2014年3月28日金曜日

袴田事件に思うこと。

先日、無実の罪で捕らえられていた、袴田巌さんの、再審が決定した。
袴田さんは、釈放された。
何十年も前の事件とはいえ、こうした「冤罪」という言葉には、何か独特な、重い重い、運命的な響きを感じさせるものだ。
いったい、どうしてこんなことになったのだろう。

北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんのご両親も、また、このような重い運命を、感じていらっしゃるのではないだろうか。
事件がなぜ起こったのか、そして、それに対する、警察や検事、政府の対応はどうであったのか。
それにしても、なぜ、自分が、こうした、理不尽な冤罪に巻き込まれなければならなかったのか。

袴田さんの釈放の写真を、メディアで見ることができた。
袴田さんを、とても長い間、無実を信じて支えてきたのは、お姉さんである、という。
姉として、弟を思う気持ち、強い強い、深い愛情と信頼、このお姉さんの弟を思う気持ちが、実を結んだ結果なのだろう、と思う。

横田めぐみさんのことでも、ご両親の、娘さんを思う愛の強さに、心動かされずにはいられない。
家族への愛情と絆は、こんなにまで、深いものなのか。

いつの時代にも、姉が弟を思う気持ちは、どんなふうに年齢を重ねても、まったく、一点も変わりがないものだ。
文学作品でも、しばしば登場するテーマである。

冤罪、という理不尽な運命に立ち向かって、見事に再審の扉を開いた、姉の、弟を思う、強い強い愛に、今あらためて、心に呼応して、温めたい愛がある。