2015年9月30日水曜日

インフォメーション・文学界新人賞


少しでも文章を書く人なら、机の中に、「書き溜めた小説」というのを持っているはずだ。
その未発表の小説は、いつから眠っているだろう。
いつまで眠っているのだろう。

今年の芥川賞は、お笑いタレントの又吉直樹さんが受賞した。
受賞作「火花」を、最初のほう少し立ち読みしてみて、「このくらいなら私にも書ける」と内心思った人だって、きっといると思う。

小説家になる一番の近道、あるいはエリートコースは、文芸春秋社の「文学界新人賞」をとることである。
そこから、芥川賞への道は、一直線である。

その、文学界新人賞であるが、今年から応募規定が変更になっていて、〆切が9月30日、つまり、きょうである。

私は、年末かと思っていたので、昨夜、改めて確認して、驚いてしまった。
しかも今年からは、一年に一度の選考だという。
そうすると、次のチャンスというと、来年の9月ということなのだ。

文壇では、何か変化が起こっているのかもしれない。
今年から、WEBからの投稿も募集しているという。

WEBでの応募フォームがまだ開いている。
本当の〆切は、きょう9月30日の深夜24時だ、ということだ。

机の中に、あるいは「デスクトップの中に」眠っている原稿があるなら、アマゾンに送っている場合ではない。
少なくとも、きょうはアマゾンはやめて、文学界に送ってみよう、とは思わないか?

私も、きょうこれから、ドキュメントフォルダの中を整理して、なんとか数時間で応募の準備をしようと思うが、どうも間に合いそうにない…。

たくさんの、小説家になりたいとちょっとでも思う人たちのために、インフォメーションをしてみた次第である。
一緒にがんばろう。

文学界新人賞原稿募集要項 →https://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/bungakukai_prize.htm




2015年9月29日火曜日

福山くんショックを乗り越える。

福山くんショックを乗り越える。


あれから24時間たったであろうか…。
福山雅治さんの結婚が発表された…。
いつまでもいつまでも、心の恋人でいてくれると思ったのに、
彼は、ひとりの女性を選んだ…。
既婚者も未婚者も、悲鳴をあげた、という。
悲しいのではなく、つらいのではなく、ただただ、「サヨナラ私の青春」などと思うだけである…。
「福山くん、おめでとう」
と言わなければならない。
つらくても悲しくても、おめでとう、と言おう。
自分自身の自尊心にかけても、「おめでとう」と言おうではないか。

ところで、女性たちは、きっと心にこう思っていると思う。
「この悲しみを乗り越えよう」と。
それで、やはり来年の参議院選挙は、勝たなければならない、と思うだろう。

憲法改正について、私もよく考えてみた。
しかしやはり、安全保障法案にしても、女性の意見が、うまく伝わらなかった感がある。
もっと上手に、的確に、国会に意見を伝えよう、と私は思ったのだ。

「例えば」である。
これはあくまで「例えば」の話であるが、
女優の吹石一恵さんに、女性の意見を代弁する国会議員として、参議院議員になってもらってはどうだろうか。

候補者選びというのは、いろいろな条件がある。
もちろん、日本国民なら、誰にでも平等に、政治に参加する権利がある。
が、候補者にふさわしい様々な要件があると、私は思うのである。

たとえば、吹石さんなら、人前に出て堂々と振舞えるように女優として訓練も経験も積んである。
これがやはり素人だと、人前で、テレビカメラが回っているところで、セリフひとつまちがえずに、演説をしゃべるのは、むずかしい。
想像してみてほしい、むずかしいだろうと思う。
けれども、日ごろから、あるいは若いときから、テレビカメラの前に立っていた人は、経験があるので、それができるわけである。

また、知名度の点で、女優さんとして名が通っていることは、とても望ましい。
選挙活動で一番苦労するのは、「名前を覚えてもらうこと」だという。
こうした点で、女優さんのお仕事をしていたかたは、すでに名が通っているので、選挙で勝てる可能性が高い。
丸川珠代さんなど、アナウンサーとして人前で話す経験とノウハウがあり、名が通っていて、政治にも理解がある女性が、候補者として選ばれたのは、こうした条件を満たしたからである。
特に女性は、人前で話す「度胸」が整っている状態が、少ないので、候補者として条件を満たす人が、なかなかいない、ということなのである。

吹石さんはまた、女性の意見を代弁する、代表者を選ぶ、というあたりでも、「条件」を満たしている。
ご結婚なされた夫の福山雅治さんは、長崎県生まれで、被爆3世である。
こうした点から、平和派、憲法改正反対派、として、ひとつの思想信条を代表する人物として、適任であると思われる。

また、吹石さんの置かれている環境を考えても、これまでもこれからも女優という仕事を続けていくということなので、ご主人の理解、家族の理解と支えがあることが、考えられる。
もちろん、立候補の前には、ご主人である福山雅治さんとよくお話をしあい、理解と納得をいただけることは、とても大切なことだろう。

女性たちが、政党を作ることもできるが、まずは、ひとつの意見を持ったグループとして集まって、その代表者というより、「代弁者」として、吹石さんに国会議員をお願いする、ということは、大切な政治活動である。

私は「ママの会」なり、あるいはほかの政治団体にしても、やはり国政に意見を伝えたいならば、議会制民主主義を、きちんと通り抜けることが大切である、と思う。
それは、自分たちの意見の代表者を、国会に送ることである。
国会議員として送るのである。

まず今から、コツコツと、意見の集まった「グループ作り」をすることである。
それから、そのグループの代表者を決めることである。
この代表者が、リーダーである。

リーダーと同じ人でもいいし、別の、先に述べた、人前で堂々と話す経験を持っている人を、議員にして、グループ全員で応援する。
選挙事務所や選挙カー、うぐいす嬢、ポスター作り、マニフェスト作り、ホームページ作り、こうしたことを、グループの皆で、分担して行う。

こうしたことを、コツコツと始めて、続けていけば、来年の夏の参議院選に、代表者を送ることができる。

これまで、福山くんの歌を聴きながら、心の支えにして仕事をしてきたけれども、これからも彼を応援しながら、仕事を始めていこう、と思う。




2015年9月27日日曜日

民主党の候補者選び。

民主党の候補者選び。

2015年9月19日。
安全保障法案が成立した。
あれから一週間が過ぎようとしている。

与党自民党・公明党の次のテーマは、憲法改正である。
秋の臨時国会では、憲法改正の論議が、始まるようだ。
これから、自民党は、来年の憲法改正と、それから参議院選挙の勝利に向けて、歩み始めることになる。

安保法案の採決の次の、勝負の「決め所」は、来年の参議院選挙である。
私は、今回の安全保障法案に関して、日本という国のたくさんの人々が、政治に関心を持つようになったことが、とても良いことだと思っている。

「ママの会」では、子どもを持つ女性たちが自らの主張を持って立ち上がった。
SEALDsでは、学生を中心とする若者たちが、自らの主張を持って立ち上がった。
こうした動きは、民主的でとてもよいことだと思う。

次の「戦い」は、デモでも街宣でもない。
参議院選挙である。

すでに民主党では、7月の選挙の候補者選びに入っている。
しかし、なかなか候補者が決まらないそうだ。
来夏7月の選挙に、今年秋から準備が始まっていることを、政治に興味・関心を持つ人々は、知っておくべきであると、私は強く思った。

民主党から立候補して、ママの会から10人くらいは、子どもを持つ女性が、立候補するのではないか、と予測している。
また、SEALDsからは、成人して、25歳以上であっただろうか、立候補する権利を持った若者代表が、参議院議員候補として十数人は立候補するのではないか、と予測している。

そして、野党連合の再編も素晴らしい勢いで始まっている。
共産党はすでに、野党共闘の呼びかけを行っている。
維新の会も、野党再編に力を入れているが、今の状態では、まとまるどころか、分裂に輪をかけている状態である。
これでは、野党連合が、与党自民党・公明党に勝てるかどうか、まったくままならない。

民主党では、昨年の衆議院議員選挙では「不戦敗」だったそうである。
つまり、最初から、候補者の数が、衆議院の過半数の数に達していなかったそうである。
こんな戦わずして負けるようなことが、今後の日本で起こるとは、考えられない、と私は思う。
野党連合も、議員の数だけ合計すれば、与党自民党・公明党に勝てる数はいるのに、こんなに仲が悪いことでどうするのだろうか。

しかし、こうした野党連合の今の姿は見せかけにすぎず、すでに共産党に与する党派が、集まりつつあるのではないか、と私は見ている。
来年の夏7月の参議院選挙に向けて、スタートが始まっている。

楽しみである。


秋は国際的。

秋は国際的。

9月も終わろうとしている。
今夜は中秋の名月である。

今年の国会は、とても長かった。
その国会も終わると、10月に入る。

10月は、毎年、国際的な日程の秋、と言われているそうである。
国連総会があり、ノーベル賞ウイークがある。
各国の首脳会談が行われ、
国際間の話し合いが、あちこちで行われる。

日本からも、安倍総理大臣が、国連総会に向けて出発した。
山積する国際的な課題について、提言をする予定であるそうだ。
耳を澄ませて聞きたい。

このところ、日本は国際化しているように思う。
海外からの観光客もとても増えているし、
輸入されたもの、輸出するもの、とても増えている。
テレビ番組を見ていても、英語を話す場面が増えていたりする。

また、国際ニュースがとても増えているように思う。
各国のニュースが、海を飛び越え、山を飛び越え、
日本のお茶の間にいる私たちの目に耳に、
飛び込んでくる。
私たちは、自然と国際的な感性を身に着け始めていると思う。
そうならざるを得ない状況かもしれない。

国際問題は、本当に、いろいろな問題があり、
日本人として生活していると、理解しにくい問題も多々ある。
それを、日本としても、国際社会の一員として、解決に取り組んでいくということは、とても良いことで、必要なことだと思う。

かつては、アジアの一国に過ぎなかったかもしれない。
もしかすると、閉鎖的で自分の国のことだけで、精いっぱいだったかもしれない。
これからは、世界に開かれた国として、国際社会の一員として、世界中の問題に積極的に取り組んでいく、ということである。

これからの日本の未来と責任を、大切に思う、秋である。



2015年9月20日日曜日

安全保障法案の成立おめでとうございます。

安全保障法案の成立おめでとうございます。
2015年9月19日未明、安全保障法案が可決された。
今回の採決に関しては、16日から特別委員会での審議が始まり、長い長い三日間だったと思う。
考えてみれば、2012年夏の、アジア危機から始まって、こうしてしっかりと法案を整備するところまでたどり着いたので、そのほうが長い道のりだったかもしれない。
民主的に法整備を整えるというのが、こんなに時間がかかることだとは思わなかった。
しかし、政権は、忍耐強く、時間をかけて、審議を尽くして、物事に対処したと思う。
この間に、たくさんの討論が重ねられた。
私も最終的には、両者の意見を聞くたびに、どちらにも理があるように思えて、まさに、情に棹させば流される、という状況のときも、あったと思う。
しかし、理想郷というのは、どこにもないのだ、と思う。
私たちは、現実を認めなければならない。
どこかにあるはずの、夢のような、善人ばかりが集まる理想郷を、いつまでも追い求めていたかった気もするときがある。
そういうときに、安保反対派の考えに流されたこともあった。
最終的には、結果が出るのを待ち、政府と内閣と総理大臣の判断に任せた、というのが、私の率直な心境である。
アジア危機がわかっていたからこそ、どう対応すればいいのか、私には何通りもの方策があるように思えて、そのたびに、日本政府のこの対応策に迷った、ということである。
しかし、やはり、理想と現実の間を、埋めなければならない。
政治には、「落としどころ」がある。
大人として、立派に妥協点を見つけなければならないが、その妥協というのは、自分の心の弱さとの妥協点であると、私は思った。
安全保障法案に関しては、たくさんの討論がなされ、世論が動いた。
これまで政治には全く興味を示さなかった、女性たち、若者たちが、考え、行動を起こした。
しかしやはりその行動や言動は、日ごろから政治を見ていなかった分、遅かったと思う。
私は思った。
あの、採決のとき、ライブ中継で見守っていた採決であるが、青票と白票で、採決をする、あの票である。
木で出来ているのだろうか、少し厚みがあって、透明なケースに入れて積み重ねたときに、票の状況が一目瞭然となる。
あの一票に、万単位の有権者の声が集まっているのである。
やはり、議会というところは、厳粛なところである、と思わされた。
これまで欠かさず続けてきた選挙が、こうして議員を国会に送り出し、政治の判断は選挙で出した代表者に委ねる、これが、議会制民主主義の基本である。
この基本のおかげで、こうして、自分自身が迷うときにも、正確な判断ができたことを、とても大切に思う。
これからの日本は、あのアジア危機のときのように、大災害のあとに、中国、韓国、ロシアと三方から計略的に狙われることなく、毅然として対応できるようになる。
そうしたときに、日本の歴史は、変わるだろう、と思う。
強い激しい変化の波が起こっていて、ともすれば流されそうになるときに、一生懸命毎日を生きていく、判断していくということが、大切であると思った。
私は、あの2012年のアジア危機のときから、アジア情勢、アメリカやロシアとの関係を、ずっと考えてきたけれど、きょうが通過点かもしれないが、私にとっては、ひとつの到達点であると思う。
しろうとの私が、政治に関与してこれたのは、ひとえに、政治の専門家である議員、政府のおかげであると、心底思っている。
今年の国会はこれで終了となった。
長い長い一年であった。
法案が成立して本当によかった。
新しい日本の出発を、おめでとうございます。
ありがとうございました。

2015年9月16日水曜日

軽減税率・飴と鞭。

軽減税率・飴と鞭。
安保法案も採決が間近である。
60日ルールを使える状況になったので、すぐにでも、今にでも、採決ができるというわけである。
毎日がハラハラドキドキである。
それにしても、SEALsが、思わず「大人たちはきたない」と言ってしまうのも、よくわかる。
大人の世界、政治の世界がよくわかるこのごろである。
与党・自民党は、連立を組む公明党の票を確実にするために、今、「飴」を送っているところである。
政治の世界は民主的で、正義と信念が通るべき世界ではないのか。
わかってきたこと、全国の国民が今理解していることは、自民党が今、公明党に飴を送っていて、それが政治家のやり方だ、ということである。
しかしこの飴、苦い飴もあれば、甘い飴もある。
今、公明党が口にしているのは、毒入りの飴である。
公明党は、来年の参議院選挙を考えて、昨年末の衆議院選挙で公約とした、「軽減税率」を、自民党に要求している。
公明党はすでに、支持母体の創価学会にほころびが出始めていて、こちらも必死である。
しかし、軽減税率という飴を口にして、安保法案に賛成すれば、そのあとは、いわゆる「戦争」である。
たくさんの識者が指摘しているとおり、アジアは今、危機的状況にある。
中国に対して、アメリカが攻撃をしかけることはあるだろう。
どちらが仕掛けたにしても、中国とアメリカの争いは、南シナ海のあたり、あるいは日本近海で、起こると思う。
それも、今すでに、一触即発の状況であるのだから、日本での安保法案の可決を待って、すぐにでも「始める」気だろう。
日本からすぐにでも、自衛隊が出て、日本近海でドンパチ始まることになれば、これはどう見ても、「戦争」である。
安保法案に賛成して戦争が始まったというなら、公明党は、平和の党のメンツが丸つぶれである。
今、創価学会のほころびは、始まったばかりかもしれないが、戦争になれば、来年の選挙など成立しないだろう。
しかしこれは、自民党にしても、同じ理屈なのである。
軽減税率の甘い飴は、猛毒の飴であり、公明党を地盤から滅ぼすものである。
公明党執行部も、そろそろ連立離脱を、決断すべきではないだろうか。


2015年9月15日火曜日

安保法案・採決までの日程。

安保法案・採決までの日程。
2015年。
9月もなかばとなった。
すでに秋の風である。
実りの秋である。
日本では、今、大きな法案が、実りの秋を迎えようとしている。
安全保障法案である。
採決までの日程が、大詰めである。
きょう、15日は、中央公聴会が行われる。
明日16日、水曜日は、地方公聴会である。
たくさんの人に意見を求め、たくさんの人に、法案を説明するのは、とてもよいことだと思う。
とても民主的に、手続きを踏んでいると思う。
そして、あさって17日、木曜日に、まずは特別委員会で、採決が行われる。
これはおそらくは午前中のことだろう。
そのあと、午後に、参議院本会議で採決が行われる。
野党は、この採決を阻止すべく、全力の政治的行動に出る予定であるから、本会議は時間がかかりそうである。
安全保障法案は、これまでいろいろな国会があったけれども、国民の賛否が大きくふたつに分かれることに特徴がある。
私もいろいろな審議や、国会の状況を見てきたけれども、こんなにも「最後の最後までわからない」法案は、初めて、という気がする。
もしも、参議院で採決できなければ、18日、金曜日までに採決するために、60日ルールを使って、衆議院で採決するように、万全の態勢であるという。
衆議院議員に禁足令が出ているそうだ。
参議院で採決できない場合、すぐにでも、つまり17日でも18日でも、衆議院での採決に踏み切る、ということだろう。
本当にすごい国会となった。
ニュースでは「大荒れが予想されています」と、台風ばりの報道である。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というが、もしも、安保法案に反対である議員がいたとして、それまでの審議では反対を表明してはいなかったのだが、採決のときだけ、反対票を入れたらどうなるのだろう?
これを、ひとりの議員でするなら、政治的にとても、あとあとまずいことになる。
でも、「みんなですれば怖くない」と思う議員がいたら、どうしよう?と思う。
私はもちろん、安全保障法案に「賛成」である。
だからこそ、心配しているのだが、最後の最後に、自民党も公明党も、議員が全員で、「反対」となったら、反対票を入れたら、どうなるのだろう?
賛成票を入れるのが、総理大臣一票だけ、となったら、どうなるのだろう?
(しかし、そういうことになったら、安全保障法案は廃案となり、総理大臣は責任をとって辞任し、国会は解散、衆議院解散総選挙ということになる。
総選挙、総裁選の準備はすでにできている。)

私はとても心配性なので、こういうことを考えるのかもしれない。
テレビ中継も、インターネット中継もされているときに、そんなにみんなでそっぽを向いたりしたら、大変なことになる。
世界中に報道されることに、なるかもしれない。
実りの秋が、台風と火山の噴火で、本当に悲しい状況になっている。
安全保障法案という実りが、議員の大量造反という台風で、押し流されてしまわないように、心から祈りつつ、今週の日程を、見守っている。


2015年9月13日日曜日

若手の時代の到来。

若手の時代の到来。
スマートフォンのiPhoneで、新しい機種が登場するそうである。
今回、新しくなったのは、「そのすべて」なのだそうである。
私たちの世代は、もうどんどん取り残されてしまっているかんじがする。
考えてみれば、パーソナルコンピューターが普及し始めてから、10年と少ししかたっていない。
しかし、今、30代、40代という人たちは、10代のころから、パソコンや携帯電話を使っていた人たちなのである。
これから、コンピューターを利用した、キャッシュレス社会が到来するかもしれない。
これからの時代は、若手の時代だといえると思う。
キャッシュレスの近未来社会を樹立するためには、それはそれは、たくさんのリスクを背負うことになるだろう。
たくさんの討論が予測される。
障害も多いことだろう。
でも、今のメディアは、成熟している。
ここ数年で、日本のメディアが、とても成熟してきていることは、世界中の話題になっているそうである。
新聞を見ても、各紙が各様の論を繰り広げていて、事実を知るだけではなく、物の見方を知ることができるのは、本当に興味深いことである。
知り合いの知識人に聞いた話であるが、社会問題をどう捉えていいのか、一紙だけ読んでいるのでは、わからなくなる、というのである。
すべての新聞をとって読まなければならない、とうれしそうに困っていた。
また、テレビ番組のニュースも、そうである。
各テレビ局の解説が、とても分かりやすい。
それでいて、それぞれのテレビ局の個性があって、カラーがある。
どのテレビ局を選んでも自由であるが、あらゆるチャンネルを見て、論をかわすのも、とても楽しい。
日本のメディアの成熟は、東日本大震災のあと、4年半たった今、成し遂げられた実りかもしれない、と思う。
思えばこの間、ツイッターなどのインターネットの普及は目覚ましかった。
これからの、新しい時代は、新しく成熟した若手の人たちが、拓いていく未来だと、私は思う。
幸い、安倍総理大臣は、若手の育成にはとても熟練な政治家だそうで、若手政治家からも、若手メディアからも、信頼が厚いそうである。
こうした、「ついていく人」がいる限り、日本の将来は明るいと、私は思う。
私自身は、私のもといた場所から、今一度、自分の人生と、健康と、それから、仕事のことを、改めて考えてみつめてみたい、と思っている。
が、正直、メディアの若手の台頭をひっぱってきた自負があるからもちろん、「うの花」のように、スカスカになってしまった。
私自身、4年半、このブログを書き続けて、それまで貯めていた知識も、とっさに考えた知恵も、すべて放出してきて、預金残高のなくなった通帳みたいな状態である。
しかし、書いてきたことが、若手の育成につながっていた、と思えば、うれしくないはずはない。
これからの時代は、若手のみんなで、やっていける。
みんなそれほど、力をつけている。
私も、ずっと見守っていて、ときどきは、何か書くこともあるかもしれない。
そういうわけで、東京オリンピックに向けたこれからの5年間は、若手が精いっぱい、力いっぱい頑張る時代だと思うので、私は少し遠くから、みていることにした。
日本は、新しい時代を迎えようとしていて、それは、若手が拓く時代なのだと、私は本当に、楽しみに思います。


2015年9月12日土曜日

ハイリスク・ハイリターン。

ハイリスク・ハイリターン。
安倍政権が続く。
先日の、自民党総裁選で、安倍総理大臣が、無投票で再選された。
とってかわる他の人材がいなかった、ということが、大きな理由であると思われる。
自民党の独走態勢はどこまで続くのだろう?
安倍政権の政治は、どう考えればいいだろうか、ある政策はとても良いし、ある政策は、う~ん、と考え込んでしまう。
全体に、勢いがあって、流れが速い。
以前から、手を付けてほしかった政策も、たくさんある。
また、政策とは別に、公共事業の工事もめざましい。
完成は、3年後、5年後、10年後となっていくが、ともかく手をつけたのが、よかったと思われる。
全体に、政策が理想的なところが多く、これだけの理想を現実にするのは、本当に安倍総理ならでは、ということだろう。
新しい時代、という気がする。
しかし、何かよくわからないが、なんとなくすぐには賛成しかねるところがある。
それが何なのか、私はよく考えてみた。
そして、あることに思い当たった。
安倍政権の政治は、ハイリターンではあるが、ハイリスクである、ということである。
そして、そのハイリスクに対して、リスク処理をしていない、ということなのである。
リスク処理とは、まず第一に、国民の理解と納得をとりつけることだろう。
安倍政権の政治は、国民の理解や納得を後回しにしたり、「いらない」と決めているようなところがある。
しかし、安保法案のデモ行進でもわかるように、これがリスクとなって、政権と、支持率を苦しめている。
最終的には、選挙が、政権を苦しめる。
これまでの、安倍政権のハイリターンな政治には、なんらかのリスク処理班が付いていたのかもしれない。
それが、よく理解し納得した、メディアだったのかもしれない、と思う。
メディアが世論に訴える力を持っていて、政策を支持したことで、リスク処理が大幅に進んだのだろう、と考えられる。
しかし、次の政策、マイナンバーとキャッシュレス社会を考えてみると、確かに理想的で、「成功したら素晴らしい」でも、「もしもうまくいかなかったら、リスクが大きい」のである。
世の中の仕事には、リターンの代わりに、リスクがつきものである。
ハイリターンのものほど、リスクも大きい、という法則がある。
ハイリターンを望み、ハイリスクを引き受けるのは、個人の判断である。
性格によるものや、生き方の規範に従うものであるかもしれない。
だから、ローリスク・ローリターンの判断をするのもまた、個人の性質によるもので、どちらが正しいということは、ないのだと思う。
私自身は、女性であり、性格も女性的であるからか、リスクが大きいことを考えると、やはり、ハイリスク・ハイリターンは、望まない。
リターン、成果は小さくてもいいから、ゆっくりと地道に着実に、歩を進めたい、と思う。
安倍政権のハイリスクには、もうついていけない、という気持ちがある人も、多いのではないだろうか。
独走態勢の安倍総理大臣の、あとから、リスク処理をする人たちが、大変である。
改革路線はもういいから、ゆっくりと人生を楽しめばいいではないか、と思う。
一方で、キャッシュレス社会は、世界的な潮流であり、日本が一番最初を、トップをきれるかもしれない、ということなのだと思う。
でも、競争はもういやだ、というのが、日本国民と、リスク処理を引き受けてきた人々の率直な気持ちではないだろうか。
理想が高いのはよいが、その分、なくすものや労力のかかることを、ますます大きくなるリスクを、考慮に入れるべきではないかと思う。

マイナンバーと軽減税率。

マイナンバーと軽減税率。
安保法案の採決も間近である。
まだ日程がはっきり決まらないようだが、いずれ今月9月中には、
何もかも決着がつくだろうと思うと、なんだかほっとする。
ところで、採決間近、最近になって話題になっているのが、
マイナンバー制である。
このマイナンバーは、もう来月10月から施行されるそうである。
私たちが、安保法案であれこれ考えて、デモ隊が出たとか、
反戦派の運動とか、国際貢献は、と考えている間に、
いつの間にか、マイナンバー法案が可決されていた。
これは、一昔前ならば、「国民背番号制」と呼ばれていた、
国民ひとりひとりに、番号を割り振って、
行政の手続きをコンピューター化する仕組みである。
これが、人間を番号で扱うのはどうか、とか、
個人情報の取り扱い、とかで、しきりと議論されていた。
しかし、今回のマイナンバー制は、議論する余地のないまま、
いつの間にか可決である。
すでに、数か月前から、インターネットや広告などで周知されていたので、
私も知っていた。
行政の手続きがコンピューター化されるのは、効率的でもあるし、
利用者にとっても、簡単便利である。
だから、いい制度だと思っている。
私も、さっそくにマイナンバーカードを作ろう、と思っている。
ところが面白いことに、ここに軽減税率が「くっつく」という話である。
軽減税率はすでに、ヨーロッパでは導入済みなので、
いずれ日本も軽減税率を、ヨーロッパ式に取り入れるのだろう、と推測していた。
しかし、日本の軽減税率の仕組みは、マイナンバー制を使用して、
お買い物のたびに、このカードを提示し、
食料品など、軽減税率が適用される品物をどれだけ購入したか、
ポイントセンターなるコンピューターシステムを使って計測するのだそうである。
なぜ、今になって、この話が出てきたのだろう?
マイナンバーは、個人番号である。
その個人が、どこで何をどれだけ購入したか、コンピューターに情報が累積されるというのは、どうしてこんな仕組みが発想されたのか??と考え込んでしまった。
私たちがよく利用する、オンラインショッピングでは、どうなるのだろう?
オンラインショップでは、クレジットカードでの支払いが主である。
とすると、マイナンバーと、クレジットカードとが、接続されることになる。
となると、今までもクレジットカードとメールアドレスが接続されていたのが、
それとマイナンバーが接続されると、
今度は、メールアドレスと、Yahoo!IDと、マイナンバーが接続されることになる。
Yahoo!IDには、すでに、Tポイントカードが接続されているから、
マイナンバーとクレジットカードと、Tポイントと、メールアドレスが、接続されることになる。
また、人によっては、SuicaのカードやEdyのカードが付く人もいるかもしれない。
マイナンバーには、お給料や年金、健康保険証の番号もついているから、これは、ものすごい、個人番号の接続となる。
(10月1日には、国勢調査があって、これもインターネットで回答できるが、コンピューター化である。)
こうすると、これは、キャッシュレスの社会となるのではないか。
すでに、セブンイレブンのnanacoカードなど、チャージするカードを使っていて、Tポイントカードも使っていれば、カードを持ち歩くことや、買い物の際にカードを提示することは、慣れている、それほど苦労ではない。
その状況で、この毎日使っているTポイントカードに、マイナンバーが載る、というだけのようだ。
説明がむずかしくなったが、考えながら書いていてこうなってしまった。
すでに煩雑になっている、クレジットカード、ポイントカードを整理して、
キャッシュレスの社会を作ることが、もしかすると政府の、将来的な目標なのではないだろうか。
そうすると、夢の近未来である。
SF映画やSFコミックに描かれたような、夢の未来である。
私も、アニメ映画「サマーウォーズ」は、観てとても感動した。
この近未来の社会を、安倍政権は目指しているのではないか、と類推するのである。
安倍政権の第二ステージが始まった、という人もいる。
本当に、楽しみである。



2015年9月6日日曜日

安全保障法案・採決間近。

安全保障法案・採決間近。

安全保障法案の参議院での採決が、間近にせまった。
この9月、日本は大きな転機を迎えることになる。
もしも法案が否決されたなら、次に集団的自衛権に関して法案が国会に出るのはいつの日となるだろうか。
集団的自衛権は、日本の政治家にとって、長い間、悲願であった法案である。
それが、否決されたとなると、次に政治的求心力が高まる時代は、100年後になるのかもしれないし、二度と来ないのかもしれない。

集団的自衛権を持たない日本は、世界情勢のなかで、孤立している。
ただでさえ、武器を持つことができない、軍隊を持つことができない、そういう国は、とてもハンディのある国である。
戦後、アメリカは日本に、憲法でしばりつけて、軍隊に関するハンディを負わせた。
日本という国から「刀」を取り上げたといってもいい。
刀を取り上げられた武士の国・日本は、寂しい、気弱な国になってしまった。

日本の政治家が今、さかんに世界を飛び回っている。
もちろんそれは、日本の政治家に限ったことではない。
G20もサミットも首脳会談も、あちこちで頻繁に開催されている。
世界のトップがこうして、頻繁に会って話す、こういう時代はこれまでそうそうなかったように思う。
そうして、世界のトップが集まるとき、わが日本の国のトップは、どんな気持ちでいるのだろうか。

私は、国と政府と国民を、よく家庭に例えて考えている。
政府は、一家の主、大黒柱の、夫、主人である。
あるいは「お父さん」と呼ぶ家もあるかもしれない。
そして、国民は、妻、子どもたち、あるいは一家の主をリーダーとして集まってそこで暮らしている老後の生活を送る家族かもしれない。
そう考えると、一家の主が、社会に出て行って、「私は家庭をこのように治めています」「私の家庭はこんな家庭です」というときに、どれだけ「仕事」をこなしたか、その仕事の成果を誇ることは、あるだろうと思う。
一家の主が、その家庭の、住宅が素晴らしく頑丈で実用的であること、見栄えも美しくよく手入れがされていることを、誇りに思うだろう。
そして、会社の昼休みに、社員仲間と集まって、「わりとさりげなく」話すのである。
どの家のご主人もそうではないだろうか。
そして、「国民」がどれだけ、一家の主に協力的であるかを話すのである。
妻がこれほど、夫のために料理を作ってくれた、とか、困ったときに助けてくれた、とか、家事のことも、育児のことも、大切に丁寧に成し遂げてくれているので、すべて妻に任せられる、と胸を張るのである。
また、子どもたちが、一家の主が施した教育の成果があって、努力家で、性格も明るくはつらつとしていて、夏休みの自由研究も、特別な成績を収めることができた、と「わりとさりげなく」言うのである。
しかしこういうことは、言わなくてもわかっているもので、「お宅の奥さんは、とても心が優しくて働き者ですね」と言われたり、あるいは「お宅のお子さんは、とても優秀だそうですね」と褒められたりもする。
世界のトップが集まって、「我が国は」の話をするときは、一家の主が「我が家は」の話をするときと同じである。

しかし、である。
我が日本国のトップである安倍総理大臣は、世界のトップがお茶のみ話をしているときに、ひとり孤独と劣等感を味わっているのである。
それは、「我が国」に、まだセコムを導入していないからである。
どのお友達のご自宅にも、セコムが導入されて、妻も子どもたちも、貴重品もとても安心して眠っているのに、我が日本国だけは、セコムがないのである。
あんなにがんばって、日銀にたくさんの金融政策をして、自宅には、山のように金銀が積まれるようになった。
それなのに、セコムがないのである。
妻と子どもたちが、セコム導入に反対なのだ。
これは、集団的お友達セコム、と言って、もしもお隣の家に泥棒が入ったら、うちから高枝切りバサミを持ってかけつけることになっている。
そして、我が家に泥棒が入ったら、お隣のおじさんが、金属バットを持って駆けつけてくれる、という仕組みである。
この町内会のセキュリティシステムに、入会することを、妻と子どもたちが、頑強に拒むのである。
その理由は、「泥棒さんとは、よくお話をしあって、すべてを解決するのが平和的だから」というのである。
その「お話合い」を、妻と子どもたちがするのか、というと、「あなたがやって!」とピシャリと断られるのである。

我が国の一家の主は、どうしても、この高枝切りバサミを持ちたい、と願っている。
お隣のご主人は奥さんに許してもらって、ちゃんと、いいのを持っている。
反対側のお隣のご主人も、奥さんがたいへん協力的で、すごくいいのを、持っている。
どうも、向こう隣りの家の奥さんは、「あなた、もっといい、泥棒対策をしましょうよ!」と、夕ご飯には、ステーキも用意してくれるらしい。
それなのに、安倍さんちでは、戸口に鍵をかけることも許されないのである。
世界は今、町内会の助け合いブームである。
町内会に入会して、活躍したい、お隣のご主人と、せめて世間話くらいはしてみたい安倍総理大臣は、今、泣いている。
奥さんと子どもたちには「オレについて来い!」と言ってみたが、そっぽを向かれている状況である。

そういうわけで、私は、世界的近隣町内会に、参加できるように、安倍総理大臣に賛成してあげたい気持ちである。

日本の夜明けは近い。
世界に貢献できる日本になれるように、あとちょっとだ、がんばろう!!!

2015年8月31日月曜日

デモ隊のバックに付いている大物政治家とは誰か。

デモ隊のバックに付いている大物政治家とは誰か。
昨日、8月31日、日曜日に、国会議事堂周辺で、大規模なデモがあった。
これらのデモ隊、さまざまな「安保反対」を訴える団体には、これといった代表者がいない。
リーダーシップを執っているのは誰なのか。
学生たちに、ハンガーストライキを起こさせるほどの、影響力を持った人物は誰なのか。
背後に、安倍政権と対立する、大物政治家が、存在するのではないだろうか。
デモ隊は、その大物政治家にうまく利用されているのではないだろうか。
反安倍勢力を作って、安倍政権を脅かしたい人物がいるのではないだろうか。
このところ、あちこちで、不可思議な事件や事故が起こる。
大物政治家なら、こうした事故を、人為的に起こすことも可能だろう。
それは、政治家が一番よく知っていることだろう。
「安倍政権になってから、社会不安が大きくなった」と言われるほどの、こうした状況を生み出したのは、いったい誰なのか。
誰かが、作為的に、社会不安を作り出し、国民の心を不安に陥れ、コントロールしようとしているのではないだろうか。
その「誰か」を私は考えてみた。
安倍総理大臣にも、心当たりがないか、考えてみてほしいと思う。
私は思い当たった。
小沢一郎氏である。
考えてみれば、3年前の選挙で、滋賀県知事であった嘉田氏を、たった一か月で考えを変えさせて国政選挙に出させたのが、小沢一郎氏である。
なんらかの、心理的なトリックを使う人物なのではないだろうか。
宿命の対決は、今ここにある。


2015年8月30日日曜日

9回裏ツーアウト満塁。

9回裏ツーアウト満塁。
8月も、もうすぐ終わる。
12年ぶりの「寒い夏」だそうで、気象予報士も予測ができなかったそうである。
火山の噴火、地震、台風、何かが起こりそうな、起こっているような、2015年の夏である。
安保法案の参議院での審議も、もうすぐ100時間に達しようとしている。
あと2週間で、「60日ルール」の適用である。
安保法案、成立目前という日程であるが、反戦派も黙っているわけがない。
負けの風が吹いている。
選挙もそうであるが、風が吹く、ということはある。
安保法案の廃案に向けて、風が吹いているような気がするのは、私だけではないと思う。
反戦派もがんばっている。
あの結束力の高い創価学会に、反乱の署名運動を起こさせたのは、反対派の活動家たちだろうと思う。
これで、創価学会と公明党の間にすきま風が吹き始め、土壇場での採決反対票になりかねない状況となってきた。
あるいは、最後の最後に、キャスチングボードのカードを切って、連立を離脱するのかもしれない。
そういった状況を想定してか、自民党は、維新の党と、結びつきを図っていたようであるが、その維新の党も、事実上分裂して、安保法案で協力体制を組むことは、不可能になってしまった。
昭恵夫人へのバッシングは日ごとに、激しさを増している。
もともと、「家庭内与党」を公言していた昭恵夫人だが、いつの間にか、ご主人である安倍総理大臣を守るようになった。
安保法案に協力してくれるように、特に女性を集めての講演会で支援を願っているようであるが、それが、この状態である。
いかに政治家の妻といえども、こうしたバッシングには、心身ともに疲れ果ててしまうだろうと思える。
ご主人である総理大臣も、心労が絶えないだろう。
自民党の若手議員に関するスキャンダル、そして離党問題も持ち上がった。
もともと、若者たち、SEALDsのデモ運動を批難して、ツイッターが炎上したわけであるが、それとは別に、献金問題が浮上した。
これらはすべて、安保反対派の活動の成し遂げるところだろう。
沖縄での協議は成功しているのだろうか。
もうすぐ、工事再開の時期である。
沖縄に、エンタテイメントの施設、沖縄ユニバーサルスタジオジャパンを作ってあげる、というのは、甘い儲け話であるが、沖縄の筋金入りの平和活動家が、このような「飴をしゃぶらせる」ような方策に、むしろ激昂している姿が、目に見えるようである。
8月14日には、安倍総理大臣から、談話の発表があった。
わかりやすく歴史を解説した話ではあるが、「おわび」の文言などは、反対派の言うことを聞いた、ともとらえられかねない。
すでに、平身低頭の姿勢である。
そして、経済の失速である。
世界的な株価の下落は、安倍内閣の柱である、経済政策にボディブローを及ぼした。
これからどのような展開になるか、経済政策に関しては、不安材料でいっぱいである。
そうした状況におびえてか、来年の参議院選挙を不安に思った自民党議員からは、すでに弱気な声が上がり始めているようである。
9月の総裁選も、自民党議員の弱気を反映して、無投票当選となりそうだ。

安倍自民党の、この8月は、天気と同じく、失速気味というか、反対派の圧勝目前、野球の試合でいうなら、9回裏ツーアウト満塁で、一打サヨナラ、というあたりである。
こうなると、9月の予定はどうなるだろうか。
安保法案の廃案である。
安保反対派の勝利、となる。
廃案の責任をとって、安倍総理大臣は退陣、そして、衆議院解散総選挙、となるだろう。
しかし、ここに、チャンスがある。
安保反対派は、反対ばかりしているだけで、次の選挙で、政党も党首も議員も、準備することができていない。
昨年末の選挙がそうであったように、安保反対派は、烏合の衆なのである。
平和政策を主眼とした、政党を作ることができないし、候補者を擁立することもできない。
次の選挙も自民党の勝利である。
来年の参院選も、もし、民主党に多数とられたとしても、「軽いねじれ」が起こるだけではないか。
大勢を見れば、安倍自民党の勝利である。
もしも、反対派が、今から政党や候補者を準備して、特に女性候補などを擁立する準備ができていたら、これは本当に、安倍政権が「倒れる」ということになる。
昨年末には、準備期間が足りなかっただけで、今はもう議員になれる人材がいるのかもしれない。
潜在的には、新しい政党が準備されているのかもしれない。
サヨナラ本塁打とは、次の政権のことである。
とても心配である。

2015年8月26日水曜日

世界的な株価の下落について。

世界的な株価の下落について。

ここ2か月ほど、世界的な株価の下落が、続いている。
ギリシアの債務危機もあり、中国の市場が不安定になったこともあった。
ユーロ圏では、賢明な対策の手が打たれた。
しかし、世界的な市場の混乱は、すぐには収まりそうにない。

本当の原因はどこにあるのか。
どのようにして、この下落を、止めたらいいのか。

政治は、長い歴史の間に、経験によって、法則を得てきた。
経済もまた、長い歴史の間に、経験によって、商法という法則を得てきたのである。

この法則に違反すると、市場経済が混乱する。

つまり、現在の、世界的市場の混乱は、「商法に関する違反」が、原因だと思われるのである。
この違反を取り去り、厳しく対処すれば、市場経済の秩序が取り戻せるとみてよいと思う。

では、商法に完全に違反しているのは、どこの取引なのだろうか。

私は思う。
中国である。

中国は、株式市場に、政府当局が、介入している。
政府の、市場への介入は、商法の違反である。
これを厳しく取り締まれば、この株価の混乱は、収まると、私は思う。

2015年8月24日月曜日

東京オリンピックのエンブレムのこと。

東京オリンピックのエンブレムのこと。

秋の気配が感じられるようになった。
変化、また変化の時代である。
人々の気持ちは、先行きへの不安が増しているように思う。
そんなときに、希望の光として、それは一筋の光というより、
大きな松明として、輝くのが、2020年の東京オリンピックである。
すでに、新国立競技場は、計画の見直しにはいった。
スポーツのための、本当に高度な競技場へと、計画が進んでいるようで、
頼もしいかぎりである。
本当にうれしい。

しかし、次に話題となってしまったのが、
オリンピックのエンブレムの問題である。
いわゆる、盗作疑惑、というものが浮上してしまった。

この盗作疑惑のニュースに触れて、たくさんの人々が、それぞれに、東京オリンピックのエンブレムを、自分なりに考えたりデザインしたり、あるいはそれを、ツイッター上で公開したりしている。
また、それらの仮エンブレムが、「これも素敵」「これもいい」と、話題になっている。

こうした状況は、たくさんの人々が、「私も、オリンピックに参加したい」と思う気持ちの表れであると、私は思う。

疑惑のほうの話題が持ち上がったときに、一番先に感じたのは、「いったい、いつ、そんなコンテストがあっただろうか?」という疑問である。

参加するには、たくさんの大きな条件があったのかもしれないが、もしかすると、有名なデザイン事務所にだけ知らされた、コンテストだったのかもしれない。

日本には今、イラストやデザインの旋風が巻き起こっている。
これは、私だけが思うことではないと思う。

私は、活字文化という方向性で、絵やイラストよりも、活字と文章を主体として表現活動をしてきた。

しかし、今は若い人も、子どもも、ちょっとしたイラストが描けない人のほうが珍しいぐらいである。
美術大学も、アニメーション専門学校も、大人気である。
一億総イラストレーター、といっても過言ではないかもしれない。

こうした状況を踏まえて、「私もオリンピックに参加したい」という気持ちを汲んで、もう一度、エンブレムのコンテストを、やりなおしてはもらえないのだろうか。

くだんの疑惑の件は、判別にまだまだ時間がかかりそうである。
こうなったら、氏のことはまた別の問題として決着をつけることとして、東京オリンピックのエンブレムのほうは、早く決めたほうが良いと思う。

そこで、エンブレムデザインの再募集をしてほしい、と思う。

新国立競技場だって、計画を白紙からやりなおしているではないか。
よりよい、より主体的に参加できる、オリンピックのために、ぜひともお願いしたい、と思う。


それから、楽しみなのは、大会キャラクターである。
オリンピックまであと5年をきっている状況である。
キャラクター商品となると、市場価値も大きい。

おりしも、日本では「ゆるキャラ」ブームである。
市町村や企業が、オリジナルの「ゆるキャラ」を作っている。
「ゆるキャラグランプリ」も開催されていて、私も投票して、グランプリがどの子になるか、楽しみにしている。

日本を代表するキャラクターを、選んでほしい。
そして、できるだけ早く決めてほしいものである。

日本全国のイラストレーター、デザイナーが、「うずうず」している状況である。
かわいらしく、愛されるマスコット、キャラクターのコンテストも、大規模に開催してほしい。

スポーツだけではなく、みんなが実際に参加できるオリンピックに、楽しみを広げていきたいものだ、と思う。


2015年8月8日土曜日

安全保障法案の参議院審議について。

安全保障法案の参議院審議について。

今日の日本は、明治維新の時代の様相である。
国際貢献をするか、しないか。
これは、世界に開かれた日本国になるか、それとも、世界に目を閉ざしたままの日本で居続けるか、という選択である。
つまり、現在の日本は、開国派と鎖国派に分かれて、戦っているような状況なのだ、と私は思う。
どちらが正しいのか。
勝ったほうが、正しかったことになるだろう。
歴史が証明する、というが、勝てば官軍、というわけである。

日本が国際貢献のために安全保障法制を可決すれば、いずれ長い将来にわたって、日本は世界に開かれた国となる。
そうすると、開国派が、「正しかった」という結論になる。
歴史が証明する、というは、こういうことなのかと、改めて思う。

今の日本は、国内で内乱が起こっているような状況である。
社会不安も内乱の影響であるといえるだろう。

ところで、あなたは、鎖国派、開国派、どちらだろう?
私は、開国派である。

明治維新の時代では、開国への時代の流れ、世界情勢の流れには、誰も逆らえなかった。

今、インターネットの普及というツールを介して、世界のグローバル化が進んでいる。
この時流を止められる人は、誰もいないだろうと思う。
いずれ、10年先か20年先かわからないけれども、開国の流れが実現していくことになるだろう。
そうした意味で、現在にどのような批判をされても、私は開国派なのである。

武力を使った国際平和の維持、国際貢献、という意義を、特に女性たちが理解しないようである。
非常にむずかしい理論だからである。
複雑である、ということだろうか。
また、男性の発想である、ということもあるかもしれない。
「あなたの息子さんも、世の中には悪い人がいることをいずれ知って、お母さんあなたを守るために、命を投げ出して戦いたいと思うようになるんですよ」と、伝えたい。
実際に現在でも、息子さんたちは、女性であるお母さんたちを、陰に日向に、守っているのである。
守ってもらっている「お母さん」たち、女性たちが、そのことに気づかないだけなのである。

戦後70年、「平和」と一言ですべてが語られてきた日本社会においては、「世の中には悪い人がいる」「国際貢献をするべきである」という正当な考えが、通じない。
もう、頭が固くなって硬直してしまっているのだろう。
それに、自分が正しいと信じ込んでしまっているのだから、人権侵害も考慮に入れないで、激しい攻撃をする。
本当に平和を願う人が、人権侵害まがいの活動をするだろうか?
人の心を傷つけ、命をねらうようなことを、するだろうか。
それが本当に平和を願う心なのだろうか。
私は、疑問である。

特に女性たちは、もともと「私は政治には興味がありません」と公言していた人たちが多い。
なかば「いばっている」かのように「政治には興味がない」と言っていたのである。
投票にも行かなかったのだろう。
政治に興味もなく、理解の程度も浅く、感情的になって、「わが子が」「わが子が」と連呼している。
こうした女性たちを、理屈で納得させようとすることは、骨折り損のくたびれ儲けになってしまうので、もうやめたほうがよいのかもしれない。
「わかる人たちだけで決める」のも、リーダーシップである。
多数決がすべてではない。

すでに、参議院の審議に入っている。
60日ルールもあることだし、9月には、国会の、政治のトップの人たちの、国際貢献の気持ちと、積極的な平和建設の気持ちが強い人たちで、安保法案を可決することが、可能であるように思う。
そのようにして、明治時代にも、国の方向性は決定されてきた。
今回の、歴史の選択にも、そうした手法でよいのではないか、と私は思う。

しかしここで、気になることがひとつある。
反戦原理主義の人々の、戦略である。

共産党を主体としたデモが各地で行われている。
この共産党の反戦原理主義活動は、創価学会の切り崩し、という戦略に向かっているようだ。
創価学会は宗教団体であるが、いわずとしれたことだが、公明党の支持母体である。
この、創価学会の会員が、自発的行動で、共産党や民間の主催するデモ行進に、参加しているようだ。
それも、創価学会員であることを、公表したうえでこうした行動に出ているようである。

創価学会は内部規律のとても厳しいところである。
特に、宗教はどこもそうであるが「裏切り行為」というものを、固く禁じている。
私も、友達の創価学会員から聞いたが、裏切り行為は、「地獄落ち」ということなのだそうである。
その「地獄落ち」の行為を、公然と行っているのだから、これは、内部規律が働かなくなってきた、とみるのが、判断できるところである。


創価学会といえば、公明党の組織票、大票田として有名な活動団体である。
こうしたところで、内部規律がきかなくなり、個人が行動を起こし、インターネットで裏組織を作って、「反戦平和」のために、融通の利かない行動を起こし始めたとすると、公明党にとっては、大変な危機的状況となる。

すでに、来年の参議院選挙では公明党には投票しない、選挙運動にも協力しない、と公言する人がいたり、雑誌やサイトのインタビューに答えたりする会員がいる状況である。
公明党に対して、請願書を送ったりしている。
署名運動も始まっているようである。

こうした状況を、公明党はどうとらえているのだろうか。
公明党が、選挙のことを恐れて、創価学会の会員の運動のために、連立を離脱することがあったら、どうなるだろうか。
反戦運動をしている創価学会員は、公明党に、連立離脱を要求しているようである。

もし今、公明党が連立を離脱すると、参議院で議決ができなくなる。
採決を行っても、過半数をとることができない。

60日ルールで衆議院に送られても、採決を行うときに、公明党の議席がなくては、規定の三分の二に達しない。

このとき、もしも維新の党が、公明党の代わりに連立を組むとか、あるいは採決の際にだけ自民党に協力するとしたら、それで、規定の数には達する計算になる。

しかし、今から9月の採決に、間に合うだろうか。

共産党や反戦活動家の戦略には、「勝ち目」が、あるのである。
創価学会員の短絡的平和主義者の切り崩し、ここが、ねらい目であり、この作戦がうまくいくと、共産党と反戦活動家が、安保法案を、台無しにすることも、可能なのである。

公明党としては、意思を固く持って、連立離脱をしないで審議、採決するように、と思うものである。

沖縄地域で、共産党、民主党、反戦活動家、創価学会員の「まとまり」があるようである。
リーダー格も存在するように思われる。
また、共産党、公明党、沖縄県という地域性から、誰もが見て取るように、低所得者層の不満が、反戦運動のエネルギーになっているようである。

この時代を、新しい世界の平和の方向へ、乗り越えていきたい。
たくさんの人々の、時代を切り拓く思いと行動で、世界へと開かれた国づくりを、していきたいものである。


2015年8月3日月曜日

安保法案と、新しい国造り。

安保法案と、新しい国造り。
安全保障法案が、衆議院を通過した。
先週からは、参議院での審議が始まっている。
国民世論が、大きく揺れている。
政治問題としては、「盛り上がっている」という見方もできるだろう。
安全保障法案に対して、賛成意見も反対意見も、これだけたくさんの考えと意見が出てくることは、民主主義国家として、とても頼もしいことだ、と私は思う。

ところで、安倍総理大臣は、安保法案が可決されたら、すぐにでも戦争を始める気持ちでいるのだろうか?
このあたりで、国民の疑心暗鬼は深まるばかりである。
何しろ、秘密情報保護法案もあるし、政治家というのは、昔から、選挙のときだけの口約束、と相場が決まっている。
本当に、信じて大丈夫なのだろうか?

私は、こういうときに、安倍総理大臣という人の、人柄や性格を、じっくりと考えてみる。
人々は、「政治家」というだけで、腐敗や汚職の色眼鏡で見てしまう傾向があるように思う。
けれども、私は、日本の政治家は、高潔で理想肌であるように思う。

特に、震災後の日本の政治家は、若手も含めて、理想と情熱に燃えているように思う。
そして、安倍総理大臣という政治家は、やはりとても、理想の高い政治家であるように、私は思う。

たとえば、安倍総理大臣は、山口県の出身であるが、山口県には、高名な吉田松陰がいる。
安倍総理大臣の演説には、この吉田松陰の名前が、何回も出ている。
「松陰のように、やろうではないか」という呼びかけもある。

現代の日本は、時代が変化変化のときである。
それはあたかも、明治維新の変化の時代と、重なるものかもしれない。
そして、安倍総理大臣は、現代の吉田松陰となるべく、理想を掲げて政治を行っているのではないか、と思うのである。

吉田松陰は、国内にあっては、改革、革新を進めた。
そして、国外にあっては、「強い日本」を造ろうとしていた。
明治維新の時代は、長い間の鎖国がほどけて、黒船が来航していた時代である。
「外にあっては」「国際的には」という点は、とても大切な視点だったのだろうと思う。

安倍総理大臣は、外務大臣を歴任している。
御父上の安倍晋太郎氏も、外務大臣であった。
若いころから、外務の仕事として、海外へ何か国も渡航して、仕事をしている。
それで、外務大臣的なものの観方が身に付き、時には海外で悔しい思いも情けない思いも体験して、「日本はもっと国際的にならなければならない」「日本は、海外の欧米諸国とも肩を並べられるくらいにならなくてはならない」と強く思っていたのではないか、と私は考える。

それで、今回の安保法案も、世界情勢のなかで、すぐにでも戦争の後方支援に乗り出したい気持ちもあるかもしれないが、どちらかというと、「新しい国造り」という意味合いが、とても強いのではないか、と思うのである。

憲法改正に関しても、国の枠組みを、基礎から変える、ということである。

私自身は、憲法改正には、賛成である。
戦後70年もたって、憲法は、時代にそぐわないほど、古くなってしまった感がある。
しかし、憲法9条を変えるべきかどうか、というと、はてなマークがついてしまう。
それでも、憲法改正の問題に、取り組むことはとても大切で必要なことであると、私は思う。

2011年に中東で、チュニジアやエジプトの市民革命が起こった。
インターネットの普及とともに、たくさんの市民が集まって、腐敗した政治にNOを突きつけ、デモを起こすことが、世界中で行われるようになった。
しかし、ただの怒りをもとにしたデモは、政治と社会秩序を破壊するだけで、建設的な新政府の樹立にはつながらない。
もしも、政治に不満があるのなら、民主的な手続きを踏んで行うべきであると、私は思う。

そうした点から、新しい国造りを、憲法の改正、という民主的で合法的な手段で行うことを、これまでも提案してきた。

憲法の改正は、新しい国造りそのものである。

安倍総理大臣は、来年には憲法改正を行いたいそうである。
それは、安倍総理大臣の思い描く理想であるところの、「外にあっては強い国造り」という目標の達成への道筋である。
これは、合法的で民主的な道筋である、と言えるだろう。

ところで、私たち国民は、この安倍総理大臣の理想とする「強い日本の国造り」に、賛成して協力する気持ちになるだろうか。

考えてみると、総理大臣は政治の長ではあるが、王様でも神様でもない。
天と地を創造したのは、神様であるが、そうした権限を持っているかどうかは、首を傾げてしまうところである。

「もし私が王様だったら?」と考えてみたことはあるだろうか。
もし、あなたが王様だったら、どんな国造りをしたいだろうか。

私だったら、北欧型の、高福祉社会にしたい、と思う。
実は、ずっと以前からこうしたことは考えて来ていて、それで、高負担高福祉、という意味で、消費税の増税に賛成した。
税・社会保障一体改革である。

消費税の増税は決まったが、残念ながらその後、税の使い道は、国土強靭化、武力の強い日本、という方向へと向かってしまった。
本当に残念である。

もし私だったら、高福祉社会にしたい。
お年寄りや小さな子ども、病気の人や障害のある人が、心豊かに暮らせる国を造りたい。

これは、個々人によって、理想がちがうようである。
私の友達に、こうした問いかけをしてみたら、その友達は「貧困対策をしっかりした、安心な国造りをしたい」と答えてくれた。

今年の夏は、猛暑である。
この暑さのなかで、エアコンもつけられない、エアコンのついた場所にいられない人たちがいる。
そうした人たちが、熱中症で運ばれるニュースを聞くたびに、心痛む思いがするそうである。
貧困は、とても重要な社会的な課題である。
日本中の人が、経済的に豊かに暮らせるような国造りをしたい、これが、その友達の願いだそうである。

私たちひとりひとりが、安倍総理大臣、という王様ひとりの理想に、賛成や反対をするだけでなく、国造り、ということを、考えてみてはどうだろうか。
それは、もちろん、国際的な対応法を考えることも含まれる。
グローバル化の世界にあって、どんな日本でありたいだろうか。

新国立競技場の問題も、たくさんの人が、まず興味を持ち、よく知り、自らの考えを述べることで、民主的に建設されようとしている。
これは、本当によいことだ、と私は思う。

本当に、安倍総理大臣の国造りの理想に、賛同できるか。
できないとすると、どんな日本を造っていきたいか。
いま一度、民主的に、みんなで考えていきたいものだ、と私は思う。

未来の子どもたちへ、最大のプレゼントをしていきたいものだ、と私は思う。



2015年7月17日金曜日

楽しみな新国立競技場。

楽しみな新国立競技場。

新国立競技場の建設計画が、白紙からもう一度始めることになった、という。
2020年の東京オリンピックが決まってから、着々と進む、前へ前への、都市計画。
その、メインスタジアムとなるのが、新国立競技場である。
東京に決まったのが、一昨年。
そして、オリンピックまで、あとわずか5年である。
競技場の建設も、今まさに始めなければ、もう間に合わなない、というところで、やんやの大騒ぎとなっている。
たくさんの人たちの、興味と関心が、オリンピックに向かって現実味を帯びてきた、ということで、とてもよいことだと、私も楽しくなってきた。

問題の建設計画は、その予算の高いことと、デザインとにあるように思う。
やはり、2500億円というのは、びっくりするほどのお値段である。
いったい、どうしてこんなに高くなってしまったのだろう?
この予算で、日本スポーツ振興団では、どうしても進めたいようである。

それはきっと、スポーツマンにとって、「夢の殿堂」となる、新スタジアムだからだろうと思う。

今、日本中が、戦後の節目を迎えて、建て替えラッシュである。
せっかく建て替えるならば、と、どの専門家も、最新の設備を望むものである。
たとえば、病院の建て替えの際には、医師たちが、最新の医療機器を望んで、予算が高騰することになり、あわてて、「あきらめを含めて」妥協地点で、少しお安いものにするそうである。

私たちも、自宅を建て替えるとしたら、最新の設備を備えたい、と思うのではないだろうか。
太陽発電や、IT設備、そして、最新のデザインである。

スポーツマンは、もしかすると口下手なのかもしれない。
走りやすいトラックと、そうでもないトラックとがあるそうである。
また、ロッカールームの設備も、カギをつけてほしい、と願っているし、シャワールームも数とプライバシーを高めてほしい、と願っている。

また、国際競技ということからも、同時通訳の設備や、世界同時放送の設備も、どうしても重要だろうと思う。
防弾ガラスのついた、VIPルームも大切になるし、選手や観客の健康管理のための、専門の保健室も必要になるだろう。
もしかすると、救急処置のできる設備も大切かもしれない。

また、観客にとっては、パウダールームの設備は、とても大切である。
限られた時間でたくさんの観客がパウダールームを利用できるように、清潔で明るい環境を整えたいものである。

まずは、スポーツマンの一番、活躍しやすい環境を整えることが、優先順位が一番ではないか、と思う。
もっともっと、スポーツマンに、発言してほしいものだ、と思う。
オリンピック選手の人たちの意見を、もっともっと取り上げてほしいものだ、と思う。
また、スポーツマンの人たちが、口をそろえて言うことは、やはりどうしても、開閉式の屋根をつけてほしい、ということである。
雨の日に、濡れないで、安心して競技に打ち込める環境を、未来の選手たちのためにも、整えてあげたい。

実用性が第一で、その次が、デザインになるのではないだろうか。
わたしたちの本音として、デザインをした人が、イラク人の女性であることは、かなり大きなネックになっているように思う。
たくさんの人たちの税金を投入して造る、日本の国の首都の真ん中にある建築物のデザインを担当した人が、外国人である、ということは、いかに国際化といっても、とうてい受け入れられるものではない、と思う。

国の象徴として、誇りをもって世界に見せられる建築物として、日本国の人がデザインしたことは、とても大切になってくるように思う。
私たちはこうした「本音」をもっと言ってもいいように思う。
もしも改めてコンペを行うならば、国際コンペではなくて、日本国内のコンペであることが望ましいように思う。
そして、日本の伝統文化を活かしたデザインが選ばれることを、期待している。

次に、工期の問題である。
2020年の東京オリンピックの前の年に、フットボールのワールドカップが、日本で行われる。
この大会にも間に合わせたい、という思いがあった。

また、オリンピックのあとには、音楽や、文化のコンサートホールとしても使いたい思いもある。
たくさんの目的をもった、競技場にした、という山盛りの要望がある。

こうしたことが、ひとつひとつ、かなえられる競技場であるためには、建設には、時間がかかりすぎる、という話である。

私は、建設に関しては、「サグラダ・ファミリア」方式をとってはどうか、と思う。
スペインの教会、サグラダ・ファミリアは、建設が始まってからすでに100年ほどたっているそうだが、完成までまだあと30年かかるそうである。

奈良の大仏・唐招提寺であれ、エジプトのピラミッドであれ、国家事業、国費を投入した大切な建物には、それ相応の時間をかけて、とりかかっているものである。

まずは、フットボールの大会のための、枠を造ってはどうだろうか。
それから、オリンピックのための、設備を整えてはどうだろうか。
それから、開閉式の屋根を整えてはどうだろうか。

また、競技場の大きさにしても、周辺地域を整える意味でも、少し小さ目にして、近くに、専門の競技場をいくつか造って、スポーツ村のようにするのも、いいと思う。

東京の都心に、日本の健康を代表する、スポーツ村を、数十年がかりで建設していくのは、とても楽しみなことである。

また、IT技術の進歩も著しいところである。
あとから、ITのための設備が出てくることもあるだろう。

ロボットくんが、建設にたずさわることもあるだろうか。

これからの、新国立競技場、とても楽しみな世論である。





2015年4月4日土曜日

NHK「まれ」第1週「魔女姫バースデーケーキ」感想。

4月に入った。
桜の花の咲く季節。
新入学や新入社、新しい人生の始まりを迎える人も多い。
新しい社会に飛び込んだ人にとっては、たいへんなことも多いかもしれない、と思う。
これから始まる季節を、どんなふうに、生きて行こう、と思うだろうか。

新生活をしっかりと組み立てていくためにも、日課は大切なことである。
そんなときに、朝ドラはうれしい。
毎朝、決まった時間に起こしてくれて、新しい笑顔を見せてくれる。

今春からは、「まれ」が始まった。
「まれ」は、ヒロインの女の子の名前であるが、同時に、このドラマのテーマもあらわしているという。
「希望」の「希」という意味である。

ご当地ドラマで楽しみなのは、「今シーズンはどこが舞台なのかしら?」ということである。
「まれ」は、北陸、石川県能登半島が舞台である。

一週目は物語の始まりである。
登場人物の名前も表示されて、人間関係もとてもわかりやすかった。
そして、北陸の素晴らしい自然が、丁寧に映し出されている。

一週目は、まだ子役、「まれ」の子ども時代である。
「まれ」と、弟、両親が、北陸に移り住んだ経緯が描かれている。

子ども時代というのは、本当に自然と共にあるものだ、と思う。
子ども時代は、田舎で生き生きと伸び伸びと成長するのが、一番よいのではないだろうか。

朝ドラで楽しみというと、どんなドラマでもそうであるが、大好きな俳優さんが着る、衣装もとても楽しみである。
今週は、ヒロインが子役、ということで、子どもらしい服装をたくさん見ることができた。
女の子は、本当に楽しい。

まれ、の初登場シーンでは、青い海辺に、ピンク色のサロペットである。
Tシャツにサロペット、という姿が、「まれ」の活発な性格を、よく表しているように思える。
小学生のうちは、活動的に動きやすく、着替えやすく、洗濯もしやすい服装が、一番よいように思う。

また、服装は、自己表現である。
女の子がこれから、大人になるにしたがって、時と場所をわきまえた自己表現の仕方を身に着けていくために、小学生の服装は、とても大切な訓練期間となりそうだ。

まだ、子どもなので、母親が選んであげている状況だろうと思う。
この時期に、服装に対する、自然な取り組み方と、基礎を教えてあげるのは、大切だと思う。

今週の「まれ」では、80年代ということであるが、かわいらしいリンゴの模様のエプロン姿もあった。
また、Tシャツにもバラエティがあって、胸のところには「にわとり」、背中には、目玉焼きがプリントされたTシャツも、とてもかわいらしかったと思う。

また、赤いTシャツの、胸のアップリケが、同じ赤色でつけられているのも、とてもハイセンスだと思った。

お父さん役のアロハシャツも、花模様で楽しい。
お母さん役の、質素で快活なワンピース姿も、とてもきれいで好感が持てる。

春から、朝ドラで、学べることがたくさんある。
会話も、背景も、どれをとっても、参考になることばかりである。
春の季節を、朝ドラと一緒に、さあ、翔けだそうよ!


2015年3月28日土曜日

NHK「マッサン」第25週(最終週)「人生は冒険旅行」感想。

半年間、ずっと毎朝観てきた、朝の連続テレビ小説「マッサン」も、いよいよ最終週、最終回となった。
昨年の秋から、真冬、年末年始やお正月も越えて、ずっと「お友達」になってきた「マッサン」とも、お別れである。

最終週は、1949年から始まる。
政春は55歳である。
戦後の復興期に造った三級ウイスキーが好調で、次に造った一級ウイスキー「スーパードウカ」も、とても好調に売れている。
特に、スーパードウカは、マッサンが目指してきた、本場スコットランドにも比肩する、理想のウイスキーである。
日本で最初の本格的ウイスキー造りに、とうとう成功するのである。

そして、日本中の人々に愛されるウイスキーとなる。
「マッサン」の物語の初めには、まだまだ日本人には、ウイスキーは、なじみがなく、聞いたこともないお酒だった。
それが、政春の夢のとおり、日本にも本格的ウイスキーの時代が来るのである。

夢の実現を成し遂げた政春。
まさに、「男のサクセスストーリー」の完遂である。

広い工場。
赤い屋根とレンガ造りの敷地。
冬の北海道のロケもとても素敵である。
冬の日に、窓から雪が降る情景も、とても美しい。
ときどき、屋根から雪がおちるのがいい。

そして1971年。
政春は77歳になっている。
本場スコッチウイスキーとして認められた賞の授賞式と、回想のシーンで、完了している。

20代のときに、ウイスキー造りを学ぶために、スコットランドに渡ってから、50年の歳月が流れている。
50年といえば、人生そのものである。
一生をかけて成し遂げる夢としては、時間は少ないかもしれないし、長すぎるかもしれない。

しかし、たくさんの人々が、夢と冒険に向かって走り始めることはできても、「成し遂げる」「成功する」ということはむずかしい。
いくつもの山や谷を乗り越え、たくさんの障害を乗り越え、次々にやってくる試練に立ち向かい、ときにはくつろげる日もあり、ときには笑いもたくさんある、そうした人生を、最終的に成功に成し遂げるものは、いったいなんだろう?

私は、ドラマのテーマである「冒険心」「チャレンジ精神」とともに、もうひとつ、「忍耐強さ」があるように思った。

それは、チャレンジやときには「賭け」と呼べるほどの、豪胆さや、先行きの見えないものに突き進んでいく勇気とともに、同時に持っていなければならないものだ、と私は思う。

政春は、その忍耐強さを、ウイスキー造りそのものから、得たのではないか、と私は思う。
それは、ウイスキーの醸造は、年月のかかるものであり、有機的なものであり、自然環境や気候、植物が、関わるからである。

有機的なこれらの事象は、人間の考えや理想の、想定外のことをするようである。
手に負えない、自然と「時間」に向き合って、政春は、自分自身を鍛えてきたように思える。

最初の動機は、若者らしい情熱と夢だったかもしれない。
それは、衝動でもあったかもしれない。

しかし、ウイスキー造りには、醸造のために貯蔵しておく期間がどうしても必要であった。
この「最低5年間」で、政春はずいぶんと苦心したようである。
それは、投資家にしても、商売としても、同じであった。

気の遠くなるような作業と、先を見越した作業の積み重ね。
あとは、時間と湿度、霧や気象条件が、成功をあとおししてくれる。
これらのものを、味方につけられるかどうかは、ひとえに、人間の側の、忍耐力と柔軟性にかかっているように、私には思われる。

また、ドラマを見ていて、政春がそうであったが、ここが一番いいところ、というところで、思わぬ障害がはいるものである。
それは、家族であったり、時代背景であったりもする。

「やめる理由」は、いくらでもある。
失敗を正当化する理由も、いくらでもつけられる。
「私の成功を邪魔したものは、これこれこれらのものでした」と他人に吹聴して回ることだって、できると思う。

でも、そこをもう一歩、忍耐強く持ちこたえられるかどうか、自分自身に向き合えるかどうか、だと、私は思う。

政春も、理想のウイスキーにたどり着けるまで、葛藤と試練の連続だった。
そのときに、「最終目的をあきらめない」ために、妥協さえ必要になった。
柔軟性も身に着けた。

77歳の政春の身に着けた能力、持っている能力は、これから何かを始めても、どんなことでも成功できるほどの、能力ともいえるだろう。

だが、残念なことに、人生は一度きりしかない。
77歳の政春が、何かをこれから成功させられるとして、「足りないもの」といえば、寿命だろうか。

限られた人生、限りのある時間のなかで、成功を組み立てられるかどうか。
政春の生き方は、さまざまなことを、問いかけてくれる。
すでに、妻のエリーは、寿命を終えている。

実はようやく、ここで思うのである。
忍耐強さ、柔軟性、というのは、妻のエリーの力なのである。

政春が、自分で自分に都合をつけて、ウイスキー造りをやめようとしたときに、「あなたの夢はウイスキー造りでしょ」と励まし支えたのが、妻のエリーであった。

もしかしたら政春は、妻のエリーに「ウイスキー造りのことはもう言わないでくれ」と思ったこともあったかもしれない。

しかし、窮地のときに、本来の自分に立ち向かわせてくれて、忍耐と柔軟性を教えてくれたのは、エリーであった。

妻もひとりの生きた人間である。
特に女性というのは、自然に近い存在とも言えるかもしれない。
理屈ではどうにもならない、人間関係というもの、夫婦仲、家族というもの、こうした複雑で有機的な力が、成功の支えになったのだ、と私は思うのである。

考えてみれば、夫婦仲を長く続けることも、忍耐力のたまものである。
エリーの愛情深さこそが、その忍耐力の原動力である、と思えるのである。

夫の勇気と、妻の愛情、これらが有機的に育まれて、組み合わされて、そして、ひとりの男の、サクセスストーリーが、完遂するのである。

エリー。
政春。
そして「マッサン」。
半年間、本当にどうもありがとう。
勇気と愛を、たくさんたくさん、ありがとうございました!!