2014年4月20日日曜日

4月20日 ツイッターまとめ。

寒い四月ですね。今年はどんな夏になるのかな。私は、できるだけ気楽に過ごしたいと思っています。ブログの更新とか、フェイスブックとかツイッターからも、できるだけ距離を置いて、いろんなことを見直してみたいです。
今年の夏から、来年までの1~2年間くらいは、しばらく書くのをトーンダウンして、自分のための時間を取りたいと思っています。この夏は特に、家庭菜園とそこで収穫された野菜を使っての料理に取り組みたいと考えています。
昨年夏くらいから、書くことのスタイルを変えることに取り組んできたのですが、社会の変化もあり、なかなか思う方向に変えることができないです。もっと思い切って、時には自分のことだけを考えないと、まいってしまいそうな世の中です。
毎日書く、毎日記事をアップする、というブログのスタイルが、とても負担になるときがあります。そういった状況の改善に取り組んで、いろいろな人にも相談してきたのですが、「今までどおり」を主張する人が多く、「みんなのため」という理屈も、自分のなかでつじつまが合わなくなってきました。
メールマガジンでの記事の発信方法や、活字媒体を使っての発信方法など、いろいろ検討してきたのですが、毎日のブログ記事を続けながら、検討を続けることはむずかしいです。
「降りるのか」「負けて引き下がるのか」「もったいない」という言葉を聞くと、どんなふうに捉えられてもいいから、自分と自分の家族を守りたい、と思うのです。自分自身の人生とか、もっとこういうふうにこういうことを書きたい、とかいうこと。大事なこと。
アイディアや情報の共有が当たり前の社会で、自分自身の意見を、どれだけ自分のものにしておけるか、というのは、大事なことです。「それは私が発案した意見であって、あなたのものではない」ということ。

知的財産権は、著作権と重なるところも多分にありますが、そのほかにも、作家の生計や身の安全を保障するための、大切な権利であると、私は思います。
倫理上の問題、「誰かのため」とかいうことで、無料記事の提供を訴えることは、モラルにつけ込む、モラルハラスメントです。

そろそろ「誰かのため」に自分を犠牲にすることを、やめたい、と思うのです。どんな理由で、原稿料の支払われないブログ記事を、一生懸命書くのでしょう?
震災以降は、危機的状況のなかで、何かできることはないか、とそればかり考えて、急ぎ急ぎの状況で書いてきました。そうしたなかで、自分が本当にしたかったこと、書きたかったことを見失ってきたように思います。
震災以降は、危機的状況のなかで、何かできることはないか、とそればかり考えて、急ぎ急ぎの状況で書いてきました。そうしたなかで、自分が本当にしたかったこと、書きたかったことを見失ってきたように思います。
仕事に見合った、立場と環境、そして食べ物と睡眠時間を必要としています。
生計を立てるために、パートのアルバイトをしながら、同時に教員としてたくさんの生徒たちの教育をする、これでは文明後進国のボランティアです。日本はいつから、ボランティアに頼らなければならないほど、文明が低下したのでしょうか。
日本は、まるで、お母さんの無条件の愛情を、当たり前のように求める社会となってしまったようです。そろそろ母の無償の愛から卒業しなければならないでしょう。