宇宙開発と技術開発について。

今夜は、中秋の名月である。
月を眺めれば、自然とロマンチックな気分になる人がいる。
歌など詠むのも、とてもすてきなことだ。
一方で、あの月にロケットを飛ばそうとする人もいる。
性格は人それぞれなのだろうか。
月には、すでに人類が足を踏み込んだ、という話だ。
アメリカの月ロケット・アポロが、相当前に、たぶん30年以上は前に、月面着陸を行っている。
その後、アメリカは、月へは行っていない。
月へのプロジェクトはやめて、スペースシャトルとか、国際宇宙ステーション、そして、火星探査、木星探査と、遠くへより遠くへ、と探検を始めているようである。
どうもこうした、より遠くへ、という探査は、アメリカだけが行っているような気がする。
ロシアや中国も、ロケットを作成しているが、「より遠くへ」という気持ちも経済的基盤もないようだ。
でもこれは、アメリカ人の気質であるように思える。

かつて、南極大陸がそうであったように、宇宙開発、月や火星の土地や政治や資源の分割は、協力体制が組まれるのが一番よい、と思う。
そうしないと、ずっと以前の歴史に残る、アフリカ大陸の発見、アメリカ大陸の発見のように、「早いもの勝ち」の、領土の奪い合いになってしまうからだ。
しかし、歴史の法則というのはそういうものかもしれないが、開発や開拓というのは、最初は植民地的に行うものかもしれない。
もしこれから月開発、開拓、資源の発掘を行うとしたら、植民地的な政策をとられるだろう。
今後は、宇宙空間や宇宙領土に関しても、政治はとても必要になってくるだろうと思う。
それは、地球上の政治がとても関連してくるだろうと思う。
地球の政治が、宇宙空間に持ち込まれるのだろう。

しかしまた、開墾、開拓、というと、以前アメリカの映画(遥かなる大地へ)を観たが、アメリカ大陸の開墾には、「その地をならして住宅地や農地にした人が、その土地の持ち主になることができる」ということで、早いもの勝ちで、土地区画を手にできた状況だった。
北海道開拓においても、その土地を開拓した人が、その土地の持ち主になることができた。
確か、ハワイにおいても、ブラジルにおいても、日系人は土地をもらえる、ということで、新天地を求めて、開拓に出かけたはずである。
こういうスタイルで、宇宙開発に、新天地を求めることは、あるのではないか、と思う。

経済や税の使い道としては、宇宙という未知数のロマンにお金をかけるよりは、国内の福祉政策に使うべきだ、という声も圧倒的であると思う。
けれども、たとえば東京オリンピックにしても、「そんな夢のようなことを」という声が圧倒的であったにも関わらず、決まってしまえば、東京中いや日本中の、将来の展望となることができた。
人には、夢や希望が必要なのだ、と思うのである。

アメリカのNASAでは、宇宙開発の途上で産生された新しい材質が、とても保温性のある毛布になって、発売されて、人々の生活の向上に貢献している。
宇宙開発というひとつの、人類的な高みを目指すことで、人類の意欲や学問や新発見は、上へ上へと、上昇していくものなのではないだろうか。
人は、高みへと成長を目指すべきであると、私は思うのである。