女性が輝く社会へ。

このところ、「女性が輝く社会へ」というキャッチフレーズが、世間をにぎわせている。
実際に、女性たちが活躍する場が増えているようだ。
企業も、女性を登用することに積極的になっている。
これからは、女性にもスポットライトを当てて、その才能をいかんなく発揮できるように、日本の社会は、まず環境整備から、始まっているのである。
しかしここで、重大な問題が生じているように思われる。
それは、「女性が輝く」「女性活躍」という概念が、抽象的であり、それぞれの人によって思い描くところがずいぶんとちがっているようだ、という事態である。
ある人は、女性が「自由に」生きる、生き方をさして考えているようだ。この考えは、女性たちが、男性に比べて、社会制度や「あるべき姿」に囚われていて、自由度が少ない、という前提に基づいている。
ある人は、女性が、持てる才能を十全に発揮できることを考えているようだ。この考えには、今現在において、女性たちが、男性に比べて、才能を発揮できる機会が少ないという前提に基づいている。
つまり、「今現在の問題」と、「目指すべき姿」に一致点がなく、そのせいで、女性の活躍は、方向性を見失っている感があるのだ。

しかし、実際のところ、政府が思っているのは、具体的に表現すると、女性が、政治の場で、トップに立てる状態を目指す、ということである。
これは、どういう活動かというと、専業主婦たる女性が、会社勤めに出て、お茶くみやコピー取りにいそしもう、という活動目標ではない。
女性が、会社の管理職になって、リーダーシップを発揮してほしい、という非常に強くはっきりした姿がある。
この、管理職という社会的な仕事こそが、政治そのものである。

男性が築いた社会、男性社会ともいえるかもしれないが、この上下格差ピラミッド式社会、組織社会において、その組織社会のシステムを理解し、そのシステムのなかで、上をめざし、上に立ったからには、下部組織を指導する、リーダーシップの立場で働くことを意味している。

ところで、女性には、脳科学的にも心理学的にも、平等や横並びの性質があると言われていて、ピラミッド型社会は、もともと心の中に概念として持っていないという説がある。
そういった女性たちに、男性社会たる、ピラミッド型縦社会をインストールして使えるようにすることが必要である。
男性はもともと持って生まれた性質であるのに、女性には、この縦社会の政治的発想が生まれ持ってない、という状況のなかで、女性だけが持って生まれなかったものを後天的に身に着けなければならない、ということだ。
これが、今、待望されている、女性への教育である。
女性への教育は、あたかも、iPhoneに、アプリを新しくインストールするように、持っていなかった機能を掴みいれ、それを毎日使えるようにすることが、要望されているのである。
正直言って、今現在の女性たちには、この政治的性質がない。

女性は女性なりの観点で、社会に言論をしてほしい、と要望されると、毎日毎日、出てくるニュース記事は、子育て支援、食の安全、とこんな話題ばかりである。
なかには、社会問題であるにも関わらず、「子どもたちがかわいそう」という、感情論、感傷論で結論付けて、討論をそらす癖のある女性記者もいる。
仕事を持とうとする女性たちは「女性は家事と育児」と言われると、ヒステリーを起こして怒るくせに、社会に女性なりの視点からの発言、といわれても、相変わらず家事と育児の話題しか、脳のなかに、ないのである。

今年が明けてからの半年以上、社会問題となるのは、食への不安、子どもたちが痛い目にあっているというニュースそればかりである。
命に関わる不安になるだけに、社会不安を煽っているようにも思える。
問題提起をするだけで、解決は男性政治家に任せている、これは、家庭の主婦が、やれお金がない、食べ物がない、と依存している姿勢そのままである。
また、悲観的であるのもよくない。
何がそんなに不安なのかわからないが、女性は不安になりがちである。
その不安感を、社会に広げるのはよくない。
女性に求められているのは、その現実感覚に根差した、安心感と笑顔、安定した大地のような穏やかさなのである。

女性が活躍する社会は、母性本能だけではいけない。
本能は克服すべき欲である。
本能は理性で乗り越えてコントロールしなければならない。
本能的不安を乗り越えたところに安心立命があるのではないだろうか。
また、女性らしさを「母性」と置き換えるなら、先に述べたように、大地のように安定した精神状態である。
ヒステリーを起こした女性の嘆きと叫びであってはいけない。
そうした心情があったとしても、社会のなかで、役を持つときには、その感情を抑えて、理性で部下をコントロールすることが必要なのである。

これからの、女性が輝く社会は、女性が管理職に就く時代、とはっきりと言うことができる。
そこにわがままは許されない。
男性と比べて2倍、3倍働くことは、当たり前である。
環境に甘える前に、自己を磨くべきである。

討論、論戦の仕方も、男性に見習って、感情的にならないように、正論だけで丸め込まないように、技術的なところを習熟すべきである。
文章の書き方も、もっともっと訓練するべきである。
また、キャリアウーマンが正論を唱えているのになぜ嫌われて、提案が受け入れられないのか、自己自身でよく問い直し、男性と上手に付き合っていく方法を、よくよく考えて、学んで、物柔らかな物腰を身に着けるべきだ。
「私は正しいのに誰も受け入れてくれない」というわがままで尊大な態度が、働く女性の言い分であり、その言い分は誰からも耳を貸してもらえない。
また、世の中はもともと平安であるのが普通の状態であり、私が苦労するのは、理不尽だ、という考え方も、世界観が狭すぎる。
世間はとても厳しいところであり、男性同士では、自己の意見が受け入れられないのは当たり前のことで、こわい事件が起こるのも当たり前の、ジャングルなのである。
ジャングルで生き残るのが厳しいのは当たり前で、そういうときに、家庭という巣のなかが安全で温かい場所なのではないか。
女性は、母性本能のためか、社会全体が温かい巣のような家庭でなくてはいけない、と思っている。
そして、それを誰かが「私のために」用意してくれていて当然、といった態度で、嘆き、悲しみ、不満を訴えている。

そんなに社会に不満があるなら、自らの手で建設することを始めてみればいい。
誰かに用意してもらう社会ではなく、社会に対して主体的になり、社会建設の参加者になるべきだ。
不満を言い募っているだけではなく、建設者となるべきだ。
ほしい法案があれば、自分で創る、自分で訴えることも必要だ。

これからの、女性が輝く社会は、女性が自ら自分で自分を律して、政治能力を一生懸命身に着けることが大切である。
そうして、男性社会のなかで、家事と育児の分野だけでなく、政治も、経済も、社会問題も国際問題も、一家言持つほど、勉強することが大事である。
そうして、男性でさえむずかしい、管理職への登用を、実力で勝ち取ることが必要である。
幸いにして今は、男性と政府と企業が、全面的に女性たちの活動をバックアップする体制にはいってくれている。
こうした環境に甘えず、喜んで感謝の気持ちを表して、その気持ちに応えて、一生懸命がんばることが大切である。

それから、そのためにも、女性が女性同士、仲良くすることが大切である。
「女の敵は女」であってはいけない。
特に、年上の女性が年下の若い女性を、厳しく叱る場面がある。
何を思っているのか知らないが、これが母性が本能的に表れた瞬間なのである。
女性たちが、仲良くしようと努力しない、これでは、せっかくの女性たちへの支援が台無しである。
女性は女性同士、本音でわかりあえるはずではないか、と男性諸君は思い込んでいる。
男性の期待に応えることも、大切である。

男性が求める姿である、女性が輝く社会へ、目標をひとつにしたときに、その願いは必ず、実現する。


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