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安全保障法案の成立おめでとうございます。

安全保障法案の成立おめでとうございます。
2015年9月19日未明、安全保障法案が可決された。
今回の採決に関しては、16日から特別委員会での審議が始まり、長い長い三日間だったと思う。
考えてみれば、2012年夏の、アジア危機から始まって、こうしてしっかりと法案を整備するところまでたどり着いたので、そのほうが長い道のりだったかもしれない。
民主的に法整備を整えるというのが、こんなに時間がかかることだとは思わなかった。
しかし、政権は、忍耐強く、時間をかけて、審議を尽くして、物事に対処したと思う。
この間に、たくさんの討論が重ねられた。
私も最終的には、両者の意見を聞くたびに、どちらにも理があるように思えて、まさに、情に棹させば流される、という状況のときも、あったと思う。
しかし、理想郷というのは、どこにもないのだ、と思う。
私たちは、現実を認めなければならない。
どこかにあるはずの、夢のような、善人ばかりが集まる理想郷を、いつまでも追い求めていたかった気もするときがある。
そういうときに、安保反対派の考えに流されたこともあった。
最終的には、結果が出るのを待ち、政府と内閣と総理大臣の判断に任せた、というのが、私の率直な心境である。
アジア危機がわかっていたからこそ、どう対応すればいいのか、私には何通りもの方策があるように思えて、そのたびに、日本政府のこの対応策に迷った、ということである。
しかし、やはり、理想と現実の間を、埋めなければならない。
政治には、「落としどころ」がある。
大人として、立派に妥協点を見つけなければならないが、その妥協というのは、自分の心の弱さとの妥協点であると、私は思った。
安全保障法案に関しては、たくさんの討論がなされ、世論が動いた。
これまで政治には全く興味を示さなかった、女性たち、若者たちが、考え、行動を起こした。
しかしやはりその行動や言動は、日ごろから政治を見ていなかった分、遅かったと思う。
私は思った。
あの、採決のとき、ライブ中継で見守っていた採決であるが、青票と白票で、採決をする、あの票である。
木で出来ているのだろうか、少し厚みがあって、透明なケースに入れて積み重ねたときに、票の状況が一目瞭然となる。
あの一票に、万単位の有権者の声が集まっているのである。
やはり、議会というところは、厳粛なところである、と思わされた。
これまで欠かさず続けてきた選挙が、こうして議員を国会に送り出し、政治の判断は選挙で出した代表者に委ねる、これが、議会制民主主義の基本である。
この基本のおかげで、こうして、自分自身が迷うときにも、正確な判断ができたことを、とても大切に思う。
これからの日本は、あのアジア危機のときのように、大災害のあとに、中国、韓国、ロシアと三方から計略的に狙われることなく、毅然として対応できるようになる。
そうしたときに、日本の歴史は、変わるだろう、と思う。
強い激しい変化の波が起こっていて、ともすれば流されそうになるときに、一生懸命毎日を生きていく、判断していくということが、大切であると思った。
私は、あの2012年のアジア危機のときから、アジア情勢、アメリカやロシアとの関係を、ずっと考えてきたけれど、きょうが通過点かもしれないが、私にとっては、ひとつの到達点であると思う。
しろうとの私が、政治に関与してこれたのは、ひとえに、政治の専門家である議員、政府のおかげであると、心底思っている。
今年の国会はこれで終了となった。
長い長い一年であった。
法案が成立して本当によかった。
新しい日本の出発を、おめでとうございます。
ありがとうございました。