。
アメリカを打倒した日本を、ヨーロッパが虎視眈々と狙っているように思う。


あるいはもしかしたら、西洋文明と東洋文明の、「文明の衝突」なのかもしれない。
「挑戦と応戦」は、そんなにたやすい戦いではない。