少子化問題について。
少子高齢化社会が進んでいる。特に子どもが少ない。
これについて考えてみたい。
少子化問題について語る人たちが、
「子どもが少ない」という点について、頭を悩ませている理由は、
「跡継ぎがいない」という問題である。
あるいは、「国力が減退する」という理由である。
あるいは、税金や年金の財源となる若者(働ける年齢の人たち)が、
将来的に減ってしまう、という理由である。
少子化問題対策として、
特にあまりにもストレートな例は、
町村でお見合いパーティを開いたり、
都市部からの若者(若者だけ)を村に招いたりする作戦である。
もっとストレートに言えば、
若い女性に、まず結婚をしてください、
そして、産んでください!
というお願いコールのような気がする。
私自身は、女性として、「子どもを産む」ということを考えるとき、
さかんに少子化に危惧を唱える人たちに対して、
冷やかな笑みを送りたくなってしまう。
「子ども」はなんのためにいるのだろう。
国のための子どもなんだろうか。
のれんを継ぐための子どもなんだろうか。
有名大学を存続させるための子ども。
情のこもった村を存続させるための子ども。
戦時中の「産めよ。増やせよ」を思い出す。
「国のための子ども」なんか絶対に産まない。
ひとりの女性として、
この世にたったひとりの愛する男性とめぐりあい、
家庭を築き、
愛情で包んだ子どもを産み、育てたい。
幸せな子どもを育てたい。
ひとりの女性として、
「国家の存続のために、子どもを産もう!」と思う女性は、
どこにもいないと思う。
人口が減ったとしても、
子どもたちやその国に暮らす人たちが、
幸せで健康であれば、それでいい。
少子化になった原因はいろいろあると思うけれど、
まず、この「問題視」の理由、
「なんのための子どもなのか」という点を明確にしたい。
女性が、母親として、自分が産んだ子どもが、幸せに暮らせる、と察した時に、
自然に子どもたちが授かってくるように思う。
現代の世の中は、女性ひとりが生きていくにも、辛すぎる。厳しすぎる。
まず、女性ひとりひとりが、「この世に生まれてきてよかった」と感じること、
安心して暮らせること、それが大事だと思える。
おりしも今、女性たちは、特に「食品の安全」「環境問題」に興味を寄せている。
「自分の」子どもを育てるために、まず環境を整える準備をしているように思える。