2018幎12月31日月曜日

Sweet memories



少子化に぀いお・その・婚掻に぀いお。 2011幎5月31日


少子化に぀いお・その・婚掻に぀いお。



子どもを産む前に、たず結婚である。婚掻に぀いお考えたい。



女性の人生は、少女から倧人になり、

仕事をし瀟䌚人ずなり、

次に結婚があり、劊嚠があり、出産がある。



真面目に人生を考えおいる女性なら、

「たず結婚。

次に劊嚠。

そしお出産、育児」

ずいう順番をはずすこずはない。



なので、人生を次に進めようずするず、

「たず結婚」ずなる。



そしお、ブヌムの「人生ゲヌム」を䞀駒進めようずするように、

「結婚」にがんばりを入れる。



結婚だけは、「がんばり」でも「努力」でもないこずを、

進蚀したい。



努力の結果、できるだけの高みを目指しおきたのが、

ここたでの道だった。



できるだけいい男性ず、いい結婚をしたい。

それで、あたりにも短絡的であるが、

男性のプロフィヌルを、曞きださせお、

䞊ばせお、順番を぀けおしたった。



「それならば、女性もスリヌサむズを公開しお、

順䜍付けしおもらったらどうか」



収入や職業は、男性の男性たる䟡倀を決定づける、

重芁な芖点である。

しかし、それをランク付けしお、「異性」を遞ぶのは、

女性が顔を芋せおスリヌサむズを明蚘しお、

浜蟺に䞊ぶのず同じこずである。

これが人暩䟵害であるこずに気が぀かなければならない。



男性の䟡倀は、「今珟圚の」状況ではない。

人間の䟡倀は、「今珟圚の」状況ではない。



結婚は、ふたりで歩み、互いに助け合っお支え合っお、

向䞊するものである。

劻の働きず支揎で、倫は良くもなるし逆にもなる。

男性のがわも、女性に察しお、

「䞀生の支揎」を望んでいるこずを忘れおはならない。



たた、女性がそうであるように、

男性も、結婚や、生涯の䌎䟶に察しお、

愛も、倢も、ロマンも、運呜も、燃える情熱も、

望んでいるこずを忘れおはいけない。



䞀生の芚悟を決める「プロポヌズ」は、

男性にずっお、重芁な人生䞊の儀匏である。

この暩利を、女性の偎が奪っおはいないだろうか。



「この人ず付き合いたい」ず告癜する、ラブレタヌ、亀際の申し蟌み。

このずきに振り絞る勇気こそが、「恋情」ずいうものである。

女性たちは、男性からこの「恋情」に぀ながる勇気を奪っおはいないか。



告癜のずき、プロポヌズのずきの、勇気ず決断ず芚悟こそが、

男の「恋情」ずいうものである。

恋情のない結婚は、゚ンゞンのない車のようなものである。



特蚘すべきは、

男性にずっお、女性からの「告癜」「プロポヌズ」は、

すなわち「私ず倜明けのコヌヒヌを飲みたしょう」ず蚀われたのずむコヌルである。

そんな、迷惑メヌルの文面のようなこずを、しおはいけない。

だから、生涯の劻ずはみなされないのだ。

はしたない女なのである。



最高の結婚に、アクセルを螏み蟌むためにも、

くれぐれも婚掻だけは、やめようず、男性の心からの叫びである。


少子化問題に぀いお・その・䞍劊治療に぀いお。  2011幎5月30日


少子化問題に぀いお・その・䞍劊治療に぀いお。



少子化問題の重芁な䞀郚ずしお、䞍劊治療がある。これを考える。



少子化が叫ばれ、政府も母芪支揎、子どもに察する支揎を始めおいる。

しかし䟝然ずしお、子宝を望んでいるのに、授からない倫婊がいる。



これに぀いお、率盎な考えをのべたい。



ひず぀は、䞖論である。

女性雑誌が特集を組むほど、

䞍劊に察する関心が高い。



そしお、最新の医療技術が泚目され、

その技術を斜しおくれる病院が玹介される。

遠く足を運んで、その病院に通う倫婊もいる。



私は、子宝を授かる方法を、ある女性からアドバむスされおいるので、

ここでそれを曞きずどめたいず思う。

なぜなら、それは、「病院ぞ行っお、䞍劊治療をしおはいけない」

「病院で斜される䞍劊治療は逆効果である」ずいう重芁なこずがらを、

蚀っおいるからである。



䞍劊専門倖来で行うこずのすべおは、

倫婊の間でだけ知りえおいる情報である。

劻の䜓調や呚期は、倫だけが知っおいる、倫婊間の倧切な秘密である。

これを、医垫だずはいえ、ほかの人に知らせるのはいけない。

倫の、「セクシャリティ」「自尊心」を傷぀ける。

男性は、自尊心を傷぀けられるず、男性ずしおの行為を起こせなくなる。



劻が、䞍劊治療専門倖来に通っおいるこずを、

誰かに知られるず、

倫は、自分の男性ずしおの胜力が吊定された、あるいは萜第点を぀けられた、

ず痛感する。

劻はこれをしおはいけない。



劻が、子どもをほしがる。

これは結婚しお倫婊になっおいる間柄であれば普通のこずのように思うだろう。

しかし、劻はこれを決しお口に出しおはいけない。

子どもを䜜るためのいわば「皮銬」ず芋なされた倫は、

人間ずしおの自尊心を傷぀けられる。



ずきに、劻ず、劻の母芪ず、あるいは倫の母芪たで口を出しお、

「子どもがほしい」

「孫がほしい」

「はやく生産するように」ず蚀う。



あるいは、子宝が授かるために良いず蚀われる健康食品を、

劻や、倫の母芪が賌入しおきたりする。



これらのすべおが、男性の自尊心を傷぀ける。

男性にずっおは、自尊心がすべおである。

こういったこずをするず、

倫婊間に子宝が授からないばかりか、

最終的には倫婊仲を砎壊しお、

倫の仕事の成瞟の䜎䞋にたで圱響する。



䞍劊治療倖来でするこずは、

倫の胜力のテストもある。

「この日」ず指定されるこずもある。

倫婊の日皋のすべおをカルテに曞きこたれる。



これらのこずは、䞀皮の人暩䟵害である。



女性は、「赀ちゃんがほしい」ずいう匷い気持ちを持っおいる。

それを行動に移すこずにためらいがない。

たた、問題がかわいい「赀ちゃん」なので、

なにをどんなふうにほしがっおも、蚱されるかのように思っおいる。



男性に察しお、「思いやり」「人暩保護」「自尊心の保護」をしようではないか。



䞖論もいけない。

メディアも、䞍劊治療に協力するのがよい倫であるかのように曞いおいる。

協力するのが圓たり前のように、論調を匷めおいる。

そしお、協力しない倫を責め立おたり、

あるいは、劻はそれらの䞖論を読んで、

「なぜうちの倫は協力しおくれないのだろう」ず悩んだりする。



男性陣は、専門倖来における䞍劊治療の「䞍効果」のほどを、

党員が知っおいる。

あずは、それを、女性が知るだけである。


少子化問題に぀いお。その 2011幎5月30日


少子化問題に぀いお。



少子高霢化瀟䌚が進んでいる。特に子どもが少ない。

これに぀いお考えおみたい。





少子化問題に぀いお語る人たちが、

「子どもが少ない」ずいう点に぀いお、頭を悩たせおいる理由は、

「跡継ぎがいない」ずいう問題である。



あるいは、「囜力が枛退する」ずいう理由である。



あるいは、皎金や幎金の財源ずなる若者働ける幎霢の人たちが、

将来的に枛っおしたう、ずいう理由である。



少子化問題察策ずしお、

特にあたりにもストレヌトな䟋は、

町村でお芋合いパヌティを開いたり、

郜垂郚からの若者若者だけを村に招いたりする䜜戊である。



もっずストレヌトに蚀えば、

若い女性に、たず結婚をしおください、

そしお、産んでください

ずいうお願いコヌルのような気がする。



私自身は、女性ずしお、「子どもを産む」ずいうこずを考えるずき、

さかんに少子化に危惧を唱える人たちに察しお、

冷やかな笑みを送りたくなっおしたう。



「子ども」はなんのためにいるのだろう。

囜のための子どもなんだろうか。

のれんを継ぐための子どもなんだろうか。

有名倧孊を存続させるための子ども。

情のこもった村を存続させるための子ども。



戊時䞭の「産めよ。増やせよ」を思い出す。

「囜のための子ども」なんか絶察に産たない。



ひずりの女性ずしお、

この䞖にたったひずりの愛する男性ずめぐりあい、

家庭を築き、

愛情で包んだ子どもを産み、育おたい。

幞せな子どもを育おたい。



ひずりの女性ずしお、

「囜家の存続のために、子どもを産もう」ず思う女性は、

どこにもいないず思う。



人口が枛ったずしおも、

子どもたちやその囜に暮らす人たちが、

幞せで健康であれば、それでいい。



少子化になった原因はいろいろあるず思うけれど、

たず、この「問題芖」の理由、

「なんのための子どもなのか」ずいう点を明確にしたい。



女性が、母芪ずしお、自分が産んだ子どもが、幞せに暮らせる、ず察した時に、

自然に子どもたちが授かっおくるように思う。



珟代の䞖の䞭は、女性ひずりが生きおいくにも、蟛すぎる。厳しすぎる。

たず、女性ひずりひずりが、「この䞖に生たれおきおよかった」ず感じるこず、

安心しお暮らせるこず、それが倧事だず思える。



おりしも今、女性たちは、特に「食品の安党」「環境問題」に興味を寄せおいる。

「自分の」子どもを育おるために、たず環境を敎える準備をしおいるように思える。






子宝さずかりコりノトリ♪  2011幎5月30日


子宝さずかりコりノトリ♪



昔、女たちは、

子宝を求めお、

倜ごず、地蔵尊に通った。



神さたに願いをかけお、

お掃陀をした。



昔、女たちは、

赀ちゃんがほしくお、

埡祈祷をお願いした。



赀い蝋燭を灯しお、

そこに赀いリボンを結んだ。



昔、男たちは、

金銀を求めお、

冒険の船に飛び乗った。



神さたに願いをかけお、

倜空を芋䞊げた。



冒険ず闘争の䞭に、

安らぎの女神を芋出した。



女たちよ、

赀子がほしいなら、

それを絶察に口にしおはならない。



なぜなら、男たちは、

「皮銬」扱いされたずたんに、

愛もロマンも倱くしおしたうから。



子どもなんかほしくない、

ただただ母芪にはなりたくない、

少女のたたでいなさいな。



なぜなら、男たちは、

少女を母芪にするために、

挑戊ず冒険をしたいのだから。



女たちよ、

男に恋愛を授けたたえ。

情熱に身を焊がすような、

激しい恋心を抱かせたたえ。



なぜそんなに簡単に「萜ちお」したうのかね

なぜそんなに平気で、

恋を口にするのかね。



女たちよ、口を぀ぐみたたえ。

恋を知らない少女のように振る舞っおいなさい。



そうするず、あなたの前で、

悪い男になりたい圌らが、

あなたを口説き萜ずすために、

冒険の旅に出るから。



昔、女たちは、

子宝を授かるために、

倜ごず、地蔵尊に通った。



今、女たちは、

子宝を授かるために、

癜い建物に通っお、

すべおをあけすけに語る。

倫だけしか知らないはずの秘密を、

倧々的に語っお垰っおくる。



女たちよ。

男にロマンを䞎えたたえ。

ミステリアスでいおくれたたえ。



男に、プロポヌズの蚀葉を考えさせる、

いずたを䞎えおくれたたえ。

女たちはなぜそんなに急いで、

男から、奪い取るのだ、人生最高の、

決め台詞を。



女たちよ、どうか、

男たちに䞎えおくれたたえ、

プレれントを遞ぶ悩みを。

圌女を驚かせるために、

悩み苊しむ倜を䞎えたたえ。



ああ、女たちよ、

倜も昌もなく闘争する男たちを、

䞀瞬でも立ち止たらせないでほしい。



女たちよ、

子宝がほしいなら、

決しお口にしおはいけない。



恋人にそれを告げおはいけない。

己がどんなに玠晎らしい母芪になるか、

誇瀺しおも顕瀺しおもいけない。



埡祈祷はひずりだけの秘密にしおおきなさい。

癜い建物は、男の挑戊心を打ち砕く。




2018幎12月30日日曜日

LGBTに぀いお、思うこず。


LGBTに぀いお、思うこず。



明日は倧みそか。

2018幎も暮れようずしおいる。

楜しみなのは、NHKの玅癜歌合戊である。

誰もが知っおいるこずであるが、玅癜歌合戊は、男女の歌手が、それぞれ、玅組ず癜組に分かれお、歌の察戊をする。

玅組が女性、癜組が男性、ずいうわけである。



最近では、LGBTずいう課題が巷をにぎわせおいる。

玅組ず癜組のほかに、「桃組」を䜜る案もあるずいう。

本圓だろうか 



LGBTは、レズLesbian、ゲむGay、バむセクシャルBisexual、トランスゞェンダヌTransgenderの、それぞれの頭文字をずったもので、性的少数者を衚す蚀葉である。

䞖界的に、LGBTの人暩保障が、課題ずなっおきた。

時代がずおも速く倉化しおいるように感じる。



私の個人的な芋解ずいうか、感想をここに曞き蚘しおみようず思う。

私は、生物を専門に勉匷したので、やはり思うのは、「生物孊的にどうなのか」ずいうこずである。

生物孊的には、DNAの芳点から、やはり、ホモサピ゚ンスには、男性ず女性しか存圚しない。

男女の䞭間ずいうこずは、事実ずしおあり埗ない。



では、性同䞀性障害はどうか。

これは、医療関係者から聞いた話であるが、性同䞀性障害の治療では、瀟䌚運動を積極的に行うように指導するそうである。



瀟䌚の䞭で、瀟䌚芏範の䞭で、ずいうべきか、たくさんの人の集たる瀟䌚ず䞖論のなかで、性同䞀性障害の「自分たち」を認めおもらうために、瀟䌚運動をする。

その経過でぶ぀かる、瀟䌚秩序ずいう壁、奜奇の目、「嫌われる」ずいう䜓隓から、性同䞀性障害の病気が、「やはり普通の人ずはちがう」ず認識し、治療に向かっお、䜓ず心の同䞀化をはかっおいくのが、倧切な治療法だそうである。



珟状では、性同䞀性障害の人たちの声が高たっお、瀟䌚芏範ずいう枠のほうが、揺らいできおしたっおいる状況かもしれない。

でも、瀟䌚芏範や瀟䌚秩序は、心の病気を治すための、倧切な環境であり、頑䞈に立っおいるべきものなのである。



同性愛、ずいう心の状況は、小さな子どもが、倧人ぞず成長する過皋においお、倧切な䞀時期に䜓隓するものである。

心が成長するにしたがっお、自分ず同質のもの、぀たり同性ぞの思慕が、次第に、自分ずは異質な、異性ぞの理解ぞず、成長しおいく。



人間は、人皮であっおも、性別であっおも、病気や障害であっおも、「自分ずは異なるものを受け入れおいく」ずいう、成熟した心の状態が、求められおいる。

い぀か倧人になっお、異性を理解し、受け入れおいくこずが、ホモサピ゚ンスずしお、目指すべき目暙であるず思う。



次に、差別であるが、私は、人皮であっおも、性別であっおも、障害であっおも、いろいろな差別は、人間からは、なくならないし、なくしおはいけないず思っおいる。



「なくしおはいけない」ずいうず語匊があるかもしれないが、私は、人が人に察しお感じる「違和感」ずいう感性を、倧切にするべきだ、ず思っおいる。



たずえば、私は、腕時蚈を右手にはめる癖があったのだが、倧人になっおから、ある友人から、やめるように蚀われた。

仕事や亀枉の堎で、初めお䌚う人に察しお、「なんで巊手にしないで、右手にしおいるのだろう」ず譊戒心を抱かせ、誀解を招く怖れがあるからだずいう。

理由を聞いお私は、腕時蚈を、みんなず同じように、巊手にはめるようにした。

こうしたこずは、人間察人間のコミュニケヌションにおいお、必芁なこずだず思った。





たた、別の䟋では、たずえば、ずおも空いおいる電車の車内で、なぜか隣に近づいお座っおくる、コヌトの砎れた男性がいたずする。

この男性は、ただ、座る堎所を遞んだのかもしれないが、空いおいる車内で、近づいおくるのは、どこか倉である。

「なんか倉だな」「どこか倉だな」ずいう違和感が、痎挢やスリを防ぐず思う。





人間は、動物的で本胜的な「勘」を持っおいる。

肌の色がちがう、歩く速さがちがう、話す蚀葉がちがう、着おいる衣服の状態が「なんか倉」「違和感がある」

こうした、人間の持぀「違和感」は、その人を、危険から遠ざけおくれる。

危機を回避するために必芁な感性が、「違和感」である。



レズやゲむ、バむセクシャルずいった、「みんなずちがう人」に察しお、「なんか倉」「違和感がある」ずいうのは、人ずしお倧事な感性であり、LGBTに察しお違和感を持぀のは、人ずしおの暩利である、ずも蚀えるず、私は思う。



これから、立憲民䞻党やリベラルの人たち、むンタヌネット䞊で蚎論を亀わす人たちが、LGBTに察しお、たくさんの意芋を亀換しおいくだろう。



そうしお、倚様性を目指しながら、違和感ず瀟䌚秩序も倧切にしお、これからの新しい時代の䞖論を、䜜っおいきたいものだ、ず私は思う。



私の意芋の倧切なずころは、LGBTの人たちに、生きおいる暩利がないずたで蚀っおいるのではなく、それを「ちがう」ず思う暩利や論理もある、ずいうこずを、知っおほしいず思う、そういうこずである。




登校拒吊問題に぀いお。 2011幎5月29日


登校拒吊問題に぀いお。



増え続けおいるずいう登校拒吊問題に぀いお、考えたい。



友人ずの語らいをしおいお、

私自身は「登校拒吊はね、孊校に行きたくないなら、行かなくおいいじゃない」

ず蚀う、友人は驚いおしたう。



私自身、孊校が苊手だった。

卒業しおから友達に聞くず、「孊校倧奜きだった」掟もいれば、

「孊校嫌い」掟だった人もいる。



私は、孊校に行きたくないなら、行かなくおいいず思う。

矩務教育で孊ぶレベルの孊習を、自宅なり、ほかの教育機関なりで、

身に぀けるこずができれば、

それでいいず思う。



実際に、子ども時代にずおも内気で、パ゜コンにばかり向かっおいた子が、

倧人になっお、の技術者ずしお優秀な仕事を成し遂げたりもする。



子どもの性栌もある。

瀟䌚の仕事の仕組みも倉わっおきおいる。

なにも無理しお孊校に行かなくおも、倧人になったずきに立掟で幞せであればいいず思う。



 以䞊が、わが子が登校拒吊で悩むずいう母芪に向かっお、

さしのべたい蚀葉である。



わが子の登校拒吊は、母芪ずしお、「育児胜力の成瞟評䟡」のように぀らい。

母芪業の吊定ず萜第である。

登校拒吊問題の解決のキヌワヌドずしお、

母芪のこういった心理ず敗北感そしお、勝利に向かう執念を、

みなで考えに入れたいず思う。



生埒がなぜ、孊校に行きたくないのか、

孊校生掻のどこに「行きたくない」ず思わせる原因があるのか、

これを、生埒自身に語らせるこずは、むずかしいず思われる。

いただ幌くお、自分で自分が䜕を感じおいるかもよくわからない、

たしおそれを䞊手に蚀葉で説明するこずもできない幎霢だろう。



私自身が孊校嫌い掟だったので、倧人になった今、

孊校生掻の䜕がいやだったか、蚀葉にするこずができる。



ひず぀は、身䜓が䞈倫ではなかったので、䜓育の時間が苊手だった。

息が苊しくなったり、友達に抌されおけがをしたりした。

䜓育のある日は、孊校に行きたくない、ず朝思った。



絊食も苊手だった。

もずもず少食だったのだが、

「食べ物を残しおはいけたせん」ずいう担任の指導のもず、

党郚食べ終わるたで、昌䌑みもなかった。



成瞟は良かったが、内気な性栌で、

孊玚長にされたずきには、もう本圓に、孊校が嫌いで嫌いでしかたなかった。



掃陀圓番のずき、さがる人はい぀もさがる。

真面目なメンバヌだけがい぀も掃陀をしおいた。

教垫は掃陀の時間に教宀に珟れるこずがなかった。

䞍公平な思いを抱いおいた。



倧人になっおから、「掃陀圓番なんお、やったこずなかったぜ」

ず公蚀する男性友人に出䌚い、

ひずしきり、小孊校の時代の話をしお、心が癒えた。



登校拒吊問題を解決する、぀たり、生埒たち党員に、孊校に来おもらうには、

目的芳が必芁だず思う。

孊校に行きたくない朝には、必ずこう思った。

「どうしお孊校になんか行かなければならないのだろう」



勉匷だけなら、自宅でも、塟でもできる。

矩務教育の孊校でしか孊べないものは、集団生掻、瀟䌚生掻ではないかず思う。

それを、孊校に通う目的ず定めたい。

そしお、孊校では、集団生掻を䞊手に行う方法を、教えるのである。

瀟䌚生掻の圚り方を、教えるのである。



具䜓的には、マナヌ、コミュニケヌション、挚拶、冠婚葬祭などの文化的儀匏、

遞挙クラス委員の遞挙など、皎制絊食費の集金など、

団結しお行う䜜業運動䌚、リレヌ、孊校祭

こういったずころぞ、どう参加しおいくか、どうすれば、瀟䌚生掻を円滑に行えるか、

ひず぀ひず぀教えおいくこずだろう。



そのために、孊校がある。

孊校教育カリキュラムにぜひ加えたい。



☆远蚘☆



登校拒吊の子どものなかには、身䜓的、粟神的な䞍調を持った子どももいる、

ずいう可胜性を考えお察応をしたい。



登校再開するずきに、孊習レベルが遅れないように、

授業に぀いおいける皋床たで孊習レベルが回埩しおいるように

心がけたい。


サブリヌダヌ論・その。 2011幎5月23日


サブリヌダヌ論・その。



女性が男性にしおほしいこずは、たくさんある。

子育おを手䌝っおほしいずきもあるし、

保険に入るずきに盞談に乗っおほしいずきもある。

䞀般的に人は、自分が悩んでいるこずに関しお盞談にのっおほしいし、

手䌝っおほしいずも思う。



倫婊の間に子どもが生たれたずきに、

女性は母芪ずなり、子どもに食事や生掻の補助を䞎えたりする。

そのずき、母芪は、「子育お」に関わっおいるから、

「子育お」の悩みがある。

「子育お」が忙しい。

だから、男性に、「子育お」に関しお、

盞談にのっおほしい、手䌝っおほしいず思う。



䞀方で、男性倫は、

子どもを育おるために、資金が必芁だず考える。

劻ず子どもを逊い育おるために、

倖ぞ出お働いお、資金を埗おくる。

埗た資金で、劻の食事はもちろん、子どもの食事、

子どもの衣服、䜏居、教育、生掻党般をたかなっおいく。



子どもひずりを育おるのに、

「家にいお盎接子どもを抱きかかえる」圹目ず、

「倖に出お、育児資金を埗おくる」圹目がきちんず存圚する。



私の母は、「お父さんに感謝しなさい」ず蚀った。

「お父さんのおかげで、きょうの埡飯も食べられる。

孊校にも行ける」



本圓に驚いおしたうこずだけれど、

「お父さんが倖に出お皌いでくる」ずいう認識を持っおいる母芪が、

ものすごく少ない。

そしお、「育児の盞談にのっおくれない」

「育児を手䌝っおくれない」ず文句を蚀っおいる。



私の家では、父芪がリヌダヌで、母芪がサブリヌダヌである。

リヌダヌはリヌダヌの仕事を果たし、

サブリヌダヌはサブリヌダヌの仕事を果たす。

圹割分担ずいうのが、確かに存圚しおいるのだ。

ふたりが、それぞれに責任を持っお仕事をやりずげるから、

「家庭」ずいうチヌムが成功する。



「圹割分担」ずいう、倧きな䟡倀を、思う。


サブリヌダヌ論・その「優しさ」 2011幎5月22日


サブリヌダヌ論・その「優しさ」



男性に向かっお「優しい人ね」ずいうのは、

決しおほめ蚀葉ではない。



けれども、女性は、「優しいね」を連発しおしたう。

女性にしおみるず、「優しい男性」は「男らしい男性」で、

最高の賛蟞なのだ。



男性にしおみるず、頭がいいずか、背が高い、仕事ができる、

䜓力がある、力匷い、ずいうこずが、ほめ蚀葉になる。

「優しさ」は「ひ匱さ」に通じるずころがあるらしい。



少女たちも、理想の男性像のなかに、

「優しさ」を思い描く。

あるいは、母芪たちも、自分の息子が、

「思いやりのある心の優しい男の子に育っおほしい」

ず願う。



女性たちの求める「優しさ」ずは、「思いやり」ず「配慮」だず思う。

熱があるずきに「䌑んだほうがいいよ」ず蚀っおくれるこず。

仕事をしたあずに、飲み物を持っおきおくれるこず。



 実はこれらは、女性が女性同士でしおいるこずなのである。

女性は、男性に察しお「優しさ」を求めるずきに、

「女性的な配慮」を求めおいるのである。



男性には男性の特質があり、

雚の䞭、ずぶ濡れになっお、サッカヌボヌルを远いかけお走る。

ゎヌルに向かっお、争いあい、ぶ぀かり合いながら、

ひず぀の目暙を远い求めお身䜓ごず突進する。



男性が「ほめおほしい」ず思うのは、

女性的な「優しさ」ではなく、

サッカヌボヌルを远い求める「匷さ」「たくたしさ」なのではないか。



女性が、男性に、「女性的な配慮」を求めお埗られずに、地団駄を螏むのは、

もしかするず、ないものねだりかもしれない。



ただ女性は、自分自身が、思いやりず配慮のある態床で、

サブリヌダヌずしおの圹割をたっずうすればいいだけなのかもしれない。

サブリヌダヌ論。 その 2011幎5月21日


サブリヌダヌ論。



「リヌダヌ論」なるものは、たくさんの本が出されおいる。

私は、ここで、「サブリヌダヌ論」を語っおみたいず思う。



「サブリヌダヌ論」を考え始めたきっかけは、

「女性の生き方に぀いお」

「女性ず男性の協力䜓制の圚り方に぀いお」を真剣に考えたずきである。



ずおも身近なずころでは、うちの父ず母の、チヌムワヌクから孊んだず蚀える。



「男性がリヌダヌで、女性がサブリヌダヌ」ずいう決定方法には、

さたざたな論議があるだろう。

ずりあえず、我が家の䞡芪は、父芪がリヌダヌ、母芪がサブリヌダヌ、

家族はひず぀のチヌムだった。



たずえば、朝起きたら、どしゃぶりの雚。

絵の具セットずピアニカを携えた小孊生の嚘は、

レむンコヌトをきお歩いお孊校ぞ行くべきか、

それずも父芪が車で送っおいくのか。



母芪は、嚘の足が濡れるのを心配しお、「お父さんに車で送っおあげおほしい」ず思う。

しかし、朝の出勀タむムである。嵐のような忙しさだ。

父芪リヌダヌず母芪サブリヌダヌが、

リベラルで公平な意芋蚎論を重ねお最良の結果を出す、などずいう時間は、ないのである。



それで、父芪リヌダヌは、嚘に、「濡れおもがんばっお孊校ぞ行きなさい。

匟ずは絵の具セットを持っおあげなさい」ず、指瀺をくだす。



䞀瞬の決定である。

そしお、みながそれに埓う。



倩灜や突発事故に際しお、政府が、囜民の意芋を幅広く聎くこずなく、

瞬間的に察応を行った。

それはリヌダヌの仕事である。

サブリヌダヌは、黙っおしたがう。

それで「家庭」がうたく運営される。



政府のリヌダヌシップに察しお、

「リヌダヌの足りないずころは囜民が補っお」ずいう意芋も聎く。

しかし、私の母芪は、サブリヌダヌずしお、なによりも、

リヌダヌのプラむドを倧切にした。

そしお、信頌をした。

「足りない郚分を補う」ずいう考え方は、サブリヌダヌがリヌダヌを芋䞋した考えである。

これでは、リヌダヌの力が発揮できない。



リヌダヌの力を存分に発揮させ、チヌムを円滑におさめる。

これがサブリヌダヌの実力ずなる。



女性の生き方、ずいうず、さたざたな女性論が湧きおこっおしたいそうだ。

私は、私の母ずいう、ひずりの女性の生き方を通しお、

「サブリヌダヌずいう重芁な仕事」を、しおいきたい。

もちろん、囜民ずしおも。


リヌダヌ論・その・人材の育成 2011幎6月7日


リヌダヌ論・その・人材の育成



リヌダヌの倧事な仕事のひず぀が人材育成である。これを考えたい。



リヌダヌが郚䞋に仕事を教え、

自身の分身ずなっお、ずきにはずっさの刀断もできるくらいに、

力を぀けさせ、集団の仕組みを教え、暩限も䞎える。

そのずきに、「せっかく育成した人材である郚䞋が、

集団を出お独立しおしたう」ずいう重芁な問題がある。



リヌダヌは䜕よりもたず、次のリヌダヌにもなれる人材を、

実践で育おなければならないが、

その人材が、「わたしのもず」を離れおいっおしたう。

優秀であればあるほど、そうなる。



それくらいの独立心や刀断力を持った人間でないず、

本圓に才胜がある人材ずも蚀えないだろう。

リヌダヌの悩みは深刻である。



リヌダヌは、集団をひず぀の孊校ず捉えお、

積極的に、誠意をこめお、人材を育おるべきだ。

孊校であるからには、卒業もある。



リヌダヌの教育方針ずしお、

「立掟な人材に育ったら、卒業しおもいい」

「わが集団を最高の人材を茩出する集団ずしたい」

ずいう意欲をもっお、人材を育おるずよい。



独立した郚䞋たちは、いわば「芪類」ずなっお、

集団をもうひずたわり倧きなコミュニティにしおくれるだろう。

たた、「将来独立できるだけの力を぀けおあげる」ずいう気持ちで育成をしたずきに、

人々は「ここたでしおくれるリヌダヌのずころに残りたい」ずも思うものである。



人間は、独立心こそが才胜の出所であるこずを、忘れおはいけない。