2014年8月27日水曜日

NHK「花子とアン」主題歌「にじいろ」感想。


表現と日本語の間。
夏休みも終盤となった。
学生の皆さまには、夏休みの宿題がまっさかり、というところである。
受験生や浪人生の皆さまには、「夏が受験の天王山」ということで、充実した学力づくりに取り組めたのではないか、と思う。
私は、自分自身が、こうして文章を書くことでさまざまな活動をしているので、教育問題は、とても大切なことだと常々思っている。
いろいろと考えたが、やはり私は、自分が文章を書くから、という理由だけではなしに、やはり日本語、語学力、ネイティブな母国語の語学力が一番大切だ、ということが、学力と教育に一番に訴えたいことである。
私は、何よりも「正確な日本語」の習得が、一番大切なことである、と考えている。
正確な日本語は、5W1Hのかなった日本語であるが、これは、事実を正確に伝えるメディアやニュース番組などの、文章が一番であるように思う。

ここで、正確な日本語と、文学的表現について、具体例を示してよく考えてみたい。
NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」は、クランクアップを迎えたようであるが、放送はまだまだ続いている。
みなが毎朝、目にして耳にする、テーマソングの歌詞を例にとってみると、正確な日本語と、文学的表現のちがいがわかりやすいので、書き分けてみたいと思う。

♪ これから始まるあなたの物語
これは、「これから始まる○○の物語」となることが、正確な日本語である。
たとえば、「これから始まるウサギの物語」
「これから始まるミッキーマウスの物語」
などというように、○○には、名詞が入るべきである。
「だれの」あるいは「どんな」物語なのか、という修飾語になるはずだ。
しかし「あなたの」は、二人称である。
名詞にすれば、正確な日本語表現であるが、ここで二人称にしたのは、「ひとひねりした」日本語の修飾となる。
このあたりで、文学的表現となるが、これは、「伝える」日本語としては、とてもわかりずらい。

♪ ずっと長く道は続くよ
一行目に、「これからあなたの物語が始まりますよ」と呼びかけているにも関わらず、今度は、「道」が主語になっている。
これは、考えようによっては、一行目に「あなた」に呼びかけたので、「これから始まる道は長いですよ」と道について説明したようになっている。
しかし、一行目では道は出てこないので、「物語イコール道」と考えたほうがよいだろう。

♪ 虹色の雨降り注げば
「詩なので」ということで、ありえない物が登場してくる。
このあたりでは、詩的表現として、「虹色」の七色が、詩全体に彩りを醸し出していると捉えられる。
しかし、新聞、メディアでは、絶対に使わない、使ってはいけない表現である。
もし、「本当に」虹色の雨が存在するとすれば、それは人工的にインクで染色した水ということになるだろう。
このあたりでは、文学的表現として意味をかんぐれば、「色とりどりの夢や希望にあふれた雨」ということになるかもしれない。
しかし、これまた、「夢や希望」と、「雨」の印象は、とてもちがうものであって、「雨」は、一般的には、暗い、灰色の空、どんよりとした雲、とセットになるものである。

♪ 空は高鳴る
一般的に、「胸が高鳴る」「心が高鳴る」という表現はあるが、「空」がどんなふうに高鳴るのか、意味不明である。
これは、文学的表現であろう。

♪ まぶしい笑顔の奥に悲しい音がする
「笑顔」に「奥」はないし、「音」もない。

♪ 寄り添って今があってこんなにも愛おしい
一行目に「これから物語が始まる」と宣言しているにも関わらず、「過去からこれまで寄り添ってきて今がある」という過去からの話になっている。

♪ 手をつなげば温かいこと
嫌いになれば一人になっていくこと

これは、○○すれば△△である、という話法の繰り返しだとすると、
手をつなげば温かいこと、
一人になれば嫌いになって(冷たく)なっていくこと
とするのが、正確な手法である。

♪ ひとつひとつがあなたになる
ひとつひとつ、人生体験を積み重ねていけば、それが○○になる、というわけである。
しかし、その○○には、名詞がはいるべきではないだろうか。
ひとつひとつ積み重ねていくと「あなた」というアイデンティティになる、あるいは、「あなた」の人生になる、歴史になる、あなたのドラマになる、という言い方になるだろうか、このあたりをすばらしく端折っているようである。
全体に「ひとつひとつがあなたになる」では、そのままでは日本語として通じない。

♪ 道は続くよ
ここで、一行目、二行目、に帰ってきて、詩としては完結したことになる。
締めくくり方としては、これで的を射ていたようである。
それにしても、わかりずらい歌詞であった。
ここで、できるだけわかりやすく、変換してみようと思う。

♪ これから始まるあなたの人生の道、という物語
人生の道はとても長く続くものなんですよ
虹色の夢や希望が雨のように降り注ぐでしょう
夢や希望を考えると胸の鼓動が高鳴ります
笑顔というのはとてもまぶしいものですが
笑顔という喜びと泣き声という悲しみは、同時に存在するものです

人と人は寄り添っていけば愛おしさが湧いてくるものですが
一度嫌いだと思ってしまうと孤独になって寂しい思いをします

愛することも孤独も、夢も希望も、笑顔も悲しみも、
ひとつひとつを体験するごとに、あなたの人生は積み重なっていきます
そのようにして、あなたの人生の道は続いていくのです ♪

私は、この朝ドラテーマソング「にじいろ」の作詞・作曲・ボーカルを担当している絢香という女性シンガーソングライターをとても尊敬しているので、こうした文章の翻案は、絢香さんへ、なんらかの文句をつけたいわけではない。
ただここで、日本語の文学的表現と、正確な伝達表現とのちがいを、明確にしたいだけである。
日本語の文学的表現では、倒置法であったり、体言止めであったり、文学であるがゆえのさまざまな比喩を使う。
そうすることで、美しい日本文学の表現が芸術として完成するわけであるが、意味伝達としては、ある意味、これほどまでにわかりずらいのである。
それはあたかも、私が例をとってこうして書きならしてみたとおり、英語の文章を翻訳したかのようになる。

現代の日本語教育は、日本の文学的表現の意味や文化をくみとり、理解しよう、という点が目的になっているように思う。
しかし私は、文学的表現の前に、基礎的な、日本語の正確な伝達力が必要であるように思う。
基礎的に正確な日本語を、まず理解すること、そして、次に、自分の意思や考えを書き伝えることである。

ネイティブな母国語の正確な習得は、数学、歴史、理科、英語にもとても役立つ。
たとえば、数学であれば、文章題という問題がある。
数学の方程式は、文章をそのまま数学記号を使って書き直したものである。
そこでは、数字と数字との関係性が示される。
AとBとの関係性を正確に表すのは、言葉も同じ役をしているのだ。

また、歴史もそうである。
漢字や言葉、形容詞がわからなくて、どうして固有名詞が覚えられるだろうか。
覚える以前に、歴史の教科書を読みこなさなければならないのである。
歴史の教科書は、現代にはないような概念や思想もあらわされる。
まだ経験も少ない若い人たちに、歴史的概念を教えるには、歴史の教科書に出てくるたくさんの言葉を、理解しなければならない。
「革命」「政府」「主義」「王制」「権力」等々である。
これらの言語の意義を、ひとつひとつ、理解して確認しなければならない。

そういった意味で、理科もそうである。
理科は、実験の結果、実際の現象と言語を結び付けて理解して覚えなければならない。
英語は、もちろんのことである。
母国語の日本語をほとんど理解しないままで、別の言語を覚えるのはむずかしい。
最近では、特に発音やイントネーションの関係から、幼少の時期から習得を始めることが大切にされているが、発音と、それと「意義を理解する」のとは、別のことである。
また、英語には、礼儀作法や人間関係のありかたも反映されるので、それらの総合的な学習も必要とされるだろう。

現代の若者は、シンガーソングライターの、すでに基礎的日本語の上に芸術的表現を身に着けた絢香さんの歌を聴いて日本語を覚えようとして、理解不能に陥っているのではないだろうか。

正確な日本語を、芸術的表現とは別に、しっかりと基礎力として、習得する必要がある。
それは、おそらくは、小学校の教科書から、立て直すべき教育方法である。