2014年11月4日火曜日

月と宇宙船。

先日、宇宙船が墜落してしまった。
とても残念なことである。
宇宙開発は、アメリカとロシアが中心になって、時には手を取り合って進めてきた、人類的な仕事である。
国を挙げての事業、つまり国策だったわけだが、ある程度まで実用化できた段階で、民間での商業利用へと方向転換をした。
「民間」というと、コストダウン、利益の向上、というイメージがあるが、その通りで、なんらかのコストダウンを図った結果、安全性が低下してしまったのではないかと思うと、本当に残念である。

宇宙事業は、国策であり、人類の願いでもあった。
たとえば、「月に行ってみたい」というのは、単純な願いだったと言えなくもない。
「空を飛びたい」というのも、とても単純な、人類的夢想であった。

「空を飛びたい」のほうも、たくさんの研究があり、探究があり、残念な事故も起こっている。
そうした事故から教訓を学び、反省点を見つけて、また取り組むものである。

思えば人類は、あらゆる「乗り物」を開発してきた。
牛車もそうであるし、馬車もそうだろう。
自転車もそうであるし、あるいは、ラクダ、という手もある。
時には振り落とされながら、馬の背に乗ったこともあるだろう。

車もそうである。
今でも、新型車は、乗ってみなければわからないような、何らかの問題点があったりもする。
あるいは、機械というのはそういうもので、私の友達は、新型のオーディオプレイヤーを早々に購入したが、初期不良があったとかで、修理もむずかしいようだ。
パーソナルコンピューターもそうで、Vistaを改良したものが、Windows7である、と言われれば、それまでVistaでさんざん手こずったユーザーは、その「手こずり」を臨床実験結果として、マイクロソフトに提供した、ということになる。

私は、機械をはじめとして、さまざまなものを、新製品を試すのは好きなのだが、こと安全性に関するもの、となると、二の足を踏むところがある。
たくさんの人が使って、ある意味「失敗」して、改良を積み重ねてからのほうが安心である。

今回の宇宙船事故も、「私が月に行きたくなったら、もっと1万人くらいは利用して安全だった、という結果が出てからにしよう」と固く心に決めている。

それにしても、あんなにお金もかけて、人類の努力を重ねた結晶でもある宇宙事業は、結局、商用に向けるしかないのだろうか?
月旅行、宇宙旅行は、観光にしかならないのだろうか?
何か、もっと別の目的はないだろうか。

月には結局、必要な有効資源はなかった、ということなのだろうか?
考えてみれば、南極大陸の探索も、人類の可能性を試すことが目的だったように思う。

地球だけでも問題が山積しているというのに、宇宙空間になんらかの意義を見出すことは、むずかしいのだろうか。

私は、月旅行、というのを、商用や観光だけではなく、もっと意義のあるものとして楽しむこともできると思う。

たとえば、「地球は青かった」と言ったガガーリン。
「わたしはカモメ」と言ったテレシコワ。
宇宙へ一度出て、外から地球を見たひとは、人生観がとても大きく変わるという。

私たちは、日常から離れて、二泊三日で古都京都を訪れただけでも、人生観が変わるものだ。
ぜひ、月旅行を、人生や、地球や、人類や、環境問題を今一度考えるための、ひとつのきっかけにしてみたいものだ。
人生に絶望した人に、月旅行をプレゼントする、というのはどうだろう?
かけがえのない、自分の命に気が付くかもしれない。

商用だけではない、なんらかの、「意義」を見つけて、いま一度、元気を出して、宇宙開発にトライしてほしいものだ、と思う。

月に宇宙ホテルを造ったり、国際宇宙ステーションへに一泊旅行を企画したり、できないものだろうか?

そして、たぶん20年後には、一般庶民にも、月旅行が叶うようになってくる。
修学旅行で月に行くのも楽しい。
ああ、長生きはしてみたいものだ、と思う。
人生も退職後には、私もあなたも、月旅行を、楽しむことができる。