2014年3月22日土曜日

「幸福度」のはかりかた。

「しあわせってなんだろう?」この問いかけは、多分に思想的、哲学的な側面を持っている。
哲学的幸福論として有名なのは、アランの「幸福論」であろうか。
ちょっとものの考え方を変える、というようなことで、幸福のありかたは、心のありかたである、と言えるのかもしれない。
また、「しあわせを探す人が一番しあわせな人」というような歌の歌詞があったり、あるいは、「日々感謝できる人がしあわせな人」というような本がベストセラーになったりもする。

国際的な指標としては、「幸福度」というのは、もっと現実的で、事実をもとに測定した事柄となっているようだ。
さる国際機関が、この「幸福度」を、世界中の主な国で、計測して比べたものが、あるようだ。
とても残念な話であるが、この「幸福度比較」において、日本という国は、お世辞にも金メダルとはいかなかったようである。

それで、文明先進国、というか、他の問題は乗り越えてきた国としては、次なる目標、幸福の追求、という課題を、追い求める状況なのではないか、と私も思う。

この国際機関における、幸福度の測定基準は、本当にまさに、と、うなずけるほど、理にかなった基準である。
また、個人個人の目標としても、これを掲げるのは、とてもよいことではないか、と思われる。
幸福は果たして、ただ「心の持ちよう」の問題だけなのだろうか、もしもこれらの条件が満たされていない状況で、本当に「幸福」と言えるのかどうか、ひとつひとつ考えてみたいものだ。
その条件、基準、とは、このようなものである。

1、住宅
2、収入
3、仕事
4、コミュニティ
5、教育
6、環境
7、市民参加
8、健康
9、生活上の満足
10、安全
11、ライフ・ワーク・バランス

「幸福度」の尺度、みなさまは、どうご覧になるだろうか。