東日本大震災・そのあとの3年間。

2011年3月11日の、東日本大震災から、三年目の春が来た。
どんなに困難な3年間だったか、あらためて考えてみる。
人の心は、吹雪に逃げ込んだ屋根の下で、ずっと凍えていたが、この春のあたたかさで、少しずつ、戸外に出ようとしているかのようだ。
しかし、震災の疲労と心労が出るのは、まだまだこれからかもしれない。
ストレスの後遺症は、社会にますます広がっているかのようだ。

この3年間、誰が一番がんばったのだろう?と考えてみる。
もちろん、日本の国ぜんぶが、辛酸をなめた、あの震災であった。
それでも、まず、あの震災当時、首相だった民主党の菅直人さんが、やはり一番がんばったのではないだろうか。
あのときの、震災に対する対応はとても素早く、海外からの救援隊も受け入れた。
また、東京では、帰宅困難者を出さなかった。
福島原発では、水蒸気爆発はあったが、核融合炉の爆発はなかった。
あのとき、「もうすぐ核融合炉が爆発する」といって、テレビでは、終日、福島原発を遠くから映した映像が、ずっと続いていた。
福島から半径300キロ圏内では、死の灰が降る、放射能の影響を免れえないという話だった。
でも、核融合炉の爆発は、起こらなかった。
これは、こういっては福島の人に何か言われるかもしれないが、不幸中の幸いであり、天災に対して、充分に速やかに、ベストを尽くした対応だったと思う。
あのときの、菅直人首相は、えらかった、がんばったと思う。

そして、そのあと、2011年10月に、あとを継いだのは、野田佳彦首相である。
あのとき、あの日本では、総理大臣のなり手は、誰もいなかったのではないだろうか。
震災からの復興をテーマにした時期の総理は、誰もなりたくなかった、やりたくなかったのではないだろうか。
しかし、野田首相は、「どじょう」の座右の銘を取り出して、泥にまみれて、地道に仕事に取り組んだ。
翌年6月に、三党合意の末に、消費税の法案に取り組んで、可決させたのである。
これは、震災復興のために、どうしても必要な予算であった。

海外からも、こうして国民の合意を得て、消費税を上げることができたのは、政治上の奇跡と評価されている。
これが、震災後3年間で、一番の、大変な時期の、出来事である。

この3年間、私もがんばって書いてきた。
そして、菅さん、野田さん、とがんばってきた。
メディアの皆さまも、当時担当して書いていた記者さんたちは、まだまだ若手と呼ばれる、使い走りに近い立場だったかもしれない。
そうした人たちが、集まって、力を合わせて、一番困難な時期を乗り切ってきたのである。
一番えらかったのは誰か。
民主党の菅直人さんである。
次にえらかったのは誰か。
民主党の野田佳彦さんである。
そして、当時、新聞メディアを書いていた記者さんたちである。

あのころの、彼らたちには、もう誰もかなわない。
あのとき、政権を持っていなかった自民党は、その後「もっと上の偉業を」ということで、焦っているのではないだろうか。
あのあと、震災後と増税を目にしたメディア人も、「もっと上の成果を」と焦っているのではないだろうか。
新聞記者さんたちも、あの当時からは、バトンタッチした状況で、前の人たちよりももっと上をと目指して、うまくいかない。
それは、どうにも、震災がないから、という言い方をするしかない。

私は、書ききってきたと思う。
自分で自分に誇りがある。
3年経って、疲労が出始めているとしても、もう安心という状況までたどり着いて、とても満足している。
この3年間ほどの、充実感や求心力、国民がひとつにまとまる力は、今はもうない、と私も、菅さんも野田さんも、きっと判断すると思う。

これからは、社会の安定を、求めていくのがよいのではないか、と思う。
政権交代した自民党は、ここからは、徳川家康のように、長く長く安泰な日本国の地盤を築いていくのが、一番よいのではないだろうか。

平安時代というのは、400年も続いた、本当にその名の通り、平安な時代であった。
政治的に動きが少なかったため、社会が安定していたために、人々の心は豊かでおっとりしていた。
そうした環境に恵まれて、平安文化は花を咲かせた。
女流文学者たちも、豊かで平安な環境のなかで、自由に筆を運ぶことができたのである。
そうして、豪華な絵巻ができあがったのである。

平安な世の中に、平安な花が咲く。
豊かな心は、社会の安定から生まれる。
徳川家康のような、自民党政治を、望むものである。

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