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李香蘭とイサム・ノグチ。

先日、李香蘭こと、山口淑子さんが亡くなった。
私も、世代はちがっているものの、「蘇州夜曲」「夜来香」の歌は何度も耳にしたことがあり、よく知っていたので、とても興味をもって、李香蘭に関する記事やサイト文章などを読んでみた。
たくさんのミュージシャンが、「蘇州夜曲」をカバーで歌っていたようで、一番最初に歌ったのが李香蘭だとは、初めて知ったところである。
映画のストーリーも時代を反映したものであった。
たくさんの人から愛されていたようである。
どんな人だったのだろうか。

私は、李香蘭の人生で、一回目の結婚は、イサム・ノグチ、という点にとても興味を惹かれた。
イサム・ノグチの彫刻なら、何度も、触ったり写真を撮ったりよじ登ったり、したことがある。
そこで、イサム・ノグチについて調べてみると、やはり、ということだが、札幌の大通公園で、8丁目から9丁目にかけて、児童公園を手掛けていた。
よくよく思い出してみれば、確かに、8丁目から9丁目は、大きな木があって、緑のあるとても広い公園だったような気がする。
グーグルマップで確かめてみたら、果たしてその通り、今でも、8丁目と9丁目の間にだけは、道路がない。
碁盤の目に都市計画がなされている札幌の街であるから、これはとても面白いことである。

イサム・ノグチさんは、日本とアメリカのハーフだそうである。
お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人、ということで、育つのも大学も、日本とアメリカを行ったり来たりしたそうだ。
もしかすると、イサム・ノグチさんと、李香蘭さんは、よって立つところがとても似通っていて、気持ちの通じ合うところが、あったのかもしれない。


つまり、「わが祖国とはどこなのか」「わたしは何人なのか」というアイデンティティの問いかけである。
今、世界のグローバル化にともなって、日本でも、帰国子女のアイデンティティには問題が起こっているそうだ。


札幌大通り公園の、8丁目と9丁目の間には、もともと道路があったそうだ。
その道路を撤廃して、子どもたちが仲良く遊べる児童公園にしたのは、イサム・ノグチさんの、心からの願いがあるような気がしてくる。
あの公園に、イサム・ノグチさんの経歴を書いた看板ひとつなかったのは、ノグチさんが、子どもたちに伝えたかったメッセージを、より穏やかな形で、残すためなのかもしれない。