サブリーダー論。 その1 2011年5月21日


サブリーダー論。



「リーダー論」なるものは、たくさんの本が出されている。

私は、ここで、「サブリーダー論」を語ってみたいと思う。



「サブリーダー論」を考え始めたきっかけは、

「女性の生き方について」

「女性と男性の協力体制の在り方について」を真剣に考えたときである。



とても身近なところでは、うちの父と母の、チームワークから学んだと言える。



「男性がリーダーで、女性がサブリーダー」という決定方法には、

さまざまな論議があるだろう。

とりあえず、我が家の両親は、父親がリーダー、母親がサブリーダー、

家族はひとつのチームだった。



たとえば、朝起きたら、どしゃぶりの雨。

絵の具セットとピアニカを携えた小学生の娘は、

レインコートをきて歩いて学校へ行くべきか、

それとも父親が車で送っていくのか。



母親は、娘の足が濡れるのを心配して、「お父さんに車で送ってあげてほしい」と思う。

しかし、朝の出勤タイムである。嵐のような忙しさだ。

父親(リーダー)と母親(サブリーダー)が、

リベラルで公平な意見討論を重ねて最良の結果を出す、などという時間は、ないのである。



それで、父親(リーダー)は、娘に、「濡れてもがんばって学校へ行きなさい。

弟とは絵の具セットを持ってあげなさい」と、指示をくだす。



一瞬の決定である。

そして、みながそれに従う。



天災や突発事故に際して、政府が、国民の意見を幅広く聴くことなく、

瞬間的に対応を行った。

それはリーダーの仕事である。

サブリーダーは、黙ってしたがう。

それで「家庭」がうまく運営される。



政府のリーダーシップに対して、

「リーダーの足りないところは国民が補って」という意見も聴く。

しかし、私の母親は、サブリーダーとして、なによりも、

リーダーのプライドを大切にした。

そして、信頼をした。

「足りない部分を補う」という考え方は、サブリーダーがリーダーを見下した考えである。

これでは、リーダーの力が発揮できない。



リーダーの力を存分に発揮させ、チームを円滑におさめる。

これがサブリーダーの実力となる。



女性の生き方、というと、さまざまな女性論が湧きおこってしまいそうだ。

私は、私の母という、ひとりの女性の生き方を通して、

「サブリーダーという重要な仕事」を、していきたい。

もちろん、国民としても。