2014年11月9日日曜日

「戦争と女性」について考える。

ものの見方や考え方をめぐって、女性ならでは、男性的な、という考え方が、確かにあるような気がしてくるときがある。
たとえば、朝のドラマを見ていても、女性は女性同志で意見が合うときがあるし、男性は男性ならではの意見を、男性たちだけで、闊達に交換しているときがあって、そこに女性が入り込もうとしても、なんだかうまくいかないときがある。

それは、話題によるかもしれない。
たとえば、アメリカの選挙などで、「私は民主党」「私は共和党」というようなときには、女性であるとか、男性であるとか、そういったちがいによる意見の相違は、そう簡単には見られない。
しかし、「戦争をするかしないか」という点では、特に現代の日本においては、「戦争に対して絶対に反対」という意見は、女性がとても多いように思う。
また、戦争に対して、無条件で、「するべき」「いざとなったらする」という対応が、すぐに発言できるのは、男性のほうが、多いように思う。

こうした、事実を踏まえて、男女の相違による、意見の相違を、明らかにしていくことが、今後の学問研究によって、必要なことだろう。

そうした前提の上で、このところ、女性たちが女性同志で集まって、政治や経済について語り合うのを、とても興味深く思っている。
深夜のテレビ番組でも、「女性の活躍」をめぐって、いわゆる、キャリアウーマンの代表と呼んで差支えないような、社会的活動範囲の大きい女性たちが、集まって討論をしていた。

また、各地で、女性の識者が集まって、ディスカッションを開いているのも、とてもよいことだと思う。

こうした、女性たちの少人数の集まりが、やがて大規模な人数に集まっていくことが、一番望ましいと思う。
そうしたときに、たくさんの女性たちが、それは人数が多ければ多いほど当たり前ではあるが、個々の意見を持つことになる。
しかし、それだけでなく、時にはある目的に向って、ひとつの具体的な目標に向かって、集結することが、重要なことであると思う。

選挙も、年内か年明けすぐ、という状況までせまっている。
意見を集約して、ひとつのまとまった見解を持つことは、女性たちにとって、早急に求められる課題である。

ひとつの大きなポイントは、女性たちが平和への意見を持つときに、それが、戦争を抑止するという「防波堤」になるのかどうか、という点である。
私は思う、「防波堤」では、あまり意味がない。
平和を実現する力は、戦争をする力に対して「防波堤」になるのではない。
平和を実現するための、大きな「勢力」となることが大事である。
それは、戦争をしよう、とする勢力に、打ち克つような、大きな勢力であり、積極的かつ能動的に、活動する力である。
それは、いざ戦争が起こりかけてから、動き始めるのではなくて、ふだんからたゆまずに、平和を築いていく力である。

「防波堤」という言い方は、とても受け身であり、受動的である。
こうした考え方が、女性的に過ぎるところもある。
いかにも女性的な受け身であってはいけない。

次に、男女差別に対する考えであるが、社会的に活動している女性は、男女観が、歪んでいるところがある。
たいていの女性たちが、恋愛もして、結婚もするだろう。
父親もいて、兄も弟もいる。
そうした家族や社会のなかで、自然に男性たちと人間関係を保っていれば、男性がそれほど、女性をさげすんでいるようには、思えないのではないか。
また、男性と良好な人間関係を持ち、男性を尊敬し、時にはある男性を好きになることもある、とすれば、女性たちは、男性に対して、それほど強く嫌悪感や蔑視を持たなくなるはずである。

しかし、社会のなかで、男性に対して、男女を比較したがり、その結論として女性のほうが優れている、と言いたがる女性は、たいていの場合、男性を軽蔑しすぎている。
おそらく、こうした女性は、日ごろの人間関係のなかで、男性との良好な人間関係を築くことができなかったり、好きになった男性にひどく振られたりして、男性に恨みや憎しみを抱いているのだろう、と思う。

女性たちは、自然な態度で、ある男性はとても尊敬できて、好きになる、ある男性に対しては理解できないので、不思議に思う、ある男性に対しては、その思想や行動様式において、嫌うこともある、という態度で、よいのだと思う。

特に、女性は、愛情深く、父親や息子のことを思うことだってあるだろう。
そうした、自然な気持ちを、大切にするのがよいと思う。

男性が、戦争や戦いに心惹かれるのは、小さな子どものときから、木登りが好きだったり、やんちゃだったり、車や飛行機や戦隊ヒーローが好きだったりする「男の子らしさ」の延長ではないか、と思う。
それは、女の子が、小さいときから、可愛いものピンク色のもの、うさぎやリボンや甘いものが好き、だというのと、同じ理屈である。

男性と女性とで、どちらか片方が、とても弱いとか、いうことはない。
男性と女性は、その生まれながらの性質からして、理解しあえない点も多いが、歩み寄る努力は、する価値があると思う。