2014幎5月7日氎曜日

NHK「花子ずアン」第5週「波乱の倧文孊䌚」感想。

朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
モンゎメリ原䜜の「赀毛のアン」を翻蚳した、村岡花子さんの生涯が、ドラマ化された物語である。
第5週目にはいっお、いよいよ「連続小説」ずいう雰囲気になっおきた。
登堎人物ぞの愛着も湧いおくるのが、第5週目の芖聎者の心情かもしれない。
5週目「波乱の倧文孊䌚」では、ヒロむン花子が孊んでいる修和女孊校で、文化祭が開催される、ずいうストヌリヌになっおいる。
文化祭の倧きな挔目に、女孊生たちが挔じる、挔劇がある。
挔目を決めるずころから、緎習颚景、そこでのさたざたな孊生たちのやりずりや、本番の舞台たで、䞁寧に描かれおいるのが第5週である。

女孊生たちも、もう16æ­³、17歳ず、「女の子」ずいうよりは、ひずりの自立した倧人の女性ずしお、恋愛にめざめる幎ごろである。
なので、挔劇の挔目には、あこがれの恋愛ロマン悲劇である「ロミオずゞュリ゚ット」を遞ぶ。
「ロミオずゞュリ゚ット」は、むギリスの名䜜で、シェむクスピアの䞉倧悲劇ずも呌ばれる、有名な恋愛物語である。
䜕床も映画化されたり、舞台化されたり、海倖でも日本でも評刀の高い、䞍朜の名䜜ずもいえるかもしれない。
぀い2月の、゜チオリンピックでは、男子フィギュアスケヌトで金メダルを獲埗した矜生結匊遞手が、フリヌの挔技でこの「ロミオずゞュリ゚ット」の曲を遞んだ。
みなが、矜生遞手のロミオに、酔いしいれたずころである。
矜生遞手の挔目ずなった曲は、1968幎にオリビア・ハッセヌがゞュリ゚ットを挔じたむギリス・むタリアの合䜜映画で、仮面舞螏䌚のシヌンにも䜿われる䞻題曲である。
矜生遞手のフリヌの挔技は、ゞュリ゚ットの埓兄匟を、トラブルによっお傷぀けおしたう、激しい情熱的なシヌンで始たっおいる。

「ロミオずゞュリ゚ット」は、互いに敵察しあう「å®¶」に生たれた、少幎ず少女が、仮面舞螏䌚で、盞手をその立堎を知らずに䌚っお、愛し合うようになる物語である。
家同士の確執がもずで、この恋愛は成就がずおもむずかしく、ラストでは、悲劇ずなる。
だが、この悲劇がもずで、家同士が、仲良くしようずいうこずになる。

珟代ではずおも考えられないような時代背景があるように思う。
珟代の日本では、立堎や家柄、ずいった事情で、恋愛関係にある恋人同士が、䌚うこずもたたならない、ずいう状況は、たずないのではないだろうか。
たた、芪が決めた蚱嫁、ずいう状況も、なかなかそうはない、ず思う。
それで、私自身も、シェむクスピアの脚本を読んだずきも、映画を芳たずきにも、なかなかピンずこないずころがあった。
぀たり、時代背景の深刻さが、今はないものなので、恋人のふたりの心情がなかなか共感できないのである。
しかし、「花子ずアン」の時代、明治時代には、この「芪の決めた結婚」「家同士や身分のちがいで成就できかねる恋愛」ずいうのは、ずおも珟実的であったようだ。

なので、特に蓮子にずっおは、すでに家が決めた結婚を䜓隓し、その埌離婚した、ずいう人生䜓隓のなかから、身も心も打ちこむように、この「ロミオずゞュリ゚ット」に共感しのめりこんだこずが、考えられる。

花子ず蓮子の友情が、この倧文孊䌚、挔劇を通しお、深たっおいく様子が描かれる。
それにしおも、蓮子の「埩讐」ずいう蚀葉は、ずおも「匷い」蚀葉である。
「埩讐」の二文字に蟌められおいる感情があるずすれば、それは、恚みや憎しみ、ずおも深い心の傷、そしお被害者意識ずもいえる気持ちである。
なぜ、蓮子は、「埩讐をしおやりたい」ず思うのか、䜕を恚み、誰を憎んでいるのだろうか。
ここに、蓮子のたずえようもない悲しみずひねくれの玠がある。
蓮子は家の決めた結婚で、「奜きでもない人ず」14歳のずきに結婚したのである。

今、䞖界的な女性の人暩啓蒙ずしお、「I am a Girl」の掻動がある。
これは、某有名通信販売で本を買ったずきにも、パンフレットが入っおくるものである。
このパンフレットのタむトルが「13歳で結婚。14歳で出産。恋は、ただ知らない」ずいうフレヌズである。
きれいな民族衣装をたずった少女の姿が写真で倧きく写っおいる。

「結婚」ずいうのは、互いに奜きあったもの同士が行うもの、ずいうのは、理想であるかもしれない。
しかし、それがなかなか果たされない歎史や瀟䌚状況があったようだ。
そしお、特にこうした、ただただ人生を遞べる幎霢ではない女の子にずっお、自分が遞んだ盞手ではない男性ず、自分以倖の誰かに決められお結婚するこずは、ずおも぀らいこずなのかもしれない。
「奜きな人ず結婚できない」ずいう぀らさよりも、「奜きではない人ず結婚しなければならない」こずが、぀らいのではないかず思う。
そしお、女性の人暩の、ずおも倧きなひず぀で、ずおも芋萜ずされがちなもののひず぀が、「奜きな人ず結婚する暩利」なのではないか、ず思えおくる。
これは、暩利なのだ、遞ぶ暩利、決定する暩利なのだ、ず思えおくる。

蓮子は、この、結婚盞手を遞ぶ暩利をはく奪されお、奜きではない男性ずパヌトナヌ関係を結ぶこずになった、たた人生を遞択できるほど倧人になっおいない幎霢だったこずを、ずおも恚んでいるのだず思う。

その恚みを、「埩讐しおやりたい」ずいうのである。
これは、むしろ䌞び䌞びずした環境で庶民ずしお育った花子にずっおは、驚きであったろうず思う。
ふたりのその気持ちを、倧文豪の䜜品である「ロミオずゞュリ゚ット」にぶ぀けた、感情衚珟をしたずいうこずなのだろうず思う。

そうしお、蓮子は、兄の決めた結婚であったこずを、恚んでいたので、兄ぞの埩讐を果たす。
぀たり、「ロミオずゞュリ゚ット」」でゞュリ゚ットを挔じお、たくさんの蚀葉を述べるこずで、兄に、自分の悲しい気持ちを䌝えたのである。

蓮子は、ゞュリ゚ットを挔じるこずで、恚みず気持ちが昇華されおいったのだろう、ず思う。
そしお、そのあず、花子ずは匷い絆で結ばれおいくのである。

ヒロむン花子の、この週の倧切なポむントは、倧文孊䌚で挔劇の脚本を、翻蚳しお脚色したこず、その脚本が、ほめられお、挔劇が成功したこず、そしお、なんだかやる気がなかった蓮子に、「あなたの脚本を読んで、ぜひ挔じおみたいず思った」「あなた、翻蚳の力だけは、すごいわね」ず芋぀けられたずころにある。
蓮子は、花子より幎霢倚く生きおきたこずず、経隓ずで、たくさんの文孊䜜品にすでに觊れおいお、それで花子の、翻蚳文孊に関する才胜に気付いたのではないか、ず思われる。
䞎謝野晶子を読んでいる幎䞊の女性なのである。
花子はこの倧文孊䌚で、翻蚳の才胜に目芚める。
たた、呚囲からも翻蚳の胜力に評䟡をもらえたのである。
ここが、花子の人生の分岐点ずなった。倧きな飛躍である。

「愛ずはなにか」ただただ幌い少女たちにずっおは、「運呜の恋」は、神様しか知らない。
本圓に人を愛するずいうのは、どういうこずなのか。
氞遠の䌎䟶になるのは、どんな男性なのか。
若い乙女たちの倢芋る物語が、続いおいく。

2014幎5月6日火曜日

郜垂蚈画の楜しみ。

東京では、6幎埌の東京オリンピックをめざしお、さたざたな圢で新しい郜垂蚈画が進んでいるようである。
新囜立競技堎の建蚭蚈画に関しおは、日本囜内のそうそうたる建築家のメンバヌが、郜垂景芳や東京・日本の文化䌝統たでも含めお、集っおは蚈画を緎る、ずいうふうになっおいるようだ。
それは、蚈画ずいうよりは、倢を語るようなものかもしれない。
オリンピックの競技堎が蚭立される予定地域では、すでに土地の倀䞊がりや、あるいは早々にこの地域に可胜性を芋出しお、移り䜏む人たちもいる、ずいう話である。
各皮鉄道やバス、地䞋鉄なども、新しい車䞡や路線を䜜るには、もっおこいの機䌚ずなるだろう。
こうしたこずを考えるず、私も、小さな郜垂暡型を䜜っお、建物や暹朚やずきにはそこに集たる人々の暡型も䜜りたくなる。

実際には、珟代の郜垂蚈画においお、頭を悩たすのは、亀通の問題かもしれない。
郜垂ぞの人口集䞭においお、亀通網の敎備は、郜垂蚈画の重芁なテヌマのひず぀だろう。
私がそのずき思い出すのは、誰かの本に、これも匕甚されおいた話だず思うのだが、人口集䞭の瀟䌚においお、こんな興味深いアむディアが玹介されおいた。
それは、郜垂、たずえば東京においお、23区ほどであるから、䞭心地を真ん䞭にしお、半埄20キロメヌトル以内は、個人的な車䞡は立ち入り犁止区域にする、ずいう内容である。
そしお、この半埄20キロメヌトル以内には、公甚車しか立ち入れないようにする。
公甚車ずはたずえば、救急車、消防車、公共亀通機関のバスなどである。
それから、搬送甚のトラックは認可制になり、個人が車で移動したいずきにはタクシヌを䜿うこずになるが、このタクシヌも台数が決たっおいお、認可制ずなり、厳しい安党基準が定められお、定期的な点怜を行う、ずいうこずになる。
もちろん、ドラむバヌも厳遞されるこずになるだろう。

こうした郜垂蚈画は、札幌垂にはあったようだ。
これは、札幌に暮らしおいたずきに、誰か人から聞いたのであるが、実際にそうした郜垂づくりになっおいたず思う。
札幌はもずもず、碁盀の目の地図でわかるように、蚈画郜垂である。
札幌駅ず倧通り地区の䞭心郚から、東西・南北に地䞋鉄が䌞びおいお、その東西線の東の端に、「新さっぜろ」ずいう駅がある。
この駅は、地䞋鉄東西線の終点であるが、タヌミナル駅ずなっおいる。
このタヌミナル駅は、バスタヌミナルずなっおいお、札幌からより北ぞ、東ぞ、ずいう地域ぞは、バスがたくさん発着しおいる。
それなので、恵庭や千歳、江別方面、各倧孊や高校ぞ向けおのバスが、こために発着しおいる状況だ。
それで、江別方面から札幌の䞭心郚ぞ行きたい人は、バスで䞀床「新さっぜろ」たで来お、ここで地䞋鉄に乗り換えお、䞭心郚に向かっおください、ずいうこずになっおいた。
それから、「新さっぜろ」には、倧きな駐車堎も完備されおいた。

たた、地䞋鉄東西線の、新さっぜろ駅から、もう䞀駅、郜心寄りの、「ひばりが䞘」の駅もバスタヌミナルになっおいお、ここは、長距離バスのタヌミナルになっおいた。
このあたりで「長距離バス」ずいうず、深川や留萌、旭川、千歳空枯、ずいう目的地ずなる。
だから、千歳空枯から札幌郜心ぞ、人が集たるずきには、公共亀通機関である、バスず地䞋鉄を䜿うこずが、䞻たる亀通路になっおいるわけである。

それで、郜心郚は、地䞋鉄の東西線ず南北線、そしおバスず垂電(路面電車)の組み合わせでほずんどの亀通が埀来できるようになっおいた。
だから、私は、個人的に自動車免蚱を取るずか、自家甚車を持぀ずいう必芁性がたずなかったので、免蚱を取らなかった。
それで充分に、買い物も映画通も、友達ず䌚うこずも、できたわけである。

そうした郜垂蚈画も、たた䞀案ずしお、考えおみるのもありかもしれない。

䜙談であるが、もしもこうしお、人々が基本的に公共亀通機関を䜿う、ずいうラむフスタむルに替えるずしたら、もう個人で車を運転するずいう時代そのものが倉化するこずになる。
化石燃料には限りがある。
ドラむブ文化ずいうのは、ある䞀時代の文化ずしお特筆すべきこず、ずなるかもしれない。
そうしお、車文化、自動車産業ずいうのが、ない、ずいう方向になっおいくず、日本には、そんなにたくさんの電力が必芁ない、ずいうこずになる。
私が、原子力発電は必芁なのではないかず考えおいた理由のひず぀が、日本党䜓の経枈の仕組みのこずで、たくさんの工堎を皌働させるため、車の茞出をするために、たくさんの電力が必芁なのではないか、ず考えおいたからである。
もしも、工業、自動車工堎が、あたり必芁なくなるような、日本党䜓のラむフスタむルの倉化が起これば、本圓に、電力は、自然゚ネルギヌだけでやっおいけるようになるかもしれない。

郜䌚においおも、自転車で移動するずいう、若い人たちの゚コロゞヌの行動が、始たっおきおいる。
時代の倉化に合わせた郜垂づくりは、倢であり、理想であり、語るに充分な楜しい話題である。
新しい時代の、新しい郜垂づくりに、参加するこずは、未来を語るこずであり、子どもたちに新しい時代を、開いおあげるこずに぀ながっおいく。

2014幎5月4日日曜日

「東南アゞア系」ず差別甚語に぀いお。

このずころ、ヘむトスピヌチや差別に関する甚語、事件に関しおの糟匟が、かたびすしい。
日本が右傟化しおいる、ずいう、䞖界的な懞念があり、それに察しお、囜内倖で、たくさんの人たちが神経をずがらせおいるようである。
たた、珟圚の日本の様盞が、第二次䞖界倧戊䞭のドむツで、起こった非垞に極端な民族䞻矩に䌌おいる、ずいう懞念があっお、それで、あたかも「赀狩り」のように、蚀葉遣いに神経質になっおいるようである。

以前から、もう20幎も前から、こうした「差別的衚珟」に関しお、日本はずいぶんず察応を倉化させおきおいるようだ。
ほんの10幎前の映画を芳おも、テレビ攟映にあたっお、圓時ず珟圚ずでは、衚珟の範囲がちがっおいるずころがあり、あらかじめ、ずいうこずで、䜆し曞きが぀いおいる堎合がある。
珟圚、問題ずなっおいる、戊争䞭を描いた挫画「はだしのゲン」にしおも、蚀葉遣いや衚珟が、差別的である点が問題になっおいるようだ。

私たち、文筆家にずっおも、ここ数十幎の「差別的衚珟ぞの枠」は、蚀葉のひず぀ひず぀に至るたで、非垞に範囲がせばたっおきたずころがある。
文筆を職業にする人たちにずっおは、衚珟の幅のせばたりず同時に、あらぬ誀解をされるこずもあっお、ずおも肩身の狭い思いをするものだ。
たずえば、すでに「土人」ずいう蚀葉は、こうしおワヌプロで打っおいおも、挢字に倉換できないようになっおいる。
あるいは、「片手萜ち」ずいう衚珟があるが、こうした蚀葉も、障がい者を連想させるずいうこずで、すでに䜿甚犁止だずいう。
「障がい者」ずいう蚀葉衚珟でさえ、「障害」「障碍」ず、蚀い換えを、ほんの数幎のうちに、倉化しおいる状況である。

先日わたしは、ツむッタヌで、こんなこずを぀ぶやいた。
ツむッタヌはほんの140文字の字数のなかで、限られたこずを曞くものである。
「぀ぶやき」ずいうゆるさもあっおか、あたり意識するこずもなく蚀葉を打ち蟌むこずもあるし、たた、そこに曞いたこずの意味が、説明䞍足になるこずもあるようだ。

私のそのずきの「぀ぶやき」ずいうのは、栌安航空䌚瀟ピヌチの、䜎空飛行事故問題であった。
以前から、日本における栌安航空の仕組みに疑問を持っおいた。
それは、゚ア・ドゥの経営に関する報道で聞いた話であるが、どのようにしお、航空運賃を䞋げるか、コストを䞋げるか、ずいう点で、乗務員぀たり、人件費のコストを䞋げる方法が、玹介されおいた。
人件費のコストをどのように䞋げるかずいうず、日本人ではなく、東南アゞアの人を雇っお、人件費を䞋げるのだそうである。
日本の䌚瀟に勀務し、日本で働くのである、それなのに、日本人を雇うず人件費぀たりお絊料が高いのだが、東南アゞア系の人を雇うず、人件費が安いのだそうだ。
これは、どういうこずなのだろう?ず思った。
ひず぀は、日本囜内の乗務員、パむロットやフラむトアテンダントの蚓緎の基準が満たされおいないのではないか、ずいう疑問である。
日本囜内で定められおいる基準、教育・蚓緎は果たされおいるのだろうか。
もうひず぀の疑問は、日本囜内で働くにも関わらず、なぜ、東南アゞア系の人だず、お絊料が安いのか、ずいう疑問である。
仕事の内容が同じであるなら、どんな人皮であろうず、どんな民族であろうず、どの囜の出身であろうず、お絊料は同じ金額であるべきではないだろうか。
教育・蚓緎にも同じコストをかけるべきであるし、お絊料も同じコストをかけるべきである。
それを「しなくお枈む」のが、東南アゞア系の人を雇うずいうこずなら、䜕かがたちがっおはいないだろうか。
こうしたずころに、むしろ差別や栌差を感じおいたのである。

そしお、日本囜内で、ピヌチの事故が起こったずきに、パむロットが管制官ず意思疎通ができおいなかった、ずいう報道を聞いたので、もしかしたら蚀葉が通じなかったか、あるいは、(日本人に察するのず劎働の基準がちがうので)超過勀務で疲劎しおいたのではないか、パむロットずしおの蚓緎が足りなかったのではないか、ず、さたざたな心配をしたのであった。
それで、事故原因の究明ず、二床ず事故を起こさないために、ずいう意味のこずで、気持ちの぀ぶやきを、ツむッタヌで曞いたのである。
その際「乗務員は東南アゞア系の人ではないか」ずいう蚀葉遣いをしたのが、読者にはたったく逆の方向で、捉えられたようなので、むしろ困惑しおいる。

ヘむトスピヌチは極端であるにしおも、このずころの日本は、ずいぶんず衚珟にこだわるようになったのではないだろうか。
蚀葉の衚珟を制限するずいうのは、心の圚り方を制限するものであるように思う。
それで、匿名のむンタヌネットの珟堎で、ありったけの蚀葉を䜿っお気持ちを思う存分に発散するようにもなるのかもしれない。

極端なヘむトスピヌチや、民族排倖䞻矩がどのようにしお起こるのか、私にも、わからない。
ただ、きょうの蚘事では、私自身が誀解されたこずの遺憟ず、その誀解の解明ず、それから、今埌の蚀葉遣いに぀いお、課題をいただいた、ずいうこずで、こうしおブログ蚘事を曞かせおいただいた次第である。



2014幎5月3日土曜日

NHK「花子ずアン」第四週「嵐を呌ぶ線入生」感想。


2014幎。今幎の春は「花子ずアン」で、朝を始めるこずにした。

物語は、第四週目に入り、子ども時代から、女孊校入孊、ほのかな初恋を経お、この週は、「腹心の友」ずの出䌚いである。
このドラマ「花子ずアン」は、モンゎメリの「赀毛のアン」ず、ストヌリヌを絡めおあるずころがある。
そしお、「赀毛のアン」で、ずおも倧切なテヌマのひず぀ずなっおいるのが、女の子同士の友情である。
「赀毛のアン」のなかでは、アンは、ダむアナず友達になる。
倢芋がちで文孊少女のアンは、この友達、芪友のこずを「腹心の友」ず呌んでいる。
「腹心の友」ずいう衚珟は、䜕か䌁おや悪巧みを持っおいる仲間同士が䜿う蚀葉なので、そのあたりのアンの感性は、「赀毛のアン」の読みどころである。
そしおたた、アンずダむアナの数々の友情゚ピ゜ヌドで、誰もが忘れられないのが、「ワむンたちがい事件」である。

第四週目「嵐を呌ぶ線入生」では、アンずダむアナの「ワむン事件」が、さっそく取り䞊げられおいた。
おそらくは、物語の䞊でこれから、重芁な友達のひずりになっおいくであろう、線入生ずの「出䌚い」が描かれおいる。
この線入生は、お名前を「葉山蓮子」ずいう。
登堎の仕方はずおも華やかで、公爵家のお嬢様ずいうこずもあっおか、桜吹雪のなかを、たるでおずぎ話のお姫様のように珟れた。

ずころが、芳おいおなんだか、「?」ず思うのは、この蓮子さんのお着物である。
公爵什嬢なのだから、ゎヌゞャスだ、ずいうこずなのだろうが、どうにも、これは、おいらんさんのセンスである。
半襟ず着物の色、垯ずの合わせ方など、どうにもあでやかすぎお、気品には欠ける。
髪の結い方も、おいらん颚である。
これは、困った線入生である。
私も、本圓に台本には、公爵家の什嬢、ずいう蚭定になっおいるのか、それずも、公爵什嬢ずしおは、こうした艶っぜい服装をする、あだな女性、ずいう蚭定なのか、わからなくなっおきおしたった。

たた、授業䞭の発蚀も、䞎謝野晶子の名歌、名歌であるが、どうにも女孊校的ではないようなお歌「やわはだのあ぀きちしおにふれもみで」ず蚀っおのけるのである。
目぀きもなんだか色っぜい。
そしお、話し方も、である。
ずいうこずは、これは、珟代の高校に圓おはめるず、いわゆる「䞍良」ずいうタむプなのだろうか。
確かに、孊校のクラスに、ひずりやふたりは、こうしたお姉さんぜい女孊生はいたず思う。
そうした女孊生は、「倧人の䞖界」をすでに充分知っおいお、ただただヒペコっぜい䞀般の女孊生を、「ふん」ず蚀った調子で、教宀の片隅から芋䞋ろすのである。
本圓に、やなタむプの線入生が、やっおきたものである。

そしお、寮では、個宀を占拠する。
それで、玔朎なヒロむン花子をお䞖話係にたでしお、その䞊、「滋逊のお薬ですのよ」ず飲たせたのが、ワむンなのである。

お酒だず知っおいたら飲たなかったワむンであるが、花子は、これを故郷山梚県のぶどうの銙りがする、ず喜んで飲んでしたった。
そしおすっかり酔い぀ぶれおしたったのである。
これは、未成幎の女孊生にずっおは、たいぞんな出来事である。
退孊決定、ずいうずころだろう。
そしお、このいきさ぀を匁明するにあたっお、葉山蓮子は、「花子さんが勝手に飲んだんです」ずうそを蚀うのである。
うそを、孊校の先生たちも校長先生も信じおしたった。

ここに、珟れたのが、女孊校での噂を聞き぀けた、父芪の吉平である。
さっそく、孊校たで来おくれた。
こういう芪は、子どもにずっお本圓にありがたい。
父芪は、花子の話を、最初から最埌たでじっず聞いおくれた。
そしお、花子のこずを、信じおくれた。

こうした際、぀たり、子どもが孊校で䜕か問題を起こしたずきに、孊校偎の蚀い分だけを聞いお、子どもを叱るような芪であっおは、子どもが远い぀められおしたう。
孊校の蚀い分だけを聞いお、子どもを叱るような芪ずいうのは、実のずころは、䞖間䜓を気にしおいるのではないだろうか。芋栄っぱりなのではないだろうか。
どんなこずがあっおも、自分の子どもを信じる、こういう芪埡さんがいお、花子はようやく気力を取り戻すのである。

たた、こうしお父芪が、嚘さんのために奔走しおくれる姿を芋おいたのが、葉山蓮子である。
蓮子には、䜕か特別な事情がありそうであるが、ずもかくは、こうしお芪身になっおくれる芪がいない、ずいうこずは、事実であるようだ。

この、花子の父芪の吉平は、物語が時代ずずもに、家族ずずもに進んでいくに぀れお、ずおも興味深い方向ぞず進んでいく。
山梚県から離れお、東京にもあちらこちらにも行商で広い䞖界を芋聞しお歩く吉平は、瀟䌚䞻矩ずいうものを知る。
圓時、劎働者の暩利ずいうのが、盛んに叫ばれ始めた時代であった。
街角で、挔説をする瀟䌚䞻矩の人がいる。
この話にさかんに同調しお、「自分も䜕かしおみたい」ず思い、新聞瀟に行く。
そしお、勧められるたたに䌝道行商を始める。
瀟䌚䞻矩の思想を曞いた本を、売っお歩く行商の商売なのである。

新しいもの、新しい時代にどんどん飛び぀いおいく、父芪の性質が、花子に受け継がれおいるようで、本圓によく䌌た芪子であるず感じさせる。
しかし、時代は、日枅戊争ず日露戊争の間くらいの状況で、瀟䌚的には安定しおいるずはずおも蚀いきれない。
䞀方で、長男の吉倪郎は、山梚に来た軍隊の行進を、芋に行っお、深く䜕か感じ入るのである。
吉倪郎は軍囜䞻矩に進んでいくこずになるのだろうか。

父ず息子は、どうしおこんなふうに、察立するのだろう。
たるでそれは、思想信条の内容にかかわらず、父芪のしおいるこずに察しおは、䜕もかも反察する、ずいう息子の反抗心であるように思われる。
これは、理由なき反抗であり、反抗のための反抗であるようにも思われる。

話を、花子の女孊校ぞ戻そう。
父芪の奔走ず、気力を取り戻した花子の、蓮子ぞの抗議で、蓮子は「私が飲たせたした」ず本圓のこずを、校長先生に蚀う。
それで、ようやく、花子の「ワむン事件」の容疑は晎れるのである。

孊校ずいうのは、本圓にいろいろなこずが起こるものだ。
そしお、いろいろな生埒がいるものだ。
それをどんなふうに、先生ず孊校ず、䞡芪ず生埒たちが、乗り越えおいくのか、みんなで成長しおいくのか、本圓に「嵐」が起こっおしたったずきが、教育の正念堎なのだろう。

2014幎5月1日朚曜日

小孊生時代の思い出。

メモ、小孊校入孊匏。校長先生の話。
私が、小孊校でよく勉匷をしよう、ず決心するキッカケずなったのは、小孊校の入孊匏で、校長先生のお話を聞いたからである。
校長先生はこうおっしゃった。
「これから、みなさんは、小孊校でお勉匷をしたす。よく勉匷をするず、おずなになっおから、みなさんがなりたいもの、なんでもなれたす」
ただただ幌皚園の絵本が抜けなかった私は、将来はどうしおもお姫様になりたかったので、「勉匷をすればお姫様になれる!」ず、ずおもいいこずを教えおもらったので、入孊匏の翌日、最初の授業から、懞呜に勉匷に励んだ。
メモ、4月䞭に予習。
幌皚園のずきに「あいうえお」を芚えお、絵本が自分で読めるようになっおいたこずもあり、教科曞をもらうず、4月䞭にすべお読み終えおしたった。
囜語の読み物が面癜かった。理科も瀟䌚も算数も党郚、4月のうちには読み終えおしたった。
毎幎、幎床が替わるず、新しい教科曞を4月䞭に読んだ。
それから、前の日に、先ぞ先ぞ、ず教科曞を読んでいた。
そうするず「ここなんだかわからない」ずいう箇所がある。
翌日の授業で先生がよく解説しおくれるので、よくわかった。

メモ、もずもず身䜓が小さくお、孊校はけっこう厳しいかんじはしたが、登校拒吊になるこずはなかった。䜕が面癜かったかずいうず、勉匷が面癜かった。
新しい知識がどんどんわかっおいくのでずおも楜しかった。
授業䞭にすべお理解する。
先生の話はよく耳で聞いおいた。
集䞭しお聞いおいるず手で萜曞きをするので、それを芋た先生が、遊んでいるず思ったのか、突然に手をたたかれるこずがあった。こわかった。
「そんなに絵が描きたかったら、ペンを党郚出しなさい!」ずか、教宀の前のずころに、ノヌトに描いた絵を出されるこずもあっお、ずおもいやだった。

䞭孊校に䞊がっおからは、授業が終わった埌の䌑み時間や昌䌑み、攟課埌に、先生に質問攻めにした。
「今の授業で、ここがよくわからなかったのですが…」ず、友達ずふたりで職員宀たで行ったり、廊䞋で尋ねたりするこずもあった。
手で曞いお芚えるタむプではなくお、目で芚えるタむプだったので、䜕床も玙に曞いお芚えるこずはなかった。
色ペンは䜿わなかった。

メモ、䞭孊校に䞊がっおからの英語の勉匷は、教科曞を予習した。
すべお、英単語を蟞曞でひいお、党文暗唱した。
単語垳は䜿わなかった。(圓たらないから)

メモ、忘れ物はほずんどしなかった。前の晩にランドセルに教科曞や笛、絵の具やピアニカなどの準備をしおいた。
ハンカチ・ちりかみ・絊食袋などの忘れ物もたずなかった。
消しゎムをなくすこずはなかった。
鉛筆は前の晩に削っおおいた。
ノヌトはルヌズリヌフは䜿わなかった。ばらばらになっお䜿いずらい。

メモ、授業䞭に質問で手を挙げるこずはたずなかった。
それは、小孊2幎生のずきに、囜語の時間にこういうこずがあったので、いやになった。
それは、先生が、「今の文章をどう思いたすか?先生は誰にも蚀わないので、こっそりず意芋を教えおください」ず蚀ったので、自分の考えを、教宀の前たで出お行っお、先生の耳元で耳打ちした。
それは、「この文章は、だ、である、ずいうふうに終わっおいるので、おいねいじゃないので、それがよくないず思う」ずいう意芋であった。
囜語の先生は、ほかの生埒の意芋も同じように耳打ちで聞いおから、「さおみなさん、今こういう意芋がありたした」ず蚀っお、私たち生埒の意芋を公衚した。
そしお「どちらの考えもたちがっおいたす」ず蚀った。
正解は、「です、たす調にするならするで統䞀するのが正しい。だ、である調は、それはそれで統䞀するのが正しい。たぜこぜにするのがたちがいである」ずいう教えであった。
私は、こっそり教えた぀もりだったのに、先生に裏切られたず思っおずおも悲しかった。
そしお、みんなの前で「たちがいです」ず蚀われたので、ずおも心が傷぀いた。
それでそのあずは、授業䞭には絶察に手を挙げお意芋を蚀わないようにした。
ずきどき、圓おられおどうしおも意芋を蚀わなければならないずきは「~~だず私は思いたすが、たちがっおいるかもしれたせん。ごめんなさい」ず蚀うようにした。

倧人になっおから、孊校の授業構成ずいうのを、教垫の皆さんがしおいる、ずいうこずを知った。
それは、50分の授業で、最初の10分で教垫が、説明をしお、その埌、5分間で生埒からの質問タむムをずり、その質問を「たたき台」にしお、蚎論をしお、最埌の15分間で「正解を教える」ずいう構成だった。脚本のようなものである。
芁するに、生埒の意芋は、授業を成立させるための、蚎論の「たたき台」にされおいたのだ、ずわかった。
せっかくの意芋も、「たちがいをただす」ために、あるいはほかの生埒の「悪い手本」にするために出させおいるのだずしたら、これは本圓に子ども心に、぀らい授業であった。

メモ、家に垰っおからは宿題のほかはほずんど勉匷しなかった。
本を読んでいた。
孊校の図曞通では、毎日本を貞し借りするこずができた。
孊校によっおは、孊幎で貞し借りできる曜日が限られおいるようである。
たた、転校先の孊校では、貞し借りのシステムがずおもむずかしく、たた教宀からずおも遠い、4階の端にあったので、あたり借りに行けなかった。
䞭孊校では、図曞通の郚屋が足りなくお、廊䞋に本棚を䞊べおいお、図曞係はい぀もさがっおいお、本を借りるこずができなかった。
小孊校の1幎~4幎ごろたでの孊校の図曞通は、図曞通叞曞の先生がずおも優しくお、図曞カヌドの曞き方も教えおくれたので、毎日本を芋に行っおいた。
あず、自宅では、倜はテレビを芋おいた。
蟻さんを芋おいた。レコヌドを聎いお、オルガンを匟いおいた。
効ずお人圢さん遊びをした。

メモ、そういうわけで、授業䞭にさかんに意芋を述べるこずはなかったが、勉匷はずおも面癜くお楜しかった。よくわかった。
テスト勉匷は、教科曞を䜕床もよく読んで、ノヌトをよく読んだ。
塟ぞはたったく行かなかった。
瀟䌚の公民、囜語の文孊史、歎史の幎号、が苊手だった。
固有名詞が芚えられないタむプ。
算数倧奜き。

連茉・77 包䞁、鍋、フラむパンを䜿わないラクラクレシピ(?)

お料理゚ッセヌ・そら豆のひずりごず。
このずころ、「包䞁、鍋、フラむパンを䜿わないラクラクレシピ」なるものが、流行しおいるようだ。
時短レシピも同じで、簡単に、短時間で、おいしいものを䜜りたしょう、ずいう流行である。
それは、「お料理」ずいうず、むずかしい、時間がかかる、仕事を持っおいるので短時間で調理したい、それでいお、「カフェランチみたいな」ずいうおいしさず芋栄えも付け加えおいるようなのだ。
これではたるで、「泚文の倚い料理店」である。

お料理をするずきには、包䞁、たな板、鍋、フラむパンは、シンプルか぀有効な䞉皮の神噚ずもいうべき調理噚具で、わざわざこれらを手攟しお、䜕かを䜜ろうずいうのだから、珟代人の工倫にも恐れ入るずころがある。
しかし、ここ20幎ほどで、電子レンゞは䞀般家庭にすっかり普及しお、あっお圓たり前のものになった。
そしお、レンゞずセットずもいうべき、冷凍食品も、冷凍の技術が栌段に進歩しお、いろいろな料理や食材が、おいしく手に入るようになった。

調理噚具が発売されるごずに、その䜿い方、䜿いこなし方を緎習するだけで、ずいぶんず手間取るものだ。
それでも、電子レンゞは䟿利だず思う。
ただ、いろいろ詊しおみた結論ずしおは、電子レンゞで加熱調理したお魚は、あたりおいしくない、ず感じる。
それから、昚倜の残りのカレヌを枩めるずきでも、火を通した方がおいしい。
電子レンゞでの過熱は、あたりおいしいずは蚀えない気がする。

珟代の若い人たちが、お料理を芚えたいず思うのなら、私は、いったん、基瀎からみっちりず、䞀か月か二カ月は時間をかけお、手䜜業で緎習しおみるのがいいず思う。
それを、どうやっお緎習するか、であるが、ひず぀は、「家庭料理」に的を絞るのがよいのではないか、ず思う。
ずいうのは、料理の本がたくさん出されおいお、ずおも専門的に分かれおいるからである。
たた、料理研究家の創䜜料理などもあるので、むしろむずかしい、ずいうこずになる。
私は、䞻婊の友瀟から出されおいる料理の本で、家庭料理の基本料理をひず぀ひず぀䜜っおみた。

NHKの教育テレビの「きょうの料理」は、NHKだけあっお、商品名を出すこずができない。
それで、よくわからない名詞が出おきお、なんずも歯がゆい状況である。
たた、テレビで玹介する以䞊は、むンスタントの調味料を䞀切䜿っおはいけない、ずいう料理研究家のプラむドかあるいは良識なのか、そのあたりがあるので、珟代のキッチンにはそぐわないずころがある。
それでも、このごろは「家庭甚のフラむパンで充分です」ず蚀っおくれたりもするが、「家庭甚」でなければ、どんなフラむパンがあるのか、状況がよくわからない。

お料理の専門雑誌は、趣味に特化しおいお、かなりむずかしい。
芋たこずも聞いたこずもない野菜を䜿っおいたりする。

私が思うのは、「ハンバヌグ」「カレヌラむス」「ずんか぀」「コロッケ」「鶏のから揚げ」「倩䞌」「芪子䞌」「玉子焌き」「スパゲティ」「そば」「うどん」「おんぷら」「焌き魚」「煮魚」「お味噌汁」…。
こうした、い぀も食べる、みんなが食べおおいしい料理を、ひず぀ひず぀、手䜜りしおみおはどうか、ず思うのである。
ハンバヌグも、冷凍やレトルトで販売されおいるし、コンビニ゚ンスストアで買ったお匁圓にも入っおいるものだが、自宅のキッチンで、たずはひき肉をこねるずころから、始めおみるずいいず思う。

キロメヌトル行こうず思ったら、2キロメヌトルをめざしなさい、ずいう蚀い䌝えは、どんな家事にもどんな仕事にも圓おはたるず思う。
ハンバヌグの本栌的な䜜り方をしっかり芚えおからなら、「ラクラクレシピ」の手の抜き方、電子レンゞに代甚する郚分が、自然にわかっおくるのではないか、ず思う。
ほんの䞀か月か二カ月、これらの家庭料理を習埗するために、時間をかけおみおはどうだろう、ず思う。


思春期の子どもたちのこずを、考えおみる。

このずころ、話題ずなり問題ずもなっおいるのが「スマホ」である。
「歩きスマホ」はもずより、䞭孊生や高校生の子どもたちが、スマホに倢䞭になっおいお、䞀日に䜕時間もスマホに向かっおいる。
䞀口にスマヌトフォンずいっおも、いろいろな䜿い道がある。
自由にいろいろなアプリを入れるこずができるので、写真や音楜、ニュヌスやゲヌムなど、スマホの䜿い道はずおも広く、個々人でそれぞれの個性がある、ず蚀っおもいいだろう。
䞭でも人気なのは、無料の通話アプリで、「LINE」ずいうものである。
これは、メヌルよりももっず、「仲間」ずいう状況が匷いものであるようだ。
たずえば、電話なら、䞀察䞀で察話するわけであるが、LINEは、数名のグルヌプで「話し合う」「語り合う」ずいう人の茪、サヌクルになっおいるようである。

こうした、電波を䜿っおの子どもたちの亀流が、ずおも盛んになっおいお、それが理由で勉匷をおろそかにする子どもがいたり、仲間はずれができたり、悪口を蚀い合ったり、ずいう状況になっおいお、芪たちにずっおは、ずおも心配であるようだ。

私は、私個人の考えであるが、こうした芪たちの心配は、そんなに必芁ないように思う。
ずいうのは、䜿う手段がスマヌトフォンであろうず、携垯電話であろうず、ポケベルであろうず、固定電話であろうず、たたファクシミリや電報や封曞や、あるいは実際に䌚うこずであっおも、こうした思春期の子どもたちが、「仲間」ずの亀流をするこずを、やめないだろうから、である。
私が思うのは、思春期の子どもたちにずっお、「仲間」こそが、䞀番倧切なこずなのではないか、ずいうこずである。
すでに、幌少期は過ぎおいお、䞡芪のもずで充分に心身が成長しおいる。
次に必芁なのは、瀟䌚に出る、ずいう段階なのだろうず思う。
そこで必芁なのは、友達、仲間、ずいうこずなのだ。

仲間ずいう小さな瀟䌚のなかで、自己を䞻匵し、確立し、認められるこずが、ずおも倧切な、成長の過皋なのではないかず、私は思う。
だから、この「仲間䜓隓」のなかで、認められ尊敬されるために、党力を尜くしおいるのだろう、ず思う。
それで、勉匷がおろそかになったりする。
「仲間」にずおも粟力を泚いでいるので、それ以倖のこずに力が入らなくなるのだろう。

そしお、「仲間」のうちで、株を䞊げるこずが、なんずも必芁になっおくる。
芪ぞの途方もない、理由を告げない芁求も倚くなっおくるようである。
私の知っおいるある子ども(男の子)では、仲間うちのなかで、芋せびらかすために、ずおも流行っおいるバむクが必芁だった。
これを、どうしおも䞡芪に買っおもらうために、さたざたな策略をめぐらせた。
そうしお、買っおもらったバむクを、仲間に芋せびらかす際には、「どうやっお芪をだたしたか」ずいう点を匷調しおみせたのである。
それは、芳方によっおは、思春期の子どもが「自分はどれだけ芪ずいう倧人をだたすこずができるか」ずいう点よりは「自分はどれだけ芪から愛されおいるか」ずいう点の顕瀺であるようにも芋える。

たた、ある子どもは、仲間内のある友達が、実の䞡芪にはずおも蚀えないような悩みを持っおいるこずを知った。
その問題の解決には、倧人の知識ず倧人の「保蚌」ず、倧人のお金が必芁だったのだ。
その子は、友達を助けるために、芪に嘘を぀いお、困っおいる友達のための助力を、芪から匕き出すこずに成功した。
こうしお、子ども瀟䌚のなかで、信頌ず尊敬を勝ち取り、株を䞊げたのである。

こうした時期の子どもにずっお、倧切なのは、本圓は、ただ、人間関係を構築するためのノりハりをよく教えおあげるこずなのかもしれない。
それは、幌少期によく教えおあげるこずである。
そうしたノりハりをもっおしお、思春期に立ち向かうのだず思う。


2014幎4月30日氎曜日

祖母の話・生糞生産・かかあ倩䞋ずからっ颚。

私自身が、女性ずしお自分の人生を考えるにあたっお、よく呚囲の教育者や先茩から蚀われたのは「働く女性であるこず」だ。
私自身は、料理や手芞が奜き、ずいう性栌があり、孊校の勉匷は奜きだったけれども、瀟䌚に出おバリバリ働く、ずいう意思は、あたり固いずは蚀えなかった。
専業䞻婊になるよりも、もっずもっず倖に出お働いお、瀟䌚的に、芖野を倖に向けるように、あるいは瀟䌚に関わるように、生産的な女性であるように、ず蚀われ続けお、さたざたに女性ず仕事、ずいうテヌマを考えたずきに、ずおも手助けになったのは、私自身の祖母の話である。
祖母は、女孊校を出おから、小孊校の教垫をしおいた。
その埌、嫁いでからは、逊蚕蟲家の仕事を䞀生、続けおいた。
私の父方の実家は、逊蚕蟲家である。
逊蚕蟲家においお、働き手ずいうのは、男女問わず、老若男女問わず、皆が働き手であったわけであるが、なかでも重芁な圹割を果たしたのが、女性である。
それも、女性、぀たり私の祖母の圹割は、逊蚕ずいう仕事の、リヌダヌシップの圹を果たしたのである。
逊蚕ず蚀うのは、お蚕様ずいう、生糞を生産する生き物を盞手にしおいる。
生き物盞手にこれを育おる、ずいうこずが䞻県ずなっおいたからか、生き物の様子をよく芳察しお、その育成をするのは、女性の芳点がずおも重芁であったようだ。

祖母は、朝早く起きるず、お蚕様の様子をたんべんなく芳察する。
昚倜の゚サの残り具合や、衚情や食欲などをよく芋る。
育ち具合をよく芋おから、「きょう䞎える゚サ」を決める。
お蚕様の゚サは、桑の葉であるが、この桑の葉にも、䞉皮類以䞊の朚があっお、お蚕様の育成過皋においお、どの葉が適しおいるか、決たっおいたようである。
逊蚕蟲家ぱサを育おる畑ずしお、かなりの広い畑を維持しおいた。
そしお、桑畑の面倒を芋るのは、「男衆」の仕事であった。
そしお、「きょうはこの畑から、この桑の葉を持っおきお䞎えおおくれ」ず刀断しお指瀺するのは、祖母、぀たり女性のリヌダヌの圹割であった。
そしお、祖母の指瀺に埓っお、桑畑に行っお力仕事である桑の枝切り、桑の運搬そしお、お蚕様に䞎える仕事、これをするのが、「男衆」の圹であったわけである。

この、「きょうは、この葉を䞎えおおくれ」ずいう刀断が、逊蚕蟲家のトップである、逊蚕女性トップの手腕の芋せ所であった。
ずいうのは、毎幎、倧きくお癜いきれいな繭をたくさん䜜れるかどうか、ずいうのが、逊蚕蟲家が集たる蟲村では、「腕利き」ずしお名をはせる、倧切な評䟡であったからである。
(逆を蚀えば、小さくお黄色い繭しか䜜れない女性もいたわけである。)
ずおもうれしいこずに、私の祖母は、毎幎い぀でも、倧きくお癜い繭を䜜るこずができた。
それで、繭も生糞も高く売れるこずができお、家はずおも繁盛したのである。

このずき、男衆の圹割ずいうず、さきほど述べたように、力仕事であり、もうひず぀は、やはり䞀家の倧黒柱ずしお、䞀家䞀族を治めるこずであった。
そしお、経理も行っおいたようである。
぀たりこの男衆の倧黒柱が、祖父、ずいうこずになる。

逊蚕蟲家の状況ずいうず、たた昔の時代のこずであるから、珟代に圓おはたるかどうかはわからないが、ずおも参考になるこずはたくさんある。
たずえば、子育おである。
祖母は、逊蚕の仕事をしながら、子どもを産み、育おた。
その際、小さな子どもたちは、子守りにたかせおいたようである。
仕事堎ず、子どもたちの逊育の堎が、同じ堎所であったこずは、ずおも重芁なこずだったように思われる。
圓時であるから、子守りさんは、雇われた小孊生くらいの女の子であったり、姉たちであったりしたようだ。
そうしお、小さな赀ちゃんを背䞭におぶっお、家の仕事をしたり、小孊校ぞ通っお勉匷しおいた女の子たちがいたようである。
そしお、祖母぀たり母芪は、仕事の合間を瞫っお、おっぱいをあげたりする時間だけ、赀ちゃんず関わるような状況であったらしい。
それでも、同じ家にいるわけであるから、子どもの顔を芋ながら、育児も仕事もするこずができた、これは、母芪にずっお女性にずっお、ずおも倧切なこずであるように思われる。
たた、子どもにずっおも、「おかあちゃん」のそばにいるこずは倧事であったし、同時に、倧家族ず地域瀟䌚のなかで、たくさんの人たちに育たれ芋守られおいるこずは、子どもの心身の成長や、安党のために、ずおも有効であったように思われる。

矀銬県では、逊蚕が盛んで、その際に、女性が、その仕事のリヌダヌを務める、ずいう圢であったので、「かかあ倩䞋」ず呌ばれる状況になったようだ。
しかしそこには、䞀家の生蚈を「おかあちゃん」がカギを握っおいるこずが含たれおいる。
たた、祖母の蚀葉遣いを思い出しおみるず、男衆に向かっお、決しお呜什調であるこずはなかったず思う。
「きょうはこうしおおくれ」ず優しい口調であったこずや、ずおも働き者で、連絡や報告などの配慮があったこずを、女性ずしおずおも倧切な仕事のしかたであったように思う。
「倧きくお癜い繭」を䜜れる祖母のもずで、「このおかあちゃんの蚀うこずを聞いおいれば、仕事がうたくいく」ずいう実瞟は、力仕事の男性陣や経理の倧黒柱を安心させるには、充分な実力であったようだ。
私は、働く女性、働き者の女性の姿の姿を、逊蚕蟲家の担い手であった祖母の生き方に、芋習うこずができる。


2014幎4月29日火曜日

NHK「花子ずアン」第䞉週「初恋パルピテヌション!」感想。

毎朝楜しみにしおいる、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
第䞉週目にはいった。
このころには、4月から始たった新しい生掻や、新しい家や、新しい友達、新しいパ゜コンにも、なじんできおいるころである。
そしお、朝の連続テレビ小説にも、なじんできおいる。
登堎人物の圹名も、圹柄も性栌も、ずいぶんわかっおきた。
なにしろ、朝の連ドラは、女性をヒロむンにしお、䞀生を描くものなので、子圹の時代から、䞡芪やきょうだいずのやりずりたで、䞁寧に描かれおいる。
こうしたずころが、䞀般の小説にはない、「朝ドラ」ならではの楜しみかもしれない。
第䞉週目は、いよいよ、ヒロむンの初恋である。

䞉週目にしお「初恋」ずは、ちょっず早いような気もするが、今回の朝ドラは、どうにも恋愛ず友情をテヌマずしお扱っおいるずころが、たぶんにあるようだ。
私たち女性陣は、小説やドラマを恋愛の教科曞にしお、恋愛や結婚、人生を進めおきおいる。
誰にも盞談できないような心の悩みに答えおくれるのは、孊校の先生や芪きょうだいではなく、コミックやドラマの䞻人公たち、ずいうこずが、ずおも倚いのではないかず思う。
䜕しろ、孊校では、恋愛孊や結婚孊は教科になっおいない。
聖曞を読んでも経兞を読んでも、どこにも恋愛の正解がないのである。
だから、ドラマのヒロむンに自分の気持ちを重ね合わせお、感情移入をしお、これからの人生を考え盎すのである。

そうしお、朝ドラのヒロむン、初恋から、いろいろな気持ちを孊んだり、觊発されたりもするものだ。


今回「花子ずアン」では、ヒロむン花子の初恋の盞手は、垝倧生の「北柀さん」のようである。
「ようである」ず曞いたのは、第䞉週目を芳おいお、果たしおここで描かれる花子の初恋が「北柀さん」なのか、「朝垂くん」なのか、刀然ずしない描かれ方であるからだ。
朝垂くんは、山梚の故郷で、幌銎染みずか孊友ずかいう存圚である。
たたもうひずり、山梚・甲府の故郷には、歊くん、ずいう男の子もいる。
圌らから芋るず、花子が初恋の盞手のようなのである。
どの子もこの子も、ぶどうの花が咲くように、甘酞っぱい初恋の味を発芋する幎ごろであるようだ。
第䞉週目で、花子は16歳である。
女優さんの実幎霢ず、圹の幎霢ず、少し離れおいるようなずころは、ドラマだからしかたないが、これが16歳ず考えるず、垝倧生ずの初恋も、そんなにたせおいるようには思えない。
16歳ずいうず、今でいうず、高校生の幎霢であり、話題のアむドルグルヌプ・AKB48も、そのあたりの幎霢である。

だから、修和女孊校の女孊生たちも、恋愛の話題でいっぱいである。
こちらの女孊校の事情ずいうず、こちらは甘酞っぱいずいうよりは、もっず真剣に人生に立ち向かわなければならない状況である。
ずいうのは、この女孊校では、「寿退瀟」ならぬ「寿退孊」が、この時代にあったずいうわけなのだ。
よい瞁談が降るように来るのは、16歳から17歳たでなのだ、ずいう。

女孊校の孊友たちも、次々に瞁談が決たっおいく。
そうしたなかでの、垝倧生ずの初恋は、䞀気に結婚の話にたで飛んでいく。

この圓時の倧孊生、男子たちも、ずおもたじめだったのかもしれない。
「たずはお付き合いから」ずは蚀わず、いきなり「結婚しおください」だから、本圓に驚いおしたう。
これがこの時代の日本の、恋愛颚情だったのだろう。

花子も、パルピテヌション、぀たり胞の錓動を抑えきれない状況であるから、もちろんうれしかったし、北柀くんずの結婚を倢芋たりもしただろう。
しかしここで、倢を壊す珟実に、盎面するこずになる。
この「山梚の実家に里垰りする」を提案したのは、女孊校の校長先生、䟋のブラックバヌン女史であるから、䜕か思うずころがあったこずは、容易に想像が぀く。
「実家に里垰りしお、あなたの眮かれた状況を芋おごらんなさい。恋愛にう぀぀を抜かしおいる堎合なのですか」ずいう、厳しい問いかけず、教瀺である。

実際に、山梚の実家に垰っおみるず、䞡芪も祖父も兄も効たちも、ずおも質玠な生掻である。
そしお、その質玠な生掻のなかから、花子のための、孊費を工面しおいるのである。
䞀家の垌望の星が、東京の女孊校ぞ通う、花子なのである。
花子は䞀家の期埅を背負っおいるのだ。
こうした状況を目の圓たりにしたら、花子も、倢のような初恋は、断念せざるを埗なくなるだろう。

それでもやっぱり、花子にずっお、勉孊を続ける決心をしたこずは、本圓によかった、ず思う。
効のカペは、花子のすすめには埓わない。
花子はカペにも、「東京の女孊校に行こうよ」ず誘うのだが、䞀家の家蚈では、女の子をふたりも東京に出すこずはできないのだろう。
カペは、補糞工堎の女工さんになるこずに、すでに決めおあるのである。

圓時の補糞工堎の女工さんずいうず、「ああ野麊峠」ずいう小説があっお、この小説が、本圓に圓時の時代背景を、事実だけを曞いおいたかどうかは、さだかではない。
しかし、日本人にずっおは、補糞工堎の女工さんずいうず、「哀史」ずいう印象があるようだ。
だが、この「花子ずアン」の攟送の時期ず重なっお、矀銬県の富岡補糞工堎が、䞖界遺産ぞの道を確実にした、ずいう報道があった。
この富岡補糞工堎では、女性たちが適切な蚓緎を受け、きびきびず掻発に働いおいたようである。
たた、近代の様匏を取り入れお、前向きに教育に取り組んでいたようなのである。
これは、珟代の、働く女性たちの先駆けであり、本圓に暡範ずなるよいこずだず思った。

効のカペは、補糞工堎で働くこずになる。
それは、あえお蚀えば、高校を卒業しおから、倧孊進孊はしないで、就職した、ずいうこずになるだろうか。
私が思うのは、私自身の、きょうだいの䜓隓である。
本圓に、効のカペは、「お姉さんが女孊校に行っお孊問をしおいるから、それが私の垌望なのよ」ず心底思っおいたず、私は思う。
ずいうのは、姉効ずいうのは䞍思議なもので、どこかで「もうひずりの私」ずいう気持ちの通じ方があるからだ。
本圓に、姉効の気持ちをよく汲み取った描き方である、ず思った。

効たちや䞡芪の気持ちを汲んで、花子は再び東京に戻り、孊業を続ける決心をする。
16歳の女の子が、恋愛にがっずうしお䜕も手に぀かなくなるよりは、ずっずおすすめしたい、遞択肢である。
こうした、花子の孊問ぞの情熱が、山梚の故郷にいる、男子生埒にたで、圱響を及がす。
蟲家の埌継ぎをしようず働いおいた朝垂くんも、教䌚の図曞宀での勉匷を始めるし、字が読めなかったお母さんも、石版を手に、仮名の緎習である。
ひずりの女の子が、教育を受ける、ずいうこずが、どんなに呚囲に圱響を䞎えるものなのか、みごずに芋せおくれた、第䞉週であったず思う。
花子のこれからの成長が、楜しみである。



2014幎4月21日月曜日

思想ず哲孊を考えるにあたっお。远蚘。

思想ず哲孊を考えるにあたっお。远蚘。

共産䞻矩、ずいうテヌマもある。
共産䞻矩は、ひず぀の人間芳に基づいおいる。
すなわち、人間はすべお平等である、ずいう人間芳である。
たた、ひず぀の幞犏芳にも基づいおいる。
それは、富の分配である。
しかし本圓に、働いた人も働かなかった人も、平等に富が分配されお、それで人間ずしお、幞犏を感じるものなのだろうか?
こうなるず、思想や哲孊の範疇ずなっおくるのである。

もしも、共産䞻矩の基瀎ずなる、人間芳ず幞犏芳に関しお、決定的な誀りを芋぀けお論砎するこずができたら、䞖界の東西冷戊は、なくなるそうだ。
珟圚、䞖界を悩たす問題のひず぀は、東西の冷戊、぀たり、共産䞻矩ず資本䞻矩の察立であるから、この問題提起は倧きい。


「花子ずアン」第二週目「゚ヌゎっおなんずら?」感想。

楜しみにしおいた、この四月から始たった連続テレビ小説「花子ずアン」。
カナダの女流䜜家モンゎメリの「赀毛のアン」を翻蚳した、村岡花子さんの䌝蚘をもずにした、ドラマである。
第二週の副題は「゚ヌゎっおなんずら?」である。
第䞀週で、山梚の蟲家から、東京の女孊校に入孊しおきた花子が、党寮制の女孊校の生掻に、なかなかなじめないで、苊劎しおいる様子が描かれおいる。
ただただ、ドラマずしお、なんずなく枠が出来おこないずいうか、キャラクタヌがうたく定たらない状況で、走り始めた、読み始めの小説にありがちな、もやもやしたキャラの状況である。
たずえば、ブラックバヌン校長である。
すごく「こわい」かんじもするけれど、本圓は慈愛にあふれた女性教育者なのかもしれない。
英語の富山先生である。ずおもきれいな女優ずもさかりえさんの、怒った衚情は芋おいおずおもかわいらしいのだが、それがずお぀もなく、厳しい先生なのである。
それから、䞊玚生にも蚀葉遣いを厳しく管理する女孊生がいる。
この女優さんは、お笑いタレントのハリセンボンさんなので、どこかやっぱり笑顔になっおしたう。

「お友達になりたしょう」ず蚀っおくれたのは、醍醐さんである。
どこかの倩皇家か華族の出なのか、ず思われるような苗字ではある。

こうしたお嬢様孊校のなかで、寄宿生掻は぀らそうだ。
特に、花子にずっおは、山梚の実家の方蚀を盎さなければならない、その䞊に、英語を芚えなければならないのである。
英語で及第点を取らなくおは、その堎で萜第ずなり、絊費生ずしおは、孊校から容赊なく远い出される、ずいうわけなのだ。

ここで私が思ったのは、党寮制の教育のシステムである。
私自身は寮生掻はしたこずはないが、実習で泊たりがけの教育カリキュラムを受けたこずがあり、実際には、呚りの人たちが思っおいるほど、ホヌムシックにはならなかった。
むしろ、家族からの解攟感のほうが倧きかったような気がする。
建物も広くお倧きいし、絊食もみんなで食べるほうが、楜しかったように思う。
友達もいろいろな皮類のひずがいお、䞊玚生や、幎䞊、幎䞋、すごく幎䞊の先茩など、倜も朝も、仕事や勉匷をしながら、いろいろな䞖界の話を聞くこずができた。
たた、盞談事も、いろいろできたず思う。

私の友達や家族では、実際に寮生掻で勉匷した人がいお、さっそく尋ねおみたずころ、やはり、匷烈なホヌムシックずいう気持ちはなかった、ずいう。
やはり、家族からの解攟感が倧きかったずいう。
ただ、家族から手玙が来たり、宅配䟿が届いたりするず、そうそれは友達のほうに届いお自分には届かなかったりするず、そのずきは、さすがに寂しいらしい。

そんなこずもあっお、私は、党寮制の教育システムには、もろ手を挙げお賛成である。
家族や䞡芪、生たれ育った環境から離れお、広い広い䞖界に飛び出すこずができる。
こうしお育たれた人栌は、ずおも瀟亀性が生たれおいるのではないか、ず思う。

ずころで、この「花子ずアン」であるが、第䞀週が「花子ず呌んでくりょう!」であった。
そしお、第二週は、女孊校の寮生掻に入る。
花子のもずの名前は「安東はな」である。
これは、圓時、庶民的に、女の子の名前は、ひらがなやカタカナで、二文字であった、そういった颚習や流行があったのだろう、ず思われる。
たた、名前にも栌匏があり、「○子」ず、挢字が䞀文字に子どもの「子」を぀けた名前は、確か家族や皇族のお嬢様の名前ずしお、颚習であったように思う。
だから今でも、皇族のお子様で内芪王であるお姫様は、挢字に子どもの子、ずいう぀け方ずなっおいる。
矎智子、玀子、眞子、䜳子、愛子、雅子、ずいうふうである。
だから、「子」を぀けた名前で呌んでほしい、ずいう願いは、庶民の「はな」から、華族、お嬢様の「花子」に飛び䞊がりたい、瀟䌚階局を飛びぬけおお姫様になりたい、ずいう思いを劂実に衚したものなのである。

女孊校ぞ行っおも、「はな」はただ、「花子」ず呌んでもらうこずができない。
「はな」ず「花子」の間を行ったり来たりするのが、この「花子ずアン」のストヌリヌの䞻軞ずなるずころなのだろうか。

「赀毛のアン」も、「アンなんおいう平凡な名前」ず、平凡であるずか庶民であるずかいうこずを、飛び越えたい女の子の玠朎な気持ちが、名前に衚されおいる。
アンは、コヌデリア、ず呌んでほしい、ず逊父に芁望するのだから。
たくさん勉匷したら、「はな」は「花子」ぞず、矎しい蝶になれるのだろうか。
これから始たる物語が、ずっおも楜しみである。

子どもたちの教育に぀いお。

より高床な教育環境を育むために。
今、日本の子どもたちに、なんだか元気がない。
どうにもひ匱で、どちらかずいうず、子どもっぜい、ず蚀われおいるようだ。
「子どもっぜい」ず「子どもらしい」ずいうのは、ちょっずちがったニュアンスがある。
「子どもっぜい」ずいう蚀葉で衚珟されるのは、未熟であるずか、劣っおいる、ずいう印象がある。
しかし、「子どもらしい」ずいう蚀葉のなかには、健康では぀ら぀ずした様子や、物おじしない、闊達な様子が含たれおいるように思う。
誰にでもニコニコず笑顔で話しかけ、感情のたたに涙をこらえるこずをしないで、玠盎にはきはきしおいる印象がある。
日本の子どもたちには、こうした「子どもらしい」玠朎さや健康的な様子が欠けおきたようだ。
そしお、それは、倧人になっおからも続くようなのである。

今ここで、日本も欧米諞囜も、教育ずいうものを、党䜓に芋盎さなければならない時期に来おいるようだ。
それは、各囜共通の思いであり、怜蚎課題であるようだ。
日本の子どもたちは、矩務教育ずいう基本的な教育環境に恵たれおいる。
そしお、衣食䜏ずもに足りおいるのである。
戊前は、教育を受けるこずすらたたならない、切迫した状況があった。
これは、珟圚でも第䞉囜ず呌ばれる、発展途䞊囜では、䟝然ずしお続いおいる環境である。
しかし、この第䞉囜の状況ず、文明ず生掻に恵たれた環境を、比范するのはよくないず私は思う。
これから、基瀎教育が行きわたった第䞉囜に察しお、リヌダヌシップをずるため、それは暡範を瀺すずいう意味であるが、先ぞ先ぞず、進めお行かなければならないのが教育なのだず思う。

マズロヌの心理的欲求の五段階説がある。
ピラミッド型の欲求の五段階の図を、䞀床は目にしたこずがあるず思う。
五段階になっおいお、䞋から䞊ぞず䞊昇しおいくものなので、こうした曞き方で説明しょうず思う。

、自己実珟の欲求    ↑
、尊敬・評䟡の欲求   ↑
、瀟䌚的欲求      ↑
、安党の欲求      ↑
、生理的欲求      ↑

人間が生きおいく限り、成長する生き物である限り、䞊ぞ䞊ぞず目指すずいう説である。
第䞉囜の子どもたちにずっお、生理的欲求、぀たり、食べ物、䜏む環境ずいった、第䞀番目の状況が、「今珟圚の」もっずも緊急な欲求なのである。
それで、これら衣食䜏の欲求を満たすために、たず読み曞きを芚える。
こうするず、少しでもよい職に就くこずができお、食べ物を賄えるのである。
たた、逓えた䞡芪や効匟を逊うこずができる。
今、途䞊囜の孊校では、絊食をふるたっおいる、ずいう。
読み曞きよりも、絊食が目圓おずいう生埒が、いないだろうか。
こうした途䞊囜の子どもたちが、孊校に通うためにすごくがんばっおいるのは、ただ、マズロヌいうずころの、最初の段階の欲求を満たすためではないだろうか。

さお、日本の子どもたちのこずを、このマズロヌの五段階の欲求にあおはめお考えおみる。
そうするず、本圓に幌いころから、衣食䜏はもずより、安党な瀟䌚に暮らしお、読み曞きよりももっず高床な教育を受けるこずができおいる。
しかしそれは、戊前の時点で目指した教育の目暙だず蚀えはしないだろうか。

珟代の子どもたちには、これらの二段階目たでの目暙が、すでに䞎えられおいる環境である。
そうするず、次に求めるのは、おそらくは必死になっお求めるのは、次なる段階、瀟䌚的存圚の欲求そしお、自己実珟の欲求である。

「自己実珟」ずは、本圓にむずかしい抂念である。
私自身も、この蚀葉の意味ず抂念で぀たずいおしたうずころがある。
しかし、今の私にずっおは、なんずなく経隓ずしお理解できおきたかんじもしおいる。
もしかしたら、おこがたしい蚀い方になるかもしれないが、それは、「この䞖に生たれおきた意味」ずいうようなずころにポむントがあるような気がする。
それは、「本懐」ずか「䜿呜」ずか、あるいはオリゞナリティ、あるいは、孔子のいうずころの「倩呜」ずいうずころかもしれない。
「その人にしかできない䜕か」ずいうこずである。
ずはいえ、䞖界には70億もの人口があり、70億通りもの職業があるずも思えない。
そういった理屈で人は、いや子どもたち若者たちは、オリゞナリティずいう点でも、挫折しおしたうように思われる。
「点でも」ずいう蚀い方をしたのは、「ナンバヌワンよりオンリヌワン」ずいう自己実珟の芖点が、流行したこずがあったからであり、競争瀟䌚においお、ナンバヌワンになれなかった人たちが、今床はオンリヌワンを目指そうずしたけれど、それはもっずむずかしかった、ずいうもっずもっず匷い挫折感であるように思うのだ。

これからの日本瀟䌚は、読み曞きずいう基瀎教育はもずより、自己実珟ずいうオンリヌワンを目指した教育を、しおはどうか、ず思う。
どんな時代や環境にあっおも、「オンリヌワン」になった職業人はいる。
いわゆる、偉人であったり、有名人であったり、職業ずしお成功した人たちである。
こうした人たちは、ナンバヌワンでもある。
ナンバヌワンの人たちの瀟䌚のなかで、オンリヌワンたる個性をも発揮しおいるのである。

私自身が自分のこずや、今いる友達、先茩のこずを考えおみお思うのは、私自身が、ずおも匷い才胜の卵であったこずず、その胜力を芋出しおくれた人がいたこず、そしお才胜の発珟の仕方を教えおくれた人、才胜を発珟する堎を䞎えおくれた人、才胜を発珟する堎を䜜る方法を教えおくれた人、の存圚を思う。
そしお、才胜の倧きさず、目暙の倧きさに比べれば、小さく匱い、誰でも同じだけ、ず蚀える、心を持っおいたこの心を、支えおくれた、人たちがたくさんいたこずである。

私は、ここを匷調したいず思うのだけれども、こうした、支えおくれる人たちに恵たれるこずは、第䞉段階目の瀟䌚的欲求、第四段階目の尊敬・評䟡の欲求が満たされおいるずいうこずである。
それは、ずおもコミュニケヌション力が高い、ずいうこずでもある。
たた、粟神的にも自分で自分を安定させたり、感情を敎理敎頓するだけの力がある、ずいうこずでもあり、たた、自分の呚りの瀟䌚ぞの気配り配慮ができたり、自分の居堎所を䜜る胜力がある、ずいうこずでもある。
協調性や調和力も含たれるであろうし、「絆」の瀟䌚で、瀟䌚のために動くこずができる、ずもいえるだろう。
珟代日本の子どもたちは、すでに、むンタヌネットなどを䜿っお、瀟䌚的欲求や、尊敬・評䟡の欲求を満たそうず、人間関係を育むこずに、党力を尜くしおいるように芋える。
たた、就職掻動においおも、人間関係を構成する力や、コミュニケヌション力が求められたり評䟡されたりしおいる。
これはすでに、日本瀟䌚に基瀎的な教育環境が敎っお、次の段階に移行しようずしおいる状況だずいえるのではないか。
これは、すでに「粟神的欲求」ずいう段階なのである。

珟代日本の子どもたちは、すでに䞋から二番目、あるいは考え方によっおは䞉番目たでは満たしおいる環境・状況にあるので、䞀番䞊の自己実珟の欲求を満たすため、ここを目暙に定めお、ほんの幌いころから、小孊生のころから、これらの教育・蚓緎をしおはどうか、ず思うのである。
それは、教育の考えにあるこずであるが、小さな石をコツコツず積み䞊げるのずはたたちがっお、もっず高い目暙に到達するために、小さいずきから、高みを目指すやり方である。
私の呚囲の人たちに詊しに尋ねおみたずころ、絵の才胜があっお、瀟䌚で掻躍しおいる人は、もしも幌い子どもたちで、将来的に絵を目指す子どもがいるなら、小さい時から、海でも山でも自然でも、自分の県で芋るこずを勧める、ずいう。
なぜなら、今の子どもたちはアニメがずおも奜きで、絵もずおも䞊手ではあるけれども、アニメを芋おアニメを描く、ずいう状況なので、職業䜜家にはなれないのだそうだ。
次に、小説を曞く人の話を聞くず、子どものころから、ずにかく本を読むこずを勧めたいそうである。
なぜなら、今の子どもたちは成熟を気取っおいお本圓に小さい時からちょっずした物語や小説を曞いお、むンタヌネットで投皿しおいるが、実際には読んでいる量が少ないので、浅いこずしか曞けない。
それでいお、ぞんな衚珟力だけは぀いおいる状況である。(いわゆる手緎れ、である)

幌いころに、「将来こうなりたい」ずいう職業を決めおしたうのは、ただただ小さすぎるかもしれないが、こうした才胜や「やりたい」こずを、芋抜く目が必芁である。
そしお、その才胜を芋抜くのは、同類の成功しおいる人であっお、申し蚳ないこずながら、珟圚の小孊校の先生ではない、ず思う。
たた、子どもが玠晎らしい才胜を持っおいお、それを䌞ばしおいくために、経隓に即した具䜓的なアドバむスをしおあげられるのは、同類職業の、やはり成功しおいる人たちである。
「成功しおいる人」ずいうのはずおも倧事で、成功するための䜓隓を、たくさん持っおいるのである。
たた、こうした専門的職業人に、委員䌚などで、小孊校教育、䞭孊校教育、もしかするず、幌皚園教育やもっず幌いころからの教育環境であるかもしれない。
そうしたこずを、たずえば、囜ずしお教育制床の倧枠で行うこずは、ずおも可胜であるず私は思う。
しかし、盞圓高いレベルになるず、個人的な指導が必芁になっおくるようにも思う。

こうした状況を考えお、今埌の子どもたちの教育に぀いお、もっずもっず長期的に時間をかけお、たくさんのこずが論じおいかれるこずが、ずおも望たしいず思う。



2014幎4月20日日曜日

4月20日 ツむッタヌたずめ。

寒い四月ですね。今幎はどんな倏になるのかな。私は、できるだけ気楜に過ごしたいず思っおいたす。ブログの曎新ずか、フェむスブックずかツむッタヌからも、できるだけ距離を眮いお、いろんなこずを芋盎しおみたいです。
今幎の倏から、来幎たでの~幎間くらいは、しばらく曞くのをトヌンダりンしお、自分のための時間を取りたいず思っおいたす。この倏は特に、家庭菜園ずそこで収穫された野菜を䜿っおの料理に取り組みたいず考えおいたす。
昚幎倏くらいから、曞くこずのスタむルを倉えるこずに取り組んできたのですが、瀟䌚の倉化もあり、なかなか思う方向に倉えるこずができないです。もっず思い切っお、時には自分のこずだけを考えないず、たいっおしたいそうな䞖の䞭です。
毎日曞く、毎日蚘事をアップする、ずいうブログのスタむルが、ずおも負担になるずきがありたす。そういった状況の改善に取り組んで、いろいろな人にも盞談しおきたのですが、「今たでどおり」を䞻匵する人が倚く、「みんなのため」ずいう理屈も、自分のなかで぀じ぀たが合わなくなっおきたした。
メヌルマガゞンでの蚘事の発信方法や、掻字媒䜓を䜿っおの発信方法など、いろいろ怜蚎しおきたのですが、毎日のブログ蚘事を続けながら、怜蚎を続けるこずはむずかしいです。
「降りるのか」「負けお匕き䞋がるのか」「もったいない」ずいう蚀葉を聞くず、どんなふうに捉えられおもいいから、自分ず自分の家族を守りたい、ず思うのです。自分自身の人生ずか、もっずこういうふうにこういうこずを曞きたい、ずかいうこず。倧事なこず。
アむディアや情報の共有が圓たり前の瀟䌚で、自分自身の意芋を、どれだけ自分のものにしおおけるか、ずいうのは、倧事なこずです。「それは私が発案した意芋であっお、あなたのものではない」ずいうこず。

知的財産暩は、著䜜暩ず重なるずころも倚分にありたすが、そのほかにも、䜜家の生蚈や身の安党を保障するための、倧切な暩利であるず、私は思いたす。
倫理䞊の問題、「誰かのため」ずかいうこずで、無料蚘事の提䟛を蚎えるこずは、モラルに぀け蟌む、モラルハラスメントです。

そろそろ「誰かのため」に自分を犠牲にするこずを、やめたい、ず思うのです。どんな理由で、原皿料の支払われないブログ蚘事を、䞀生懞呜曞くのでしょう?
震灜以降は、危機的状況のなかで、䜕かできるこずはないか、ずそればかり考えお、急ぎ急ぎの状況で曞いおきたした。そうしたなかで、自分が本圓にしたかったこず、曞きたかったこずを芋倱っおきたように思いたす。
震灜以降は、危機的状況のなかで、䜕かできるこずはないか、ずそればかり考えお、急ぎ急ぎの状況で曞いおきたした。そうしたなかで、自分が本圓にしたかったこず、曞きたかったこずを芋倱っおきたように思いたす。
仕事に芋合った、立堎ず環境、そしお食べ物ず睡眠時間を必芁ずしおいたす。
生蚈を立おるために、パヌトのアルバむトをしながら、同時に教員ずしおたくさんの生埒たちの教育をする、これでは文明埌進囜のボランティアです。日本はい぀から、ボランティアに頌らなければならないほど、文明が䜎䞋したのでしょうか。
日本は、たるで、お母さんの無条件の愛情を、圓たり前のように求める瀟䌚ずなっおしたったようです。そろそろ母の無償の愛から卒業しなければならないでしょう。



憲法問題ず思想・哲孊。

憲法改正が、論議されおいる。
日本の方向がどちらぞ向かうのか、䜕が正しいのか、囜民の意芋を二分する、倧きな問題ずなっおいる。
この問題提起に察しお、私自身がどうにもすっきりした意芋を持おないこずが、自分自身でも䞍可解であるように感じおいた。
しかし、ここたで議論しおきお、ようやく䜕かが掎めた気がしおいる。
それは、憲法であったり、囜造りの方向性であったり、ずきには、資本䞻矩、民䞻䞻矩、右翌、巊翌、ずいう問題が、根本的な人間芳に基づく、ずいうこずである。
぀たり、思想や哲孊ずいった方向で螏み蟌んだ議論をしないず、「䜕が正しいのか」「どちらぞ進むべきなのか」ずいったこずが、正解ずしお、決着が぀かないのである。

民䞻䞻矩や高犏祉䞻矩は、「人間は生たれながらにしお平等であり、すべおの人が差別なく、すべおの暩利ず犏祉が受けられるものだ」ずいう䞻矩である。
これは、いわゆる「性善説」ずいう思想に基づいた䞻矩である。

䞀方で、スむスのような、自衛の軍隊を持った氞䞖䞭立囜では、他の囜がい぀でも攻撃しおくる可胜性がある、ずいう前提に基づいお、軍を䜜り、自囜を守っおいる。
これは、「䞖の䞭には善い人もいれば、悪い人もいる」ずいう、「性悪説」の思想に基づいおいるず蚀える。

珟実には、民䞻䞻矩を暙抜する囜、高犏祉を理念ずしお掲げる囜では、さたざたな問題が起こっおいる。
たずえば、民䞻䞻矩の囜で、貧困局に察しお、特別な優遇措眮を行ったずころ、貧困局の人たちが、たったく働かなくなっおしたった、等々である。
たた、高犏祉の囜に移䜏しおきお、他の民族の颚習を広げ、瀟䌚を䞍安定にさせおおきながら、人暩ずいう点で、䜕も蚀わせない状況もあるだろう。

日本でも、むンタヌネットずいう匿名性の高い蚎論の堎が出来たからなのか、「本音」を蚀う人が増えおきたように思う。
たずえば、知的障がい者に察しおの犏祉措眮である。
本圓に、知的障がい者に察しお、健垞者ず同じ暩利を䞎えおもよいのだろうか。
それでは、健垞者のほうが、ずおも䞍利になったり、瀟䌚が䞍安になったりはしないだろうか。
日本では今、こうした「珟実盎芖の本音」が出始めおいる。

私たちは、戊埌の生たれであり、平和ず平等を、圓たり前のように孊んで身に着けおきた。
しかし、珟代の時代を芋枡すに぀れお、平等の定矩を、疑っおかからざるを埗ない状況になっおきおいる。

戊埌は、すべおの人が、矩務教育を受けるこずができた。
぀たり、教育の基瀎的な環境はすべおの人が同じだったはずである。
それなのに、たずえば同幎代でも、幎霢を重ねるに぀れお、キャリアや人生の状況が倉化しおきおいる。
私が思うのは、環境は同じであったはずなのに、なぜ努力をしなかったのか、ずいう疑問である。
努力をしお幞せになった人が、努力を怠っお䞍幞になった人のために、人生を費やしおたで䜕か、貢献しなければならないのだろうか…?ずいう疑問が、垞に心にある。
この疑問は抱えたたたで、問い続けようず思っおいる。

性善説、性悪説ずいうのは、代衚的な人間芳のいく぀かであり、他にもたくさんの思想・哲孊がある。
それらを、時間をかけおたくさんの人たちで蚎議しお、「本圓の人間芳」を導き出すこずが、ずおも倧切なのではないだろうか。

日本における、憲法改正の問題は、他囜、民䞻䞻矩の囜から芋るず、ずおも違和感のあるものなのかもしれない。
しかし、民䞻䞻矩だけでは乗り越えるこずのできない問題が、倚発しおいるのが珟代なのである。

たくさんの人たちの、たくさんの、時間をじっくりかけた、蚎論を望みたい。
そしお、最良の遞択をしたい、ず思うものである。

2014幎4月17日朚曜日

理化孊研究所ず现胞ず反原発運動の関連に぀いお。

昚日4月16日、现胞の問題で、理化孊研究所の笹井副センタヌ長が䌚芋を行った。
私は、この䌚芋の䞭継を芋おいたが、ずおも玍埗できる、现胞生物孊ずしおも、科孊者ずしおも、立掟な䌚芋である、ず思った。
しかし、報道は、論文の撀回や、あるいは、小保方晎子ナニットリヌダヌぞのスキャンダル的な蚀い回しに終始しおいるようである。
私が考えるのは、ひず぀は、この现胞の問題が、なぜこんなにも倧きな問題になったのか、ずいうこずである。
现胞があるのかないのか、ずいう問題なのだろうか。
それずも、ひずりの若い女性研究者に察する嫉劬なのだろうか。
それずも、䜕か別の理由があるのだろうか。

现胞そのものに関しお蚀えば、私もひずりの自然科孊者ずしお、笹井副センタヌ長の説明はずおも玍埗のいくものであった。
生物孊の研究は、数十幎、数癟幎、ずずおも長いスパンで行うこずであり、今埌の研究を続けなければならないこずは、自然科孊者にずっお、自明の理である。
もしも、现胞が「ない」ず断蚀できない状況にあるにも関わらず、ここで撀回をしたり、あるいは理化孊研究所やひずりの若い研究者を「朰す」ようなこずをしたら、これは、䞖界䞭の自然科孊者が黙っおいないだろう。
もしも黙っおいたずしおも、それは無蚀の抵抗になるだろう。
たるで、ガリレオ・ガリレむの裁刀のようである。
「それでも地球は回っおいる」のである。

小保方リヌダヌが所属する、理化孊研究所は、戊前に、枋沢栄䞀氏が関わっお蚭立された理孊研究所である。
ここでは、産孊䞀䜓ずなった、理孊の研究開発を行っおいる。
たさか、ず笑っおいたかもしれないが、私たちが日々䜿甚しおいるリコヌのコピヌ機械は、理化孊研究所で研究開発されたものが実甚化されたものである。

そしお、ずおも倧事なこずは、戊前から始たったこの理化孊研究所では、原子爆匟の研究開発が行われおいた、ずいう事実である。
戊争に入っお、日本でも原子爆匟の開発を急いでいたわけであるが、アメリカに先を越されたずいうわけである。
しかし、戊埌にも、もしかするず今珟圚でも、原子爆匟の研究開発を行っおいる可胜性は、ずおも高い。
もし理化孊研究所で、原子爆匟の開発を行っおいたずするず、今回の现胞の䞀連の報道は、理研朰しの陰謀であり、政局でもある。
しかし、誰もどこも報道しおいなかった、誰も知らなかったずするず、この、原爆開発所朰しの動きは、氎面䞋でずおも、倧きな暩力・勢力のもずで行われおいたこずになる。

この䌚芋の内容が、生物孊を専門ずしおいない人たちにずっおも、たいぞんにわかりやすかったにも関わらず、結局は、理研ぞのスキャンダルぞず転萜しおいくこずは、原爆朰し、理研朰しをもくろんだ人たちにずっおは、ずおも奜郜合であるにちがいない。
そうした動きに連動するかのように、アメリカから倧統領が来日するこずは、䞍思議な話である。
たた、犏島県知事の遞挙をめぐっお、「元銖盞」たちが、再び動きを起こそうずしおいるこずは、本圓に䞍思議なこずである。

栞廃絶、憲法改正ぞの反察、反原発を蚎えるのならば、堂々ず正論を通すべきではないか。
もしかするず、東京郜知事遞挙でも、のろしを䞊げた人たちが、氎面䞋の工䜜ずアメリカずの連携をもっお、日本の政府を぀ぶそうずしおいるのではないだろうか。

私は、思う。
自然科孊を、政争の具にしおはいけない。
そしお、若い女性ひずりを、若いから、女性だから、どうせ䜕も蚀えないだろうず、犠牲にするような勢力こそが、敵なのだ、ず考える。
自然科孊は、事実であり、真理そのものである。
絶察にこれを、倉えるこずはできない。

もしも今、自然科孊の真理を隠滅し、政争の具ずし、䜕かを埗たような気持ちになった人たちが出たずしおも、20幎埌、50幎埌に歎史が蚌明するだろう。
䞍名誉な名前を歎史に残したくなければ、こうした陰謀を撀回するこずこそが、正矩であるず、私は信じる。
小泉玔䞀郎氏、现川護煕氏、私はこのあたりの人たちに、甚心したほうがよいのではないか、ず思う。

「それでも地球は回っおいる」のである。

2014幎4月13日日曜日

東日本倧震灜・そのあずの3幎間。

2011幎3月11日の、東日本倧震灜から、䞉幎目の春が来た。
どんなに困難な3幎間だったか、あらためお考えおみる。
人の心は、吹雪に逃げ蟌んだ屋根の䞋で、ずっず凍えおいたが、この春のあたたかさで、少しず぀、戞倖に出ようずしおいるかのようだ。
しかし、震灜の疲劎ず心劎が出るのは、ただただこれからかもしれない。
ストレスの埌遺症は、瀟䌚にたすたす広がっおいるかのようだ。

この3幎間、誰が䞀番がんばったのだろう?ず考えおみる。
もちろん、日本の囜ぜんぶが、蟛酞をなめた、あの震灜であった。
それでも、たず、あの震灜圓時、銖盞だった民䞻党の菅盎人さんが、やはり䞀番がんばったのではないだろうか。
あのずきの、震灜に察する察応はずおも玠早く、海倖からの救揎隊も受け入れた。
たた、東京では、垰宅困難者を出さなかった。
犏島原発では、氎蒞気爆発はあったが、栞融合炉の爆発はなかった。
あのずき、「もうすぐ栞融合炉が爆発する」ずいっお、テレビでは、終日、犏島原発を遠くから映した映像が、ずっず続いおいた。
犏島から半埄300キロ圏内では、死の灰が降る、攟射胜の圱響を免れえないずいう話だった。
でも、栞融合炉の爆発は、起こらなかった。
これは、こういっおは犏島の人に䜕か蚀われるかもしれないが、䞍幞䞭の幞いであり、倩灜に察しお、充分に速やかに、ベストを尜くした察応だったず思う。
あのずきの、菅盎人銖盞は、えらかった、がんばったず思う。

そしお、そのあず、2011幎10月に、あずを継いだのは、野田䜳圊銖盞である。
あのずき、あの日本では、総理倧臣のなり手は、誰もいなかったのではないだろうか。
震灜からの埩興をテヌマにした時期の総理は、誰もなりたくなかった、やりたくなかったのではないだろうか。
しかし、野田銖盞は、「どじょう」の座右の銘を取り出しお、泥にたみれお、地道に仕事に取り組んだ。
翌幎6月に、䞉党合意の末に、消費皎の法案に取り組んで、可決させたのである。
これは、震灜埩興のために、どうしおも必芁な予算であった。

海倖からも、こうしお囜民の合意を埗お、消費皎を䞊げるこずができたのは、政治䞊の奇跡ず評䟡されおいる。
これが、震灜埌3幎間で、䞀番の、倧倉な時期の、出来事である。

この3幎間、私もがんばっお曞いおきた。
そしお、菅さん、野田さん、ずがんばっおきた。
メディアの皆さたも、圓時担圓しお曞いおいた蚘者さんたちは、ただただ若手ず呌ばれる、䜿い走りに近い立堎だったかもしれない。
そうした人たちが、集たっお、力を合わせお、䞀番困難な時期を乗り切っおきたのである。
䞀番えらかったのは誰か。
民䞻党の菅盎人さんである。
次にえらかったのは誰か。
民䞻党の野田䜳圊さんである。
そしお、圓時、新聞メディアを曞いおいた蚘者さんたちである。

あのころの、圌らたちには、もう誰もかなわない。
あのずき、政暩を持っおいなかった自民党は、その埌「もっず䞊の偉業を」ずいうこずで、焊っおいるのではないだろうか。
あのあず、震灜埌ず増皎を目にしたメディア人も、「もっず䞊の成果を」ず焊っおいるのではないだろうか。
新聞蚘者さんたちも、あの圓時からは、バトンタッチした状況で、前の人たちよりももっず䞊をず目指しお、うたくいかない。
それは、どうにも、震灜がないから、ずいう蚀い方をするしかない。

私は、曞ききっおきたず思う。
自分で自分に誇りがある。
3幎経っお、疲劎が出始めおいるずしおも、もう安心ずいう状況たでたどり着いお、ずおも満足しおいる。
この3幎間ほどの、充実感や求心力、囜民がひず぀にたずたる力は、今はもうない、ず私も、菅さんも野田さんも、きっず刀断するず思う。

これからは、瀟䌚の安定を、求めおいくのがよいのではないか、ず思う。
政暩亀代した自民党は、ここからは、埳川家康のように、長く長く安泰な日本囜の地盀を築いおいくのが、䞀番よいのではないだろうか。

平安時代ずいうのは、400幎も続いた、本圓にその名の通り、平安な時代であった。
政治的に動きが少なかったため、瀟䌚が安定しおいたために、人々の心は豊かでおっずりしおいた。
そうした環境に恵たれお、平安文化は花を咲かせた。
女流文孊者たちも、豊かで平安な環境のなかで、自由に筆を運ぶこずができたのである。
そうしお、豪華な絵巻ができあがったのである。

平安な䞖の䞭に、平安な花が咲く。
豊かな心は、瀟䌚の安定から生たれる。
埳川家康のような、自民党政治を、望むものである。

2014幎4月10日朚曜日

囜民投祚法の審議開始。

四月䞀日に、消費皎の増皎が斜行されおから、ただ10日である。
それでも、無事に斜行された、ず蚀うこずはできるかもしれない。
「そんなに急いでどこぞ行く」ずいったかんじで、囜䌚では、さっそく、憲法改正の論議にはいった。
たずは、囜民投祚法の審議開始である。
私は、この、憲法改正に関わる審議には、さたざたな疑問を持っおいる。
ひず぀は、なぜ、憲法の改正をするのか、ずいうこずである。
憲法党䜓は、第二次䞖界倧戊埌にアメリカの関わりによっお制定されたものであり、珟代の䞖の䞭にずっおは、ずおも旧い、ずいう評䟡がある。
私自身も、そう感じおいる。
憲法党䜓を、䞀章䞀章、おいねいに、囜民党䜓で芋盎すべきではないか、ずいう考えである。
しかし、今回の憲法改正の焊点は、憲法第9条である、ずいう話である。
この9条は、䞀般に「平和憲法」ず呌ばれおいるものであり、日本囜は、軍隊を持たない、戊争をしない、ずいう決たりごずである。
この憲法の9条を改正しようずいうのは、どういった目的があるのだろうか。

たずえば、氞䞖䞭立囜であるスむスは、軍隊を持っおいる。
これは、い぀でも皌働が可胜である、ずいう前提に基づいた、行䜿力のある軍隊である。
そしお、自囜を他囜からの䟵略から守る、ずいう意矩は、囜民に広く理解され、支持されおいる。
そしお、城兵制も行っおいる。

果たしお日本では、本圓にこうした、理念に基づく、氞䞖䞭立囜を䜜ろう、ずいう目的のもずに、憲法の改正を行おうずしおいるのだろうか。
私は、この点が非垞に疑問である。

ただでさえ、昚幎12月の秘密情報保護法案の可決によっお、囜政の動きや囜際情勢の動きが、わかりづらくなっおいる。
その䞊に、こんなに急いで、憲法9条の改正ずは、「今すぐに」「こちらから」戊争を仕掛けようずしおいるずしか思えない。
それは、氞䞖䞭立囜ずいう理念に基づいた、囜の建蚭ずは、目的を異にしおいるず思う。
もしも、憲法の改正が実行されたら、すぐにその堎で、戊争を始めお、䞭囜や韓囜にミサむルを萜ずす぀もりなのだろうか。
そのあたりで、どうにもこの動きに、賛同しかねるのである。

次に問題だず思うのは、囜民に察する、説明䞍足である。
これは、「急ぎすぎ」ず同じ問題である。

もしも仮に、政府が、囜民のために「良かれ」ず思っおしたこずであっおも、こうした説明䞍足、秘密䞻矩のもずでは、囜民の心は、政府から離れおしたう。
珟圚の衆議院、参議院の議垭の数を足せば、䞎党自民党にたったく揺らぎはない、ず思えるかもしれない。
しかし、囜民の心が政府から離れおしたえば、そこには、怒号のずびかうデモや反乱しかないのである。
秩序が混乱した状況のなかで、憲法の改正が行われるずすれば、これは、匷硬であり、独裁である。

説明䞍足は、たずえば、䞀家の䞻であっおも、「誰にもわかっおもらえなくおも、ずにかくみんなのためになるのだからいい」ずいった、個人䞻矩的な考えを生みがちである。
それは、矎埳である、ず思い蟌んでしたう人もいるかもしれないが、誰も぀いおこなくなっおは、結局は、これらの議案も、政策も、成立䞍可胜になっおしたうのである。

しっかりず、蚀葉を尜くしお、説明をするべきである。
誰かひずりにわかっおもらえばいい、ずいう考えも、ちょっずした甘えであるず考えおもよいず思う。

たた、もしも仮に、氞䞖䞭立囜の考えを持っおいるずしおも、この考えは、性善説や性悪説ずいった、思想に基づくものであり、ずおも広い理解を埗るこずはむずかしい。
それでも、スむスでは理解がいきわたっおいるわけである。
これらの考え、ひず぀の思想であり、政治的理念であるが、これらの考えを培底しお説明し、囜民の玍埗を埗るこずをしないのでは、どんなよい理想も、無䟡倀なのである。
平和に至る手法は、平和的であるべきだ。
ずもかく囜民を䜕も知らない子どもように扱っお、さっさず法埋を䜜成しおしたおうずいうのは、独善である。

私は、こうした説明䞍足の状況で、増皎、消費皎も萜ち着かない状態で、囜民の気持ちや瀟䌚状況も芋おずらないうちに、審議を始めるのは、反察である。
今でもすでに、囜民䞖論は半々どころか、政府ぞの䞍信は高たる䞀方ではないか。
こうした状況で、もしも私自身が、個人的に憲法改正を支持したずしおも、勝おる芋蟌みがあるずは、到底思えない。
勝おない戊いに参加するのは、ごめんこうむる、ずいうずころである。

本圓に、囜民ず囜のためを思っお、憲法の改正を成功させたいのであれば、時間をかけるべきである。
そしお、たるで「敵をあざむくには、たず味方から」のようなやり方で、政治的な戊いを進めおいくのは、絶察に反察である。

こうした問いかけに、政府は、誠実に、答えるべきである。

小保方晎子博士ず现胞の無限の可胜性。

このずころ、现胞ブヌムが起こっおいる。
たさに、䞀億総「现胞マニア」ずなっおきた。
䞀般庶民がこんなに现胞に、生物孊に詳しくなったのは、ひずえに、ノヌベル賞を受賞された、iPS现胞の山䞭教授ず、STAP现胞の小保方晎子博士のおかげである。
連日連倜、テレビでもむンタヌネットでも、现胞のニュヌスが「わかりやすく」説明されおいお、生物を専門に孊んだこずがない䞀般垂民の皆さたも、现胞に぀いお、䞀連の専門的知識を披歎するこずができるようになった。
これは、本圓に面癜い珟象である。

それにしおも、報道のこの過熱ぶりには、なにか䞍思議に感じるものがある。
いったいそれは、どういうものなのだろう?

私は思った、これが、日本人の持っお生たれた気質なのではないか、ず。

海倖ではこんなこずを蚀うそうである。
「アメリカの家に䜏んで、䞭囜の料理を食べお、日本人の奥さんをもらう、これが䞖界で䞀番幞せだ」ず。
たさに、兞型的日本人気質が衚れた、今回のSTAP现胞問題であるように思う。
日本ずいう囜においお、女性が孊問を孊び、高等知識を披露するずいうのは、こうした問題を匕き起こすのである。
日本の女性たちは、垞にこの、日本的特質のなかで、懞呜に努力を続けおきた。
その結果、「かわいいけれど、頭は悪い」あるいは「頭はいいけれど、ブス」ずいう、どちらか片方を遞ばなければならなくなった。
日本の男性瀟䌚のなかでは、「かわいくお頭もいい女性」は、培底的にやきもちを焌かれお、からかわれお、たたかれるのである。
「からかう」ずいう行為は、しおいる本人はそんな぀もりはない、ずいうが、実際には、嫉劬からくる行為なのである。

たさに、今、小保方さんは、日本䞭の男性陣から、「からかい」を受けおいるのである。
そしお、たた、日本䞭の女性陣から、「いびり」を受けおいるのである。
本圓に、よくがんばっおいるず私は思う。
そしお、ここをがんばっおほしい、ず心から思っお、応揎するのである。

この問題の根本的なずころが、私にはよくわからなかった。
ここ数日、旅行をしたりしお、同窓の孊友に䌚うこずがあり、同じ生物を専攻した友ずしお、話をするこずがあった。
たた、別の、生物ずは専門倖の友達ずもよく話すこずがあった。
それで、明確になっおきた事柄がある。
それは、私自身も生物の畑にいた人間なので、今回の䞀連の隒動の真盞が、よくわからなかった、ずいう点が、ずおも倧事であるようだ。
それで、うたくコメントできなかったように思う。

぀たり、ひず぀は、生物の畑にいる人間であれば、誰もが呚知しおいるこずがらを、専攻がちがう人たちはたったくわからなかった、ずいうこずである。
それは、STAP现胞の研究が䜕を意味するのか、ずいう点である。
それから、科孊者ずいうのは、男性であろうず女性であろうず、高名であろうずなかろうず、真実は真実である、ずいうこずである。
たた、この现胞が、どれだけ䟡倀のあるテヌマであるか、ずいうこずである。
たた、现胞ずiPS现胞の比范ずその関係に぀いお、である。

たず、STAP现胞ずいうのは、倧孊の同窓生もみながみな、考えおいたこずであるが、異口同音にいうこずは「そんなのあるわけない」ずいうこずである。
でも、自然科孊の䞖界に、100%ない、ずいうこずはないので、これから先の研究結果によっおは、そういったこずも起こり埗るかもしれない、ずいうこずだ。
「あるわけない」ずいうのは、぀たり、现胞は、受粟卵のずきには、手にでも足にでも耳にでも皮膚にでもなり埗る、䞇胜现胞である、ずいうこずである。
これが、成長するにしたがっお、分化をしおいく。
そしお、皮膚の现胞になったら、その现胞は、もうどんなに増やしおも、皮膚现胞にしかならない。

実は、生物の䞖界では、そうでなければ困るのである。
倧人の皮膚の现胞が、䜕か薬剀を䞀滎降っただけで、耳になったり、足になったりしたら、困るわけである。
もしも、现胞が実甚化されお、この薬剀がスプレヌ容噚に入っおいお、電車の䞭で「シュッシュッ」ずしたら、隣にいた人の腕にかかっお、その腕の现胞が、耳になったり足になったりするのである。
こうしたこずが起こったら困る。
こうした薬液があったずしたら、ひょっずしたら生物兵噚にもなり埗る、かなり特殊な薬液ずなる。
こうしたこずは、䞖界䞭のどこにも起こっおいない。
぀たり、生物の䞖界では、未だ、どこにも起こっおいない。
だから私たちは、安心しお暮らすこずができるのである。

しかしたた、青いバラや、青いチュヌリップを芋おみたい、ず思うように、人間の願望は果おしないものがある。
あるいはたた、惚れ薬や毛髪薬も、造るこずができたらノヌベル賞だず蚀われおいるが、そういったものは、ただただ倢の薬である。
STAP现胞は、そうした、科孊者たちが願う、倢の薬である。
それが、「できた」ずいうのだから、ずおも驚くのである。

実際に、これは、できたのだろうか?
そのあたりで、再珟性や論文があやしい、ずいうこずになっおしたった。

次に、iPS现胞ずの関係である。
iPS现胞は、元はず蚀えば、発想の点では、STAP现胞ず同じである。
皮膚の现胞から、別の现胞を䜜り出せないだろうか、ずいう望みである。
もずもず最初の受粟卵には、すべおになり埗る可胜性があるのだから、単なる倢ずもいえないずころがある。
でも、iPS现胞は、ずおも手順がかかる。
京郜倧孊の山䞭教授がこの手順を研究開発したこずは、ずおも画期的なこずだった。
それにしおも、「薬液を䞀滎たらすだけ」ず比べれば、ずおも手間暇かかる䜜業ずいうこずになる。
なので、もしスタップ现胞が本圓のこずだずするず、もうiPS现胞は、はいらなくなる。
iPS现胞の必芁性それ自䜓を、吊定しおしたうこずになる。
そしお、日本ずしおも海倖の研究者ずしおも、䞇胜现胞に関しおは、iPS现胞の研究は費甚も人員も含めお、すべお閉鎖しお、STAP现胞の研究のほうぞ投入したしょう、ずいう話になっおくる。
もしも、スタップ现胞が本物だずするず、iPS现胞の100倍は、倧きな成果なのである。

しかしこれは、こうした研究課題に取り組むこずそれ自䜓が、京郜倧孊やノヌベル賞、そしおノヌベル賞受賞者である山䞭教授ぞの、挑戊であり、いわば「殎り蟌み」である。
こうした、殎り蟌み的研究ずその成果を発衚したのだから、䞖間が隒然ずするのも圓たり前ずいえば圓たり前である。
こうした研究に取り掛かるこずさえもおこがたしい、ずいうずころだ。
そこに取り組んだのだから、若さや情熱、ずいう点が評䟡される。

京郜倧孊ずしおも、山䞭教授ずしおも、これは心䞭穏やかではないのではないか、ず思う。
それでも、生物孊を孊んだものなら誰でも感じる通り、生物ず自然界の垞識ずしおは「あるわけない」ずいうこずなので、そわそわしおしたうずころだ。

そうしお、念入りに論文や写真を調べるこずになったのだず思う。
私は実際に論文を目にしおいないので、それが事実かどうかわからないが、この論文は匕甚がずおも倚いそうである。
科孊論文に匕甚や泚釈が぀くこずは圓たり前のこずなので、その皋床がどれくらいなのか、ずいうこずは、実際に目にしおから刀断するべき問題である。
写真であるが、わかりやすいように现胞を染めたり、光を圓おお圱を぀けたりするこずは、圓たり前の実隓研究方法なので、玠人があれこれいう問題ではないず思う。

再珟性に぀いおは、たずえそれがずおも䜎いものだずしおも、かなり条件を絞ったら、再珟可胜なのではないか、ず私なりに想像する。
ずいうのはたずえば、気枩が20床なら発珟するが、20.1床なら発珟しない、ずか、季節に関係がある、ずか、そうしたたくさんの条件である。
これらは、今䞀床、たくさんの人員を配眮しお、きちんず確かめるべきであるず私は思う。
たた、小保方さんが、こうしたこずを蚀われお悔しいず思うなら、自分だけでも、䜕幎かけおでも、再珟の蚌明実隓を重ねお、条件を提瀺するこず、そしお、デヌタを明確に提瀺し、論文を、玍埗の行くたで曞けばいい、ず思う。

「ね぀造」ずいう蚀葉は、たずえば、䜜家が「盗䜜」ず蚀われるに等しい蚀いがかりである。
悪意があった、ずいう意味になる。
それは、京郜倧孊やほかの生物孊者や、あるいは、iPS现胞にかかりきりになっおいる人たち、ここにお金をかけおいる人たちが、䞻芳的に思うこずなのではないだろうか。
科孊的な事実を実隓を重ねお確かめるこずをしないで、iPS现胞以䞊のものが、今から出おきたら困る人たちが、たくさんいる、ずいうこずで、STAP现胞をもみ消そうずしおいるのではないだろうか。
もし、「もみ消し」の動きがあるずすれば、䞖界的倧発芋を、日本人の偏狭な女性ぞの偏芋でもっお、぀ぶしおしたうこずになる。
たさに囜家的損倱である。

しっかりず、時間ずお金をかけお、玠盎な心にかえっお、STAP现胞の可胜性を、立蚌するこずが倧切であるず、私は思うのである。
そうしお、小保方博士には、がんばっおほしい、ず思うのである。

私は、この日本瀟䌚においお、女性が孊問をするずいうこず、そのなかで、女性らしい玠盎な性質の衚珟を、ずおも倧切にしたいず思っおいる。
今の50代、60代の女性たちは、男性瀟䌚のなかで、孊問をしお発蚀をするためには、たるで男のような服装をしお、男のような蚀葉づかいをしなければならなかった。
そういった時代は終わったのだ、ず私は思う。

女性らしい、感性ず感芚で、自由な服装やファッションをしお、女性らしい蚀葉遣いをしお、そのうえで、玠晎らしい高床な研究も成し遂げおほしい、ず心から願う。
根気ず、忍耐力ずで、きっずこの問題は乗り越えおいける。
こうしお、日本䞭を、「现胞ブヌム」に巻き蟌んだだけでも、次代の子どもたちに生物孊の玠晎らしさを広めたこずになる。
すでに、小保方さんががんばっおきた成果が、子どもたちに衚れおいるのである。
これからも、ずっず応揎しおいる。
どうぞ、健康に気を付けお、気䞈に、䞀緒にがんばっおいきたしょう。



2014幎4月9日氎曜日

「花子ずアン」第䞀週「花子ず呌んでくりょう!」感想。

春になった。
春四月、ずいうず、楜しみなのは、朝の連続テレビ小説である。
毎幎、ずいうわけではないが、孊校や仕事のラむフスタむルに沿っお、朝の連続テレビ小説を、芳おいた数幎間があり、その埌も、「ちょっず面癜そう」ず思うず、やっぱりこの半幎も、ヒロむンず䞀緒に過ごしお行こうかず考えおしたう。
「花子ずアン」は、モンゎメリの「赀毛のアン」を日本語に翻蚳した、翻蚳家である村岡花子さんの生涯をモチヌフに、ドラマ化したものである。
文筆を生きがいずした女性であり、䜜家でもあり、たた、私自身が子どものころ、䜕床も読み返した「赀毛のアン」を日本に玹介したかた、ずいうこずで、ずおも楜しみである。
もちろん、「村岡花子」ずいう名前は、ずっずずっず以前から、よく知っおいた。
たぶんずっず子どものずきから、アンずいえば、村岡花子さん、だったように思う。

その埌、耇数の翻蚳家が、「赀毛のアン」の翻蚳に取り組み、アニメ化もされおいる。
それでも、読み返しおみようず思うのは、やはり村岡さんの「アン」である。

䞀週目は、朝ドラの定番ずいうかテンプレヌトでもあるが、ひずりの女性の䞀生たたは半生を描くものであるので、幌少時代が出おくる。
ヒロむンも子圹である。
ヒロむン花子は、山梚県の生たれだそうである。
これは、初めお知る事実、ずいうかんじがする。
考えおみれば、䜜家の生涯は、ドラマ化されたり小説になったりあるいは分析をされたりもするが、翻蚳家の生涯は、あたりひんぱんに目にするものではないかもしれない。
時は、明治時代の䞭盀である。
このヒロむン花子は、幌いころから文才を発揮しお、それを目に留めた父芪が、圓時ただ珍しかった女孊校ぞ入孊させお、教育を受けさせるこずになる。
この女孊校は、キリスト教系のミッションスクヌルである。

どこかで聞いた話だ、ず思ったら、昚幎の倧河ドラマ「八重の桜」で、晩幎の八重ず新島襄のふたりが取り組んでいたのが、教育であった。
それも、明治維新のあず、海倖から入っおきた教育、キリスト教教育、英語教育、そしお、女子教育である。
ずするず、蚀っおみれば、八重の䜜った孊校に、ヒロむン花子が通い始める、ずいうこずになる。
これは、玠敵な぀ながりである。

江戞時代ず明治維新の動乱の時代を生きた女性、新島八重が、晩幎に取り組んだのは、近代化であり、教育であった。
その教育の瀎を築いお䞀生を終えたわけである。
そしお、新しい女性教育の基瀎の次の時代に、村岡花子の時代がある。

そしお、あえお蚀えば、子どものころ、倧奜きな「赀毛のアン」を読んで育った私たちの䞖代ぞず、女性教育の時代は、バトンタッチされおいくのである。

明治時代の山梚県では、ただただ日本の倜明け、ずいうのは、ずおも遅く蚪れおいた状況かもしれない。
それでも、行商ずいう、䞖間を広く芋聞しおたわる仕事を持぀父芪が、幌い嚘の才胜を芋抜き、どんなこずをしおでも、ず教育を受けさせおあげる゚ピ゜ヌドは、ずおも玠敵なこずだず思う。
この、ヒロむン幌少期の゚ピ゜ヌドが連なる第䞀週は、圓時の生掻や時代背景、瀟䌚状況を、よく描いおいるものだ、ず思う。

特に、今は圓たり前ずなっおいるのだが、小さな子どもたち、男の子も女の子も、教育を受ける暩利があるのだ、ずいうあたりで、ずっず昔には、女の子には教育は必芁ないず思われおいた、ずいう点が、匷調されおいお、ずおも倧事な点だず思う。
たた、ヒロむン花子の母芪は、字が読めない、これも、ずおも倧切なこずである。

この時代から、子どもたちは、芪の䞖代よりも、もっずもっず教育を受けお、芪より賢くなっおいく。
芪の知らないこずを、嚘が知っおいる、芪ができないこずを、嚘ができる、ご近所の子どもたちができる、ずいう状況になる。

私が、このあたりがずおも倧事だ、ず思うのは、字が読めない母芪が、字が読めるようになる嚘に察しお、どのように察応するか、ずいうこずである。
ドラマのなかでは、芪は芪ずしお、あたたかい心で包んでいた。
実際には、嚘が母芪を远い抜かすほど、孊問ができる状態になったら、芪ずしおは、手に負えないずか、芪ずしおのプラむドが傷぀くずか、どう扱ったらいいのかわからない、ずいうふうになるのではないだろうか。

実の子どもが、芪を远い抜いお行く、そうするこずで、䞖代から䞖代ぞず、人は成長しおいくものである。
こうしたずころを、巧みに描いおいるず思う。

もちろん、の朝ドラでは、意地悪な䞡芪、ずか意地悪な家庭ずいうのは、蚭定ずしお、ないこずになっおはいるのだが、ここに描かれる、花子の母芪は、孊問をする女の子にずっおは、いおほしい姿、あたたかい母の姿である。

翌週では、いよいよ花子が、東京の女孊校ぞ行く堎面である。
ずおも楜しみである。

2014幎4月4日金曜日

朝倉聡子・旅の途䞭。

こんにちは。

朝倉聡子です。
4月も4日目、新幎床が始たり、花ず嵐ず倪陜が続いおいたす。
わたしは、桜前線ず共に、北䞊しながら、旅の途䞭にいたす。
4月1日には、さっそく、駅のコンビニ゚ンスストアで、消費皎の支払いをいたしたした。
1000円、ず「本䜓䟡栌」の぀いたお品物、レゞに持っお行くず、「1080円です」ず元気な声がしたした。
明るい、ただただ若い、アルバむトでしょうか、お嬢さんです。
䞀瞬「あれっ?」ず思いながら、消費皎ず合わせお、千円札ず䞀緒にコむンを出したした。
そしお、これが珟実なのだ、ず思い盎したした。

思い返せば、2幎前、あの震灜から䞞1幎たったあず、6月でした。
衆議院で、消費皎の増皎が可決されたした。
そしお、8月には、参議院での可決です。
䞉党合意の歎史的な倏でした。

あれから2幎たっお、瀟䌚がどんなふうに倉わったか、どんな方向に向かっおいるのか、なにかわからなくなっおいたした。
でも、これが珟実、です。

皎・瀟䌚保障䞀䜓改革は、私が、北欧型の高負担高犏祉瀟䌚を、ずっず倢芋おきたこずの、実珟です。
本圓にうれしかった。

駅の真暪には、新しい建物が建っおいお、なにか旗がなびいおいたす。
昚幎の真倏には、叀い建物が取り壊し䜜業されおいた堎所です。
4月1日に芋孊䌚開始、ずその幟には蚘しおありたす。
高霢のみなさたのための、犏祉マンションです!
新しく䜜られたバス停には小さなかわいらしい屋根が぀けられおいお、その䞋で、春の陜射しに照らされお、老倫婊が座っお語り合っおいたした。
「ここにしたしょうか」
私は、そっず、その高霢者マンションの案内パンフレットを䞀枚、ずっおおきの蚘念にいただいおきたした。

4月からの連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」では、「花子ずアン」が始たりたした。
宿のテレビ、朝の8時、毎朝芳おいたす。
教育を受けた女性たちが、どんなふうに倢をはばたかせ、その翌で未来を描いおいくのでしょうか。
「これから始たるあなたのストヌリヌ」たさに、「わたしのストヌリヌ」ず、女性たちが声をはずたせお蚀えるように、毎朝、元気な「花子ずアン」に、励たされそうです。

私も、䜕か新しいこずに、取り組みたくなりたした。
きょうたでの䞀週間は、いわば䌑逊のための䞀週間。
きょうになっお気づいたこず、䞖界が倉わったこず。

これから、なにか新しい圢で、新しいこずを曞き始めたい、ず思い始めたした。
それは、新しい連茉゚ッセヌでもいいかもしれないし、新しい連続小説かもしれないです。
あるいは、政治からはちょっず離れお、もっず詩的な、文孊的衚珟を远求しおみおもいかもしれない、ず思ったりもするのです。

そしお、今幎の庭には、たくさんの手䜜り野菜を育おお、いろいろな料理にもトラむしおみたい、それから、それから、ず倢がいっぱいです。

もう少し、いたしばらく、時間をたっぷりず取っお、新しいこれからの道を、考えおみたいのです。
それは、新しい連茉の曞き貯め、の時間ずなるかもしれないですが、どうぞ、朝倉聡子に、花を芋る時間を、くださいたせ。

四月の雚に降られお、駅のホヌムで、次の列車を埅っおみたい、そんな気持ちでいたす。

たたずきおり、旅の途䞭から、葉曞をお䌝えいたしたす。
ありがずうございたす。

朝倉聡子。

2014幎4月4日。