世界は、東と西に分かれている。
主義主張でいえば、共産主義国と資本主義国に分かれている。
これを、統一すべきなのかどうか。
意見が分かれるところである。
私は、このままでいい、と思う。
日本国内の政治も、与党と野党に分かれて二分されている。
アメリカ国内の政治も、民主党と共和党に分かれて、二分されている。
そして、それぞれが討論を交わし、その主導権はときおり、入れかわる。
これが、国内政治のベストな形ではないか、と思う。
もしも日本国内が、与党も野党もなくなり、討論がなくなれば、大政翼賛会と呼ばれたり、あるいは独裁国となってしまう。
アメリカにおいてもそうだろうと思う。
世界は、共産主義国と資本主義国の二手に分かれて、それぞれに、これからの将来のありかた、政治の在り方を、常に議論していくのが、一番よい形なのではないか、と私は思う。
そこに、ゆるやかな結びつきの、国際連合があって、国際協調ができるのが、よいのではないだろうか。
また、国連が、「ゆるやかな形」ではなく、「緊密な形」でもよいのかもしれない。
そのときにも、日本もアメリカもそうしているように、国民の選挙によって、民主的に「与党」を選ぶべきではないか、と思う。
決して、戦争という武力で、覇者を見つけようとしてはいけないと思う。
歴史を見渡してみれば、はるか昔、中国では、三国志の時代があった。
とても賢明な諸葛孔明は、世界は三分割されている状態が一番安定している、と考えたそうである。
話し合いであっても、ふたりより三人の意見のほうが、より討論がはずむ。
鼎談の「鼎」の字は、中国の、三本脚の道具に基づくそうである。
なるほど、「脚」は、三本のほうが落ち着くものである。
二者に分かれていれば、互いに相手を「やっつけよう」としてしまうかもしれない。
互いに、相手に競り勝とうとしてしまうかもしれない。
しかし、二者がそれぞれにちがいを理解しあい、認め合いながら、尊重して存続していく社会というのも、よいものであると思う。
視点を変えて考えてみれば、世界には、男性と女性がいる。
男性には男性なりの視点と考え方があり、女性には女性なりの、視点と考え方がある。
どちらが優れている、ということではないが、時には亭主関白になり、ときにはかかあ天下になって、お互いに支えながら、一家を運営していくものだ。
また、世界には、大きく分けて、西洋文明と東洋文明がある。
どちらも、どちらがより優れているか、ではなく、互いに尊重しあい、よいところを学び合って、支え合って世界を運営していくのが、一番よいのではないだろうか。
東西の「ちがい」は、必要なことなのではないか、と私は思う。
より複雑な社会を営んでいくために、それは、たとえば独裁という単純な形ではなく、という意味で、民主的で複雑な尊敬と認識を、広めていきたいものだ、と思う。
2015年3月21日土曜日
2015年3月20日金曜日
アメリカの問題。国際問題。
このところ、国際問題が世間を席巻している。
新聞やインターネットも、以前は国内の問題が重大テーマであったが、ここ半年か一年くらいで、国際問題が、大きく占めるようになった。
グローバル社会で、人々がより、国際問題に関心を持つようになったことが、一因であるかと思われる。
しかし、たとえばエボラ出血熱であるとか、イスラム国の問題は、実際にたくさんの国々が直面している問題であって、関心の有無が広がっただけとは限らない。
多くの人々が、実際に国際問題に近接するようになった、ということではないかと思う。
私自身も、国際問題をひとつひとつ考えてみて、その複雑さに驚くことがある。
たとえば、アメリカの国内問題をとっても、そうである。
人種問題がある。
日本国内にいれば、島国であり、一民族国家であるから、人種問題や民族問題は、それほど身近に感じることはない。
しかし、アメリカにあっては、これは身近にある大きな問題である。
また、環境問題、エコロジー問題に関しても、日本のそれと、国際的なものとは、まるでちがうところがある。
また、日本でも、移民問題が取りざたされるようになってきている。
これも、日本にいて、いまだ頭を悩ませたことのない問題である。
私はこうした、国際的な、グローバルな難問に、これからひとつひとつ、よく取り組んで考えていきたいと思う。
そして、私なりの見解を、こうしてブログに書き綴っていこうと思う。
新聞やインターネットも、以前は国内の問題が重大テーマであったが、ここ半年か一年くらいで、国際問題が、大きく占めるようになった。
グローバル社会で、人々がより、国際問題に関心を持つようになったことが、一因であるかと思われる。
しかし、たとえばエボラ出血熱であるとか、イスラム国の問題は、実際にたくさんの国々が直面している問題であって、関心の有無が広がっただけとは限らない。
多くの人々が、実際に国際問題に近接するようになった、ということではないかと思う。
私自身も、国際問題をひとつひとつ考えてみて、その複雑さに驚くことがある。
たとえば、アメリカの国内問題をとっても、そうである。
人種問題がある。
日本国内にいれば、島国であり、一民族国家であるから、人種問題や民族問題は、それほど身近に感じることはない。
しかし、アメリカにあっては、これは身近にある大きな問題である。
また、環境問題、エコロジー問題に関しても、日本のそれと、国際的なものとは、まるでちがうところがある。
また、日本でも、移民問題が取りざたされるようになってきている。
これも、日本にいて、いまだ頭を悩ませたことのない問題である。
私はこうした、国際的な、グローバルな難問に、これからひとつひとつ、よく取り組んで考えていきたいと思う。
そして、私なりの見解を、こうしてブログに書き綴っていこうと思う。
テロ対策。
ずっと昔、「目には目を。歯には歯を」という法律があった。
ハムラビ法典である。
これは、原始的な復讐法として知られている。
アメリカとテロの戦いは、とても長引いている。
アメリカとテロ、というよりは、アメリカと中東の戦いである。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アメリカは、中東に対して、容赦ない武力行使をしてきた。
そして、中東とアメリカの溝は深まるばかりである。
その前には、イラン・イラク戦争があった。
あれから、どれほどの道のりで、問題が解決してきたというのか。
アメリカは、国内世論を背負って、ただそのときの気が晴れればよい、というだけの復讐をしてきたのではないだろうか。
中東問題はとても長い歴史を持っている。
もともとは、ヨーロッパから見て「アジア」「東洋」という位置づけにある中東は、そのエキゾチックな雰囲気から、魅力もあった。
しかし、ヨーロッパもアメリカも、中東から搾取を続けたのである。
それは、近年の、石油に関する搾取に続いている。
中東の問題は、単なるテロ対策ではない。
長い歴史的問題の解決と、宗教的教義の解決、そして何よりも、貧困の解決が、必要なのである。
総合的な見地に立脚して、観ていかなければならない。
そして、中東イスラムに、しっかりとした、豊かな独立国が築けるように、世界中で支援しなければならない。
目の前のことに追われて、憎しみを募らせるだけでは、何の解決にもならないどころか、これから先、ますますこうした、激しいテロを生み出すだけなのである。
ハムラビ法典である。
これは、原始的な復讐法として知られている。
アメリカとテロの戦いは、とても長引いている。
アメリカとテロ、というよりは、アメリカと中東の戦いである。
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アメリカは、中東に対して、容赦ない武力行使をしてきた。
そして、中東とアメリカの溝は深まるばかりである。
その前には、イラン・イラク戦争があった。
あれから、どれほどの道のりで、問題が解決してきたというのか。
アメリカは、国内世論を背負って、ただそのときの気が晴れればよい、というだけの復讐をしてきたのではないだろうか。
中東問題はとても長い歴史を持っている。
もともとは、ヨーロッパから見て「アジア」「東洋」という位置づけにある中東は、そのエキゾチックな雰囲気から、魅力もあった。
しかし、ヨーロッパもアメリカも、中東から搾取を続けたのである。
それは、近年の、石油に関する搾取に続いている。
中東の問題は、単なるテロ対策ではない。
長い歴史的問題の解決と、宗教的教義の解決、そして何よりも、貧困の解決が、必要なのである。
総合的な見地に立脚して、観ていかなければならない。
そして、中東イスラムに、しっかりとした、豊かな独立国が築けるように、世界中で支援しなければならない。
目の前のことに追われて、憎しみを募らせるだけでは、何の解決にもならないどころか、これから先、ますますこうした、激しいテロを生み出すだけなのである。
憲法改正は不可能。
今、日本は岐路に立っている。
4月からの、アメリカのイスラム国空爆に関して、日本から自衛隊を派遣するかどうか、来週には結論を出さなければならない。
その決定の期日が近づいている。
そのあとの日程と言うとどうだろうか。
日本は、なだれこむようにだんだんと、確実に、戦争へ向かうようである。
来年の夏の参院選のあとには、憲法改正のための国民投票が行われる、との見方もある。
この国民投票の結果はどうなるだろうか?
誰も予測できないのだろうか?
私は思う。
今の日本国民に、憲法9条の改正を求めるのは、不可能である。
アメリカやドイツ、フランス、中国のように、最初から法による規制がなく、当たり前のように軍隊を持っている国なら、そのまま続けることもできるだろう。
しかし、もともと、軍隊を持たない、国際間の紛争を武力で解決はしない、という憲法を持っているものを、覆して、武力を持つように説明することは、理論的に不可能である。
国際的には、日々ますます、人権意識の高まりがみられる。
さまざまな差別やハラスメントへの「目覚め」がある。
これは、人類の意識の向上である。
そういった時勢のなかで、紛争解決のために、他者の命を奪ってもいい、とする正当な理屈が、私には思い浮かばない。
特に、平和教育を受けてきて、第二次世界大戦や核爆弾の恐ろしさを、忘れない運動を続けてきた日本国民にとっては、絶対に不可能な話である。
集団的自衛権に関しては「自衛」の二文字で説明することもできた。
しかし私は、紛争の武力解決を正当化する理論を、どうしても持つことができない。
4月からの、アメリカのイスラム国空爆に関して、日本から自衛隊を派遣するかどうか、来週には結論を出さなければならない。
その決定の期日が近づいている。
そのあとの日程と言うとどうだろうか。
日本は、なだれこむようにだんだんと、確実に、戦争へ向かうようである。
来年の夏の参院選のあとには、憲法改正のための国民投票が行われる、との見方もある。
この国民投票の結果はどうなるだろうか?
誰も予測できないのだろうか?
私は思う。
今の日本国民に、憲法9条の改正を求めるのは、不可能である。
アメリカやドイツ、フランス、中国のように、最初から法による規制がなく、当たり前のように軍隊を持っている国なら、そのまま続けることもできるだろう。
しかし、もともと、軍隊を持たない、国際間の紛争を武力で解決はしない、という憲法を持っているものを、覆して、武力を持つように説明することは、理論的に不可能である。
国際的には、日々ますます、人権意識の高まりがみられる。
さまざまな差別やハラスメントへの「目覚め」がある。
これは、人類の意識の向上である。
そういった時勢のなかで、紛争解決のために、他者の命を奪ってもいい、とする正当な理屈が、私には思い浮かばない。
特に、平和教育を受けてきて、第二次世界大戦や核爆弾の恐ろしさを、忘れない運動を続けてきた日本国民にとっては、絶対に不可能な話である。
集団的自衛権に関しては「自衛」の二文字で説明することもできた。
しかし私は、紛争の武力解決を正当化する理論を、どうしても持つことができない。
戦争には反対。
現在の安倍政権は、岐路に立ち向かっている。
国内の大改革と共に、国外、国際情勢に向けて、大きな一歩を踏み出そうか否か、という岐路に立っている。
国内の改革は、「うれしい」「のぞましい」「待っていた」と思う人たちも多いかもしれない。
しかし、戦争に関しては、「反対だ」という人が大勢ではないだろうか。
昨年暮れの衆議院選挙でも、自民党は、経済政策を打ち出して、国民の支持を得て、勝つことができた。
しかし、私たち国民は、「戦争に賛成」という意味で、自民党を選出したわけではない。
ごまかされてはいけないと思う。
数々の政策や法案は、国民に対してのご機嫌取りなのではないだろうか。
今や、自民党の女性議員まで、政権に賛成の意を表している。
女性として、命を守り育む身であるから、もともとは戦争には反対のはずである。
自衛隊の国外派遣は、名前こそちがっても、戦争であることに変わりはない。
そうしたごまかしに、めくらましをくらわされてしまってはいけないと思う。
安倍政権の「このあたりには賛成」「しかし、戦争には反対」と明確に表明しなければならない。
国内の大改革と共に、国外、国際情勢に向けて、大きな一歩を踏み出そうか否か、という岐路に立っている。
国内の改革は、「うれしい」「のぞましい」「待っていた」と思う人たちも多いかもしれない。
しかし、戦争に関しては、「反対だ」という人が大勢ではないだろうか。
昨年暮れの衆議院選挙でも、自民党は、経済政策を打ち出して、国民の支持を得て、勝つことができた。
しかし、私たち国民は、「戦争に賛成」という意味で、自民党を選出したわけではない。
ごまかされてはいけないと思う。
数々の政策や法案は、国民に対してのご機嫌取りなのではないだろうか。
今や、自民党の女性議員まで、政権に賛成の意を表している。
女性として、命を守り育む身であるから、もともとは戦争には反対のはずである。
自衛隊の国外派遣は、名前こそちがっても、戦争であることに変わりはない。
そうしたごまかしに、めくらましをくらわされてしまってはいけないと思う。
安倍政権の「このあたりには賛成」「しかし、戦争には反対」と明確に表明しなければならない。
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