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国民投票法の審議開始。

四月一日に、消費税の増税が施行されてから、まだ10日である。
それでも、無事に施行された、と言うことはできるかもしれない。
「そんなに急いでどこへ行く」といったかんじで、国会では、さっそく、憲法改正の論議にはいった。
まずは、国民投票法の審議開始である。
私は、この、憲法改正に関わる審議には、さまざまな疑問を持っている。
ひとつは、なぜ、憲法の改正をするのか、ということである。
憲法全体は、第二次世界大戦後にアメリカの関わりによって制定されたものであり、現代の世の中にとっては、とても旧い、という評価がある。
私自身も、そう感じている。
憲法全体を、一章一章、ていねいに、国民全体で見直すべきではないか、という考えである。
しかし、今回の憲法改正の焦点は、憲法第9条である、という話である。
この9条は、一般に「平和憲法」と呼ばれているものであり、日本国は、軍隊を持たない、戦争をしない、という決まりごとである。
この憲法の9条を改正しようというのは、どういった目的があるのだろうか。

たとえば、永世中立国であるスイスは、軍隊を持っている。
これは、いつでも稼働が可能である、という前提に基づいた、行使力のある軍隊である。
そして、自国を他国からの侵略から守る、という意義は、国民に広く理解され、支持されている。
そして、徴兵制も行っている。

果たして日本では、本当にこうした、理念に基づく、永世中立国を作ろう、という目的のもとに、憲法の改正を行おうとしているのだろうか。
私は、この点が非常に疑問である。

ただでさえ、昨年12月の秘密情報保護法案の可決によって、国政の動きや国際情勢の動きが、わかりづらくなっている。
その上に、こんなに急いで、憲法9条の改正とは、「今すぐに」「こちらから」戦争を仕掛けようとしているとしか思えない。
それは、永世中立国という理念に基づいた、国の建設とは、目的を異にしていると思う。
もしも、憲法の改正が実行されたら、すぐにその場で、戦争を始めて、中国や韓国にミサイルを落とすつもりなのだろうか。
そのあたりで、どうにもこの動きに、賛同しかねるのである。

次に問題だと思うのは、国民に対する、説明不足である。
これは、「急ぎすぎ」と同じ問題である。

もしも仮に、政府が、国民のために「良かれ」と思ってしたことであっても、こうした説明不足、秘密主義のもとでは、国民の心は、政府から離れてしまう。
現在の衆議院、参議院の議席の数を足せば、与党自民党にまったく揺らぎはない、と思えるかもしれない。
しかし、国民の心が政府から離れてしまえば、そこには、怒号のとびかうデモや反乱しかないのである。
秩序が混乱した状況のなかで、憲法の改正が行われるとすれば、これは、強硬であり、独裁である。

説明不足は、たとえば、一家の主であっても、「誰にもわかってもらえなくても、とにかくみんなのためになるのだからいい」といった、個人主義的な考えを生みがちである。
それは、美徳である、と思い込んでしまう人もいるかもしれないが、誰もついてこなくなっては、結局は、これらの議案も、政策も、成立不可能になってしまうのである。

しっかりと、言葉を尽くして、説明をするべきである。
誰かひとりにわかってもらえばいい、という考えも、ちょっとした甘えであると考えてもよいと思う。

また、もしも仮に、永世中立国の考えを持っているとしても、この考えは、性善説や性悪説といった、思想に基づくものであり、とても広い理解を得ることはむずかしい。
それでも、スイスでは理解がいきわたっているわけである。
これらの考え、ひとつの思想であり、政治的理念であるが、これらの考えを徹底して説明し、国民の納得を得ることをしないのでは、どんなよい理想も、無価値なのである。
平和に至る手法は、平和的であるべきだ。
ともかく国民を何も知らない子どもように扱って、さっさと法律を作成してしまおうというのは、独善である。

私は、こうした説明不足の状況で、増税、消費税も落ち着かない状態で、国民の気持ちや社会状況も見てとらないうちに、審議を始めるのは、反対である。
今でもすでに、国民世論は半々どころか、政府への不信は高まる一方ではないか。
こうした状況で、もしも私自身が、個人的に憲法改正を支持したとしても、勝てる見込みがあるとは、到底思えない。
勝てない戦いに参加するのは、ごめんこうむる、というところである。

本当に、国民と国のためを思って、憲法の改正を成功させたいのであれば、時間をかけるべきである。
そして、まるで「敵をあざむくには、まず味方から」のようなやり方で、政治的な戦いを進めていくのは、絶対に反対である。

こうした問いかけに、政府は、誠実に、答えるべきである。