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4月, 2016の投稿を表示しています

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第4週「常子、編入試験に挑む」感想。

毎朝の、元気の源「とと姉ちゃん」も、第4週を終えた。
春から初夏へと季節が移り変わっていく。
春の人事異動や卒業、入学、就職で、ライフスタイルが変化した人も、毎朝の「とと姉ちゃん」と一緒に、毎日の日課を作っていたのではないだろうか。
その「変化のあった視聴者」にとって、どんな困難にもめげない、どんな環境の変化も乗り越えていく、ヒロイン常子は、本当に励まされる存在である。

今週は、しつこく(?)制服問題が出てきた。
NHKにとっても、「ポイント稼げる」テーマであるのかもしれない。
今、女性たちの生き方や生活そのものが、社会問題になっているので、そうしたあたりを、はずさずに描いてくるところが、脚本家・西田征史氏と、プロデューサー・落合将氏の視点の良いところだと思う。

制服、というと、数々の思い出がある、というのが、大半の視聴者ではないだろうか。
私も、甘酸っぱい思い出が、たくさんある。
「♪ セーラーの薄いスカーフで、止まった時間を結びたい~ ♪」
そう、あのスカーフは、とても薄かった。
大人になってから、いわゆる「男子」と話をして、「セーラー服のスカーフって、本当に薄いの?」なんて聞かれたものである。
ついで、「あの服、どうやってできてるの?」「どうやって着るの?」なんて話も、したものである。

セーラーのスカーフが、自分ではうまく結べなくて、女子生徒同士で、休み時間に、結びあいっこなんかもしたものだ。

本当になつかしい。

大半の学校の女子の制服が、セーラー服だったのが、このところは、ブレザースタイルに変化してきているようだ。
AKB48などを見ても、アニメを見ても、高校生や中学生の制服というと、ブレザーである。
つまり、襟つきの上着に、チェックのスカート、といういでたちで、リボンは、縞の入ったようなのを、胸元で留めるようになっている。

「とと姉ちゃん」で、常子の編入した女学校では、いわゆる「赤い棒タイ」スタイルになっている。
これも、昭和の時代には、よく見かけたスタイルである。

こうしたセーラー服の制服スタイルが、いつから変化したのだろうか?
と考えてみると、あれは、おニャン子クラブの全盛期あたりだったのではないだろうか。
例の、あの、可愛い歌である。

それから、同時期に、「スケバン刑事」というのがあって、このスケバンスタイルというのが、セーラー服に、超ロングスカー…

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第3週「常子、はじめて祖母と対面す」感想。

一家の大黒柱であり、唯一の稼ぎ手であった、父・竹蔵を失って、三姉妹と母の四人家族は、生活に困窮するようになる。
父の会社から出されていた援助も、とうとう打ち切りである。
そんなとき、この若い母親は、どんなふうに家族を守って、生活を切り拓こうとしたか。
縁を切ったはずの実家の母親(常子たちにとっては祖母にあたる)のところに、「帰る」という道である。

常子たち三姉妹にとっては、母の母、つまり祖母は、もう亡くなっていると聞かされていたようだ。
子どもたちにとって、生きている人を、死んだという嘘は、本当によくないことだ、と思う。

ここには事情があって、母・君子は、実家から、結婚を反対されて、家を飛び出した、というわけだった。
そのとき、実家の祖母・滝子とは、絶縁状態になったのである。

200年の暖簾を誇る材木問屋の「イエ」、この「イエ」の存続のために、お見合い結婚をさせられそうになったそうである。
それで、「自由に生きたい」「好きな人と結婚したい」と、意志を張って、滝子から勘当された、というわけなのである。

しかし、この結婚はうまくいかなかった、という結論になるだろうか、竹蔵は、結核で亡くなってしまったのである。
そうしたときに、祝福されなかった結婚、というのは、あまりにも孤立していて、つらいものである。

親との確執、親とのケンカは、誰でもあることだろう、と思う。
時には価値観のちがいから、縁を切るほど憎くなる、互いにわかりあえなくて対立することもあるだろう。

けれども、やはり結婚するときには、親から、親戚から、ご近所の人々から、友達から、祝福される結婚でありたいものである。

私はこう思う、古いのかもしれないけれども、結婚というのは、夫と妻とのふたりだけのことではなくて、たくさんの人々を縁結びするものである、と。
そして、若い夫婦は、大きな広い環境のなかで、新しい家庭という種を蒔き、その芽を、一生懸命育てていくものではないか、と。
そのときに欠かせないのが、太陽となり雨となり、大地ともなる、家族であり、環境、人間関係である、と思うのである。


個人主義がとても強くなってしまうと、これが良くない方向に傾くと、孤立状態を生んでしまう。
そのなかで、経済的にも精神的にも、追い詰められてしまうのではないか、と思う。

親との葛藤はあるもので、誰もが親を乗り越えて、大人になっていくもの…

フジテレビ月9ドラマ「ラヴソング」感想。

月曜日の夜9時、といえば、フジテレビの月9ドラマ、と定番になっている。
これは、若い女性たちのライフスタイルにしっかりと根付いた、日課である。
月9といえば、「東京ラブストーリー」に始まって、「ロングバケーション」「HERO」と、日本のテレビドラマ史に残る名作を残してきた。

そのフジテレビのドラマが、このところ、視聴率の元気がない、という話である。
私もこのところは、仕事が多忙だったこともあって、撮り貯めしたテレビ番組を見られないときがあって、なんだか月9から遠ざかってしまっていた。

しかし、今回は、昨年、とうとう結婚して全国の女性たちに「ましゃロス」を引き起こした、福山雅治氏が、主演である。
試しに一回だけでも、と見てみた。

そして、落胆した。
あの、ドラマ全盛期、「ドラマのフジ」と呼ばれた看板が、泣くというものである。

まったく、ドラマとして、出来上がっていない、と正直思った。

最初のシーンは、おなじみの、最新流行のインテリアである。
私は、フジの現代ドラマで、最新のインテリアや小物を見るのが大好きなのだが、そのあたりは、期待に応える形である。

しかし、いかにも視聴者が、「ましゃにはこんな制服を着てほしい」「ましゃにこんなセリフを言われてみたい」というシーンのてんこ盛り、というところで、女性視聴者の理想を体現した、主人公の姿なのだろうが、結局は、視聴者を甘く見ている、というものである。
視聴者をばかにしているんじゃないか、と思えるストーリー展開もあった。
もう弾かないギター、「追悼」のチラシ、これから、この「訳アリ」で音楽をやめた主人公が、少女との出会いをきっかけに、過去の恋人(きっとたぶん、亡くなった、訳あり)あたりの心の傷をほどいていく、というストーリーだと思う。

そういえば、駆け出しの若い女性シンガーを、ドラマに使ったことも、かつて、そういうドラマあったと思う。

柳の下のどじょうを狙って、「あのときはやったもの」「あのときヒットしたもの」を、追いすぎて、中古ドラマの二番煎じを、何度も繰り返しているのだろうか。

福山雅治氏を起用するなら、もっと新しい、次の福山氏の、可能性を引っ張り出すこともできたのではないだろうか。
女性たちは今、恋をするのも仕事をするのも真剣である。
これまでのラブストーリーにしても、現実に真摯に恋に打ち込み、そして悩む女性たちのバイブ…

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第2週「常子、妹のために走る」感想。

大好きな、竹蔵お父さんが亡くなってしまってから、5年がたっている。
2週目は、子役ではなくて、ヒロインの常子は、高畑充希さんになっている。
元気いっぱいの登場である。
亡きお父さんと約束したこと、三姉妹の「とと」代わりになること、お母さんと妹たちを守ること、このテーマで、常子は、悩み、考えながら、15歳を生きていく。

お母さんも、常子も鞠子も、それなりに自分の力で、父の死を乗り越えたと思われる。
特に長女の常子は、父から重大な使命を託されたので、責任感と、それからきっと、「誇り」があるだろう、と思われる。

末っ子の美子だけは、まだまだ父親のいない自分の人生を、受け入れることができていないようである。
小学校では、お友達がみんな、お父さんのお話をするので、すっかりまいってしまう。
暗い顔をして下を向いて、お友達とも話さないので、ちょっとした仲間はずれになっている。

これは、小さい子どもとしては、いわゆる「問題行動」の状態である。

現代の世の中だったら、学校の先生や、学校カウンセラー、親御さんがいっしょになって、こうした問題行動に取り組むことになるだろう。

ヒロイン常子は、幼い妹の、問題行動に取り組むことになる。
「私にはお父さんがいない」その悲しみをなんとか解決しようとして、「美子には、お母さんも、常子お姉さんも、鞠子お姉さんもいるでしょう」と言ってはみるけれど、「お姉ちゃんなんか大嫌い」「とと姉ちゃんなんか信じない」と、ふてくされて、ひとりで部屋に閉じこもっている。

常子は、美子の「とと」代わりになりたいと、町内の運動会に出て、かつてのお父さんの姿のように、一等賞をとろうとする。

私は思う。
心が傷ついて、友達と比べて自分が劣っているような気がするとき、友達と比べて自分の状況が何か足りないような気がするとき、何よりも落ち込んでいるときに、「やつあたり」をする相手がいることは、ありがたいことだ、と思うのである。

常子も鞠子もお母さんも、美子のために、翻弄される。
頭を悩ませる。
本当に困っている。

誰かひとりでも、「わたし」のために、こんなに困ってくれる人がいたら。
誰かを、本当に心から困らせて、悩ませて、時には泣かせることができたら。

そうしないと、とても癒えない心の傷、というのが、あるのだと思う。
誰かを、困らせて困らせて困らせて、そうしないと、とても心のバラン…

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌「花束を君に」宇多田ヒカル。

花束を君に
普段からメイクしない君が
薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した
花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
真実にはならないから
今日は贈ろう
涙色の
花束を君に

花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう
涙色の
花束を君に

2016年の4月から始まった、NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」。
ここ数年、朝のテレビ小説は、とても面白くて楽しくて、視聴率もグングンあがっているそうである。
そうしたなか、始まった新しいドラマは、「どんなふうになるかな」と、とても注目されているようだ。
私も、「どんなふうになるかな」「ヒロインはどんな道を選んで、どんなふうに悩んで、どんなふうに成長していくのかな」と、一緒に観て、一緒に悩んで、一緒に笑っている。

今回のドラマは、お父さんを早くに亡くした三姉妹とお母さんとが、昭和の時代をたくましく生き抜いていくストーリーである。
ヒロイン・常子の出発点、原点となるのは、早くに亡くなった、父親との「約束」である。
常子は、一生かけて、父・竹蔵との約束を守る。
そして、妹たちと母を守って、強くたくましく明るく生きるのである。

主題歌となった「花束を君に」は、この物語の、原点を歌った歌のようである。
「ようである」と書いたのは、宇多田ヒカルさんのこの歌が、いろいろな意味にとれる歌だからである。

宇多田ヒカルさんは、15歳のときに、「Automatic」で、鮮烈にデビューした。
アメリカのR&B、リズム&ブルースに、日本語の歌詞を見事に乗せた歌は、私たちにとって、とても新鮮だった。
それで夢中になったのだが、いざカラオケに行ってみると、歌えない。
日本で産まれて、アメリカで育った宇多田さんの、宇多田さんにしか歌えない、アメリカとも日本ともつかない、ミックスされた歌は、私たちにとっては、とてもむずかしかった。

今回の、「花束を君に」も、歌ってみると、本当にむずかしい。
聴いているだけならば、耳に心地よく、素直に伸びていく歌なのに、いざ歌おうと思うと、半音高かったり、八分音符ひとつ早く入っていたりして、本当にむずかしい。
宇多田さんならではの、本当に才能が生きた歌だ、と思う。

そして、宇多田さんの歌詞には、「宇多田ワールド」「宇多田主義」ともいうべき…

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第一週「常子、父と約束する」感想。

毎朝、楽しみに観ている、NHK朝の連続テレビ小説は、秋から春までの放送「あさが来た」を終えた。
最終回のラストシーンでは、菜の花畑で再会する、夫婦の姿が描かれた。
視聴率もずっと高く、国民的な人気を維持した「あさが来た」の、このラストシーンには、感激の声も多いという。
本当によいドラマだった。
私も、大変な冬の季節を迎えていたが、その寒さを乗り越えるのに、本当に心の支えになってくれたドラマだった。
ありがたいことだ、と思う。

そして、4月からは、新しい季節、新しい人生、新しいドラマが始まる。
「とと姉ちゃん」は、前評判も高い、期待できるドラマである。

「暮しの手帖」という、昭和の時代に一世を風靡した、女性雑誌の創刊をした女性・大橋鎭子さんがモデルとなっている。
私は、どんなドラマになるのかな、とインターネットを駆使して、「暮しの手帖」や、モデルとなった大橋女史のことや、名編集長と呼ばれた花森安治氏のことも、おおまかに調べてみた。
それから、NHKのホームページもいろいろ読んでみた。

あれこれと、見どころの多いドラマのようである。
今回のドラマは、安倍政権の影響を大きく受けているようである。
「あさが来た」のときも、登場人物である、主人公の姉「はつ」の生き方や考え方、暮らし方を通して、「質素につつましく生活する」ということを、国民に訴えたかったようである。
今回の、「とと姉ちゃん」でも、「つつましい暮らしを大切にする」ということを、国民、特に女性たちに訴えたかったのではないか、と思う。
それは、安倍政権が、戦争をしようと計画していたからだと思う。

その戦争も無事回避され、パナマ文書も見つかって、世界情勢は大きく変わろうとしている。
そうした時期に、今さらながら、「質素倹約つつましい暮らし」を、国民に訴える必要はないのかもしれない。
言論統制はもう解けたのである。

しかし、放送が始まって、実際に見てみると、「昭和の暮らし」の、丁寧さ、美しさが伝わってきて、これは「見どころ」といっても差し支えない気がしてきた。
戦後の高度経済成長期が終わって、平成の世の中は、「もっと昭和の時代を見直そう」という気風が広がっている。
若い女性の間にも、「ナチュラルで丁寧な暮らし」が、静かに、自然に支持を広げているように思われる。

朝食の前に、鏡に向かって髪を梳かす、とか、ちゃぶ台を丁寧に…