9月1日・防災の日。

今年も9月1日・防災の日がやってきた。
子どものころ、母に教えてもらったものだ、9月1日がなぜ「防災の日」なのかというその理由を。
大正12年9月1日に、関東大震災があったのだという。
それはお昼時であった。
「みんなね、ちょうどお昼ご飯の支度をしようと思って、台所でガスの火をつけたところだったの。それが大地震が起こって、そのまま逃げだしたので、関東大震災の被害は、一番は火事だったのよ。そのときまで、地震というとまず逃げる、ということだったらしいんだけれど、関東大震災のときから、まずは火を消す、ということになったのよ。だから聡子ちゃんも、地震だ、揺れた、といったら、まず火を消そうね」
母はこんなふうに言って、地震と火の元を教えてくれた。

毎年、8月が終わり二学期の始まりは、まず防災訓練からである。
私も、大人になってからも、毎年、一年に一度は、避難用のバックパックを見直すことにしている。
電池や、自分の住所を書いた紙、保険証のコピーや缶詰、水などは、入れ替えを必要とするので見直しが必要だ。
いろいろなお宅があるもので、9月1日には、非常用持ち出し袋の入れ替えをして、そのなかに入っていた、賞味期限の近づいた缶詰で夕食を摂るのだという。
夕食のテーブルで、避難や防災の打ち合わせをするのだろうか。

ところが、自宅や家族で避難や防災の打ち合わせをする家は、案外少ないそうである。
この「少なさ」は、防災警報のときに、「逃げるか逃げないか」という「少なさ」にも関わっている。
あるデータによれば、海岸地域で、深夜に津波警報が出されたときに、すっかり寝入っていた住民が、実際に着替えて高台まで避難行動を起こす率は、40パーセントに満たないという。
この「少なさ」は、どういう意味なのだろうか。
一般常識では、命に関わる警報なのだから、すぐにでも飛び起きて、100パーセントの住民が恐れおののいて避難を始める「はず」である。
それなのに、60パーセントの住民が、「まあ、いいや」「なにかのまちがいだろう」「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせて(なんの根拠もなく)また自宅で眠り続けてしまうのだそうである。

私もこの「現象」について、とても興味を持って、いろいろ調べたり考えたりしてみた。
たとえば、学校時代には、火災報知機が突然なりだしても、生徒たちはおろか、担任までもが「あー、えーっと、そのうち何か放送があると思うからそのまま」と言って授業を続けたものである。
そういった経験はないだろうか?

また、私自身の体験で、アパートで真昼間に、火災報知機が鳴りだしたことがある。
私はアパートの自室にいたのだが、正直、よそのアパートで鳴っているのではないか、と思った。
私のアパートでは20軒の入居があって、当日その時間に在宅した住民はとても多かったと思う。
ステレオの音楽もどこかから鳴り響いていた。
私は警報をしばらく聞いていたのだが、やはり3分もたたないうちに、「ぼやかもしれないが、自分のアパートかもしれないし、ぼやだったとしても、119番には通報しなければならないから」と思って、携帯電話ひとつを持って、アパートの集合玄関まで出た。
途中、煙や火のようなものは見えなかった。
アパートの集合玄関を出て、道路に出ると、近所の大人の男性たちが3人ほど集まってきて、それから大家さんが来た。
「やあやあ、出てきたの朝倉さんだけだったなぁ~」というお言葉である。
消防の人たちはすでに出動してきていた。
やはり自分のアパートだったのである。
消防の人たちが念入りに調べたところ、アパートの屋根裏部分が太陽光でとても熱くなっていて、それで警報が鳴ったのだという。

そのときに、大家さんから教えてもらったのは、「朝倉さん、責任感が強いんだ」という言葉である。
大家さんはこうしたときのことをよく考えていて自分なりに勉強していたのだそうである。
警報が鳴った時に、自分が逃げるか逃げないか、は、実際は「誰かを助けようか助けまいか」という意識に基づいているのだそうだ。
たとえば、一家の主が、「家族や子どもたちを守らなければならない」と常日頃強く責任感を持って考えていたとすると、「万が一」の「最悪の」場合を、考えてみることができるのだそうである。
そして万が一の備えと、「万が一本物の警報だったら、子どもたちを助けなければならない」という責任感から、避難行動を始めるのだそうだ。
そうして、結果としては、責任感が強く、他を助けようとするリーダーシップのある人が、生き残るのだそうである。

一般の人は、心を守る働きがあって、最悪の場合を想像すると心の弱さからこわくなってしまうので、想像しないように、心理が働くそうだ。
しかし、もしかするともっと怖がりで、常に最悪の状況を考えてしまう人のほうが、リーダーシップと責任感は強い、向いている、ともいえるのだそうである。

きょうは、防災の日。
まず自分が助かるだけでなく、多くの人を助けよう、という精神に立ってみるのも一案かもしれない。
火災報知器の誤作動だとしても、その誤作動に感謝して、まず火の元の用心である。