2014年11月29日土曜日

金メダリストには金メダリストの生き方がある。

きょう、フィギュアスケートを観ていた。
NHK杯である。
男子フィギュアスケートでは、以前から応援していた羽生結弦選手を、今年も応援していたのだが、入賞を逃して4位となった。

私は、羽生選手が、先月、中国の大会で怪我をしたことを知っていた。
それから、今回のフリーのプログラム、「オペラ座の怪人」は、誰のどんなスケートよりも、素晴らしかった。
だから、4位という結果がとても悔しく思った。

でも、「男の子っていいな」って、思った。
日本の男子スケート界には、あとからあとから、すごい選手が沸き立つように生まれてくる。
昨年のソチ五輪の選考のときに、調子がよくなかったという、村上選手も、無良選手も、どんどん、どんどん、自由に演技をしていった。

日本人でも、若くても、できる、と羽生選手が教えてくれた。
羽生結弦さんが、ソチオリンピックで金メダリストになったことで、「わたしにもできる」「自分でもやればできる」という自信が、たくさんの人たちに、金色の贈りものになった、舞い降りてきた。

羽生選手は今、以前とはちがう、という何かちがうもっとこれまでとはちがう、苦悩があるのではないかと思う。
それは、金メダリストとして生きる、という苦しみなのではないか、と思う。
それは、苦しみかもしれないし、役割かもしれない。
試練かもしれないし、使命かもしれない。

金メダリストと同じ、NHK杯で、同じスケートリンクに立つことができた、ということそれだけでも、他の選手にとっては、大きな喜びになることだろう。
羽生選手に、追いつけ、追い越せで、熱烈で執拗なライバル心を持っていることだろう。
そのライバル心は、向上心でもあり、自信でもある。

国際大会となり、世界が舞台となれば、政治も絡んでくることだって、あるかもしれない。
羽生選手は、自分が最高の演技をしたのに、時には認められなかったり、時には他の選手にチャンスが与えられたり、時には、嫉妬や憎しみや闘争心の的にならなければならない、そういう状況になった。
それが、金メダリストの立ち位置なのだ、と思う。

金メダリストが築いた、日本の男子スケート界のレベル、というものは、確固としてこれからも存在するのに、金メダリストが築いた基盤の上で、後輩たちが、熱気のもとで、競い合ってスケーティングをするのである。

金メダリスト、という生き方を、これから、新しい課題として、生きてほしい、と思う。
金メダリスト、という試練を、見事に勝ち抜いて、誰よりも誰よりも、強く華麗に、生きてほしい、と思う。