2014年11月8日土曜日

食の安全について。

ここで、女性たちのかねてからの願い「食の安全」について、考えてみようと思う。

「食の安全」について、私個人の考えを、ここで述べようと思う。
というのは、私がこうしてブログを書いて、政治的意見を書き述べてきたなかで、「食の安全」や、「環境問題」について、あまり関心がなかったように思えるご同輩が多かったのではないか、と思えるからだ。
私が「食の安全」「環境問題」に関して、あまり関心がなかったのは、生物や医療、農業を学んできたからである。
また、食品工学や食品衛生学についても、学んできた。

農業の見地から言うと、農薬や食品添加物は、適度に使ったほうがよいものである。
というのは、まったくの無農薬の農業をすると、むしろ、悪い害虫がついたり、植物が悪いウイルスに感染したりするからである。
ウイルスに感染したままの植物を、食物として摂るほうが、身体によくない。
それで、「適度の農薬は使ったほうがむしろ良い」と、学校の授業で教わっているのである。

また、食品衛生に関しても、高温、高圧、高塩分、高糖分、は、食品保存のためにとても良いことである、と学んでいる。
缶詰やレトルト保存などは、食品化学的には、理想の食品管理法であって、理論的には、缶詰というのは、100年間、品質が変わらないものとなっている。

また、食品添加物に関していえば、たとえば「グルタミン酸ナトリウム」があるが、これは、昆布を煮出した汁の結晶を取ったときの、主たる成分である。
塩を「塩化ナトリウム」と言うのと同じことである。
「グルタミン酸」や「ナトリウム」といった、化学表示があるので、不安になってはいないか、と思うのである。
実際には、昆布も塩も、とても安全なので、そこから取ったものは、やはり安全であると考えるので充分であると思う。

また、環境に関しても、人は、人類始まって以来、環境にたくさんの影響を与えて、環境を変化させて生きてきたと考えている。
「里山の自然」というが、里山というのは、人の手が、たくさん入ってできたものである。
林の下草を伐採し、柿やみかんなど、人に利益がある木を植えている。

また、地方の農村に行くと、自然を感じるかもしれないが、広い土地を耕作することも、自然への人為的な加工であるし、そこで、稲なら稲ばかり、大量に育てているのも、「大自然」と比べると、とても人為的なことである。

それは、畜産もそうである。

そうしたことから、私は、食の安全に関しても、環境に関しても、それほど重大な問題点を感じていない、と自分でも思う。
それは、身近な人から「なぜ?」「どうして?」とも問われることであるが、私が特に、生物や自然科学をむしろ学んでいるから、ということなので、少数派であることを意識して、改めてここに理由を書いてみた。

その上で、やはり、どうしても安心安全の食を望む、無農薬やオーガニックを望む、というのは、人の気持ちや、新しいライフスタイルの発現なのではないか、と思い始めた。
人々の、環境問題に関する要望は、とても大きくなってきているように思う。

それなので、特にそれを望む人々は、食の安全と環境問題の解決を、志すのがとてもよいと思う。

問題意識を持っている人たちがたくさんいるので、ここから、市民運動、女性運動を始めるのも、とてもよいことだと思う。
具体的な市民運動は、いくつか考えられる。

私が思うのは、特に中国産の食品に対して、危機感が強まっていることから、「中国産食品の不買運動」を、たくさんの女性たちで、起こしてはどうか、ということである。
食卓から、中国産の危険な食品を、追い出していく。
そして、日本産の安全な食品を買うことにしてはどうかと思う。

私は「適度な農薬」「専門家が算出した基準内の農薬」は、日本国内において徹底していることから、日本産はとても安全だと思う。
しかし、中国産は、基準があいまいであることや、政府も安定しないことから、考えもつかないような種類の農薬や食品添加物が大量に使われている可能性が、あると思っている。
つまり、中国産は日本産に比べて、信用度が落ちる、と思えるのだ。

しかし、中国産に比べて、日本産は、値段が高い。
このインフレのご時世に、家計を考えれば、値段の安いほうへ、安いほうへ、と、「まあいいわ」で買ってしまいがちである。
しかし、運動というのは、積極的かつ活発なものである。
高くても国産のものを買う、これが運動である。

今年の冬は、コートは去年のもので我慢して、新調しない、そのかわり、高くても国産のものを、買う、これが、女性たちの、食の安全に対する、積極的な運動である。