NHK「花子とアン」感想・番外編・長男的運命「兄やん・吉太郎」

日本中に笑顔を涙と感動をもたらしている、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
ラストスパートに向って、物語が終結していく様子は、見ていて本当に充実感がある。
特にきょう、19日金曜日の放送では、花子の家族が何十年かぶりに一家全員集まるという、とても幸せな家庭となった。
そして、ずっと長い間対立してきた、父・吉平と、長男・吉太郎が、和解をする、というとても感動的なシーンがある。
この父は、農家の婿入りをしたのであるが、行商の仕事をしていて、なかなか家に帰ってこなかった。
この婿(花子の父親)と、舅(花子の祖父)も、対立していてなかなか家族のなかでは和解できなかったのだが、4月ごろの、まだ花子も吉太郎も子ども時代、というころでも、父と息子の対立は、端的に描かれるものであった。
なぜ、父と息子はこうして、対立し、反抗しあうものなのだろう。
これは、永遠のテーマなのだろうか。

私は、このように考えている。
父親も息子も、ともに男性である。
男性は、家庭のなかでも、男性社会を構成している。
一般的に、年長の男性が、この男性社会のトップである。
そして、一家の長として、リーダーシップをとるのが、この男性社会のトップである。
この、男性社会の上下構造がしっかりと組まれていないと、男性は家庭のなかで行き場をなくしてしまう。
花子の家でも、舅がいるときに、居場所をなくした婿は、外へ働きに出てしまう。
婿が家に帰ってくると、息子が兵隊に出てしまう。
これは、上下社会がうまく組まれていなくて、居場所が定まらなくてふわふわして居心地が悪いせいである。

この男性社会の「しっかりした組み方」の調整役をしているのが、この一家の女性たちである。
特に、舅にとっては娘であり、婿・吉平にとっては妻であり、長男・吉太郎にとっては母親である「ふじ」この女性が、男性社会のかじ取りを担っているのである。

男性にとっては、「居心地」と紹介したように、上下関係が収まっているほうが、やりやすいのである。
上下の下なら下で、立派で力あるリーダーのもとで働くのは、誇りを持てる役である。
しかし、この上下を、しっかりを定めないで、妻・ふじが、息子・吉太郎のほうを、とても甘やかして可愛がっていたとすると、男性たちのなかで、上下関係が逆転してしまうのである。

夫よりも息子をかわいがり、夫よりも息子のほうを、「立派だと思う、尊敬している」こういうお母さんがいる家庭は、要注意である。

男性社会をうまく行くようにするのも混乱させるのも、妻次第である。
妻は夫を立てて、きちんと尊敬することが大切だ。

きょうの放送では、父親が息子に話すシーンがあった。
ああいったことは、本来、ありえない。
男性は口が達者ではないし、こうしたことを、うまく伝えるのが男性の仕事ではないのである。
「お父ちゃんが、お兄ちゃんのことを、こう言っていたよ」
「お兄ちゃんは、お父ちゃんにこうしたことをわかってほしいのよ」
こうしたことを、日々、伝達役を果たしているのが、妻であり、母親である女性の役割である。

面と向かって話す必要に迫られるのは、男性にとって危機的状況である。
この状況を作りださないように、間に立つ女性たちは日ごろから、情報伝達の役割、男性には苦手な部分のフォローをしてあげるべきである。
それが、女性の女性らしさであり、役割なのではないだろうか。

男性社会の上下伝達がうまくいかず、上下関係もうまくいかない、この安東家では、時代背景から、兄やんが人生上の危機にまで追い詰められたときに、どうしようもなくなって、無理なストーリーをこしらえてしまった。
父と息子のやりとりは、女性しだいで素晴らしくよくなる。
このあたりを、綿密に描きこんでほしい、きょうの放送であった。


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