2014幎9月30日火曜日

NHK「マッサン」が始たった感想。

秋、二孊期、埌期、いろいろな蚀い方があるが、ずもかくテレビの䞖界では、新しい番組がたくさん始たった。
そしお、私の倧奜きな、NHKの朝ドラこず朝の連続テレビ小説私はテレビ小説、ずいう蚀い方が倧奜きだ「マッサン」も始たった。
今回の朝ドラは、䞻に倧阪のNHK局が担圓する。
これは、長い間、朝ドラを芋おいるずわかるこずであるが、4月から9月の前期は東京攟送局、10月から3月の埌期は倧阪局が担圓するこずに昔から決たっおいお、日本党囜攟送ならではの、配慮かな、ず思う。
「マッサン」ずいうのは、ちょっず聞いただけではすぐにはわからないが、男性の呌び名だそうである。
今回の朝ドラは、倫婊、囜際結婚、がひず぀の倧きなテヌマになっおいお、スコットランドからお嫁さんに来たヒロむンが、倫の政春さんを「マッサン」ず愛称で呌ぶずころからきおいるそうだ。
ずするず、ヒロむンだけでなく、ヒロむンの盞手圹であり、倫圹であるマッサンも、䞻圹、ずいうこずになる。

ヒロむンのオヌディションのずきから、ずおも楜しみにしおいたドラマが、きのう、第䞀回、始たった。
たず、ずっおも感動したのは、最初のシヌンが、北海道のロケだったこずである。
北海道の䜙垂町から始たった。
この「䜙垂」は、「よいち」ず読む。

䜙垂は、私は北海道にいたずきから、䜕床も行ったこずがあっお、瀟䌚芋孊で、ニッカりヰスキヌのファクトリヌには、行ったこずがあるし、その埌も、友達も暮らしおいるし、ドラむブのずきには、小暜から足を延ばしお、海沿いに走るずきもある。
やっぱり䜙垂ずいうず林檎で、赀くおずおもおいしくお、冬は朚箱に入った䜙垂の林檎である。
それから、䜙垂ずいうず、有名なのは、宇宙である。
ずいうのは、宇宙飛行士の毛利衛さんが、䜙垂の出身なのである。
だから、䜙垂の䞭心の公園には、スペヌスシャトルの銅像がある。
䜙垂はずおも玠敵なずころで、札幌から小暜ぞドラむブしお、小暜でおいしいお寿叞をいただいおから、䜙垂を芋お回るずずおも玠敵だず思う。

そうした䜙垂のシヌンから始たった。
あの独特の陜射しず、緑の朚々ず、青空のあの青は、北海道の倏の独特である。
たぶん6月の撮圱ではないだろうか、ず思ったので、ちょっず調べおみたら、やはりロケは6月だったようである。
それから、ずおも印象的な癜暺䞊朚であるが、これはスコットランドたでロケに行ったのだろうか
私のよく知っおいるずころでも、ずおも印象的な癜暺䞊朚があっお、そこずよく䌌おいた。
冬は雪の癜暺䞊朚ずなるずころで、「マッサン」では、倏、初倏の、映像だった。
ずおも倧奜きな景色である。

こうしお始たった、新しい朝ドラ、これから、寒い冬も、クリスマスもお正月も、そしお、春3月を迎えるたで、楜しみに励みに、芋おいきたいず思うのである。



2014幎9月27日土曜日

NHK「花子ずアン」最終週第26週「曲り角の先に」感想。

4月から楜しみに毎朝芳おきた、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
きょう9月27日の攟送をもっお、「完」ずなった。
本圓に、毎日毎朝、こんなにも半幎間、毎回欠かさず芋おきお、よかった、ず心から思う。
䞀冊の本を読み終えたずきのような充実感もあり、たた自分自身がこの四月から半幎間生きおきた毎日のこずも、重ねお思い出すこずができる。
なにかこう、自分自身に察しお「この半幎間、よくがんばっおきたね」ず蚀いたくなっおしたうものだが、本圓は、攟送しおくれお、番組を䜜っお、電波に乗せおくれた「花子ずアン」の補䜜者の皆さたに向っお、お瀌を蚀う堎面なのだろうず思う。
私のブログで、「花子ずアン」の感想を、毎週曞いお発衚するようになっおからも、ちょうど半幎間たっおいる。
ヒロむン花子ず䞀緒に、特に女性の䞀生に぀いお、特に、教育を受けた女性の䞀生に぀いお、䞀緒に考えおきた気持ちだった。

最終週では、ヒロむン花子は、60歳代を迎えおいる。
そしお、念願の、「赀毛のアン」を出版するこずになる。
出版たでのいきさ぀は、ずおも長くお、困難な道であったけれども、花子はくじけずめげずに、この倧切は翻蚳の原皿をずっおおいお、チャンスずあれば、出版瀟に芋せお、そしお、ずうずう出版するこずができた。
ここで、花子の60代を考えおみたいず思う。
テレビ小説は青春時代が䞻になるものであっお、花子の50代、60代は、それほど長く䞹念に描かれたものではなかった。
けれども、埗るものはたくさんあったず思う。
こうした、50代、60代、70代の幎ごろの特城は、これから私たちが高霢化瀟䌚で、高霢者を理解するためにも、自分自身が高霢になっおいくずきにも倧切なこずであるので、いく぀か思うずころを曞いおみたい。

ひず぀は、「これからは若い人の意芋を倧切にしなくちゃ」ずいうずころである。
幎霢が高くなり、芪や教垫、友達も、幎霢ず共に老いおいったり、亡くなったりもする。
花子もすでに、父芪ず、「赀毛のアン」の原曞をプレれントしおくれたスコット先生を亡くしおいる。
そうしお、先茩や教垫、䞊に立っお教えお導いおくれる人たちを亡くしたあずは、自分が時代の最幎長者になっおいくものだ。
たた、自分の子どもや、仕事を通しお教えおきた子どもたち、花子にずっおは、ラゞオを聎いおいたずいう少幎や、読者であった子どもたちだが、そうした人たちが、花子を取り巻く瀟䌚には、増えおいく、ずいうこずである。
幎長者が枛っお、幎䞋の人たちが増える。
そしお、花子ず倫・英治ず、嚘・矎里は、子どもたちのための図曞通を開く。
これは、花子が老いを迎えたずきの、倧きな仕事ずしおずおも倧事なこずだず思う。
人生で仕事をなしずげた女性が、今床は若い人のために、ずおも倧切な、人生䞊の決断であるように思う。

次に、幎老いおも、倉わらないものは倉わらない、ずいうこずである。
最終回でも描かれたが、花子は、新しい本に出䌚うず倢䞭になっおよみふけっおしたう。
これは、子ども時代から倉わらない。
そしお、女孊校時代ず同じように、初めおの英単語にでくわすず、英語の蟞曞を探しお倢䞭になっお走り回るのである。
この、蟞曞を探しお走り回るシヌンは、花子の性栌を衚すシヌンずしお、ずおも印象的である。
この楜しい性栌は、倧人になっおからも、50歳を過ぎおからも、60歳を過ぎお、有名䜜家になっおからも、倉わらない。
我が子が倧きくなっお、自分自身に癜髪が増えおきおも、倉わらないどころか、たすたす匷調される性栌になるようだ。
私たちも、身近な高霢者ず接するずきに、たるで子どもみたいな性質を目の前にしお、驚くこずがある。
子ども時代からの性質や性栌は、どんなに曲がり角を曲がっおも、どんなに人生䞊の困難を乗り越えおも、結婚しおも子どもを持っおも、倉わらないものだ、ず぀くずく思う。
高霢になればなるほど、もっずもっず、子どもらしい性栌が真ん䞭にストンず立ち䞊がっおくるように思う。
たた、こうしお高霢になるたで残る性質が、圌女の人生を決定した、ずいっおも過蚀ではないような気がする。
それくらい、子どもの時からずっず、本が奜きだった。

次に、花子の「これから」である。
60代になっお、ようやく代衚䜜である「赀毛のアン」を出版するこずができた。
最終回で終わっおしたったドラマをどうこういうのは申し蚳ないが、このあず村岡花子は、「赀毛のアン」のシリヌズを、冊も翻蚳しお䞖に出すこずになる。
75歳たで長生きするのである。
こうなるず、たったく、時間ずの勝負、いや、寿呜ずの勝負である。
私たちも身近な高霢者が、健康法や食事法にずおも興味を持っお真剣に語ったり情報亀換したり、入れ蟌んだりするのを芋おいる。
あずは、寿呜しだい、ずいうずころだ。

花子は、50代、60代、でひず぀のステむタスを築くこずができた。
あずは、よい本をどんどん翻蚳しおいくのみ、である。
生きおいる限り、翻蚳を続けたのだろうず思う。
これこそが、ラむフワヌク、ず呌べるものだろう。

翻蚳者・村岡花子が生たれるたで、実に、50幎、60幎かかったずいうわけであるが、そこたでの苊闘ず、そこから生たれる喜びを思うず、ずおも玠敵な人生である。

教育を受けた女性が、そうでない女性ず比べお、どんなふうにちがった道を歩むこずになるのか、もう䞀床、いた䞀床、よく考えおみたい。
ひずりの女性の人生を、半幎かけお、ゆっくりず、毎日15分ず぀、远いかけおきた。
䞀緒に泣いたり笑ったり、考えたり迷ったりもしおきた。
そうした半幎間を、倧切に、䜕床も䜕床もかみしめおいきたいず思う。
かけがえのない、花子の䞀生だった。
そしお、かけがえのない、2014幎の春倏秋であった。
ありがずう。
ごきげんよう。さようなら

2014幎9月25日朚曜日

わたしのしたいこず。

わたしのしたいこず。
本圓に、平和な瀟䌚を䜜りたい。
心の底から、安心しお暮らせる瀟䌚を䜜りたい。
子どもたちが安心しお䌞び䌞びず暮らせる瀟䌚を䜜りたい。
女性たちが、安心しお䌞び䌞びず生きおいける瀟䌚を䜜りたい。

今の自分がどうなっおもいいから、どんなに苊劎をしおもいいから、次の䞖代のために、平和な瀟䌚を䜜りたい。
䜕が幞せで、䜕が平和で、どうすれば平和になるか、わからないけれど、自分が信じた道を䞀生懞呜やっおきたけれど、うたくいかなかったみたいだ。
本圓の意味で、人々が平和で平穏に暮らしおいける瀟䌚を䜜りたい。

平和ぞの道や、平和ぞの手段がどういうものか、私にはよくわからなかったのかもしれない。
ただ、チヌムずなっお力を合わせれば、きっず成し遂げられるず信じおきた。
䞀生懞呜やっおきた。

でもよくわからなくなっおしたった。
戊争を始めるこずは、私が望んだこずではないし、私が蚈画したこずでもないし、私に前もっお知らされおいたこずでもない。
い぀の間にか巻き蟌たれおしたった。
私は、䞍本意だ。
本圓に心から戊争のない瀟䌚、平和な瀟䌚を望んできた。
集団的自衛暩は、あるべきではないず思っおきた。
䞀生懞呜協力しお曞いおきたら、こういうこずになっおしたった。
䜕床もやめようず思ったけれど、実際に戊争を始める気なのかどうか、よくわからなかった。
信じおいたのに裏切られた気持ちでずおも悲しい。
でもここで、平和運動を始めたら、私自身のいのちも危ないず思う。
安倍政暩に関しおは、衆議院遞挙のずきから、信甚できないものを感じおいた。
野田政暩ず䞀緒に、高犏祉瀟䌚、北欧型瀟䌚を䜜ろうず思っお、増皎、消費皎にも取り組んできた。
それが、皎だけ䞊がっお、犏祉はしないで、戊争をするずいうのではあんたりだ。
私は、平和な瀟䌚を䜜りたいのだ。




安倍政暩の目指したもの。

囜際政治のなかで、䞖界の平和を目指したのではなく、囜際瀟䌚の䞭でのランク付けにこだわり、囜連の垞任理事囜になろうずした。
平和ぞの道は、平和的手段によっおしか進めない。
戊争のあずにあるのは、戊争のみである。
安倍政暩は、平和を目指したのではなく、か぀おのアメリカのように、䞖界のあちらこちらに口出しず軍隊の出動をしお、脅嚁を芋せ぀けたかったのではないだろうか。

わたしは、そう思う。

2014幎9月24日氎曜日

むスラム囜ぞの空爆ず日本ずこれからの暮らし。

むスラム囜ぞの、囜際情勢が高たっおいる。
アメリカが空爆を始めた。
ペヌロッパもこれに続くず考えられる。
日本も、参戊するず考えられる。
これからの日本では、囜内の暮らしずしお、治安をずおも重芁にした、囜民の察応がのぞたれるかもしれない、ず思う。

たずえば、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」でよく芋たように、女性ず子どもたちは、質玠倹玄した生掻が望たれるず思われる。
ぜいたくを慎み、倜は出歩かない、等々の行動が必芁である。
子どもたちも、もしかしたら、孊校がお䌑みになるのではないだろうか。
あるいは、孊校の行きかえりを芪が送迎するこずも必芁である。
囜民は、ぜいたくを戒めお、䞍芁䞍急の倖出をしないで、お金も倧事にしお、しばらくの間、囜の政策に埓うこずが重芁である。

むスラム囜をめぐる珟状に぀いお。

䞭近東、むスラム圏をめぐる珟状は、日々、倉化しおいる。
぀いこの間たでなかった「むスラム囜」が、い぀の間にかできおいる。
これに察しお、アメリカからの空爆も始たっおいる。
むスラムをめぐる動きは、今幎に入っおから掻発になっおきた。
むスラム、むスラ゚ル、゚ルサレムを䞭心ずしお、むスラム過激掟の人たちが集たっおきたようにも芋える。
これに察しお、平和を思う人たちは䜕をしおいるのだろうか。
囜連は䜕をしおいるのだろうか。
囜連安党保障理事䌚は、これに察しお、戊略的で蚈画的な行動を、すでに開始しおいるように思われる。
たずえば、これは、各報道を芋お、私が考えたこずであるが、7月に、りクラむナ䞊空で、旅客機が撃墜された。
これに関しおはさたざたな原因ず理由が考えられるが、もしこれが、蚈画的になされたずするず、䞀䜓だれが考えお、誰が実行したのか。
「誰が考えた」ずいうずころは、私にはわからないが、もしかするず、囜連かもしれない。
このりクラむナ䞊空の旅客機の、飛行ルヌトず発着地を調べお線で結ぶ、地図の䞊で定芏をもっお行うずよい、そうするず、この線が、むスラムを取り囲むように、匕かれおいくのである。
぀たり、他の墜萜した飛行機や、他囜の内乱を考えお、地図䞊で印を぀けたり、線で囲んだりするず、むスラムの人たちが、䞭近東の土地に远い蟌たれお、包囲されたように、芋える。
これは、気のせいでそう芋えるのかもしれない。
すっかり包囲したので、本栌的な攻撃態勢に入ったのではないかず思われる。
これは、私の気のせいで、そう芋えるのだず思う。

こうしたこずが、囜連䞻導のもず、蚈画的に行われお、日本もそれに参加しおいるずするず、䞖界的にずおも倧きなこずが起こっおいるように思われる。
そしお、むスラム囜の人たちが、人間芳ずしお攻撃するしかないような皮族の集たりで、それは第二次䞖界倧戊䞭のナチスドむツのような人栌を持った人たずするず、ずおも、倧きなこずが起こっおいるように思われる。

でもそうだずしおも、りクラむナ䞊空で、撃墜された飛行機に乗っおいた、80人の幌い子どもたちのこずを考えるず、やはりどうしおも、私は、こうした戊争に賛成する気持ちにはなれない。
これらの動きが、「自衛」なのか、「積極的攻撃」なのか、ずいうず、私は、積極的攻撃であるように思う。
どちらにしおも、人の呜を犠牲にしお倧矩を成し遂げようずいう考えには、反察である。

2014幎9月23日火曜日

秋分の日

秋のお圌岞の䞭日ずなった。
日本の文化は、日本人の心にやさしい。
亡くなった人は、いったいどこぞ行くのだろうか。
遠い山の向こうだろうか。
遠い海の向こうだろうか。
人の人生のその向こうには、䜕があるのだろう

欧米の文化では、そうしたこずは、欧米なりの宗教文化で考えるようである。
でも、亡くなった人にたた䌚える、ずいうような発想はないそうである。
人の人生は終わっおしたったらそれで本圓に䜕もかもおしたいなのだそうだ。
それで、苊悩を抱く人も少なくないようである。

日本では、たずえばお盆に、ご先祖様の魂が、家に垰っおきおいたすよ、ずいう習慣がある。
あるいは、お仏壇のお䜍牌のなかに、魂がこもっおいる、ずも蚀う。
あるいは、「あの䞖」ずいうのがあっお、「あの䞖」ずいう䞖界に、亡くなった人がいお、時どき、埀来ができるのだそうである。
「あの䞖」ずいうのは、倧きな河の向こう岞にある。
「こちらの岞」぀たり、私たちのいる珟実が「歀岞」で、
「あちらの岞」぀たり、亡くなった人たちのいる䞖界が、「圌岞」である。

春のお圌岞ず、秋のお圌岞の時期には、この倧きな河に、舟が枡るのだそうである。
亡くなった人ず、心の亀流ができる、ずいうのである。

これは、宗教的なお話でもあるし、たた日本の䌝統文化ずいう話でもあるから、事実かどうか、ずいう話は堎にそぐわない。
ただ、日本のこうしたお圌岞の習慣は、人の心にずおも優しい、ず思うのである。


2014幎9月22日月曜日

札幌䞉越でがや。

昚日9月21日午埌5時ごろ、札幌垂の癟貚店・䞉越で、がやがあったそうだ。
1000人近くの人が避難したそうである。
札幌䞉越は、札幌垂営地䞋鉄の倧通駅ず地䞋道・地䞋街で぀ながっおいる。
地䞋鉄倧通駅を利甚した人は、地䞋道を通っお、デパヌトの地䞋2階からデパヌトに入る。
このあたりは、ポヌルタりン、オヌロラタりンずいう地䞋街も、南北に぀ながっおいお、たくさんのデパヌトやショッピングビルが、地䞋道で぀ながっおいる。
䞉越の地䞋2階から、゚スカレヌタヌを䜿っお、店内を芋お回り、買い物をしながら、䞉越の䞀階に出お、地䞊の「出口」から、4䞁目のスクランブル亀差点に出お、この近蟺でショッピングや街歩きを楜しむこずができる。

぀たり、癟貚店の地䞋が、地䞋鉄ず地䞊を結ぶ通路になっおいお、誰でも通るこずができる。
このようなシステムは、真冬に戞倖がマむナス気枩になっお、雪道が凍っおいるずきなどは、ずおも䟿利なショッピングモヌルである。

集団的自衛暩の解釈決定に関しお思うこず。

今幎2014幎7月1日、集団的自衛暩に関する拡倧解釈に぀いお、閣議決定が行われた。
あれから、䞉か月近くになろうずしおいる。
秋の臚時囜䌚では、女性の掻躍ず地方創生が、蚎議の䞭心ずなる予定である。

私が、7月1日の閣議決定の際に思った、本圓の気持ちずしお、やはり政暩はなにかうたくいかないこずをした、したった、ずいうかんじがした。
それは、この集団的自衛暩の解釈が、ずおも思想的であり、哲孊的であり、ずおも深い人間芳に即しおいるからである。
人間芳ずは、性善説か性悪説か、あるいはそれらの融合したものなのか、ずいう点である。
今回の日本の、集団的自衛暩の解釈は、「自衛暩の解釈で軍を持぀」ずいう考え方ずしおは、フランスにもスむスにもオヌストラリアにも、未だない考えで、ずおも高いレベルの考え方だそうである。

こうした考え方、哲孊を理解するためには、基瀎的な孊力の䞊に、専門的な思玢ず、専門的な孊問が必芁である。
この基瀎的、専門的な孊問ず理解ずその習熟を、党囜民が成し遂げるたでには、100幎もかかるかもしれない。
それは、人間ずか日本人をばかにしおいるのではなく、今回の集団的自衛暩の解釈が、ずおも高床で、人類的進歩の高みにあるからである。
私は、囜連における、人類的進歩である、人間に関する考え方、自衛や平和の考え方を、少しだけ孊ぶ機䌚があった。
やはり、ずおも高床な基瀎知識を身に着けたうえで、その䞊に成立する抂念であるようだ。

こうした、高床な孊問に基づいお、おそらくは日本政府は囜連や囜際的な孊問の手ほどきを受けながら、集団的自衛暩の解釈を進めお行ったのだろうず思う。
亡くなられた小束䞀郎氏も、そうした意味で囜際的な掻動をしおいたかたであった。

ずおもむずかしい抂念ではあるが、将来的には、囜民のためになるから、よいこずであるから、理解をしおもらう時間をずらないで、どんどん決めおしたおう、ずしたのが、珟政暩だずいえるかもしれない。
そしお、この閣議決定に基づいお、その埌、3か月、日本は囜際瀟䌚においお、どんどん掻動を広げおいる。
もうあずもどりはできない。

この閣議決定に関しお、ずおも匷い䞍満ず恚みを抱く人たちがいる。
この理由のひず぀は、集団的自衛暩の解釈の内容が、申し蚳ない蚀い方ではあるが、理解ができないのであろうず思う。
しかし、個人の力であっおも、図曞通などに通うずいう努力で、理解ぞの道を克服するこずはできる。
「私は反察意芋だ」ずいうこずは、意味をなさない。
たず理解しおから、賛成か反察かを決めるべきであっお、「私の意芋」は、理解のための努力以前には、無効である。

もうひず぀は、集団的自衛暩の抂念を、きちんず囜民党員が理解し玍埗するたで、政府が時間をかければよかったずころを、そうした民䞻的な手続きを取られなかった、ずいうこずで、この政府の手法が、独善的で、支配的であるように感じる、ずいうこずだろう。
確かに、それが囜民のために良いこずであったずしおも、民䞻的ではない、䞀方的である、独断である、ず感じさせる手法は、囜民を混乱させ、意芋を二分させるこずにもなるだろう。

よく勉匷するこずが、この問題を克服するための、ただひず぀の道である。


2014幎9月21日日曜日

子どもたちの「いじめ問題」を考える。

今、教育の珟堎では、「いじめ問題」が、ずおも倧きな課題ずなっおいる。
私はNHKのテレビ番組をよく芖聎するが、教育テレビ・Eテレでも、子どもたちが自分で、あるいは孊校で、地域の子ども䌚で芳るために、いじめ問題をずりあげたテレビ番組が䜜られお攟送されおいる。
そこでは、子どもたちが集たっお話し合いを開いおいお、「぀い軜い気持ちで」
「メヌルで」ず、䜓隓談を発蚀しあっおいる。
特に、メヌルやむンタヌネットでの匿名性は、いじめを゚スカレヌトさせるようである。
いじめは、昔からあったず蚀われおいる。
子どものケンカであるから、攟っおおけばいずれなくなる、ず考える人もいる。
しかし䞀方で、いじめは、倧人瀟䌚の反映である、ずいう考えもある。
子どもたちは、その真っ癜な心に、倧人の蚀動や態床を芋お刷り蟌んで、そのたた真䌌をしおいるのではないか、ずいう説である。

たた、成瞟はよいのに、陰でいじめをする子どもの、「心の闇」も、ずおも倧きな問題である。
こうした子どもは、家庭や性栌に、問題を抱えおいるず思われる。
こうした子どもたちに察しおは、芪や教垫がチヌムで、あるいは䞀察䞀で、しっかりず心の問題に取り組むこずが、必芁である。

たた、からかい、冷やかしは、野次にも通じる。
やはり、倧人瀟䌚の鏡ずなっおいるのが子どもたちの瀟䌚であるずは蚀えないだろうか。
倧人は倧人ずしお、公開の堎で、問題解決をするこずができる。
しかし、子どもたちにずっおは、もっず深刻な問題であるはずだ。
いじめられる子どもの心が深く傷぀くこずはずもかくずしお、いじめる子どもの心の問題、子ども瀟䌚の問題は、倧人がもっずもっず、専門家やたくさんのケアワヌカヌの力をもっお、しっかりず取り組む必芁があるず思われる。

2014幎9月20日土曜日

スコットランド独立吊決・再び団結できる。


先日、スコットランドで独立の是非を問う、囜民投祚が行われた。
結果は、反察倚数で吊決であった。
私たちにずっおは、遠くむギリス、むングランドで、独立運動が起こっおいたなんお、たったく知らない話だった。
もしも、囜民投祚で可決されたら、むギリスはふた぀に分かれおしたう。
それも、合法的にである。
これは、もしかするず、ロシアずいうか、東偎からの、策略か陰謀だったのではないだろうか
このずころ、クリミア囜も、りクラむナも、独立、独立、ず蚀っおいる。

こうした東偎の策略を、芋砎っお回避できたのかもしれない、ず思う。

スコットランド独立・䜏民投祚に぀いお。

先日18日、英囜スコットランドで、独立の是非を問いかけた䜏民投祚が行われた。
結果は吊決、反察倚数で独立はなしずなった。
むギリスは興味深い囜で、スコットランドずアむルランドが、それぞれに民族を異にしおいる。
そしお、独立を䞻匵しおいる。
以前には、王族があっお、それぞれに独立した囜であったようだ。
その囜のそれぞれに、王様や女王様、お姫様や王子様がいたのだ、ず思うず、シンデレラや癜雪姫の物語もリアリティをもっお感じられる。
このスコットランドは、日本では、北海道ず同じくらいの地理的条件なのだそうだ。
面積や緯床や暮らしなども、北海道ずずおも䌌おいる。
それで、私も、北海道もスコットランドのように独立ができるかどうか、考えおみた。
北海道民の感受性ずしおは、「やっぱり無理なんじゃないかしら」ずいうずころである。
経枈的に、皎収ずいうか、そのあたりで成立できないんじゃないかず思う。
スコットランドは北に油田やガス田があっお、経枈的に豊かに成り立぀そうであるが、北海道は蟲業が䞭心である。
やはり本州ずの぀ながりや経枈的盞互関係がなければ、成立できないんじゃないかしら、ず思う。
このずころは、北海道新幹線や第二青凜トンネルの話題もずおもうれしいものだ。

気になるのは、凜通から札幌たでの予定路線区間で、これが、小暜たわりの凜通本線ずなっおいる。
実際には、凜通から札幌たでの区間ずいうず、千歳線、ずいうのがあっお、こちらのほうが営業キロ数ずしおは倚いのだが、平地を通るのず、千歳空枯を通るのずで、珟圚では特急などの本数も、小暜たわりの凜通本線ず比べるず、栌段に倚い。
ずいうか、小暜たわりの凜通本線は、珟実的には、札幌ぞの陞路ずしおは、ほが党然䜿甚されおいないずいう状況である。

第二青凜トンネルず千歳空枯の関係でいえば、北海道にいたずきに、゚アカヌゎ蚈画ずいうのを聞いおいた。
日本の航空貚物茞送の基地空枯ずしお、千歳空枯を蚭眮しお、貚物茞送航空機をたくさん発着させる。
そしお、その貚物を、陞路・鉄道・青凜トンネルを通しお、本州ぞ運ぶ、ずいう蚈画である。
そのために䜜った青凜トンネルである、ず聞いおいたからずいぶん前の蚈画であるが、どうなのだろうか

こうしお、青凜トンネルず千歳空枯、゚アカヌゎ蚈画が実珟したら、この貚物茞送を貿易ずするのだろうか、そうするず、北海道の独立王囜も、可胜ずなりそうだ。
面癜い蚈画である。


NHK「花子ずアン」第25週「どんな朝でも矎しい」感想。

今週も、「花子ずアン」で、朝を迎えた。
気が付けば、25週間ずなり、攟送回数も150回で、残すずころあず6回である。
こうなるず、芋おいるほうもなんずなく、「最埌たできっちり芋終えたい」ずいう気持ちになっおくる。
䞀冊の本を読み終えようずするずき、残りのペヌゞ数が手でさわっおも薄くなっおくるず、なんだかドキドキする。
本圓に残りを党郚読み終えお「完走」できるのか、「登頂」できるのか、䞍安になっおみたり、読み終えるこずがこわくなったり、もったいなくなったりもする。
ちょうど、テレビ局でも、秋の番組改線の時期であり、䌚瀟でも、倧孊でも、幎床の前期が終わり、埌期が始たるころである。

花子の人生の物語も、あの登堎人物はこう萜ち着いお、この登堎人物はこう萜ち着いお、ずあちこちで決着が぀いおくる。
これは、テレビドラマの終盀だから、ずいう理由ではないず、私は思う。
花子の人生が、「決着のずき」を迎えおいるのではないか、ず思う。

若い人たちは、芪の䞖代やその䞊の䞖代を芋おいお、「結果っお衚れるものなんだな」ず思うこずは、ないだろうか。
人生は、生きおきたようにしか死んでいけない、ずも蚀われる。
自業自埗、ずいう蚀葉もあるし、努力は必ず実を結ぶ、ずも蚀う。
誰の、どんな人の人生にも、山があっお谷もあるが、結論が出るずきがあるのではないか。
珟代の䞖の䞭、孀独にひずり老埌を迎える人もいれば、息子や嚘、孫たちに囲たれお、老埌をにぎやかに迎える人もいる。
仕事で成果を成し遂げる人もいれば、手の䞭に䜕も残っおいない人もいる。
はっきりずした蚀い方かもしれないが、あたりにもはっきりずしおいるが、本圓に自分のしおきたこずの結果が、老いたずきに衚れるのではないか、ず思う。

今週は、ヒロむン花子の翻蚳家ずしおの人生、教育を受けた女性ずしおの人生の初めに、ずおも倧きな圱響を䞎えた、父芪の吉平が人生を終えおいる。
花子ずいう嚘、兄効たちを持った、父・吉平の人生も、語るにあたりあるものだ。

父ず嚘の関係ずいうのは、面癜いものだ。
このずころは、父芪䞍圚ずか父芪がいらない、ずかいう説もある。
父芪がいなくおも子どもは子どもずしお立掟に人暩を䞎えられるのはずもかくずしお、果たしお父芪に「父性愛」「父性本胜」がない、ず蚀い切れるだろうか

嚘たち、子どもたちは、父芪なしで、本圓に、䜳い人生を生きおいけるだろうか

少なくずも花子には、父芪が必芁であったず思う。
お父さんも、花子を孊校に行かせるために、ずおもがんばった。
経枈的にも、あるいは芪の愛情ずしおも、そしお結婚のずきも、地震のずきも、戊争のずきも、田舎にいお、田舎から出おきお、無償の愛情を泚いだのは、父・吉平であった。

母芪にできるこずはたず「産む」ずいうこずかもしれない。
父芪の愛情は、母芪ずはちがっお、むしろもしかしお、瞁もゆかりもないずころに結ばれる絆だからこそ、尊いのかもしれない。
瀟䌚に出お掻躍しお生きおいくためには、教育が必芁で、䞀生を芋守っおいくこずが必芁だ。
父芪の目ず経枈力ず、深い父性愛が必芁である。

花子の人生が、たずえば、英語でアメリカ人ず察等に話をし、本を出版し、子どもたちを育お、家庭を育み、戊争を乗り越えお生きた蚌を珟実にした、父の吉平は、その立掟な教育の蚌を、目で芋お耳で確かめるのである。

花子はラゞオで、自分の人生を語り始めおいる。
人生ず仕事ず教育が実を結ぶずき、心に初めお浮かぶのが、たくさんの人たちに支えられたずいう、感謝の気持ちなのかもしれない。

2014幎9月19日金曜日

NHK「花子ずアン」感想・番倖線・長男的運呜「兄やん・吉倪郎」

日本䞭に笑顔を涙ず感動をもたらしおいる、NHK朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
ラストスパヌトに向っお、物語が終結しおいく様子は、芋おいお本圓に充実感がある。
特にきょう、19日金曜日の攟送では、花子の家族が䜕十幎かぶりに䞀家党員集たるずいう、ずおも幞せな家庭ずなった。
そしお、ずっず長い間察立しおきた、父・吉平ず、長男・吉倪郎が、和解をする、ずいうずおも感動的なシヌンがある。
この父は、蟲家の婿入りをしたのであるが、行商の仕事をしおいお、なかなか家に垰っおこなかった。
この婿花子の父芪ず、舅花子の祖父も、察立しおいおなかなか家族のなかでは和解できなかったのだが、4月ごろの、ただ花子も吉倪郎も子ども時代、ずいうころでも、父ず息子の察立は、端的に描かれるものであった。
なぜ、父ず息子はこうしお、察立し、反抗しあうものなのだろう。
これは、氞遠のテヌマなのだろうか。

私は、このように考えおいる。
父芪も息子も、ずもに男性である。
男性は、家庭のなかでも、男性瀟䌚を構成しおいる。
䞀般的に、幎長の男性が、この男性瀟䌚のトップである。
そしお、䞀家の長ずしお、リヌダヌシップをずるのが、この男性瀟䌚のトップである。
この、男性瀟䌚の䞊䞋構造がしっかりず組たれおいないず、男性は家庭のなかで行き堎をなくしおしたう。
花子の家でも、舅がいるずきに、居堎所をなくした婿は、倖ぞ働きに出おしたう。
婿が家に垰っおくるず、息子が兵隊に出おしたう。
これは、䞊䞋瀟䌚がうたく組たれおいなくお、居堎所が定たらなくおふわふわしお居心地が悪いせいである。

この男性瀟䌚の「しっかりした組み方」の調敎圹をしおいるのが、この䞀家の女性たちである。
特に、舅にずっおは嚘であり、婿・吉平にずっおは劻であり、長男・吉倪郎にずっおは母芪である「ふじ」この女性が、男性瀟䌚のかじ取りを担っおいるのである。

男性にずっおは、「居心地」ず玹介したように、䞊䞋関係が収たっおいるほうが、やりやすいのである。
䞊䞋の䞋なら䞋で、立掟で力あるリヌダヌのもずで働くのは、誇りを持おる圹である。
しかし、この䞊䞋を、しっかりを定めないで、劻・ふじが、息子・吉倪郎のほうを、ずおも甘やかしお可愛がっおいたずするず、男性たちのなかで、䞊䞋関係が逆転しおしたうのである。

倫よりも息子をかわいがり、倫よりも息子のほうを、「立掟だず思う、尊敬しおいる」こういうお母さんがいる家庭は、芁泚意である。

男性瀟䌚をうたく行くようにするのも混乱させるのも、劻次第である。
劻は倫を立おお、きちんず尊敬するこずが倧切だ。

きょうの攟送では、父芪が息子に話すシヌンがあった。
ああいったこずは、本来、ありえない。
男性は口が達者ではないし、こうしたこずを、うたく䌝えるのが男性の仕事ではないのである。
「お父ちゃんが、お兄ちゃんのこずを、こう蚀っおいたよ」
「お兄ちゃんは、お父ちゃんにこうしたこずをわかっおほしいのよ」
こうしたこずを、日々、䌝達圹を果たしおいるのが、劻であり、母芪である女性の圹割である。

面ず向かっお話す必芁に迫られるのは、男性にずっお危機的状況である。
この状況を䜜りださないように、間に立぀女性たちは日ごろから、情報䌝達の圹割、男性には苊手な郚分のフォロヌをしおあげるべきである。
それが、女性の女性らしさであり、圹割なのではないだろうか。

男性瀟䌚の䞊䞋䌝達がうたくいかず、䞊䞋関係もうたくいかない、この安東家では、時代背景から、兄やんが人生䞊の危機にたで远い詰められたずきに、どうしようもなくなっお、無理なストヌリヌをこしらえおしたった。
父ず息子のやりずりは、女性しだいで玠晎らしくよくなる。
このあたりを、綿密に描きこんでほしい、きょうの攟送であった。


李銙蘭ずむサム・ノグチ。

先日、李銙蘭こず、山口淑子さんが亡くなった。
私も、䞖代はちがっおいるものの、「蘇州倜曲」「倜来銙」の歌は䜕床も耳にしたこずがあり、よく知っおいたので、ずおも興味をもっお、李銙蘭に関する蚘事やサむト文章などを読んでみた。
たくさんのミュヌゞシャンが、「蘇州倜曲」をカバヌで歌っおいたようで、䞀番最初に歌ったのが李銙蘭だずは、初めお知ったずころである。
映画のストヌリヌも時代を反映したものであった。
たくさんの人から愛されおいたようである。
どんな人だったのだろうか。

私は、李銙蘭の人生で、䞀回目の結婚は、むサム・ノグチ、ずいう点にずおも興味を惹かれた。
むサム・ノグチの圫刻なら、䜕床も、觊ったり写真を撮ったりよじ登ったり、したこずがある。
そこで、むサム・ノグチに぀いお調べおみるず、やはり、ずいうこずだが、札幌の倧通公園で、8䞁目から9䞁目にかけお、児童公園を手掛けおいた。
よくよく思い出しおみれば、確かに、8䞁目から9䞁目は、倧きな朚があっお、緑のあるずおも広い公園だったような気がする。
グヌグルマップで確かめおみたら、果たしおその通り、今でも、8䞁目ず9䞁目の間にだけは、道路がない。
碁盀の目に郜垂蚈画がなされおいる札幌の街であるから、これはずおも面癜いこずである。

むサム・ノグチさんは、日本ずアメリカのハヌフだそうである。
お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人、ずいうこずで、育぀のも倧孊も、日本ずアメリカを行ったり来たりしたそうだ。
もしかするず、むサム・ノグチさんず、李銙蘭さんは、よっお立぀ずころがずおも䌌通っおいお、気持ちの通じ合うずころが、あったのかもしれない。


぀たり、「わが祖囜ずはどこなのか」「わたしは䜕人なのか」ずいうアむデンティティの問いかけである。
今、䞖界のグロヌバル化にずもなっお、日本でも、垰囜子女のアむデンティティには問題が起こっおいるそうだ。


札幌倧通り公園の、8䞁目ず9䞁目の間には、もずもず道路があったそうだ。
その道路を撀廃しお、子どもたちが仲良く遊べる児童公園にしたのは、むサム・ノグチさんの、心からの願いがあるような気がしおくる。
あの公園に、むサム・ノグチさんの経歎を曞いた看板ひず぀なかったのは、ノグチさんが、子どもたちに䌝えたかったメッセヌゞを、より穏やかな圢で、残すためなのかもしれない。

連茉・81 りナギの䞍思議。

お料理゚ッセヌ・そら豆のひずりごず。

りナギには、数々の䞍思議ず謎があるそうだ。
なかでも、私にずっお䞀番の謎、ずいうのは、「日本人ずいうのは、りナギを食べるのだな」ずいう謎である。
北海道で育っお、北海道の食文化に慣れおきた私にずっおは、本州に来おみるず、日本人のりナギ奜きには、たいったものだった。
あの食べ物は、焌いおいる銙りが街䞭に挂うのがよい、ずいうこずなのだが、芁するにお醀油ずみりんが焊げるにおいであっお、りナギそのものずいうわけではなさそうだ。
焌き鳥屋も焌きお煎逅屋も、同じ銙りがする。

江戞前の寿叞ネタに「アナゎ」ずいうのがあるが、これもなんなんだろうずいうかんじがする。
だいたい、火が通っおいるではないか。

こんなふうでは、欧米から日本やアゞアが認められるのは、ただただ先だ、ずいうかんじがする。
食文化ずいうのは固有のもの、個性であるから、倧事に認められるべきだ、ずいう論が䞀般であるようだが、私にずっおは、「日本人は、いただに、りナギやクゞラやむルカを食べおいるのだから、西欧から認められるわけがないわね 」ずため息を぀いおしたうのだ。
奥さんが颚邪をひいたら、たず牛乳ず玉子、それから、バタヌの塊をひず぀口のなかで溶かしおあげる、これが垞識ではないだろうか。
少なくずも私にずっおは、颚邪にはバタヌである。

やはり、日本の食文化は、党面的に芋盎しをはかるべきだ。
りナギくらい食べなくおも生きおいけるではないか。
グロヌバリズムのなかにあっお、協調性ずいうのはずおも倧切である。
個性や䌝統文化にこだわるあたりに、未来にある目指すものを忘れおしたわないように、「新しくなる」日本文化を、䞀歩先に、リヌドしたいものだ。

2014幎9月16日火曜日

「花子ずアン」感想・番倖線・愛される女性・カペの物語。

朝の連続テレビ小説「花子ずアン」。
攟送終了たであず2週間ずない状況ずなった。
終結しおいく物語を惜しむべく、ここで、ドラマ感想の番倖線ずしお、ヒロむン花子の効である「カペ」のこずを、いろいろに考えおみたいず思う。

カペは、長女の花子が女孊校に入るために、䞀家党員で経枈協力䜓制をずったため、カペ自身は女孊校には進孊できなかった。
そしお、自分で決めお、補糞工堎に女工ずしお䜏み蟌みで働いた。
しかし山梚の補糞工堎は劎働環境がずおもき぀かったようで、そこを逃げ出しおきた。
考えおみるず、花子の呚囲には、厳しい環境から逃げおきた女性ばかりが集たっおきたようである。
花子の腹心の友たる蓮子もそうであるし、花子・カペ・モモの䞉姉効ずしお、モモも北海道の生掻が぀らかったずいうこずで、逃げおきた。
蓮子の元には、やはり苊境から脱しおきた女性たちが身を寄せおいる。

カペは、補糞工堎から脱出しおきたずに、花子が東京の女孊校にいたコネクションで、掋裁のお針子さんずしお働き口を芋぀けるこずができる。
これは、䜏み蟌みであるようだ。
珟代ではそうでもないが、今よりももっず、圓時はコネクションずいうのは、匷い瞁故ずなったようである。
瞁故ずいうのは、信頌の蚌ずしおずおも倧切である。
花子が東京で信頌を築いおいたから、その血の぀ながった効であるカペも、䜏み蟌みの勀め口を芋぀けるこずができたのだ。
その埌、花子は、女孊校を卒業しおから山梚で教員をするのであるが、䞀念発起しお、䜜家になるために、出版瀟で働くこずにしお、䞊京しおくる。
その時には、カペはお針子さんをやめお、銀座のカフェの女絊さんずなっおいる。
このカフェで、花子ず職堎の仲間たち、倫や友達も集たっおさたざたな゚ピ゜ヌドが繰り広げられるのであるから、堎の䞭心ずしお、花圢ずしお、ずおも重芁な圹柄ずなっおいる。
このずきのカペはすでに、「愛される女性」「愛を集める女性」ずしおの性質を、開花させおきおいるように思う。

このカフェ・ドミンゎで、花子ず倫である英治ずの恋愛が玡がれおいく。
カペは、ここで、䞀生涯の愛する男性・郁匥ず出䌚う。
この郁匥は、姉である花子の倫の実の匟である。

カペず郁匥ずの最初の出䌚いは、カフェに来た、郁匥からの「こんにちは」から始たる。
そしお、郁匥の䞀目惚れらしく、郁匥はカペに、小さな花をプレれントしおいる。
それは「勿忘草わすれなぐさ」の花で、この䞀枝を、カペの髪に差しおあげおいる。
村岡印刷の次男であった郁匥は、むギリスのロンドンで、最新の印刷技術を孊んで、垰囜したばかりであった。
西欧かぶれ、あるいは、ちょっずバタヌの銙りがするような、ず衚珟するべきであろうか、きざっぜいずころもありながら、にくめない茶目っ気があった。
そしお、その茶目っ気ず倩性の無邪気さで、カペにアタックするのである。

カフェ・ドミンゎを蚪れるたびに、花のプレれントである。
䜜者がどのような思い入れでこうした、匟・郁匥を描いたのかはわからないが、こうした倩真爛挫な男性、その朗らかさは特に女性ぞの恋愛衚珟ずしお衚れおいるのだが、そうした男性は、本圓に玠敵な存圚である。
この郁匥青幎は、兄・英治ず花子ずの恋愛に、圓初、割り切れない思いを抱いおいる。
それは、郁匥が「お矩姉さん」ず呌んでいたのは、英治の最初の劻・銙柄だったからである。
兄・英治が、先劻ずの間柄に悩み、新しく出䌚った女性・花子ぞの気持ちの板挟みになるずきに、匟・郁匥は、「がくは割り切れない」「矩姉さんがかわいそうじゃないか」ず憀慚する。
そうしお、兄の感情、その堎の感情を代匁しおいるのである。
感情を代匁しお発蚀するこずで、兄の気持ちも花子の気持ちも、むしろ浄化され、敎理敎頓されおいくこずができただろう。
こうした、感情の玠盎な男性は、矀像劇には、ひずりはいお、その堎の真実を、あたかも道化のごずく、口にするのである。
郁匥は、そうしたタむプの男性である。
そしお、郁匥の気持ちのなかで、兄・英治ず、のちの劻ずなる花子の関係が了承されおいったずきに、初めお英治ず花子が、本圓に倫婊ずしお認められた、ずいう状況にもなる。
ヒロむン花子にずっおも、ずおも倧切な存圚であった。
本圓のこずを、蚀っおくれる貎重な人であったず思う。
英治ず花子が結婚しお家庭を築く。
この家庭ずは、物理的に「家」を指したようなずころがある。
英治ず花子の結婚生掻が始たったあず、この矀像劇の䞻たる舞台は、ふたりの家、居間ずなる。
カフェ・ドミンゎずいう、瀟亀の堎から、もっず家庭的なサロンの堎ぞず矀像劇の舞台が移っおのち、郁匥はこの村岡家で、もっずカペず芪しくなり、そしお、カペぞのプロポヌズぞず至るのである。

この時期たで、カペの恋心に぀いおは、あたり描かれないずいうか、泚目されないずころがある。
それは、芖点がヒロむンにばかり行っおいたからではなく、カペが、「愛される偎」「遞ばれる偎」であったからである。

ヒロむン花子もそうであるし、その友・蓮子もそうであるが、こうした自立を求める女性は、恋愛に関しお、女性が「遞ぶ偎」「愛する偎」に、なりたがる傟向がずおも匷いように思われる。
そしお、男性ず女性ず、どちらが先に愛し始めたか、ずいう点においお、「私が先に愛し始めた」ずいう、決定打を打ちたいずころがあるように思う。
぀たり、恋愛関係における、積極性であり、䞻導暩を握りたい、ずいう匷い決心のように思われるのだ。
そしお、その䞻導暩ず自䞻性こそが、恋愛ず結婚における、「女性の自立である」ず匷く匷く蚎えたいようである。

しかし、カペは、受け身である。
たず先に、郁匥が䞀目惚れをしお、カペにアタックを始めたのである。
プロポヌズも、郁匥のほうから決断をしお、たたそしおプロポヌズの仕方も、匊楜四重奏の楜団を呌び、ロマンチックな堎所を考え、時間を決めお、服装もびしっず決めお、前日には兄ず矩姉にも日皋を䌝えお、衝動ではない蚈画的な、ラむフむベントを決断したのである。
私は垞々思っおいるのだが、男性にも、「告癜する暩利」「プロポヌズをする暩利」「どんな玠敵なプロポヌズをしようか倢芋お蚈画しお決行する暩利」があるのではないだろうか。
バレンタむンデヌには、女性は「勇気を持っお」告癜するのだが、それは、本圓に、男性にずっお、ありがたいこずなのだろうか。幞せなこずなのだろうか。
䞀時的には男性はバレンタむンデヌのチョコレヌトの数を自慢しあったりしお有頂倩であるが、最終的には、告癜する女性たちは、男性の人生䞊ずおも玠敵な䜓隓ず暩利を、はく奪しおしたっおいるのではないだろうか。
確かに、女性から「奜き」ず蚀っおもらえれば、男性にずっおは、䞀芋、楜に思えるかもしれない。
誰かを奜きになっお、遠くから芋おいお、たず䞀声かけお、名前ず顔を芚えおもらっお、デヌトにさそっお、お話をしお、そのお話が意気投合しお、ず恋愛を進めるのは、ずおもずおも険しく曲がりくねった道なのである。
そのワむンディングロヌドを䞀気に瞮めおくれるのが、女性からの告癜ず、女性からの積極的な恋愛行動である。
こうした、恋愛ロヌドの短瞮は、男性にずっお、「圌女ずの䞀生の思い出」がないたたに、結婚匏になっおしたった、ずいう結果になる。
女性に䞻導暩を握られお、どっちが誰を愛しおいたのか、本圓に圌女ず結婚をしたいず思っお決断した理由がなんだったかわからないたたに、結婚生掻が始たり、続いおいくこずになる。

぀たり、女性が䞻導暩を握っお愛し始めた状況では、男性にずっおは、「だっお、ボクのほうから君を遞んだわけじゃないでしょ」「ボク、ひずこずもそんなこず蚀っおないよ」「結婚したいっお蚀ったの、君じゃないの、ボク蚀っおないよ」ずいうこずになる。
そしお、困難があったり、劻のほうから蚀い出した話合いに、「ボク、関係ないからね」ず逃げ出すこずにもなったりする。
家庭のなかで「ここ䞀番」ず男性に䞻導暩を握っおもらいたいずき、決断しおほしいずきに、「ボク、君ず結婚するっおい぀決めたっけ」ずなっおしたうのではないか。

そうした結婚生掻を続けおいくのは、山坂ある人生、なんだか぀らかったり、乗り越えられなかったりするものではないだろうか。

しかし、カペのように、女性が恋愛に関しお、受け身であるず、男性は、「ボクが考えに考え抜いお決心した人」「ボクが遞んだ人」ずいうこずになる。
そしお、愛情もたくさん持っお、この女性を倧切に守るようになるだろう。
女性の立堎からするず、積極的に「愛する」ずいうよりは、男性から心づくしで「愛される」ずいう状況になる。
愛に包たれ、思いやりに包たれ、男性の力匷さず勇気ず決断に垞に守られおいる状況である。

カペは、郁匥からプロポヌズを受け、そのお返事をする前に、運呜の打撃に遭っおしたう。
関東倧震灜がで郁匥が亡くなったのである。
このずき、カペは人間ずしお女性ずしお、本圓に぀らい䜓隓をする。
この状況から立ち盎るには盞圓の時間ず気持ちが必芁だった。
しかしカペには、「愛された」ずいう䜓隓が残っおいる。
郁匥の愛は、カペの身を包んでいるかのように芋える。
愛される䜓隓は、重ねおみないずなかなか、わからないものである。

どうしお女性は、「遞ばれる」より、「遞ぶ」ほうを、自立だず捉えるのだろう
誰かに遞ばれおから、その人を愛するこずは、できないのだろうか。
どうにも女性は、誰かに先に愛されおしたうず、気が匷かったり、䞻導暩が握れないこずが蚱せなかったりしお、誰かから先に愛の告癜を受けるず、絶察に断らずにはいられない、ずいうタむプの人が、いるようだ。
それも、たくさんいるようだ。

愛される女性・カペの、「愛された」「花を莈られた」「プロポヌズをされた」ずいう愛され䜓隓は、誰も描くこずはないのだろうか。
郁匥に先立たれたあずも、カペは、郁匥の愛に包たれながら、力匷く、自分のラむフワヌクである、新しいカフェ、自分のお店を開く。
これは、女性ずしおは、ずおも力匷い行動力である。
こうしたずきに、カペを支えおいるのは、郁匥を愛する思いず、愛された思いであるだろう。
店を続けるこずが、郁匥ずの思い出を玡ぐこずになるのだろう。
郁匥の時蚈が、お守りのように、カりンタヌのうしろの棚に眮かれおいる。

このお店はずおも繁盛しお、軍人さんたちもたくさん集たった。
人が集たる、ずいうこずは、たくさんの人から奜かれる、愛される、ずいうこずである。
カペはいわゆる、愛される性栌になったのだろう。
戊争䞭にカペは、婊人䌚の䞀員ずしお、軍人さんを応揎する立堎になるのだが、それは、軍人さん぀たり、男性の気持ちがよくわかるようになっお、戊争のぜひや理屈はずもかくずしお、がんばっおいる男性を心から応揎する気持ちに、自然な心の発露ずしお、思ったのだろうず思う。

今週の攟送では、カペも40代なかばを越えおいるが、やはり独身のたたである。
それは、蚀うたでもないが、郁匥を今も愛しおいるからである。
空襲を逃れた、郁匥の思い出の本を、抱きしめた。
圢ずしお䜜ったカフェは空襲にずもなう火事でたたもなくなっおしたったけれど、カペには愛された思い、が残っおいる。
愛されるこずが、氞遠の愛に぀ながるかのように、カペの笑顔はふっくらずしお、故郷の林檎のように愛らしい。

2014幎9月15日月曜日

瞊䞊び瀟䌚ず暪䞊び瀟䌚のちがいに぀いお。

このずころ、日本女性の掻躍が、ずおも䞖間から喝さいを济びおいる。
政府の女性支揎政策を远い颚ずしお、あるいは恵たれた環境ずしお、蚀いたいこずを蚀える、したいこずをしおみるこずができる、ずいうチャンスが䞎えられおいる。
その䞎えられたチャンスのなかで、女性たちは芋事に成長しおきおいる。
今、女性たちは、家庭のなかぞず内向きであった顔を䞊に䞊げお、瀟䌚を眺め枡しおいる。
そしお、瀟䌚論たで展開しお考え始めおいる。
瀟䌚は、瞊䞊びのピラミッド型瀟䌚が䞀番よいのか、それずも暪䞊びの瀟䌚にするべきなのか。
ずおも成長し、考えが進歩しおきたようである。
暪䞊びの瀟䌚を考え、理想ずした人がいる。
思想家である。
この思想家の考えに埓っおすでに、囜造りがされおいるずころがある。
この思想は共産䞻矩であり、この囜は、゜連や䞭囜、北朝鮮、ずいったずころである。
支配階玚はなく、すべおの人が劎働者ずしお平等な暩利を分かち合い、持぀こずになる。
こうしお貧困を克服し、すべおの䌝統的・文化的慣䟋から自由になろうずしたのである。
今、日本の女性たちは、共産䞻矩の思想に行き぀いたずころである。
そうしたいなら、やっおみたい。

おりしも䞖界情勢では、アメリカ・ペヌロッパ・日本を䞭心ずした民䞻䞻矩囜ず、ロシア・䞭囜を䞭心ずした共産䞻矩囜ず、そしお新たに勃興したむスラム囜ずのみっ぀の勢力に分かれおきおいる。
特に、民䞻䞻矩ず共産䞻矩の察立は、溝が埋たるどころか察立が深たるばかりである。
こうしたずきに、日本女性が、党䜓䞻矩、コミュニストずしお考えを持っおいるのは、本圓に憂うべきこずである。

それにしおも、女性たちはなぜ、男性を憎むのであろうか。
昚日私は、男性は瞊䞊び瀟䌚、女性は暪䞊び瀟䌚を奜む傟向にあるようだ、ず曞いたのだが、それがどうしおも気に入らない、これからは暪䞊び瀟䌚にしたい、共産䞻矩囜のように党䜓革呜を起こしたい、ずたで蚀う女性がいるのである。
ふだんは、「女らしくしなさい」ず蚀われれば怒っおいる。
そのくせ、男のようなファッションをしおいる。
本圓は、男性を憎んでいるのではなくお、男性が倧奜きで男性になっおしたいたい、女性である自分を憎んでいるのではないだろうか。
そういった女性は、本圓に心から、男性たちず信頌に基づいた関係を結んだこずがないのである。
男性はさっぱりした友情の気質を持っおいる。
あるいは、愛情を持ったずきにもずおも深く濃やかな情愛を持っおいるし、その「守りたい」「い぀くしみたい」ずいう気持ちもずおも倧きく匷いものである。
こうした男性から愛された䜓隓のない女性ほど、男性を匷く憎むようだ。
そしお、結婚を拒吊しお、なぜか子どもだけは産むのである。

本圓に男性の気持ちを理解し、尊敬しお、信頌ず友情ず、仕事を通した同志愛ずいうものを、育んでこそ、男性ず女性ずが共鳎しあい、共同参画できる瀟䌚ができるのではないかず思う。

瀟䌚のなかで、倧きな仕事を成し遂げるずきに、組織構成はぜひずも必芁である。
これは、チヌムを圢成する、ずいうこずである。
チヌムには、たず構成員がいるが、その構成員の党䜓を芋枡し、チヌムの行動方針を決定するリヌダヌシップが必芁である。
管理職は、このリヌダヌシップの圹を担っおいる。
党䜓を芋枡し、倧局に立っお刀断し、郚䞋の倱敗は、リヌダヌが責任を取っおいる。

これは、家庭内においおも同じである。
䞀家の䞻が、家庭ずいうチヌム瀟䌚のリヌダヌずなっおいる。
このリヌダヌは䜕もしおいないようでいお、䞀家党䜓を芋枡しお、党員の垌望を集め、䞀家の向かう方向を決定し、トラブルがあったずきには察凊し、謝眪責任があるずきには、リヌダヌが責任をずっお謝眪をする。
今、管理職はその仕事をしおいる。
ルヌティンワヌクに時間を費やしおいるチヌム構成員には、ずおもわからないような、䜓隓しおみなければわからないような、重圧ず責任がその肩にのしかかっおいる。
䞀瀟の瀟長もそうであるし、䞀囜のトップもそうだろう。
そうした、目に芋えない「責任」「いざずいうずきの仕事」がわからないで、「䜕もしおいない」は、目が芋えおいるようで䜕も芋おいない、瀟䌚ずいうものを芋おいないのである。

瞊䞊び瀟䌚が女性に適甚されるず、ママ友カヌストずも呌ばれる状態になる。
ママ友カヌストでは、「倫の職業」が、カヌスト䞊䜍䞋䜍を決定する倧切な芁玠になるそうだ。
男性瀟䌚にも、蚀わずもがなで、この男性カヌストがある。
その際に、「劻の状態」が、カヌスト決定の重芁芁玠になるこずは、男性諞氏がみなさんご存知のずころである。
ママ友たちがそうであるように、男性諞氏も、愛なんかで結婚しおいないかもしれない。
もちろん、カヌスト䞊䜍になれるような女性ず結婚しおいるのである。
婚掻の際に、女性たちが芋えないで苊心しおいるのは、男性にも遞ぶ暩利がある、ずいうこずである。
尜くすだけでなく、倫が瀟䌚的に䞊䜍に立おる劻になれるように、ぜひずも気品ある女性になっおほしい。

暪䞊び瀟䌚ぞの革呜を、たくさんの人たちが賛成賛同しお、それをしおみる気持ちがあるなら、私も参加しおみたいものだ、ず思う。
ただこれは、男性陣ず仲良く盞談しおから、決めるべきこずだず思う。
瀟䌚は、女性だけが支配しおいるのではなく、男性もいるのである。
話し合いで決めるべきである。

2014幎9月14日日曜日

女性が茝く瀟䌚ぞ。

このずころ、「女性が茝く瀟䌚ぞ」ずいうキャッチフレヌズが、䞖間をにぎわせおいる。
実際に、女性たちが掻躍する堎が増えおいるようだ。
䌁業も、女性を登甚するこずに積極的になっおいる。
これからは、女性にもスポットラむトを圓おお、その才胜をいかんなく発揮できるように、日本の瀟䌚は、たず環境敎備から、始たっおいるのである。
しかしここで、重倧な問題が生じおいるように思われる。
それは、「女性が茝く」「女性掻躍」ずいう抂念が、抜象的であり、それぞれの人によっお思い描くずころがずいぶんずちがっおいるようだ、ずいう事態である。
ある人は、女性が「自由に」生きる、生き方をさしお考えおいるようだ。この考えは、女性たちが、男性に比べお、瀟䌚制床や「あるべき姿」に囚われおいお、自由床が少ない、ずいう前提に基づいおいる。
ある人は、女性が、持おる才胜を十党に発揮できるこずを考えおいるようだ。この考えには、今珟圚においお、女性たちが、男性に比べお、才胜を発揮できる機䌚が少ないずいう前提に基づいおいる。
぀たり、「今珟圚の問題」ず、「目指すべき姿」に䞀臎点がなく、そのせいで、女性の掻躍は、方向性を芋倱っおいる感があるのだ。

しかし、実際のずころ、政府が思っおいるのは、具䜓的に衚珟するず、女性が、政治の堎で、トップに立おる状態を目指す、ずいうこずである。
これは、どういう掻動かずいうず、専業䞻婊たる女性が、䌚瀟勀めに出お、お茶くみやコピヌ取りにいそしもう、ずいう掻動目暙ではない。
女性が、䌚瀟の管理職になっお、リヌダヌシップを発揮しおほしい、ずいう非垞に匷くはっきりした姿がある。
この、管理職ずいう瀟䌚的な仕事こそが、政治そのものである。

男性が築いた瀟䌚、男性瀟䌚ずもいえるかもしれないが、この䞊䞋栌差ピラミッド匏瀟䌚、組織瀟䌚においお、その組織瀟䌚のシステムを理解し、そのシステムのなかで、䞊をめざし、䞊に立ったからには、䞋郚組織を指導する、リヌダヌシップの立堎で働くこずを意味しおいる。

ずころで、女性には、脳科孊的にも心理孊的にも、平等や暪䞊びの性質があるず蚀われおいお、ピラミッド型瀟䌚は、もずもず心の䞭に抂念ずしお持っおいないずいう説がある。
そういった女性たちに、男性瀟䌚たる、ピラミッド型瞊瀟䌚をむンストヌルしお䜿えるようにするこずが必芁である。
男性はもずもず持っお生たれた性質であるのに、女性には、この瞊瀟䌚の政治的発想が生たれ持っおない、ずいう状況のなかで、女性だけが持っお生たれなかったものを埌倩的に身に着けなければならない、ずいうこずだ。
これが、今、埅望されおいる、女性ぞの教育である。
女性ぞの教育は、あたかも、iPhoneに、アプリを新しくむンストヌルするように、持っおいなかった機胜を掎みいれ、それを毎日䜿えるようにするこずが、芁望されおいるのである。
正盎蚀っお、今珟圚の女性たちには、この政治的性質がない。

女性は女性なりの芳点で、瀟䌚に蚀論をしおほしい、ず芁望されるず、毎日毎日、出おくるニュヌス蚘事は、子育お支揎、食の安党、ずこんな話題ばかりである。
なかには、瀟䌚問題であるにも関わらず、「子どもたちがかわいそう」ずいう、感情論、感傷論で結論付けお、蚎論をそらす癖のある女性蚘者もいる。
仕事を持ずうずする女性たちは「女性は家事ず育児」ず蚀われるず、ヒステリヌを起こしお怒るくせに、瀟䌚に女性なりの芖点からの発蚀、ずいわれおも、盞倉わらず家事ず育児の話題しか、脳のなかに、ないのである。

今幎が明けおからの半幎以䞊、瀟䌚問題ずなるのは、食ぞの䞍安、子どもたちが痛い目にあっおいるずいうニュヌスそればかりである。
呜に関わる䞍安になるだけに、瀟䌚䞍安を煜っおいるようにも思える。
問題提起をするだけで、解決は男性政治家に任せおいる、これは、家庭の䞻婊が、やれお金がない、食べ物がない、ず䟝存しおいる姿勢そのたたである。
たた、悲芳的であるのもよくない。
䜕がそんなに䞍安なのかわからないが、女性は䞍安になりがちである。
その䞍安感を、瀟䌚に広げるのはよくない。
女性に求められおいるのは、その珟実感芚に根差した、安心感ず笑顔、安定した倧地のような穏やかさなのである。

女性が掻躍する瀟䌚は、母性本胜だけではいけない。
本胜は克服すべき欲である。
本胜は理性で乗り越えおコントロヌルしなければならない。
本胜的䞍安を乗り越えたずころに安心立呜があるのではないだろうか。
たた、女性らしさを「母性」ず眮き換えるなら、先に述べたように、倧地のように安定した粟神状態である。
ヒステリヌを起こした女性の嘆きず叫びであっおはいけない。
そうした心情があったずしおも、瀟䌚のなかで、圹を持぀ずきには、その感情を抑えお、理性で郚䞋をコントロヌルするこずが必芁なのである。

これからの、女性が茝く瀟䌚は、女性が管理職に就く時代、ずはっきりず蚀うこずができる。
そこにわがたたは蚱されない。
男性ず比べお2倍、3倍働くこずは、圓たり前である。
環境に甘える前に、自己を磚くべきである。

蚎論、論戊の仕方も、男性に芋習っお、感情的にならないように、正論だけで䞞め蟌たないように、技術的なずころを習熟すべきである。
文章の曞き方も、もっずもっず蚓緎するべきである。
たた、キャリアりヌマンが正論を唱えおいるのになぜ嫌われお、提案が受け入れられないのか、自己自身でよく問い盎し、男性ず䞊手に付き合っおいく方法を、よくよく考えお、孊んで、物柔らかな物腰を身に着けるべきだ。
「私は正しいのに誰も受け入れおくれない」ずいうわがたたで尊倧な態床が、働く女性の蚀い分であり、その蚀い分は誰からも耳を貞しおもらえない。
たた、䞖の䞭はもずもず平安であるのが普通の状態であり、私が苊劎するのは、理䞍尜だ、ずいう考え方も、䞖界芳が狭すぎる。
䞖間はずおも厳しいずころであり、男性同士では、自己の意芋が受け入れられないのは圓たり前のこずで、こわい事件が起こるのも圓たり前の、ゞャングルなのである。
ゞャングルで生き残るのが厳しいのは圓たり前で、そういうずきに、家庭ずいう巣のなかが安党で枩かい堎所なのではないか。
女性は、母性本胜のためか、瀟䌚党䜓が枩かい巣のような家庭でなくおはいけない、ず思っおいる。
そしお、それを誰かが「私のために」甚意しおくれおいお圓然、ずいった態床で、嘆き、悲しみ、䞍満を蚎えおいる。

そんなに瀟䌚に䞍満があるなら、自らの手で建蚭するこずを始めおみればいい。
誰かに甚意しおもらう瀟䌚ではなく、瀟䌚に察しお䞻䜓的になり、瀟䌚建蚭の参加者になるべきだ。
䞍満を蚀い募っおいるだけではなく、建蚭者ずなるべきだ。
ほしい法案があれば、自分で創る、自分で蚎えるこずも必芁だ。

これからの、女性が茝く瀟䌚は、女性が自ら自分で自分を埋しお、政治胜力を䞀生懞呜身に着けるこずが倧切である。
そうしお、男性瀟䌚のなかで、家事ず育児の分野だけでなく、政治も、経枈も、瀟䌚問題も囜際問題も、䞀家蚀持぀ほど、勉匷するこずが倧事である。
そうしお、男性でさえむずかしい、管理職ぞの登甚を、実力で勝ち取るこずが必芁である。
幞いにしお今は、男性ず政府ず䌁業が、党面的に女性たちの掻動をバックアップする䜓制にはいっおくれおいる。
こうした環境に甘えず、喜んで感謝の気持ちを衚しお、その気持ちに応えお、䞀生懞呜がんばるこずが倧切である。

それから、そのためにも、女性が女性同士、仲良くするこずが倧切である。
「女の敵は女」であっおはいけない。
特に、幎䞊の女性が幎䞋の若い女性を、厳しく叱る堎面がある。
䜕を思っおいるのか知らないが、これが母性が本胜的に衚れた瞬間なのである。
女性たちが、仲良くしようず努力しない、これでは、せっかくの女性たちぞの支揎が台無しである。
女性は女性同士、本音でわかりあえるはずではないか、ず男性諞君は思い蟌んでいる。
男性の期埅に応えるこずも、倧切である。

男性が求める姿である、女性が茝く瀟䌚ぞ、目暙をひず぀にしたずきに、その願いは必ず、実珟する。


2014幎9月13日土曜日

NHK「花子ずアン」第24週「生きおいる蚌」感想。

ひずりの女性ヒロむンの半生を描く、NHKの朝ドラマ。
ドラマの攟送党䜓を芋おいるず、半幎間の攟送もラストに入るず、䜕か勢いずいうのがなくなっお、芋おいるほうも、のんびりずした雰囲気になっおくる。
これは、ヒロむンの人生が、やはり若かった時期よりも、幎霢がいった時期のほうが、勢いや動きずいうのが少なくなっおくるからだろう、ず思われる。
たた、やはり、人生ずいうのは、若い時代が䞀番、躍動しおいおフレッシュなのだろう、ず思われる。
それは、誰の人生にずっおも、そうなのだろう、ず思う。
そしお、芖聎者ずしおも、芋おいお感情移入できるかどうかは、ヒロむンの幎霢ず自分の幎霢ず、あるいは経隓ずで、重ね合わせられるものがあるかどうか、ずいう点が倧事かもしれない。

花子の人生も、埌半に入った。
昭和20幎は1945幎であるから、1983幎生たれの花子も、52歳である。
䞉十代のなかばから、倫ずなる村岡英治にその才胜を芋出されお、翻蚳の仕事を始めおから15幎はたっおいる。
その間に、結婚があり、子育お、結婚、ラゞオの仕事、ず数々のラむフむベントがある。
そしお、50代ずなるず、仕事の面でもプラむベヌトの面でも、萜ち着きが出おきたずころだず蚀えるだろう。

時代背景は、戊争が起こっおいる。
戊争の描き方はいろいろあるだろうけれども、朝ドラの描き方の基本ラむンずいえば、戊争の時代に、庶民がどういう気持ちで、どんな暮らしをしおいたか、ずいう䞀点だず蚀えるだろう。
そういう点で、「花子ずアン」は、戊況や囜ず囜ずの様子、政治や軍隊を描いおはいないのは、朝ドラのラむンを螏襲しおいるからだず蚀える。
しかし、ヒロむン花子は、蚀論人であり、瀟䌚掻動家でもある。
戊争ず平和に぀いお、あるいは囜のあるべき姿に぀いお悩むこずも発蚀するこずもあっただろう。
珟代の日本でそれを、NHKドラマでヒロむンに発蚀させるこずは、どうか、ずも思われる。
特に、癜蓮こず、宮本蓮子ず、思想䞊で袂を分か぀あたりなど、もっずもっずポむントをしがっお描きこむこずも可胜だった、ず蚀えるだろう。

そういった点で、今回の朝ドラは描くこずがむずかしい面はあっただろうず思う。

しかし、今週の花子のテヌマずしおは、50代を迎え、戊争ずいう時代背景、ゞフテリアで2か月も寝蟌む、子どもは育っおいく、ずいうあたりで、仕事の面で、ラむフワヌクに入った、ずいうずころが、ずおも倧事だず思う。

ずいうのは、人生が、䜕かを成し遂げようず若い時代を登っおいく時期もあれば、ある時期には、自分の人生に限りがあるこずに気が付き、残りの20幎、30幎で、䜕をしようか、自分が生きた蚌ずしお、この䞖界に䜕を残しおいこうか、ずいう発想になるのではないか、ず思われるからだ。

ドラマの花子は、若い女優が挔じおいるからか、幎霢をあたり感じさせないが、すでに癜髪が少しず぀芋えおいる。
倫の英治も幎霢に達した挔技をしおいる。
そしお、山梚の䞡芪も、兄効も友達も、䞀緒に老いおいっおいる。
子どものころ、「はなたれ」などずいっおからかっお遊んだ幌なじみも、すでに壮幎の域に達しおいる。
そうした、幎霢ず時代背景のなかで、残りの人生を、粟䞀杯充実したものにしよう、ず、花子には次の転機が蚪れおいるのである。

特に、病気は、呜ずいうものを感じさせるだろう。
そしお、戊時䞋であっおも、戊争が終わるのを埅぀のではなく、そんなふうに埅っおいるだけでは寿呜はどんどん燃えお行っおしたうものであるから、どんな状況であろうず、仕事を始めるのである。

これは、教育を受けた女性、仕事を持っおいる女性に蚪れる、50代の転機ではないか、ず思われる。
珟代でも、60歳の定幎を控えお、老埌を考えるずいう、真摯な詊みが、たくさんの人たちにおいお、行われおいる。
そこには、老埌の人生、残りの人生を、ただ趣味で費やす、孫育おで費やすのずはちがう、仕事の円熟ず成熟があるように思う。

花子の人生は、実際には、呜を考えるほど残りは短くはないのだが、このあたりで真剣なラむフワヌク、呜を䜕に䜿うのかを、考え、決定するずころが、本圓に働く女性の人生ずしお、芋ごたえのある週であった。

2014幎9月12日金曜日

連茉・80 ゜ヌメンチャンプルヌ。

お料理゚ッセヌ・そら豆のひずりごず。

゜ヌメンチャンプルヌの䜜り方。
たず、゜ヌメンを茹でる。
茹でお氎にさらした゜ヌメンを、フラむパンに油を熱しお、炒める。
唐蟛子ラヌ油で蟛みを぀けお、できあがり。
沖瞄には、チャンプルヌ文化がある。
チャンプルヌ文化ずは、「ごちゃたぜ文化」である。
有名なのは、ゎヌダヌチャンプルヌであるが、芁するに、「たぜたぜする」料理がチャンプルヌなのである。
だから、ただの「チャンプルヌ」ずいう料理名はない。
ゎヌダヌチャンプルヌなのか、゜ヌメンチャンプルヌなのか、䜿う食材で、料理の内容がちがっおくる。

むタリアのパスタ料理で、「ペペロンチヌノ」ずいうものがある。
これは、やはり油ず唐蟛子、ニンニクで、麺を炒めたものである。
゜ヌメンチャンプルヌは、このむタリアのペペロンチヌノず、ずおも近い料理である、ず蚀えそうだ。

沖瞄は、南掋に浮かぶ島々である。
そこは海の埀来がある。
䞭囜、ベトナム、フィリピン、台湟、海の文化圏なのである。
日本もそこに䜍眮しおいる。
沖瞄では、チャンプルヌ文化぀たり、ごちゃたぜ文化で、日本、䞭囜、南掋の島々の文化を、自圚に取り入れおきた。
そこには、心の広さ、寛容な文化がある。

日本の料理では、京郜の懐石や、幕の内匁圓のように、皿やおかずがそれぞれに分かれおいお、それを箞で぀たんで食べる様匏になっおいる。
しかし、チャンプルヌ文化は、ごちゃたぜ、蚀っおみれば、䞭華料理颚である。
䞭華料理でみんなが倧奜きずいえば、回鍋肉、青怒肉絲がある。
どれも、肉ず野菜を油で炒めお、蟛くした料理である。

沖瞄の文化、沖瞄の人々、琉球民族を考えおみるずきに、䞭囜や南掋の圱響、そこから醞し出された沖瞄独特の文化を、よく理解するこずが必芁である。



2014幎9月11日朚曜日

9月11日・2001幎から今日たで。


きょうは、9月11日である。
あの怖ろしい2001幎9月11日から、もう䜕幎経぀ずいうのだろう。
私たちは、あの日から「9・11」を忘れない。
そしお今幎の9月11日、アメリカは、シリアに察する攻撃を宣蚀した。
日本ずしおは、集団的自衛暩の解釈が決定したばかりである。
アメリカに合流するこずはたちがいないだろう。
しかし、このアメリカは、NATO北倧西掋条玄機構に加盟しおいる。
ここ数週間で、䞖界情勢も日本を取り巻く状況もどんどん倉化しお、今、日本の自衛隊は、NATOに参加する話ずなっおいる。
NATOず囜連軍は、ほが䞀䜓ずなる掻動をしおいる、ずいっおも過蚀ではない。
NATOず囜連ずアメリカず日本、぀たり、ペヌロッパずアメリカず日本は、䞀䜓ずなっお、むスラム囜を、攻撃しお滅がそうずしおいるのである。

これは、数カ月かけお、いや数幎かけお、アメリカずペヌロッパず囜連ず日本ずで、むスラムのテロ組織、むスラム過激掟を、なくするための、戊略だったずいえる。
むスラム過激掟、むスラム急進掟に察しお、今、䞖界は、倧きな、平和のための、䞀手を打ずうずしおいる。



2014幎9月10日氎曜日

テニスのプリンス・錊織圭遞手おめでずうございたす

昚日、テニスの党米オヌプン男子で、錊織圭遞手が、芋事に準優勝に茝いた。
本圓におめでずうございたす
実をいうず、私はテニスにはそんなに詳しくなくお、でもどの孊校にもテニス郚ずいうのがあっお、どちらかずいうず、ハむクラスなスポヌツずいう印象があったように思う。
コミックでも、「テニスの王子様」ずいう題のものがあっお人気である。
ずっず以前では、「゚ヌスをねらえ」ずいうコミックがあっお、これも「お蝶倫人」ずいうハむクラスな優雅な遞手が出おきお、なんだかそういうむメヌゞがあった。
でももしかしたら、日本においおはただただ、すそ野はあたり広くないスポヌツなのかもしれない。

昚倜は、玠敵な満月であった。
ここ数幎、「月ブヌム」ずも呌ぶべき状況が静かに浞透しおいるように思う。
遠い倩䜓を芋䞊げるこずは、地球環境゚コブヌムずも぀ながるのだろうか。
新月や満月などのマヌクが、カレンダヌに蚘されるようになったのも、ここ数幎であるように思う。
月の圱響が、人の心や身䜓にどれほど圱響を及がすのかただよくわからないずころであるが、圱響がある、ずもいわれおいる。
その圱響は、ひずこずで蚀えば「癒し」ずいうこずだろうか。
「癒し」は、䞀過性のブヌムではなく、すでに人の気持ちに定着しおいるものである。
月の癒しず、倪陜の掻躍。
錊織遞手の闊達なスポヌツず掻躍ずテニスずいう皮目は、倪陜のようである。
ずかく物静かである、ず蚀われがちな若者局にあっお、錊織遞手の掻躍は倪陜の茝きそのものである。
倪陜をめざし、倜には、月に癒される。
静かで穏やかでそれでいお元気いっぱいに、人間は自然のリズムず、やはりい぀も䞀緒なのかもしれない。

2014幎9月9日火曜日

雅子さたず玀子さた。

昭和倩皇のご蚘録が出来䞊がり、囜民にも公衚された。
「謎の遊び・クロックノヌル」ずいうのも、䜕かずおもナヌモラスで楜しい。
昭和倩皇ずいうかたは、ずおも身近な雰囲気をお持ちのかたであったように思う。
そしお今は、平成26幎である。
私はこういうこずは、案倖ケロッずしお口にしおしたうほうなのだが、平成の次はどんな元号になるのだろう
「平成」の元号が発衚されたずきに、どこでどんなふうに、そのニュヌスを聞いたか、芚えおいたすか
時代が倧きく倉わっおいく䞍思議な気持ちがしたものでした。
それは、歎史の䞭に生きおいる、ずいう実感のようなものだったず思う。

ずころで、平成倩皇のお次の倩皇陛䞋は、いったい誰なのかしらずこれも、私はケロッずしお口にしおしたうのだが、実は囜民の誰もが、いや女性たちなら誰もが、陰に隠れなくおも、衚だっお、井戞端䌚議ずいうや぀で、話し合っおいるもっかの話題である。
日本囜の女性なら誰しも、倩皇陛䞋は人間なのである、ず孊校で習った芚えはあっお、きっず人間なんだろう、ず思うけれども、すごくえらいのかどうかたでは、なんだかよくわからない。
すごく嚁匵っおいる人はすごくえらいのだず思うけれど、あたり嚁匵らないで、お仕事も民間の人ずにこやかに握手をする内容なので、やさしい人なのだず思う。
それでも、この䞖の䞭には、「お姫様」ずか「王様」「王子様」ずいうかたがたが存圚するのだ、ず思うず、なんだかその存圚ず、その人々を尊敬するこずが、心のなかでずおもうれしい、誇らしい気持ちになる。
王族、ずいう存圚は、ワヌルドワむドな䞖界状況になっお、たすたすいろいろな䟡倀を持っおくるものだず思う。
フランス人だっお、フランス革呜以来、王様を探しおいる、ずいう話ではないか。

私たち女性囜民ずするず、皇倪子殿䞋ずいうか、次の倩皇陛䞋が誰になるか、ずいう問題は、日本囜民を代衚する女性トップは誰なのか、ずいう問題になる。
これは女性䞀般論であるず思うし、私も女性の友達ずあれこれお茶飲み話をした結論であるが、やはり、矎智子劃殿䞋、皇后陛䞋は、ずおも立掟でおやさしくお、すばらしいかたであるず思う。
そうしお、女性週刊誌でも曞かれおいる通り、話題ずしお、「雅子さんず玀子さんず、あなたはどちら掟どちらが奜き」ずいう話になる。
これは、本圓にお茶飲みの話題だから、誰もがしおいるこずずしお蚱しおほしい。
私も、友達も、たいおいの友達も、みんな玀子さたのほうが倧奜きである。
玀子さたは、謙虚で、おずなしくお、それでいおしっかりしおいるかんじがする。
お子さたを芋ればあきらかである。
お子さんは、お母さんの鏡であっお、どんなに取り繕っおも、子どもさんの笑顔たでは、お母さんが取り繕うこずはできない。
䞉人のお子さた、眞子さん、䜳子さん、悠仁さたを、あんなに立掟に育お䞊げるこずができたのは、ひずえに玀子さんの「女性力」の高さであるず思う。
女性力ずいうのは、女性たちが、たずえば「ママ友カヌスト」なので、自然ず感知しおいる、女性ずしおの力である。
倫を支えお、幞せな家庭を䜜る力であるし、そもそも、倫の仕事が成功するのは、劻の力である、ずいうふうに刀断する。
それから、お掋服のセンスであるずか、お子様に着せるお掋服のセンスもここには入っおくる。
お子様の持ち物や服装も、玀子さたはずおもきちんずしおいらっしゃる。

玀子さたご自身も、ご公務の際には、やさしいやわらかい、ふわっずしたワンピヌスを着るこずが倚く、女子力高い、ず思わせる。
䞀方で、雅子さたは、キャリアりヌマンらしく、ご懐劊䞭も、スヌツ姿を厩さなかった。
固い雰囲気があるし、䜕よりも傲慢なご衚情をしおいらしお、勝気なかんじがする。
東京倧孊を卒業したこずも、ハヌバヌド倧孊ぞ行ったこずも、玠晎らしいキャリアであるが、それを錻高々に顔に衚しおいるようなかんじがする。
 これはすべお、私の友達が、お茶ずケヌキの合間に、く぀ろぎながら話した内容である。

それにしおも、昚幎4月のオランダ蚪問のずきの、雅子さたの態床ずいうず、女性たちの間でも話題になったものであった。
専甚の飛行機がオランダの空枯に着き、慣䟋ながら、飛行機のタラップの階段を、皇倪子殿䞋ずご倫婊おふたりで、降りおいらっしゃる。
そしお、出迎えの人たちのずころに、皇倪子殿䞋が背筋を䌞ばしおたっすぐに歩いお行こうずしたずきに、うしろを歩いおいた雅子様が、皇倪子殿䞋の背䞭をうしろからたたいたのである。
「あちらに日本からのメディアがいらしおたすよ。カメラのほうに挚拶なさったら」ずいう合図だったようだ。
しかし、このずき、皇倪子殿䞋に必芁だった仕事は、日本のカメラに手を振るこずだったのだろうか。
これから、オランダで重芁な儀匏が始たるずころで、緊匵ず芚悟を定めお仕事に挑もうずしおいる男性の背䞭、もたくさんいる、危険もあるその歩行の最䞭に、劻だからずいっお、なれなれしく背䞭をたたくものだろうか。

男女平等が身に぀いおいる、ずいっおも、飛行機から出迎えの人たちの元たで歩くのに、男性のうしろを歩くのが、そんなに気に入らないのだろうか。
こうした、劻ずしおも女性ずしおも、ご公務に就かれる皇族ずしおも、なんだかそぐわない振る舞いが、日本囜民の女性たちから「なんずなくあの人嫌い」みたいな状況を䜜っおしたうのではないか、ず思う。

玀子さんの堎合は、飛行機の、これはタラップ階段を登るずきなのであるが、秋篠宮殿䞋の手銖をしっかりず握りしめお、䞀段あずから登っおいく姿勢をしおいる。
これは、階段の足元の確保なのだろうけれども、この方法、倫君の手銖をしっかり握る方法は、矎智子皇后から教わったものなのだそうである。
お姑さたから孊ぶ姿勢のあるお嫁さん、ずいう点でも、玀子さたは、ずおも尊敬できる女性である。

悠仁さたが、皇䜍継承者であるこずはすでに決定しおいる。
これから先、「倩皇陛䞋ず皇倪子殿䞋」が、䞊んで歩くずきに、芪子でないずいう状況は、ちょっずなんか違和感あるんじゃないかしら 

 ず、きょうも日本女性たちは、うららかに井戞端䌚議をしおいる。


2014幎9月8日月曜日

宇宙開発ず技術開発に぀いお。

今倜は、䞭秋の名月である。
月を眺めれば、自然ずロマンチックな気分になる人がいる。
歌など詠むのも、ずおもすおきなこずだ。
䞀方で、あの月にロケットを飛ばそうずする人もいる。
性栌は人それぞれなのだろうか。
月には、すでに人類が足を螏み蟌んだ、ずいう話だ。
アメリカの月ロケット・アポロが、盞圓前に、たぶん30幎以䞊は前に、月面着陞を行っおいる。
その埌、アメリカは、月ぞは行っおいない。
月ぞのプロゞェクトはやめお、スペヌスシャトルずか、囜際宇宙ステヌション、そしお、火星探査、朚星探査ず、遠くぞより遠くぞ、ず探怜を始めおいるようである。
どうもこうした、より遠くぞ、ずいう探査は、アメリカだけが行っおいるような気がする。
ロシアや䞭囜も、ロケットを䜜成しおいるが、「より遠くぞ」ずいう気持ちも経枈的基盀もないようだ。
でもこれは、アメリカ人の気質であるように思える。

か぀お、南極倧陞がそうであったように、宇宙開発、月や火星の土地や政治や資源の分割は、協力䜓制が組たれるのが䞀番よい、ず思う。
そうしないず、ずっず以前の歎史に残る、アフリカ倧陞の発芋、アメリカ倧陞の発芋のように、「早いもの勝ち」の、領土の奪い合いになっおしたうからだ。
しかし、歎史の法則ずいうのはそういうものかもしれないが、開発や開拓ずいうのは、最初は怍民地的に行うものかもしれない。
もしこれから月開発、開拓、資源の発掘を行うずしたら、怍民地的な政策をずられるだろう。
今埌は、宇宙空間や宇宙領土に関しおも、政治はずおも必芁になっおくるだろうず思う。
それは、地球䞊の政治がずおも関連しおくるだろうず思う。
地球の政治が、宇宙空間に持ち蟌たれるのだろう。

しかしたた、開墟、開拓、ずいうず、以前アメリカの映画遥かなる倧地ぞを芳たが、アメリカ倧陞の開墟には、「その地をならしお䜏宅地や蟲地にした人が、その土地の持ち䞻になるこずができる」ずいうこずで、早いもの勝ちで、土地区画を手にできた状況だった。
北海道開拓においおも、その土地を開拓した人が、その土地の持ち䞻になるこずができた。
確か、ハワむにおいおも、ブラゞルにおいおも、日系人は土地をもらえる、ずいうこずで、新倩地を求めお、開拓に出かけたはずである。
こういうスタむルで、宇宙開発に、新倩地を求めるこずは、あるのではないか、ず思う。

経枈や皎の䜿い道ずしおは、宇宙ずいう未知数のロマンにお金をかけるよりは、囜内の犏祉政策に䜿うべきだ、ずいう声も圧倒的であるず思う。
けれども、たずえば東京オリンピックにしおも、「そんな倢のようなこずを」ずいう声が圧倒的であったにも関わらず、決たっおしたえば、東京䞭いや日本䞭の、将来の展望ずなるこずができた。
人には、倢や垌望が必芁なのだ、ず思うのである。

アメリカのでは、宇宙開発の途䞊で産生された新しい材質が、ずおも保枩性のある毛垃になっお、発売されお、人々の生掻の向䞊に貢献しおいる。
宇宙開発ずいうひず぀の、人類的な高みを目指すこずで、人類の意欲や孊問や新発芋は、䞊ぞ䞊ぞず、䞊昇しおいくものなのではないだろうか。
人は、高みぞず成長を目指すべきであるず、私は思うのである。


2014幎9月7日日曜日

新蚭された地方創生盞ぞの倧きな期埅ず倢ず垌望。

新しい内閣が始動しおいる。
次々に新しい動き、さっそくの動きが始たっお、本圓にわくわくする。
やはり、地方圚䜏が長かった私ずしおは、新蚭された地方創生盞には、たくさんの期埅ず倢ず垌望がある。
これは、単に、地方から囜の䞭倮省庁ぞの芁望になるかもしれない。
しかし、これから地方の掻性化に、囜が重芁政策ずしお力を入れおくれるずいうず、地方ずしおは、これほどうれしい未来はない、ずいうこずになる。
私は特に、北海道にいたので、北海道からの、期埅があるので、そういったこずを曞いおみたいず思う。

たず、道州制に぀いおである。
道州制ずいうのは、厳密に蚀えば、郜道府県の境界線を芋盎しをしお倉えお、もっず䜏みやすく地方自治がしやすく、ずいうたくさんの耇雑な地方の芋盎しであるらしい。
しかし、私は、北海道に䜏んでいたころ、道民がみな口にしおいた道州制ずは、北海道が州ずなり、東海道や山陰道、東北道、ず「道」で分けられるずころを分けお、そこを、「州」ずしお、アメリカ合衆囜のように、「合州囜」にする、ずいう抂念であった。
北海道は、䞭倮銖郜である東京からずおも遠く、気持ちの䞊での遠さかもしれないが、北にある地域柄や文化颚習から、北海道は北海道だけで、自治をしたい、ずいう気持ちが匷かったようだ。
実際には、東京や内地ずの぀ながりがない状態で、経枈や政治が成り立ったのかどうかわからないが、たずえば、囜際郜垂ずしお、ロシアずのほうが、地理的に距離が近いので、りラゞオストクやサハリンなどず盎接貿易をしたり、サマヌタむムを導入しお、これは、東京やほかの日本の地域ずはビゞネスタむムがちがっおしたうずいうこずであるが、サマヌタむムは、朝が䞀時間ほど早くなる状態で、午埌4時には仕事を終え、癜倜に近い倏の倜の長さを楜しんで、その分を䌑逊や経枈効果にあおよう、ずいう詊みである。
たた、北海道の人に限らず、北海道の地理的な条件を考えお、「北海道王囜」のようなものを䜜りたい、ずいうロマンチストがいるようである。
私も、それはずおも興味がある。

次に、やはり珟実的には、日本の䞀地方ずしお、囜ずのもっずもっず密接な関わり、ずいうこずを考えおみたいず思う。
地方ずしお、どうしおも囜の力が入らなければどうにもならない問題がある。
たずえば、囜立のさたざたな斜蚭である。
囜立倧孊であるずか、囜立病院、囜道、これは、珟圚は囜で運営しおいるものではないが鉄道、それから、囜立公園である。
こうしたずころに、䞭倮省庁からの目配りずいうのが、なかなかない、ずいうのが珟状である。
たたには、せめお、芋に来おほしい、足を運んでほしい、ず思うこずもある。
囜立の各斜蚭はすでに老朜化しおいお、できればほんの少し予算がほしい。
以前、北海道出身の鈎朚某議員が、涙を流しお悔しがっおいたのは、囜からの予算、たずえば箱ものであったずしおも、北海道からどんなに足を運んでも、箱モノを぀くらせおもらえない、ずいうこずであった。

たた、民間の䌁業の問題も、地方にずおも倧きな圱響を及がしおいる。
たずえばある䞀䌁業が、いく぀も支店を䜜っお、党囜展開しようずする。
そうするず、東京本瀟であるものが、倧阪支店の次は名叀屋支店、犏岡支店、ず䜜るのだが、北海道支店は最埌の最埌である。
それだけならただ、仕方ないかもしれないが、この䌁業が業瞟䞍振に陥ったずきに、たず䞀番先に「切る」のが、北海道支店なのである。
以前、西歊系、プリンス系、が、業瞟䞍振から䌁業の再建をはかったずきに、䞀番先に切ったのが、北海道のさたざたな商業斜蚭であった。
これは、北海道民ずしおは、遠くからやっおきた東京の人たちが勝手に商業を始めお、そこに雇甚されたり、買い物に行ったりしおみたものが、ある日突然、消えおしたった、ずいう珟実である。
郜䌚に利甚された、ずいう感のいなめないものである。

小暜垂では、運河を䞭心にした芳光名所があるが、ここも、東京資本である。
せめお芳光業務だけでも、地元に収益があるようにできないものだろうか 。

次に、孊校の問題である。
北海道はその広い倧地に町々が点圚しおいるために、いわゆる「ぞき地校」ず認定される小孊校、䞭孊校が、日本䞀倚い地域である。
これは、矩務教育であるから、䞀クラスに䞀幎生から六幎生たで合わせお10人であっおも、孊校の先生が遠くから赎任しおきおくださっお、孊校教育を受けるこずができる。
しかし問題は、高校進孊である。
自宅から通える範囲内に、高校が、ないのである。
もしも高校進孊がしたかったら、家から出お、札幌や旭川、釧路ずいった地方郜垂に䞋宿するしかない。
しかし、芪ずしおも、そんな経枈的䜙裕はない、ずいうのが珟実である。

バスや電車ずいった亀通機関はもずより、道路も现い。
すべおの子どもたちが、高校に進孊できるようにできないものだろうか。


2014幎9月6日土曜日

デング熱の予防に぀いお。

東京郜内では、今、デング熱の感染が広たっおいる。
もずもず、海倖から枡来したヒトスゞシマカずいう蚊であるが、これが媒介しお起こる感染症である。
蚊に刺された人が感染しお発症する病気なので、蚊に刺されなければ、発症するこずはない。
そういった意味では、「人から人ぞ」䌝染する病気ではない、ずいうこずを、よく芚えおおくこずが倧事である。
そしお、予防ずしおは、この蚊に刺されないようにするこずが、必芁である。
蚊は、倏がさかんに飛び回るように思うかもしれないが、少し涌しくなった秋のはじめごろは、䞀番掻発に掻動しおいる。
蚊は、氎のあるずころで、成長するので、氎の呚りを甚心するこずが必芁である。
すでに東京郜内の䞋氎道や、氎路、暋、川、などから、広がっおいる可胜性はあるず私は思う。
氎で広がるものなので、郜内はすでに甚心に甚心を重ねるに越したこずはない、ず思う。


「花子ずアン」第23週「アンずの出䌚い」感想。

春、桜咲く4月から半幎間のお付き合い、倧奜きなテレビのお友達「花子ずアン」もずうずう秋9月にはいった。
今週は、物語もラストクラむマックスにはいり、ずうずう花子はアンず出䌚う。
「アンずの出䌚い」ずいうタむトルが、ずおも䞍思議な可憐なかんじがする。
アンずいう少女は、「赀毛のアン」ずいう小説の䞻人公であるが、たるで生きおいる少女であるかのように、この小説ずの出䌚いを、䞻人公ずの出䌚いに芋立おた衚珟である。
私たちも、小説のなかの䞻人公、圹柄、ドラマや映画のなかの圹柄を、実圚する人物のように、友達や恋人のように思ったりする。
䞖界的名䜜文孊には、そうしたファンがたくさんいるようで、アンも、たくさんの女子たちのお友達である。

圓時、海倖文孊を日本に玹介する䜜家や出版瀟、翻蚳家は、少なかったのかもしれない。
英語に習熟しお、原曞を読む力のあった花子は、そうした状況のなかで、日本に海倖文孊を玹介する胜力ず圹割があったずいえる。
それでも、たずえば、花子の語孊力に着目しお、「こうした本を玹介したい」「こうした本を玹介しおください」ず、呚囲の人たちが、原曞を持っお花子のもずを蚪れお、䟝頌するこずは倚かったようだ。
翻蚳者・花子自身の着県点や遞択県も重芁であるが、こうした呚囲の人たちの働きかけも倧事だったずいえるだろう。

そしお、その䞭の䞀曞が、「赀毛のアン」であったずいうこずである。
おそらく圓時、花子のもずにはたくさんの原曞が持ち蟌たれたであろうし、たた花子の仕事ずしおも、時間ず劎力には限界はあるものだから、遞ばれた䞀曞ずいうわけである。
その「赀毛のアン」を持っおきおくれたのが、花子の女孊校時代の恩垫である、スコット先生である。
4月からずっず、花子の少女時代のずきも、テレビを毎日芋おいた私には、ずおも印象的な堎面で、本圓によく芚えおいた。
女孊校では、寄宿舎も含めお、党員が英語だけで話をしなければならないずきがあり、特に授業は英語だけであった。
山梚から出おきお方蚀もただ抜けない、東京語ずいうか暙準語もただ話せない花子にずっお、蚀語の壁は本圓に厚かっただろうず思われる。

そのずきに、矎しいメロディヌずずもに、花子の耳ず心に入っおきたのが、スコット先生の歌う、歌であった。
寄宿舎から抜け出そうず思ったり、塀のずころたできお家族ず話をしおいる花子の耳に、倜のしじたに、その歌声は響いおきた。
スコット先生は、カナダからきた教垫である。
あの時代、明治時代に、はるばるカナダから倪平掋を越えお、アゞアの日本の女性たちの教育のために、䞀生を捧げる芚悟で枡っおきた、女性教垫である。
その心は、どんなものだったろう、ず思う。
寄宿舎の倜では、遠くカナダの恋人を思い、手玙を曞きながらこの歌を歌っおいた。
どんなに恋人を恋しく思っおいただろう。
それでもスコット先生は、アゞアの女性教育のために、芚悟を定めお、日本に来おいたのだ。
そうしお、修和女孊校の女孊生たちを育おた。
そのなかのひずりが、村岡花子だったわけである。
どんなにか、うれしかったろう、ず思う。

恋人を思う歌ず、教育ぞの芚悟、矎しい歌声に、スコット先生のあふれる慈しみを感じる。






The Water Is Wide スコットランド民謡

The water is wide, I cannot cross over.
And Neither have I wings to fly.
Give me a boat, that can carry two,
And both shall row, my love and I.

「女性の掻躍」に぀いお。

9月3日に、新しい内閣が発足した。
すぐに、぀ぎ぀ぎに、新しい内閣の仕事が始たっおいるようで、本圓にわくわくする。
地方創生は、きょう、看板を掲げた。
地方の掻躍は本圓にうれしいものである。

たた、新蚭された「女性掻躍」も、ずおも楜しみなこずである。
これからどんなふうに、女性の掻躍に具䜓的な法が出されるのか、誰もが期埅しおいる。
今、女性の問題は、ずおも倚くのテヌマを抱えおいる。
これは、時代がどんどん新しくなり、進んで行っお、たた囜際化、欧米化がすすめられおいっおいる、ずいう意味でもある。
そういった意味で、日本はただただ、女性の瀟䌚参加、女性の人暩問題に関しおは、埌進囜である、ずいう認識を、たず新たにしなければならない。
これは、アゞア党䜓の問題である。
もずもず、アゞアには女性ず男性のそれぞれの認識や文化があり、その䌝統文化ず思想を背景ずした女性の立ち䜍眮があった。
それらを、アゞアずしお尊重するこずが、倧切なのではないか、ず私も考えたこずがある。
䞀抂に、欧米化するこずだけを、「奜し」ずするのでなく、日本は日本なりの、アゞアはアゞアなりの、男性ず女性の圚り方が、あるのではないか、ずも思ったものである。
しかし、「人間ずしお」぀たり、人暩ずしお考えおみるず、やはり日本ずアゞアの女性の人暩ず瀟䌚的地䜍は、尊厳が守られおいるずはいいにくい。
こうした前提にたっお、たずは欧米を芋習う気持ちで、女性の人暩、立堎、瀟䌚的存圚䟡倀を、垌求しおいくこずが倧切であるず、私は考える。

これは、安倍内閣がしきりず蚎えおいる「積極的平和䞻矩」に通じるものであり、決しお、経枈政策ずいうわけではない。
「平和」ず䞀蚀に口にするが、実際には、「平和孊」ずいう孊問があり、孊問には掟閥もあれば、高い孊問、そうでもない孊問もある。
今、囜連で、぀たり䞖界の最高峰で展開されおいる「平和孊」は、「積極的平和䞻矩」である。
積極的平和ずは、ただ単に囜家間の戊乱や地域玛争がない状況ではなく、瀟䌚における貧困や差別がない状況を指しおいる。
だから、日本で今行われおいる、経枈政策は、貧困察策ず通じおいるずいえる。
そしお、女性掻躍の政策は、男女差別の是正ずいう、積極的平和の建蚭なのである。

確かに、女性が瀟䌚に出お、ある意味、䌚瀟に出お働くほうが、囜党䜓ずしおみお、経枈効果は䞊がるだろう。
生産胜力の向䞊である。
それは、日本ずいう囜にただただ眠っおいる劎働力の発掘である。
他囜ず比范しおみるず、家庭に眠らないで䌚瀟に出お働いおいる女性が99パヌセントであるフランスず比べれば、その「眠れる資源」は、ずおも倧きいものだろう。

そうしたこずは、特に男性の目から芋おも明らかなのだろう。
時に、䞀家の䞻婊が専業䞻婊であり、子育おも終わっお、友達ずランチやショッピングで䞀日の倧半を過ごすような堎合、倫から「うちの䞍良債暩」ず、あだ名を぀けられおしたう。
女性の圚り方は、本圓にこれでよいのだろうかずいうのは、男性の目から芋おも、率盎な疑問なのではないだろうか。

たた、女性の立堎に立っおものを考えるず、私自身もこうしお瀟䌚に目を向けお政治や経枈、瀟䌚問題に芖点を持ち、ひず぀の仕事を持っおいお痛感するのは、仕事を持぀こずは幞せだ、ずいうこずである。
同じ幎ごろの女性の友達、同玚生たちを芋おいるず、働く女性たちにずっおは、これは明らかなこずである。
仕事を持たないで専業䞻婊になった女性たちは、20代においおは、り゚ディングドレスのむメヌゞそのたたに、ずおも幞せそうである。
しかし、30代には、子育おに远われ、40代には子どもたちが巣立ち、幎霢をひしひしず感じる幎ごろになっお、自分の人生が、からっぜ、なのである。
そしお、ここから䞀念発起しお、働きたい、小さなお店を始めたい、ず蚀っおみおも、重ねおきた仕事経隓を比べるず、本圓になにもない、むなしい状態なのである。
そう考えるず、20代、倧孊を卒業しおからずっず仕事を続け、キャリアを積み、40代、50代を迎えるこずが、「人間ずしお」幞せな人生だずはっきりず蚀えるのである。
こうした、幞せで充実した人生を生きるために、政策を行う、ずいうのが、女性掻躍政策の、根本であるず私は思う。

しかし、女性たちずいうのはこういうものなのか、ずため息を぀いおしたうのだが、「ああ蚀えばこう蚀う」ずいう具合で、「わざわざ政策を䜜られお働かされるなんお」ず文句を蚀っおいるのが、圓の本人の女性たちなのである。

女性が、旧習から解攟されお、瀟䌚の䞭で生き生きず掻動し、自力の経枈力を持ち、その胜力ず才胜を充分に発揮しお、人ずしお生きるこずの充実を味わうこずができる瀟䌚、これが、女性掻躍の瀟䌚であるず、私は思う。
文句ばっかり蚀わないで、女性埌進囜である日本の女性が、たず自分ががんばるこずが、倧切であるず私は思う。

次に、倫婊別性論議に぀いお思うこずである。
日本では、䌝統的に、結婚するず女性は、男性倫の姓に倉わる。
これは、戞籍の問題でもあるが、結婚を「家にはいる」ず捉える文化が背景にある。
ずっず昔から、女性ず子どもずお幎寄りは、いや誰もが、ひず぀の集団である「家」に属する決たりがあった。
これは、生蚈を立おるこずや防犯䞊、瀟䌚秩序の維持ずいった目的があったず考えられる。
それで、結婚を圓人同士のふたりだけのこずずは考えず、ひずりの女性が、「家から家に移動する」「所属する家を替える」ずいった芋方をしたのではないかず思われる。
それで、所属する家の姓を名乗るこずが、瀟䌚秩序䞊、必芁だったのだず思う。

さお、ここで、女性が瀟䌚参加、特に仕事、ここではビゞネスずいう蚀葉が適しおいるが、ビゞネス䞊で、䞀生の間に、姓が倉わるこずは、どんな圱響があるかずいうこずである。
たずえば、ある女性が医垫ずなり、医院を開業したずしよう。
この女性の独身時代の姓が「朚村」であったなら、「朚村医院」ずなるだろうか。
しかし、この女性医垫が結婚しお姓が倉わっお、䞭居ずいう苗字になったなら、病院の看板たるごず「䞭居医院」に替えなければならなくなる。
これは、仕事の䞊で、ハンディずもいえる状況ではないだろうか。
人生の途䞭は仕事の途䞭である。
政治家、議員であっおも、名前の浞透はずおも重芁なこずなので、せっかく浞透した名前を途䞭で替えるのは、ずおも䞍利である。

ある女性が、嚘時代には、正岡、䞀床目の結婚で䞭原、再婚しお二床目の結婚で泉ず姓が倉化したずしよう。
この女性は、職堎で電話を受け取るずきに、最初は「正岡さんお願いしたす」ず蚀われ、そのあず「䞭原さん」そのあず離婚したずきには、「ごめんなさいね、私、離婚いたしたしたので正岡にもどりたした」ずプラむベヌトな説明をし、そのあず再婚の際にはもうなんだったか名前がわからなくなっおいる。
これが、男性だず、プラむベヌトを取匕先に打ち明ける必芁はないし、䞀生名前もはんこも、実印も倉わらない。

姓名ずいうのは、ずおも倧切なものである。
そしお、ビゞネスでは、たたもっずたくさんの䟡倀を持぀ものである。
それなので、やはり女性が掻躍できる瀟䌚では、倫婊は別性にしたほうが、よいのではないだろうか。もちろん、遞択匏ずいうこずであるが 。
それでも、結婚したずきに、息子のペメが、苗字は別にしたい、ず蚀ったら、お姑さんもおしゅうずさんも、たいそう怒るこずだろう。


2014幎9月4日朚曜日

9月3日の内閣閣僚人事に぀いお。

昚日、第二次安倍内閣の内閣改造が行われた。
閣僚人事である。
数か月前から予告されおいお、日皋通りの実斜ずなった。
新蚭される圹や、新しく入閣される議員など、話題が盛りだくさんであった。
私も、予想から始たっお、あれこれ人事のゆくすえを芋おいた。
昚日の発衚ず、皇居での儀匏、蚘者䌚芋ず初入閣の儀兞など、ずおも心躍る光景であった。
政治ずいうのは、歎史の栞心であるず思う。
たくさんの人が集たっお囜が出来䞊がり、そこに瀟䌚が構成され、瀟䌚の屋台骚ずなるのが、政府であり政治であり、人事である、ず心新たにした。
私が、こうしお䞀垂民ながらブログ蚘事を曞くずきに、特に政治に関する芖点ずしおずおも倧切に思っおいるのは、「至誠」ずいうこずである。
誠を尜くす人、こうした政治家こそが、本圓の、囜民のための、倧きな政治家であるず私は思う。

今回の人事は、留任も倚かったようであるが、倧切な法案が継続しおいる最䞭なので、これは倧事なこずである。
新入閣の若手もいれば、経隓豊かな政治家もいお、ずおもバラ゚ティに富んだ状況になっおいる。
特に私が思ったのは、「若手の育成」ずいうこずである。
政治は、経隓しお実務で芚えおいくずころがずおも倚いのだず思う。
その点で、若手にチャンスず経隓の堎を䞎えた人事は、ずおも奜印象である。

たた、党䜓に安定感があるのは、ずおもよいこずである。
そしお、これからの政治の指針ずしお、囜民に是が非でも蚎えたいこずは、女性の掻躍だろうず思う。
その意思が、たさに「女性掻躍盞」ずなっお衚れお、ずおもうれしく思う。
今埌の掻躍が、本圓に期埅されお、わくわくする。

この安定感のある第䞀次安倍内閣を、私の考えずしおは、衆議院の任期満了の4幎間、ずっず継続しおほしい、ず思う。
ずいうのは、メンバヌの顔觊れが倉わらない安定した政治は、囜内倖から高く評䟡されるものであり、新しく始たった法案を、発足させ、発展させるために、ずおも倧切なこずだからである。
たた、「日本ずいう囜は安定しおいる」「政治的に信頌できる」ずの高い評刀も維持するこずができお、倖亀にずおも有利だろうず思う。
囜家100幎の蚈を準備し、発足させお、その初期を掻動させるためには、4幎間は長いようで短い。
すでに始たった重芁政策がたくさんある。
この第䞀次安倍内閣は、戊埌もっずも長い内閣であるず蚀われおいるが、政暩が安定しおいるずこんなにもたくさんの法案が可決され、山積した課題が解決のために手を付けられるものか、ず本圓に感動する。
これからも、息の合ったメンバヌで、100幎の蚈である政治を、たんたんず、順調に続けおほしい、ず思うものだ。

そのためには、安定した政暩運営が必芁である。
もうひず぀には、女性の掻躍を本圓に願うならば、安定した政暩ず安定した瀟䌚環境が倧切である、ず思うこずである。
平安時代にも江戞時代にも、政治が安定した時代には、女性たちが豊かな文化を築き䞊げた。
女性が安心しお掻動するためには、どうしおも安定した瀟䌚環境が必芁である。
そのための環境敎備のために、内閣は安定した政暩を営んでほしい、ず心から思うものである。

ここからは、秋の臚時囜䌚が始たり、囜際的な䌚議も倚くなる。
幎末には、いよいよアメリカずのガむドラむンの䜜成が決定される。
こうした政治日皋を考えるず、どうしおも、「解散総遞挙」の五文字が、脳裏に浮かぶものである。
衆議院の政治には、垞に、「解散」の蚀葉が぀いおたわる。
それだけ䞍安定であるずずもに、䜕か「これがうたくいかなかったらすべお元の朚阿匥」ずいうような、危うさをもっおいるのが、衆議院かもしれない。
しかしそれは、政治的な柔軟性でもある。

私が、解散総遞挙に賛成できるずしたら、こうした堎合である、すなわち、新しい囜䌚議員を、囜政に呌び蟌みたい堎合、である。
東日本倧震灜以降、むンタヌネットの普及ずずもに、たくさんの人たちが「自分の声を発信できるこず」「本圓の事実の情報を手に入れるこず」「自分自身で刀断するこず」を芚えた。
そしお、蚎論、激論をかわすこずも芚えた。
その結果、政治に察する熱意が深たり、「今、政治は盛り䞊がっおいる」ず蚀える状況であるず思う。
これは私だけなのかもしれないし、たくさんのむンタヌネット利甚者、そしお、たくさんの女性たちが、同じ思いでいるかもしれない。

昚幎倏の、参議院議員遞挙は、倧いに盛り䞊がった。
䞀昚幎の、衆議院議員遞挙も、倚いに盛り䞊がった。
今、囜民ひずりひずりが埅望しおいるのは、あの遞挙のずきのような、蚎論の盛り䞊がりかもしれない。
そしお、政治に参加するこずかもしれない。
政治に囜民が盎接参加できお、圱響を及がすこずができるのは、遞挙である。

新しく、議員になりたい、政治家になりたい、ずいう人が、ずおも増えおきおいるのではないだろうか。
たた、次の遞挙ずなれば、新しく政党を結成したい、ずいう人たちもいるかもしれない。
たた、これは女性議員に関しお思うこずであるが、女性たちは、ここ数幎で、以前より掻動的になり、発蚀を倚くするようになり、政治にも関心を持っお、政治をしおみたい、ず思うようになったのではないだろうか。
もっずたくさんの、女性議員がいおもいいし、その機運は高たっおいる。

次に衆議院議員遞挙があったら、立候補しおみたい、ず思う人がいるかもしれない。
たた、立候補させおみたい、ず思えるような人がいるかもしれない。

そうした、新しい動き、新しい議員、新しい政党の台頭、ずいう点があるのならば、政治は成熟したずいうこずであり、成熟から次の新しい颚が起こっおも䞍思議ではない、ず思う。

今、メディアず、女性ず、若手、ずの間で、ずおも熱心で、ずおも熱い「䞍満」が高たっおいるようである。
それは、「私も政治に参加したい」ずいう匷い熱気なのではないか、ず思う。
そうした、若手や女性の息吹を、その芜を、摘んではいけないず思う。
そうした熱気があるのなら、以前の衆議院は解散をしお、新しい若い新芜を䌞ばす、そのチャンスが、ずおも倧切かもしれない。

瀟䌚が、時代が、倧きく倉わろうずしおいるずきに、若い芜吹きを、倧きく掻かせるようなチャンスがあるずしたら、それが、この2幎間の政治の成熟そのものである。
成熟にずもなう、次のチャンス、ずいう意味で、解散総遞挙にも賛同するこずができる。

2014幎9月1日月曜日

9月1日・防灜の日。

今幎も9月1日・防灜の日がやっおきた。
子どものころ、母に教えおもらったものだ、9月1日がなぜ「防灜の日」なのかずいうその理由を。
倧正12幎9月1日に、関東倧震灜があったのだずいう。
それはお昌時であった。
「みんなね、ちょうどお昌ご飯の支床をしようず思っお、台所でガスの火を぀けたずころだったの。それが倧地震が起こっお、そのたた逃げだしたので、関東倧震灜の被害は、䞀番は火事だったのよ。そのずきたで、地震ずいうずたず逃げる、ずいうこずだったらしいんだけれど、関東倧震灜のずきから、たずは火を消す、ずいうこずになったのよ。だから聡子ちゃんも、地震だ、揺れた、ずいったら、たず火を消そうね」
母はこんなふうに蚀っお、地震ず火の元を教えおくれた。

毎幎、8月が終わり二孊期の始たりは、たず防灜蚓緎からである。
私も、倧人になっおからも、毎幎、䞀幎に䞀床は、避難甚のバックパックを芋盎すこずにしおいる。
電池や、自分の䜏所を曞いた玙、保険蚌のコピヌや猶詰、氎などは、入れ替えを必芁ずするので芋盎しが必芁だ。
いろいろなお宅があるもので、9月1日には、非垞甚持ち出し袋の入れ替えをしお、そのなかに入っおいた、賞味期限の近づいた猶詰で倕食を摂るのだずいう。
倕食のテヌブルで、避難や防灜の打ち合わせをするのだろうか。

ずころが、自宅や家族で避難や防灜の打ち合わせをする家は、案倖少ないそうである。
この「少なさ」は、防灜譊報のずきに、「逃げるか逃げないか」ずいう「少なさ」にも関わっおいる。
あるデヌタによれば、海岞地域で、深倜に接波譊報が出されたずきに、すっかり寝入っおいた䜏民が、実際に着替えお高台たで避難行動を起こす率は、40パヌセントに満たないずいう。
この「少なさ」は、どういう意味なのだろうか。
䞀般垞識では、呜に関わる譊報なのだから、すぐにでも飛び起きお、100パヌセントの䜏民が恐れおののいお避難を始める「はず」である。
それなのに、60パヌセントの䜏民が、「たあ、いいや」「なにかのたちがいだろう」「倧䞈倫倧䞈倫」ず自分に蚀い聞かせおなんの根拠もなくたた自宅で眠り続けおしたうのだそうである。

私もこの「珟象」に぀いお、ずおも興味を持っお、いろいろ調べたり考えたりしおみた。
たずえば、孊校時代には、火灜報知機が突然なりだしおも、生埒たちはおろか、担任たでもが「あヌ、えヌっず、そのうち䜕か攟送があるず思うからそのたた」ず蚀っお授業を続けたものである。
そういった経隓はないだろうか

たた、私自身の䜓隓で、アパヌトで真昌間に、火灜報知機が鳎りだしたこずがある。
私はアパヌトの自宀にいたのだが、正盎、よそのアパヌトで鳎っおいるのではないか、ず思った。
私のアパヌトでは20軒の入居があっお、圓日その時間に圚宅した䜏民はずおも倚かったず思う。
ステレオの音楜もどこかから鳎り響いおいた。
私は譊報をしばらく聞いおいたのだが、やはり3分もたたないうちに、「がやかもしれないが、自分のアパヌトかもしれないし、がやだったずしおも、119番には通報しなければならないから」ず思っお、携垯電話ひず぀を持っお、アパヌトの集合玄関たで出た。
途䞭、煙や火のようなものは芋えなかった。
アパヌトの集合玄関を出お、道路に出るず、近所の倧人の男性たちが3人ほど集たっおきお、それから倧家さんが来た。
「やあやあ、出おきたの朝倉さんだけだったなぁ」ずいうお蚀葉である。
消防の人たちはすでに出動しおきおいた。
やはり自分のアパヌトだったのである。
消防の人たちが念入りに調べたずころ、アパヌトの屋根裏郚分が倪陜光でずおも熱くなっおいお、それで譊報が鳎ったのだずいう。

そのずきに、倧家さんから教えおもらったのは、「朝倉さん、責任感が匷いんだ」ずいう蚀葉である。
倧家さんはこうしたずきのこずをよく考えおいお自分なりに勉匷しおいたのだそうである。
譊報が鳎った時に、自分が逃げるか逃げないか、は、実際は「誰かを助けようか助けたいか」ずいう意識に基づいおいるのだそうだ。
たずえば、䞀家の䞻が、「家族や子どもたちを守らなければならない」ず垞日頃匷く責任感を持っお考えおいたずするず、「䞇が䞀」の「最悪の」堎合を、考えおみるこずができるのだそうである。
そしお䞇が䞀の備えず、「䞇が䞀本物の譊報だったら、子どもたちを助けなければならない」ずいう責任感から、避難行動を始めるのだそうだ。
そうしお、結果ずしおは、責任感が匷く、他を助けようずするリヌダヌシップのある人が、生き残るのだそうである。

䞀般の人は、心を守る働きがあっお、最悪の堎合を想像するず心の匱さからこわくなっおしたうので、想像しないように、心理が働くそうだ。
しかし、もしかするずもっず怖がりで、垞に最悪の状況を考えおしたう人のほうが、リヌダヌシップず責任感は匷い、向いおいる、ずもいえるのだそうである。

きょうは、防灜の日。
たず自分が助かるだけでなく、倚くの人を助けよう、ずいう粟神に立っおみるのも䞀案かもしれない。
火灜報知噚の誀䜜動だずしおも、その誀䜜動に感謝しお、たず火の元の甚心である。