春、桜咲く4月から半年間のお付き合い、大好きなテレビのお友達「花子とアン」もとうとう秋9月にはいった。
今週は、物語もラストクライマックスにはいり、とうとう花子はアンと出会う。
「アンとの出会い」というタイトルが、とても不思議な可憐なかんじがする。
アンという少女は、「赤毛のアン」という小説の主人公であるが、まるで生きている少女であるかのように、この小説との出会いを、主人公との出会いに見立てた表現である。
私たちも、小説のなかの主人公、役柄、ドラマや映画のなかの役柄を、実在する人物のように、友達や恋人のように思ったりする。
世界的名作文学には、そうしたファンがたくさんいるようで、アンも、たくさんの女子たちのお友達である。
当時、海外文学を日本に紹介する作家や出版社、翻訳家は、少なかったのかもしれない。
英語に習熟して、原書を読む力のあった花子は、そうした状況のなかで、日本に海外文学を紹介する能力と役割があったといえる。
それでも、たとえば、花子の語学力に着目して、「こうした本を紹介したい」「こうした本を紹介してください」と、周囲の人たちが、原書を持って花子のもとを訪れて、依頼することは多かったようだ。
翻訳者・花子自身の着眼点や選択眼も重要であるが、こうした周囲の人たちの働きかけも大事だったといえるだろう。
そして、その中の一書が、「赤毛のアン」であったということである。
おそらく当時、花子のもとにはたくさんの原書が持ち込まれたであろうし、また花子の仕事としても、時間と労力には限界はあるものだから、選ばれた一書というわけである。
その「赤毛のアン」を持ってきてくれたのが、花子の女学校時代の恩師である、スコット先生である。
4月からずっと、花子の少女時代のときも、テレビを毎日見ていた私には、とても印象的な場面で、本当によく覚えていた。
女学校では、寄宿舎も含めて、全員が英語だけで話をしなければならないときがあり、特に授業は英語だけであった。
山梨から出てきて方言もまだ抜けない、東京語というか標準語もまだ話せない花子にとって、言語の壁は本当に厚かっただろうと思われる。
そのときに、美しいメロディーとともに、花子の耳と心に入ってきたのが、スコット先生の歌う、歌であった。
寄宿舎から抜け出そうと思ったり、塀のところまできて家族と話をしている花子の耳に、夜のしじまに、その歌声は響いてきた。
スコット先生は、カナダからきた教師である。
あの時代、明治時代に、はるばるカナダから太平洋を越えて、アジアの日本の女性たちの教育のために、一生を捧げる覚悟で渡ってきた、女性教師である。
その心は、どんなものだったろう、と思う。
寄宿舎の夜では、遠くカナダの恋人を思い、手紙を書きながらこの歌を歌っていた。
どんなに恋人を恋しく思っていただろう。
それでもスコット先生は、アジアの女性教育のために、覚悟を定めて、日本に来ていたのだ。
そうして、修和女学校の女学生たちを育てた。
そのなかのひとりが、村岡花子だったわけである。
どんなにか、うれしかったろう、と思う。
恋人を思う歌と、教育への覚悟、美しい歌声に、スコット先生のあふれる慈しみを感じる。
The Water Is Wide (スコットランド民謡)
The water is wide, I cannot cross over.
And Neither have I wings to fly.
Give me a boat, that can carry two,
And both shall row, my love and I.