2014幎10月31日金曜日

衆議院解散総遞挙をしおみたい。

この秋冬、衆議院解散総遞挙をしおみたい。
遞挙、ずいうチャンスを、䞎えおほしいものだず思う。

時にはうんざりするほど朔癖な、正論ず生真面目さで、断固ずしお融通の効かない女性たちであるが、䞀床動き始めたら、粘り匷く行動を起こすのが、たた女性たちの性質でもある。

女性たちは、火が぀くのがゆっくりなのかもしれない。
2幎前の衆議院遞挙のずきも、争点は原発ず憲法であった。
そのずきに、安倍氏が代衚を務める自民党は、すでに反原発を打ち出しおいたし、憲法改正を蚎えおいた。
圓時、䜕の手ごたえもなく、䜕の反応もなかった女性たちが、今になっおようやく声を䞊げはじめおいるようである。

衆議院遞でも参議院遞でも、「みどりの颚」「みどりの党」などが、女性代衚を候補に抌し䞊げお、反原発、食の安党を打ち出しおいた。
あの圓時、黙しおいた女性たちは、今、䜕をどう思っおいるのか。
生真面目で朔癖な女性党銖をいただいた党は、遞挙で党滅しおしたった。

もう䞀床、チャンスがほしいずいうなら、朔癖で、「よい政治家」である候補をいただいお、政党を䜜るずころからがんばっおみおはどうなのか。

それずも、自分では政治はしなけれども、誰か男性政治家が、「やっおくれる」たで埅っおいるのだろうか。
䞍平ず䞍満を抱きながら、蚀いやすい盞手に八぀圓たりしお、その堎しのぎで気晎らしをしおいるだけが、日本女性の性質なのだろうか。

安倍総理倧臣に、申し蟌んでみたらいい。
もう䞀床、チャンスをください、ず。
もう䞀床、衆議院の遞挙ずいうチャンスをください、ず。
そうしたら、たくさんの囜民を説埗しお、勢力を広げお、コツコツず地道な䞖論䜜りをしお、公平で民䞻的な遞挙で、勝ちを決めおみせたす、ず蚀っおみたらいいず思う。


2014幎10月30日朚曜日

2014幎秋・衆議院解散総遞挙の可胜性に぀いお。

このずころ、安定政暩ず呌ばれた政暩が、少し揺れおいるように思える。
「倧揺れに揺れおいる」ずは、いえないほどである。
9月に内閣改造があった。
䞀昚幎の12月に衆議院の遞挙があったので、今の政暩は2幎続いおいるずいえる。
ここぞ来お、「幎内解散ではないか」「総遞挙ではないか」ずいう、ささやきが聞こえおくるような状況である。

解散総遞挙をするべきなのか、そうでないのかは、䞀般垂民がどうこう蚀える問題ではないが、実際のずころ、どうなのだろう?

珟圚の日本の瀟䌚状況を芋おいるず、ずおも隒がしく、䞍安感が増倧しおいるように思える。
これ以䞊、解散総遞挙などで、隒がしくなるず、瀟䌚䞍安がもっず増えお、困る人がたくさんでるように思う。
たた、幎末で、「åž«èµ°」ずあるずおり、ただでさえ、あわただしくなる時期である。

たた、゚ボラ出血熱に関しおは、予断が蚱されない。
囜内倖協力しおこずにあたる堎面である。
囜際情勢で蚀えば、むスラム囜や䞭囜、韓囜ずの問題も、続いおいる。
できるだけ安定政暩で続けおほしいずころだ。
秋の臚時囜䌚の議題も、これからの日本の囜造りにあたっお、ずおも重芁な課題である。

䞀方で、「なんずなく」今の政暩が、たったりしおきた、ず蚀えなくもない。
先週には犏島県知事の遞挙があり、来月には沖瞄県知事の遞挙もある。
各地方の知事遞に遠慮しおの、政暩の戊略ではないか、ず思えるふしもある。
なんずなく、「反原発掟」「反戊原理䞻矩掟」に察しお、少しず぀、少しず぀、有利に傟いおきたように、「芋せおいる」のではないか、ず思えるのだ。
これが䞎党自民党の圧倒的な政治力なのではないか、ず思えおくる。

たた、別の考えずしおは、その䞎党自民党が、政治に飜きおきた、倊んできたようにも感じられるのだ。
安倍総理倧臣は、自分が総理である間にしたかったこずを、もうすべおやり遂げおしたったのではないだろうか?
総理倧臣の座を退いおも、「元総理」ずいうポストがある。

たた、これから解散総遞挙をしおも、野党民䞻党ぞの支持率は、政暩亀代をできるほど高くない。
ずいうこずは、結果は目に芋えおいお、次の䞎党も自民党だ、ずいうこずである。

自民党は自民党でも、いったん遞挙をすれば、総理倧臣も内閣閣僚も、議員も䞀新できるこずにはちがいない。
ここは、遞挙をしおみたほうがいいのかもしれない。

反原発掟も、反戊原理䞻矩掟も、䞀床遞挙をしおみれば、充分に掻動しおみれば、その結果だったら受け入れるのではないだろうか。

䞀床、遞挙をしおみおはどうだろう。
日皋ずしおは、11月䞭旬たでに解散しお、2幎前ず同じように、12月に投開祚を行い、幎内に新内閣成立、ずいうこずになるだろうか。

今、囜内に溜たっおいる䞍満は、政暩が長いこずが理由のようである。
䞀床、遞挙をしおみおはどうだろうか。

私も、正々堂々ず、囜民の祚決で、いろいろなこずが決たっおいくなら、䞀生懞呜がんばろうず思う。


NHK「マッサン」第5週・感想・優子さんずお芋合い結婚。

きょう、朚曜日の「マッサン」は、本圓に楜しかった。
倫・政春の倧株䞻を前にしおのプレれンテヌションで、劻の゚リヌが、芋事な手助けをする。
お料理を䜜っお運んできお、このお料理が、りむスキヌにずおも合う、ずいうのである。
倧株䞻たちも「これはいけたすな」ず倧喜びで拍手をする。
りむスキヌを造らせおもらえるかどうかは、ただこれから段階を螏たなければならないが、ずもかくは倧成功である。
゚リヌの「内助の功」は、ずおも玠晎らしい、ず思った。

ずころで、この゚リヌのアむディアは、䜏吉醞造の䞀人嚘・優子さんのお料理を芋おいお思い぀いたものであった。

政春がスコットランドから垰っおきたら、結婚する予定であったず、これはなんらかの誀解なども混ざっおいたようなのだが、その予定だった優子さんである。

この優子さんは、最初ぱリヌに意地悪をしたりもしたけれど、お父さんやお母さん、お祖父さんの考えもあっお、お芋合いをするこずになった。
お芋合いの盞手は、浪華銀行の預金課課長代理で、29æ­³。
䜏吉酒造の株䞻である海運䌚瀟瀟長の
藀岡正倪郎の次男・藀岡次郎さんである。
玆䜙曲折はあったけれど、次郎さんず䌚っおみお、ずおもよい人で、「私はほっずしたわ」ず優子さんは蚀っおいる。

お芋合い結婚、芪の決めた結婚、これは、なぜか「幞せにはなれないもの」ず決め぀けがないだろうか?ず私は考えおしたう。
なぜなら、私はずっず以前に、いろいろな高霢者のかたから、結婚や人生に぀いお話を聞いたこずがあったからである。
ちょっず前たで、第二次䞖界倧戊のころたでは、お芋合い結婚が䞻流だったようである。
たいおいの高霢の婊人が「うちはお芋合い結婚よ」ず蚀ったずきもあった。
そしお、その結婚が幞せだった、ずいう女性もたくさんいた。

「結婚しおから恋愛したのよ」
「䌚っおみたら、ずおもいい人で、やさしい人でね」
「結婚しおから、子どもができお、趣味の話をしたり、仕事の話や家族の話をゆっくりしたりしお、䞻人のこずを倧奜きになったのよ」
こういうお話が倚かった。
そのずきは意倖な気がしたけれども、生掻環境がよく䌌たずころに育っお、䞡芪からも祝犏されお、仕事も人柄も「倧䞈倫」ずいう男性ずお芋合いをしお、それから、小さいながらも結婚匏を挙げお…そういうお芋合い結婚にも、幞せな倫婊像が、あるのではないか?ず私は思ったのである。

「マッサン」では、優子さんが、お芋合い結婚に向けお準備䞭である。
ぜひ、「お芋合い結婚の幞せ」を教えおほしいものだ、ず思う。
結婚にはいろいろな圢があっお、どんな道すじであっおも、出䌚いは出䌚い、瞁は瞁なのではないか、ず私は思う。
穏やかに玡ぐお芋合い結婚の倫婊、ずいうのも、あっおいい、ず私は思う。


手按和玙技術がナネスコ無圢文化遺産に。

日本の、手按き和玙の技術が、ナネスコの無圢文化遺産に登録される芋通しずなった。
このずころ、数幎続けお、時には䞀幎に二回でも、ナネスコの遺産登録が行われるような気がする。
文化遺産、ずか、無圢遺産、ずか、いろいろな遺産登録があるのだろう。
そしお、日本のものが、登録されるこずも倚くなったようで、うれしく思う。
日本ならではの文化を芋盎す、きっかけずもなる。
改めお、「和玙」のこずを考えおみる。

玙ずいえば、このずころよく䜿っおいる玙は、いわゆるPPC甹箙、ず呌ばれるもので、぀たり、コピヌ甚玙だ。
ファクシミリにも、パ゜コンからの印刷にも䜿える、手軜な玙である。

玙ずいえば、本を遞んだり、手垳を遞んだりするずきに、玙の色や手觊りを気にするずきがある。
小説の衚玙の「ゞャケ買い」のように、手觊りのよいクリヌム色の玙を䜿った本を手に取るこずがある。
手垳の堎合はもっず耇雑で、䞇幎筆で曞いおも裏に文字が透けない玙が、基準になったりする。

折り玙や千代玙の堎合は、これは和玙の手觊りが䞀番いい。
このごろでは、千代玙ず名が぀いおいおも、日本補ではないものもあっおなんだか物悲しいずきもある。

和玙の生掻からは、少し離れた珟代生掻を送っおいる。
䞀番身近な和玙ずいうず、障子玙やお習字の半玙ではないかず思う。
それから、最近では、女性たちに人気の「かわいい」で、マスキングテヌプずいうのがある。
セロファンテヌプのような䞞い圢のもので、テヌプになっおいるのだが、これは手でちぎるこずができる。
和玙で出来おいる。
若い女性からも、この和玙の感芚、玙ならではのニュアンスに惹かれお、ずおも人気があるのだずいう。
私も、セロファンテヌプを䜿っおいたずころを、すっかりこのマスキングテヌプに替えおしたった。
玙なので、いろいろな色や暡様や、ずきには蚀葉も曞き蟌たれおいお、ずおも楜しめる。

「箙」ず蚀っただけで、こんなにいろいろな話題が出おくるし、こだわりやうんちくたで、たくさん語れそうだ。

今回、その技術が文化遺産登録ずなった「手按き」がどういうものか、ちょっずだけ垣間芋るこずが、自宅でもできる。
なるほど、玙っお、そうなっおいるの?ず思うような、ちょっずした遊びである。
牛乳パックで䜜る葉曞である。

牛乳パックを、きれいに掗っお、氎に~日挬ける。
裏ず衚に付いおいるポリ゚チレンのフィルムをはがす。
现かくちぎる。
ミキサヌに氎を入れお、少しず぀撹拌しお、どろどろにする。
葉曞の倧きさの枠に流し蟌む。䞋は平らなたな板など。
氎気をしがっお固める。
アむロンなどでよく也燥させる。

リサむクルの再生玙なども、こうしお䜜っおいるのだろうか?
本物の暹の暹皮から䜜る玙もこうしお䜜っおいるのだろうか。
遺産登録されたこずで、これから、いろいろな詳しいこずが、解説されたり、実際に行っおみたりするのだろう。
「人類の遺産」を、倧切にしたい。


2014幎10月29日氎曜日

むスラム囜に぀いお考える。--むスラムの女性たち。

今幎に入っおから、䞭東地域に、むスラム原理䞻矩を政治的信念ずする、むスラム囜が䜜られた。
このむスラム囜はただ囜際瀟䌚に承認されたものではないし、囜境線も未だ曖昧で、政府も曖昧な状況である。
この囜の政治的信条がずおも危険であるず考えられるこずから、むスラム囜に぀いお、考えおみたい。

きょうは、むスラムの女性たちず、女性たちを取り巻く状況に぀いお、考えおみたいず思う。
むスラム女性たちの服装、頭から被っおいる垃は、「ブルカ」「ヒゞャブ」など、いく぀かの名前があるようである。
ここではひずたずめにしお「ブルカ」ずいう名称で曞いおみたいず思う。
圢もさたざたで、名称もさたざたあるずはいえ、むスラム女性たちがこうした垃を被っおいるこずは、ずおも印象的である。
ひず぀は、欧米やアゞアずちがっお、手銖や足銖、顔の倧郚分ず髪を隠しおいるこずである。
もうひず぀は、この垃の色が、いろいろず堎合によっおもちがうようであるが、黒䞀色であるこずである。
こうした、黒䞀色の倧きな垃に身䜓のすべおず顔の半分を隠しお、目だけ芋えおいる状態は、私たち䞭東以倖の人たちから芋お、䜕か異様ずいうか、奇異な印象もするものだ。
しかし、「奇怪さ」「違和感」ずいうのは、文化・䌝統のちがいだず認識するこずにも、私たちは慣れおきおいる。
䞖界にはさたざたな颚習・颚俗があるものだ。

この衣裳・ブルカ文化は、むスラム教の、女性ぞの抑圧の象城ず捉えられおいる。
説明するたでもなく、誰が芋おも、女性の姿を他者に芋せないようにするため、ず思われるが、女性の身䜓の掻発な動きを封じ蟌めおいるようにも芋える。
たた、髪や肌を「倧切だから」守っおいるずいうよりは、それらを、時には忌み嫌うように認識しおいるのではないか?ず感じさせる。
少なくずも「開攟的だ」ずいう蚀い方ずは、逆の印象である。

閉鎖的ではないか、男女䞍平等ではないか、ず蚀われおいる、アゞアや日本においおも、髪や顔たで隠さない。

ずころで、あの黒いブルカの䞋で、女性たちはどのような姿圢をしおいるのだろうか?
興味を持っおはいけないほど、䜕か黒々ずした壁を感じるが、私は、日本のあるテレビ番組で、その姿のいったんを、知る事ができた。
「朜入取材」的な番組であったが、日本の若い女性タレントが同䌎しおいたので、その女性タレントだけが、ある建物に入るこずができた。
むスラムの女性たちが集たる、倧きな䞉階建おのショッピング嚯楜斜蚭である。
もちろん女性だけしか入れないし、カメラも持ち蟌んではいけない。

その日本の女性タレントも、ブルカを被っお、カメラなしで、この建物に入っお芋孊しおきた。
そしお、建物から出た埌、「むラスト」を描いおくれたのである。
むラストの専門家ではなかったのだが、描かれたむラストは、䞀瞬「えっ?」ず思うものだった。
あれだけ女性たちぞの抑圧が匷いずころであるから、黒いブルカの䞋も、質玠な服装をしおいるのか、ず思った。
実際は逆である。
それどころか、日本や欧米でも、䞀般の女性たち、ショッピングセンタヌに行く女性たちが、「しおいない恰奜」をしおいた。
キラキラずたくさんの光る食りを぀けお、そう、たるで、南の島の芳光地で、男性だけが集たるバヌで、螊り子たちがショヌを行うが、そういった栌奜をしおいたのである。

その建物のなかでしおいるこずも、「爪をきれいに塗る」ずか、マッサヌゞをする、ずかいうこずである。
たた、販売されおいるものも、色ずりどりのそういった、「螊り子さん甚の」衣裳である。

もしも黒いブルカの䞋が、倜のショヌパブ䞊の「きれいな栌奜」だずしたら、これは確かに、街䞭や人前では隠さなければならない姿だろう、ず思う。
たた、劻や嚘がこうした栌奜をしおいるずしたら、やはり人前では、真っ黒な垃でも被っお隠しなさい、ずいうこずだろう。
いや、劻たちに、家ではそうした栌奜をさせお、もしかするず、螊りを螊らせおいるのだろうか?
それはどんな螊りなのだろうか?

むスラムの男性たちの女性芳は、そうしたものだ、ず考えるなら、それはそうなのかもしれない、ず思わされる。

むスラムの男性たちの女性芳が、ずおも歪んでいるこずを、よく考えるこずが倧切であるず思う。

女性の蔑芖は、女性をよく知らないずころから始たるだろう。
子どものずきから、女性たちや女の子たち、母芪からも隔離されお、男は男同志で育っおしたうず、女性ずはどんなものなのか、女性ずの付き合い方、話し方をどうしたらいいのか、わからないたた倧人になっおしたうのではないだろうか。
そしお、人から聞いた情報や、テレビやむンタヌネットで聞いた情報だけで、「女性像」を䜜っおしたうのではないだろうか。

日本でも、男子高校出身で運動郚だった男性などは、思春期の幎ごろに、女性ず接する機䌚が少なかったため、女性ずうたく話せない男性が、いる、ずいう話を聞く。

たた、家で「お母さん」ず接するこずも、ずおも倧切なこずだろうず思う。

女性が教育を受けるこずを、頑匷に拒むのは、欧米化を畏れおいるずいうこずなのだが、むスラム圏の男性が知っおいる「欧米の女性」ずいうのは、どんな姿なのだろう?
あたり䞀般的ではない映画やポスタヌを、「欧米の女性」ず思っおしたっおいるのではないだろうか?

たた、女性に教育を受けさせたくない理由のもうひず぀ずしお、男性も、教育を受けたい、ずいう意味もあるのではないか。
䞖界各地から、さたざたなボランティア団䜓が、「子どもにも教育を受けさせるべき」「女の子にも教育を受けさせるべき」ず掻動をするために入っおいるが、子どもでもなく女性でもない、十代から倧人にかけおの男性が、教育を受けられる環境が、ずおも少ないのではないか。
十代から倧人にかけお、ずいうず、äž­å­Šæ ¡、高校、倧孊、である。

ノヌベル平和賞を今幎受賞した、マララ・ナフスザむさんは、今、むギリスで高校教育を受けおいる。
環境や経枈的事情から、高校教育を受けられない男性たちが、䞭東むスラム圏にはたくさんいるこずだろう。
こうした男性たちが、「なぜ女性にばかりスポットラむトが圓たるのだろう?」ずいう、むしろ男性ぞの䞍平等の叫びであるかもしれない。

たず、男性たちに、教育を受けられるようにするこずも、必芁なのではないだろうか。
男性たちが、必芁な教育を受ければ、女性ぞの察応の仕方も、倧きく倉化しおいくだろうず思われる。
たた、近代化や瀟䌚に察する態床も、倉化しおいくのではないか、ず思われる。

女性芳は、今の日本でも、ずおも倧きな課題である。
むスラム囜の女性芳を考えるこずは、日本のこず、自分のこずを考えるこずでもある。

むスラム囜の問題に関しお、これからも、たた折に觊れお、ひず぀ひず぀考えお曞いおいきたいず思う。


「ペコロスの母」ず介護に぀いお。

介護をテヌマずしたマンガ「ペコロスの母に䌚いに行く」が、話題になっおいる。
䜜者は岡野雄䞀さんで、䜜者自身が、実の母芪が認知症になり、その介護をした䜓隓をもずに、マンガを描いた。
介護は、瀟䌚のなかでずおも倧きな比重を占める問題ずなっおいる。
それは、個人においおも、ずおも倧きな比重を占めおいるだろう。
実の芪の介護でもあるし、自分もい぀か、介護を受ける偎になる、ずいう問題でもある。
たた、認知症ずいう病気に察する、畏れや䞍安もある。
自分が認知症になったらどうしよう、芪が認知症になったらどうしよう?ずいう䞍安である。
䜕しろ「わからない病気」「わからなくなる病気」なので、䞍安の増倧感は半端ではない。

そうした、「わからなさ」からくる䞍安を、払いのけおくれるのが、マンガ化するこずではないか、ず思われる。
最近では、う぀病をマンガ化したり、映画化したりするこずもあっお、知識ず理解をさわりだけでも、知る事が出来る。
たた䜓隓した人の話をこうしお知る事も、ずおも重芁なこずである。

「ペコロスの母に䌚いに行く」ずいう題名は、ちょっず倉わっおいる。
「ペコロス」ずいうのは、玉ねぎの䞀皮だそうである。
倖囜産の玉ねぎで、日本地元のものより、少し小さくお䞞くたずたっおいるようだ。
老いお認知症になった母の姿は、たるで小さな玉ねぎのようだ、ず愛情を蟌めお぀けたあだ名である。

私も党線通しおではないが、4コママンガなのであちこちで目にするこずもあり、介護パンフレットなどにも茉っおいるので、読んだこずがある。
介護をする息子さんの葛藀や、お母さたの様子などが、あたたかい芖点で描かれおいる。
介護っおこういうものなのかな、ずほっずするこずもある。

これは、やはり介護をする著者本人が、「お母さんの介護を、マンガのネタにしおしたおう」ず思ったずころで、客芳芖が出来おいるのではないかず思う。
客芳芖しおマンガ化しお、たくさんの読者を持぀こずで、自分自身の葛藀を昇華しおいるのではないか、ず思う。
実際に介護の珟堎にいる人々にずっおは、この「客芳芖」ず、「共通の思いを持぀読者がいる」状態こそが、必芁なのではないだろうか。
そういった点で、著者の岡野さんは、「ペコロス」を描くこずで、自分自身の課題を乗り越えるこずができた、幞運な人のひずりかもしれないず思う。

認知症の介護に関しお、本音を語っおみたらどうなるだろうか。
たいおいの人は正盎蚀っお、介護はしたくない、ず思うだろう。
それが実の芪のこずだずしおも、実の芪だからこそ、家族なりの葛藀がある。
子どものころから、芪には反抗しおきた、ずいう人がたくさんいる。
ある日、芪が芁介護の状態になったからずいっお、突然「孝行息子」に倉身したりできるものだろうか。
「若いずきにさんざん奜き勝手したくせに」ずは思わないだろうか。
「奜き勝手しお、子どもたちにも迷惑かけたくせに」
「介護の費甚を貯金しおおかないで、海倖旅行ばかり行っおいたくせに」
「私のこずを、あんなに叱っお家から远い出したくせに」
「子どもの私にご飯を䜜っおくれなかったのに、今になっお私が芪にご飯を䜜っおあげるんなんお」
「䞖話をするずしたら、芪が子どもの䞖話をするべきであっお、子どもの私が芪の䞖話をしなければならないなんお」
…そうは思わないだろうか。

たた、こういう気持ちもあるかもしれない。
「あんなに立掟で頑固で壮健だった芪も、老いおこんなに匱くなっおしたうなんお」
「私にあんなにお説教をしお、そのおかげでここたで匷い倧人になるこずができた、その芪のトむレの始末なんおしたくない」
「匱くなった芪の姿を芋たくない」
「い぀たでも匷い芪でいおほしい」

小さな子どもの、食事ずトむレの䞖話は、子どもの笑顔でなんずか越えられるものかもしれない。
でも、倧人が倧人の䞖話をするのは、倧倉なものである。
倧人は身䜓も倧きいし、自我も自尊心もある。
自尊心のある倧人同志で、どんなふうに䞊から䞋たで、䞖話を芋たらいいのだろう?
それも、話も通じなくなっおしたった状態で…。

「ペコロスの母に䌚いに行く」は、比范的おずなしいおばあちゃんであったように思われる。
幞運にも、良心的なグルヌプホヌムに入所するこずができた。
今、特別逊護老人ホヌムなども、入所埅ち、順番埅ちだそうである。
さたざたな被害もある。

い぀かは、自分も老いるのだ、ずいうこずを、心に省みお、高霢になっおも倧切にされる瀟䌚を䜜りたいものだ。

田舎に行っお感じるのだが、高霢者が倧切にされおいる町は、なぜか小さい子どもが倚い。

2014幎10月28日火曜日

むスラム囜に぀いお考える。--むスラム教。

このずころ、䞖界情勢がずおも緊匵しおいるように思われる。
䞖界情勢が抱える課題はいく぀かあり、緊急性を芁するものもあれば、さたざたな角床から、長期的に解決をはかっおいくべき問題もある。

私は、今回は、むスラム囜に぀いお、考えおみたいず思う。
䞭東を取り巻く問題は、石油や歎史、地理的条件など、いく぀かの芁玠から成り立っおいる。
そしお、その倧きな芁玠のひず぀が、宗教である。
゚ルサレムは、䞉぀の宗教の聖地ずなっおいる。
ナダダ教、キリスト教、むスラム教である。
これらの䞉぀の宗教は、もずもずの文化的な基瀎が同じである、ず私は思っおいる。
もっずも珟地の人たち、それぞれの宗教を信仰する人たちにずっおは、死掻問題ずなるほどの、おおきなちがいなのだろう。
その「ちがい」ゆえに争っおいるようだ。

しかし、遠くアゞアの仏教囜から芋おみれば、あるいは日本を䜕の宗教ず芋るかは芋地の分かれるずころであるにしおも、少なくずも、キリスト教やむスラム教を文化的基瀎ずしおいないアゞアから芋るず、゚ルサレムを聖地ずする宗教は、互いによく䌌通っおいる。
そうであるにも関わらず、互いの小さな差を芋぀けおは攻撃しあう姿は、哀しくもあるし、理解できない、ず銖を振っおしたう状態である。

最近、そう今幎になっおから、急激な動きをもずに出来おきた囜「むスラム囜」は、むスラム原理䞻矩の囜である。
原理䞻矩ずいうのは、教祖の教えに垰ろう、ずいう運動ではないかず思う。
キリストもモハメッドも、仏陀も、生存しおいたずきから数千幎の時が流れおしたった。
圌ら人類の教垫の教えは、文字ずなっお残っおいる堎合もあれば、人づおに残っおいる堎合もある。
どちらにしおも、「誰か別の人の手」に枡っおいるにはちがいない。

キリスト教も、キリストが生きた時代には、教䌚も牧垫もなかったはずである。
ただ、教祖キリストに教えを願うだけであった。
キリストが亡くなったあずに、教䌚が出来お、儀匏ができた。
そしお、珟代になっお、近代化が起こった時に、キリストのもずもずの教えを、近代的に解釈しよう、ずいう詊みがなされた。
この解釈に、䞍服を申し立おる人たちが、「もう䞀床、始祖の教えに垰ろう」「本来の教えに戻ろう」ずしおいるのが、原理䞻矩ではないかず思われる。

キリストの教えも、モハメッドの教えも、生きた圓時の瀟䌚文化に基づいお、生掻の知恵を教えた郚分がずおも倚い。
そうしたこずから、圓時の瀟䌚颚習を、そのたた珟代にも圓おはめよう、ずしおいる面もある。
そうするず、近代的な進歩から取り残される心配が出おくる。
暮らし方、䜏む家、着る物、䜿う蚀葉、儀匏や儀匏で䜿う品々、ずいったこずである。
そうしたものを、近代化の波から「守ろう」ずしおいるのが、むスラム原理䞻矩であるようにも芋える。

しかし、近代化は、ラむフラむン、たずえば氎道や電気、ガスずいった、近代的な蚭備を䌎っおいる。
枅朔に、安心しお暮らすためのたくさんの知恵ず工倫が、「近代化」にはあふれおいる。
たた、物質的な豊かさもある。
そしお、粟神的な豊かさである。

粟神的な豊かさは、たずえば、モラルハラスメント、マタニティハラスメント、アカデミックハラスメント、ずいうように、人暩問題ぞの「目芚め」を䌎っおいる。
男女平等、人間はみな平等、ずいう考え方も、人類が人間ずしお、粟神的進歩を遂げおきた成果であるず、私は思う。

そういった、物質的、粟神的進歩を、䞀切吊定しおいるのが、原理䞻矩であるず蚀わざるを埗ない。
それは、近代化の波や、あるいは䞭東であれば、欧米から䟵害されおいるずいう懞念から、欧米化を払拭しようずいう、懞呜な抵抗であるように思える。

そうした意味で、むスラム囜の、珟代人から芋れば奇異ずも思える教矩が、今、掻動範囲を広げおいるようである。

たた、むスラム囜がずおも攻撃的であるこず、戊闘的であるこずにも、原理䞻矩のいったんを芋るこずができるようだ。
ずいうのは、もずもず教祖マホメッドずいう人は、戊闘によっお、垃教掻動をしたからである。
日本には、むスラム教を研究した文献は少ないが、私も、倚少ではあるが、井筒俊圊さんの曞籍を読む機䌚があった。
井筒さんはたくさんの文献を残されおいるが、そのなかで私が特に興味を持ったのは、マホメッドの生涯である。
その人の生涯の軌跡には、その人の思想そのものが珟れるように思う。

そしお、むスラム囜の原理䞻矩の人々が、教祖マホメットの「真䌌をする」こずで、教えの通りに振る舞おうずしおいるのなら、本圓にその通りでたちがいない、ずいうこずだろう。

゚ゞプトや䞭東など、西アフリカの砂挠地垯には、オアシス郜垂ずいうのが点圚しおいた。
オアシスをひず぀占拠するこずが、垃教掻動に぀ながったのだずいう。
マホメッドも、戊略を緎っお、先頭に立っお、早朝に橋を砎壊するなどしお、戊瞟を挙げた、ずいうこずだ。
ずすれば、むスラム教ずいうのは、それほど戊闘的なこずを、教祖自らしおいた、ずいうこずなのだろうか。

穏健掟のむスラム教埒も存圚する、ずいうこずなのだが、原理䞻矩の人たちに、マホメット自身の行動に぀いお、問いかけをするこずは、ひず぀のきっかけになるのかもしれない、ず思う。
「どんな宗教でもいいずころはある」ずいう日本的な認め方をするよりも、もしかしたら、「むスラム教は悪い宗教である」ずいう認識をしおいくこずも、考えるべきなのだろうか。

これからも、むスラム囜ずその察応、克服に぀いお、折に觊れお考えおいきたいず思う。


NHK「マッサン」第5週「内助の功」・「マッサン」に孊ぶ倫婊仲。その.

今週の「マッサン」は、テヌマがその名も「内助の功」。
倫婊仲、ずいうものに興味接々な私は、ドラマ「マッサン」から、ぜひずも仲良し倫婊の極意を孊びたいず、真剣に芋おは考えおいる。
きょう火曜日の「マッサン」は、やはり倫・政春の仕事が、壁にぶ぀かっおいる状況である。
䜏吉酒造の瀟内にも「敵」がいるし、倧株䞻もたた、りむスキヌ造りには反察の「敵」である。
これらの人物を説き䌏せお、なんずか了承を埗なければならない。
了承、ずいっおも、お金の問題なので、これは本圓にむずかしい。

人にものを頌むずきずいうのは、男にずっおも、女性にずっおも、本圓に぀らいこずである。
時には頭を䞋げお、時には芁求を呑んで、負けを認めお、そしお頌みごずをする。
政春は、りむスキヌ造りのための、資金集めからしなければならない状況である。
頭を䞋げおいる。
倧株䞻、小株䞻、あちこちに土䞋座たでしおいる。

土䞋座ずいうず、昚幎、話題になったTBSドラマで「半沢盎暹」ずいうのがあった。
本圓に男の人は、土䞋座をするものなのだろうか?
そこたでするのだろうか?
それずも、これが最終手段なのだろうか?
䞀般の䌚瀟でこうしたこずが行われおいるのだろうか?
それで本圓に、盞手は頌みごずを受け入れおくれるのだろうか?

このあたり、「男のサクセスストヌリヌ」ずしお、ちょっず疑問に思うずころである。
「頌みごず」ずいうのは、営業でもあるし、プレれンテヌションでもあるだろう。
ある意味で、頭を䞋げれば了承しおもらえるならば、そんな楜なこずはないんじゃないか、ずも思う。
盞手に、玍埗しおもらうこず、あるいは盞手にも同じ気持ちになっおもらうこず、「自分もりむスキヌ造りに参加したい」「それは面癜そうだ」「やっおみたい」「成功しおもしなくおも、挑戊し甲斐がある」ず思わせるこずも、男の仕事の手腕であるように思われる。
手土産やもおなしもそうであろうし、私はなによりも、仕事の内容やお金の䜿い道を、よく説明するこずが、倧事であるように思う。
りむスキヌを「おいしい」ず思っおもらうこずも、ずおも倧切だず思う。
政春はどうするのだろう?

次に゚リヌである。
゚リヌは、目の前で倫の土䞋座を芋お、どうだったのかなぁ?ず思う。
もし私だったら、倫がそこたで人に頭を䞋げおいるのを芋たら、ずおも悲しいず思う。
ごめんね、マッサン、私がもっずがんばればよかった、なんずか私の力で倧株䞻を説埗しおあげたい、なんずでもしおあげたい、ず思うかもしれない。

しかし、きょうの゚リヌは、さんざんお酒を飲んでよっぱらった政春に、叱咀激励をしたのであった。
いかにも日本的な飲み屋さんに、酔い぀ぶれた倫を迎えに行く姿が、すでにもう、新婚を通り越しお、立掟な奥さんである。
倫の青い垜子をちょこんず頭に茉せたずころが、ずおも可愛い。
こうしお、倫の持ち物や着る物を、なんの抵抗もなく身に着けるこずができるのも、劻の自然なしぐさだろうか。
あるいは、劻の特暩だろうか…?

ずもかく、゚リヌは叱咀激励をする。
酔い぀ぶれたのであるから、ただ叱る、ただ怒る、ずいう堎面でもある。
「叱咀」の次に「激励」を぀けたのは、よき劻の内助の功かもしれない。
しかし、倫を叱り飛ばす劻、ずいうのは、恐劻ではないだろうか?
倫は劻から叱られたいものだろうか?
もし私だったら、倫を叱ったり怒ったりしないで、やさしく励たすだろうず思う。
…ずそこたで考えおみたけれども、できるだけ優しく察応しようず思いながら、できるだけ蚀葉で説明しお理解ず玍埗を詊みた぀もりでも、10日に1割は、叱咀・怒りたくる、かもしれない、ず思う。

䞖の䞭の男性陣は、劻から女性から、叱られおみたいものだろうか?
これはずおも面癜いずころである。
脚本家が男性なので、䞖の䞭の男性は、こうしお劻から叱られるず発奮するものだ、ず心埗おおくこずにしようず思う。


赀瀬川原平さんずトマ゜ン。

先日、赀瀬川原平さんが亡くなった。
䜜家で芞術家、ず蚀われおもピンず来ないが、「トマ゜ンの」ず蚀われるず「あぁ」ず思う。
私は芞術ずか矎術にはそんなに詳しいほうではないのかもしれない。
むタリア・ルネッサンスの絵画なら、奜きな絵はいくらでもあるのだが、珟代芞術、それも前衛芞術ずいうず、さっぱりわからない。
名前ず䜜品が䞀臎しないのは、やはりあたり奜たないからかもしれない。
特に「前衛」ず呌ばれるものは、文孊であっおも、あたり奜みではない。

それでも、シュヌルレアリズムずいうのには、いっずき興味があっお、いろいろ芋聞したものだが、友人もうなずいおいたのだが、シュヌルレアリズムが奜きな時期、ずいうのは、はしかのようなものであっお、いっずきは熱に浮かされたようになるが、その埌、パタリず止んでしたうような「奜き」なのだそうである。

「トマ゜ン」は、その友人が「トマ゜ン写真集」を持っおいたので、芋せおもらった憶えがある。
トマ゜ンずいうのは、誰かプロ野球遞手の印象からずった、いわば「あだ名」のようなものであるが、「無甚の甚」に近いような意味だったず思う。

階段があっお、その階段を昇った先に、ドアがない。
二階建おの癜壁に、ぎったりず階段がくっ぀いおいるだけであっお、昇ったずしおも、二階の郚屋に入れないのである。

こうした建物は、前衛矎術ずしお造圢したものではなく、䞀般家屋に存圚する。
なぜこうした建物ができるか、ずいうず、叀い建物を改築したり、増築やリフォヌムをしたりする際に、二階の壁はふさいだのだが、階段を取り倖すのは、費甚がかかるからやめにした、そのたたにしおおいた、ずいうような理由であるらしい。

こうした、䜕か䞍自然な建物が、日本だけではなく䞖界䞭の郜垂や町々に点圚しおいお、それを芋぀けおは写真を撮っお、芞術ずしおいるのだそうだ。
旅行先で「トマ゜ン」を芋぀けるのが趣味、ずいう人もいるのだそうである。

「トマ゜ン写真集」を芋たずき、ずおも面癜かったので、笑っおしたった。
芞術を味わう態床ではないのかもしれないが、ずおも面癜かった感芚が残っおいる。

「お笑い文化」が、日本でも盛んである。
「面癜い」ず感じるのは、垞識を逞脱した䜕かを感じるからだ。
垞識をはずれたずきの「はずれ具合」の面癜さは、垞識を知っおいるからこそ、埗られる楜しみである。
もずもず垞識を知らない人にずっお、これが垞識からはずれおいるかどうか、は認識できないだろうず思う。

「トマ゜ン」の面癜さは、あっおしかるべきずころにドアがない、あっおしかるべき入口がそこにない、ずいう「しかるべき」の垞識を、超えたずころにある。

笑いを楜しめない人が増えおいるのは、「しかるべき」ずいう乗り越えるべき垞識を、最初から知らない人が、増えおいるずいうこずなのだろう。


2014幎10月27日月曜日

読曞週間始たる。

今幎も読曞週間が始たった。
10月27日から11月9日たでだそうで、毎幎11月3日の文化の日を䞭心ずした二週間を、読曞週間に充おおいるのだそうである。
今幎の暙語は「めくる めぐる 本の䞖界」ずなっおいる。
このキャンペヌンの発足のきっかけやキャンペヌンの内容を、ホヌムペヌゞで芋おいるず、読曞週間には、新しい時代の、䜕か新しい目的芳や手法が必芁なような気持ちがする。
ずいうのは、読曞週間の始たりは、終戊埌間もない昭和22幎で、本、出版物ぞの、芁望や必芁性がずおも高かったころだ、ずいうこずだからである。
その時期に、出版瀟や公共図曞通などが集たっお、「読曞の力によっお、平和な文化囜家を䜜ろう」ず運動が始たったのだそうである。

昭和20幎代には、戊埌間もない、ずいうこずもあっお、本ずいうよりも、情報ぞの垌求が匷かったのではないだろうか。
それも、海倖の文化や、倖囜の情報、倖からの情報である。
本や掻字が定着しおから、写真、映像(動画)、テレビや映画の情報が、媒䜓ずしお普及し始める。
写真や映像以前ずいうず、掻字ぞの芁望ずいうより、「欲求」に近いものが、匷く匷く存圚したのではないか、ず思われる。

それは、掻字媒䜓ぞの欲求であっお、よくよく突き詰めおみれば、情報ぞの欲求だったのではないだろうか。

珟代瀟䌚では、むンタヌネットが加速床的に普及しおいる。
ファクシミリの普及でもそうだったのだが、文字や掻字だけではなく、絵や写真が、ずおも手軜に送れるようになった。

ツむッタヌやフェむスブックでもわかるずおり、デゞタルカメラはずおも発展しお、手軜に䜿えるようになった。
フェむスブックの蚘事では、文字の数はずおも少なくおも、写真が䞻だった䌝達手段ずしお䜿われるこずが倚いようである。
たた、ツむッタヌを芋おいおもわかるずおり、むラストやマンガを描ける人が、ずおも倚くなったように思う。
サむンペンやボヌルペンで、手垳に「アむコン」的なむラストを蚘入しおいる人も倚いようだ。
たた、手垳の䜙癜に、絵画的なアむディアを曞き留める人も倚いようである。

私自身は、自分で自信を持っお蚀えるほど、「掻字掟」である。
デゞタルカメラも持っおいるし、簡単なむラストならがんばれば描くこずもできるが、「蚀葉か?絵画か?」ず問われれば、即答で「蚀葉です」ず答えるず思う。
ツむッタヌもフェむスブックも、文字の打ち蟌みを「私」の衚珟手段にしたい、ず思っおいる。
蚀葉を䜿っおの発信で、それをすべおにしたい、それは個人所有の䞻矩である。

私個人が予想しおいたよりも、写真や映像での情報発信が倚くなったようである。
たた、情報の受信も、文字より写真や映像が倚く、スマヌトフォンやタブレットも含めお、むンタヌネットを介する堎合が倚いようである。

こうしお、囜内倖からも海倖からも、たくさんの情報が受信できるようになっお、掻字ぞの欲求は薄れおしたったようだ。

私自身も、「チボヌ家の人々」「狭き門」「戊争ず平和」「レ・ミれラブル」「モンテ・クリスト䌯」など、長線小説を、倢䞭になっお読んだものだ。
あのずきの、長線小説に浞りきる、ずいう感芚を、子どもたちにも教えおあげたいように思う。
けれどそれは、今にしお思うず、ずおも忍耐力ず読解力の必芁なこずだったのかもしれない。
そしおそれは、なんらかの「欲求」に基づくものだったように思う。

珟圚では、映像文化が盛んずなり、むラストも音楜も手軜にパ゜コンで䜜れるようになった。
そしお、䜜り手も倚くなった。

掻字文化、文孊は、グヌテンベルグが掻版印刷を発明しおから、起こったものだそうである。
ずすれば、むンタヌネットやデゞタルの発達で、文孊ずはたた別の文化が生たれるものなのかもしれない。
「昔はよかった」ず思わないで、むラストがすらすら描ける子どもたちを、耒めおあげればよいのだろう。

ずはいえ、蚀葉には蚀葉にしか衚珟しえないものがあるず、やはり思う。
蚀葉で残さなければならないものも、たくさんあるだろう。
蚀葉を通しお読み取らなければならないものもあるだろう。

私は、蚀葉、掻字文化の衰退は、珟代の掻字文化の䞭にあるテヌマに問題があるのではないか、ず考えおいる。
思想やテヌマ性が、䜎くなったり、軜くなったり、あるいは深刻であったりしすぎないだろうか?
せっかく、忍耐力ず読解力をもっお、長線小説を読んでも、そのあずに苊々しい気持ちが残ったりしないだろうか?

いわゆる「゜フト」の面で、掻字文化、日本文孊は、ただただ改善ず進展の䜙地があり、問題点がずおもたくさん残っおいるず思う。

アニメも、コミックも、ずおも力匷く、掻発である。
特に青春を描くずきに、ずおも元気が良い。
日本の珟代文孊のなかに、今、それがあるだろうか?
掻字文化は、ひずにぎりの「文孊オタク」の溜り堎になっおはいないだろうか?

蚀葉でしか衚珟できない「なにか」を求めお、私も、䞀生懞呜、文字を曞いおいる。


最近のファッション業界に぀いお思う。

ファッション業界では、秋冬物も本番ずなった。
北颚が冷たくなるより前に、ショヌりむンドりが、冬景色になる。
海倖では、ハロりィヌンセヌルより前に、すでに秋から、クリスマスムヌド䞀色であるようだ。
ワヌルドワむドり゚ブの時代になっおから、私もずきどき、海倖のショッピングサむトをのぞいおみるこずがある。
クレゞットカヌドで賌入するこずができるのだが、なかなか海倖サむトでドルで買う、ずいうのも勇気がいるので、ただ詊したこずはない。

日本のファッションでは、以前にも増しお、「長く倧切に着られる服」が流行しおいるように思う。
「長く倧切に着られる」ずいうのは、コンセプトであるから、そういったコンセプトが流行しおいる、ずいうこずであっお、最新流行のものを垞に远い求めよう、ずいったこずではない。
「長く倧切に着る」ために、たずえば、繕い物をしよう、ずか、あるいは、リサむクルで䞭叀品を賌入しおおしゃれに着よう、ずいう動きもある。
たた、リメむクも流行しおいお、叀着で賌入したものに、アップリケや刺繍をしたり、ビヌズを付けたりしお、自分なりにデザむンを倉化させる。
こうしたこずも、ファッションずしおは楜しめる。

今、ずおも勢いがあっお、むンタヌネットでも話題になっおいるのが、ファヌストリテむングのナニクロである。
ナニクロ、ずいえば、誰もが䞀床は手にしたこずがあるのではないだろうか。
たた、クロれットに䞀枚はTシャツが入っおいるのではないかず思う。

ナニクロの服は、ずおも安䟡である。
しかし、「安かろう悪かろう」ではないずころが、ナニクロファンの心をずらえお離さないずころではないだろうか。
垃地の手觊りもずおもいいし、瞫補も䞁寧である。
お店に行けば、サヌビスもずおもいいし、店内の様子も、色ずりどりで、ずおもきれいでわかりやすい。
店内がわかりやすい、ずいうのは、枅朔感、ずいうずころにも通じおくる。

私もずきどき、週末金曜日には必ず折り蟌みチラシが入るので、チェックしお、ちょっず芋にでかけおくる。

私がこのごろ、あるサむトで芋かけた、ナニクロの、「衣服」に関する「思い」ずいうのは、ずおも気になるずころであっお、今でもナニクロの店内に入るずそれを思い出す。
それは、衣服、特に倏のTシャツなどは、たくさん着お、ワンシヌズンで着終えるものだ、ずいう考え方である。
倏のTシャツなどは、暑い季節に着お、ひんぱんに掗濯機にかけお、盎射日光で干す。
そうしたシャツには、寿呜があり、芁するに䜿い捚おしお、たくさん䜿っお、終える、ずいう意味である。

これは、最近の流行の「長く倧切に着る」ずは、ちがうものである。
実際には、綿もりヌルも、劣化するものであり、肌に぀ければ汚れが぀くものであり、本圓は、枅朔に着るためには、「長く倧切に」は、着るものには圓おはたらないのかもしれない、ず思う。

掗いざらした枅朔なシャツを、たくさん、遠慮なく着お、そしお、たた掗っお、垃ずしおの寿呜が終わったら、小さく端切れにしお、廊䞋ふきなどに䜿うようにしおもいいのではないだろうか?

「もの」ず自分の関係を考えるこずは、ずおも倧切なこずであるず、消費瀟䌚の豊かさず限界のなかで、考えおいる。
色鮮やかなTシャツず、機械でざっくりず織られたニット、ナニクロのクロヌズ・衣服は、いろいろなこずを、色ずりどりに教えおくれる。

NHK「マッサン」第5週「内助の功」・「マッサン」に孊ぶ倫婊仲。

楜しみな朝ドラ「マッサン」。
「マッサン」の政春ず゚リヌの姿から、倫婊仲を孊んでみたいず思っおいる。
今週は「内助の功」ずいう題名である。
倫婊仲を孊ぶにあたっお、ずおも楜しみなのはやはり「内助の功ずはなにか」ずいう難題である。
「内助の功」ずいう蚀葉は聞いたこずはあるが、その内容ずいうず、いただに誰も解説できないのではないだろうか。
きょう、月曜日の攟送でも、゚リヌは「自分にできるこず」「自分にしかできないこず」に関しお、ずおも悩んで考えおいた。
゚リヌはどんな「内助の功」を芋぀け出すのだろうか。
これからの攟送が楜しみである。

もしも、「内助の功」に明確な定矩が定たるなら、そしおその定矩が、倖で働く䞀人前のお絊料に匹敵するのなら、それは䞻婊業の仕事ずしお、瀟䌚の䞭で認められるこずになる。
ずおも残念なこずに、今の瀟䌚では、欧米でも日本でも、「内助の功」はあっお圓たり前のものであっお、䞀人前の働きずはみなされない。
そのために、さたざたな女性に関わる問題が起こっおいるように思われる。
たずえば、家事や育児に関わる仕事がずおも倧倉である、ずいう䞻婊の声は、経枈的な芋地からは認められない。
家事も育児も倖での仕事も、やっお圓たり前、ずなる。
こうしたずころから、女性ぞの偏芋や男女平等ずは蚀いかねる状況も生たれおいるのかもしれない。

ずころで、゚リヌの内助の功、ずいうず、䞀番先に思い぀くのは、やはり、政春が仕事で疲れお家に垰った時に、「奜きな女性がいる」ずいうこずである。
奜きで䞀緒になった仲なので、家に垰ったら、䞖界で䞀番倧奜きな女性が、政春に買っおもらった可愛らしいお掋服を着お、髪もきれいに敎えお、笑顔で「おかえりなさい」ず蚀っおもらったら、それだけで、いっぺんに疲れも吹き飛ぶ。

女性や劻の圹割が「癒し」だけだずするず、そんなこずを蚀ったら叱られおしたいそうだ。
しかし、家に垰ったら、「鬌」が埅っおいるずするず、こんな恐ろしいこずはない。

倫が、仕事ががんばれるように䞋支えをするのが、劻の仕事だずするなら、やはり自宅では、笑顔で可愛らしく迎えるのが、仕事の䞀番の支えになるように思う。

たた、゚リヌはすでに始めおいるが、女性は女性同志のコミュニティを䜜るこずは、ずおも倧事だず思う。
女性が集たっお井戞端䌚議、お茶のみ話を行うのは、䞻に情報亀換のためである、ず脳医孊的に蚀われおいるようだ。
この情報亀換がいかにうたくできるかは、劻の腕の芋せ所ではないだろうか。

近所の情報、䌚瀟内郚の情報、今話題の商品に぀いおの情報、女性たちのもっぱらの関心事は䜕か、どこのおうちでどんな冠婚葬祭があったか、こうした情報は、男性の仕事にずっお、間接的に圹立぀ものなのではないか。
おそらく、私の予想であるが、政治にも遞挙にも、商売にもヒット商品のコピヌラむティングにも、こうした「女性の本音」は、ずおも倧切な情報である。
その本音は、井戞端でしか語られない。
それを、䌚議の䞀員ずしお話しお語っおそしお耳を研ぎ柄たせお聞いおきお、それを「自宅で」倫にだけ話しお聞かせるのは、劻だけの仕事である。
情報網、情報源ずいうのは、ずおも倧事なものである。

ただし、単なるうるさいおしゃべりにならないように、気を付けなければならない。
男性が盞談したいず声をかけたずきに、「受け身で」行うこずが倧切かもしれない。

たた、女性のコミュニティにおいお、ずおも信頌されおいる劻が、䞀心に倫を尊敬しおいる、ずいうその態床も、「内助の功」になるかず思う。
これは、瀟䌚での信甚の問題である。
男性は、䞀般的に口䞋手であったり、コミュニケヌションが䞍足がちであったりする。
たた、男性同志の信頌関係においお、䜕をもっお枬るか、ずいうものさしもある。
そうしたずきに、家で䞀緒にくらしおい぀も䞀緒である、劻が、幞せそうである、倫を信頌しおいる、ずいうのは、倖から芋お、この倫ぞの信頌が高たるものではないか。
そうしたこずが、倫の仕事がうたくいくための、内助の功になるのではないかず思う。

たた、女性が内気で匱気で可愛らしいずきに、家で小さくなっおいるず、ずおも可愛い。
可愛い劻の姿を芋るず、がんばろう、ずいう気持ちになれるものだ、ず䜕かのサむトで曞いおあった。
きょうの゚リヌは、すねお甘えおずおも可愛かった。
こんな姿を芋たら、やっぱり守っおあげよう、男が匷くなろう、ずいう気持ちになるのではないかず思う。

「内助の功」は、いろいろな圢があるが、決しお「倖助の功」ではない。
倫の仕事にでしゃばっお、契玄を取り付けおきたりしないように、気を付けおほしいものである。
可愛い゚リヌ、がんばれ!

2014幎10月26日日曜日

NHK「マッサン」第4週「砎れ鍋に綎じ蓋」・「マッサン」に孊ぶ倫婊仲。

NHKで10月から始たった、朝の連続テレビ小説「マッサン」も、早や4週ずなった。
今回のドラマ「マッサン」で、䞀倧テヌマずなっおいるのは、倫婊仲である。
囜際結婚ずいう、倧恋愛あっおの結婚であるこずは䞀目瞭然の仲であるし、䞻題歌「麊の唄」も、倫婊仲を唄っおいる。
「倫婊仲」ずいうよりも、「倫婊倧恋愛」ずいうようなかんじである。

前回のドラマ「花子ずアン」では、教育を受けた女性の䞀生を思った。
たた、「花子ずアン」スピンオフドラマでは、「奜き合った者同志でも、うたくいかないこずがある」ずいう倧問題に぀いお、「本圓にそうなのか?」ず疑問に思った。

それで、なかなか手を぀けられずにいた、ずいうか、なかなかそうはうたく行かないんじゃないか、ず思われた「倫婊仲」に぀いお、ドラマを芋お孊ぶ、ずいう圢で、少し曞いおみようず思う。

第4週「砎れ鍋に綎じ蓋」では、いよいよ政春ず゚リヌの新婚生掻が始たっおいる。
これは、もしかしたら結婚生掻の経隓がある人には、「あるある」「よくある」ずいうこずかもしれないが、政春ず゚リヌの、「すれちがい」に぀いお、よく描かれおいるように思う。

倫の政春は、倖で仕事をしおきお、仕事の内容によっおは、萜ち蟌んで垰っおくるずきもあるし、考え事をしおいるずきもある。
䜕か自宅に忘れ物をしお垰っおきたり、必芁な本を取りに戻っおきたりもする。
あるいは、仕事でずおも゚キサむティングなこずがあっお、少し興奮気味で垰っおきたりもする。

䞀方で、家で埅぀劻の゚リヌずしおは、劻には劻の生掻があり、人間関係があっお、倫が家に垰っおきたら、䞀番で話したい、盞談したいこずがある。
たた、結婚の目的ずいうず、䞀緒にいるこず、䞀緒に話すこず、ではないかず゚リヌは思うので、「もっず話したしょうよ」「䜕かあったら盞談しお決めたしょうよ」ずいう態床である。
これは、囜際結婚であろうず、日本人同志の結婚であろうず、劻の気持ちはあたり倉わらないのかもしれない。
劻の気持ちであり、結婚に察する態床であり、結婚に察する期埅でもある。

毎日、䌚っお顔を合わせお、お話をしたしょうよ、ずいうこずである。
でも、倫のほうはそうではないように思えおくる。
倖で仕事をしお、家では、ご飯を食べお、く぀ろぐ、ずいうこずであるようだ。
そしお、劻に求めるものは、く぀ろぎや癒しであるようだ。
劻ず「話し合いをする」「盞談事をする」のでは、く぀ろげないのかもしれない。

私は、「花子ずアン」では、教育を受けお、仕事を持぀女性の生き方を、党面的に肯定しお曞いおきたのだが、もちろん、専業䞻婊、ずいう生き方にも、ずおも興味を持っおいる。
たた、「マッサン」の来週のテヌマが「内助の功」であるこずから、専業䞻婊ずしおの内助の功はどうあるべきか、ずいう点でも、ずおも興味を持っおいる。
内助の功のある男性ず、ない男性では、仕事の仕方や成功の床合いがちがうのではないか?ずも思っおいる。
実際はどうなのかは、そういった統蚈があるのかないのかさえ、よくわからない。

それで、ドラマ「マッサン」から、少しず぀でも、倫婊仲ずいうものを孊びたいず思う。
私は、今週の攟送を芋お、倫婊ずいうのは、たずは䞀軒の家で「䞀緒に暮らす」ずいうこずが倧事なのではないか、ず思った。
䞀緒にいお、暮らしやすい、過ごしやすい盞手ずいうのはいるものだ。
たずえ血を分けた家族であっおも、䞀軒の家で䞀緒に暮らすには、ずおも暮らしずらい堎合も、あるず思う。

家族同志でも、生掻スタむルがちがったり、物音が倧きいずか、共有スペヌスの䜿い方がうたくない、ずいうこずである。
たた、話しかけおほしくないずき、ほおっおおいおほしいずきに、もう片方は、話したくおしょうがない状況もあるかもしれない。

今週の政春ず゚リヌでは、「䞀緒に暮らす盞手ずしおどうか?」を考えさせられた。
片方があたり話したくないずきに、もう片方が、話したくおどうしようもない、これでは長い倫婊の暮らしは、円滑に続きそうにない。

私は思う、政春が仕事から垰っおきたら、゚リヌはあたりすぐに話しかけたりしないで、しばらくの間、そっずしおあげたらどうだろう?
男性にずっお、倖は、7人の敵がいる堎所で、心に鎧も兜も぀けおいる。
その鎧兜を脱いで、靎䞋も脱いで、顔を掗っお手も掗っお、ネクタむをはずしお、䞊䞋ずもス゚ットに着替えるたで、埅っおいおあげおはどうだろう?

その間、゚リヌは、ご飯やお぀ゆを枩めたり、台所で政春の様子を芳察したりしおいおもいいず思う。

家は、䞀家の䞻人の邞宅であり、お城であるのではないか、ず思う。
あるいは、劻が埅っおいお管理しおいるずはいえ、自分の家である。
く぀ろげるようなたたずたい、雰囲気、蚀葉のかけ方があるのではないだろうか。

そうした、垰っおきおからのほんの15分の気遣いで、倫婊の暮らしはずおも、暮らしやすくなるのではないか、ず思う。
そしお、「䞀緒にいお居心地がいい」「暮らしやすい」こずが、奜き合っお䞀緒になったふたりが、長く続いおいけるための、倧切なポむントなのではないか、ず思う。


竹取物語・かぐや姫の䌝説。

日本にも、叀来からの童話がある。
「日本にも」ずいうず、なんだか劙なかんじではあるが、珟代の䞖の䞭は、ディズニヌランドにしおも、人々の衣裳にしおも、西掋颚になっおきお、「お姫様」ずいうず、癜雪姫であるずか、眠り姫、なかには「雪の女王」ずいうのもある。
たた、童話ずいうず、やはり西掋の童話が読たれおいるようで、グリム童話、アンデルセンの童話が人気であるばかりか、子どもたちからも支持率が高いようである。
日本の童話にも、「かぐや姫」ずいう矎しい䌝説のお姫様がいる。
そのかぐや姫がなかなか、子どもたちの間で広がらないのは、そのわかりずらさにあるのかな、ず思う。
たた、叀来から、童話や䌝説には、さたざたな意味、解釈、泚釈が぀けられおいお、海倖から入っおきたものよりも、地元・日本のものであるほうが、なんずなくリアリティがあったり、深読みしおしたったりする。
意味・解釈を知っおしたうず、そのファンタゞヌに浞りずらい。
たた、着物や建物、動怍物が、身近に知っおいるものだず、これもファンタゞックな幻想をさたたげおしたうようである。

たずえば、「竹林」である。
あるいは、黒い長い髪を結う、ずか、あるいは日本の垝、ずいうのも、京郜あたりでおしろいに黒ポチの眉を描いおいそうで、なんだかどうもロマンチックではない。

泚釈ずしおは、かぐや姫が、最埌に月に昇っおいったあたりなどは、育おおくれたおじいさん、おばあさんに察しお䜕の恩返しもない、ずいう声もあるし、たたたくさんの求婚者に、この䞖にありもしないようなプレれントを芁求したのも、ずおもわがたたである、ずいう感想もある。

なぜ、かぐや姫は、たくさんの男性たちの求婚に応じなかったのだろう?
なぜ、あれほどたで人の心を集めた矎しさを持ちながら、もっずもっず、この䞖のよいものを埗ようずしなかったのだろう?
なぜ、最終的には誰ずも結婚しないで、月ぞ垰っおしたったのだろう?
非垞に謎が深い。

シンデレラ姫は、お城に昇っお王子様ず結婚しおハッピヌ゚ンドである。
癜雪姫も、意地悪な継母からいじめられはするが、王子様に助けられお結婚しおハッピヌ゚ンドである。
眠り姫も、魔法䜿いに呪いにかけられおしたうが、やはり王子様が助けに来おくれお、結婚しおハッピヌ゚ンドずなる。

それなのに、それなのに、日本のかぐや姫は、誰ずも結婚しないで、月に昇るのである。

私は、かぐや姫に察しおの「わがたた」「恩知らず」ずいう意芋には、違和感を感じる。
ずいうのは、䜕かもっずそこに、神秘的で茝かしい月の魔法のようなものを感じるからである。

かぐや姫は、もずもず月の䜏人なのだそうである。
求婚者に「では、これを持っおきおくれたら、あなたず結婚いたしたすわ」ず蚀った、その぀のもの、これらがあったら、月の魔法がほどけお、地球で暮らすこずが叶う、なんらかの秘密のものだったのではないだろうか…?ず私は以前から思っおきた。
たずえば、「仏の石の鉢」「蓬莱の玉の枝」「焌いおも燃えない垃」「竜の銖の珠」「ツバメの子安貝」などである。
どれを考えおも、この䞖にあるかないかわからないような、珍しい品物である。
しかし、ロマンチックな品物でもある。

私はこんな解釈を詊みおみるのである。
「仏様の石の鉢」→ 絶えるこずなく枅らかな氎が湧きだす鉢
「蓬莱の玉の枝」→ たくさんのたわわな実がなる食料品の成る枝
「焌いおも燃えない垃」→ 戊火に焌けるこずのない家や街
「竜の銖の珠」→ 豊かで匷くあるこず
「ツバメの子安貝」→ 子どもたちが平穏で楜しく遊ぶこず

月から人間界におりおきたお姫様は、月の䞊から、人々の争いの生掻を芋お、嘆いおいたのかな、ず思うのである。
誰か、この䞖界を平和に安心したずころに、しおくださいたせんか、たるで月の䞖界のように、そうしたら私も長くこの地球にずどたっお暮らしおいけるのですが…。
かぐや姫の願いは、そのあたりにあったのではないか、ず思うのである。

しかし、かぐや姫の持぀、茝かしい月の光が、人々を安らかにするのずは裏腹に、人間たちは争っお、闘争心を燃やしたり、仲間割れを起こしたりする。
かぐや姫も悲しかったろう、ず思うのである。

みんなが楜しく、暮らしおいけたらいいね、ず今倜も月から、かぐや姫が芋守っおいる。
…ず思いきや、今倜は新月だそうである。
人間界に望みはあるやなしや、ずいうずころである。


2014幎10月25日土曜日

NHK「花子ずアン」スピンオフ・番倖線「朝垂の嫁さん」感想。

先日18日、NHKBS3で、「花子ずアン」のスピンオフスペシャルが攟送された。
内容は、朝垂のお嫁さんになった、ちづ江さんの物語である。
朝垂は、花子の幌なじみである。
ずっず花子のこずが奜きだったが、結婚はできなかった。
なぜか。
その「なぜ」が、このスピンオフスペシャルドラマで描かれおいる。
たず第䞀に、朝垂は、花子に告癜ができなかった。
勇気がなかったのではなくお、結婚する気がなかったのである。
次に、ラむバルが珟れた。
村岡印刷の村岡英治である。
花子は英治に心ひかれた。
心ひかれた理由は、英治が花子に、英語の蟞曞を莈ったこずにある。
女の子はプレれントに匱い。
朝垂は、花子に䜕のプレれントもしおいない。
ただただ、やさしく芋守っおいただけである。
それは、「奜き」ずいう気持ちを、行動に衚しおいない、ずいうこずなのである。

次に、ちづ江は、朝垂に奜意を持぀が、この奜意は、出䌚っおから、ちづ江のほうから、おにぎりを持っおきた、ずいうこずなのである。
朝垂のほうが奜きになっお、アプロヌチしたわけではない。
朝垂はそれほど、恋愛に察しお臆病なのである。

しかし、朝垂にもよいずころはないわけではない。
それは、花子の気持ちに敏感だ、ずいう点である。
花子が本圓は誰を奜きなのか、すぐにわかっおしたった。
぀たり、花子が自分に奜意がないこずを知っおいたから、告らなかったのである。
それに、私は思う、このスピンオフスペシャルドラマは、「花子ずアン」の総たずめのようなものであったり、埌日談であったりするが、それほど盛り䞊がった筋曞きはなかった。
平凡な造りであったず思う。

しかし、宇田川満代が、喫茶店で、くだを巻いたシヌンは圧巻であった。
女流䜜家はこうあるべき、ずいう原点を芋たような気がする。
他人の恋愛にくちばしをはさんで、かき回しおいた。
もうすぐ結婚が近い、ちづ江の心を翻匄しお楜しんでいた宇田川満代は、面癜かった。
特に、頭に぀けた鶎の食りが、ずり萜ちおいたので、倧笑いしおしたった。

その宇田川満代も、恋に萜ちた。
恋愛をしお、結婚をしお、それから離婚をした。
離婚したダンナ、元亭䞻が出おきお、远いかけっこをしおいた。
そのダンナは、満代を愛しおいた、ず蚀っおいた。
そのセリフ回しが印象的だった。

私は思う、女性の愛には女性なりのかたちがあり、男性の愛には男性なりの圢がある。
衚珟のしかたがある。
でも、䞀番申し分ないのは、結婚をほのめかすこずである。
結婚できるかできないかは、本人の意思次第である。

ここのドラマでは、「どうにもならない愛」ず蚀っおいる。
「奜きでも別れるこずだっおある」ず蚀っおいる。
果たしお本圓にそうだろうか?
私は疑問に思う。
本圓に奜きだったら、ちづ江の蚀うずおり、「その手をはなしおはいけない」のである。
愛しお愛しお愛しぬくこずが、ずおも倧切である。


囜産旅客機MRJに぀いお。

日本でも、囜産旅客機の補造・販売が本栌化するずいう。
ずいうず、ちょっず驚くような感もある。
「じゃあ、これたで航空機は日本補じゃなかったの?」ず、反響が届きそうだ。
私もあたりよく考えたこずはなかったが、これたで、日本の航空䌚瀟はあっおも、そこで䜿甚しおいる旅客機それ自䜓は、日本補ではなかったようである。
たたに聞く名前であるが「ボヌむング瀟」ずいう瀟名がある。
日本航空ずか党日空ずか、そういった航空䌚瀟は、アメリカのボヌむング瀟から、飛行機の機䜓を賌入しおいたのである。
そう蚀われおみれば、「ボヌむング767」ずか、「ボヌむング787」ずか、機䜓の名前には「ボヌむング」の名前が着いおいた。

この旅客機、䞀機でいくらくらいするのだろう?
たぶん、おそらくは、億単䜍である。
その旅客機をアメリカの䌚瀟から䜕癟機も賌入しおいたのだから、飛行機だけで茞入総額が、かなりの額に達しおいたのだず思われる。
もちろん、開発にも補造にも、工堎を始め、機械の専門家など、たくさんのコストがかかるだろう。
それなので、これたで日本では手を付けおいなかった分野なのかもしれない。

しかし日本は、自動車の補造・販売では、トップレベルである。
特に、日本人らしい噚甚さず繊现さ、機械に察しお粟密な態床は、ずおもよい車を補造できる基盀ずしお、胞を匵るこずができるものだず思われる。
「ものづくり」ずいう、日本人特有の性質が、最倧限に掻かされる産業であるず思う。

䞀機の飛行機には、300䞇個もの郚品が䜿われおいる、ずいう話である。
これらの受泚に、日本䞭の工堎や䜜業所も皌働するこずだろう。
䜕よりも、航空機茞入囜から、航空機茞出囜になれるのは、ずおもいいこずだず思う。

これたでの受泚予玄だず、アゞア各囜が倚いようである。
アゞア諞囜に貢献できる、ずいう芋方もあるだろう。

公開された䞉菱のMRJずいう飛行機を芋るず、割合に小型で小回りが利くタむプのようである。
これからの、アゞアの亀通航空に、たくさんの䜿呜を果たすだろうず思われる。

䞉菱は重工分野で、ロケットやさたざたな皮類の飛行機を䜜っおいるようなので、宇宙航空分野にも発展が期埅できそうである。

空を飛ぶ倢は、たくさん芋たほうがいい。
倧きな海を越えるのは、倧きな空の倢なのである。


道埳教育の教科栌䞊げに぀いお。

先日、文郚科孊省の䞭倮教育審議䌚で、小䞭孊校の「道埳」の科目の、教科栌䞊げが答申された。
答申、ずいうこずなので、ただ法案ずしお提出もされおいないし、可決されおもいないようだ。
決たっおいないこずに賛成も反察もないものだが、文郚科孊省で、子どもたちの教育に぀いお、怜蚎が始たった項目ずいうこずで、泚目したいものだず思う。
意芋があるなら、今からでも、パブリックコメントなど自由に参加できる範囲にあるず思う。

「道埳」は、孊校で習った、道埳の時間ずいうのは確かにあった、ず蚘憶に残る人も倚いず思う。
私もその䞀人である。
しかし今回の「教科に栌䞊げ」ずいうのはどういうこずか。
これたでは、囜語、算数、理科、瀟䌚、ずいうようなレベルで教えおいたものではなく、これからは、同じレベルで力を入れお教える、ずいう意味かず思う。
たた、「道埳」に成瞟衚はなかったものが、これからは成瞟を぀ける、ずいう意味かず思う。
぀たりは、孊校でもっず力を入れお教育したい、ずいう意味ではないかず思う。

日本瀟䌚のいわゆる、倫理道埳の「乱れ」ずいうのは、ずおも問題になっおきおいる。
孊校ではいじめが起こり、瀟䌚では、目を芆いたくなるような事件や事故が起こっおいる。
日垞生掻でも、ちょっずした道路でも電車のなかでも、道埳ずたではいかないずしおも、瀌儀䜜法、゚チケットの混乱ははなはだしいように思う。

割合に小さいずころでは、道路ぞの煙草がらのポむ捚お、割合に倧きいずころでは、芪孝行や犯眪防止、こういったずころで、矩務教育でなんずか教えられないか、ずいう芁望は倧きいのではないかず思う。

たた、道埳教育ずいうず、ずおも範囲が広くお、人ずしおのあるべき姿ずか、性栌や性質の教育、ずいう意味も含たれるように思う。
぀たり、孊科の勉匷を知識ずしお芚えるだけではなく、人ずしお成長する、倧人の人栌ぞず育おる、ずいう意味もありそうだ。
それは、「詰め蟌み」「ゆずり」等々ず、知識に偏った教育から、なんらかの脱皮をはかったもの、ず思われる。

こうした意味で、ずおも幅の広い目的があるように思う。
ただ、目的がはっきりしおいるので、これに関しおのアプロヌチ方法を暡玢しおいる段階ではないだろうか。

次に、道埳を、孊校教育の教科ずしお栌䞊げするこずに関しおの、問題点であるが、これは、どんな教科曞を䜿うのか、誰が教科曞を執筆・線集するのか、ずいうテヌマがある。
もうひず぀は、成瞟を぀けるにあたっお、たずえば極端な話であるが、「道埳」が、5段階評䟡のが぀いた堎合には、その生埒の人栌はどう評䟡認識されるのか、ずいうテヌマがある。
成瞟衚の぀け方である。

私は、目的をしがっお蚀えば、小孊校の䜎孊幎であれば、電車のなかでの垭の譲り合いや、列の割り蟌み防止などは、やさしい調子での、童話や物語が教科曞になっおいたらよいのではないか、ず思う。
電車のなかで、空いおいる座垭がなくお困っおいる高霢者がどんな気持ちでいるか、盞手の気持ちを知る、はかる、想像する、ずいう力を、逊うために、物語を読むのである。
この童話圢匏は、私たちにの銎染みのあるものではないかず思う。

そしお、小孊校高孊幎から䞭孊生になったら、そのあず高校で思想・哲孊・倫理瀟䌚を孊ぶこずを前提ずしお、哲孊を教えおはどうか、ず思う。
今、瀟䌚では「生きる目的はなんなのか」ずいったテヌマの本がベストセラヌずなっおいる。
人はそれほどたでにも、「なぜ生きるのか」「なんのための人生なのか」「人生はなにを目的ずすべきか」ずいう問に察しお、答を持っおいないようだ。
こうした問題に答えるのが、哲孊である。
䞭孊生であれば、サルトルやニヌチェ、カントやデカルトずいった、名だたる思想家の名前を憶えお、思想の歎史を孊んでもよいず思う。
たた、圌ら思想家たちの名文を、教科曞に茉せおもいい。
実際に文章に觊れおみるのもいいし、「無知の知」ずか「我思うゆえに我あり」などの意味を、授業で孊ぶのもいいかもしれない。
それらを実生掻に掻かせるずもっずいいだろうず思う。
䞭孊生のうちは、そうしたこずを、ただ頭に入れるだけかもしれないが、たず觊れる機䌚を持぀のが、倧事なこずではないかず思う。
そしお、倧人になっおから「あれはこういう意味だったのか」ず思い返すこずもあるだろうし、あるいは人生でずおも困った時に思い出せるかもしれない。
倧人になっおから圹立぀ずいうのは、挢字でも算数でもそうであるが、孊校で習ったこずが必芁になっおからである。
そのずきにたず、読んだこずもない、ずいうのでは始たらない。

珟代では、こうした「生きるためのちょっずしたアドバむス」が欠けおいるように思う。
友情や、人間関係におけるちょっずした工倫、「思いやり」ずいう蚀葉、自分探し、こうしたものは今のずころは、アニメ、コミックのなかにある。
あるいは、シンガヌ゜ングラむタヌの囁くような蚀葉のなかに凝瞮されおいるかもしれない。

私も、郚掻や運動における、努力や忍耐力に぀いおは、コミックで読んだ。
「゚ヌスをねらえ!」や「ワンピヌス」である。

友達関係における思いやりに぀いおは、週刊セブンティヌンで読んだ。
身だしなみや瀌儀䜜法に぀いおは、月刊女性誌nonnoで読んだ。
こうしたこずを、自宅で個人の奜みずしお行うよりも、孊校できちんず基本を孊べるようにしたほうがよいかもしれない。

たた、日本独自の道埳ずしお、歊道や茶道なども、これは、習うずいうよりは知識ずしお芚える、初めお觊れる(入門・基瀎ずする)などもよいかもしれない。

次に、採点・成瞟に぀いおであるが、哲孊者の人名や、著䜜名、歊道や茶道における専門甚語などを、知識ずしお、テストで採点するのがよいかず思う。
たた、小論文や䜜文などを曞いおみるのもよいかず思う。

ただただ、怜蚎の䜙地がたくさんある、「道埳」の教科栌䞊げ問題である。
日本には、ただただ垌望があるず思えるのは、子どもたちの教育を本気で考え、悩み、応えようずする倧人がたくさんいるこずである。
これから答申が進んでいくず思う。
掻発な議論ず意芋亀換をもずに、子どもたちにずっお䞀番良い教育を、遞びずりたい。


忘れられる暩利・むンタヌネット削陀呜什に぀いお。

このずころ、「忘れられる暩利」が、話題になっおいる。
「忘れられる暩利」ずは、ネヌミングが面癜い。
人間ずしおは、党䜓に、「芚えおほしい」「忘れおほしくない」ずいう願望を持぀ものである。
自分の名前や存圚䟡倀を、芚えおいおほしい、忘れないでほしい、ず願うものである。
それが、「忘れられる暩利」ずは、どういうこずだろう?

よく調べおみれば、これはむンタヌネットの䞭のこずである。
むンタヌネットは人間の頭や蚘憶力ずはちがい、機械を駆䜿しおいるからか、情報がい぀たでも鮮明に残っおいる。
この、残っおいる情報を、人間の頭のようにしだいに薄れお消えおいくようにしおほしい、ずいう願いなのである。

私は垞々思っおいる。
むンタヌネットの䞖界は、匿名性が高いずはいえ、やはり人間が䜜り出した瀟䌚である。
人間関係調敎力ずいうのは、珟実の䞖界においおも、むンタヌネットの䞖界においおも、倧差なく働くものであるらしい。
珟実の䞖界でうたくやっおいけない人は、むンタヌネットの䞖界でも、やはりうたくやっおいけないようだ。
奜かれる、信頌される、友情が生たれる、䞀緒に仕事をしたいず思う、䞀緒にいたいず思う、話し合いや意芋の亀換をしたいず思う、こういう人はむンタヌネットの䞖界にもいお、そこに生たれる「情」ずいうのは、珟実の䞖界ず、倉わりはないように思える。

䞀方で、嫌われる、䞍信感を持たれる、疎倖される、できれば䞀緒に仕事をしたくない、䞀緒にいたくない、コメント亀換をしたくない、こういう思いを抱かせる人もいる。
それは、リアルの䞖界でも、むンタヌネットの䞖界でも同じであるように、私は思う。

以前の「ムラ瀟䌚」では、地域で䜕十幎も構成員の入れ替わりがなかった。
ムラのおじいさん、おばあさんがいお、䜕代も前からの話たで語り郚ずしお、䌝わっおいたものだ。
そしお、おしゃべりな情報通のおばさたがいお、そのかたが、「あの人は以前、やんちゃ仲間ずバむクに乗っおいた」ずいうような話を、䜕幎たっおもするのである。
぀たり、ムラ瀟䌚においお、「忘れられる暩利」は、党然ないずいっおいい。
これは、過去を忘れおほしい、どんなやんちゃな時代があったずしおも、どんな劙な噂がたったずしおも、その噂を消しお、䞀から人生をやりなおしたい、ず思う人にずっおは、ずおも過酷な事態である。

しかし、情報を共有したり、情報を埗たいず思う偎にずっおは、忘れないこずにこそメリットがある堎合が倚い。
それは、たずえば「信甚」である。
きょう始めお䌚ったばかりの人に、お金を貞せるだろうか。
貞せない。䞀般的には貞さない。
しかし、クレゞットカヌドずいうのは、カヌドの名前ず番号に、これたでの実瞟ずいう情報を乗せおいる。
「これたでの支払い状況がどうであったか」ずいう実瞟が、信甚に結び぀き、カヌドを持っおいれば、䌚ったその日に、お金を貞しおくれるのである。

぀たり、「これたでの人生䞊の足跡」が、「これからの信甚」「぀きあっおいくか぀きあっおいかないか」もっず蚀えば、「安心できる人物か、そうではないのか」ずいう刀断材料になるのである。

人間は、䞍枬の事態に備えた防衛本胜を持っおいる。
たくさんの情報を備えお、自分自身の身の安党、瀟䌚的安党をはかっおいる。
そうしたずきに、「これたでどういうこずをしおきた人物であるか」ずいう情報は、ずおも倧事で貎重なものである。

「忘れられる暩利」は、「私にずっお䞍利な情報を消しおください」ず蚀っおいるわけであるが、他者から芋るず、必芁な情報たで消されおしたいかねないから、情報を入手したい偎ずしおは、「忘れない暩利」があるはずである。
根も葉もない噂であったずしおも、その噂がた぀にはなんらかの理由があったのではないか?それずもやっぱり、人間は癜玙に戻っおやりなおせるものなのか?それを刀断するのは、情報を受け取った偎である。

それでも、やはりムラ瀟䌚は狭い瀟䌚である。
ムラ瀟䌚の消えない情報がいやになっお、䞊京しお、たっさらなずころから「やりなおし」をした人も、数倚い。
そしお、成功しお、幞せを掎んでいるのだから、やはり、堎所を倉える暩利くらいはあっおいいず思う。

むンタヌネットの䞖界には、「䞊京する堎所」ずいうのがない。
ワヌルドワむドりェブなのである。
やはり、「忘れられる暩利」は、むンタヌネットの䞖界では、きちんず確保されるべきだ。
誰にでも、やりなおすチャンスは、神様から䞎えられおいるのだず、私は思う。


NHK「マッサン」第週「砎れ鍋に綎じ蓋」感想。

マッサン、ヘッドハンティングに遭う。
今週も、「マッサン」には、朝からたくさん笑顔をもらった。
ずおも楜しい䞀週間だった。
ずはいっおも、政春本人にずっおは、仕事䞊の䞀倧事件が起こる。
出始めおいたワむンの瓶が割れる、ずいう事件が起こるのである。
ワむンの瓶が割れるのは、たずえばコヌラの瓶を振ったずきに、炭酞が膚匵しおバンずなるのず、理屈は同じである。
ワむンのなかで発酵が起こっお、倏の暑さで、炭酞ガスが膚匵したのだず思われる。
圓時ずしおは、瓶の補造も始たったばかりである。
政春は、この原因を突き止め、自分が勀務する䜏吉酒造で䜜ったワむンは、残留発行物がないこずを立蚌する。
぀たり、䜏吉酒造のワむンは、爆発はしおいないのである。

しかし、商売の䞖界は厳しいもので、どこの䌚瀟のものであれ、ワむンの消費は䜎迷しおしたう。
むメヌゞが悪くなっおしたったのだ。
それで、䜏吉酒造は、経営難に陥る。

たくさんのワむンの箱が、返品されおくるシヌンは、物悲しいものだ。
経営難で取る手段はいろいろあるが、女性たちにずっおは、䜏吉酒造の瀟長の䞀人嚘が、銀行関連にお嫁に行っお、たくさんの融資を受けるこずである。
瀟長は、金策に走り回っおいる。
政春は、自瀟のワむンの安党性の立蚌を実隓で蚌明しお、取匕先の鎚居商店の鎚居瀟長ず、袢纏を着お、頭を䞋げお走り回る。

倫がこうした状況にあるずきの、家で埅っおいる䞻婊である゚リヌ。
倫が垰宅したずきの衚情もさたざたであるが、家で埅っおいる゚リヌずの䌚話の「合わないようで合っおいる」は、たさに今週のテヌマ「砎れ鍋に綎じ蓋」である。
砎れおいるのは、政春の仕事であろうか、砎倩荒な鎚居瀟長であろうか。
綎じおいるのは、゚リヌの家事専念であろうか、優子の日本女性の生き方であろうか。

こうした状況のなかで、政春は、サントリヌの鎚居瀟長の「やりかた」に魅せられおいくようだ。
確かに、カモキンさんは、奇想倩倖な、いろいろ面癜いこずをしおいる。
それに、䜕よりもボスずしお、魅力的である。
あんなボスのもずで働いおみたい、ず仕事に情熱を燃やす男なら、誰もが熱望するのではないだろうか。
しかも状況ずしお、今いる䜏吉酒造は、経営難である。
鎚居商店なら矜振りがいい。

そうしたタむミングでの、ヘッドハンティング、぀たり、「うちで働いおみないか」の声掛けであった。
鎚居さんは、政春の苊境を知っおいお、手助けを申し出たのだろうか、それずも、いい人材をたさにハンティングしようず隙を芋぀けたのだろうか?

男が仕事をしおいれば、あるいは「デキル」男であるならば、こうした瞬間は蚪れるものではないだろうか。
それは、実力を認められたずいうこずであり、最倧のほめ蚀葉でもある。

政春は悩む。
今週では、ただ結論は出おいないようである。
ずいうのも、さんざん悩んだ挙句に、やはり矩理人情を取ろうずしたずきに、劻の゚リヌに「もっず私に盞談しお」「鎚居さんず仕事をしおいるずきに、あんなに楜しそうだったでしょう」ず蚀われる。

ゎンドラの唄も思わせぶりである。
「呜短し恋せよ乙女」「朱き唇あせぬ間に」である。
生きおいる時間は短い。
日本初のりむスキヌ造りのためには、時間を惜しんで、チャンスをものにすべきではないのか?

難しい問題だ。
こうしたずきに、女性なら「矩理人情より、䞀家の生蚈を考えるべき」ずか「別にいいじゃないの」ず倫にアドバむスしおしたいそうである。
しかし、こうした「甘い誘い」に乗っおしたうず、あずあず䞀生の信頌を倱いそうである。
しかし、信頌を倧事にしおいたら、あっず蚀う間に、䜏吉酒造は、だめになっおしたうかもしれない。
チャンスずいえばチャンス、遞択肢がたっぷた぀に分かれおいるずきなのである。

自分のしたいこずず魅力的な䞊叞、䌚瀟の経営、䌚瀟のため、ずいうこず…。
男は悩む。
悩んで成長する政春の姿は芋ごたえがある。

そしおもうひず぀思うのが、政春は職人気質であり、りむスキヌを造るのは、実隓・研究であるのだが、ここで、「採算」ずいう問題が出るずころである。
鎚居さんから刺激を受けお埗たのは、「商売にならなきゃどうにもならない」「売れなければどうにもならない」ずいうこずである。

絵描きや物曞きもそうであるが、自分のしたいこずを远求しおいくこずず、それが商売になるこず、このはざたで、もっずも苊しむものである。
こうした葛藀をどう乗り越えるか、これからの「マッサン」の芋どころである。

マタニティヌ・ハラスメント裁刀の刀決に぀いお。

䞀昚日23日に、いわゆる「マタニティヌ・ハラスメント裁刀」の最高裁刀決が出された。
劊嚠や出産を理由にした職堎での降栌は「違法」ずした。
぀たり、䞖間にはマタニティヌ・ハラスメントずいうものが存圚し、劊婊の暩利が認められるずいうこずである。
劊婊が勝った、ずいうこずである。
この最高裁刀決は、これからの、女性が瀟䌚にもっずもっず進出するこずにあたっお、ずおも倧きな意矩を持぀ものずなりそうだ。
私も、女性ずしお、劊嚠・出産は病気ではない、ずいうこずを子どものころからよく教えられおきた。
そしお、男女平等であるかぎり、男女はどんな仕事も同じ条件で働ける、ずいう暩利があるこずを教えられおきた。
それは、男性も女性も、同じ条件のなかで、しっかり責任を持っお仕事をするべき、ずいう力匷い意味合いにもなる。
同時に、女性には女性の特有のラむフむベントがあるこずを男女ずもに、互いに理解しあっお、䞻に仕事にあたっお、ラむフむベントや身䜓の仕組みのちがいが、ハンディずならないようにするべきなのだろう。
少なくずも、単䞀な平等ではなく、「ちがいを認め合う」文化が生たれ぀぀ある、ずいうこずだろうか。
これは、倧事なこずである。

私も、女性には、劊嚠・出産があっおも、仕事でそれがハンディずならないような配慮が、瀟䌚にあったほうがよい、ずかねおから思っおきた。

しかし、マタニティヌ・ハラスメントに察する、呚囲の考え、感想の本音ずいうものを、劊婊さんにも知っおいおほしい、ず思うので、あえおその本音を曞いおみたい。

職堎の䞊叞からしたら、同僚から芋おも、ある䞀女性瀟員から「劊嚠したした」ず告げられるのは、「この忙しいのに、君は男ずむチャむチャしおいたのかよ!」ずいう、気持ちである。
そしお、「劊嚠を理由に、仕事を軜い郚眲に替えおほしい」ず蚀われたら「みんな倧倉なのに、君だけ楜をする気かよ!」ず思う。
「みんな寝ないで仕事しおいお、生掻だっお楜じゃないんだ!」ず叫びだしたくなる。
そしお、同僚みんなでシフトを組みなおしお、圌女のフォロヌをし、これたで通りの業務に支障が出ないように調敎しなおす。
圌女に関しおは、軜い郚眲に着けおもらった以䞊は、䞀人前の仕事はこなせない、ずいうこずなのだから、これたで䞻任の責任を匕き受けおもらっおいたけれども、䞀瀟員に降栌しおもらっお、他の人材を䞻任に匕き䞊げずする。
「そうだよね、そうしおくれないず、䞀人前にお絊料もらえるのは、䞀人前に仕事した瀟員だけだよね」ず誰もが思うだろう。

しかし、今回の裁刀では、仕事の内容は軜くなっお、責任だっお劊婊さんにそんなに背負っおもらっおも、い぀病院に運ばれるかわからない人に任せおおくのは䞍安だし、それで降栌ずいうこずになったのに、「劊嚠理由で降栌させられおお絊料を匕き䞋げられたのは䞍圓だ」ずいうのが蚀い分なのである。
劊婊さんに、責任職を預かっおもらうのは、䞊叞ずしおも䞍安である。
職堎で具合が悪くなったり、それでおなかの赀ちゃんに悪圱響が出たりしないための配慮であるはずが、「ハラスメントだ」ず蚀われれば、「本圓に倧䞈倫なんですか?」「倧事を取っお䌑んでいたほうがいいんじゃないですか?」「劊婊さんに無理させるのは、こちらずしおも心苊しい」「結局のずころ、あなたには䌑んでいおほしいんです、そのほうが、呚りずしおも気が楜ですから」等々、これが呚囲の心情ずいうものである。


劊嚠した女性瀟員が仕事を続けるにあたっお、任務を軜くしおほしい、ずいうなら、それはどうなのか。
「男ずむチャむチャしおいた」ずいうのが、劊婊を目の前にした珟実ではないだろうか。
誰ずどんなふうに生掻をしおいようず、結婚や劊嚠はプラむベヌトであり、螏み蟌たれたくないずいうなら、その結果にも螏み蟌むたい。
たしおむチャむチャの結果を匕き取っおフォロヌしお、職堎の態勢たで組み盎し、アルバむトや掟遣を雇っおたで、䞀女性瀟員を雇い続けなければならないずしたなら、バヌスコントロヌルたでしお職堎に迷惑をかけないように自己管理しお働いおいた人たちずしおは、玍埗できない。
これを、「玍埗できない」「降栌しお、別の人を圓おたい」ずする、これをハラスメントず蚀われるなら、しかたない。

だけど、今埌は雇甚䞻ずしおも、「初めから女性は雇わない」ずいう態床に出るしかない。
新卒の女子倧孊生にずっおは、䞍利な刀決が出されたものである。
雇甚䞻偎ずしおは、人材を、お金を出しお雇っおいお、これは倚倧なコストなのである。
䞀劎働力ずしお、しっかりず党力を出しお、瀟に貢献しおほしい。
コストパフォヌマンスの䜎い瀟員を高い賃金ず高埅遇で雇い続けおいく理由がない。
そうしおたで雇い続けおいたいず思わせるほど、胜力や才胜があった、ずいうなら、理解もできるのだが。

こうした意味で、䞀女性瀟員のマタ問題に、䌚瀟が党力をあげお、取り組たなければならないのは、本圓に気苊劎の倚い瀟䌚ずなる。
せっかく、産䌑明けたで埅っおいたずしおも、そのごに及んで埩垰しおこない女性瀟員も倚い。

それでも、やはり子宝ずいうものは、ありがたいものである。
できるだけバヌスコントロヌルをするべきであるが、実際には赀ちゃんはコりノトリが運んでくるものであっお、人間の力で劊嚠時期を決めるこずはできないのかもしれない。
瀟䌚党䜓で、呜を育もう、ずいう意識倉革が必芁である、ず劊婊さんたちがそう蚀うのだから、そのずおりにしよう。
でも、「もう女性瀟員を雇うのは懲り懲り」ずならないように、できるだけ最高裁の顔色をうかがっお、黙っおいるこずにする。
あずは、むンタヌネット䞊で、匿名であれこれ蚀っお、うっぷん晎らしをするこずにしよう。
産たれおくる呜よ、おめでずう、ず蚀われるたでの、長い長い、日本瀟䌚の、フロア党䜓の苊劎を、知っおいおほしい。

そうそう、劊婊さんたちも、「芪切にされお圓たり前」の顔はやめおほしい。
それでも、幞せな人ずいうのは傲慢だ、ずこずわざにあるずおり、劊婊さんたちは幞せに茝きながら「あずよろしくね」ず蚀っお、産䌑に入るのである。


2014幎10月23日朚曜日

日本のメディアの未来に぀いお。

アメリカのメディア人で、䞖界でも名だたる名線集䞻幹、ベン・ブラッドリヌ氏が亡くなった。
アメリカのメディアの䞀時代を築き、ワシントン・ポストの基盀を築いた人である。
䞀地方玙であったワシントン・ポストを、党囜有数の新聞ぞず拓いた人であるが、その新聞が、䞖界のメディアの䞭心ずなっおいるのだから、やはり本圓に玠晎らしいこずだ。
ひるがえっお、今の日本のメディアはどうだろう?
日本で䞀、二、を争う新聞メディアはあるが、そのメディアが、䞖界で䞀、二、を争うずは、䞀床も聞いたこずがない。
䞖界情勢を聞くなら、海倖であっおもアゞアであっおも、あの新聞瀟に聞け、あの新聞を読め、ずいうような新聞は、アメリカのものであったずしおも、日本のものではない。
今、政府は、経枈を初めずしお、起業や倧孊教育、鉄道や航空機、女性の進化床合いに至るたで、䞖界レベルに抌し䞊げようず、さたざたな苊肉の策を匄しおいる。
苊肉の策ではあるずしおも、䞖論が盛り䞊がり、女性たちが声を䞊げはじめおいるこずにはたちがいないのだから、政策ずいうのはたいしたものだ。
しかし、日本のメディアを、グロヌバルにする、ずいう政策は聞いたこずがない。
日本のメディア人がピュリッツアヌ賞を取れるほど、すごい業瞟を残したずいうこずも聞いたこずがない。
日本政府ずしおは、せめお黒い政策でも䜜っお、メディア人が䞖界を揺るがすような、すごいスクヌプを取れるようにしおあげる、ずいうこずぐらいだろうか。

時代は、女性蚘者ず若手蚘者のせめぎ合いのようである。
さたざたな力ある文章が出おきお玠晎らしい。
特に、女性蚘者が「女性ならではの芳点」を持ずうずするず、このずころようやくわかっおきたが、ママさん蚘者さんたちの芁望は、「食の安党」ずいうこずらしい。
女性たちが、その内心の䞍安感を取り巻く瀟䌚に投圱しお、埗䜓のしれない䞍安感に抌し包たれおいるのが、環境問題ぞの䞍安ずしお衚れおいるようだ。
しかし、女性たちの環境問題ぞの䞍安、食の安党ぞの芁望が、珟実的でないこず、話題にはならないこずは、男性陣は誰もが知っおいる。
芁するに、珟実的ではないのである。

優先順䜍䞀䜍なのは、人間である。
いただ、戊火のなかにいる「人間」、未だ食べるものも䜏む堎所もない「人間」が目の前にいるのに、どこかの海が汚れおいるずか食品添加物の化孊組成がわからないずかいうこずを、新聞に茉せおくる女性たちは、倧きな課題に取り組んでいる぀もりかもしれないが、我が子だけが可愛くお、珟実が芋えおいないのである。
䞀番優先させるべきは「人間がいかに生きおいくか」である。
環境を倧切にしお、逓えた人を攟っおおくのは、愚かである。

たた、懐叀趣味もよくない。
男性トップ蚘者はすでにわかっおいお、嘆息しおいるであろうが、過去に答を求めお「昔はよかった」では、進歩がないのである。
私たちがメディアに求めおいるのは、未来であり解決策である。
たた、垌望ある瀟䌚の目暙が、過去ぞの退行であっおはいけない。
どこたで過去に退行する぀もりなのか。
い぀か掞穎で暮らす、ず蚀い始めるのではないか。
「昔はよかった」「自然を取り戻したい」そんなこずを考えおいるのは、電子レンゞず電車ずむンタヌネットがなければ䞀秒も暮らしおいけないような郜䌚育ちの人だず、盞堎が決たっおいる。
私たちは未来に向かっお進たなければならない。
メディア人は垞に、新しい情報、新しい解決策を提案しおいなければならない。

アメリカのメディアは今、どうしおいるか。
日本の新聞瀟のデゞタル版を、英蚳しおでも、このメディアのリテラシヌを「ほしい」「読みたい」ず思うだろうか。
ただただである。




2014幎10月22日氎曜日

゚ボラ出血熱をめぐる囜際連携に぀いお。


西アフリカで、゚ボラ出血熱の感染が止たらない状況である。
そしお、グロヌバル化した珟代瀟䌚を蚌明すべく、この感染が、䞖界䞭に広がっおいる。
3か月前には、800人だった眹患者が、この10月ではすでに4500人に䞊っおいる。
以前から予枬されおいた危機が、高たっおいる状況である。

䞖界には今、「䞖界的な課題」が山積しおいる。
以前から山積しおいたものであるかもしれないが、今ずいう今に、今幎ずいう今幎に、集玄しお、䞖界䞭の良心ある人々の心ず頭を悩たせおいる。
むスラム囜の問題もそうであるし、䞖界経枈の問題もそうである。
銙枯ではデモが高たっおいるし、りクラむナの問題もある。
りクラむナの問題も、むスラム囜の問題も、囜際協力なしでは解決しえない、倧きな課題である。
人類は今、䞖界的課題に盎面しおいる、ず蚀っおもいいず思う。

過日、さたざたな調べ物をしおいたら、こうした課題の専門家の蚀を目にするこずができた。
それは、「グロヌバルなガバナンスの必芁性」ずいうこずである。
ガバナンスずは、政治、ずいう意味だず解釈しおいいだろうず思う。
ガバメントすなわち、囜際政府、ずたではいかないずしおも、囜際政治、囜際政治力、ずいうこずが必芁だ、ずいう意味である。
本圓にそう思った。

今、䞖界䞭の銖脳陣が、か぀おないほどに、あちこちに集たっおいる。
今週もAPECが開かれおいるし、来月には、北京でやはりAPECが開かれ、各囜銖脳の䌚談も予定されおいる。
TPPをめぐる協議も、次々に連携しお行われおいる。

こうした動きは、囜際的ガバナンスになっお集たっおいくように、私には感じられる。
たた、゚ボラ出血熱に関しおは、アメリカが治療斜蚭の建蚭のために、数千人芏暡の軍隊をアフリカに掟遣する、ずいう話が出おいる。
そしお、日本からもこのアメリカ軍に連携しお、自衛隊が出動する、ずいう話も聞いた。
ただ決定ではないのかもしれないが、ずおも重芁なこずである。
それも、防疫のための出動であるならば、集団的自衛暩の行䜿うんぬんは関係ない。
人道的掻動のために、自衛隊を掟遣できるならば、ずおもよいこずだず思う。
念を抌しお考えおおきたいのは、掟遣されるのは専門の蚓緎を受けた人たちである、ずいうこずである。
たた、珟地ではどうしおも、人数が足りないずいうこずなので、ずおも有益であるず私は思う。

むスラム囜の課題、りクラむナの課題も、人間がチヌムずなっお連携するこずで解決に向かっおいけるこずを信じおいる。
チヌム掻動むコヌル、ガバナンスである。
これからの、グロヌバルガバナンスにずおも期埅しおいる。


2014幎10月21日火曜日

女性閣僚のダブル蟞任に぀いお。

昚日、10月20日、女性閣僚のふたりが蟞任をした。
いずれも、9月の内閣改造で就任した、新内閣人事のポむントず呌べるほどの、倧事な閣僚であった。
そのふたりが、ふたりずも女性であったこずは、今回の「閣僚おろし」「閣僚たたき」の方向性が、女性ぞ女性ぞず向いおいたこずを意味しおいお、本圓にいろいろな意味で、考えさせられる。

ひず぀は、「女性が掻躍できる時代に」ずいうこずで、秋の臚時囜䌚でのテヌマも地方創生ず䞊んでずおも倧きな問題提起ずなっおいたこずである。
これは、日本党囜の女性たちにずっお、チャンスであったはずである。
これたで、いただか぀お、「女性」にスポットラむトが圓たっお、圌女たちの掻躍を支揎する䜓制が、囜䌚の蚎議で行われるこずはなかった。
このチャンスのずきに、政府ずしおは、女性閣僚を起甚しお、この蚎議にあたろうずしたのに、これを掻かせなかったこずは、ずおも残念である。

これは、ずおも政治ずいう男性瀟䌚の厳しさを意味するのかもしれない。
しかし、日本の男性陣に、女性に芪切に、女性に察しお寛容に、ずいう態床がなかったこずはずおも象城的なこずである。
日本にはただただ、女性の瀟䌚掻動を支揎するための、男性偎の意識ずいう基盀が造られおいないのだ、ず実感する。

䞀方で、たずえば、束島元法盞のいわゆる「うちわ問題」を鋭く远及したのが、野党、ずいうこずだが、議員で、ずいうず、同じ女性である、蓮舫議員である、ずいうこずが、気にかかっおいる。
ずいうのは、せっかくの囜䌚であり、せっかくの「女性の掻躍」をテヌマずした蚎論䌚であったのに、なぜ蓮舫さんは、女性の政策に぀いお、闊達な意芋亀換をしなかったのか、ずいうこずなのである。

政治資金の䜿い道は確かに、男性議員にずっおも、远及したり、倱墜させたりするための手法であるにはちがいない。
しかし囜䌚で、女性同士が女性のテヌマをめぐっお蚎論すべき堎所で、「うちわ」を問題にしたのは、残念ずいうよりも、䜕か滑皜でさえあった。
女性ずいうのは、結局は、ふたを開けおみれば、「こんなこず」しかできないものなのだろうか?
これでは、囜䌚議員からではなくおも、党囜の男性陣から、笑いものである。

囜䌚の女性議員の皆さたは、日本女性の暡範ずいうか、代衚ずしお、囜䌚の蚎論の堎で、堂々ず蚎論をしおほしかった。
同じ日本人女性ずしお、ずおもはずかしい結果ずなっおしたった。
はずかしかったのは、囜䌚で女性問題を蚎論できなかった、「女の敵は女」であるこずを蚌明しおしたった女性議員たちに、である。

これからも、閣僚人事を入れ替えお、法盞はやはり女性閣僚であるし、今床こそは、2014幎の本領発揮である、女性の掻躍に関しお、法案をひず぀でも結実させおほしいものだ、ず思う。

ずもかく、男性優䜍の瀟䌚を切り拓き、女性が掻き掻きず胜動的に生きおいける瀟䌚を䜜るためには、厳しい珟況のなかを、女性たちが力を合わせなければ、為しえない倧事なこずなのだから、力を合わせよう。
力を結集しよう。
これからは、おずしめあうこずではなく、互いに助け合うこずを、女性たちは孊んでいかなければいけないず思う。

それにしおも、日本の女性は、いろいろな問題はあるず蚀われおいるが、家庭から䞀歩倖に出しおみれば、「本性」ずいうのは、䟝存しあったり攻撃しあったりするような、それが日本女性のサガずいうこずだったのだろうか。
かえすがえすも残念である。


2014幎10月20日月曜日

NHK「マッサン」感想。マッサン・男前の魅力。

NHKの朝ドラ「マッサン」が、倧人気である。
攟送も4週目にはいった。
私にも、この「マッサン」ずいう「男」の、倧党開な魅力が芋えおきたので、ずおも楜しくなっおきた。
マッサンこず亀山政春は、ずおも反骚粟神の匷い男なのである。
私は、「酒造り」ずいう仕事が最初よくわからなかった。
でも、だんだんわかっおきた。
それは、蟲業ずはちがう。
蟲䜜物ができあがったずころから、次の生産加工物を䜜る。
でも工業ずもちがう。
酵母を䜿っお醞造させるから、生きおいる産物である。
それを時間をかけお、䜕十幎もずきには䜕癟幎もかけお、熟成しお育お䞊げる仕事である。

政春の実家はもずもず、日本酒の造り酒屋である。
これは、代々続く、䜕癟幎もの旧家なのだろう、ず思われる。
その家も仕事も、長男が跡継ぎをするこずに決たっおいるのだろう。
゚リヌがいたら「どうしお?」ず問われそうであるが、日本の埌継ぎずいうのは、長男が総領ず決たっおいるのである。
それなので、次男に生たれた政春には、生たれたずきから、長男にはどうしおもかなわない、ずいう匷い劣等感ず、うちひしがれたかんじ、があるかもしれない。
それで、倧阪の䜏吉酒造で働くこずになる。
このあたりは、ドラマのなかでも描かれおいるが、婿逊子に入るような話であった、ずいうこずである。
酒造りの家の次男が、酒䌚瀟の婿逊子なので、自然ず蚀えば自然の成り行きである。

そこで逆らったのが、政春の反骚粟神であるように思われる。
留孊先のスコットランドから、囜際結婚のお嫁さんを連れおきたのだ。

もずもず、この留孊も、「次男だから」ずいう理由が倧きいように思われる。
「花子ずアン」でも、村岡印刷のご長男が日本で父芪ず䞀緒に倧きな䌚瀟を運営しおいるずきに、次男はロンドンに新しい印刷技術を孊びに留孊に行っおいる。
この時代には、こうしお、倖囜から新しい技術を孊び取り入れるこずがさかんだったのかもしれない。
そうしたずきに、長男ず次男の圹割が分かれるのは、あちらでもこちらでも同じ圢態だったようだ。

そうしお、スコットランドに留孊に行かされた次男・政春は、そこで珟地の女性゚リヌず恋に萜ちお、もう日本には垰らなくおもいい、ずたで思う。
そこを、゚リヌは「あなたの倢は日本でりむスキヌを䜜るこずでしょう」ず蚀っお、「私が日本に行くわ」ずいうのである。
゚リヌは、政春の反骚粟神も劣等感も、そしお、できれば䞀囜䞀城の䞻になりたいずいう野心も、よく理解しおいたように思える。
政春は、劣等感ず野心を行ったり来たりしおいるような、心のありかを持っおいるようなのだ。

そうしお、劣等感にさいなたれお、どうしおも、もうだめかもしれない、ずいうずきに、うたく䞊手に支えおくれるのが、゚リヌずいう劻だったのかもしれない、ず思う。

たた、倖囜に行っお、リベラルな空気に觊れおきたのも、劣等感のある身ずしおは、ずおも有意矩だったのではないか、ず思われる。
゚リヌが身に着けおいる、西掋なりの、リベラルさ、平等感芚、ずいうのが、政春にずっおは、心地よかったのではないだろうか。
そしお、゚リヌず䞀緒にいるず、日本のがんじがらめの造り酒屋の家制床や、長男跡継ぎ制床から、自由になれるのではないか、ずいうかんじがする。

政春はこのあず、倢ず垌望ず絶望ず困難ず、野心ず劣等感ず、旧習ずリベラルの間を行ったり来たりしながら、りむスキヌ造りを実珟させお、䞀囜䞀城の䞻ずなるこずができる。
そこたでの、熱意ず倱意が、女性たちにずっおは、たたらなく愛おしくお、「このひずを支えおあげたい」ず思わせる、男前の魅力になるのではないか、ず私は思う。


2014幎10月18日土曜日

新聞少幎アンド…。

新聞週間が始たった、ずいう。
今、党囜的に、新聞の問題、メディアの問題が話題ずなっおいるずきだけに、タむムリヌなこずである。
新聞ずいうず、ずっず以前は、確かに少幎が、肩から数十郚もの重い新聞の束をさげお、侀郹侀郹、走りながら配達しおいたものだったように思う。
このごろでは、走っお、ずいう新聞配達はあたり芋かけないように思う。
地域によっおそれぞれに圢態があるのだろうが、自転車やバむクに積んで、ずいう圢が倚いのではないだろうか。
北海道では、橇、ずいうのがあった。
小さな、家庭甚のプラスチックのボブスレヌや、朚でできた橇に、たくさん新聞を積んだおばちゃんが、配達しおくれたものだ。
このごろは、雚の日はどういうものか、機械なのか手䜜業なのか、䞁寧にビニヌルに包んである堎合もある。
配達の人のたごころには本圓に頭が䞋がる。

新聞奚孊生ずいう制床が、今は私の呚囲には芋かけないが、以前は確かにあっお、私の孊生時代の同玚生でも、そうした奚孊生がいお、倜は10時には店舗に垰らなければならない、ずいうこずで、コンパなどは出られなかった。
店舗ずいうのは、䜏み蟌み型の新聞販売店である。
そしお、朝2時には起きお、配達店の奥さんの手䜜り朝ごはんをいただく。
それから配達に出お、配達から垰っおきおから、孊校に行く。

新聞蚘者さんや線集郚ずいうずころは、深倜に締め切りを迎え、その埌、印刷所がそのあずの深倜に、回転する。
それから、トラックなどで配達店に運ばれ、そしお、配達員の手で䞀郚䞀郚、䞀軒䞀軒、配達されるこずになる。
こうした、䞀皮のチヌムプレヌが、私は倧奜きである。

しかし、こうした感想も、たくさん聞く。
それは、新聞配達店の、勧誘員の態床の悪さである。

窓から米10キロを入れおしたう、ずか、宅配䟿の印鑑のふりをしお、新聞の契玄を12か月分させおしたう、ずか。
あるいは、埌玉から勧誘専門の人を雇っお、この専門員は、「お宅、どこ新聞ですか?」ず問いかける。
「読売」ず答えれば「朝日はどうでしょうかね」
「朝日」ず答えれば「読売はどうでしょうかね」
ずいうあんばいである。
たた、この勧誘員は、䞀軒䞀軒が描かれた詳现な地図を持っおいお、どのお宅がどの新聞を取っおいるか、情報亀換しあっおいる。
そしお、新聞をずっおいない家ずいうのは、タヌゲットにされたようなもので、連日連倜、勧誘員が来る。
昌間、奥さんがひずりで居るような家では、玄関に䞊がりこたれお、本圓にこわい。

たた、タヌゲットずしお「人気」なのが、䞊京しおひずり暮らしの孊生である。
孊生は、仕送りで質玠に暮らしおいる。
新聞は倧孊に行けば、図曞通で自由に䜕郚でも読むこずができる。
たた、先茩や友達がひずり、新聞を取っおいれば、呚回しお読み合わせるこずもできる。
それは個人の自由であるし、新聞の良さでもあるだろう。
぀たり、孊生は䞀軒䞀軒、新聞を取る必芁はないのである。
しかし、玄関のドアを、䜕時間もたたき続けるような新聞勧誘員には、結局のずころ、こわくお根負けしお、取るこずになる。
そのかわり、孊生のほうでも意地があっお、「読たない」ずアピヌルするために、玄関の郵䟿受けにたたりっぱなしにするのである。

こんなこずだから、新聞は倧切にされなくなるのではないか、ず情けなくなる。
でも本圓は、この勧誘員にも倧切な家族がいお、郚数のノルマがあるのだろう、ず思う。
コメやビヌル刞、商品刞は、いったいどこの予算から出おいるのだろうか。

勧誘員たちが、ずきには頭をすり぀けるようにしながら、契玄した新聞が、興芚めするような文章であったずきには、本圓に、どうしようもない気持ちになる。
東京の新聞蚘者さんたちは、高い塔のおっぺんにいお、こうした配達員さんの苊劎を知らないんじゃないだろうか?

私は小さいずき、お父さんのお手䌝いで䞀番奜きなのは、玄関の郵䟿受けから、お父さんの朝食のテヌブルたで、新聞を運ぶこずだった。
朝䞀番の新聞は、たずお父さんに䞀番の優先暩があっお、絶察に開けおはいけない。
ぎかぎかのたっすぐな玙である。
お父さんがすっかり読み終わったら、お母さん、それから、子どもたちである。
子どもたちのずころに来たら、切り取りたいずころでいっぱいであるが、これは、お父さんの蚱可を埗なければならない。
朝、䞀番で新聞を開く。
新しいずきめき、ずいう意味で「新聞」なのだず思う。




子どものゲヌム奜き問題に぀いお。

子どもを育おる䞊で、特に珟代瀟䌚のなかで、倧人たち、芪たち、教垫たちをずおも悩たせおいるのが、ゲヌム問題である。
聞いた話であるが、ポケットモンスタヌを䜜っおいる䌚瀟では、「子どもたちが芪も勉匷も投げ出しお倢䞭になれるゲヌム」を目暙ずしおいるそうである。
そういう瀟長もスタッフもゲヌム倧奜きで、ゲヌムで育っおきた人たちであるが、瀟䌚ずいうものをよくわかっおいお、起業をしお立掟に仕事をしおいるのだから、仕事人ずしおは、きちんずしおいる、ず蚀えるのだろう。

子どもたちには、いかにも目に悪そうな小さな液晶画面を長時間芋぀めおいるよりも、孊校の宿題や参考曞を芋おいおほしいし、もっずもっず戞倖で身䜓を動かしおほしい、ず思う。
そうするこずで、人間関係も孊べる。
かずいっお、ゲヌム機を䞎えないず、お友達ができないずか、お友達から仲間はずれにされる、ずいった問題も起こる。
これは、スナック菓子に぀いおも同様のこずが蚀えお、うちの子だけスナック菓子を䞎えない、ずいう䞻矩を持っおいるず、子どもが仲間倖れにされおしたう無限の可胜性を秘めおいる、ずいうわけである。

ゲヌムに関しお蚀うず、たくさんの人たちが忠告しおいるように、時間を決めお行う、ずいう方法が、䞀番よいようである。
これは、䞀昔前のテレビず同じ状況かもしれない。
たた、こうした際に、子どもの気持ちを思いやるために、テレビであれば、䞀緒に芋おあげる、どんなテレビに倢䞭になっおいるのか、芋おみる、ずいうこずも必芁である。

それから、絵本や掻字の本がすべお倧䞈倫かずいうず、今の時代はそうではないので泚意である。
ずいうのは、子ども向けのひらがなで曞かれた絵本や童話は、あたり文章が卓越したかたでない執筆者が、趣味で曞いおいたりしお、粗悪なストヌリヌが倚いからである。
子ども向けの本は、倧人向けの本が曞けるくらいしっかりした人が曞いおほしいものだ。
たた、絵本の「çµµ」に関しおも、本圓によいもの、本物に觊れさせおあげたいものだず思う。

子ども向けの、劇団四季のミュヌゞカルに、子どもを連れお行ったある芪埡さんは、子どもがもう、ゲヌムやテレビアニメには興味を瀺さなくなったずいう。
こうした逆療法みたいなこずも必芁かもしれない。

話は戻るが、ゲヌムを芪が䞀緒に行っおみるこずは、ずおも面癜いこずなので、䞀床詊しおみるずよいず思う。
私は、物語を自分で創っおいくようなロヌルプレむングゲヌム(いわゆるRPG)は、あたり暇がないのでしないのだが、簡単なゲヌムなら、スマホでずきどき遊んでいる。
今ずおも面癜いず思っお、ステヌゞ11たで行ったのは、ディズニヌ公匏の「アナず雪の女王」からモチヌフをずった、「Free Fall」ずいうものである。
これは、色も音楜もずおもきれいである。
指でさっずなぞっお、宝物アむコンを䞉぀䞊べるだけであるから、簡単である。

それから、これも䞉぀䞊べる、四぀䞊べる、ずいう点で同様のシステムであるが、むンタヌネットの途䞭で気分転換に、「ZooKeeper」をしおみるこずがある。
これは、ネット䞊でフリヌで楜しめるものである。
(ZooKeeperアクティブ、ずいうのを遞ぶず遊びやすいようだ)
いずれも今のずころ、課金はない。

こうしお、実際に遊んでみるず、䜓隓でしかわからないものが、わかっおくるように思う。
たずえば、「時間を決めお終わる」「今すぐやめなさい」は無効だ、ずいうこずである。
ゲヌムの途䞭では手も目も離せない。
ステヌゞの節目に来るたでは、手が離せないが、離せるタむミングもある。
ゲヌム内容を保存しおおくこずも倧切である。
「そのステヌゞが終わったら、いったん保存しお、倕ご飯にしたしょう」みたいな蚀い方だず、子どもにも通じるず思う。

☆ゲヌム奜きで倧人になっおからIT䌁業に就職する人もいる。




子どもたちの遊び堎問題に぀いお。


珟代の瀟䌚においお、子どもたちの「遊び堎」が、問題ずなっおいる。
考えおみれば、昭和の時代には、わざわざ「遊び堎」を遞ぶ必芁はなかった。
公匏な公園でなくおも、河原や藪、空き地や、塀の隙間、小さな家ず家ずの間の敷地など、遊ぶ堎所はいくらでもあっお、子どもたちは自然に、ちょこたかず遊んでいたものである。
実際には、「遊び堎問題」ずいうのは、郜䌚の問題ではないか、ず思うこずがある。
ずいうのは、私が暮らしおいた北海道などの地方では、侀郹、郜垂・垂街地を陀いおは、ずおも自然な空間が広くお、子どもたちが自由に走り回ったり、ボヌル投げをしたりするこずができた。
心配なのは、自然珟象でできた「萜ずし穎」や、偎溝にはたったり、草かぶれを起こしたりするこずだった。
あるいは、北海道では、吹雪の吹き溜たりにはたるこずもあったので、倩候に泚意は必芁だった。
雪は子どもたちの栌奜の遊び盞手で、子どもたちがうらやたしくなるこずもあるが、倧人になるずスキヌ堎たで雪遊びにでかける。

郜䌚では、小さな公園さえ、子どもも倧人も、安心しお遊べないのだずいう。
私も東京に来おからいろいろな人からアドバむスされたのだが、公園のベンチに座っおお匁圓など食べおはいけないのだそうである。
いろいろな郜䌚の事情があったものだ。

遊び堎問題は、郜䌚の問題の片鱗であるず私は思う。
どうしおも郜䌚で、子どもに、身䜓機胜を䌞ばすための運動をさせたいのなら、運動ゞムや子どもダンスクラブなど、宀内で、指導者が぀いおいる状態の教宀に通わせるのがよいだろう。
郜䌚に暮らす倧人の「䟿利さ」「快適さ」ず、その人の子どもが「自然が足りない状態」は、䞀緒に぀いおくるものである。
子どもたちに䞇党な環境を保党したいのなら、倧人が自分自身の生き方ず、䜏む堎所を、再考するのが䞀番良いのではないか、ず思う。


スヌパヌグロヌバル倧孊構想に぀いお。

珟圚、文郚科孊省ではさたざたな教育改革や教育の構想があっお、そのひず぀に「スヌパヌグロヌバル倧孊構想」があるようだ。
党囜でいく぀かの倧孊を遞定しおそこに、倚額の予算をかける。
孊生も遞抜するのか、その予算をどのようなこずに䜿うのか、蚭備なのか、研究費甚なのか、ただはっきりずはわからないようだ。
しかし、教育ずいうのは実隓や反蚌、実蚌、思玢を必芁ずするものであるから、費甚をかければかけるだけ、成果があがる、ずいうのは、確かなこずであるようだ。
日本では、先日、ノヌベル物理孊賞で䞉人の受賞者を挙げるこずができた。
日本人の日本ずしおのずおも埗意な分野での評䟡であるように思える。
たた、物理孊、科孊、ずいう分野は、䞖界的な状況のなかで、正確に比范しお、優秀さを決定するこずができるので、「わかりやすい」ずも蚀えるかもしれない。
䞀方で、ノヌベル文孊賞などは、科孊の分野ずはちがっお、「わかりずらい」「評䟡決定しずらい」分野ず蚀えるかもしれない。

理系の研究には、巚額の資金投資が必芁である。
実隓蚭備もそうであるし、実隓の倱敗の数を裟野ずしお、その䞊に1パヌセントの成功があるわけであるから、あずの99パヌセントの資本金を支払うだけの床量が必芁だずもいえる。

今回、ノヌベル物理孊賞を受賞した䞭村修二博士も、アメリカのMITマサチュヌセッツ工科倧孊で研究をしおいお、成果を䞊げるこずができおいる。
これは、悲しいかな、日本ではこうした研究ができない、ずか、こうした研究者が矜を䌞ばしお研究できる環境が敎っおいない、ずいうこずを意味する。
マサチュヌセッツ工科倧孊では、日本では考えられないほどの敷地面積があり、スポヌツに打ち蟌むこずもできるし、教授には、家付きはもちろんのこず、家族も暮らせお、思玢のための散歩ができる広さの庭たで準備されお、優秀な教授を迎えおいるのだずいう。
こうした環境のなかで、アむンシュタむンも、ファむンマンも、研究成果を成し遂げるこずができた。

日本では、现胞をめぐっお、悲しい出来事も起こっおいる。
すべお、研究のための環境づくりが必芁であるこずを物語っおいる。
それは、斜蚭であったり、研究に察する䞖論であったりもするだろう。

倧孊には、ふた぀の目的があるのではないか、ず私は考える。
ひず぀は、孊生が孊ぶこずである。
もうひず぀は、研究者が研究するこずである。

高校を卒業した孊生が孊ぶこずず、倧孊院博士号たでずった研究者がその埌も、教授を続けながら研究をするのは、たた別のこずであるように思う。
今回のスヌパヌグロヌバル倧孊構想は、埌者を意味するのではないだろうか。
すなわち、優秀な研究者に、優秀な研究をさせおあげられるだけの環境を䜜る、ずいう意味である。

たた、倧孊教育に関しおは、地方ず郜䌚、ずいう差は、芋過ごすこずはできない。
しかし、倧孊教育に関しおも、裟野を広げるずいうこずは、ずおも倧切である。
おおぜいの孊生が基瀎的な倧孊教育を受けるこずができお、その䞊で、初めお成り立぀グロヌバル倧孊構想だろう。

たた同時に、飛び玚制床や才胜ある孊生の奚孊金制床など、たくさんの、教育制床の芋盎しは、ずおも倧切である。
アメリカでは、孊生ぞの個人教授も積極的になされおいるようである。
優秀な孊生は、その才胜を開花させたずいうこずで、幞せを感じるこずもできるだろう。
これからの、グロヌバルで、か぀、孊生の人間ずしおの幞せも考えた教育制床の構想ず実珟を、ずおも期埅しおいたす。

☆远蚘

アメリカのマサチュヌセッツ工科倧孊では、ランチタむムには孊生が食堂に䞀同に䌚さなければいけないのだが、たずえスポヌツの途䞭であっおも、昌寝の途䞭であっおも、䞋にどんな栌奜をしおいおも、既定のマントさえはおればそれでOKなのだず、いいたすね。
ずおも倧きな倧孊マントだそうです。


NHK「マッサン」第3週「䜏めば郜」感想。

抜矀に楜しい朝ドラ「マッサン」も第䞉週に入った。
だんだん、どんなふうに芋たらいいのか「芋方」がわかっおきたかんじがする。
盞手によっおこちらの態床をそれなりに倉化させお、蚀葉遣いやうなづきかたも倉えるように、ドラマによっお、芖聎者の態床もそれなりに、倉えるほうがいいのかもしれない。
ずもかく、「マッサン」は、面癜い。楜しい。明るい。
これはコメディずいうものなのだろう。
䜕かすごく倧きなテヌマを持っおそれを蚎えようずするドラマもあるのかもしれないが、笑いあり、涙ありで、感情や心に蚎えお、朝から心に笑顔をくれるのも、ドラマの倧切な圹割なのかもしれない。

それに、関西匁がずおも調子が良くお、笑っおしたう。
15分を芳終わったあずは、家族ず関西匁でおしゃべりしおしたうほどだ。
関西ずいうのは、実際にこういうずころなのだろうか?
だずしたら、すごく楜しい。行っおみたい。

それに、女性が匷い、ずいうか女性たちが元気である。
しゃしゃり出おきおあ぀かたしい。
蚀葉にはりがあるし、態床も倧きい。

今週のマッサンは、゚リヌずふたりで新婚生掻を暮らすための、貞家を決めた。
これが、「䜏めば郜」の「䜏めば」に圓たるのだろう。
そう考えおみるず、今回のドラマの週間タむトルは、぀ぎ぀ぎず日本のこずわざずいうか、いろはガルタみたいな蚀葉が飛び出しおきおこれが、日本人のハヌトにぎったりフィットする。

なんだか今週は、地方創生もあるしリニアもあるし、地方だっお「䜏めば郜」なのではないか、ず考えおしたうのである。
倖囜から来た゚リヌにずっおも、「䜏めば郜」ずいう日本のこずわざは、䞀生の座右の銘ずもなるこずばなんじゃないか、ず思う。

それにしおも、このダンナ・マッサンの、抜けおいるかんじ、ずいうのはどうなっおいるんだろう?
郚屋を決めるずきも、芋たこずもない知り合いでもないキャサリンの蚀うこずで決めおしたっお、契玄するずきは、家䞻さんに芪指を぀かたれお拇印を抌されおしたった。
匕っ越し祝いに郚屋におく倧きな眮物は、ラむバル䌚瀟サントリヌのカモキン瀟長からの莈りもの・虎である。
もうちょっずロマンチックな眮物はないのだろうか?

しかも、その虎ずいうのは、カモキン瀟長の干支だずいうのだから、瞁起もなにもあったもんじゃない。
この、サントリヌは、゚リヌちゃんに、パフュヌムの莈りものたでしおいるのだから始末がわるい。

䞉週間かかっお、登堎人物が出そろっおきたかんじである。
どの人も、ひずくせもふた癖もあるような、にぎやかな人たちで、そのなかで、なんだかボりッずしおいるのが、䞻圹のマッサンであるが、こんなにぎやかな人付き合いのなかで、情熱を通しおいけるずころが、うらやたしくもある。

マッサンのりむスキヌ造りは、こうしたにぎにぎしい゚ネルギヌの堎から、創造されおいくものなのかな、ず思うず、本圓にこれからも楜しみだ。


2014幎10月17日金曜日

反戊原理䞻矩の台頭に思う。


「反戊原理䞻矩」の台頭に思う。
このずころ、日本の瀟䌚がずおも隒がしい。
隒がしいずひずこずで片づけられない。
物隒である、危険なかんじがする、ずいう雰囲気がある。

私はもずもず、平和䞻矩者である。
䞖界の平和を远い求めおいるし、これたでもそうしおきた。
しかし、このずころ「平和」ずいう抂念をめぐっお、倉なふうな戊いが起こっおいるように感じられおならない。
私はもずもず、集団的自衛暩の解釈に関しおは、そんなに積極的ではなかった。
しかし、集団的自衛暩の解釈に぀いお、垞に解説を詊みおきたのは、それが䞻矩䞀貫した論理だからである。
そしお、「反戊」に関しお、原理䞻矩にもにた、過激掟ずも呌べる「平和䞻矩掻動家」がずおも増えおきたこずに、危惧を感じるからである。

「平和」は正しい。
その正しさを確信するあたりに、行動が「過激掟」ず呌ばれるほどに、過剰に暎力的になっおいるず感じるのだ。
あたかも、むスラムの原理に回垰しようずした人々が、「コヌランに曞いおあるから正しい」ず確信犯的に確信しお、過剰な行動に出るように、「反戊平和䞻矩」の人々は、自身のも぀危険性に気づいおいない。

日本の䞖の䞭は、過激掟のコントロヌルするずころにならないように、今埌、慎重な察応が求められる。


小枕経枈産業倧臣の成功を期埅する。


秋の臚時囜䌚では、9月に発足した改造内閣が䞇党に出発をしおいる。
特に楜しみなのが、将来、日本で初めおの女性の内閣総理倧臣になるのでは、ず期埅されおいる、小枕経枈産業盞である。
このずころも、将来の倧物感を感じさせるさたざたな話題で盛り䞊がっおいる。
これも、若手育成のひず぀なのだろう、ず思わされる。
議員の女性の数の枠組みを決めおおく、クォヌタヌ制も期埅される。

経枈産業省のこれからの成功を心から念願する。

経枈ずいえば、先日13日、ノヌベル経枈孊賞の発衚があった。
経枈孊賞を受賞したのは、フランスの経枈孊者、ゞャン・ティロヌル氏であった。
ティロヌル氏の研究内容を考えおみるず、これは、経枈孊䞊にずおも長い間、倧きな問題ずなっおいた課題の反蚌を実蚌したこずになる。
これを考えるず、今埌の䞖界経枈は倧きく倉化するこずが予想される。

それは、特に、業皮間における芏制のちがいを、しっかりさせるこずである。
品皮・品目ごずに、芏制をそれぞれに定めるこずが、どうしおも必芁であるこずを立蚌した。
これにより、䞀埋の消費皎のパヌセンテヌゞの蚭定や、䞀埋の関皎の蚭定・撀廃が䞍可胜になる。
今埌、これらのこずが䞍可胜になる可胜性がある。

これからは、ナヌロ圏が、このティロヌル博士の理論を䜿っお、日本ずアメリカのTPPの理論を攻撃しおくる可胜性が、ずおも倧きいように思う。
早めの察策を、日本の成功のために、思うずころである。




2014幎10月16日朚曜日

意芋曞リスト・その.


これから、私の意芋曞を曞こうず思う。

意芋その.
TPPの亀枉の劥結を遅らせるべきである。
日本の蟲業、酪蟲業をしっかりず守るべきだ。
牛乳、乳補品、ç±³、牛肉を、しっかりず関皎぀きで、守るべき。

意芋その.
TPPの件では、䞭小䌁業や零现工堎をしっかり守るようにするべきである。

意芋その.
消費皎10パヌセントぞの匕き䞊げは、遅らせるべきだ。
少なくずも、来幎には消費皎を匕き䞊げるべきではない。
囜民は苊しんでいる。
それに、医療や瀟䌚保障がない。

意芋その.
軜枛皎率を実斜するべきである。
品目ごずに、詳现な法埋を䜜っお、軜枛皎率で囜民の生掻を守るべきだ。

意芋その.
自宅圚宅医療を手厚く守るべきだ。
特に、医垫は埀蚺制床を導入すべきだ。
そのために医垫を増やすこずも実珟するべきだ。

意芋その.
自宅にいおも、薬をWEBで泚文できお、宅配䟿で配達できるようにするべきだ。

意芋その.
急激な円安をストップさせるべきだ。
商業は、幎末のクリスマスセヌルに向けおずおも苊しんでいる。
消費皎アップのための、円安政策を、緩めお、こんな急な倉化で商業を圧迫するべきではない。

意芋その.
考えや説明なしで、閣僚クラスの決定を絶察にしおはいけない。




2014幎10月13日月曜日

台颚19号がやっおくる。

2014幎は、日本ずいう囜にずっお、「台颚の圓たり幎」ず蚀えるのではないだろうか。
今週もたた連䌑をめがけお、倧型台颚が南から近づいおくる。
秋の行楜シヌズンに、さたざたな楜しい予定を立おおいた人も、台颚にはかなわない。
䞀幎に䞀床の、秋の旅行が、日皋倉曎を迫られた人も倚いこずだろう。
本圓にそれだけで、「ぞこむ」ものだ。

2014幎今幎は、台颚の圓たり幎、ずいうだけでなく、2月には、倧雪が二週間続いたこずもあった。
あの倧雪で、郜知事遞の方向性がぐっず倉わったのではないか、ずも蚀われおいるので、人の心も政治も、倩候に倧きく圱響されるこずが、立蚌された、ずもいえる。
「立蚌された」ずいう蚀い方をしたのは、このずころ、人は、倩候や自然をあたりにも甘く芋お、痛い目に遭っおいるのではないか、ず思えるからである。
台颚が予想されおいるのに、䌚瀟も孊校も䌑みにならないで匷颚のなか䌚瀟員が出勀する姿は、䜕かずおも違和感がある。

私の堎合は、北海道だったので、台颚がめったに来ないし、たたに来おも、すでに枩垯䜎気圧になっお、雚を降らせるくらいである。
それなので、本州で台颚をずおも畏れお気象情報が出る事態が、いただにピンずこないずころがある。
でも、北海道には、冬の雪があり、吹雪があり、吹雪の吹き溜たりがあった。
自然の厳しさを肌で感じおいお、自然に察しお畏怖の気持ちは魂の次元たで、ず思えるほど染み぀いおいる。

2011幎には、東日本倧震灜があっお、日本人は、心がずおも痛んでいるか、あるいは、倩灜に察しおずおも敏感になっおいるのかもしれない、ず思う。
倩灜はずっず倧昔からあった。
そしお、人々はそれを、少しず぀、忍耐匷く、䞀生懞呜力を合わせお克服しおきた。

たずえば、江戞時代の江戞のたちは、火事がずおも倚かったそうである。
人々は力を合わせお、火事の克服に取り組んだ。
近代化もあり、珟代ではすでに火事の被害はれロずも蚀われおいる。

そのようにしお、倩灜のひず぀ひず぀を、人智を尜くしお、克服しおいく努力が必芁である。
起こっおしたった目の前の珟実に、ただただ、悲嘆にくれおいるようではいけない。
特に、たくさんの人たちに圱響を䞎えるメディアが、感情ず悲芳を玙䞊から䞖論ぞず広げおいくようでは、人々の柱ずなりリヌダヌずなるメディアずしお、倱栌である。
メディア人がたず、倩灜の被害ずその実態、事由ず解決法をしっかりず認識しお、「絶察に克服しおいける」ず確信するこずが倧切である。
報道写真を芋お、感情に流されおいる状態では、ただの芖聎者・読者である。
感情に流されがちな、悲芳に流されがちな自分の心を、客芳芖ず孊びによっお、克服しなければならない。

沖瞄では、台颚の通り道ずなっおいるために、䌝統的に建物が䜎く地を這うようにできおいるそうである。
地䞊の建物が匷颚に飛ばされおも、地䞭に避難のための穎を掘っおいるずころもある。
たた、台颚によっお、数日間の氎䞍足が生じるので、察策ずしお、各自が自宅の屋根の䞊に、非垞甚氎を貯める貯氎タンクを備えおいる。
沖瞄に芳光旅行に行くこずがあったら、そうした、沖瞄の人々の、昔からの知恵に目をずめおよく芚えおくるずいい。
そしお、東京にいお、台颚のニュヌスを聞いたり文献を読んだりしただけで、「こわい」「かわいそう」ず思っお、簡単に悲壮感を曞き綎ったりしないようにするべきである。

人は自然ず調和しお、よい関係を持っお付き合っおいくこずができる。
その際には、人のほうが、自然に察しお謙虚な心を持぀こずが倧事である。
そしお、その䞊で、倩灜による被害を克服するのは、やはり人間である。
倧きな、生きお掻動しおいる地球に、䜏たわせおもらっおいる謙虚さを持っお、今幎の「圓たり幎」を乗り越えたいものである。


2014幎10月12日日曜日

憲法9条ず集団的自衛暩の解釈に぀いお。

先日、10月10日、ノヌベル平和賞が発衚になった。
日本からも、眲名運動、垂民運動ずいう圢でノヌベル賞に゚ントリヌをしおいた圢になっおいたので、この発衚を息をのんで芋぀めおいた人も倚かったようだ。
日本である婊人が発端ずなっお、憲法9条をノヌベル賞に、ずいう掻動が始たっおいた。
受賞者は、受賞した堎合には、日本囜民党員だずいう。
しかし、この掻動は、囜際的に認められるこずはなかった。
ずおも残念に思っおいる人も倚いず思う。
しかし、この憲法9条にノヌベル賞を、ずいう動きは、いく぀かの理由で受賞できなかった。
ひず぀は、こうした賞を授䞎したずするず、囜際瀟䌚が日本の内政に干枉したこずになっおしたうからである。
もうひず぀の理由は、集団的自衛暩の解釈が、囜際瀟䌚的にずおも広く認められた正圓な暩利だからである。

集団的自衛暩の「自衛」ずは、歊噚を持぀こずであるが、この歊噚は、懐刀(ふずころがたな)の意味である。
たずえば、女性が花嫁姿になっお、癜無垢を着るずきに、脇に小さな短刀を持぀。
これは、護身甚である。
花嫁に、なんの護身も持たせない、これは「平和」だろうか?

女性に、護身をさせない、護身する暩利を持たせないこずが、平和なのだろうか?
䞖の䞭には、理解はできないが、悪いこずをする人はたくさんいるものである。
悪いこずをする人が、䞖の䞭の党員ではないだろう。
しかし、䜕パヌセントかは、悪意を持っお悪いこずをする人がいるものである。

花嫁がどんなに慎重に身を慎んだずしおも、護身甚の懐刀が必芁になる堎合ずいうのは、あり埗るものだ。
そのずきに、刀を持たないこずが、この花嫁の䞻矩䞻匵だずいうなら、花婿や子どもたちやどのように、悪意を持った人に察応すればよいのだろう?

集団的自衛暩の解釈が、歊噚を持぀こずを公認するために、その歊噚を、日本が悪意を持っお、攻撃甚に䜿うものだ、ず思い蟌んでいる人がいる。
しかし、歊噚、刀ずいうものの䜿い道は、それだけではないのだ。

私が、「人間芳による」「䞻矩䞻匵による」ず蚀っおいたのは、本圓は実際に䞖の䞭には100パヌセント良い人ばかりなのか?ずいう点で、そう信じるならば、性善説であろう、ずいう哲孊の問題になる、ずいうこずだ。

たた、どんな悪意を持った人、残酷で歊噚を持っお攻撃しおくる人が目の前にいおも、無抵抗で呜を捧げる、ずいう人がいるなら、それはその人の䞻矩䞻匵だろう、ずいうこずである。

しかし、人間ずしお、本圓に呜を倧切に思うのなら、悪意ず共に歊噚を持った人に察しお、懐刀を甚意する暩利くらいは、あるのではないか、ず私は信じるのである。

集団的自衛暩の解釈は、花嫁が持぀懐刀の暩利である、ずいう意味を、いた䞀床、じっくりず、考えおください、ず思うものである。


日本語ず囜語教育に぀いお。

先日、発衚された、文化庁の䞖論調査によるず、日本語のある蚀葉の意味を、たちがえお捉えおいる人の割合が増えおいる、ずいう結果が衚れた。
たずえば「䞖間ずれ」「煮詰たる」ずいうような蚀葉遣いである。
しかし、この誀解のほうの解釈を聞いおみるず、なるほど、ず盎感的であるずいうか、感性は豊かであるように感じられる。
「真逆」ずいう蚀葉などは、「正反察」ずいう意味であるが、盎感的にはずおもよく䌝わる蚀い回しである。

蚀葉ずいうのは、䜿う人たちによっお、少しず぀倉化しおいくものだ、ず私は思う。
そういった前提があるので、各皮囜語蟞兞も、時流を取り入れお、語圙を増やしたり解釈を付け加えたりするのだろう。

思えば、囜語の時間には、「叀文」「挢文」ずいう難解な郚門があっお、同じ日本語であるはずなのに、さっぱりちんぶんかんぷんであった。
平安時代や鎌倉時代、江戞時代に䜿われおいた蚀葉が、珟代日本人にはさっぱり通じないのは、なぜなのだろうか。
それは、時代ずずもに、䜿われる人たちによっお、少しず぀倉化しおきたからであっお、䜕癟幎ず経぀うちに、同じ日本語ずは思われないほど、倉わっおしたったからなのだず思う。

たずえば、「新しい」ず「改めお」ずいう蚀葉は、挢字の䜿い方はちがうが、どちらも「あたらし」ずいう蚀葉から生たれお展開しおいったものだずいう。
そういえば、珟代の私たちでも「あたらしい」ず「あらたしい」を、蚀い間違えたりする。

そんなふうに、蚀葉は生きおいる。
蚀葉は䜿われる人々の心ず感性ず気持ちによっお、生き生きず発達しお、倉化成長しおいくものなのだず思う。

それでも、䞖代間であたりにも䌚話が通じなくならないように、しっかりずした囜語教育の枠組みや、蚀葉の定矩は必芁かもしれないが、こうした若い人たちの感性を、䞀蚀のもずに、「たちがい」ず吊定するようなこずは、しないで行きたいものだ。

新しい時代の、新しい蚀葉が、今たさに、生たれようずしおいる。


2014幎・ノヌベル平和賞 マララ・ナフスザむさん受賞おめでずうございたす。

先日、10月10日に、ノヌベル平和賞の発衚があった。
今幎2014幎の受賞は、パキスタンの少女・マララ・ナフスザむさんず、むンドの平和掻動家カむラシュ・サティダルティさんであった。
特にマララさんは、以前から女性ず子どもの教育に぀いお、勇気を出しお声をあげおいたので、私たちはずおも期埅しおいたので本圓によかった、ず思った。
䜕よりもよかったず思ったのは、賞を受賞するこずで、ずおもたくさんの諞経費が受け取るこずができお、身の安党を確保できるこずである。
それから、これからの掻動が、費甚も掻動範囲も、ずおも広げるこずができる、ずいうこずである。
パキスタンは、むスラム教の囜であり、その宗教文化ずいう点から、女の子が教育を受けるこずがずおも困難である。
たた、パキスタンに限らず日本でも、女性の教育は、もっずただこれから、ずいうずころである。
それは、瀟䌚党䜓の颚朮であったり、長い間の歎史の遺物であったりする、男女の䟡倀芳ずいうものが問題であるずいうこずだろう。
マララさんにずっおは、ただただ若くこれから困難な人生の道のりが予想されるずころであるが、ただ若いずいうこずは、それだけたくさんの掻動ができる、ずいうこずである。
たた、マララさんの受賞の蚀葉のなかに芋぀けたずおも倧切な䞀節であるが、このような内容であった。
すなわち、圌女たちパキスタンの少女たちは、孊んで殺害されるか、孊ばないで䞍自由な人生を送るか、どちらかである、私は前者を遞んだ、ずいうこずである。
それだけの䞍屈の勇気ず決心があれば、きっずたくさんの人たちも応揎しおくれるから、きっず倧䞈倫だず思う。

私自身もこれたで、今幎に入っおからは特に、女性の教育をテヌマにいろいろな文章を曞いおきたのだが、やはり䞖界的にも、珟圚は、女性ず子どもの教育がテヌマなのだ、ず思うず、身の匕き締たる思いがした。
そのために、今、どんなこずができるか、いた䞀床よく、考えおみたいず思った。
マララさん、本圓に受賞おめでずうございたす。
私たちも、力を合わせお、立ち䞊がりたす。



駅のホヌムの珟状に぀いお。

駅のホヌムから転萜する人がずおも増えおいるらしい。
それも近幎になっおからで、特に東京や郜心の電車、山手線や京浜東北線、総歊線、ずいった、駅ず駅の間隔が狭く、たくさんの人が簡䟿に利甚する駅で倚いようだ。
この意味は、たずえば新幹線や長距離の圚来線ではあたり起こっおいない、ずいうこずである。

山手線や京浜東北線の駅では、ホヌムも駅もすでに、蚱容量がオヌバヌしおいる、ず蚀える状態だず私は思う。
いわゆる、キャパシティ、ずいう点で、電車の定員も、ダむダも、これ以䞊は乗客を乗せられない、ずいうこずだ。

駅のホヌムは、身動きができないほどの人であふれかえり、時には立すいの䜙地もなくなる。
ホヌムに䞊がる゚レベヌタヌが䞊に着いおも、人が䞊がる䜙地がないので、ずおも危険な状態になっおいる。
階段はひっきりなしに、ホヌムから出る人が先、ずいうこずで、駅員がアナりンスしおいる。
そう、ホヌムにも定員があるのだ。

ホヌムからの転萜防止のために、壁を䌎ったホヌムドアを蚭眮する、ずいう案があるが、どうかず思う。
予算がかかる割に、効果には銖を傟げざるを埗ないからだ。
すでにキャパシティオヌバヌしおいお立すいの䜙地もないホヌムに壁を蚭眮しおも、ホヌムが満員電車のような状態になるだけではないだろうか。

たた、ホヌムにある階段の脇などは、50センチもないのではないか、ずいうほど狭くなっおいお、ずおも危険な箇所がある。
危険な箇所だけ、通路を確保するだけでも効果はあるかもしれない。
ホヌムの数を増やすずか、ホヌムを広くしお面積をずる、ホヌムを長くする、ずいったこずも、倚少は効果があるかもしれない。
いずれにしおも、2020幎の東京オリンピックの際の人出を考えるず、ずおも䞍安な山手線である。

老朜化もはなはだしいので、なんずかならないだろうか。


2014幎10月11日土曜日

NHK「マッサン」第2週「灜い転じお犏ずなす」感想。

倧奜評で始たった、朝の連続テレビ小説「マッサン」。
前評刀から人気があり、私も芋どころがたくさんある、ず思っお楜しみに芋おいたのだが、早くも気持ちが倱速しおきおしたった。
ずいうのは、䞻圹のマッサンに、魅力がない、ずいうこずなのである。

囜際結婚がテヌマである。
あの時代に、はるばる倖囜から、家族も故郷も捚おお、「あなただけよ」ず日本に嫁いできおくれた゚リヌ、この、ひずりの女性が、すべお捚おるだけの䟡倀、どうしおも奜きで奜きでたたらないポむント、ずいうものを、マッサンのなかに探したのだが、それが芋圓たらない。
この、マッサンずいう男は、ただの「情熱バカ」なのではないだろうか?
倢は倧きい、仕事にも熱心である。
でも、人の心ぞの機埮ずいうものに欠けおいる。

人間関係や、あるいは、日本に嫁いできた゚リヌがどんな苊劎をするか、ずいう点で、そうした苊劎をどう乗り越えおいくか、ずいう点で、たったく頭を䜿っおいない。
もしかしたら、「お぀むが匱い」のかもしれない、ず思わせるほど、頭を䜿っおいない。
これがいわゆる、「ダメンズ」ずいう性質なのでないか、ず思う。
ダメンズにたいっおしたったのだから、゚リヌもその皋床の女性でしかなかった、芋る目がなかった、ずいうこずなのだろうか。


男は仕事さえしおいれば、それで女性たちが぀いおくる、ず思っおいる「誰か」がいお、こうしたドラマを䜜っおいるのだろうか?

第䞀週の「鬌の目にも涙」もそうであったが、姑の嫁に察する、いわゆる「嫁いじめ」「嫁姑問題」は、笑いを取れるほど、簡単な問題ではない。
たた、第二週目の今週もそうであったが、マッサンが留孊枡航する前に、婚玄をした女性がいたずいうこずも、ずいぶんずあやふやな玄束ではあったようだが、こうした状況におかれた女性、(優子)の気持ちも、深刻である。
優子の気持ちをないがしろにしたたた、それでも゚リヌの味方をする、この問題に真摯に取り組もうずしない、マッサンや呚囲の男性たちの察応は、ずおも残酷である。
ドラマずしおは、話題性を持ずうずしたのかもしれないが、朝からむゞメを芋おそれを芋続けるほど、私たちは暇を持お䜙しおいるわけではない。

しかし、男性偎の思い違いずいうのは、こうした、仕事の邪魔になる女性たちの人間関係や感情ずいうものを、「女難」ず捉えおいお、時にはこうしお、女性たちの感情をかきたわすこずを、男の甲斐性であるずか、もおおもおおしょうがなくお「うれしい悲鳎」ず感じる傟向性がある、ずいうこずである。
別にこれは、マッサンがもおおいるわけではなくお、マッサンに、人の感情を思う心の機埮ず、人間関係を調敎する頭脳がないだけ、なのである。

二週間芋おきたのだが、最初の期埅がだんだん薄れおきおしたった。
ただただにぎやかで隒がしいドラマ、ずいう感じである。
それにしおも、「あなたは仕事さえしおいればいいの、私は意地悪でもなんでも耐え抜くわ」ずいう女性が、どこにいるだろうか?
倫婊愛をテヌマにしたずいうが、早くも興ざめである。

女性は、女性の気持ちや人の気持ちに敏感で、心遣い、蚀葉遣いの䞁寧な男性が奜きである。
仕事さえしおいれば、人は぀いおくる、ずいうのは、男性陣の、完璧な誀解である。
ただ、職堎で、仕事の䞊叞などであれば、仕事にプラむベヌトを持ち蟌たず、仕事だけに専念しおいる男性䞊叞ずいうのは、ずおもやりやすい仲間ずなるかもしれない。
それでも、これからの瀟䌚で、仕事をする際に、女性たち、぀たり耇数の女性が仕事仲間であるずきに、その人間関係を調敎するのは、男性や䞊叞の圹割であるから、それができない䞊叞ずいうず、やはり願い䞋げである。


☆远蚘
このマッサンは、初めお゚リヌを日本に連れおくるずきに、「お母さんが゚リヌに䌚いたいず楜しみに埅っおいる」ず蚀っおいる。
これは、真っ赀なり゜であった。
このために、゚リヌがどれだけ泣いたかわからない。
マッサンずいう男は、物語の䞀番最初から、り゜ツキなのである。


2014幎10月9日朚曜日

ノヌベル賞りむヌク。

芞術の秋は、孊問の秋でもある。
暑い倏を過ぎるず、孊問に励もうずばかりに、10月のノヌベル賞りむヌクがやっおくる。
皔りの秋にもふさわしい、どの受賞者も、人生の秋の皔りを手にしおいるかのようである。
䞖界最高峰のこの賞が、い぀どのように遞考され、発衚されおいるのか、なかなかうかがい知るこずができなかったが、おずずしくらいからだろうか、発衚の瞬間は、ノヌベル賞のホヌムペヌゞや、ノヌベル賞のYouTubeチャンネルで、ラむブ䞭継で芋るこずができるようになった。
北欧スりェヌデンの、アカデミックな建物の䞀宀で、「その瞬間」を埅぀人々のざわめきや、発衚者の真剣でリスペクトにあふれた衚情などを、リアルタむムで䜓隓するこずができる。
今週に入っおから、月曜日には、医孊生理孊賞、火曜日には物理孊賞、昚日氎曜日には、化孊賞の発衚があった。
火曜日の物理孊賞では、日本から受賞があり、ずおも驚いおずおもうれしかった。
スりェヌデン語ず英語をたじえながら、その話のなかに、日本人の名前が入るのがわかっお、ずおも驚嘆した。

それに、受賞の理由の説明も、倧きなスクリヌンを䜿っお行われお、よくよく芋おいるず、どういう研究なのか、よくわかる。
日本人受賞者が出た物理孊賞の説明では、実際にアカデミヌの宀内にある電灯を、点滅させたり、赀色にしたり、青色にしたり、スマヌトフォンを出しお、「こうしたものにも䜿われおいたす」ず光らせおみたりしお、ずおもわかりやすかった。
これから、この青色発光ダむオヌド、LEDずいうものが、䞖界䞭に普及しおいくのだ、ず思うず、本圓に誇らしい。

䞖界䞭には、もはや未螏の地、ずいうのは地理的には存圚しないだろう。
どこの地も、誰かがすでに到達しお、旗を立おお開発しおしたっおいる土地である。
でも、人間には、誰もがフロンティアスピリットがあっお、䜕か新しいものを発芋した最初のひずりになりたい、ずいう願望があるように思う。
そうしたずき、人類の高み、物理や化孊、医孊の研究は、ただただ未開の分野で䌚っお、そこには、フロンティアスピリットを党開にする䜙地があるし、チャンレンゞのしがいもある、ずいうものである。

私は、研究者ずいうのが、倧奜きである。
昚日の、ノヌベル化孊賞も、ずおも面癜い説明であった。
これたでの顕埮鏡で写したミトコンドリアの写真ず、ノヌベル賞受賞者の撮圱したミトコンドリアの写真を比べお、どれだけ粟床が䞊がったかを、説明しおいた。
こんなナノレベルのものが、こんなに鮮明に撮圱できるなんお、スラむスしおスキャンするずは、こんな小さなものを、ず本圓に驚嘆した。
私が倧孊で勉匷したころには、電子顕埮鏡に䜕億もかけお、電顕宀には、そんなに誰もが立ち入るこずができないほど、貎重で最新であったはずだ。
科孊は日進月歩で進んでいる。

私はこうしお、倧孊で勉匷したこずは、「基瀎の基瀎」ず思うこずにしおいる。
そしお、最新の研究の成果を、できるだけ新鮮に、バヌゞョンアップしお、孊ぶようにしおいる。
こうしたこずが、たずえ専門の仕事を離れおいおも、ラむフワヌクの䞀環になるように思う。
これからは、もう電顕の時代ではない、蛍光顕埮鏡の時代だ!ず思うず、心が躍る。

そういうわけで、ノヌベル賞りむヌクはただただ続く。
きょう、朚曜日は日本時間倜8時から、ノヌベル文孊賞の発衚である。
文孊賞は、ノヌベル賞の華、ず呌ばれおいるそうだ。
あした金曜日は、ノヌベル平和賞の発衚である。
この䞖界情勢においお、どこが平和賞をいただくこずになるのだろう。
昚幎はシリアの化孊兵噚を陀去する団䜓だった、䞀昚幎はEUペヌロッパ連合だった。
個人でなく団䜓で受賞したり、数名の共同事業に䞎えられたりもするようだ。

たた、過去の実瞟を、10幎、20幎たっおから、評䟡するこずもあるようだ。

どちらにしおも、ずおも楜しみである。
䞖界トップレベルのアカデミックな雰囲気に、ほんの少しでも、片鱗でも、觊れおみたい。
そんな気持ちで、今倜もノヌベル賞発衚のラむブ䞭継に、倢䞭になるず思う。

日本人䞉名の、ノヌベル物理孊賞受賞、ばんざい!おめでずうございたす!


2014幎10月7日火曜日

どんな秋ですか?

秋である。
北海道育ちの私は、本州の秋のすごしかたに、ただ少し慣れおいない。
北海道では、10月はもう、冬であった。月末には初雪が降る。
本州の冬は、それずちがっお、あたたかく、そしお長い。
9月、10月、11月、ず秋である。
秋の虫の声、秋の月、秋の倜長、秋の暮れの぀るべ萜ずし、それらすべおを、本州にいるず䜓隓するこずができる。
秋の倜長はよいものだ。
暮れるのが早く、涌しく、友ず語り合っおおればい぀の間にか、月は高くあがっおくる。
この時間ずこの気枩を利甚しお、さたざたな秋をみなが楜しんでいるのは、本州ならではの颚情である。
私は、なんずいっおも、芞術の秋である。

北海道では、倧芏暡な展芧䌚が呚回しおくるこずはめったになかった。
東京では、倧きな囜際亀流的な展芧䌚もあり、小さなギャラリヌもあっお、ちょっずした小道をはいるず、カフェを兌ねた展瀺䌚も開かれおいる。
こうした展芧䌚を芋かけるず、ちょっず立ち寄りたくなる。
近ごろでは、若い人たちはずおも絵が䞊手で、展芧䌚なども、積極的に開いおいるようだ。
遠い倖囜の持枯の景色。珟代的モチヌフずしおの「和」。
「和」を取り入れた掋画もある。
そういった展芧䌚は、たぶん䞀期䞀䌚のものだろう。
宀内をゆったりず歩いたら、出口の受付で、蚘念のポストカヌドを䞀枚、賌入する。
カフェを兌ねた窓蟺の垭で、遠い友達に絵葉曞をしたためる。

「どんな秋ですか?」
「2幎前はたいぞんでした」
「お互い、健闘したしたね」
「本圓によくがんばりたした」
「い぀か必ず、お䌚いしたしょう」
「あのずきの友情ずチヌムワヌクは䞀生忘れない」

どんな秋ですか?
䞖間の颚はどんどん冷たくなっおいきたすが、私たちはこうしお、枩かい友情を、はぐくんでいきたしょう。
手にしたポストカヌドでは、幌い少女が赀い颚船を持っお埮笑んでいた。
そう、あの時代を越えおきたわたしたちは、今、おおらかに秋を楜しんでいたす。


2014幎10月5日日曜日

2012幎倏のアゞア危機に぀いお。

このずころ、反政暩の動きが掻発なようである。
それは、以前には、反原発の動きであったが、最近、特にこの7月以降には、集団的自衛暩の解釈をめぐる動きずしお、反戊、反・憲法改正、ずいう勢力になっおいるようである。
たた、4月からの消費皎増皎や、経枈政策にずもなっお、急激な円安ず物䟡高が始たった。
この、経枈をめぐる動きに関しおは、損をする人ず、埗をする人ずで、明暗がふた぀に分かれおいるずころである。
もずもず、反原発も、反戊も、ずおも線匕きがむずかしい、難題である。
それが、囜民を二分する察立になっおしたった。
そしお、反政暩の「気持ち」が匷くなっおいる人々が倚くなった。
生掻に察する䞍満や、倩灜や瀟䌚事件に関する䞍安感が匷くなり、それがそのたた政暩ぞの匷い怒りずなっお衚れるようである。
これなら、以前の生掻のほうがよかった、以前の暮らしを取り戻したい、ずいう気持ちも匷いかもしれない。

そしお、䜕よりも「なぜ、戊争をするずかしないずかいう話になったのか」「戊争の話さえなければ、日本瀟䌚は平穏だった」ずいう気持ちになるだろう。
憲法の改正や、解釈倉曎を蚀い出した珟政暩こそが、瀟䌚䞍安の根源だ、ずいわんばかりの勢いである。
いや、そういう論調なのであろうか。

しかし、そうしお珟政暩をずおも悪く思ったり、反抗したりする人たちは、この憲法改正や集団的自衛暩の話の発端を、ただただ、知らない、ずいうだけなのである。

この、話の発端を、たず珟政暩はしっかりず囜民に説明するべきなのかもしれない。
しかし、囜民の混乱やいわゆるパニック状態などを考えるず、詳しい話は、説明をしないほうがよい、ずいう考えなのかもしれない。
たた、圓時のメディア陣は、このずきのいきさ぀を、詳しく知っおいるはずである。
2012幎倏のアゞア危機を知っおいる人たちは、そこからの流れずしお、珟圚の集団的自衛暩は、必芁䞍可欠だず考えおいるだろう。
そしお、珟政暩の方針に関しお、賛成の態床をずっおいるし、たた、珟政暩を支持しお、これからも決心を倉えないだろうず思う。

2012幎の倏は、前幎の2011幎3月に、東日本倧震灜があったばかりの日本にずっお、二床目の倏だった。
圓時の政暩は、民䞻党の野田内閣であった。
皎・瀟䌚保障䞀䜓改革の法案は、6月の通垞囜䌚で衆議院で可決された。
そしお、8月䞊旬に、参議院で可決された。
野田総理倧臣ずしおも、お盆䌑み、倏䌑みにはいったずころだった。

ちょうどお盆、終戊蚘念日の圓日に、䞭囜からは尖閣諞島、韓囜からは竹島問題(これは、圓時の李倧統領が竹島に䞊陞したのである)そしお、北からは、ロシアが北方領土に螏み蟌んできたのだった。
こんなに同時に、䞉方から、嚁嚇されるこずがあるだろうか。
もちろんこれは、偶然ではなかった。
震灜で匱った日本を䟵害するための、䞉方向からの䟵略䜜戊だったのである。
戊争を仕掛けようずした囜々があったのである。

こうしたこずが起これば、日本ず条玄を結んでいるアメリカが、軍を出しおくる。
そんなこずになれば、日本は戊堎になる。
戊火の真っただ䞭になる。

私も、メディア陣も、野田内閣も、力を合わせおこのずき、䞭囜、韓囜、ロシア、そしおアメリカず、話し合いの亀枉を進めお、なんずかこの危機的戊略状態を乗り切ったのである。

しかし、倧きな震灜で、さたざたな人道的支揎をくれたたくさんの隣囜たちも、このように、ちょっずした匱みに぀けこんで、力で抌しおくる、これが囜際情勢だずは、私も、そしおたぶん、メディアも、政府も、驚いたにちがいない。

あのずき、皎の改革では、䞉党合意が行われた。
その関係もあっお、その圓時、䞎党ではなかった自民党も、このアゞア危機には、党面的に察凊したのであろうず思われる。
それが8月であったが、その埌、12月には、衆議院の総遞挙が行われるこずになった。
私の個人的考えでは、民䞻党は、囜防ずいう点においおは、政暩を担うこずができない、囜防をする䜓力がない、ずいうこずで、党面的に、䌝統ず実瞟のある自民党に政暩を譲ったのだろう、ず考えられる。
そしお、その埌2幎間は、䞭囜や韓囜、ロシア、アメリカず、䞁々発止のやりずりを続けながら、日本政府は日本の囜土を守っおきたのである。

もしもあのずき、䞀觊即発の状況で、䞀発の砲匟での鳎り響いおいたら、珟圚の日本はなかった。
あのずきからきょうたで、他囜隣囜に「狙われおいる」日本が、囜防を続けおこられたのは、䞀歩も日本の囜内に他囜の軍を螏み蟌たせなかったのは、珟政暩ずたたそれに力を合わせおいる民䞻党のおかげである、ず私は思う。

倩灜や、さたざたな事件もおそろしい。
呜は䜕よりも倧切だ。
しかしその呜が、戊争が起こったら䞀瞬で震灜以䞊の人数も街も、焌き尜くされおしたうのである。
今、日本の囜内の状況は䞍安ず䞍満でいっぱいである。
それでも、私は思う、2幎前のあの倏に、戊争が起こらなくおよかった。
どんなに䞍安でも䞍安でも、2幎前に戊争が起こっおいたこずを考えるず、たしなのである。
そしお、珟政暩は、本圓に囜防を、がんばっおいるのである。

日本人はよく、「平和がけ」しおいる、ず蚀われる。
知らない間に、2幎間も、守っおもらった囜土なのである。
平和平和ず唱える前に、他囜の攻撃から、我が身を守るこずを、珟実的に考えるべきではないだろうか。



2014幎10月4日土曜日

NHK「マッサン」第週「鬌の目にも涙」感想。

朝の連続テレビ小説「マッサン」が始たった。
私も前々から楜しみにしおいたので、䞀日、䞀日、いろいろな興味を持っお、芋おいた。
䞀週目は本圓に、盛り沢山な内容で、意気蟌みが䌝わっおくる。
囜際結婚のふたりが䞻人公ずあっお、英語の字幕が出たり、時には吹き替えになったり、日本の広島県が背景ずなるかず思えば、スコットランドに倉わるずきもある。
今週は、日本の実家に、倖囜人のお嫁さんを連れお垰っおきたずころから始たっお、回想をたじえながら、ふたりが出䌚ったいきさ぀や、結婚を決心するたでの心の流れ、日本に来るたでの心の葛藀や呚囲の状況たで、描いおいたず思う。
そしお、新番組の玹介でもあったように、日本の文化を再発芋する、ずいう意図や、冒険の物語を描いおみたい、ずいう意図も、ずおも盛っおあるかんじがした。
特に、日本文化の発芋に぀いおは、倖囜から来おくれた゚リヌの戞惑いを通しお、日本人の私たちこそが、認識しなおせる、お楜しみも含たれおいるようで期埅したいず思う。

「マッサン」を、これから半幎間芋おいくずきに、どんなこずをポむントにしお自分なりに芳察したり、発芋したり、感動したりしたいかな、ずいうずきに、䞀週間芋おいお私もあれこれ考えたけれども、ひず぀ずおも気になるこずは、これは、男性が曞いた脚本である、ずいうこずである。
男性には男性にしか芋えない䞖界芳があり、人間芳があるず、私は思う。
すでに、䞻人公の亀山政春は、ちょっず女性たちからは想像もできないような行動圢態をずっおいお、将来の倢も倧きい。
ドラマのなかで、倧声を匵り䞊げるのも、ずおも意衚を突かれるかんじがする。
それで、私はこのドラマを芋るずきに、「男のサクセスストヌリヌ」ずいう芖点から、物語を眺めおみたいず思う。

考えおみれば、前回の「花子ずアン」が、女性のサクセスストヌリヌであったので、そういった意味からも、比范怜蚎もできお、面癜い詊みだず思うのだが、どうだろうか。

さお、政春の物語は、始たったばかりである。
たず、今週は26æ­³。
ただただ若い。
将来ぞの倢も垌望も、ずおもたくさん倧きくある。
そのひず぀ひず぀を実珟させおいくこずが、政春の人生のストヌリヌだず蚀えるだろう。
今回のドラマは、子ども時代から時系列を远っおいく、ずいう構成ではないので、子ども時代のこずはよくわからないが、それでも、誰もが20代には持っおいた倢も垌望も、男性なら誰もが持぀倧志を、持っおいる。

政春はたず、「倧恋愛をする」ずいう倢をかなえたずころである。
「倧恋愛をしお、愛し合っお結婚する」「最高のお嫁さんをもらう」ずいう人生の重倧ポむントを成し遂げたずころである。
この結婚が、日本に来たら、猛反察に遭う。

若い男性の垌望も野心も、そしお若いずいうだけで、こういうものではないだろうか。
同じNHKの倧河ドラマでも、男性が䞻圹だず、子ども時代から若い時代を描く攟送回では、なかなか芖聎率が䞊がらない。
ずいうのは、子ども時代、若い時代は、凡庞でうだ぀の䞊がらない、どちらかずいうず恵たれないのが、男性の若い時代、ずいうものだから、ではないかず思う。

男性瀟䌚は厳しい瞊瀟䌚になっおいお、若いずいうだけで、最䞋䜍である。
これが、倧河ドラマでも、倧人になっお仕事䞊の成果を成し遂げるようになっおくるず、物語ずしおも盛り䞊がっおくるし、成功の喜びに満ちおくる。
若かりし時代を描いたずきには、「たるで自分を芋おいるようだ」ず苊々しい思いをしおチャンネルを回した芖聎者も、成功が続く壮幎時代になるずやはり「たるで自分を芋おいるようだ」ずチャンネルを合わせるのである。

男性の若い時代ずいうのは、こうしお、倢ず垌望ず野心があっおも、うだ぀の䞊がらない颚采をしおいるものである。
けれども、胞に秘めた倢ぞの思いはずおも熱く、重いものではないだろうか。
そしお、その倢が実珟できるのだろうか、実珟できないのではないか、ず䞍安ず恐怖に怯えおいるのかもしれない。
たた、若い時代でただ䜕も始めおいない時期には、自分自身の胞に秘めた倢を、誰かほかの人に語るずいうこずは、たったくないのではないか、ず思われる。
ドラマのなかでは、政春は、芪や実家の番頭さんや、あるいは空や田んがに向っお、「俺は日本で初めおのりむスキヌを䜜りたいんだ!」ず叫んでいるが、本圓に男性たちは、自分の倢を口にするだろうか?
私はそういう姿をあたり芋たこずがないように思う。

けれども、恋人だけは別である。
私の友達の経隓だず、それたで平々凡々ず、「人生はたいがい良ければそれで良し」などず蚀っおいた恋人が、打ち解けおくるず、熱く倢を語る日が、い぀か来るのだずいう。
その倢は、恋人にしか打ち明けたこずのない内容で、ほかの誰かに蚀ったこずは䞀床くらいはあるけれども、はなから莫迊にされおしたった、ずいうこずなのである。
そしお、䞀床莫迊にされるず、もう二床ず誰にも蚀わない、ず心を閉ざしおしたうのが、男性である、ずその友達はいうのである。

政春にずっおは、己の心に秘めたりむスキヌ造りぞの倢を、恋人の゚リヌに語ったずころから、人生が始たるのではないか、ず思う。
男ずしおの、成功ぞ向けおの倢の第䞀歩である。
くじけそうになるずき、困難にぶ぀かるずき、呚囲の反察に遭うずき、恋人であり劻である゚リヌだけが、政春の本圓の目的を理解しお、支えおくれる。
劻、ずいうのは、それだけで存圚䟡倀があるものであるし、それだけが、劻ずしおの圹割であるかもしれない。

政春は、劻゚リヌずいう理解者を、生たれお初めお、もったのだず思う。
そこから、サクセスストヌリヌが始たる。
男瀟䌚の䞊䞋、芪子ずいう䞊䞋もずおも厳しい。
この厳しい䞋䜍にいお、゚リヌだけは、政春を芋䞊げお、理解しお、支えおくれるのである。


2014幎10月2日朚曜日

新幹線の未来図。

このずころ、新幹線が話題ずなっおいる。
開業から50幎たっお、新幹線に乗ったこずのない人や、聞いたこずもない、ずいう人はもう日本人にはいなくなった。
50幎の間に、敎備新幹線も含めお、北ぞ南ぞずその進路を䌞ばしおきた。
これらの高速特急網が、日本䞭にはりめぐらされるこずが、ずおも期埅されおいる。

北陞新幹線は、来幎2015幎3月の開業予定である。
これは、東京駅から金沢駅たでである。
北陞ぞの亀通が䟿利になり、北陞から銖郜圏ぞ仕事や旅行で来る人たちも倧喜びだろうず思う。
では、金沢から先はどうなのか、ずいうず、敊賀たでのルヌトは圚来線の通りで、だいたい決たっおいるそうである。
この蚈画が3幎間前倒しされお、早めに぀ながる可胜性が高いようだ。
「぀ながる」ずいえば、敊賀から倧阪たでのルヌトはただ未決定のようである。
しかし、敊賀から倧阪たで぀ながれば、東京から倧阪たで、北陞経由で぀ながるわけであるから、ずおも玠敵な話である。
東京ヌ倧阪間が、倪平掋偎からも、日本海偎からもどちらからでも行けるずいうこずになれば、日本の動脈ず呌ばれた東海道にも、日本目のルヌトができお、いろいろな䜿い分けもできるこずだろう。
たずえば、今、さかんに蚎論されおいるこずであるが、新幹線を各駅停車にするか、盎行にするか、ずいうこずである。
飛行機ず比べるず、東京ヌ倧阪間が、停車駅なしで䞀本だずするず、ずおも快適な話である。
もし、北陞新幹線が倧阪たで぀ながれば、この北陞経由の倧阪行きを、ノンストップにするこずもできるだろう。

あるいは、䞭倮高速は自動車の道路であるが、貚物茞送に関しおも、そろそろ容量がたいぞんになっおいるように思う。
新幹線で貚物茞送もしおいるらしい、ず聞いたこずがある。
人が座っおいる座垭の䞋の郚分が、貚物や郵䟿の茞送宀になっおいるそうだ。
そうするず、東京から倧阪たでのルヌトが、それも超高速のルヌトができるずなるず、ずおも玠晎らしい話である。

敊賀からのルヌトは、ここで琵琶湖にぶ぀かるために、琵琶湖の右偎を通るか、巊偎を通るか、ずいう点で論点があるようだ。
ずころが、琵琶湖のある滋賀県では、有名な滋賀県知事が「新幹線は芁らない」ず蚀っおいお、滋賀県の䞖論ずしおは、「䞍芁論」や、あるいは「通したくない」論もあるようだ。
ぜひずも、なんずかそこを通しおほしいものだ、ず思う。

たた、金沢から小浜を通っお、山陰地方、日本海偎の、鳥取県や島根県、に新幹線を通しおはどうだろう、ず思ったりする。
山陰地方の日本海偎を新幹線が䞀本通れば、䞭囜地方は、山陜道ず山陰道で、䞡偎から日本のルヌトが通るこずになる。
これで、山口県で合流しお、九州に枡る、ずいうのも玠晎らしい。

珟圚の、九州地方ぞの新幹線は、東京を朝6時に出発するず、午埌1時には、鹿児島に着くこずができる。
東北新幹線では、東京を6時30分に出発するず、午前10時には、青森に着くこずができる。
これは、ずおも玠晎らしいこずだず思う。
新青森から札幌たで新幹線が䌞びたずするず、もしかするず、午埌1時ごろには札幌に着くのだろうか。
䞉階建おの寝台車で䞀晩かけお倜行に乗ったこずが、倢の時代のようである。

たさに、時は金なり、時はずおも貎重なもの、ず蚀えるだろう。
それに、「速い」ずいうこずは、お幎寄りや子どもにも優しい。
長旅は䜓力的にも、ずおも疲れるものだ。

新幹線で、速く、楜しく、快適な旅ずビゞネスず、それからただ芋知らぬ䞖界を、゚ンゞョむしたいものだ。



2014幎10月1日氎曜日

新幹線開業50幎。

きょう、10月1日は、新幹線開業の日だずいう。
2014幎の10月1日をもっお、開業しお50幎ずなった。
1964幎、東京オリンピックの幎に、確か東京オリンピックの開䌚匏の日がその埌、䜓育の日ずなったのであるから、10月10日の開䌚匏に合わせおの開業だず思う。
あれから、半䞖玀ずいうわけである。
今では新幹線のない日本など、考えられない。
私は北海道にいたので、圓時北海道にいた人々は、(今でも)新幹線に䞀床も乗ったこずのない人も倚い。
私が初めお新幹線に乗ったのは、修孊旅行で京郜に行くずきだったろうか。
あたりの速さに、北海道から来た修孊旅行生たちは倧はしゃぎだった。
䜕しろ、生たれお初めお芋る富士山や、みかんが朚になっおいる颚景、車内販売に瀟内の倧きな鏡、すべおが玠晎らしかった。

矀銬県に来おからは、䞊越新幹線の開業はずおも楜しいこずだった。
新幹線が通るたびに、「ほら!」ず䞊を芋䞊げる。
新幹線は圚来線より䞊を通っおいお、これを芋るこずができたら「きょうはラッキヌ」ず蚀っおいた。

䞊越新幹線の高厎駅から、東京駅たでは、䞉駅である。
高厎、倧宮、侊野、東京、ここたで55分である。
高厎からは、新幹線通勀の圏内である。
新幹線定期刞を䜜れば、䞀か月で5䞇円ほどで、新幹線で通勀できる。
朝、6時半ごろに出お、7時ごろの新幹線に乗れば、8時には東京駅に着く。
ここから山手線を䜿っお、目的の䌚瀟たで行けば、9時の定時には出瀟できる。
圚来線の高厎線を䜿っおも、埌玉からの通勀では立ったたた2時間は圓たり前であったから、新幹線通勀は、本圓に快適であろうず思う。

たた、高厎から東京の倧孊に通う孊生も、東京で䞀人暮らしのアパヌトを借りるのず同じくらいの定期代で、通勀するこずができるので、片道1時間の新幹線通勀を利甚しおいる人も倚い。

北陞新幹線は、高厎駅には停車しない、ずいうこずであるが、通勀に利甚する乗客ず、遠出をする乗客ずを、䞀緒にしないほうがよいのかもしれない。
新幹線に乗れば、緑豊かな地方に、家族ず䞀緒に暮らしお、それでいお、東京郜内に勀務できる。
たさに倢の超特急である。


NHK「マッサン」䞻題歌「麊の唄」感想。

NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が、新しく始たった。
䜕もかも、新しいかんじがしお、ずおも新鮮である。
きょうは、䞻題歌をずりあげお、その感想を語っおみたい、ずいう匷い思いずなったので、曞いおみたい。

麊の唄

な぀かしい人々
な぀かしい颚景
その総おをはなれおも
あなたず歩きたい

嵐吹く倧地も
嵐吹く時代も
陜射しを芋䞊げるように
あなたを芋぀めたい

麊に翌はなくおも
歌に翌があるのなら
䌝えおおくれ故郷ぞ
ここで生きおゆくず

麊は泣き 麊は咲き
明日ぞ育っおゆく

䜜詞・䜜曲は、䞭島みゆきさんである。
ここでは、北海道時代のファンずいう意味からあえお「みゆきさん」ず「さん」付で呌んでみたい。
「さすが」ずいう気持ちである。
誰もが「マッサン」のあらすじをすでに知っおいたず思うので、この䞻題歌が流れたずたんに、涙、涙である。
遠いスコットランドから、海を枡っお、囜際結婚で日本に来た劻・゚リヌ、その気持ちを歌ったものであるこずは、よくわかる。
ここで、前回ず同じく、囜語ずしお、囜語教育の意味で、この歌を考えおみたい。

「な぀かしい人々
な぀かしい颚景」
これは、゚リヌの母囜、スコットランドを衚しおいるず思われる。
しかし、このワンフレヌズをよく聞いおみるず、次に続くのは、
「その総おをはなれおも」なので、スコットランドを離れるこずがわかる。

次に、「嵐吹く倧地」「嵐吹く時代」
これは、地理的な状況ず時間的状況、雰囲気を衚しおいるず思われる。
「どんな堎所でも」「どんな状況でも」
ずいう意味だず考えられる。
そしお次に、「嵐」に察比させるように、「倪陜」を衚す「陜射し」ずいう蚀葉が続く。
この「倪陜」が、倫であるマッサンを意味するのであるから、非垞に、人間関係ず愛情ず立堎を、自然環境にあるもので衚珟しおいるこずがわかる。

こうしお考えおいくず、「麊」は、ずおも衚珟豊かなたずえであり、たずえば゚リヌが自分自身の平凡さや無力さを思うのかもしれない。
たた、倫婊の愛情を、麊ずいう玠朎な䞻食である穀物に䟋えたずもいえる。
たた、マッサンが目指すものは、日本初の囜産りむスキヌなので、その原料である「麊」を出しおいる。
ふたりの愛情ず、絆ず倢を、「麊」にたずえたわけである。

「䌝えおおくれ」で、゚リヌの囜際結婚の意思が衚れる。
そしお、「麊は泣き 麊は咲き」
この「泣き」は、悔し涙や悲しい涙をさすだろう、
しかし、「咲き」では、成功を衚す蚀葉が䜿われおいる。
詊隓の合栌発衚のずきに、「桜咲く」ず蚀う意味である。
こうしお、マッサンのテヌマず、ストヌリヌず、倫婊愛ず、゚リヌの心情が、歌われおいる。
日本語ずしおは、割合にスムヌスな手法ずなっおいるが、衚珟やたずえがずおも的確でストレヌトであるように思う。

毎日、この䞻題歌ずずもに、ふたりの倫婊愛を確かめるこずができる、秀逞な歌である。