登校拒否問題について。
増え続けているという登校拒否問題について、考えたい。
友人との語らいをしていて、
私自身は「登校拒否はね、学校に行きたくないなら、行かなくていいじゃない」
と言う、友人は驚いてしまう。
私自身、学校が苦手だった。
卒業してから友達に聞くと、「学校大好きだった」派もいれば、
「学校嫌い」派だった人もいる。
私は、学校に行きたくないなら、行かなくていいと思う。
義務教育で学ぶレベルの学習を、自宅なり、ほかの教育機関なりで、
身につけることができれば、
それでいいと思う。
実際に、子ども時代にとても内気で、パソコンにばかり向かっていた子が、
大人になって、ITの技術者として優秀な仕事を成し遂げたりもする。
子どもの性格もある。
社会の仕事の仕組みも変わってきている。
なにも無理して学校に行かなくても、大人になったときに立派で幸せであればいいと思う。
…以上が、わが子が登校拒否で悩むという母親に向かって、
さしのべたい言葉である。
わが子の登校拒否は、母親として、「育児能力の成績評価」のようにつらい。
母親業の否定と落第である。
登校拒否問題の解決のキーワードとして、
母親のこういった心理と敗北感(そして、勝利に向かう執念)を、
みなで考えに入れたいと思う。
生徒がなぜ、学校に行きたくないのか、
学校生活のどこに「行きたくない」と思わせる原因があるのか、
これを、生徒自身に語らせることは、むずかしいと思われる。
いまだ幼くて、自分で自分が何を感じているかもよくわからない、
ましてそれを上手に言葉で説明することもできない年齢だろう。
私自身が学校嫌い派だったので、大人になった今、
学校生活の何がいやだったか、言葉にすることができる。
ひとつは、身体が丈夫ではなかったので、体育の時間が苦手だった。
息が苦しくなったり、友達に押されてけがをしたりした。
体育のある日は、学校に行きたくない、と朝思った。
給食も苦手だった。
もともと少食だったのだが、
「食べ物を残してはいけません」という担任の指導のもと、
全部食べ終わるまで、昼休みもなかった。
成績は良かったが、内気な性格で、
学級長にされたときには、もう本当に、学校が嫌いで嫌いでしかたなかった。
掃除当番のとき、さぼる人はいつもさぼる。
真面目なメンバーだけがいつも掃除をしていた。
教師は掃除の時間に教室に現れることがなかった。
不公平な思いを抱いていた。
大人になってから、「掃除当番なんて、やったことなかったぜ!」
と公言する男性友人に出会い、
ひとしきり、小学校の時代の話をして、心が癒えた。
登校拒否問題を解決する、つまり、生徒たち全員に、学校に来てもらうには、
目的観が必要だと思う。
学校に行きたくない朝には、必ずこう思った。
「どうして学校になんか行かなければならないのだろう?」
勉強だけなら、自宅でも、塾でもできる。
義務教育の学校でしか学べないものは、集団生活、社会生活ではないかと思う。
それを、学校に通う目的と定めたい。
そして、学校では、集団生活を上手に行う方法を、教えるのである。
社会生活の在り方を、教えるのである。
具体的には、マナー、コミュニケーション、挨拶、冠婚葬祭などの文化的儀式、
選挙(クラス委員の選挙など)、税制(給食費の集金など)、
団結して行う作業(運動会、リレー、学校祭)
こういったところへ、どう参加していくか、どうすれば、社会生活を円滑に行えるか、
ひとつひとつ教えていくことだろう。
そのために、学校がある。
学校教育カリキュラムにぜひ加えたい。
☆追記☆
登校拒否の子どものなかには、身体的、精神的な不調を持った子どももいる、
という可能性を考えて対応をしたい。
登校再開するときに、学習レベルが遅れないように、
(授業についていける程度まで学習レベルが回復しているように)
心がけたい。